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2014-05-14

人vsコンピューター

コンピューター将棋将棋電王戦など)の対戦のニュースを見てていつも疑問に思ってた。

プロ棋士の勝ち。コンピューターの勝ち。

違うんじゃないかな。


この対戦は人vsコンピューターの対戦と思われています


しかし、実際は


プロ棋士vs将棋ソフトプログラマーコンピュータープログラミングしている人)


なんです。(注:コンピューターの性能にもよると思うんですが今回の話ではそこは置いておきます



さて、ほこ×たてという番組がありました。ヤラセで終わったんですが・・・


オセロアプリ対決というのをやっていた。どちらのオセロアプリが強いかというものです。

詳しくは忘れたがそれぞれプログラミングの仕方が違ってて、

膨大なデータを入れまくっているタイプの方が勝った記憶があります

http://matome.naver.jp/odai/2136110220966481401



将棋に話を戻します。

将棋ソフト人間によってプログラミングされます

強くなるように。プロ棋士に勝てるように。

序盤、中盤、寄せ。定石、流れ。

無限の指し手がある中でコンピューターに選ばせるのです。

プログラマーものすごい思考とエネルギーを使って

ソフトの思考を高めているのだと思います一生懸命調教しています

で、その調教して作り上げたソフトプロ棋士にぶつけているのです。


結局言いたいことは

コンピュータープロ棋士に勝ったと言っても

そのコンピューターのものがすごいのではなく

ソフトプログラミングした人々がすごいんだっていうことです。


その人々が居ないとプロ棋士に勝つソフトは生まれないのですから



話変わって、これなんですが。

将棋に勝てないということは戦争に負けるということhttp://anond.hatelabo.jp/20140513043004


これも正確に言うと人間vsコンピューターではなく

人間vs人間プログラミングしたコンピューターソフト

です。


じゃあ人工知能は?といわれます

その人工知能プログラミングされてます

そのプログラムが成長する可能性はあります

人によって成長するようにプログラミングされる必要がありますが。


コンピューターはただの計算機です。ものすごいスピードでとてつもない計算しますが。


からいきなりコンピューターが現れて戦争を起こし人間を支配することは無いです。


ただ成長するプログラム人間が書きコンピューターが実行し、

手に負えなくなることは可能性として十分あります


争いを引き起こす根本的な原因は人でしかありえないということを言いたいかもしれません。

人類に勝てうるコンピュータープログラムを組むのもまた人なのです。

2014-04-27

「三月のライオン」に見る毒親から呪縛

最近微妙はてな界隈が毒親関係の話題で盛り上がっている気がする。

家族を捨てることにした。」

http://anond.hatelabo.jp/20140416141321

「大人になってから自己肯定感を高めるには」

http://tigtig8.hatenablog.com/entry/2014/04/02/182519

「親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係

http://anond.hatelabo.jp/20140402111648

私自身、毒親育ちなのでこれらの記事を興味深く読んで、そのうち何か描ければなあ・・・

などと思っていた時にアニマルの連載で読んだ「三月のライオン」がトラウマものの毒親話だったので描く。

まあネタバレというほどのものではないけど単行本派の方はスルーしていただければ幸いです。

さていまさら三月のライオンについて私なんぞが語る必要もないとは思いますが、読んでもいない人の為にものすごい端折ってあらすじを説明すると

両親を亡くした桐山零は父親の友人でプロ棋士幸田の家に引き取られ、期待に応えるために将棋の腕を磨き続けプロ棋士になる。一方で幸田家の本来の子である香子と歩は零に自分達が到底及ばない事に気づき挫折し、香子は家を出て、歩はひきこもりになり家庭は崩壊する。

罪悪感を覚えた零は幸田家を出て、一人暮らしを始めるが、すでに将棋に対する動機を失っていた。

そんな彼は近所の川本家や多くの人々との関わりにより少しずつ将棋に対する思いを取り戻して行く・・・

というストーリー

よくある動機を失った天才がそれを取り戻し、凡人どもを駆逐していくというお話ですな。

曽田正人の昴、松本大洋ピンポン最近だと四月は君の嘘、とか。

それはさておき幸田家の話に移る。

幸田家はプロ棋士の父親(作中ではそれなりに強いがタイトルに絡めるような存在ではないように描写されている)、見合い結婚した主婦である幸田母と将棋を学ぶ二人の子供、香子と歩で構成されていた。

率直に言えば世間知らずで価値観将棋の強さ以外ない視野狭窄な父親、同じく世間知らずだが気が弱く、夫のような自分自身の価値観がなく、父親の追従者でしかない母親が両親であったわけだ。

それでも子供たちは父親同様に将棋を愛し、家族は円満に運営されていた。

だがあるときここに桐山零という怪物が投下される。

彼は将棋しか価値観がない父親にとってその歪んだ価値観を補強してくれる、理想的子供であり、また引き取られた負い目から家事なども率先してこなす母親にとっても理想の「いい子」でだった。

それ以来この二人はこう思い続ける「なんでうちの子供はこうじゃなかったんだろうか?」と。

そして二人の子供は零に対する劣等感を感じて将棋をやめる。

ここらへんまではいままで発行された単行本の中でも語られていた話だが、今回はそれが母親視点から語られている。

零はとても「いい子」なのに、なんで自分の子供はそうならなかったのか?と感じ続け、零が家を出たとき心底ほっとしたこと、

歩が将棋ができなくなり、「努力できるのも才能だ」といい投げ出した時に、父が冷笑して見捨てた事(この時の父の表情がもの凄い)。

そして自分はそういう芸道世界理解できないけど、ごはんを作って家族を待ち続けることにしよう、と思うこと。

いや~気持ちいいくらい極悪な毒親っぷりですね。

要するに彼女は父親の偏狭価値観と零の存在子供達が苦しめられ続けたことを知っており、もう一方の親として多用な価値観提示して中和剤になる役目があるであろうにそれを放棄し、「私は知りませんし、これからも何もしません」といっているわけです。

そもそも拾われた子供がいい子であるなんて当たり前のことだし、それを自分の子供に当てはめる時点で狂っている。

結局この両親がやっていることは目の前の自分の子供たちをみず、零に理想の子供の姿を投影し続けているにすぎない。

竹本君みたいに学生のうちに自転車北海道でもいってそういう夢見がちな性分から解脱しておいてください。

あの父親とこの母親の翼君岬君ばりの毒親ゴールデンコンビカルトな家庭で育ちながらも、なんだかんだで零を気にかけてあげる香子さんは実に人格者だし、ひきこもってゲームしている程度のグレ方しかしなかった歩君も実に立派だと思う。

父は零に「最近香子が何を考えているのかわからない・・・」などと漏らしていますが、私はこの夫婦が何を考えているのかさっぱりわからないです。

そもそも将棋子供を劣等扱いするんだったらまず自分タイトルの一つもとってきてほしいものです。

現在香子さんは現在派遣社員やりながらも、妻ある父親の弟弟子棋士と絶賛不倫中で相変わらず家族に縛られている。

歩君はひきこもりをやめ、受験生として予備校に通っている。

とりあえず、歩君には地方大学でも受けてさっさと家庭から逃げ出してほしい。

そして社会に出て「自分劣等感を感じた父親も零も所詮将棋という閉ざされた世界でのみ特別人間だっただけなんだ」と気づいてほしいものです。

羽海野チカという人はハチクロの頃から一貫して才能というもの残酷さを圧倒的な才能で書き続けるという色々とすごい人だけど、同時に凡人の気持ちも丹念に描写してきた人です。

ハチクロの男キャラでいうなら天才森田、それに憧れ嫉妬する凡人の竹本、才能と関係のない生き方を選んでいる真山といった感じで。

ハチクロではよくあるマンガのように竹本覚醒して才能に目覚めるといった事はまったくなく、結局凡人なりに一歩一歩進んで行こうと決意して旅立ったって終わったし。

三月のライオンにおいて、恩人を救うということで動機を得た零は、多分親友の死によって完全体となり、最強の棋士への道を上り続けるのでしょう。

だけどそれ以上に将棋においては凡人であった幸田姉弟の物語はどのように着地するのかをとても楽しみにしたいと思う。

しかし本当にすごいマンガ家だわこの人・・・

マンガ登場人物に深刻な憎しみを感じ、自分の家庭思い出してトラウマスイッチがオンになってこんな駄文を書き散らすなんて人生でも初です。

アニマルの他の漫画家からフリーザ様扱いされるのがよくわかる。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131110/p5

ロッキンオンハチクロをオシャレマンガ勘違いして「なんだよ羽海野って。羽いらないじゃんw」とか頭の悪いこといってコケにできた時代が本当に懐かしい。

あ、そういえば川本家という毒親とは違うけど、ある意味幸田家以上に闇が深い家庭もありますがそれは私の手に余るんでスルーさせていただきます

2014-04-07

201x年、将棋コンピュータ軍門に降った。

ファンの将棋離れを恐れた連盟によりコンピュータプロ入りが認められ、将棋コンピュータVSコンピュータエンターテイメントへと生まれ変わった。結果、将棋は再び人気を博すようになったが、その代償は大きく、多くの棋士が職を追われるに至った。

そして10年後、プロを目指す子供がいなくなった日本で、一人の天才少年プロの門を叩く。

コンピュータが支配する名人リーグに挑み、人間尊厳を、名人タイトルコンピュータから奪い返すために…。

という話を思いついたので、誰か漫画化してください。

2014-03-24

電王戦

対局中にコンピューター将棋ロボットアームが佐藤六段の頭部に直撃しそうな瞬間があった。

多くの棋士は考えるときに盤面を上から覗き込むような姿勢になることがよくある。

この時にロボットアームが動くと移動速度も早いので非常に危険

たとえ当たらなくても棋士側は不必要な注意を払わなければならないので相当な集中力を削ぐ。

アームの形状や可動範囲をもっと修正するべき。

2014-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20140321163327

お返事どうも。

言いたいことはわからなくはないんだけれど。

それに対してお金を払おうと思う人が、批判されるのは変な話だ。単なる個人の趣味に難癖つけてるのと同じだと思う。レス増田は違うのかもしれないけれど、そういう意見も見るので、これは愚痴

いや、そういうことじゃなくてね。あるいはそういうことであっても別に構わないのであってね。

あなたみたいなのは「近視や肥満の人の野球大会」を感心して観ているようなものだ、と言っているの。近視や肥満野球選手になる上で致命的な欠陥でないというのは、例えば古田敦也とか中村剛也とかその辺の例を挙げればわかってもらえるよね。

で、もしあなたが近視とか肥満というのに何か特別感情を揺さぶられるという特殊感情の持ち主であるという自覚があり、なおかつあなた純粋に「野球」というものを楽しんでいるのではないという自覚があるのでないかぎり、それは「個人の趣味」とは言えないと思うよ。

もちろん、そういうことが全部悪いとは言わない。例えば将棋女流棋士制度というのは実際そういうものからね。将棋というゲームには男女差はないのだけれど、実際問題として普通プロになる基準をクリアできる女性がこれまで現れなかった(最近一歩手前まで来ている人はいる)からこそ、普及だとかいろんな大人の事情で別の制度が設けられている。で、女流棋士が実力で普通棋士(これまで全員男性)に及ばなくともそれなりにファンがついているのは、良くも悪くも色んな意味で「女である」ということを売り物にしているから、と言わざるを得ないよね。「男社会を切り崩す」というジェンダー的に「正しい」見方であれ、オヤジのスケベ心であれ、そういうあらゆるものを換金していることになる。で、将棋連盟の側もファンの側もそれについては百も承知であるわけだ。

そういったことを自覚した上で「そんなことは百も承知だ、それで何が悪い」というのであれば、それはそれでまあ「個人の趣味」と言えなくはないと思うよ。

でも、佐村河内フジ子・ヘミングの件についてそれが当てはまるのかな。将棋と違って、クラシック音楽において身体障害は致命的な不利とは限らないわけだ。野球における近視や肥満だってそう。少なくとも「近視・肥満野球」については、野球ファンは「そんなものプロ野球と同列に並べないでくれ」というよね。で、それについて文句を言うのであれば、文句を言う方がおかしい。

あるいは「リケジョ」という言葉について考えてもらってもいいよ。科学界における女性クラシック界における身体障害者よりもっと障壁が少ない場所にいる。そして、科学には「女性枠」なんてものは当然ない。つまりリケジョ」というのは女性理系に進むことへの本人や親の偏見を取り除くための方便しかない。にもかかわらず「リケジョ」っていう概念ジェンダー的に不適切だとヒステリックに叩かれるし、実際それなりの危険がある概念であることは間違いはないよね。

そして、クラシック音楽への「障害者枠」については少なくとも「リケジョ」よりもはるか社会的にまずいものだ、ってのはわかるでしょ?

