はてなキーワード: 軽率とは
キズナアイの件、だんだん疲れてきたので自分の見解をまとめることにする。
文章化しておかないと区切りがつかなくて永遠に頭の中グルグルしそうなので。
論点は二つあった。
1. は個人的には問題ない。というか、フェミニスト側からは批判してはいけない部分だと思ってる。
2. が今回の主戦場。
年代や階級、普段二次元表現やVR界隈に触れているかによって感覚が違っているようだとは感じた。
批判側の意見としては、男性が講師役・女性が生徒役という枠組みが旧来のジェンダーロールを再現しており、女性を萎縮させるとのこと。
世の中が完全に男女平等になっていれば、たった一つの例に目くじら立てないが現実はそうなっていないという意見を見た。
なんとなく納得できそうなところと、でもなーというところとあり、未だに整理できていない。
このくらいのことで、本当に女性は萎縮してしまうのか?と思ってしまうが、それは自分があまり抑圧を受けずに育ってきたからかもしれないし。
公的な性格が強い媒体ではポリコレに則って多様性に配慮した表現をするべきだ、という理屈はある程度納得できなくはないんだけど、
などなど疑問点や不安な点がいっぱいある。
そもそもそういう表現を公的な場所から狩ろうとすることは、長い目で見るとポリコレに反する表現を絶滅させることに繋がるんじゃないか?という懸念が拭えないわけで。
「ポリコレに反するから隠す。存在自体が許せないのではない、悪ではないが場所をわきまえてやれ」
これが、容易に
「隠されるものは悪いもの。悪いものは細々と裏で楽しむべき→悪いものはなくなるべき」
に変わっていくんではないか?大多数の人は「存在自体が悪い訳ではない」と思ってくれるのか?
多様性に配慮した表現も大好きだけど、多様性クソ食らえ!な表現も大好きなんだよ。
ポリコレ絶対を突き詰めていく先に、多様性クソ食らえ表現が狩られる未来しか見えないんだよな。
本当は楽観的でありたいんだけれども。
でも、ゾーニングは規制だし、ゾーニングのやり方によっては容易に表現の場が失われてしまうこともある。
個人的な理想としては、ある表現をなくして目立たなくするのではなく、自分がいいと思う表現をどんどん作ったり推したりしてそれらの存在感を上げていく方向が建設的でいいと思う。
子どもができたら「これは良くないから見るな!」って言うより、「こっちにはこういうのもあるよ」って接したい。
その上で、親が眉を顰めるようなものに触れてしまうのも当然だしそれは成長の一部だと思う。
親が全部管理なんてできやしねぇしするべきでもないし。
全部ひっくるめて子ども当人の人生で、自分で自分がよいと思うものを選び取れるようになってほしい。
そして今回、一番衝撃だったこと。アカデミックなフェミニズム側がジェンダーロールの再生産を非常に問題視しているという点。今更なんですが。
今回、1.の論点を重要視してるかどうかでフェミニズム側は分かれていたように思う。前述したようにこれをフェミニストと自称する人が問題視するのはどうかと思うので、ここでだいぶフェミニスト側を分類できた。しかし、性的だとはしない/もしくは問題視しない人々でも共通していたのは、あれが旧来のジェンダーロールの再生産であり若い女性を萎縮させる、ということだった。個人的に、アカデミックなフェミニストの中で信頼がおけると思っていた人も、ここは強く問題視しているようでかなり衝撃を受けた。
かつて自分が被ってきた女性差別を生々しく思い出して重ねてしまう傾向が一定の年代以上の人や女性差別が酷かった業界の人には多いということなのかもしれないが、それ以上にフェミニズムの中で長らく重要視された観点っぽい。そこまで確固たる共通見解となっていたというのが驚きというか。それを各種表現にここまで簡単に当てはめることに躊躇がないんだな、と。
個人的にはうなずける部分もあるが、女性差別のみを特に重要視して男性に対するジェンダー的な抑圧を無視する傾向がある気がするし、私が育ってきた中では幸運にもひどい女性差別を受けては来なかったこと、そして自分はジェンダーロールの再生産になりそうな作品もそうでない作品も両方楽しんで育ってきたことなどから、そこまで切迫感を持つことができない。私とそういう人たちとの間に断絶がある。
女性差別って私が想像する以上に酷いものがまだまだあると思うし解消に向けて動くべきだし動きたいんだけど、私は上記の理由からこの方向の活動にはどうしても同意できないな…。この方向で頑張ることによって、そういう酷い女性差別が改善していくとは思えない。
ちなみにVtuberやVR界隈に対しては、既存のジェンダー観でははかれない技術革新がもたらした今までとは違うジェンダー観が存在すると思っている。キズナアイも見た目は女性だがAIという設定で性別はない。ガワと中の人の性別が違うなんてざらにあるし、自分が望めばなりたい性別やセクシュアリティになれる・それを当たり前のように受け入れてもらえるという土壌がすごくいいと思っている。
あまりVtuber界隈詳しくなくて今回初めていろいろ調べてみた程度なのであまり語れないんだけど。バ美肉とかは、すごい革新的すぎて興味持っている。みんなもっとチャレンジしてジェンダーの壁を軽率に越えるべき。
参考:おじさんを美少女化したテクノロジー 先端心理学が語る「VRの世界」
https://withnews.jp/article/f0180401000qq000000000000000W00g10701qq000017020A
1~2の派生で、千田氏の炎上から社会学などの研究成果評価システムにまで話が発展したのは大変興味深かった。
というあたりか。それぞれの分野に合ったシステムがあって、外野から簡単に口出せるものではないと思うが、若手の方々がより良い方向を目指して試行錯誤されているらしい、ということは分かった感じ。
で、アイドルがNHKに出演してるのを見て「性的搾取のアイコン、公共放送にそぐわない」とか言うやついたの?
議論があることと実際に個体批判されていることは違うんだけど。
でもさ、オタクに対してはそれやるわけじゃん。
オタクに対しては言ってもいいって認識してるから軽率に批判してんのよ。
今まで「オタクの被害妄想いい加減にしろ」と思う側だったけど、今回の件で180度変わったよ。
コメントで勘違いしてる人がいるから言っておくけど、NHKの放送でキズナアイが出てんじゃないから。
ネットコンテンツに萌え絵が出たからって「感覚を疑う」とか、フェミニストさん他にもっとやることあるだろって。
キズナアイがコンテンツに選ばれたのは萌えキャラだからじゃない。
なのにフェミニストたちは見た目の話しかせず、やれ胸がでかいだの上目遣いだの言う。
今回の件においてフェミニストたちは無自覚な差別主義者にしか見えない。
普通のアニメなら、声優を意識せずにキャラを見られるが、アイマスみたいな実際にライブをするコンテンツだとなかなか難しい。
先日、杏の中の人が軽率な発言をして炎上していた。杏Pとして残念だとか、中には杏が嫌いになったという人までいた。
わからないでもない。
自分はあれがキャラ個性として演じられていたとは思わない。声優が暴走しただけだと思っている。
だが、中の人があれかと思うとどうしてもキャラも好きになれない。
声優はアイドルの一要素でしかなく、イコールではない。ただ、一要素であることもまた事実だ。
この先、浅利七海とか太田優とか、声がつくのを楽しみにしていたが、いっそこのまま声がつかない方が幸せなこともあるかもしれない。
文字数制限があったとは…迂闊だった。 https://anond.hatelabo.jp/20180829184304 続きです。
あれはRotGの人気じゃない。
RotGの主人公と某ディズニーアニメAの主人公のカップリングが人気だっただけだ。
この差は本当に大きい。この人気を受けて上映企画も持ち上がったが、「中止にはなってないものの候補に上ったままその時期から停止している」といった状況になってしまった。
日本においてRotGの人気は某Aに依存するような形になってしまった。(挽回キボンヌ)
まるで某Aの属国だ。
界隈がそんな状況だから二次創作を覗きに行くタイプの人にはなかなか勧められないし新しくハマった人のモチベーションも削がれてるんじゃないかとヒヤヒヤしてる。
自浄作用が腐りきってる。
いつも他ジャンルで発動してる過剰なまでの自治はどうした?時々必要無いだろって思えるほどのお得意の自治は発動しないのか?自浄しないのか?
