はてなキーワード: 初孫とは
ちなみにワイが初孫できたのはギリ30代やったで
「孫は良いよぉぉぉぉ!可愛がるだけでなんの責任もないし無茶苦茶可愛いんだから」
と期待値のハードルを上げまくられ、実際めっちゃ楽しみにしてたんだよね。
うーん…
あー…
ぜんっぜん可愛いとか思えねぇ。
まぁ赤ちゃんだからしゃぁねんだろうけどさ、別に面白いこと言う訳でもないし、会話が成立しないことに苛立ちしか感じねぇ。腹減ったり気分悪かったら泣くしかアウトプットがねぇ。何なら笑いもしねぇ。何だこれ。名前呼んだって返事する訳でもないし、付けた意味あんのかこれ。
そしてくせえ。風呂に入れた直後以外は常に汗くせぇかうんこくせぇかの二択。ウエットティッシュとかで拭いてやってもくせえ。そもそもがくせぇ。触りたくもねぇ。ヨダレで常に手とか口元とかくせぇし汚ぇし。
娘の旦那とかが気に食わないとかじゃない。寧ろ好青年で大好きな部類。
娘が産まれた時はここまで嫌じゃなかったんだけどね。何だろう。会話が成立する頃には可愛いと思えるようになってんだろうか。
まぁこの接し方で孫に俺が好かれる訳が無いからその頃にはもう遅いんだろうけども。
なるたけ本心は隠してるけど、嫁や娘は俺の本心を薄々見抜き、どんどん離れていっているのを感じる。
それはそれで何となくいい具合だ。
40代も後半に差し掛かり、性欲その物が薄れて嫁に求められるのが苦痛に感じていたし、何より不衛生極まりない赤子に触れずに済む。
もうこの先誰とも関わらず生きて行けたらどんなに幸せだろうか。
子供の名前は非キラキラだが読み方が複数あるものにした(例えば……幸子/ゆきこ/さちこ、優/ゆう/まさる/すぐる……等のように)
名前を伝えたところ、後日義両親より「その名前では一発で読めないから変えなさい」と電話がかかってきた
まさか口出しされると思わなかったので超絶驚いた
こちらの話に聞く耳を持たず「変えなさい」の一点張りだったため、こちらから一言、絶縁しますとだけ言い放って電話を切った
自分の両親からは「名前はあなたたちで決めるべきだがとにかく絶縁宣言だけは取り消して謝りなさい」と言われたが、私は自身に一切の非がないと信じているので謝罪する気はゼロだし、今後義両親に子供を会わせる気はない
そのことを配偶者に話したら、私に理解を示しつつも落ち込み疲労困憊モードに陥っている
呪術廻戦の虎杖風にいえば、義両親の行為を許すということは、今後義両親にとって口出しすることが当たり前に選択肢に入ってくるのである
子供のことに口出ししてほしくない私としては、ここで絶縁宣言するほか無かったのである
さて育児頑張るぞ!