障害者が障害を使って金を稼ぐ事自体が健常者と同じ扱いではない、という観点は、分からなくもないけれど、それを言ったら、年寄りに席をゆずるな、年寄りから働かず年金貰って生活するなんて甘えだ、子供身の回りのことや収入自分でやれ、と言いたくなる。言わないけれど。

少なくとも、そういう年齢に甘えてる世代よりは、自分の障害を使って自分の稼ぎを自分で得ようとする彼等彼女等の方が、マシだと思う。

野球の例でいうと「マスターズリーグ」ってのがある。これは、かつての名選手が今となっては無様な姿をさら草野球を、笑いのネタになることを承知で売り物にしてるというものだね。これが問題でないのは、選手の側も観客の側も野球技術ではなく別のものを求めている、という共通了解があるからだね。

でも、クラシック音楽はそうではないでしょ。一部のマニアを除いてはなかなか敷居の高い世界だし、ポスドク問題と同じでなかなか商売にならない厳しい世界。ファンを獲得するには、結局本当に質の高い作品の質の高い演奏を世に出し続けて、それに偶然触れた人が急に感化されるのを待つしかないっていう厳しい世界でみんなやってるわけだよ。

そんな中で、「現代ベートーヴェン」とかいって粗悪な作品を売られることは、本当に質の高い作品や質の高い演奏家スポイルされるリスクを高めてしまう。「クラシックなんてたいしたことないじゃん」と思われてしまったらそのせいで才能ある音楽家が何人も葬られることになるかもしれない。女流棋士とかマスターズリーグとちがって、「本物」のおまけではなく、「本物」と競合してしまうんだよ。

そういう意味で、何が「本物」であるかがわかりにくい世界で、「本物」と勘違いさせて贋物を売り出すというのは問題のある商売だと思うよ。ホメオパシーとかと同じだと思うけど。

http://anond.hatelabo.jp/20140322133116

いねそれ!

今までの常識を覆す型破りな棋士が現れ、

常識とか定石とかそんなものふっとばして

今まで見たこともないありえない差し回しで

コンピューターを手玉に取り翻弄する対決を見たい。

これって将棋って言えるの?くらいの差し回し。

人間コンピューター盲点を突くどころか、

将棋というゲーム盲点を突いたような差し回し。


まあ、あくまで希望的観測妄想だが。

http://anond.hatelabo.jp/20140322131330

いや、森内、渡辺羽生クラスでも条件なしでは勝つのは現状では難しいと思っている。

現時点では棋士側は徹底的に負ける方がいいと思っている。

今は棋士がみじめなほどにコテンパンに負けるべき局面だと思っている。

そしてそのことこそが次への展開を生み出すだろうと思っている。

人間コテンパンにコンピューターに負けるのは避けては通れない道だと思っている。

問題はその後で、そこにドラマが生まれる可能性があると思っている。


理想的には、将棋界の桜庭が現れ、

人間は本当は強いんです!」

雄叫びを挙げてくれることを期待している。

http://anond.hatelabo.jp/20140322121552

無駄に金かけて有明借りきったり、

電王君用意したり、

演出面においてなにかしら新しい試みをしようとしている痕跡はあって、

そこはちゃんと認めてあげたいのは山々なんだけど、

本編の部分がすっかすかに見えちゃってて気持ちが入ってかないんだよねぇ。

それにその演出も金かかってる割に空回り感が半端ないという。

今回はPVも今一だしテーマが絞りきれてないというか、

どこにモチベーション見出して見ていいのかを表現しきれてないから

大会自体ぼんやりして焦点がぼやけてる。

宣伝もなんか力が全然入ってなくて、

電王戦があること昨日まで知らなかったし。

正直もうコンピューターの方が全てにおいて上回ってしまって、

なんの条件もなしにやったら棋士がボロ負けして勝負にならないし

ショーというか番組というかコンテンツ的にも売り物として成立しないから

一生懸命棋士側が条件つけてできるだけ良い勝負っぽくなるように必死になってるだけ

って感じにまで差がはっきりしちゃったか

尚更どこを焦点に見たらいいか観客的には分かりづらくなっちゃってるよねぇ。

無難無難に行きましょうよって感じが今まで以上に強くなっちゃったよねぇ。

これじゃつまらないよなぁ。

コンピュ-ターにびびってる棋士相手じゃ見てても対決ムードにならないから白けるんだよねぇ。

アントニオ猪木みたいに

「いつ何時、誰の挑戦でも受ける!」

って言うドンキホーテみたいな棋士が登場して、

そして勝負にもちゃんと勝つっていうヒーローが出てこないと、

今後の継続が危ぶまれそう。

http://anond.hatelabo.jp/20140322120952

視聴者にとって何が面白いのかを 運営勘違いしている気がするね。

やねうら騒動にせよ、今回の中継や解説みていてそう思う。

なんか、そんなことどうでもいいんだよ。的な部分が多すぎる。

ツツカナの評価値だけを聞いてどないすんねん・・・

無駄に広い会場使う意味あんの?

アンケートも内容がくだらない

やねうら騒動は、うらおが悪い点は間違いないんだけど、

もう将棋棋士は強い相手とは戦いたくなくて、

勝てる相手、事前に攻略できた相手としかやりたくないことがバレちゃったのが痛い。

2014-03-18

将棋のはなし

ものすごくド素人感想すみません

電王戦ですが、「指し手が変わった」って怒られているのは、なんだか不思議な感じがしました。

「お前、昨日までそんなに強くなかったじゃねーか!」

と言われているようにも聞こえました。


しかし、人間とは比べ物にならない演算能力をもつ怪物相手に

体一つ、頭一つ、たった一人きりで分の悪い戦いに立ち向かう棋士

一般人があまり軽々しく物言うべきではないかもしれないですね・・・



うそんなにコンピュータが強くなってしまったのなら、人間同士のルールではなく、

人間コンピュータ用の新しいルールがあればいいのになぁと思いました。

(あるのかな?)


単数コンピュータ 対 複数棋士 なんかどうなんでしょうね?

途中交代は随時。

攻めの棋士が敵の牙城を崩し、

守りの棋士が防御を固め、

復活の棋士が手駒を集め、

混乱の棋士が相手を幻惑する。

ターン制ではなく、リアルタイムでもいいかもしれませんね。

それであれば途中交代ではなく、全員同時参加で。

そういえば棋士って、騎士と同じ読みなんですね。今知りました。


タイトル名はぜひ、魔王戦で。

2014-03-16

将棋アームロボットの駒を識別するときに出すライトが眩しすぎる気がする。

駆動音とかも静かな場所だと音がうるさそう。

あとアームロボットのすぐ後ろにソフト制作者か誰だか知らないけど人間座ってたら雰囲気ブチ壊し。

棋士コンピューター真剣勝負の場に人間どもはすっこんでろ。

2014-02-11

25歳、高卒引きこもりの俺が今からでもなれる職業が少なすぎる!!


これは明らかに不公平!!

日本社会は即刻、年齢差別を辞めるべきだと思う!

教師や親は子供に対して、夢や希望には厳しい年齢制限があって歳を重ねるごとに選択肢が減っていくという事実をしっかり教えるべき!!

実際、メジャーマイナー人気不人気を問わず日本で就ける職業殆どは、その職に自分が就きたいと思った頃には完全に手遅れになってるパターンばかり!

以下年齢制限別に見ていくと↓  (*一部の例外など、個々の特殊な事例を除く)

25歳(俺の年齢)

警察官 ― 25くらいまでには警察学校に入らないと現実的にまず無理

医師 ― 25くらいまでには医学部入学してないと開業医の子息でも無い限り現実的に無理

獣医 ― 25くらいまでには獣医学部入学しておかないと現実的に無理

薬剤師 ― 25くらいまでには薬学部入学しておかないと現実的に無理

看護師 ― 25くらいまでには看護学校入学しておかないと介護系以外の求人激減

保育士 ― 25くらいまでには保育系学校で学んでおかないと求人激減

美容師 ― 25くらいまでには美容学校で学んでおかないと求人激減

弁護士 ― 25くらいまでにはロー進学を決めておかないと合格してもタダのゴミ

作家 ― 専業で食べていくには現実的にこのくらいの年齢で入賞でもしていないと無理

22歳(大学卒業

有名企業正社員 ― 新卒を逃せば新卒プロパー至上主義の有名優良企業への就職出世絶望

公認会計士 ― 大学卒業までには専門学校で学び始めていないと合格しても実務経験積めずに終了

声優 ― これくらいの年齢までに育成機関に通わなければ専業で食べていくのはほぼ絶望

20歳(成人)