これに至っては最低限のそれすら無く見えるんですけど………
何せRotGで検索すると某Aを引き合いに出した意見が出てくるなんてしょっちゅうだ。
まるで某A界隈の植民地だ。
じゃあ腰巾着で統一するか?どうだ?屈辱的なのは変わりないがな。
なあ、わかるか?
探す努力はした。
そしてこういう会話をする。
「うん、知ってるよ。女王(某A)とカップルになってる人でしょう?」
このはらわたが煮えくり返る返答で平静を表面上保ってみせた私を褒めてくれ。
しかも一度や二度じゃない。
あのブームに乗っていた者の反応はこれだ。
もちろん気が合う人にも出会えはした。
でも、あまり言いすぎるとRotGには希望が無いのではと誤解させてしまうんじゃないかと、探ることもできなかった。その件についてはあまり深入りせず、触れないようにした。私は見て見ぬふりをした。きっと不自然なほどだったと思う。
その人たちも状況はわかっていたと思う。けど、賛否どちら寄りなのかわからないから言えなかった。
でも今この記事を書きながら強く思う。
どうせ立て直すなら一度ぶっ壊した方がいいと。
某ディズニーアニメAの主人公ののスペイン語版のウィキペディアに「主人公の配偶者:ジャック(ジャックはもちろんAの主人公も結婚してない。)嘘書いたり。
Change.orgで「Aの主人公とジャックフロストを公式でコラボさせて出会わせましょう!」っていう署名を2回も呼びかけてたり。
ドリームワークスの公式アカウントででただRotG関連のツイートが見たくて検索しただけなのにそのクロスオーバー界隈のユーザーが公式アカウントに送り付けてたそれのアイコラ画像を見つけるはめになったり。
冬の時期とか某Aに、某ディズニーにかこつけてツイートしてたり。(何度も言うけどマジでディズニー関係ねえぞRotG)
「ガーディアンズの続編の可能性を探る!」って記事があるんで覗いてみたらただ某ディズニーアニメにかこつけたクソ曖昧な話ばっかりで肝心の続編探りはほぼ無関係なクソ詐欺記事だったり、
ピクシブとかグーグルでこっちがマイナス検索した上でRotG関連タグしかついてないとホッとしてたら不意打ちでクロスオーバーかまされたりした気持ち。
明らかにpixivの規約違反な公式のCGのアイコラ画像なのにネタが人気というだけでお目こぼしされたコラ画像が「野生の公式」と持て囃されてお目こぼしされた状態で数桁users入りしているのを見かけた気持ち。
これ全部マイナス検索といった自衛の上で防ぎきれず見た場合だ。
先入観が無くてマイナス検索をしなかった人はどうなるのか(人それぞれだよ)
いや人それぞれなのはわかってっけどそれでどのような効果が起きるかっつー話だよ。
わかるのか?
でも、好きな作品が腰巾着扱いされてるのはもはやそう言う問題ではなくないか??みなさんはどう?
大好きなキャラが他社作品の無関係のキャラの添え物扱いされてる気持ち、君にわかる??
それが他作品な上に 他社やで?
それを他作品と一緒にワード検索したわけでもないのに当たり前の顔をして出てくる状況にぶつかった気持ち、わかるか?
あと、そのクロスオーバーのカップリング(仮にジャック×某としてジャ某と仮称します)オンリー、「ジャ某(仮称)オンリー」のツイッターアカウントがRotG
を紹介して、
「ジャ某(仮称)入門にいかがですか?」って言ったの見かけちまったの
忘れねえからな。
何がジャ某(仮称)入門だ。お前らにとってはその程度の認識なの?某ディズニーアニメの違う味付けを楽しむ舞台装置とか調味料とかだとでも思ってる?
ひょっとして、ドリームワークス作品が日本で冷遇されてたから日本でRotGの土台が整わなくてジャックフロストを某のオマケ扱いに留めておくチャンスに恵まれてるとか感じてる?
嫌すぎるな。
あああ。うんざりだ。 うんこまみれのザリガニ 略してうんざりだ。
ちなみに原作者や役者、つまりジャックフロスト役の人はどう思ってるか?
英語版のクリス・パイン氏の見解は知らないけどとりあえずここでは日本語吹き替えの声優さんの方で。
私が原作者か声優ならここまでされたら屈辱でキレそうになるんだけど。あ、いや腰巾着扱いされたという諸々の前提込みではあるんだけど。
お咎め無し。なんならモノによっては「自分の作品のキャラに好意的なファンアート」としていいねボタン(Likeボタン)を押す時すらある(ジョイス氏が)
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わ~~ウケる~~wwwwwwwwwwwwwwwwwww笑
ウケねえよ。
これがどういうことかわかるかな??
わかんねえだろうな。
娘のために物語(RotGの原作小説)を紡ぎ続け、その作品が全時空一のの美少年を主人公に据えて映画化された人と、
わかんねえだろうな。
わっかんねぇだろうなぁ~~~~~
なんでそんな余裕しゃくしゃくできるのか。
そんなスペックを持ってるからってことから推測するしかできない。
でもこっちには余裕が無いんだよ。
そんなスペックなんて持ってないんだよ。
何であなた方の作品を某Aの属国扱いしてる界隈が原作者と声優に依怙贔屓されてこの国の原作ファンはこんなに冷遇されてるんだろな。
よくわかんなくなってきた。理不尽すぎて。
「原作者と主演俳優が認めてる!」(と、思わせるような出来事)みたいなカードがどれだけデカイか。
いやあ多分認める認めないとかお二方の体感ではそんな大袈裟()な話ではなくて「人気アニメの影響で自分のキャラが話題になった」
それをすればするほどファンを追い詰めることになっているのは承知なのだろうか?
ジャックフロストガチ恋勢もRotGはRotGの世界の中、広くともドリームワークスの世界の中で完結されててほしいファンとかも浮かばれんわ。
「認めるのも認めないのもその人たちの自由じゃんwwガイヤーダーットレェww(外野は黙っとれ)」とも言いたくなる人もいますか?
しかし、彼らはそれを踏まえた上でそうしてるだろうか?
そうじゃない上でそうしてるとしたら軽率としか言いようがない。
例えばこれがアイドルだったら?(偶像をアイドルと呼ぶならばガーディアンズも普通にアイドルの条件に当てはまるが…)
例えば、『とあるアイドル、芸能人本人にとっては根も葉もない文春砲が出る。
その芸能人の親(彼らの言動が別にアイドルの公式の見解になるわけではないが、影響力を持つ)や事務所が肯定や否定をするわけでもなくいいねとか、
果てはその記事の内容の関係者について肯定的ともとれる言動をしていたら?
しかも内容は、他の事務所の芸能人の腰巾着扱いをしているともとれる、よくてお菓子のオマケ扱いしてるような記事。』
どうでしょうか??
いや、ジョイス氏や落合氏の発言とRotGというアニメの公式は全部イコールじゃないけれど、お二方はずぶずぶの公式関係者、すなわちアイドルの親(アイドルとしての公式ではないがツイートにlikeボタンが押されたら良くも悪くも調子に乗るには十分)みたいな存在なので、
別ジャンルで別の人が言ってたんだけど、「たとえ俺たち(二次創作的な場所で盛り上がるタイプを指す)が狂ってても、公式だけはまともでいてくれよ」という切実な言葉を思い出し、そして身に染みる。
今なら某魔法学校の某ドラコくんが公式のLINEスタンプでずぶずぶのネタ系二次創作キャラを逆輸入された時の某ドラコくんファンの気持ちがわかる!!
我々が狂っててもジョイス氏や落合氏のような公式関係者の方々にはまともでいてほしさある。
罪悪感は無いのか?
あ~~~浮かばれねぇな~~~他のカップリングやクロスオーバーが好きな人間は浮かばれねえな~~~。
なあなんとも思わないわけ??ドリワ側の原作と主演が頼りないからディズニーの強火さに頼るしかないとか思われて、何とも思わないわけ??