先日娘が生まれた。
私と妻共に初産で、互いの両親から離れた地方都市で、新生児の娘と3人で暮らしている。
強い違和感を覚えたのは、娘の出生後に私の両親が訪れた際のこと。
ミルク育児を選んだ妻に対して、「母乳でなければ健康な子供が育たない」「愛情が育まれない」などと平気で悪態をつく。私が居ればその場でフォローするなり嗜めるなりのことは簡単なのだが、私が赤子の世話で外している時に限って言ってくるのでタチが悪い。
母親はミルク育児に理解はあり、妻の味方になってくれようとはするが、その場で強く父親を否定できない様子だったそうだ。
その時点では妻もそんなに気にしていない様子だったが、問題は続く。
幸いにも無事に娘が生まれたことは、互いの両親や親戚に祝福され、様々なお祝いもいただいた。妻の両親にとっては初孫ということもあり、日頃の感謝を伝える意味でも「みてね」という写真共有アプリで、互いの両親に日頃の娘の成長を共有している。結論から言うと、これが良くなかった。
動画と写真を共有を開始してまもなく、私の父から「母親に笑顔がないので赤ちゃんが不安になります」「ミルクは太りやすいです」などのクソリプが、連日私や妻の投稿した写真や動画に紐づいたコメントに投稿されるようになってしまった。コメントは妻の両親も見られる仕様になっており、私が「娘は妻のことが大好きなので何も問題ないです」「余計なお世話😎」と応戦するも、まるで意に介さない。さすがの妻も気にせずにはいられない様子で、次第に娘の状況を報告することが少なくなっていった。
私の父親は典型的なSNSをさせてはいけない部類の人間で、ネットリテラシーはおろか、普段のコミュニケーションでも相手の状況や価値観などを想像することもなく、思いついたことをその場で発言してしまう。無論本人には悪気はなかろうが、故にタチが悪い。離れて暮らすには支障は無いが、親戚や、特に奥さんの両親や親族のいる場所に出してしまってはいけない人。
増田諸兄も同様の経験はないだろうか。Twitterで晒しあげられるクソリプ見て、一体どんなやつが投稿しているのやらと笑っていたら自分の親だったという絶望感を味わったという話だ。
以上で話はいったん一区切り。この状況について、今すぐにどうこうする気はないし、対処療法的な策は少し考えれば思いつく。その気になれば父親のアカをBANすることも容易い。いったんはそれで解消する程度のいざこざである。
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一言で言えば、私は父親との関係をミスっている。振り返れば関係構築の機会が十分に与えられることがなかったのかもしれない。
父は高度経済成長期の只中に生まれ、首都圏の大学卒業後にメーカーの営業一筋40年間。定年まで勤め上げ、高校卒業後に専業主婦となった母親と共に3人の子供を育てた。何せ企業戦士という言葉がポジティブに使われていた世代よろしく、私が小学校に入学して以降は単身赴任で全国を転々とし、思い返せば思春期以降にまともに話をした覚えがない。そして、私が高校を卒業後に家出同然で地方へ移住してしまって以降、その機会は完全に奪われてしまった。
様子がおかしいこと自覚したのは、父の定年後に久々に実家に帰ったときのこと。父は大概リビングで無言でスマホをいじっている。何をしているのかと思えばyoutubeで右翼コンテンツの類をヘビーリピートしているのだった。ちょうど『ネット右翼になった父』というwebメディアの記事がバズった頃。当時の私にとってはそのことがひどく憂鬱で、同世代の友人にそのことを共有したりしてとりあえず笑うことにしたのだが、父とは特にコミュニケーションすることはなかった。
家族を経済的に成立させるという点において、父は立派な人間だった。子供の頃はよく遊んでもらったし、海外旅行や外食はほぼ無かったが、進学費用をはじめ経済的に苦しかった記憶は無いし、不倫やDVなど、いわゆる毒親と呼ばれる要素は皆無だったので、総合すれば素晴らしい父親に恵まれたと今でも思う。一方でコミュニケーションに難があり、また、個人の思想やライフスタイルの多様性が尊重される時代において、価値観をアップデートする機会に恵まれなかった結果として、前述のような問題として表面化してしてしまったと感じている。