お笑い芸人 ― この年齢までにコミュ力を磨かなければ大勢の人前に立って笑わせることなど不可能

俳優女優役者 ― 遅くとも成人までには劇団舞台なんかに立っていないとテレビレギュラーなど夢のまた夢

芸能人タレント ― この年齢までに一芸を磨いて「東京」にいることが絶対条件

ダンサー ― プロダンサーとして食べていくにはこの年齢までになんらかのダンスを始めることが必須

傭兵 ― 20までに体をつくっておかなければいくら頑張っても体力的に無理

パティシエ ― この年齢までに菓子作りの基礎を学ばなければどうあがいてもチェーン店電子レンジ職人まり

ホストホステス ― 業界でやっていくには成人と同時にこの世界に飛び込まなければ後は商品価値が下がる一方

大道芸人 ― ハタチを超えてまったく一から大道芸人を目指して成功した奴など皆無

18歳(大学入学

官僚 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理

検事裁判官 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理

国連職員 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

テレビ業界テレビ局勤務 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

アナウンサー ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学と「顔」が必須条件

編集者 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

パイロット ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

ゲームクリエイター ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

宇宙飛行士 ― ほぼ現役での高偏差値理系学部への進学が必須条件

小学校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件

中学校高校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件

司書 ― ほぼ現役での大学への進学(司書課程)が必須条件

動物園飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件

水族館飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件

映画監督 ― ほぼ現役での映像学科への進学が必須条件

建築家 ― ほぼ現役での建築学科への進学が必須条件

アイドル ― 18を過ぎれば賞味期限が近づく一方

アニメーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理

イラストレーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理

ファッションデザイナー ― この年齢までに一般的なオシャレというものに興味を抱いていないような奴にはまず無理

歌手ミュージシャン ― この年齢までになんらかの音楽活動を始めなければ自称ミュージシャン志望が確定

15歳(高校入学

競馬騎手 ― 15歳までには騎手になるぞという意志を固めていなければ現実的競馬学校への合格は無理

バイオリン職人 ― 15歳までには楽器職人になるぞという意志を固めていなければ専業で食べていくなど夢のまた夢

ファッションモデル ― この年齢でほぼ容姿背恰好は固まるので低顔面偏差値身長にはどう抗っても無理

漫画家 ― 15歳くらいまでには絵を描き始めなければ実質的時間切れ

12歳(中学校入学

プロサッカー選手 ― 12歳までにはサッカーを始めなければまず無理

プロ野球選手 ―  12歳までには野球を始めなければまず無理

プロスポーツ選手 ―  12歳までになんらかのスポーツを始めていなければまず無理

画家 ― 12歳までに絵に慣れ親しんでなければまず無理

06歳(小学校入学

ピアニスト ― これくらいの年齢からピアノのレッスンを受けなければまず不可能

指揮者 ― これくらいの年齢からピアノ他のレッスンを受けなければまず不可能

プロオーケストラ楽団員 ― これくらいの年齢から楽器のレッスンを受けなければまず不可能

サーカス団員 ― 6歳くらいまでにはバレエ等のレッスンを受けなければまず不可能

将棋棋士囲碁棋士 ― 小学生のうちに打ち始めなければまず不可能

0歳(家柄血筋)

伝統芸能演者 ― 親・親戚が伝統芸能に携わっていないと最初から可能性ほぼゼロ

茶華道家元 ― 親・親戚が茶華道家元でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

政治家 ― 親・親戚が政治家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

外交官 ― 親・親戚が外交官でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

農家 ― 親・親戚が農家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

漁師 ― 親・親戚が漁師でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

冒険家探検家 ― 親・親戚が冒険家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

二世タレント ― なれるのはタレント二世だけ!

そもそも有名人職業を除いて、棋士楽器職人なんて子供の頃は存在すら知らなかったし!

ピアニスト騎手だって身近にそういう親戚でもいない限り自分未来職業として、リアルに考えてみるという行為それそのものすらしたことがないのが普通だろ!!

文化資本の低い家庭出身の俺は家族親戚一同高卒ばかりで大学進学すらテレビ物語の中の世界だったわけだが!!!

国は小学校入学と同時に13歳のハローワークを全児童に配布・熟読させて、道徳時間の変わりにキャリアプラン時間小学校教育に組み込むべき!!

一刻も早く!!

俺はもうおしまい!!!

ジャジャン!!

2013-12-08

電王戦から将棋ファン

電王戦以前

 電王戦以前にも、将棋に興味はあった。 子供の頃は親となんどか指したし、高校の頃も何十戦か友達将棋を指した。

 だが、定石を覚えるのが面倒だし、強い人相手だと同じ戦法で延々ボコされたりとつまらなかった。

 漫画では、ハチワンダイバー面白いなあと見ていたし、ハチワンダイバーを理解するために、『最強将棋 激指スペシャル2』という、基本的な定跡をだいたい網羅していて、将棋ソフトまでついてくる本を買って、一応戦法の種類はだいたい把握した。

 その程度の知識だった。

電王戦

 電王戦が始まる1年前に、『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方』というのを読んでいた。 どうやら、10年後にはコンピュータープロ棋士は勝てなくなるぞ。的な内容だった。 正直、うさんくさかったw 内容も、どうやったらアルゴリズムがよくなるか?について書いてあったが、『そんなんで勝てるの?』というのが正直な感想だった。

 確かに、将棋24で勝ちまくるのは可能だろうけど、プロって本当かよという印象。

 だが、電王戦で、「はじめてプロ棋士が負けた!」 → 「おいおい、速効次もかよ!」 → 「え???塚田プロって昔すげえ強かったんじゃ、、、ひきわけ?」 → 「はぁ????A級がボコられた??? A級って一番強いんじゃなかった????」

 と、ものすごくびっくりした。

電脳戦時

 正直、その時は、A級の三浦ってだれ? 塚田ってどのくらいの人なの? 橋本より強いのって出てるの? 船江って人はどのくらい強いの? とまったく理解していなかった。

 理解していなかったが、ツイッターや2chでおもしろ半分で煽りまくっていたw

 『プロは雑魚w』 『あと数年でスマホにもかてねえゴミどもw』 『プロ削減しろ、終わったんだよ』 『どーでもいいから、三浦とかわけわかんねーやつより羽生とか渡辺だせよ、はあ?森内???だれだよそれ、しらねーよ、そんな聞いたことも無いゴミ

 みたいな。

 いやもちろん、ネタなんだけど。

 そういうレスであふれかえっていたので、なんとなく便乗した。 とにかく、「真剣にやってて、ガチ天才と言われてる奴らが惨めに負けていくのが凄く楽しい」というルサンチマンだった。 「所詮人間天才なんて、こういうアルゴリズムの数量押しの凄く低い段階なんだよw」という感じで溜飲を下げていたのだと思う。

電脳戦後

 その後、A級、B1,B2棋士をだいたい覚え。 それぞれの将棋の戦法もある程度覚え、狙いも覚えた。 将棋歴史や、戦法の趨勢も、まあまあ把握した。

 で、ハム将棋にはほぼどんな戦法でも完勝するくらいにはなった。

 将棋講座なり買って読むし、NHK杯も見るようになった。 棋譜を漁って見ることも覚えた。

 なんというか、普通に面白い。 人間コンピューターに負けたとか関係無く、すげえ面白い

人間コンピューターに勝てないとは?

 てか、コンピューター人間が勝てないってのは、当たり前というか。

 まあ、人間プロ同士でも、「詰みを逃した」とか、「終盤よく分からない」とか普通にあるけど、ソフト演算で全部読むから、そりゃミスらない。 下手したら、30手くらい読むわけで、将棋がせいぜい100手~200手で終了するゲームだということを考えると、そりゃ終盤は勝てない。

 じゃあ、中盤はどうだろう?

 中盤ってのは、プロの腕の見せ所だけど。 プロ同士でも、「ミスの少ない手」を選び続けるということが多い。 そう、ミスをしない手を選び続けるわけだ。 コンピューター場合ミスをしない」のは当たり前だし、「ミスを全部潰した上で、画期的な手も読むことができる」というアドバンテージがある。

 そうなんですね、プロ同士では、お互い人間から、「ミスをしない手を選び続ける」ことがそのまま優位性につながるけど。 vsコンピューターだと、相手はミスをしないのに、こちらはミスをしないことに気を遣うだけでなく、相手に良い手を指させない事まで考えないといけない。 vs人間にくらべて、読む量や精度が格段に求められてしまうんですね。 人間相手だとあり得ない精度をやってくるわけで。 中盤は、コンピュータが強いというよりは、「人間にとって不利すぎる相手」になってしまう。

 じゃあ、序盤は? そう、序盤こそ勝ちうると思います。 コンピューターは、所詮序盤は人間の人まね段階です。 ここで、「新構想」とかで勝ちうるってのはあると思います。 ですが、「新構想」ということは、「研究が整備されていない」ということです。 研究が整備されていないものミスなくさせるでしょうか? あやしいですね。 ですから、新構想でコンピューターに勝つというのは、厳しい。 さらに、新構想なんてあるなら、vs人間でのタイトル戦に温存するわけですよねw

 さらに、時間。 人間同士で4時間持ちなら、 お互い4時間めいいっぱい使って、8時間だけど。 コンピューターは4時間も使わないわけで。 結局人間にとって不利。

 結局、コンピューター人間がやるにするには、あまりにもコンピューターが有利すぎる。

 ってことで、ハード貸し出しとか、当たり前だと思いますよさすがにw 人間は見えないところでハンディあるわけですから

人間同士のおもしろさ。

 将棋って、何が面白いって。

 ①序盤の構想 → かなり新構想とかが出るわけです、何がでるかな? 相手の研究を外すためにどんな戦法を出してくるのか? 鍛えてきたのか? なんというか、カードゲームで、『どんなデッキ構成で挑むか?』というメタゲーム的なおもしろさがあります

 ②中盤の勝負 → 中盤では、ミスをしないこと+終盤への構想や形作り がなされます。 パワプロで言えば、選手選びに近い感覚でしょうか? 投手の控えやバッターの並びなどで試合結果が変わるので、ここでの考えが大事です。 守備と攻め、両方を考えてメンバーを組むみたいな。 また、ここでも新手ってのが頻繁に登場するので、そういうワクワクがあります

 ③終盤の勝負 → 実は、ここが面白い。 終盤って、格闘技に似てるんですよ。 『相手を責め続ける』&『自分も致命傷を受けないようにかわす』これがギリギリまで続きます。 約30手ほど、ギリギリの攻防が続きます。 攻めがキレたらホボ負けますから、攻めを切らしてはいけないので、駒を得ながら切りながら攻めまくります。 また、相手が攻めてきたら相手の攻めを切らすまで受けます。 ボクシング的なおもしろさです。

 ④漫画のようなおもしろさ。 いやーホント、序盤中盤終盤、全部面白いのが将棋。 マジで漫画小説で、ものすごい傑作を読んでいるようなおもしろさです。 ホント漫画みたいなドキドキワクワクの場面、行き詰まる戦闘シーン。 そういう感じです。

 コンピュータが強いとか関係無く、普通に面白い。 でも、コンピューターが指しても面白いんですけどねw確かに。

人間同士の戦略 → メタゲームホント凄いゲームなんですよ、将棋って。 「相手はあの戦法しかしてこないから、この戦法」とか、「あの人には勝率いから、研究で研ぎ澄ませたこの手を打って困らせよう」とか、「自分にとっての大一番以外の対局では磨いた研究を使わず自分にとっての大一番だけ研究放出しよう」とか。 そういうのがホント面白い。 その場だけの勝負じゃなく、研究段階で、カードゲームデッキ構成があるんですよ。 ただ強いデッキを用意するんでなく、『相手によって対応を変える』というメタゲームがあるんです。  これは、コンピューター将棋にはなかなか見られない。