ドリームワークスの見解はどうか知らんけど軟弱な日和った発言でもされたらマジで終わりなので終わらないで。
ディズニーの強火に頼らなきゃいけない。その点では信頼できることを知っているから。
なあ???恥ずかしくないのか???敵対会社の強火は信頼できるからそっちに頼ればとりあえずは安心とか思われて恥ずかしくないのか????
敵対会社の作品のキャラクターをくっつける必要が特にないんならわりとマジでやめてほしい。
ディズニー側がそんな事承諾しないことはわかってる(Frozenのエルサの言葉を借りると「あなた達の結婚は絶対に認められません」だ)
仮にそんな事言ったりしたら相手がドリームワークスのキャラだろうがイルミネーションのキャラだろうがひんしゅくを買うに決まってる。約束された敗北だ。
だったら公式側には何も持ちかけず、二次創作の範囲で留めておいた方が安心安全のクロスオーバー二次ライフを送れるかもしれない。
けど、そんな中で出過ぎた真似をする輩がいる。日本なら完全に炎上案件レベルだけど英語圏ではいかがなのだろう。炎上要素ゼロってわけじゃないよな。
先ほども述べたように、Change.orgというサイトで、「Aの主人公とジャックフロストを公式でコラボさせて出会わせましょう!」っていう署名キャンペーンを行ったあの界隈の者がいました。
ちなみにそういった署名キャンペーンが確認できる限り2回行われ2回失敗した。
オウ。妥当だ。そんなの成功させるくらいなら日本のRotG上映実現と原作翻訳出版実現を成功させろ。
あと日本語吹き替えの落合佑介さん、そのヘッダーはどうなんですかね?
まあそれを抜きにしてもそれ無断転載とかじゃないですよね。
違ったらごめんなさい。でも無断転載なら普通に変えた方がいいと思います。
わかんねえだろうな。
どうせ原作者や主演俳優がどう思おうがディズニー側がブレなければ非公式にすぎないから安心していいんだろうけどさ。そう言う問題じゃないんなよな。既に精神被害被ってんだよな。さっき言った通りあの界隈の署名のやつで公式にしろとかほざきやがった例があるからもうその言い訳も通じないんだよな。
世界が公正じゃないことがこれでよくわかる。
世界が公正ならもう少しマシだったよ。
じゃあジャックフロストとディズニーの某A側に別々に公式に恋人作る?
って?
え〜〜〜〜〜〜そういうのを作るにしろ作る理由が「他社作品のキャラを遠ざけたいから」みたいな雑な理由は嫌ですね。
あと個人的な意見ですがそもそもジャックフロストが好きなのは美形少年ながら安易に恋愛展開を持ってこられなかったのがホッとしたのもクソデカイです。
最近「ガイジ」を軽率に使うんじゃない、的な啓発をよく目にする。おそらく本当の障害者に「ガイジ」と言うようなことはしないから、「ガイジ」で傷つく人のことを考えない軽率さが生まれるのだと思う。それでも「ガイジ」を軽率に使うな!と言う人がいるのは、健常者を「ガイジ」と侮蔑することは、障害者は侮蔑されるものである、ということを含意しているからだろう。しかし、「ガイジ」を使う側に障害者を侮蔑する意識があるとは思えない。
「ガイジ」を使わないで!と呼びかけるよりも効率的な「ガイジ」駆逐の方法がある。それは、「ガイジ」を軽率に使う人たちが表現したい侮蔑のニュアンスを含む、よりキャッチーで当たり障りのないなフレーズを普及させることである。
私がよく使う表現は「害悪」だ。「ガイジ」と語感が少し似てるので、「ガイ…悪」と踏みとどまれるという特徴もある。「ガイジ」のように特定の人に流れ弾が当たることもない。良い侮蔑表現だと思う。
言葉狩りなどの議論では、「言葉を禁止しても、差別する心が変わらなければ意味がない」という意見が見られる。私が提案した手法はまさに、「言葉を変えるが、侮蔑する心はそのまま」にするものである。しかし意味はある。「ガイジ」の軽率な仕様の問題点は障害者への流れ弾だ。人を侮蔑してはいけない、という根本的解決は非常に難しい。それに、謙遜の文化がある日本で「自分を侮蔑してはいけない」ということを徹底させるのは非常に困難ではなかろうか。
これは軽率でない「ガイジ」の使用、つまり障害者にも「ガイジ」と言ってしまうような層を改善するものではない。これはやっぱり、差別する心をどうにかしないとどうにもならないと思う。
こういう層から生まれた言葉が軽率に広く使われないように、いたちごっこではあるが、当たり障りのない侮蔑表現を広めていこう。
胸糞悪くなる書き込みがある。
すると「自業自得。こんな愚かな人のためを助ける人たちご苦労さま」みたいな書込がある。
ふざけるなと思う。
助けられなかった命をおしむ気持ちはないのか?
その行動が愚かだろうがなんだろうが
助けられなかった悔しさ
遺族の悲しさ
辛いんだよ
それを書き込んでる連中は
「俺はそういう愚か者とは違い分別ある。国や人を守る人たちへの敬意も忘れない」とか思って高尚な人ぶってるんだろうけど
一番最悪
個人的には嫌いでも、自業自得と言われる行動でも、そして掲示板で尊大な態度をとってる人で誰も死んでほしくないし
みんな善人なんだよ。
貶めてる連中は悲しい死に対して自分とは無関係という思いを出したいために
そういうところは考えて書いてほしい
誰だって悲しいってことに
成人が自分の判断で自分の持ち物を売り、売ってるものを買っているだけなのに、何が問題なんだか全くわからない。刃物とか銃火器なんかはそれで他人に危害を加えうるから流通の段階で食い止めようとするのはわかるし、麻薬は不可逆的に心身を損なうので禁止すべきだけど、ただのセックスで何が失われるというんだ。もちろん性病の危険はあるし、イカれた客に当たれば暴力沙汰の怖れもあるけれど、コンドームやら店の後ろ盾やらで防御は可能だし、リスクがあるからなどという理由で個人の行動を制限するのなら、アイスクライミングみたいなエクストリームスポーツも咎められなきゃおかしいんじゃないか。性も命もかけがえのないものだけど、それを危険に晒す冒険行為を自分の意思で、自らの責任でやっている以上、他人が口を挟むことじゃないのではないか。今回の事件、周りの人たちは、国旗を背負って何をやってるんだとか恥を知れとか、軽率だとか、ふさわしい行動ではなかったとか、ご迷惑をお掛けしたとか、さも間違ってる理由の暗黙の了解が皆に当然あるかの様に、説明なしの平謝りだが、しかしまったく全然サッパリ俺にはわからないのだ。
バスケットボール協会会長のコメント。「言語道断」。最近こういうの多すぎでは。ヤフーの男性同僚をARで女性化した事件も、件の生産性発言も。当事者にとってはさして考えるまでも無くどの点が悪いのか明らかなことなのかも知れないが、それでも説明してほしいよ。
これから話すことで、自分も軽率だったことは百も承知だが、吐き出させて欲しい。
まさかの再会に自分も最初は喜び、しかも住んでいる場所が近所だということもあって、その場のノリで連絡先も交換した。
だが、いつまでも送られてくる自分語りに、今では後悔している。
頻繁にLINEが届くが、内容は「いま起きた」とか「これから昼飯食ってくる」といった自分の身の回りの報告ばかり。
現在はアルバイトで生計を立てていると聞いていたので、あちらは時間に余裕があるようだった。
だが俺は業務時間内。プライベートでの連絡をある程度は大目に見てくれる職場とはいえ、返信ばかりしていられない。
しかし久々の再会が嬉しくてはしゃいでいるのかなと思い、その時は「仕事に集中したいからあまり連絡されると困る」とやんわり注意した。
今度は自分の好きな作品や登場人物についての語りだ。アニメやマンガは自分も見るけれど、他人の趣味嗜好はハッキリ言って興味がない。
適当に相づちを打っていると、どんどん語りメッセが送られてくる。
途中で我慢出来なくなり、スマホの電源を切った。あとで電源をつけたらLINEだけでなくFBにも大量のメッセージが届いていた。
内容は全て自分語り。読むのも面倒なため、メッセージを開くだけして無視した。
後日、再会した飲み屋で仕事相手を接待中、偶然そいつが来店した。
さも当然のように輪に加わろうとする彼を慌てて止め、仕事中なんだと伝えると「めんどくせぇな、じゃあいいよ」と不機嫌に返される。