勝手にアプデ済ませとけと思う一方で、父にとって最も身近な若者である私と兄妹が、その役目を果たすことができなかったことに責任の一端を感じないでもない。父同様に、これまで私も父との会話をサボってきたのは事実なのだから。
こうした問題を世代間における価値観のギャップと切り捨て、ともすれば縁を切れと脊髄反射で発言する輩がいるが、私はそれをサボりたく無いのだ。現実的には、両親のサポートが必要な場面は今後も生じるだろうし、観念的には、そうした家族の面倒ごとは大袈裟に言えば私のアイデンティティそのものに関わってくる問題だと思う。こういう事象をサボった結果として、自分が将来娘と絶縁する世界線もないとは言えない。無論、努力した結果絶縁されるのは仕方ないとして、それをせずに絶縁するのは違くない?と。
少し極端な物言いになってしまったが、要するにアプデに失敗した老人の暴走という問題として片付けたくはなくて、家族のコミュニケーション不全を見直す良いきっかけにしたいと思っている。昭和の終わり〜平成の初めにかけて生まれた人間にとって、同様の問題を抱えている人は多いと思う。死ぬほどだるいしムカつくけど、一緒に頑張っていきましょう。
最後に妻よ、私と父親のサボりによって被害を被ってしまって本当に申し訳ない。時間はかかるし、今後も問題は起こるかもしれないけど、少なくとも今よりは改善できるよう努力します。
娘よ、私の至らぬところで君の祖父という人間について、希薄な情報しか残すことはできないかもしれないけれど、父ちゃん頑張るので許してくれ。
去年、出産時にコロナ陽性のため無症状であったが強制的に帝王切開をされた。
私としてはお腹に傷が残るから絶対に嫌だったものの「医療従事者に感染させる可能性がある」との理由で強制的に帝王切開を行われた。
帝王切開をしなくても安全に子供が生まれるのになぜ帝王切開をしないといけないのか、医療従事者を守るためになぜ傷を受けないといけないのか、
まったく理解できず、そこで産むしかない以上仕方なく受け入れたものの、今でも体の傷を見る度に悔しさを覚えていた。
また、入院中の母に生まれた子供を会わせたかったが、コロナを理由に家族との面会が禁止となっていたため会わせることができず、母は初孫を見るまもなく昨年末亡くなった。
そんな中で、今週話題になっていた外科学会のノーマスク学会パーティー動画を見てしまい、涙が出た。
あれだけ一般人に負担をしいてきた医師たちが、何百人と集まりノーマスクでスカパラの演奏を楽しみ酒を飲み胴上げをしているのを見て、何も言えなくなった。
この動画や写真は現在取り下げられているけれど、公開したことが問題ではないし、根本的に医者たちは勘違いしているのではないかと思う。
今でもコロナウイルスはいなくなっていない訳だけど、当初から一部で主張されていた「無くなるはずがないからウィズコロナで対応するしかない」という言説を否定して、
「医療従事者」「専門家」の名のもとに3年間の間、一般人にあらゆる負担を課して、行動を制限し、帝王切開を強制し、面会を制限してきた。
それに対する総括もなしに、医師たちはもうコロナは終わったとばかりに、高級ホテルのパーティー会場で高い酒を飲みノーマスクで一流ミュージシャンを呼びどんちゃん騒ぎをしている。
別にノーマスクでどんちゃん騒ぎするな、とは言わない。「コロナはなくならないけど、もう終わりとするしかない」のだろうから。
でもその前に、この3年間コロナを終わらせるためにという名目でQOLを著しく制限された一般人たちがいるのを忘れないでほしい。
医療従事者に移さないためにという名目で強制的にお腹にメスを入れられた妊婦がいることを忘れないでほしい。
「コロナはなくなりませんでした。すみませんでした。これからはみんなノーマスクで行きましょう」とちゃんと総括してほしい。
タイトルの通りであるが、私がこの世で1番憎んでいた存在が死んだ。祖父である。ただ気持ちの整理のために書き出そうと思う。乱文で申し訳ない。
気づいた時から家は異常だった(と思う)。常に怒鳴り母の悪口を言う祖父と、舅の罵声に無言で耐える母、それに無関心な父と兄弟たち。祖母は祖父をなだめるだけ。結局家の中に母の味方は誰がいたのだろうか。
祖父と母の関係が良くないことを気づいたのは小学生3年生の頃だったと思う。もっと早くに気づいていたのかもしれないか記憶にあるのは小3頃である。特に意識したわけでもなく、気がついた時には祖父の振る舞いから「おじいちゃんはお母さんの事が嫌いなんだな」という認識があった。