2013-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20130630224607

脱出ゲームっていうとそういうジャンルの事だと誤解するので

何でも同じだと思う

将棋だったら

ゲーム「相手の王将を取りなさい」

棋士「相手のこのこまを取るために、これをこう動かそう」

相手「それに対応してこうしよう」

とそれぞれ自分で考える

今のゲームのようにすると

ゲーム「相手の王将を取りなさい」

?「まず歩をどこどこに動かしなさい」「次に金をここに動かしなさい」

命令を受けてるうちに王手

王手になった瞬間感動のムービーが流れたりする

自分では一切何も考えてないししてもいないけど

どこでピンチになってどこで感動的になるのか初めから決まってる

それに沿って演出がいっぱい入ってる

ポーカーだったら

このカードとこのカードを残しなさい、これでスリカードで勝利

感動的

見たいに筋が最初から決まっていて、やらされているだけ

やってる人は何をどうしようと、残すカード自分で決められないし

そもそも負ける事が出来ない

あ、ゲームオーバーになるには、残すカードを残す動作を失敗した時

自分では何も考えちゃいけないので選択権は無いけど)指示を受けてその指示を遂行できず失敗した時

カードを落とすとか

から今のゲームは支持の遂行を難しいものにしてる

2013-06-23

常識的に考えて、思考ダイエットがないのは、あまりにもおかし

我々はともすると頭脳を怠けさせがちである。こと日本風土にかけては誠にその風潮が根強いと言える。

日本人はやればできるのにやらない人が多い。日本人は頭をもっと酷使せねばなるまい。

2chダイエット板のスレをみるとどれもこれも胡散臭い。で肝心の「思考ダイエットスレ」がない。

これを誰もおかしいと言い出さないのが今の日本である。誰もがおかしおかしいと思いながらも押し隠している。

将棋棋士は対局で3kg痩せる痩せるんだから頭使えと苫※地()は言うが、確かに棋士は総じて痩せている。

実験してみたらペースは安定しないが平均すると概ね毎時0.4kgのペースまで痩せることができた。ただしトイレと水分補給はOKで、食事はしていない。

対局8時間で3kgは痩せる計算である棋士は対局中食べるのでさらに脳を酷使していることが数字で確認できた。

そういえば体重減少は汗や尿や大便といった排泄物できまることを再確認されたい。トイレでどれだけ減少するかというと全体の減少の7割を占める。残り3割が汗である

まり2時間で0.4*2*0.3=0.24kgもの汗をかくわけw 寝ている間にコップ一杯の汗をかくと言われるがそんなの頭使ってれば2時間だよと言いたい。

君も実験検証してみるがよろしい。トイレ、食事といったファクターがそれぞれどれだけ体重に影響しているのか。

さらに、その根元をたどると、思考が多いほど体重減少が多いこともみえてくる。またどのタスクダイエット効果的かもよくわかる。

例えば数学の問題を解くのはあまり体重が減らない。計算を大量にするのはなかなかカロリーを使う。

人と話すのもかなりカロリーを使う。読書は頭を使おうとするか、頭を使うような内容かでカロリー消費に差がある。

そういったことが何故本に書かれていないのか?なぜ誰もがおかしおかしいと思いながら言えないでいるのか?

そこに私は日本社会根深い問題を感じざるをえない。

2013-05-30

まねして本の紹介 その2

http://anond.hatelabo.jp/20130529230131 の続きです。長くて途中で途切れるため分けました。このエントリで紹介するのは以下の本です。

名人に香車を引いた男、八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語記憶の切繪図, 弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖

影響を受けたブログは20冊の本を取り上げていた訳だが、自分で真似をしてまとめていく内に20冊よりもずいぶん多くなってしまった。なので、上記4冊は似たテーマなのでまとめて紹介することにする。この節は日本人自伝だ。

「名人に香車を引いた男」は昭和将棋指し(棋士)の升田幸三名人の自伝羽生善治さんがもし生きていたら是非将棋を指してみたい棋士の方だと聞いたことがある。

生き方はなんとも痛快。昔の人のバンカラな感じというか、そういう感じが良く出ている。この人のように、どんな人にも自分の本音を話せる人は今日本の中にいるだろうか。そして、名人になった時の一言が心に残る。

「八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語」は糸川英夫さんの自伝だ。この方はロケットが専門の研究者で、戦時中戦闘機設計に関わっていたり、戦後もロケット開発に関わっていたりする方だ。戦後間もない時期は失意に沈んだ時期で自殺も考えるほどの状況だったが、バイオリン製作きっかけで少しずつだが自分を取り戻していく。そのバイオリン製作には完成までに40年以上もかかった。そのバイオリンとは――。

升田幸三名人、糸川英夫さんの両氏とも戦争の影響が人生に大きくのしかかる。その点でまとめさせてもらった。それと、両氏の著作とも読んでもらえばわかるが、自由だ。それ以外はあまり共通項はないけれど、読んで楽しい本だ。重い話はないし、読みやすい本なので手に取ってみてほしい。

記憶の切繪図」は「フェルマーの最終定理」の中で登場する志村五郎博士自伝。「フェルマーの最終定理」の中でサイモン・シンさんは志村さんにいろいろインタビューしている。その中で数学における「良さ」とは何なのか、それに答えるシーンがある。その答えが簡潔なのだけれど、それ以上無いくらい志村さんの数学のとらえ方を表しているように思え、興味があって読んだ。

この方も上記二人に劣らないくらい自由だ。Amazonレビューには高木貞治さんを愚弄しているという指摘がある。しかし、だからといって謙遜して書いてもらっても一読者としてはおもしろくも何ともない。むしろそのまま出版してもらって良かった。

こう書くと志村博士はずいぶん口の悪い人で、ある種の暴露本に思えるかもしれないが、そうではなくて、要所要所に意図して書かないことがあったり、感情を押し殺した表現がちらちらあるのだ。それがあるから志村さんの人となりがわかった。良い自伝だ。

弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖」は少し前に東京都知事選立候補されたり、弁護士会の会長をされていた宇都宮健児さんの自伝だ。まだ自伝を出すには早いと思うので、半生を綴った本としておいた方がよいか

決して飾らないその人柄は文章にもそのまま表れている。豊田商事事件、オウム真理教の一連の事件、カード破産の話など、弁護士として関わった事件の数々。それらを振り返りながら、今されている仕事にも言及している。自分法律のことは全くわからないが、こんなに多様な類型、しかもその事件が発生した時点では立法のものが不整備だったり、法解釈が分かれていたりといった、未開拓の問題に対処するのは並大抵の法律家にはできないように思える。それをまるで飄々とこなしているような姿は、武道の達人のようだ。

気負いのなさと実直さ、そして執念を感じる本だ。宇都宮健児さんへのインタビューが下のURLにある。興味のある方は見てほしい。

からくり民主主義

この本は学生時代に講義で先生おすすめされていて読んだ本だ。著者は高橋秀実さん。

高橋秀実さんはルポライターで、自分の体験を元に本を書く方だ。ただ、ルポライターではあるけど、少しほかのルポライターと毛色が違う。本来ルポライターは事件や事故が起きたら素早く現場に赴き、当事者インタビューをして、それらを記事や本にする。高橋さんはそれらの事件や事故が起こって、ほとぼりが冷めたあたりでインタビューに出向く。時期がかなり遅いのだ。

元のブログでは物事には多様な見方解釈があって、一元的に判断することは危険なことを理解するための本として「バカの壁」を挙げていた。その点では、この本も内容は似ている。面白いのは、この本ではそれが「実例」でいくつも挙げてある所だ。

ニュース番組新聞では、大きく取り上げられていた事件・事故が、実際に現場に行ってみると「あれ?」と思えるくらい当事者たちは冷めていたり、むしろその状況が続くことを望んでいたり――。読み進めていくうちに、不謹慎かもしれないが笑ってしまうような話になっていったりするのだ。某映画台詞の反対で、むしろ事件は会議室しか起きていないんじゃないか?、という気持ちにもなる。

自分単行本ハードカバー)で読んだ。解説を村上春樹さんが書かれていた。(はずだ。確か)

堅苦しい話ではないので、気楽に読んで、何度かたまに読み返すとその度に不思議な気持ちになる本だ。

冬のデナリ

著者は西前四郎さん。半分が小説で半分がノンフィクションといった感じの本だ。

デナリというのはアラスカにある山の名前で、日本では「マッキンリー山」と言った方が通りがよいと思う。この山を登る登山家チームの話だ。ちなみに、植村直己さんはこの山で行方不明になった。(この本のチームとは無関係だろう)

厳寒期の冬山を登る人の気持ちは自分には想像もつかない。だけれども、そんな自分にも山を登るチームワークの大切さと難しさ、軽く見積もった事象が後にやっかいな出来事にふくらんでいくその状況判断の危うさや過酷さ、そして生きることへの執念といったもろもろが、響いてくるような本だ。

今の登山の装備と比べると、重かったりかさばったりしてその面でも大変だったはずだ。写真のページを見ると、そんなところも気にかかった。

この本も最後一言(だと思ったけど)が良い。

この本のあと、山登りの本は植村さんの本(「青春を山に賭けて」)も読んだけれど、こちらの方が山について全く知らない自分には印象に残った。所々で登山の道具の名前ハーケンとかザイルとか)が出てきて、イメージができない自分のような人は、出てきたところで、ググったり辞書で調べて簡単な絵を紙に描いておいて、再度出たときにその絵を眺めたりしながら読むとより読みやすいと思う。

パタゴニア―あるいは風とタンポポ物語

この本は椎名誠さんが著者だ。椎名誠さんは今はエッセイ世界各地を回った紀行文を書いたり、写真家であったりとマルチ作家だけれど、この本が出たのはそうなり始めてすこし経った頃だ。

冒頭から危機的な状況である。にもかかわらず出発するのだ。この判断は本当だとしたらすごいことだ。何が危機的なのかはここでは言わないけれど、読めばすぐわかる。

全体として、椎名さんが書く紀行文自分で感じたことをズバズバわかりやすく書いていく方法なのだが、この本はそこまでズバズバ書くと言うよりも、なんとなく「岳物語」につながるような、私小説風の書き方をしている。その書き方もあるし、パタゴニアという場所のせいもあるからか、行き止まりに向かって進んでいくようなやり場のの無さを感じる。それが途中ですっと消えて静かな感じで終わるのだ。自分はそこがとても好きだ。精神的な閉塞感がふと消えて、やさしさが残る本だ。

から春にかけて寝る前に少し読むのが似合う本だろう。この本は文庫版もあるけれど、ハードカバー装幀自分にはしっくりくる。

カヌー犬・ガクの生涯

カヌー犬・ガクというのは、前に挙げた椎名誠さんの飼っている犬の名前だ。その犬は手こぎボートの船頭に座って川下りをするのが得意という、ちょっと変わった特技を持つ。

その犬と椎名誠さんの友人の野田知佑さんが、日本世界の各地を巡ったときの話をまとめたのがこの本だ。著者は野田知佑さんご自身。

カナダユーコン川を下ったり、北極(か、南極か忘れてしまったけれど)に行ったり、といろんな所に行って危険な目に遭ったり……、南国に行ってのんびり過ごしたり。少し羨ましいけれど、いざ自分が行くとなるとそんなところはとても怖くていけないようなところに行く。

