はてなキーワード: 薫子とは
おつかれさばですわ
美濃焼ミュージアムで「美濃陶芸の明日展2018」を見て参りましたわ
三十代の「せんぱい」と学校を出たばかりの「ふれっしゅ」で部屋をわけての展示ですわ
「ふれっしゅ」を見た直後に荒川豊蔵コレクションを見ることになる良心的な順路でしたの
せんぱい組の柳井友一氏は線の模様を陶器にほどこすことに拘りが感じられました
同時開催の「代用品と統制品」展に出ていた戦時のシンプルにせざるをえなかった陶器と、
ふれっしゅ組では海川耕氏の極薄の磁器が、湯葉で器をつくったようでした
由良薫子氏の作品は絵の中に動物が隠されていてウォーリーをさがせ的な
同時開催されていた「代用品と統制品」展では、
アメリカとの戦争をはじまる前から金属類回収令が出ていたことを知りましたわ
やはり、そういう問題ではなさそうな印象を受けました
たまに「絵がうまくなるには」みたいな記事を見るので
私がまあまあ描けるようになるまでの経緯を載せておく。
めちゃくちゃうまくもないがなんとなくときどきpixivのランキングにはいれたりRTを稼げたりはする程度。
もともと授業中にらくがきをしてしまうタイプの子どもではあった。
二次創作絵も描くことはあったが、下手くそで自分でがっかりするのであまり熱心ではなく、もっぱらなんとなく、好きな漫画家の真似をしながら意図もなく女の子や男の子を描いていた。
なんでか意味もなく女の子の目に涙かいて泣かせるとかね、よくあったよね。
某漫画のファンサイトで300*300の大きさに狂ったようにマウスで絵を描いていた。
もちろんこの頃も下手くそだったが、同い年くらいのこどもたちがなれ合いでほめてくれた。
なにもかも人まねだったし稚拙だったし、お絵描き掲示板の機能は制限されていたが、「人に見せるため」の絵をたくさんかけたのはよかった。
自分の技術でも、すこしはかわいいとか面白いとか思ってもらえるように、モチーフや色使いや画面内の余白を意識したり、人の絵を観察する習慣がついた。
細部をちゃんと描くとほめられるし説得力がでることに気づいたので、服のディティールや靴や小物なんかを面倒がらず資料探してかくようになったのもこの頃。
http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/
しばらく小手先で描いていたものの、ガチで上手い人たちの絵がうらやましくなったので
当時流行っていたhitokakuではじめて「アタリをとる」という概念を導入した。
「上手い人たちは、顔を描くときに十字を描くらしい」
ということは知っていたが、他はなにも知らなかったので
頭のバランス、人体の骨格、全然できなかった手や足の描き方などをここで知った。
じゆうちょうを一冊買ってきてお手本を真似していると、「自分に描けるもの」が飛躍的に広がったのを感じてすごく楽しかった。
この頃にペンタブを買った。
東村アキコが「ロボット設計図」とめちゃくちゃにバカにしていたが
「写真を見て漫画絵にレンダリングして模写できる」というのは結構習熟の必要な作業だと思う。
「絵心」ってなにか、といったら、見えてるところから見えない部分を想像する能力じゃないかと思う。
立方体を見たときの底面、手のひらを見たときの手の甲、立ってる足を見たときの土踏まず、顔を見たときの眼球。
目で見えてる範囲から見えない部分へどう繋がっているか、がわからず、「目に見えたものをなぞろう」としても、絵に落としてもなんか不自然になる。
なぞり書きだってうまくいかないときがあるのに、模写となるとなおさらだ。
私には絵心がないので、それを理論的に教えてくれる「ロボット設計図」はほんとうにありがたかった。
お絵描き掲示板が下火になってくるとsaiを手に入れ、色塗りの技法や効果をお絵描き講座から仕入れて画面を華やかにできるようになった。
なんとなく上手く描けないな?というときもあったんだが、誤魔化しごまかしでなんとなくそれっぽい絵を描いていた。
ただ、漫画に挑戦してみた結果、ものすごい量の課題に否応なく気づかされた。
大きく分けて次の三つ。
2:意外と描きたいポーズが描けない。
3:白黒で見たときに絵の魅力がない。
背景を誤魔化すにも限界があった。
それまでも、ときどき思い立ってパースについての解説をぱらぱら眺めてみたが
「あー、ふーん、相似ね? なるほどね???」
ただ、人物からアイレベルを求めたりする解説がネットにいくつか掲載されるようになり、そのおかげでなんとなくそれっぽくできるようになった。
パースかんたん解説1:アイレベルの求め方 | 摩耶薫子「着物の描き方」発売中 https://www.pixiv.net/member_illust.php?illust_id=3933143
今も三点透視でばりばりに背景描けるぜ!って感じではなく
なんとなーく一点透視や二点透視のやりかたがわかったな、という程度だが
今のところそれで困ってないので、なんとなくの知識とパース定規を駆使してなんとかしている。
ビルの谷間を駆け降りるような絵が描きたくなったらまた頑張ろうと思う。
あとは、人体のパースという概念を手に入れたのはすごく大きかった。
それまでも、たとえば奥から手前にまっすぐ伸ばした腕やあぐらを組んだ足なんかがうまく描けないという自覚はあったのだが