祖父が私たち兄弟に口うるさく言っていたことが2つある。1つは勉強をよくしろ。これは確かに。2つ目はお母さんのようになるなよ。ということだった。優しい母の何がそんなに気に入らなかったのか、本人が死んだ今もよく分からない。ただ、結婚した後に「こんな嫁だったら中国人と結婚した方がマシ」と発言したことがあるらしく結婚当初から嫌っていたのだろう。だから日頃からみんなが居る場で祖父が母の悪口を言うということは日常茶飯事だった。私はママっ子という訳でもなかったが、母の悪口を言うことが許せなかったのだ。それに無関心な兄弟たちも年老いた自分の父(祖父)に逆らえない父も許せなかった。
今更ではあるが兄弟構成は兄姉私弟の4人兄弟である。初孫の兄はもちろん、兄と歳が離れて生まれた姉もまた可愛がられていた。しかし姉と年子で生まれた私は、姉を可愛がることに忙しい祖父母ではなく、両親の手によって育てられ祖父母に可愛がられる機会も少なかったらしい。そして末っ子の弟は当たり前のように可愛がられる。
その影響かは分からないが、私以外の兄弟は祖父の事が嫌いではなく、むしろ懐いていたような気がする。自分一人だけ祖父のことを嫌っているその状況もまた自分の性格の悪さを際立たせるようで嫌だった。
祖父との嫌な思い出をいくつかあげてみる。
①祖父母が私たち孫を連れてご飯に行く時、車の中では常に暗算の練習。それに辟易した私は誘われても行かなくなった。
②習い事の強制。これが自分にとって許せないことトップ3に入る。私はピアノを自分の意思で始めた。すると祖父が「ピアノをやっても何もならない」と言い出した。お金を出しているのは両親にも関わらず急にイニシアチブを取り始めた。そして、なんということだ。気づいたら小3~中1までそろばん教室に通わされていた。もちろん楽しくなかった。
③母が祖父の見ているテレビの前を通ったというしょうもない喧嘩で母が出て行ったことがあるのだが、母の家出先のマンションに私ばかり入り浸っていたら「○○(私)ばかりずるいぞ、他の兄弟達が寂しがるから平等にしろ」と自分が追い出したのにも関わらず謎説教をかまされたこと。
そんなこんなで私は祖父のことが大嫌いになり、中学生あたりから祖父の母に対する小言や悪口に対して反抗するようになった。そして気づいたら母だけではなく私も嫌われていた。
経緯は省くが、私も高校2年生の時に祖父と喧嘩になり母方の実家に家出した。結局それから3.4年経った今、荷物を取りに帰ることはあったが祖父とは顔を合わせていない。家の敷居をまたぐなと言われ家を出たのにも関わらず家に入ってごめんなさいって感じだった。
思い出話になってしまった。時間軸を現在にもどそう。昨日、突然父から電話が来て「おじいちゃんが亡くなった」と言われた。私が祖父を好いていないので、死因もそもそも容態が悪いことすら知らされておらず、急な報告に正直心臓がバクバクした。嬉しさでは無い。あんなに憎んでいた祖父だが、不思議なことに死んだという悲しさは身内なら多少なりとも持ってしまうらしい。祖父を憎みきれないのも自分の弱さだと思う。結局全て中途半端で終わるのだと感じた。
ただ祖父のために授業を休んで帰省する慈悲もなく葬式も行かないことにした。死ぬまでどころか死んでも顔を合わせることはなく、あんなに憎んでいた祖父は明日焼かれて消える。今だからこそ言えるけど呆気なかった。20年間だけ生きる時代が被った人。ただそれだけ。
肝心の母は祖父に対して私以上の気持ちがあるだろう。詳しいことは知らないが、祖父の介護は母と祖母がやっていたらしい。あんなに罵倒されても母が祖父のことを悪く言ってるのを私は知らない。どこかでは言っていたと思うが。でも母が1人こっそり泣いてたのを私は知ってる。どうか祖父が死んで居なくなって母の気持ちが少しでも軽くなることを祈っている。
ここまで読んで、人によってはそんなことくらい過去の事だし流せと思う方もいるかもしれない。書ききれないだけで、同居していた17年間色々あってそれらをどうしても許すことの出来ない私を弱いやつだと思ってくれて構わない。またこの日記を書いていて母の強さを改めて感じた。
講義終わりにスマホを見ると、父から祖父の火葬が終わったとLINEが来ていた。私にとって死んで欲しい存在だった祖父も誰かにとっては死んで欲しくない存在だったと思う。長かった確執も今日で終わった。そんな気がする。