犬を人間と同じように扱うという著者なので、犬が好きな人はより楽しめるだろう。元のブログとの対応としては「深夜特急」にあたるかな?(やや無理矢理だけど)

ピアノ調律師

著者はM.B. ゴフスタインさん。翻訳は末盛千枝子さん。絵本だ。(やや字が多いけれど)

小さな女の子主人公。おじいさんがピアノの調律を仕事にしていて、おじいさんとしては女の子ピアニストになってもらいたいのだけれど、女の子はおじいさんのようにピアノの調律をしたくてたまらない。そんなときに、ピアノの調律を頼まれるのだ。

あらすじで書くとそんなに心惹かれる感じは無いかもしれないが、絵の良さ、そして言葉の良さ。二人を取り巻く登場人物の面々もすばらしい。

「謎のギャラリー」のところで言及した「私のノアの箱舟」も同じゴフスタインさんの絵本だ。こちらもすばらしい。ゴフスタインさんの本はほかにも何冊か読んだけれど、この本が一番絵本らしい絵本だと思う。絵の良さはいくら文章にしたところで伝わるものではないので、図書館で借りたりして手に取ってみてほしい。もちろんM.B. ゴフスタインさんのほかの本を読むのも楽しい

数学ワンダーランド

中学校で習う数学を、苦手な人も得意な人もできるかぎり楽しく考えていこう。それがこの本のテーマだ。中学生向けの数学月刊誌で連載していた読み物をまとめた本で、著者は小島寛之さん。はてなダイアリーを利用されている( http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/ さん)ようだ。

数学は、学習が進むにつれてどんどん(指数関数的に?)難しくなっていき、小学校中学校では好きだった人もだんだんと距離を置いて離れて行ってしまう……、そんな科目だ。なかなかずーっと数学が好きで好きで……、という方はいないのではないかと思う。おそらく数学プロの方(数学者のような)でも、そのキャリアのところどころで難問にぶち当たり、歯がゆい思いをするのだろう。(そういう話は前に挙げた「フェルマーの最終定理」にちらっと出てくる)

そんな風にだんだん一般人数学から身を引いていきがちになるわけだけれど、この本は、わりと数学算数を学び始めた頃に不思議に思えたことを延長して話をすすめようとしていく。こういう書き方はやろうと思ってもとても難しいはずだ。著者は数学が好きな気持ちと、一方で嫌いな気持ちの両方を持ち続けているような、そんな状態になるだろうから。嫌いな人の気持ちになって、そしてそのどこが嫌いなのかを共感した上で話を進めつつ、好きな人も読めるようにする配慮を怠らない。そんな書き方がされている。

この本が持つ数学へのアンビバレントな思いは、いわゆる数学(の歴史を中心とした)解説本でもなく、かといってとっても難しい数学ドリルみたいな本でもなく、わかりそうでわからない絶妙な問題の難しさと相まってなかなか類書がないと思う。くわえて、ところどころに経済学の話とかもでてきたりする。好きな人もそうでない人も読んでみてほしい。なんとなくわかりそうで手が出ないあの「数学の感じ」を思い出すはずだ。

同じ著者の「解法のスーパーテクニック」も良い本だ。ただ、一冊にしろと言われたら「数学ワンダーランド」かな。ほかにも小島寛之さんの著作はいくつかあるのだけれど、自分が読んだのはこの2冊だ。なのでほかにも良い本はあるだろう。

元のブログとの対応としては細野さんの数学の本としておく。(その本を読んでないのでどこが?といわれると、単に数学つながりなだけだ)

心地よく秘密めいたところ

この本は幻想小説というのだろうか。ファンタジーだ。著者はピーター・S・ビーグルさん。翻訳山崎淳さん。

この本はとても雰囲気がよい。あらすじはそんなにたいしたものは無いんだけど、夏の早朝のような爽快な感じがある一方で、なんか少しじめっとした感じもするのだ。

Amazonレビューがこの文章を書いている段階で4つある。で、そのどれもが作品の魅力を的確に紹介しているのだけれど、なんだかそれらのレビューだけではこの本の良さを伝えきれない感じが残る。言葉を連ねてもなかなか伝わらない感じがする本だ。

この本を自分は夏の終わりの頃に読んだのだが、その頃の陽気にとてもよく合う本だった。光の強さと日の入りの早さがこの本の主題に合ったものからだろうか。「リプレイ」が動くSF小説に対して、この「心地よく秘密めいたところ」は静かにじっとしている感じだ。でも、どちらを読んでも同じ思いに至るはず。不思議だけれど。

東チモール県知事日記

著者は伊勢崎賢治さん。この方は日本大学卒業されたあとにインド民衆グループリーダーをされて、その実績を買われ、国連の要請東ティモールに赴任する。(下のURLに伊勢崎賢治さんへのインタビューがあるので詳しいことを知りたい人は読んでみてほしい。)

こういう日本人って(自分不勉強なせいかもしれないが)あまりいないと思うのだ。杢尾雪絵さんくらいしか自分はほかに知らない。

ずいぶん前に読んだので細かい記述は忘れてしまったけれど、この本の良さは著者が見たこと、感じたこと、やったことが率直に書かれたところ。そして日本に住んでいる限り想像できない「危険」な東ティモールでも、危険な所もある一方で、そうでないところがあるといったような、現実の姿が伝わってくるところだ。

外見はなんかどこにでもいそうな感じのおじさん(もし本人や関係者がこの文を読んでいたら失礼で申し訳ない。すみません。)だ。だが、インフォーマルな組織における統率の方法や、戦争犯罪者をどのレベルまで処罰するのか、など、繊細な問題への対処。こういうのは前者は経営学とかで少し研究されているようだけれど、じゃあそれが実地で適用すれば問題は解決するのかというと、そうでも無いと思う。そういった「答えが見えない問題」へどうやって取り組むのか――。しかも異国の地で。

そういうことを知りたいときに読むとよいかもしれない。自分も詳細を忘れていることに気がついたのでもう一度読むことにする。それにしても久しぶりに上のインタビュー記事を読んだけれど、タフな人だ。

ニッポン貧乏旅行

著者は藤本研さん。この本は、藤本研さんがおよそ半年をかけて日本を歩いて一周をした旅行記。旅行記というよりも生活記録といった方が良いかもしれない。

生活記録なので、朝は何時に起きたとか、午前中はどうしていた、お昼は何を食べた、などなどそっけない記述が中心だ。でも、そのそっけなく感じる記述が妙なリアルさを出していて、読んでいると日本ってこんなに広いんだと思わせてくれる。それと歩いてたどり着いた各地の景勝地を見るとか、そういうことも無くて、そこもこの本の特徴だ。タイトルに「大貧乏」と付くのは、宿泊ほとんどを野宿やお寺の本堂の隅を借りたりして無料でまかなうことによる。食事もとても簡素ものだ。

本のはじめに藤本研さんの歩行ルート日本地図と一緒に図示されていて、その後にスケジュール表があって、それをみるのも楽しいたんたんと書いてある中の楽しさ、と言って伝わるだろうか。

たまにアクシデントに見舞われるのだが、そのアクシデントがなんとなくユーモアがあるというか、おだやかな感じだ。日本一周するからと言って、気張らず、藤本研さんはたんたんと歩いて行く。歩いている途中で同士がいたりする。そういう記述もなんだか一緒に日本一周しているような気持ちにさせてくれる要因だろうか。

自分は今まで挙げた本はだいたいは図書館で借りて読んでいる。この本もそうだ。再度読みたいのだが、図書館で借りようとしたらいつの間にか消えてしまっていた。残念だ。




(まだつづく、かも。)

2013-05-29

まねして本の紹介 その1

http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。

この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。

これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます

このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

火車

宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。

とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。

読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazon書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。

フェルマーの最終定理

1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。

著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。

数学テーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。

海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。

自分は単行本ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者あとがきなどがついているかもしれない。

一九八四年

ジョージ・オーウェルが書いた小説ユートピア物質的・精神的に豊かになる、健康長生きできるといったような人間社会幸せで良い方向に向かう社会小説の反対、ディストピアを描いた小説

ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。

村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません

この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。

火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。

将棋の子

大崎善生さんの小説純粋小説というよりも何割かはノンフィクションかな。

自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋プロ養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。

この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。

冗談でしょう、ファインマンさん

ファインマンというアメリカ物理学者自伝エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。

エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者からこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。

全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモ時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。

最後の「カーゴ・カルトサイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。

プー横丁にたった家

プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。

この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話ジャンルでは高名な)石井桃子さん。

プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。

ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクター人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。

ビッグバン宇宙論

サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療トリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)

大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。

そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉ほとんどの人が知っていて、宇宙は一つのから始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。

宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。

読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。

モンテ・クリスト伯

今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯おもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。

復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。

少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯純粋復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯超人的な活躍が楽しい

自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。

(科学系の)研究者世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。

Amazonレビューを見たら、「自分には残酷小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生名言は、本家よりもむしろ心に残る。

自分の中では「将棋の子」と双璧をなす青春小説だ。

謎のギャラリー

北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。

編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。

その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。

自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。

伝記世界を変えた人々 (いろんな人の伝記 図版が多く読みやすい)

海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。

全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。

星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せ境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。

最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。

自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。

リプレイ

SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。

SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。

この小説が書かれた時代1988年なので、やや風俗文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。

まりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。

自由への長い道

この本は近年読んだ中で最も良かった。

自由への長い道は南アフリカ共和国アパルトヘイト人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。

アパルトヘイトという言葉とその意味何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。

いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。

仲間の反乱分子スパイへの対処国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法アパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。

この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい

この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)

ほかにも映画インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連広報映像日本語訳付き)もリンクしておく。


つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

2013-05-18

女は決して男性には勝てない

2chで見た男尊女卑コピペがなかなか痛快だったのでまとめておく

力だけでなく頭脳でも男性の方が優れていた編


男性発明した車や電気によって、力仕事が減った事により、

女が男性能力的に同じになったと勘違いして、男女平等などと権利を主張し始めたが、

結局、ガソリン電気、ITの時代になっても、男性の優位性は相変わらず変わっていない。

なぜなら、力だけでなく、頭脳でも男性の方が優れていたかである

筋力でも劣り頭脳でも劣る。女は決して男性には勝てないのだ。

マスコミが幾ら持ち上げようが、この先も女の時代は決して来ない。


くその通りだと思う。知力でも体力でも男の方が優れていることに今更異論はないだろう。

女子サッカー中学生男子チームに負けるし、女流棋士は何年経っても男性棋士には太刀打ちできないし、腕の良いコックは全て男だ。

女子サッカーサッカーの素人には勝てるとか、女流棋士アマ男性棋士には勝てるとか、お母さんの料理はお父さんの料理より上手だとか

そういうことをもってして、女性男性匹敵しているよという話にはならない。

比べる対象がプロ同士でないと公平ではない。

女の発明した物って?