このあたりで「こいつなんかおかしい」と思い始め、距離を置きたいという旨を伝える。
しかし、ほとぼりが冷めた(と向こうが勝手に思っている)ころ、またしても自分語りのLINEが届き始める。
もしかしたら、あちらは距離を置きたいというのも冗談だと思っているのかもしれない。
「バイト先で学歴自慢するやつがいるんだけど滑稽にしか思えない。頭は良くても精神はガキ」(彼の最終学歴は中卒)
「俺は童貞だが、金を払ってまで女を抱きたいと思わない。童貞も守れないやつは何も守れないんだよ(笑)」
「俺は自分以外の全ての存在が嫌い。だけど一生懸命生きている人は尊いとは思う」
他にもあるが、昨日来たのはだいたいこんな感じの内容だ。
ハッキリ言って中二病の気もかなり感じられる。
中学を卒業して10年経つというのに、いまだ中二病から抜け出せていない奴と付き合うのは正直しんどい。
「もう連絡してくるな」とハッキリ伝えて全ての連絡手段をブロックするべきなんだろうが、通っているお店が同じだと再会の可能性が非常に高い。
先日、聞いて仰天した話。
私:40少し前♂、仕事は結構きつめ、年収そこそこ、都内の国立大学卒、容姿は人並みだが肥満気味。
が、そろそろ子供を作るにはタイムリミットかなと思ったのでネットde婚活。
つり合いの取れる女性を見つけて婚約中、お互いの両親も面談済み、披露宴会場も予約済み。披露宴招待客も決めて、お返事待ち中。
彼女:30前半♀、仕事は忙しそう、大学の少し離れた後輩、容姿は好き嫌いはあれど間違いなく美人スレンダー。
とにかく頭がいいのでこちらが疲れない。仕事もしてるので、生活の安全保障も期待できる。お互い経済的社会的要因を重んじて選んでいるのは分かっている。
社会的なつり合いを重視して選んだお互いであるわりには、夜の相性はかなりいい。敏感なのに恥じらいが奥ゆかしい。ごちそうさま。
大学出て最初に付き合ったのは、会社の40代の既婚上司で、それがどうも初めて付き合った男性らしい。
むろん、最初の恋愛が不倫というのは恋愛観とか男性観が歪んでいる可能性もあって、そもそも上司と付き合うとかその月並みさに耐えられない。
本当かどうか問いただすことも考えたが、さすがに処女を誰にあげたかなんて聞いたらこちらの常識を疑われる。
よりによって最初の恋愛だから、それなりに思うところあっての選択のはずなんだから、きっと治らない病気みたいなものなのだろう。
もう一つは、実は次の不倫相手は私の上司らしい。夜、上司と腹心4人くらいで飲んだ時に気を許したのか今の彼女自慢を始め、しかも水商売じゃないと言う。
聞かされて興味津々に、彼のスマホを見せてもらったら、出ましたよ、壁紙リストに入っている私の婚約者の満面の笑顔。
もう3年くらいの付き合いらしく、聞くも不愉快な交際の経緯。某メディア企業の幹部からの紹介で取材を通じて仲良くなったんだそうな。
よくよく聞いたらそのメディア企業の幹部が付き合っていたのが彼女だったということで、要はその私の婚約者の処女を奪った男が、私の上司に彼女を譲り渡したと、そういうことだ。
上司のアホは、ペラペラペラペラ彼女との逢瀬について話す。しかも私とするときとまるで変わらない様子をしゃべりまくる。こいつ出世を諦めたのか。
さすがにこれは衝撃で、彼女に「つきあった男性、何人くらいいるの?」「その中で私に決めた理由はなあに?」と聞いてみた。
過去についてはあっさりと「2人だよ」と言って、だけどもう過去の話だから気にしないでほしいってこちらの顔色を窺って言うばかり。
確かに、上司と逢う頻度が私と知り合って激減しているようだし、それに上司が不満たらたらだったので、あながちウソでもないのかもと思ったり。
正直、こういう人と結婚するのは生理的に嫌悪が走りました。ビッチでしょ、どう見ても。過去の恋愛のすべてが不倫とかありえないよね。
怒りとともに婚約破棄しようとその瞬間は思ったのですが、よくよく考えれば、才色兼備で、もうこれより婚期を遅らせると、子供が大学に入学したころにもう定年を迎える時期にこれだけの条件を備えた相手なんてそうそういるわけでもなく。むしろかつてアナウンサーを目指していたという美貌を考えると、ほぼレア中のレア。
不倫のことさえ目をつぶれば、条件的には申し分もなく、彼女の一族は、都内某区で大規模な土地を持つ地主一族で、しかし財産に胡坐をかくことなく、一族そろってみな早慶以上の学歴、手堅い職歴。もちろん本人も、これまでの経歴も申し分なく、料理はプロ級、お茶と着付けの心得があり、聞くところによると、ピアノとヴァイオリンも上手、らしい。もちろん彼女家の資産は1億超えてます。
さて、どうすればよいのかしら。結婚すべきなのか、婚約破棄すべきなのか。
ちなみに、ここに書いた彼女に関する情報は、私の上司から聞いた話です。役員にもなったのに、婚外恋愛のことを酒に酔ってペラペラ話す彼は、軽率極まりないと思います。
私も女性経験は人後に落ちませんが、そんなことは口にすべき話ではありません。これまで心と体を開いてくれた女性に失礼です。
男は黙ってハメ撮り写真をクラウドに入れてニヤニヤすればよいのです。
こんな上司でも、私を引っ張ってくれたのは確かなので、苦言できませんが。
今年の映画で喫茶ポアロの看板娘 梓さんが出てて(出番は短いんだが)
今年のメインキャラ安室透に「安室さんは人気なんだから軽率な発言をされると私が炎上しちゃうでしょ!」って言うシーンがあるんだよ。
安室が人気キャラなのは結構知られてると思うけど、今のところ女の影が無い仕事人間ってキャラ。
唯一近くに居るのがその「梓さん」なんだが
ちょっとラフ絵で匂わせただけでスピンオフ作者に特攻してくるファンが居る。
でもここで生まれるのが「炎上しちゃうでしょ!」発言でメタネタになってて
安室と梓関連で炎上するたびに「アニメで見たことが現実になっている…!!」と楽しむことができるんだよ。
多分作者は映画以前から、二人がそういう風に見られてファンがざわつくことがあったのを知っててやってるんだけど
全員同系統の服装、同系統の髪型、一糸乱れぬダンス、それが苦手な理由。
なんか息苦しさを感じる。朝日新聞においては高校球児とそれを取り巻く環境はこういうのが望ましいんだな、という。
嫌いになったのは、女性の部長が甲子園見学中に打席に立ってスイングしたのを注意された件を知ってから。
もちろんルールはルールだし、女性部長の行動は軽率だったと思う。
ただCMだと女性がグラウンド内で踊っているじゃないか、と思ってしまう。
もちろんこれはいちゃもんだ。同志社香里高校・大阪府立今宮高校・大阪府立登美丘高校のダンス部の方々にはなんの問題もない。100年かけて築かれてきたきたものに対してとても敬意を示したダンスだと思う。
高知市職員ですが、以前のエントリーが思った以上に反響がありましたので、書きます。
以前のエントリー
https://anond.hatelabo.jp/20180728154743
https://www.kochinews.co.jp/article/203672/
高知市の横田寿生教育長が31日付で辞任。7月上旬の西日本豪雨のさなかに、北海道へ市幹部ら7人で競馬旅行していたことに批判が高まっていた。岡﨑誠也市長が記者会見して発表。
7月4日から発生している豪雨災害のさなか、今回辞任した横田教育長、教育次長、総務部の弘瀬優総務部長、諸石信広総務部副部長、その他副部長級2人、課長級1人の合計7人が函館に競馬観戦の旅行に出かけていたことが発端です。(この7人というのが、競馬好きで20年以上の付き合いで趣味で、全国の競馬観戦をしている「有馬会」のメンバーであり、後述しますが、事実上の高知市役所の人事権を牛耳っているメンバーでありました。)
このうち、横田教育長と弘瀬部長は、災害対策本部のメンバーであることから、庁内外はもちろん、市民からも非難の声が集まり、全国区のニュースとなりました。
ここで、誤解してほしくないのが、単におじさん7人が趣味で競馬旅行を行っていたのが問題ありません。公務員だからといって、競馬をしてはいけない、という理由は無いと思います。ただ、タイミングが最悪だった。豪雨災害で西日本を中心に被害が発生しており、高知県内では3人が死亡している最中、この7人は競馬観戦をして、すき焼きに舌鼓を打っていたということ、道義的責任が生じるとともに、公務員にとって最もと大事な「信用」失墜行為にあたるということです。