子供が亡くなった。病気を持って生まれてきて、一生懸命治療をしていたが亡くなってしまった。もうすぐ1歳だったが その一生涯を病院で過ごしたため生きているうちに家に連れて行くことは出来なかったし、それどころか呼吸器をつけていたため抱っこすら出来なかった。それでも急変だったから、心の準備なんて出来ていなかった。
第一子。自分たちの両親にとっては初孫。妊娠中 たくさんの人たちが御札やお守りも買って子が元気に生まれてくるように祈ってくれた。だが生まれた子は難病。闘病中だって 良くなって退院できることをたくさん祈ったけど、亡くなってしまった。
神も仏もいない。人並みに真っ当に生きてきたよ。なのにこの仕打ち。絶対神なんていないだろ。
元々信じている教えも宗教もないしね。
子が亡くなった次の日の、配偶者は居ても立っても居られなくて、仏壇屋に行って資料をもらってきた。確かに私達は親としてしてあげられたことってほとんどなかったし、何かしてあげたいっていうのはあるよね。
自分は子供を想うスペースは必要と思ったけど、別に仏壇って形である必要はないと思ってた。けど配偶者は仏壇がいいって言うから、話し合いの末 仏壇を購入した。
仏壇を買ったりして思ったけど、一般的な死後の考え方があまり受け入れられないなって。
仏壇の1番上 奥には仏様をおいてその下には位牌。位牌には亡くなった人の魂が入る。一段上の仏様が亡くなった人を導いてくれる。
チーンとならすおりんは極楽浄土まで音が届く。
→届くか?
死者は香りを食べる。だからお線香をあげて手を合わせる。ご飯をお供えする。
→香り届くか?
あの世で7日ごとに極楽浄土に行けるかどうかの裁判があり、49日はその最後の裁判。
→現世的すぎない?
おりんをならす行為 お線香をあげる行為で子供に心の中で語りかけたりするから、すべてが無駄だとは思わないけど なんか都合が良すぎないか?とは思ってしまう。
49日に至っては、子は赤ちゃんなのに裁判にかけられるなんて酷すぎないかと思ってちょっと嫌な感じするし。人の子を勝手に裁くな。
小さい頃から仏壇がある家で育った配偶者と、仏壇に馴染みのない自分と、仏壇に関する考え方が違いすぎて、どれにするか どのものを置くか まとまるまで少し言い争う事もあった。
私は 赤ちゃんの子供に厳かすぎる仏壇にしてしまうと、子が遠いものに感じてしまうような気がしていたため 何か子の象徴のような形にしたかった。配偶者はちゃんとした仏壇にして子を弔いたいと言う気持ちがあった。
まあお互い言っている事はわかる。
相互に妥協してちゃんとした仏壇にポップ目(ピンク色の仏具 パンケーキの香喰等)な仏具を置くことでまとまった。仏様は置かず 位牌も置かない。100センチ程の仏壇の上にはぬいぐるみを並べた。
だがおりんは置きお線香もあげられる。子を想い手を合わせる場所にした。お骨は仏壇に置いた。お骨は 夫婦生き残ったほうが先に死んだ方の骨と一緒に子のお骨も処理する とした。
私は今の形である程度納得している。配偶者もそうであってほしい。
亡くなったのが赤ちゃんだったから一般的な感覚とは少し違うのかもしれないけど、死んだら現世の煩わしさとか辛さ痛さからは 「無」だから何もしなくても開放されると思ってる。でも仏壇は親側の気持ちの行き場所 何もしてあげられなかったから誠意 手を合わせたいみたいな部分で意義があって買って良かったと思う。
けど、一つ一つのもの 事に対してはこじつけだしご都合主義過ぎないかとちょっと思っちゃったな。
仏壇に仏様置かないと導いてくれる存在がいなくて良くないって仏壇屋さんには言われてそれってどうなのって思ったし、それって仏様買わないことに対する脅しみたいなもんじゃんって。
納骨は子のためにした方がいいっていう親族もいた。
わかるよ。わかるけどね。
死や死後に対する考え方は人それぞれだと思う。正解なんて誰も知らないし ないのかもしれない。
夫婦という二人の間だけでもそれなりに揉めたのに、親が亡くなり、その子供が何人もいてその配偶者が絡んできてなんて場合、多くの人の考え方があって 墓や仏壇一つ買うのもすごい大変なんだろうなって思った。
小室圭さん、投資家転身か 眞子さんが皇族だった30年で得た1億円以上が軍資金に?