お次はこちら

★ 女に生まれた劣等脳の諸君! 何でもいいから、せめて一個くらい発明できるようにがんばりたまえ(プッ ♪ ★★

男女間の脳の性能の差が歴然としています。女の脳では文明社会は築けません。


全て男性発明です。↓

自動車飛行機ロケット・船・鉄道オートバイコンピュータ・複写機・カメラテレビラジオ・映写機・冷蔵庫洗濯機レントゲン

無線機三権分立免疫療法・ワクチン療法・憲法法の支配株式会社先物市場金融システムレーザー技術赤外線技術光ファイバー

燃料電池石油精製技術アルミ精錬技術化学繊維人工衛星羅針盤ロボットトランジスター・IC電話機・顕微鏡望遠鏡印刷機・拡声器

レコードCDDVD時計・発電システム送電システム信号システム・通信システム複式簿記リニアモーター・ホーバクラフト・MRICTスキャン超音波診断装置

etc...

キャハハハハハハハハハ ♪♪★

女が発明した文明の利器があったら教えてくり(プッ


屁をこかれた。全くその通りだと思う。近代文明が男によって築かれてきた事に異論のある人はないだろう。

男が発明した物を一切使わずに生きようとしたら我々の生活破綻する。

女性発明したものって最近だとなにがあるだろう。

洗濯ゴミ取りネットは女の発明ときいたことがある。

使わなくてもなんとかなりそう。

女の脳みそ

お次はこちら

● 女に生まれてしまった劣等脳の諸君! まあ、しっかりがんばりたまえ(プッ

ニューロン数→男性が女より40億個も多い

②右左脳機能分化男性の方がより特化発達している(複脳)

前頭葉胎児から男性がより高い発達を見せる

④間脳視床下部男性が女の数倍も大きい

大脳男性の方が15%容積が大きい

ドーパミン(神経伝達物質)→男性が女よりも多く分泌される

IQ男性が女よりも平均5ポイントも高い

  (10ポイント差でお互いの会話は噛み合わず20ポイント差で会話は不可能となる)

⑧成長具合→女は15歳で知能指数の発達が止まる


また屁をこかれた。

ソースがないのでわからないし、脳がでかいから賢いという話ではないだろうけれども、まあおおむねその通りじゃないかと思う。

既婚女性に袋だたきに

一般論の話をしているので、例外を挙げて優秀な女もいるよという反論は受け付けません。

この話を、生活板の既婚女性スレで繰り広げたら、

人間的に歪んでいるだとか、それをお前の母ちゃんの前でいってみな、だとかいわれて袋叩きにされた。

男尊女卑論者の人間性を否定できても、論理を否定できないところに女の限界を感じた土曜の夕刻であった。

2013-05-04

先見性を養う

世の中には計画倒れを繰り返している人と計画が頻繁にうまくいっている人がいる。その違いは何なのか?

とかく人間は上の人任せにする傾向があり、自分自身の計画は他人が敷いたレールを歩いて行けば良いと思いがちだ。

しかし、自分が人を導く立場になったときそれでいいのか?ならないとしても、自分自身を自分の思い描くとおりにコントロールしたいという欲望はないのか?

将棋というのはゲーム理論では二人零和有限確定完全情報ゲームに位置づけられる。

棋士過去経験に裏付けられた感覚将棋を指す。最初にひらめいた手、次に候補となる手などいろんな手を読み、それぞれの手がもたらす未来の局面や形勢を評価する。

これが1つの先見性のモデルと言ってよい。

経験に裏付けられた感覚なんてあまり主観的なんじゃないかと思うかもしれない。しかしこんな例もある。

手書き文字の認識。なぜこの字は「あ」なのか?論理的に説明できるだろうか?画像認識の分野では手書き文字を認識するプログラムが開発されている。

3DS漢字ソフトをやったことある人なら分かるだろうが、漢字すらかなりの精度で読み取ることが可能だ。しかし、そのアルゴリズム機械学習に基づくものであって、

「なぜ」を明快に説明するものではない。つまり、「あ」という手書き文字が「あ」である理由は未だに誰にも分からないし、おそらく明快な説明など不可能なのだ

まり、ヒトは何故か「あ」が「あ」だと分かる。その力をパターン認識と言う。コンピューターにもパターン認識は可能であるが、ヒトのほうが優れたタスクは数多い。

例えば、人の顔がなぜその人であると分かるのか?なぜ表情やしぐさから気持ちが読み取れるのか?それらはヒトの卓越したパターン認識によるシロモノだ。

先見性もパターン認識によって支えられている。

将棋ではまず直感でいくつかの有望そうな手が浮かぶのだった。それと同様で、ありえそうな未来をいくつか想像する。

そしてそれらを詳しく読んでいく。すなわち、それぞれの未来を具体的にどのようであるかを論理的に導き、それぞれの未来になる確率を評価する。

例えば、君が10年後までに肺気腫で苦しむ確率はいくらなのか?

日本人はそういったことを考えるのが大の苦手である日本人特有のことなかれ主義は、1つには言霊信仰言葉にすると本当にそうなってしまうという信仰)、もう1つには和を重んじる風潮から来ている。

からこそ、そういう発想を持ち込んで、こんな未来になるよりこっちの未来のほうがいいでしょと力強く発言できる人間は頼もしいのだ。

それはそうと、未来確率なんてどうやって計算するのか?医学世界では死亡率や手術の成功率といったデータがあるが、そんなデータのない所でどうやって確率を評価するのか?

それが直感である。はっきりしたことは分からないけど分からないなりに出来る限り判断しようとする。

将棋の局面や形勢の判断も同じ。普段から判断しようとしているから、だんだんとその精度があがっていく。

しかプロ棋士どうしでも形勢判断の見解はさまざまであるが、それでも素人よりはずっと正確に判断できるのである

よりたしかパターン認識が成立するには2つのもの必要で、1つ目が今言った常日頃からこれはどういうパターンなのかと判断しようとすること、そしてもう1つが答え合わせをすること。

先見性に関しては、意識さえしていれば簡単に答え合わせが可能なところが素晴らしい。

例えば、明日は晴れと予測したとする。ほんとに晴れかどうかは、明日になれば分かることだ。必要なのは明日になっても予測したことを覚えていることだけ。

このように先見というのは、先見したことをその時まで覚えていれば、その時になれば答え合わせができる。

しかし1年後や10年後の未来となると答え合わせまで長い年月を待つ必要がある。そういうのは歴史過去データからも学んだほうが効率的である

歴史は繰り返すという言葉があるが、『ローマ帝国衰亡史』を読めば古代ローマと今で何も変わるところがなく、われわれ人類は同じことを繰り返しているのだと言っても過言ではないことがよくわかる。

激動の時代とよく言われるが、昔と共通する点も多いことに気付けば、そこから細部の予測へと推論を進めることもできる。

そういう意味では経営者政治家といったリーダーにとって歴史学必須科目だ。高い視点から未来予測できない人間リーダーは務まらない。

歴史書を読み解くときも、頻繁な予測は欠かしてはならない。こまめなパターン判断とこまめな答え合わせこそが、パターン認識力=ものごとの判断力を高める唯一の方法である

ちなみに小説漫画ならば、予測をしながら読み進める人は多いだろう。しかし、リアル世界となると予測をしない人が多い。

フィクション現実のパーツを切り取って再構成したものであるから現実のパーツを学ぶのには一定有効性があるけれども、パーツの繋がりから現実を学ぶことはできない。

作品の構成上そのようなストーリーになっているのであって、現実小説漫画のような展開が起きることは少ない。現実予測力を高めるには小説漫画ではダメなのだ現実に対して予測しないと。

株式投資にしても前兆に敏感な人とそうでない人がいる。業界に新たな局面が訪れる前ぶれ、世界が動き出す兆候、そういったものに敏感であらねばならない。

そのためには当然ながら鋭い観察力が不可欠である自分の欲やメディア情報に振り回される人間には鋭い観察はできない。些事に流されるような人間は、フラット視点に立つことができない。濁った目なのだ

濁った目のまま予測を重ねても予測力は身につかない。例えば、「ソース2ch」な人間はそのままでは結局2ch情報からしか予測を立てる力がつかない。

現実のさまざまな一次情報から予測する力はつかない上に、そもそも2ch情報から予測なんてムリな話である。つまり、観察力の低いままでは予測力なんてまるでつかない。このことはしっかり押さえておきたい。

観察力に関連して要約力や記憶力も重要である。観察したものを要約して整理しないとしかるべき時に情報を取り出せない。また、記憶力がなくても必要情報を取り出せなくなってしまう。

情報を取り出せないと比較したり総合したりして結論を導くことはできまい。

記憶力については、超人的な記憶力は不要だが、普段から覚えようとすること思い出そうとすることは不可欠である。記銘と想起ともいう。

はいえ、常日頃から先見しようとしていれば、記銘と想起は日々フルに酷使され鍛えられるからさほど心配は要らない。私は世の中の一部の人々のすごい記憶力の大半が先見の習慣によって身についたものだと思っているほどだ。

最後に、世の中の人特に日本人)の圧倒的大多数は高い視点から人生や世の中を見る時間ほとんど持たない。また、見たとしたもそれを答え合わせしようという意識がない。

からこそ、先見性は意識の持ち方1つで簡単に他人に差がつけられる部分なのである

2013-05-01

もしも、あの会社将棋ソフトゲームを作ったら

google

最初は物凄く弱いけど、機械学習クロールによりあちこちから棋譜と定跡を吸収。あっという間にプロを超える棋力になるも、棋譜著作権めぐり将棋連盟と訴訟合戦に。

マイクロソフト

普通に強いけど操作性が悪くバージョンアップのたびに悪くなっていく。更にある局面になるとセキュリィティホールが開き個人情報流出する。

Apple

あなた将棋ライフのすべてが新しくなります、そうiShogiならね」とぶち上げるも、意外と普通の棋力。

Facebook

棋風や棋力からもしかして◯◯はあなた友達ではないですか?」と対戦相手を薦めてくる。

ソフトバンク

月額課金サービスだが自動更新の上に退会できずに社会問題化。消費者庁に注意勧告を受ける。

DeNA

戦法や棋士トレーディングカードが勝つたびに貰えるオンラインゲームを開発するも、一部のレアカードは高い課金をしないと手に入らないため社会問題化。更にゲーム自体が他社のパクリ将棋ウ○ーズ)のため訴訟合戦に。

はてな

非常に貧弱な棋力な上にCPUが行き場のない駒を打つ、王手放置など致命的なバグを抱えているにもかかわらず自信満々に有料サービスとしてローンチして炎上バグのたびに犬が現れる。バグ報告や機能改善などの要望がたくさん上がるも、それを無視して駒や盤のデザインを変えるなどして更に炎上

楽天

非常に貧弱な棋力な上に対局中にやたら広告が出る、おまけに対局しようとするとなぜか玉一枚しか無いという致命的なバグを抱えているにもかかわらず有料サービスとしてローンチして炎上。低い評価のレビューを消した上に社長が「文句を言っているのは一部の利用者だけ」と発言し更に炎上

DMM

勝つごとに美少女が脱いでいく脱衣将棋最初は弱く簡単に脱ぐが、最後の一枚になると突然強くなりなかなか脱げなくなる。対局ごとに課金のため、気がついたら相当の金額をつぎ込むことに。