なお、出発した時点は大きな被害は出ていなかったと、それに代理を立てて準備をしていた等、一部弁明していますが、これもおかしな話です。
というのは、そもそも災害対策本部というのは、当該自治体における防災対策の最高意思決定機関であり、避難所開設、避難指示、避難勧告といった市民の生命に直結する、非常に重要な決定を行う機関です。
責任が非常に重いのでそもそも課長、課長補佐といった代理で務まるわけがありません。そのような理由もあり、大きく報道されました。
後述しますが、この報道に対して当の教育長が「道義的責任はない」と開き直ったことから、市議会の与党会派「新風クラブ」「市民クラブ」「公明党」が激怒し、公明党出身の市議会議長も市長に文書で申し入れをする構えを見せたことで、事態は急変しました。
今回、競馬旅行にいった有馬会のボスである横田教育長は道義的責任はない、と高知新聞7月28日付朝刊においてコメントしていました。
「(旅行期間中は)学校も休みで行事もない。用意周到に必要な指示を出し、態勢を敷いていたのえ、(私が不在でも)特に支障なはなかった。道義的責任も生じない」という認識を示した。
避難所として小中学校は機能するにかかわらず、教育委員会トップと思えない軽い認識で、道義的責任を生じないというコメントには、失望しました。
しかし、冒頭のニュースにあるように、本日付で横田教育長が辞任しました。
長年、高知市役所において、人事課長、財務部長を歴任し、最終的に教育長という副市長クラスの特別職として君臨していた男のあっけない退場でした。最終的な肩書が「人事の横田」「競馬旅行の教育長」という肩書とともに。
今回の競馬旅行事件は、教育長の辞任をもって幕引きとなるでしょう。本来的には、職員の人事権や綱紀粛正などを統括する総務部長が一定の処分を受けると思いますが、今のところ、減給程度で終わるようです。
しかし、有馬会のナンバー2である弘瀬部長がこのまま総務部に留任ということは、ありえないと一般的に思いますが、仮に弘瀬部長こそ、次期副市長の最有力候補であり、やもすれば、市長の呼び声も大きいので、ここでキャリアに傷をつけるのは、何としても避けたいところでしょう。
それに、現在の岡崎市長の最側近でもあり、かつて、弘瀬部長が課長時代に、同和問題で部落解放同盟に糾弾された際も処分はせず、現在の総務部長のポストにつけたことから、その信頼の強さがうかがえます。
よって、道義的責任は生じないと言っていた横田教育長が辞任したことは、有馬会トップの座を弘瀬部長に禅譲することも意味します。
高知市役所も結局、組織でありヒエラルキーが存在し、派閥も一定存在します。そのような派閥で最大の力を誇るのが、有馬会です。
有馬会は、報道ではただの競馬大好きクラブといったような趣ですが、そうではありません。(ちなみに有馬会の由来は、有馬記念から来ています)
そのメンバーが、今回のニュースで明らかになったように、教育長、教育次長、総務部長、総務副部長、さらに副部長級があと2人、課長級が1人と上級幹部ばかりです。
今回旅行行ったのは、有馬会の中でも有力メンバーであり、その他にも有馬会のメンバー、もしくは有馬会「系」の派閥も存在しています。
彼らの力の源泉は、財政課、企画課、人事課、行政管理課といった役所内の中枢出身者ばかりということです。
では、なぜ有馬会がここまでの力を持つようになったのか?これは、前市長にまで話はさかのぼります、が、長くなっても仕方ないので機会があれば書きます。
ただ、一般的に役所の世界で出世したければ、上記のセクションに配属され、市長に最も近い派閥に属することです。
役所という世界は、実力云々というよりも、どこに配属されていたか?ということが重要ですので、下手を打たずレールにいれば、そこそこのポジションにありつけます。そのメインストリームが有馬会というわけです。
今回の教訓を単なる、競馬大好きおじさん達の軽率な行動というレベルで片づけるのではなく、このおじさん達が庁内で権力を握り、人事権を牛耳り、誰も文句を言えなかったという事実です。普通の職員ならば、台風災害中に旅行には行きませんし、まさか役所の仲間と行くなんてありえません。異常です。異常ですが、そのように感じないほどの空気が役所内にはありました。
なので、今回の報道でも職員も「大げさすぎる」という意見も一定数あったので、役所内世論も完全に2分していました。なので、今回議会の指摘があったのは、不幸中の幸いです。ある意味、民主主義の自浄作用が働いた形です。しかし、この災害中に飲み会というニュースは、既読感がみなさんあったと思います。あえて言いませんが、同じことが今回、悲しくも私の高知市役所でもありました。
では、指示で動くのは誰でしょうか?動くのは、主事、主査補、主査、主任、係長、課長補佐、課長といった人々です。部長、副部長といった上級管理職以下の職員です。上司が部下を見るように、部下も上司を見ています。とはいえ、職務命令があれば動きます。これがルールだからです。気に入らないという個人的に思いはありますが、役所という完全タテ社会では、それが言えない空気があります。
高知市は、これから全国でも例をみない、高知県ほぼすべての市町村が連携中枢都市圏を構成する巨大プロジェクトを進めており、そのフロントランナーが高知市です。そんな他市町村を束ねる役割を担う高知市でこのような報道があったことは悲しく、情けなく、それ以上に怒りを感じます。
現場の職員は、災害時だろうと、市民の暮らしを守るということ一番に考えております。これまでの高知市は三位一体改革や前市長の極端な積極財政による財政危機のため、職員給与がカットされるとともに、職員数も減らされて中核市でワーストクラスとなりました。
つまり、しわ寄せは少ない人数で、時間外手当も限られている中で現場は工夫をしてきました。だからこそ、今回の事件は、これまで築き上げてきた高知市の矜持を深く傷づけているのです。それが職員の綱紀粛正の大本営である総務部長、副部長ということが、何ともいえない気持ちになるわけです。
そのことを踏まえた上で下記の記事にブチ切れた1人の声無しアイドルのPが長々と駄文を書いているものとして受け取って貰えれば幸いである。
声無しアイドルのPがプロデュースを頑張らなかったから?金を落とさなかった?その機会を提供するのは運営だろ。
でも、大人気声付きアイドルにはアニメにコラボにグッズと出番が沢山が貰えてモバマスならガチャでもイベントでも強SR(所謂ランキング報酬だったりするSR、旬な時期に取るには課金必須)ばかり。
それに比べてあの記事で言われている「不人気声無しアイドル」はガチャでもイベントでもRばかり、たまにSRがきたと思えばだいたい弱SR(無課金でも簡単に取れるコストの低めのSR)、グッズも全然出ない。金を落とさなくても余裕で取れる、此の状況で誰がお金を落とそうと思う?
手軽に取れるんだからそこから知ってもらえるなんて詭弁でしかない、目当てはSRであってRは所詮「じゃない方」でしかなく手元に残さないからだ。
じゃあダイマしろって言う姿が予想できるから前もって書いておくがそんな単純な事でファンが増えれば苦労しないんだよ。
影響力がなかったら意味がない、でも影響力のある絵師だとか動画製作者だとかは十中八九イナゴ目的の声付きアイドルに擦り寄るだろう、だって声無しを好きになっても意味ないもん。
そもそもそこいらのPがいくらダイマしても公式からの提供一つの方が何倍も影響力が大きい。そして運営から貰えるのは前述の通りだ。
こんな所で名前を出すのは憚られるけど今回の響子ガチャで一緒に追加された岸部彩華、彼女はモバマスですら2種類しかSRがない。
つまり今回の更新で持っていた全てのSRを使ったと言うことだ、あとは全てRだけ。
それでも彼女のPが頑張らなかったからと言えるのか?この7年間ろくにSRをもらえずRばかりで、数年ぶりにもらえたと思ったらイベントの弱SRで、本当に言えるのか?