人体のパースがわかってないからか!と気づいたときは目から鱗だった。
『やさしい人物画』のパースのあたりが楽しくてたくさん描いた。
http://loomis.sblo.jp/s/ (※原書)
それと、人物を描くとき、アイレベルより上をあおり、下は俯瞰、と意識して描くようになった。
それまではなんとなくぺらぺらしていた自分の絵に立体感が出た気がして、これも嬉しくてたくさん描いた。
漫画のなかで、どうも自分の描くポーズが硬い気がして嫌だった。
たとえば歩く人を複数人描いたときに、左右どちらの足が出ているかの違いしか出せないこと。
本当はちゃきちゃきした歩き方、靴を引きずるような歩き方、スカートとズボンの違い、ヒールと革靴とスニーカーの違い、色々あるはずなのに、絵のなかでそれが表現できない。
たとえば座ってごはんを食べる時に、背中を丸めただらしない食べ方や、へんなコップの持ち方や、そういう「絵にならない」瞬間が描きたかったし、そういう絵のある漫画は魅力的に思えた。
これについては「他人を観察する」というのを意識的にするようになった。
居酒屋のシーンを描くなら居酒屋で、電車のシーンを描くなら電車で
ばれない環境なら真似してみるのもよかった。
もちろんその場で全部覚えられるわけでもないが、インプットした分は絵を描くときになんとなくにじみ出てくる気がする。
白黒の絵の魅力はすなわち描線の魅力だと思う。
グレーで細かく陰影をつければ疑似カラーみたいにできるけど、それは私の描きたい絵ではない。
線の魅力って不思議なもんで、絵のうまさや好みとは別のところで
すごく魅力的でいきいきした線の人がいる。
もしや才能なのか…と思いつつ、ペンの設定を変えたりソフトの補正を調整したり、何より繰り返してかきながら自分の思ったような線が描けるように練習している。
hitokakuのはじめは「◯と│をひたすら描こう」と言われるのだが、当時の私はほとんど飛ばしていた。
最近またやってみている。
私は「基本から、教本にしたがって、積み重ねるように」練習をするほどまじめにはなれなくて、
その時その時で絵を描きながら、「もうちょいこういう風に描けたら楽しいのに…」というフラストレーションが自分のなかに溜まったら練習する、という感じでここまで来た。
もともと私のやる気はそういうふうにできている気がする。
道具もあまり新調しなくて、
今使ってる道具をうんざりするまで使い倒しながら
新しいソフトほしいあたらしいペンタブほしい、とフラストレーションが貯まったところで買うと
わー!なんてべんり!なんてすてき!!と思えて格段に楽しくなる。
と思う。
そして、好きな作品であればあるほど、顔をかわいく描くことにすごくこだわるようになる。
ひとつの作品をねっちり長く描くことも、ちょっと好きな作品をたくさんかきちらかすことも、どちらもすごく絵の練習になった。
前述のように私は今もまだまだ完全に描きたいように描けるわけではなく練習中の身だが、
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「自分の気持ちに嘘はつけない」とわざわざ表明する人は自分の気持ちだけが大事で、他人を傷付けていることに鈍感なので、「正直に言えばなんでも許されると思うなよ」と言いたいです。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2015年9月15日
この龍堂薫子さんのツイートは男性からの告白について言ってるのだとは思うのですが..。
http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/
ただ告白したA君は、ノンケがゲイに告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。
率直に言いますが、基本的にノンケがゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います。
少し前に、小学生だか中学生のアイドルの女の子が、中年のおっさんファンにふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。
で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブな発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれてしまうと、申し訳ないけど、ノンケの立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。
これは男同志だからわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義だからね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。
もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから、騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。
小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?