LINE

将棋対戦ソフトのはずが何故かチャットや音声通話のほうがメインに。売春美人局巣窟になる。

2013-04-19

電王戦最終局は明日

ということで、これまでの4局を振り返ってみた。

第1局 3月23日(土) 阿部光瑠 四段VS習甦

阿部光瑠(こーる)は訛りがかわいらしい18歳。プロ棋士チームでは三浦、船江に次ぐ三番手の実力の持ち主で、船江に次いで勝つ可能性が高いと目されていたが(三浦は相手が強いので……)、それでも率直に言って彼が勝つと本気で予想していた将棋ファンは多くはないだろう。

まりプロ棋士チームは5連敗か、よくて1勝4敗だろうと思われていた。そのくらいの圧倒的な実力を、コンピュータインターネット上の対局サイト将棋倶楽部24などにおいて見せつけていたのだ。

そんな下馬評を、こーるはこれ以上ないくらい鮮やかに覆した。習甦の桂跳ねからの無理攻めを誘い、圧勝

局後のインタビューによれば、こーるは提供された習甦での事前の練習将棋をかなり入念に行っており、今回の将棋も練習で発見したコンピュータの穴のようなものを突いた、という側面もあったようだ。そのため、純粋な実力でなくバグを利用しただけ、という評価もないわけではない。

しかしともあれ、(少なくとも団体戦としては)勝敗は見えていると考えていた将棋ファンの横っ面を思いっきりひっぱたくような衝撃的な圧勝であり、これによって一気に電王戦が盛り上がったことは間違いがないだろう。

第2局 3月30日(土) 佐藤慎一 四段VSPonanza

第1局の圧勝で、軽薄なる我々将棋ファンはあっさり手のひらを返し、意外とコンピュータはたいしたことないのではないか、という空気も生まれつつあった。

電王戦開幕前にはほとんど勝ち目がないだろうと考えられていた佐藤慎一(サトシン)だが、対局当日には案外あっさりサトシンが勝つのではないか、という声もそれなりにあったように記憶している。ここで実際サトシンがあっさり勝ってしまえば、それはそれで電王戦は盛り上がりに欠けるものとなっていただろう。

しかponanzaは、忘れっぽい将棋ファンにコンピュータの強さをしっかりと再認識させてくれた。少々拙い序盤ながら決して形勢に大きな差をつけられることなく追走してゆき、圧倒的な終盤力できっちり差し勝つ。ponanza将棋は、我々が見てきた「強いコンピュータ」の将棋のものであった。

この対局で、現役プロ棋士コンピュータに初の黒星を喫することとなった。歴史的な一敗。そして序盤の拙さも含めあらゆる意味コンピュータらしいponanza将棋は、この一敗をもたらすに相応しいものであった。

第3局 4月6日(土) 船江恒平 五段VSツツカナ

1勝1敗で迎えた第3局。既に述べたとおり船江恒平は三浦に次ぐ実力者で、人間コンピュータ双方ともに力を尽くした戦いとなることが期待されていたが、はたして本局はそうした期待にたがわぬ名局となった。

上位棋士の実力を発揮して優位を築く船江。傍目にはかなりの大差と見えたのだが、68手目△2二金打がコンピュータ面目躍如たる一手だった。

受け100パーセント

将棋では、こうした反撃の味を含まない手を指すようでは基本形勢が悪いとしたものであり、実際厳密には船江の方が良いのかもしれない。だが(プロ棋士も含む)観戦者の多くが楽観していたほどの大差でなかったことは明らかであり、人間盲点を突く74手目△5五香以下ツツカナが逆転した点をとってみても、コンピュータの読みの確かさが改めて裏づけられた形である

さらにこの後、いわゆる水平線効果コンピュータは特定の手数で読みを打ち切るため、打ち切り後に好手がある場合にそれを考慮に入れられず悪手を指してしまう現象)でツツカナは敗勢に陥るものの、粘り強い指し手を続けて再逆転を果たす。

コンピュータのこれでもかという程の中終盤の強さと、それに追随できるだけの船江の高い実力があってはじめて実現した、まさに名局であった。

第4局 4月13日(土) 塚田泰明 九段VSPuella α

第2局・第3局とコンピュータが連勝したことで、将棋ファンの空気は再び「コンピュータ強し」へと変わっていった(まったく調子のいいものである)。そしてその強いコンピュータに対し塚田では勝てないだろう、との見方大勢を占めていた。

対局はそんな大方の予想どおりに推移した。Puella αが攻めをうまくつなげ、塚田は74手目△1五と以下入玉をめざすもののその代償として飛車角を失う。相入玉となった場合(Puella αが入玉できることは確実な情勢であった)大駒(飛車角)各5点、小駒(それ以外)各1点として24点に達しないと負けとなるが、10点分の大駒を失った塚田が24点に達することは絶望的であり、つまり将棋としてはこのあたりで終わったと言ってよい。

ところが塚田はその「終わった」ところから約150手も指し続け、なんと最終的には引き分けに持ち込んでしまうのである。これは入玉将棋に十分対応できないコンピュータの自滅によるものであり、この約150手はバグ探しのような将棋とは別のゲームであったと評さざるを得ないだろう。

将棋としては大変微妙な部分もあったのだが、なんとしても大将につなげたいという塚田の執念が胸を打ち、特に将棋になじみのない一般人を中心に大きな話題となった一戦であった。



こうして見ると、どの対局も盤上にせよ盤外にせよ何らかの見所があってなかなか面白かったな。

で、数々のドラマを生み出してきた電王戦も、いよいよ最終第5局。

第5局 4月20日(土) 三浦弘行 八段VSGPS将棋

A級棋士三浦弘行が勝って人間の意地を見せるのか、GPS将棋が勝って新時代の到来を宣言するのか。

注目の一戦は明日午前9時30分スタート

2013-04-05

結論ありきでしか思考できない馬鹿ども

最近ようやく仮説思考が新常識として浸透してきた感があるが、お前らちょっと待ってほしい。

仮説思考を結論ありきで思考することと混同してないか

本来仮説思考とは、確からしいと推測される仮説を「複数」立てて、それぞれの仮説を検証した上で、最も妥当な仮説を決定するというプロセスのはずであって。

最初から1つの仮説しか念頭にないのでは単なる決めつけと同じ。馬鹿丸出しもいいとこである

経営コンサルでありビジネスにおける意志決定の開拓者の一人でもある飯久保廣嗣さんは「複数思考」ということをしきりに言っている。

シンプルイズベストは真理だが、複数思考を経ないシンプル思考はただの思い込み。馬鹿丸出しということである

最近ではラテラルシンキングということも言われる。水平思考

君はGoogle面接で「ロジカルシンキングだけでは何が駄目なのか?」と問われたら何と答えるかね?

模範解答は「ロジカルシンキングでは仮説を立てることができません。ですから先入観で立てた仮説に縛られてしまます。」である

厳密には統計分析を駆使すればロジカルシンキングで仮説を立てることは出来なくもない。

だが基本的には仮説を立てるのは科学者の「感性である

将棋棋士感覚でまず仮説を立てる。味の良さげな筋をいくつか「第一感」で捉えて、それを「読み」と言って詳しく調べていくのだ。

複数思考には感性は欠かせない。

感性もその人の偏見だろ!思い込みと一緒じゃないか!と怒り狂う奴がいそうだが、少し違うのだよ。

思い込みは本人の願望。そうであってほしいという欲があるから、決めつけが発生してしまう。これでは複数思考じゃなく単一思考にしかならない。

感性というのは願望だけでは決まらない広がりのある世界。だから複数思考が可能になる。

ラテラルシンキングを育てるのに、「ウミガメのスープ」というゲームがあるが、俺はこのやり方には断固反対だ。

確かにいろんな可能性を考える力が育つ。だけど実践的ではない。なぜなら人間の仮説立案には、先ほども述べたように願望に強く引きずられる性質があるから

社会心理学における帰属のことを思い出してもらえると、このことがよく分かるだろう。

ウミガメのスープフィクションお話なので自分に直接利害のない話ばかりであり、願望に引きずられずに仮説立案する力が育たないのだ!!

結局のところ、ウミガメのスープは頭のよい人達現実人生で行っている思考プロセスを誰でも再現できるように生ぬるくしたものに過ぎない。

いまめまぐるしいネット社会なので不特定多数と短文でコミュニケートするのが常識になっている。リアル社会においてもその傾向は少しずつ加速している。

そんな時代においてシンプル思考が重んじられるのは当然のなりゆきであるが、

複数思考がないがしろになってシンプル思考だったはずのものが単なる決めつけに堕してしまてゐるのもまた事実である

シンプルな主張は、それをバックアップする論理構造事実確認、それから事実を幅広く見渡す視野があって初めて価値がある。

結論ありきの単一思考しか出来ない馬鹿は、そうした思考過程を丸ごとすっ飛ばして主張するから始末におえない。

複数の仮説を比較するという発想がまるまる欠けている。

彼らがもし対立する仮説を提示された時には、公平に比較する代わりに、相手が間違っていると最初から決めてかかって難癖をつける。あしらう。

確かに、短文コミュニケーションが主体の現在ネット社会では、それがスマートなやり方と言える。

しかし、人生全体を考えた場合には、バカもバカ、大バカである

ネットのノリで結論ありきで排他的に何もかも丸め込むようなやり方でしか思考できなくなったらもう重症2chねらー

残念ながらここ数年、リアル人間を見ていてそういう2chねらーが急速に増えてきた。

向こう数年、人類が正常な進化を遂げるには、正しい仮説思考の普及が危急される。

賢い人はどうしてるか?賢い人は、ネットでは結論ありきの態度でいるが、それは演技であって頭の中ではちゃんと思考しているのだ。

それが可能なのは、賢く現実問題を解決できる分、色んなことを考える余裕があるからなんだよ。

バカどもはとにかく余裕がない。余裕がないから短絡思考が当たり前になる。

結局さ、頭のスペックは変えようがないんだから、悩む必要のないことを沢山悩んでることに気付くしかないんだよ。

2013-03-29

電王戦第2局 佐藤慎一四段とPonanzaの対局によせて

基本情報

将棋棋士過去の対局によったイロレーティングによるランキングが有志の手で公開されている。

2012年度 棋士ランキング(http://homepage3.nifty.com/kishi/ranking2.html)。

大雑把に抜粋して以下のような感じ(2013/03/29時点、太字が第2回電王戦出場棋士)。現役プロ棋士はこの時点で総数163名。

順位名前レート今年度増減
1渡辺明竜王棋王王将197573
2羽生善治棋聖王位王座196529
12三浦弘行八段175110
32船江恒平五段16599
43阿部光瑠四段162315
79遠山雄亮五段*11543-84
95佐藤慎一四段*21511-10
100塚田泰明九段14961
105.5奨励会員*31478-41
125.5アマチュア*4142635

私の事前の予想では三浦八段、船江五段、阿部光瑠四段はおそらく安牌、佐藤慎一四段が勝てるか怪しい、塚田泰明九段は負ける、といったところだった。GPSの賞金イベントからコンピュータ将棋プロ上位クラスに及ぶとは到底思えず、しかし(短い持ち時間ではあるが)清水アマ*5には完勝している、というところからプロ中位以下にはソフトも善戦すると見積もったのだ。