面と向かってお前らの頑張りが足りなかったからお前の担当アイドルは不人気のままなんだよって言えるのか?
モバマスには未だ強SRのないアイドルはたくさんいる。それはいままでそのアイドルに課金する機会が一度もなかったということ。それで、「いくらでもあったはずの機会」?どこにあった?(あるとしたら総選挙での票課金とたまに出るグッズくらいか)
どう考えても運営が出番と待遇に格差をつけ続けていた事が悪いだろ。声あり、声無しだって待遇を多少なりとも平等にして露出に差をつけなければ良かった。自ら機会をフイにしたのは運営だ。
もしかしてこのゲームのアイドルは最初はみんな平等な状態でスタートしてユーザー(P)が頑張ったから声がついたアイドルばかりだと思っているのか?
肇の例を取るがPがどれだけ頑張っても、全体10位になっても運営は声をつけなかった、次回の総選挙で3位を取り付けざるを得ない状況にしてようやく声が付いた。
その一方圏外常連なのに「サプボ」という形でいきなり声が付いたアイドルがいる。彼女たちの中には一度も総選挙にランクインしてないのにイベントに出て歌い踊り、中にはSSR二週目になった子もいる。
彼女たちとあなたの言う不人気アイドルのPに差はあったのか?ただ運営から目が止まったから声がついた、だけだ。運も実力のうちなのだろうがユーザー(P)の介入できない「運営の裁量」である。
多分あの記事を書いた人はこのアイドルたちのことは「不人気」と言わないのだろう。ただ運の差なのに。片や今までの7年間を無駄にしたと言われ、かたや努力が云々などと言うのだろう。
あとあの記事では恒常の売り上げ低下の理由を声無しアイドルだけに委ねているが本当にそうだろうか。
最近問題になっている手抜き衣装、「デレステ」と検索を入れたらサジェスト候補になるくらい最近のデレステの問題点として論われている。だのに今回の響子の衣装はは美穂のそれとほぼ同じ、Nの衣装の方がまだ差別化ができている有様だ。救世主?じゃあそれにふさわしい衣装で来てくれ、あんなほぼ丸パク衣装(+完全な私怨になるがコンセとかいう糞特技)だと火に油を注ぎに来ただけだ。そのようなユーザー(P)をバカにしたやり方だといつか愛想を尽かされるぞ。
その証拠か否か今回の響子のSSRが今までの声無しアイドルたちより確実に売れるなどとあの記事では言っていたがこのガチャが実装されてもセルランの順位は良くなったと言えるほどの変化がない。声付きだろうが声無しだろうが関係ない、売上の低下は運営の今までが積み重ねてきた結果の自業自得であることに他ならない。
声無しアイドルが悪いわけではない、そのアイドル達のPが悪いわけでもない。
原因は運営の今までの目先の利益につられ声無しアイドルをずっと蔑ろにし続けてきたことにある。悪いのは今まで頑張らなかったPだとか果てにはアイドルのせいだと決めつけるのは余りにも軽率であるとしか言いようがない。
勿論、そこには多大という言葉ではくくれない程の犠牲を払ったのだ。
中王区と呼ばれる、男性を完全に排除した区画で政は行われるようになった。
そこで新たな法が制定された。その名もH法案。人を殺傷するすべての武器の製造禁止、及び既存の武器の廃棄。しかし、それだけでは愚かな男性の争いは根絶されない。
なので、争いは銃ではなく人の精神に干渉する特殊な【ヒプノシスマイク】にとって変わった。
言葉が力を持つことになったのだ。
そして争いに親和性のあるラップを使い、優劣を決する世界になった。
男性は中王区外のシンジュク・ディビジョン、シブヤ・ディビジョン、イケブクロ・ディビジョン、ヨコハマ・ディビジョン等の区画で生活をすることになる。
各ディビジョン代表のMCグループがバトルをし、勝った地区は決められた分の他の領土を獲得することができる。
これは、兵器ではなく言葉が力を持つことになった世界で紡がれる男たちの威信をかけた領土バトルなのだ。
有名なライターのダイマツイートや新譜の影響で今かなり注目されている新進気鋭のジャンルだ。要はいわゆるオトメイトにありがちなキャラクター個性の強いイケメンたちの話なのだが、今までになかった「オタク向け×ラップバトル」という所が独特である。
現在、アニメや小説ではなく、オーディオドラマとキャラクターのラップの収録されたCDが主体のコンテンツになっていて、このラップパートにかなり力が入っている。藤森慎吾やサイプレス上野、新譜にはラッパ我リヤやAvecAvecが参加していて、どれも中毒性の高い曲に仕上がっている。
正直、結構ハマっている。新譜が更新された日も、日付が変わってすぐに聴きに行った。前述の通り曲もかっこいいしかわいいし、ドラマパートも思いもよらない掛け合いや、思いもよる掛け合い、オタクなら妄想した展開が起きたりしていて、5年前の自分なら「マジ公式が最大手wwww病気www」と呟いていたと思う。
だけど一方で、このジャンル、かなり危険なんじゃないか、とも思っている。完全に馬鹿にされて乗せられているんじゃないかと感じてしまう。
女尊男卑のH歴では男は女の10倍の税を貸されていて、中王区を囲む高い壁と厳重な門は税金で作られている。男と男のディビジョンを巡るラップバトルの際は許可を得てその門をくぐって中王区に入り、そのバトルは恐らく放映なり中継なりされて、女性の巨大エンターテインメントになっているらしい。しかもかなり人気があるようで、次の日に初バトルが控えているキャラクターが女性に追い回される、という展開もあった。
この「女性に消費されるエンタメとしての男」という在り方は完全に女性向けジャンルの在り方と一致している。イケメンが出てきて、カッコイーだの顔がいいーだの個性強すぎだの言って話題にする。物語の中でもラップバトルの勝敗は女性が付けるようだけど、CDに投票券が付いているので、これはリンクというより完全に重なり合っている。
これが例えば「女性アイドルが露出や過激なサービスを男性に消費されていることへのアンチテーゼ」とか「流行り廃りの早い女性向けジャンルの在り方へのジョークで笑い所」ならかなりブラックだとは思うがまだいいのだ。けれど、設定の基幹、何度も繰り返し強調される部分で行われている。
体制側に女性を置き、打倒すべき相手として設定することで、今の社会なら「クソ女」と言えば差別で蔑称になるのを、不満や怒りの発露、当然の悪口のようにしてしまう。逆に「所詮お前も男ということか」というセリフが出てくるが、これは侮蔑として受け取れるし、そう発する女性に対してキャラクターたちは唇を噛む訳だ。
私にはこの置き換えがホモソーシャルにおいて女性を排除する事への正当化にしか思えない。
オトメイトレーベルは女性向けなのもあって女性キャラクターがほとんど出てこない。そこに正当な理由があるんですよ、としたいがための設定に過ぎないんだと思う。それを元に作り込むような丁寧な世界観構成とは言い難い。
言い訳にしては、女尊男卑の世界観はあまりにメインターゲットに失礼ではないか。
本当に女尊男卑が貫かれているならいい。税金10倍、手取りも悪くて、がんばってもマトモな仕事につけない。女性からは常に舐められる。正社員なのにお茶汲み、ものを頼めば「ほんと生意気、やっぱ男だから仕方ないか〜(笑)」と言われる、そういう世界観なら確かにキャラクターに肩入れして「このクソみたいな世界を変えてくれ!」に素直になれる。
ホストはもてはやされ、お客の女の子を「子猫ちゃん」と呼ぶ。別に上から目線の営業、という訳ではなく、むしろ紳士的な営業のタイプだ。
サラリーマンと同じ職場には女性もいるし、その友達(ホスト)が職場に来た時にナンパをしまくった、という描写から、少なくとも声を掛けられるような関係だとわかる。
警察官という官職にも、医者にも男はなれる。それがとても恵まれた特別なことというような描写はないし、そういう仕事は権力の弱い男に押し付けるということでもないようだ。
ヤクザは「権力・金・女に酒」と歌っているから、少なくとも世の女がほとんど皆男に対して高圧的で支配的な訳ではなく、むしろ逆の立場の女性もいるということがはっきりわかる。
別にこれらだけを抜き出せば女性差別すぎるという訳でもない。現代と変わらないレベルだと思う。