御手元金として皇族費が、成人前は年305万、成人後は年915万支給されていた
御手元金として皇族費が、成人前は年305万、成人後は年915万支給されていた(写真は2018年7月の海外公務時の眞子さん。撮影/横田紋子)
写真300枚
かつて内親王だった眞子さんには、御手元金として皇族費が支出されていた。その額は、成人前は年間305万円、成人後は年間915万円。しかも非課税だ。非常勤ながら、博物館「インターメディアテク」(東京・千代田区)にも約5年間勤務した。
「眞子さんは、皇族だった30年間で、単純計算で少なくとも1億円以上の金銭を得たでしょう。さらに、親族から結婚生活への支援があっても不思議ではありません。例えば、初孫の眞子さんを心配された上皇ご夫妻が、お祝い金としてある程度まとまった金額を渡されたとも報じられました。内廷費からは御手元金として年間最大1800万円を、国会の議決を経ずに支出することができます。
小室さんは、眞子さんの資産を握りしめて投資家になる算段なのでしょう」(宮内庁関係者)
仮に小室さんが「E-2」を取得することができた場合、眞子さんには配偶者ビザが発給される。さらに、「E-2」の場合、配偶者は働くことができる。
METでの眞子さんはボランティアの扱いで、収入は得ていない。しかし夫が「E-2」を取得すれば、正規の学芸員として勤務することも可能になり、眞子さんの就労問題も一挙に解決するのである。とはいえ、道のりは平坦ではない。「E-2」は、自らが投資したビジネスが失敗に終わったと判断されると、その時点で失効する。これまでにさまざまな仕事を経験し、キャリアを変えてきた小室さんに、投資家としての才覚は秘められているのか。
https://www.news-postseven.com/archives/20220527_1757956.html/2
なんとなく触っちゃいけない話のような気がしているんだけど、ずーっと考えていることがあるからちょっと聴いてほしい。
「認知症」って、"その人が1番幸せだった時に戻る"って話を聴いたことがあるんだ。だから、大人になった自分の子の顔が分からないとか、ずいぶん若い頃に戻っちゃったみたいになるとか。その考え自体はなんか素敵だなって思ってたの。ちょっと救われる気がしたの。
うちは何年か前に父が亡くなって、その翌年に子供ができてさ。母も初孫で嬉しくて、年金と貯金で生活しているのに、なんのかんのと服を買ってくれたりプレゼントくれたりしてて。それが生き甲斐で楽しみなんだろうから、他で物入りになったらこっちで出すとかしようと思ってるんだけどね。
それで、話は戻るけど、もし母が認知症になったら、孫がうまれる前の父がいた頃と、孫がうまれたあとの今と、どっちに戻っちゃうんだろうなって考えちゃったんだよね。
今のところその兆候はないんだけど、子供は子供で、こういうご時世であんまり会えないんだけど婆ちゃん大好きなんだって。
今更遅いし、病気なんていつどういう形で出るかなんかわかんないけど、こういう時もっと早く子供もっておけばよかったなぁって思うよ。