そんなわけで明日佐藤慎一四段対Ponanza戦は、現役プロソフトに負ける可能性が高い重要な対局になるわけである、と思われた、のだが。

第1局(阿部光瑠四段 対 習甦)のおさら

事前にソフト提供を受けた阿部光瑠四段は習甦を見事丸裸にして*6、本番でも研究手順に誘導し研究通りに圧勝した。

くわしくは日刊SPAレポートとかを見てくださいと。

プロ棋士が解説「第2回将棋電王戦」初戦で人間が勝てた理由(http://nikkan-spa.jp/409911)

第2局(佐藤慎一四段 対 Ponanza)の展望

研究されればプロ圧勝というのはほぼ確定の模様。現状のソフトは様々な戦形において地雷のように弱点となる筋が埋まっているようだが、しか機械学習による評価関数パラメータ構築では個別局面における弱点を潰すことは難しい。古くなった定跡をそうと知らずに学習してしまうという問題もあるらしい。

Ponanzaはプロ側へのソフト提供を断っている。研究されることの圧倒的な不利を回避したわけだ。

しかソフト側の別の不安要素も明らかになった。

第1局のニコ生では参考用として、局面毎のボンクラーズ*7による評価値が表示されたのである

このボンクラーズの形勢判断、習甦の(プロが一目で無謀と判断した)仕掛け以降、ニコ生解説者阿久津主税七段のそれとことごとく食い違った。一時は習甦大優勢とも言える+400点をつけながら、習甦の攻めが切れるに至って頭を垂れ手のひらを返したのだ。

阿部光瑠四段は習甦の研究を重ねることで、実質的ボンクラーズ改めPuella αにも勝利した、といえる。

そしてPonanzaと(PonanzaはもはやBonanzaチルドレンではなかったです。追記有り)Puella αはともに先駆的将棋ソフトBonanzaの発展形(Bonanzaチルドレン)、、、

ソフト思ったより強くない。てか佐藤慎一四段圧勝じゃね?

おわりに

阿部光瑠四段が習甦に圧勝し、同時にPuella αが株を下げまくったおかげで、第2回電王戦趨勢が見えてしまった感がある。明日の第2局で佐藤慎一四段がPonanzaに勝利すれば、おそらく第4局で塚田泰明九段もPuella αに勝つだろう。第3局の船江五段は勝つんじゃないかな多分。三浦八段はさすがに格が違う。

はいえ。

最強棋士羽生三冠の通算勝率は0.7236、これから最強棋士渡辺明三冠は0.6877(いずれも2013/03/28時点)。

プロプロレベルの相手に5局指せば、一発二発くらいは食らうものではある*8。


追記

Ponanzaは2012年からBonanzaライブラリは使っていないようです。

第21回世界コンピュータ将棋選手権 参加チーム

http://www.computer-shogi.org/wcsc21/team.html

第22回世界コンピュータ将棋選手権 参加チーム

http://www.computer-shogi.org/wcsc22/team.html

これは熱戦が期待できる、かもしれない。

追記おわり


*1 将棋倶楽部24レーティング3000になかなか届かないらしい、最近2800台に落ちたともfrom将棋連盟ライブコラム

*2 著名なカツラ棋士佐藤紳哉六段、どちらもサトシン。

*3 ここでの奨励会員は三段リーグ参加者プロとの公式戦対局数が少ないため一緒くたに扱っている、順位が小数なのは引用元では順位が空欄のため。

*4 アマチュア奨励会員と同様、一緒くたに扱っている、順位が小数なのは引用元では順位が空欄のため。

*5 断トツに最強のアマチュア棋士、実力はプロレベルって渡辺明三冠ブログに書いてた。

*6 阿部光瑠四段が事前に習甦とみっちり練習対局してきた(できた)ことは、個人的にはどうかなと思う。言ってみればタイトル戦の相手とスパーリングしておいて、相手側の記憶だけ消去するような行為で、圧勝もさもありなんとなる。ソフトプロ棋譜食べて強くなってるわけだから問題ないって意見もあるが、棋譜と実戦は違うでしょ。今後のプロソフト戦ではソフト本体の提供は無し、代わりに本番に近いバージョンでの棋譜を戦形ごとに何枚か公開、とかがいいと思う。

*7 このボンクラーズは先の日刊SPAレポート(http://nikkan-spa.jp/409912)によると第4局のソフト側「Puella α」の最新版とほぼ同じバージョンであるらしい(Puella αはボンクラーズの改称名)。

*8 羽生渡辺は相手もほとんどトッププロでこの勝率云々

2013-03-13

羽生は負け演技をしたのではないよ

ちなみに僕の棋力は、ボナンザの中級に勝ったり負けたりする程度のヘボですので深いことは全くわかりません。

詳しい人は突っ込みよろしく。

http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51769973.html

http://b.hatena.ne.jp/entry?mode=more&url=http%3A%2F%2Fblog.livedoor.jp%2Fgoldennews%2Farchives%2F51769973.html

このまとめブログブコメを読んで。

スレを立てた人は多分冗談で立てたんだと思う。

放送見てたら羽生の表情が演技だとは思わないはずなので、あれは言わばキャプチャ芸というやつだ。

それがまとめブログに載って拡散していくうちに、本気で「羽生さんが負けそうな演技をして相手を油断させたんだ」と思う人が出てくる。

ブコメを見てもチラホラと。

別にまとめブログtwitter面白おかしく脚色されて広まることはよくあることだし、一概に悪いことだとは言えない。

確かに、「羽生さんが明らかに負けそうな表情をしたけど最後は結局勝ちました」というネタはそれなりに面白い

から、そういう冗談面白がって消費することは別にいい。

いいんだけど。この将棋は、ネタとして消費するにはあまりに惜しいくらい凄かった。

それこそ、「羽生さんが明らかに負けそうな表情をしたけど最後は結局勝ちました」なんていうネタの数十倍面白かった。

から単なる羽生コピペ的なネタひとつとして消費してしまうのはもったいないと思う。

なのでちょっと解説したい。

この将棋はどういうものだったのか

NHKでは日曜日の昼の時間将棋の対局を放送しているんだけどこれは4月まりで、一年間掛けて50名が争うトーナメント戦になっている。

上のまとめブログ羽生が負け演技をした、とされる対局は先の日曜日に行われた準決勝のようすだ。

まり一年近くをかけてトップ棋士50名がベスト4まで絞られた状態である

残っているのはどいつもこいつも化け物級の強豪ばかり。

羽生の対戦相手は郷田真隆棋王羽生と同世代ライバルの一人である

タイトルホルダーでA級棋士第一人者中の第一人者であり、間違いなく将棋界のトップに立つ一人である

その棋風は「格調高い」と形容され、プロ棋士たちも郷田棋譜をお手本にするほどだ。

柔和で端正な顔で、女性のファンも多い。

対局で何が起こったか

対局は、終始先手の郷田ペースで進む。

終盤、持ち時間を使い切った所で、郷田が5三桂成と羽生の王を詰ましにかかる。

勝負に出た手だ。

結果から見ればコレが悪手となった、ようだ。

優勢な郷田が焦らず、慎重に打っていけば勝てたはずだったというのが解説の先崎八段の見解である

しかしこれもあくまで結果論だ。

相手が羽生でなかったら、郷田がそのまま押し切っていた可能性もある。

このタイミングで仕掛けなければ結局郷田が負けていた可能性もある。

勝負をかけて踏み込むか、とどまるかといった駆け引きは対局者達にしかからない深い領域の読み合いの結果だ。

郷田の手が悪手というのも結局羽生が勝ったという結果が出た後だから言えることなのかもしれない。

ともかく、羽生は踏み込んできた郷田の勝負手をギリギリのまさに紙一重のところで躱した。

そして羽生に手番が回ってきた。この瞬間を逃せば勝機はない。

詰ませなければ羽生の負けは確定だ。

持ち時間は使いきり、考える時間は一手につき30秒未満しかない。

まとめブログ羽生苦悶の表情はこのタイミングの時の表情である

終始劣勢な中で唯一にして最後にして最大の勝機が見えた瞬間。

ここを逃せば敗北は確定である

はたして詰むや詰まざるや。

羽生が、5八龍から連続王手をかけ詰ましにかかる。

その時の動画がコレだ。

http://www.youtube.com/watch?v=swkQmaiBsSw

解説の先崎八段のコメント文字起こししてみた。

ちなみに先崎八段は3月のライオンの監修をしていたりもする。これまた将棋界の第一人者である

解説「ほー、銀から……ですか? 銀から……?」

聞き手「でもいまちょっと慌てた感じでしたが」

解説「そうですね……。(絶句)なるほど!最後7二に桂が打てると言ってるんだ。いやーこれは……凄いことが起きましたね。いやこれは気が付かなかった。天才ですねさすが」

聞き手「なるほど……。すごい……」

解説「いや天才です。いやー羽生さんは昔から天才だとは知ってたんですけどね。なるほど天才の詰みですコレは。(中略)いや天才ですね。いやもう」

聞き手「この短時間で。なんか鳥肌立っちゃいますね」

解説「すばらしいですねこの詰みを発見したのは。信じられません。よく発見しましたね」


プロ棋士の度肝をも抜く大逆転勝利である

流石の郷田も、青ざめて、頭を覆ってしまうほう。

冒頭にも書いたが、僕は3手くらい先しか読めないヘボ棋力である

そんな僕ですらゾワゾワと鳥肌が立って、変な笑いがこみ上げてくるほど、この終盤の手は神がかり的だった。

解説の先崎八段も、聞き手の矢内女流四段もプロ棋士だ。

先崎八段は天才集団プロ棋士の中で、そのトップクラスにいる、言わば天才中の天才である

その天才中の天才が全く気が付かなかった一手である

プロ棋士をここまで、動揺させ、驚かせる。羽生の指したのはそんな手だった。

それに至る道筋を考えていた時の、我々常人には及びもつかない深い読みに入っていた表情が例のまとめブログに載っていた苦悶の表情である

そりゃ、あんな顔もするであろう。

というわけで

郷田を倒した羽生は、いよいよNHK杯決勝戦に挑む。

決勝の相手は将棋界の魔太郎こと渡辺明2冠。

間違いなく、今棋界で一番強い二人である

まさに怪物vs怪物。化け物vs化け物。天才天才の戦いだ。

文句なしのゴールデンカード。はたして結末やいかに!

次の日曜放送だ!見逃すな!

2013-02-13

生きた証を残したい

肌荒れ、ニキビ跡酷い、不細工、腎臓疾患(ネフローゼ)、発達障害持ち、身長170cmどまりの超低スペック高校1年生です。

聖の青春という小説を読んだ。

僕と同じ腎臓病気で早死にした有名な棋士の話だ。入院中に将棋を覚えて将棋だけしか彼には無かった。羽生と同等もしくはそれ以上の強さがあったが体調が優れずに羽生よりも弱かった。しかし、彼は懸命に生き、生きた証を残している。

自分死ぬ前に何か誰かに誇れるものを生きた証として残したい。そんなの儚いものなのかもしれないけど。

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