あるいは女性だけのクラス壁の中だけ異常に差別が強いのか、と思えば、レストランの店員の女性に生意気な口を訊いても追い出されるわけでもなし、道で女に声を掛けても「キャー!」と黄色い声を上げるだけで、デリカシーのない発言は返されない。
そのような実状の描写がありながら、ストーリーの旨みのために「覇権を女ばかり握る間違った世の中」としてしまって、巨大な壁を描写して、わかりやすい敵として女性全体を想定することはおかしいのではないかと思うのだ。それならもっと徹底すればいいし、あるいは燃えやすいジェンダーへのdisは避けるのだって定石だ。
しかも元々ラップやヒップホップというのはかなりミソジニーな文化である。FSDではラッパーの女性に「おまえもいつか妻になる 妻になり母になり、そのあと『なんでお母さんあんなことしていたの』っていわれないように」と向けられたほど、女性はスタンスや地元、これまでのバトルよりもジェンダーをdisに上げられてしまう。
それが問題視され始め、ジェンダーフリーなヒップホップをと少しずつ声が上がり始めたまさにその今、こういう性差別的コンテンツが出て来た意味は、偶然というには出来すぎている。単に商業的にいいフィールドだったとしても悪趣味だ。
ヒプノシスマイクというジャンルが怖いところは、ポップでキャッチーなキャラクターや、「ラップで回復・精神干渉・防御する」というコメディチックでバカバカしい、笑ってしまうような楽しいジャンルとしてパッケージングされているところだ。twitterで検索をかけても、ヒプノシスマイクのミソジニーを指摘している人はいるにはいるがそう多くない。みんな楽しんで考察や二次創作をして盛り上っている。
こういう時、「あなた達皮肉られているかもしれないんだよ!」とファンに言っても無駄だ。女性向けジャンルでソシャゲのトレス疑惑が騒がれた時、ファンは指摘する側を非難して意見を潰そうとした。ましてやはっきりいけないことという訳でもない思想の話、騒ぐ方が野暮だといえば黙って頷かざるを得ない。
けれどここで不快なジャンルは無視しよう、になれないのは、私もまたファンの1人だからだ。好きなキャラクターもいるし、新曲はかっこよかった。投票結果がどうなるのかも楽しみにしてしまっている。ここでとりあえず文字にすることで、あるいは盛り上がりの中心まで届くんじゃないかと思うのだ。
創作物と現実はもちろん違う。しかし、創作物の行間においてこそ現実の常識や意識が反映される。行間を埋める努力が足りないままセンシティブな問題をただ面白みとして利用するのは軽率だ。純粋なファンにしてみればうるさいだけだとしても、世に出した以上、世間の流れと切り離すことは不可能だ。
先程書いたように、ヒップホップはジェンダーフリーを目指すべきだ、という転換期に来ている。勿論、ヒップホップ以外も世間全体が性別に囚われない個人評価の時代になってきている。ヒプノシスマイクが女性が権力を握る社会への単なる下克上ストーリーではなく、ジェンダーで立場が縛られる価値観への一石になることを願ってやまない。
たまに「絵がうまくなるには」みたいな記事を見るので
私がまあまあ描けるようになるまでの経緯を載せておく。
めちゃくちゃうまくもないがなんとなくときどきpixivのランキングにはいれたりRTを稼げたりはする程度。
もともと授業中にらくがきをしてしまうタイプの子どもではあった。
二次創作絵も描くことはあったが、下手くそで自分でがっかりするのであまり熱心ではなく、もっぱらなんとなく、好きな漫画家の真似をしながら意図もなく女の子や男の子を描いていた。
なんでか意味もなく女の子の目に涙かいて泣かせるとかね、よくあったよね。
某漫画のファンサイトで300*300の大きさに狂ったようにマウスで絵を描いていた。
もちろんこの頃も下手くそだったが、同い年くらいのこどもたちがなれ合いでほめてくれた。
なにもかも人まねだったし稚拙だったし、お絵描き掲示板の機能は制限されていたが、「人に見せるため」の絵をたくさんかけたのはよかった。
自分の技術でも、すこしはかわいいとか面白いとか思ってもらえるように、モチーフや色使いや画面内の余白を意識したり、人の絵を観察する習慣がついた。
細部をちゃんと描くとほめられるし説得力がでることに気づいたので、服のディティールや靴や小物なんかを面倒がらず資料探してかくようになったのもこの頃。
http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/
しばらく小手先で描いていたものの、ガチで上手い人たちの絵がうらやましくなったので
当時流行っていたhitokakuではじめて「アタリをとる」という概念を導入した。
「上手い人たちは、顔を描くときに十字を描くらしい」
ということは知っていたが、他はなにも知らなかったので
頭のバランス、人体の骨格、全然できなかった手や足の描き方などをここで知った。
じゆうちょうを一冊買ってきてお手本を真似していると、「自分に描けるもの」が飛躍的に広がったのを感じてすごく楽しかった。
この頃にペンタブを買った。
東村アキコが「ロボット設計図」とめちゃくちゃにバカにしていたが
「写真を見て漫画絵にレンダリングして模写できる」というのは結構習熟の必要な作業だと思う。
「絵心」ってなにか、といったら、見えてるところから見えない部分を想像する能力じゃないかと思う。
立方体を見たときの底面、手のひらを見たときの手の甲、立ってる足を見たときの土踏まず、顔を見たときの眼球。
目で見えてる範囲から見えない部分へどう繋がっているか、がわからず、「目に見えたものをなぞろう」としても、絵に落としてもなんか不自然になる。
なぞり書きだってうまくいかないときがあるのに、模写となるとなおさらだ。
私には絵心がないので、それを理論的に教えてくれる「ロボット設計図」はほんとうにありがたかった。
お絵描き掲示板が下火になってくるとsaiを手に入れ、色塗りの技法や効果をお絵描き講座から仕入れて画面を華やかにできるようになった。
なんとなく上手く描けないな?というときもあったんだが、誤魔化しごまかしでなんとなくそれっぽい絵を描いていた。
ただ、漫画に挑戦してみた結果、ものすごい量の課題に否応なく気づかされた。
大きく分けて次の三つ。
2:意外と描きたいポーズが描けない。
3:白黒で見たときに絵の魅力がない。
背景を誤魔化すにも限界があった。
それまでも、ときどき思い立ってパースについての解説をぱらぱら眺めてみたが
「あー、ふーん、相似ね? なるほどね???」
ただ、人物からアイレベルを求めたりする解説がネットにいくつか掲載されるようになり、そのおかげでなんとなくそれっぽくできるようになった。
パースかんたん解説1:アイレベルの求め方 | 摩耶薫子「着物の描き方」発売中 https://www.pixiv.net/member_illust.php?illust_id=3933143
今も三点透視でばりばりに背景描けるぜ!って感じではなく
なんとなーく一点透視や二点透視のやりかたがわかったな、という程度だが
今のところそれで困ってないので、なんとなくの知識とパース定規を駆使してなんとかしている。
ビルの谷間を駆け降りるような絵が描きたくなったらまた頑張ろうと思う。
あとは、人体のパースという概念を手に入れたのはすごく大きかった。
それまでも、たとえば奥から手前にまっすぐ伸ばした腕やあぐらを組んだ足なんかがうまく描けないという自覚はあったのだが
人体のパースがわかってないからか!と気づいたときは目から鱗だった。
『やさしい人物画』のパースのあたりが楽しくてたくさん描いた。
http://loomis.sblo.jp/s/ (※原書)
それと、人物を描くとき、アイレベルより上をあおり、下は俯瞰、と意識して描くようになった。
それまではなんとなくぺらぺらしていた自分の絵に立体感が出た気がして、これも嬉しくてたくさん描いた。
漫画のなかで、どうも自分の描くポーズが硬い気がして嫌だった。
たとえば歩く人を複数人描いたときに、左右どちらの足が出ているかの違いしか出せないこと。