そういう種類の不快感です。
自分が男性で、かつ偶然自分の性的嗜好が男性好きだというだけで、通常の告白という自分の気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。
でも、先の例に出した中年のおっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分の気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児に自分の気持ちを告白したわけでしょ。
だからって、純粋なおっさん達の気持ちが尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。
万が一あっても、黙っとけよと。
おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手に心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。
何か世の中的に、男女問わず、相手に断られる可能性が高くても、無責任に告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。
Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。
A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。
でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。
ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。
自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>一方的に好意をぶつけ続けることを熱意や誠意だと思っている人は、相手のことなんかどうでもいいんでしょう。そんなに自分の気持ちだけが大事なら、軽々しく人に好きだとか言うべきではありません。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016年1月13日
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「自分の気持ちに嘘はつけない」とわざわざ表明する人は自分の気持ちだけが大事で、他人を傷付けていることに鈍感なので、「正直に言えばなんでも許されると思うなよ」と言いたいです。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2015年9月15日
この龍堂薫子さんのツイートは男性からの告白について言ってるのだとは思うのですが..。
http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/
ただ告白したA君は、ノンケがゲイに告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。
率直に言いますが、基本的にノンケがゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います。
少し前に、小学生だか中学生のアイドルの女の子が、中年のおっさんファンにふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。
で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブな発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれてしまうと、申し訳ないけど、ノンケの立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。
これは男同志だからわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義だからね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。
もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから、騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。
小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?
そういう種類の不快感です。
自分が男性で、かつ偶然自分の性的嗜好が男性好きだというだけで、通常の告白という自分の気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。
でも、先の例に出した中年のおっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分の気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児に自分の気持ちを告白したわけでしょ。
だからって、純粋なおっさん達の気持ちが尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。
万が一あっても、黙っとけよと。
おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手に心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。
何か世の中的に、男女問わず、相手に断られる可能性が高くても、無責任に告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。
Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。
A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。
でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。
ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。
自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>一方的に好意をぶつけ続けることを熱意や誠意だと思っている人は、相手のことなんかどうでもいいんでしょう。そんなに自分の気持ちだけが大事なら、軽々しく人に好きだとか言うべきではありません。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016年1月13日
「男ってのは、何を言おうが女がついた方の勝ちだ。」「僕が気に食わないといったところで、女性票は向こうにあるんだから僕の負けですよ…。」女は男のトロフィーじゃないんやで。/ブロガー新年会に参加して「【はてな】はもう死んだ。」と思った話https://t.co/0mracp7ijt— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016, 1月 18
違うよ、ぜんぜん違うよ。
文章だけ見たら完全にアウトだけど女性のことをトロフィーワイフだとか思ってないよ。
僕の本音はこっちだよ。
青二才「男は承認される生き物であって、承認する生き物ではない。女に承認されない男は生きてる価値の無いゴミクズ。」 (https://t.co/uCzbM7hN70)…見事にこれの通りになったね / “「AM」の元編集長が手がけ…” https://t.co/zc00OLmShs— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2016, 1月 18
むしろ女性に「伊○ライフ」ばりのおねショタプレイを所望するくらい女性を崇拝してるよ。
二次元では女性がち○ぽには勝てなかったのと同じように現実では男は女性には絶対勝てないんだよ。
男性が女性をトロフィーワイフにするなんてのは二次元の話だよ。
君たちは現実と二次元の区別がついてないよ。僕は現実をよくわかっているから大丈夫だよ。
いつぞやのブス発言も悪気はないよ。
ブスであることが悪いなんて全く言ってないのに、ブスやブサイクが悪い言葉だといって僕を責める君たちのほうがひどいよ。
僕自身がブサイクだから自分と釣り合うのはブスの方だと思ってるだけだよ。
僕が緊張しないで話が出来るのはブスだと言ってるだけだよ。
ブスだと言われたくないなら僕と話をしなければいいって言ってるだけだよ。
あれ、なぜか僕と話してくれる女性がいない気がするし、僕のオフ会には女性が誰も来ないけどなぜかわからないよ。
女性の人は遠慮せず僕に話しかけてくれていいしオフ会に来て欲しいと思ってるのにわけがわからないよ。
やぎログが月39万稼ぐことよりオフレポで250ブクマ越える僕のほうがすごいんだから女の子は僕のオフ会に来ようよ。
やぎログの方にばっかり女の子があつまるなんてはてなはもう死んだよ。
とにかく僕は女性に対して全く悪気なんか無いよ。
悪気がないんだから全く悪くないよ。
ミソジニーなんかじゃないよ。
だから女性に対する発言で不愉快になるのはフェミニストだけだよ。
しゃべるフェミニストは本物川一派だ。
しゃべらないフェミニストはよく訓練されたkanose一派だ。
だって、インターネットの警察は今も昔も女性と相場が決まってるのです。今のネトフェミ、昔の鬼女板…いつの時代だって女性が男性のセクハラ発言に圧力をかける軍団はいてもその逆はいないのです。— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2016, 1月 18
「男性のセクハラ発言に圧力をかける」のは当たり前だなんて常識は僕には通用しないよ。
だって女性は男性にセクハラ的な発言を平気でしてるもん。やっぱり女性のほうが男性より強いんだよ。明らかに不公平だよ!
今まで男性が女性にセクハラされて許されていたことが問題であることは見て無ぬふりをするよ。