本当はちゃきちゃきした歩き方、靴を引きずるような歩き方、スカートとズボンの違い、ヒールと革靴とスニーカーの違い、色々あるはずなのに、絵のなかでそれが表現できない。
たとえば座ってごはんを食べる時に、背中を丸めただらしない食べ方や、へんなコップの持ち方や、そういう「絵にならない」瞬間が描きたかったし、そういう絵のある漫画は魅力的に思えた。
これについては「他人を観察する」というのを意識的にするようになった。
居酒屋のシーンを描くなら居酒屋で、電車のシーンを描くなら電車で
ばれない環境なら真似してみるのもよかった。
もちろんその場で全部覚えられるわけでもないが、インプットした分は絵を描くときになんとなくにじみ出てくる気がする。
白黒の絵の魅力はすなわち描線の魅力だと思う。
グレーで細かく陰影をつければ疑似カラーみたいにできるけど、それは私の描きたい絵ではない。
線の魅力って不思議なもんで、絵のうまさや好みとは別のところで
すごく魅力的でいきいきした線の人がいる。
もしや才能なのか…と思いつつ、ペンの設定を変えたりソフトの補正を調整したり、何より繰り返してかきながら自分の思ったような線が描けるように練習している。
hitokakuのはじめは「◯と│をひたすら描こう」と言われるのだが、当時の私はほとんど飛ばしていた。
最近またやってみている。
私は「基本から、教本にしたがって、積み重ねるように」練習をするほどまじめにはなれなくて、
その時その時で絵を描きながら、「もうちょいこういう風に描けたら楽しいのに…」というフラストレーションが自分のなかに溜まったら練習する、という感じでここまで来た。
もともと私のやる気はそういうふうにできている気がする。
道具もあまり新調しなくて、
今使ってる道具をうんざりするまで使い倒しながら
新しいソフトほしいあたらしいペンタブほしい、とフラストレーションが貯まったところで買うと
わー!なんてべんり!なんてすてき!!と思えて格段に楽しくなる。
と思う。
そして、好きな作品であればあるほど、顔をかわいく描くことにすごくこだわるようになる。
ひとつの作品をねっちり長く描くことも、ちょっと好きな作品をたくさんかきちらかすことも、どちらもすごく絵の練習になった。
前述のように私は今もまだまだ完全に描きたいように描けるわけではなく練習中の身だが、
ヒプマイの著作権ガイドラインについて、Twitterが騒がしい。
周囲のフォロワーがハマっていることもあって、(自分は少し知っている程度だが)急激なTLの動きに何事かと驚いた。
同人活動は出来るの?
同人グッズは?
同人誌は?
グレーにしておくべき、問い合わせるな、赤字ならセーフ、そもそも同人自体やるな……等々。
しっちゃかめっちゃかだなぁ、という印象。
でも、一番気になったこと。
……そのジャンルで何らかの二次創作をしてみようと思ったら、まずは原作周辺のガイドラインや過去のトラブルをチェックしておかない?
無ければ、その権利を持ってると思われる会社(出版社やゲーム会社)や更に上の親会社から出されていないか確認する。
そして明確にNGが出ている、もしくはそう感じたジャンルでの活動はしない。
好きになったからこそそのジャンルの妄想を形にしてみたい訳で、肝心のそちらが明確に拒否しているのに活動するのは何か違うと思うからだ。
だけど、騒いでいる人達の多くはどうもそういう感じじゃない。
関連会社から既に出てたガイドラインや過去トラブルについて、あっさりと「知らなかった」という反応をしてる人も結構いる様子。
公式がどういう意図で提示したかはさておき、最初からそんな態度でいながら「グレーにしておきたい」なんて平然と言っていていいものか……。
どれも原作・公式があってのものだし、そちらの著作権や利益を軽率に侵害していいものじゃないし、そちらが嫌がっているのに執拗に続けるものじゃない気がする。
「ジャンル愛があれば許される」、これはこっそり活動する側が言っていい言葉じゃない。
そんな個人の感想。
ガイドラインくらいは見ようよ、それに準ずる公式見解くらいは調べようよ……それさえ面倒なようなら、二次創作での同人活動なんてするものじゃないと思う。
自分は法律を専門にして生きていているけど、刑事事件とはあまり関係がないから、そこまで詳しいわけでもない。
自分が死刑についての投稿とか、それに限らずとも法律に関係する投稿を見て、新たな観点だな、と思うことは殆どないと言っていい。既存の議論を上手にまとめて紹介しているものとか、自分の立場を適切に述べているものはもちろんあるけど、とりわけ断言調で書かれたもので、なるほどなあと唸るようなものはない。大抵の場合、すでに、それに対しての反論が議論されているものばかりだな、と思う。
死刑や刑罰に関する議論でよく出るものだと、例えば刑罰は何のためにあるのか、というようなものがある。
これについて既存の議論を簡単にまとめれば、割と最近までは、応報刑論と目的刑論との二つの考え方が対立していたと説明されていて、前者は犯した罪に対して罰を与えるのが刑罰の本質であり、後者はもう2度と犯罪を犯さないように矯正したり、社会に対して犯罪を犯すとこういう辛い思いをするからやめたほうがいいよと伝達したり、あるいは犯罪を犯すような人を社会から隔離することで新たな犯罪が発生することを予防することを目的として与えるのが刑罰だというもの。
前者はカントやヘーゲルに遡るようなクラシックなものだけど、罪に対して罰を与えるっていうけど、それは何のためになされるのか、本質というのは何なのかよくわからないよねという批判がある。
後者については、再犯可能性が非常に高い人だと、どんなに軽い犯罪でも、犯罪者なら終身刑にすることになるよね、とか、さらにその考えを進めて、犯罪を犯しそうな(けどまだ犯罪を犯していない)人を刑務所に入れようとかそういう話ななってしまうけど、それでは流石に良くないよね、といった批判がなされている。
それを踏まえて近年では、社会的な規範を回復するためになされるのが刑罰である、というような学説も有力で、結局、応報刑論と目的刑論ってそんなに違わないのかも?みたいな話になっているとのことでした。
(この辺の学説的なことは刑事法ジャーナルの54号に最近の議論がまとまっている。)
で、そういう刑罰の本質についての議論自体はどうでも良くて、自分が思っているのは、自分が考えついたことは、誰かすでに考えているだろう、更には批判も尽くされてそれに対する再批判がなされて、という風に議論は進んでいる、という風には思わないのだろうか、ということ。
自分は一応、専門と言えるものがあって、様々な学者が一生を懸けて知恵を絞って、あるいは、実際の社会の中で様々な人たちが工夫を凝らしていろんなことを考えてきてることを感じてきたから、そんなに簡単に新しいものは生まれないということを強く思っている。あるいは逆に、自分の思いつきについては、既に前向きな批判がなされていることが大半で、自分の考えをブラッシュアップするのはその意味では容易だと感じている。だからこそ、自分の専門外のことでも、自分が何か感じたことや思いついたことがあったら、調べてみることは大事だし、軽率に発言するのは意味がないことだなとも思う。
だから、いろんな社会的なトピックに対して、いろんな人から条件反射的に自分の思っていることを述べて、しかもそれが間違っていたり批判があるということに想いを致さない様子を見ると、心が痛む。人類が協力して分担して、何世代にもわたって知恵を絞ってきて、それを上手にまとめて教えてくれる人すらいるのに、酒の肴にしてるならまだしも、大真面目に自分の議論が絶対正しいかのように自信満々に理論を展開している人を見るのは辛い。
こういうことを言うと、学問と市民感覚はずれがある、学者は象牙の塔でしょうもない、みたいな意見も出るかもしれないけれど、少なくとも法律学の領域で、市民感覚のようなものが議論に全然反映されてない、ということはあり得ないと思う。もちろん、立法の対応や学会の対応が遅い、ということはあるだろうけれど、市民感覚なんてどうでもいいから無視しよう、なんということはなくて、市民感覚がどのように醸成されてきて、今後どうなっていくかということも、議論されているのが普通だと思う。