お返事どうも。
言いたいことはわからなくはないんだけれど。
それに対してお金を払おうと思う人が、批判されるのは変な話だ。単なる個人の趣味に難癖つけてるのと同じだと思う。レス増田は違うのかもしれないけれど、そういう意見も見るので、これは愚痴。
いや、そういうことじゃなくてね。あるいはそういうことであっても別に構わないのであってね。
あなたみたいなのは「近視や肥満の人の野球大会」を感心して観ているようなものだ、と言っているの。近視や肥満が野球選手になる上で致命的な欠陥でないというのは、例えば古田敦也とか中村剛也とかその辺の例を挙げればわかってもらえるよね。
で、もしあなたが近視とか肥満というのに何か特別に感情を揺さぶられるという特殊な感情の持ち主であるという自覚があり、なおかつあなたは純粋に「野球」というものを楽しんでいるのではないという自覚があるのでないかぎり、それは「個人の趣味」とは言えないと思うよ。
もちろん、そういうことが全部悪いとは言わない。例えば将棋の女流棋士制度というのは実際そういうものだからね。将棋というゲームには男女差はないのだけれど、実際問題として普通のプロになる基準をクリアできる女性がこれまで現れなかった(最近一歩手前まで来ている人はいる)からこそ、普及だとかいろんな大人の事情で別の制度が設けられている。で、女流棋士が実力で普通の棋士(これまで全員男性)に及ばなくともそれなりにファンがついているのは、良くも悪くも色んな意味で「女である」ということを売り物にしているから、と言わざるを得ないよね。「男社会を切り崩す」というジェンダー的に「正しい」見方であれ、オヤジのスケベ心であれ、そういうあらゆるものを換金していることになる。で、将棋連盟の側もファンの側もそれについては百も承知であるわけだ。
そういったことを自覚した上で「そんなことは百も承知だ、それで何が悪い」というのであれば、それはそれでまあ「個人の趣味」と言えなくはないと思うよ。
でも、佐村河内やフジ子・ヘミングの件についてそれが当てはまるのかな。将棋と違って、クラシック音楽において身体障害は致命的な不利とは限らないわけだ。野球における近視や肥満だってそう。少なくとも「近視・肥満野球」については、野球ファンは「そんなものをプロ野球と同列に並べないでくれ」というよね。で、それについて文句を言うのであれば、文句を言う方がおかしい。
あるいは「リケジョ」という言葉について考えてもらってもいいよ。科学界における女性はクラシック界における身体障害者よりもっと障壁が少ない場所にいる。そして、科学には「女性枠」なんてものは当然ない。つまり「リケジョ」というのは女性が理系に進むことへの本人や親の偏見を取り除くための方便でしかない。にもかかわらず「リケジョ」っていう概念はジェンダー的に不適切だとヒステリックに叩かれるし、実際それなりの危険がある概念であることは間違いはないよね。
そして、クラシック音楽への「障害者枠」については少なくとも「リケジョ」よりもはるかに社会的にまずいものだ、ってのはわかるでしょ?
障害者が障害を使って金を稼ぐ事自体が健常者と同じ扱いではない、という観点は、分からなくもないけれど、それを言ったら、年寄りに席をゆずるな、年寄りだから働かず年金貰って生活するなんて甘えだ、子供も身の回りのことや収入も自分でやれ、と言いたくなる。言わないけれど。
少なくとも、そういう年齢に甘えてる世代よりは、自分の障害を使って自分の稼ぎを自分で得ようとする彼等彼女等の方が、マシだと思う。
野球の例でいうと「マスターズリーグ」ってのがある。これは、かつての名選手が今となっては無様な姿をさらす草野球を、笑いのネタになることを承知で売り物にしてるというものだね。これが問題でないのは、選手の側も観客の側も野球の技術ではなく別のものを求めている、という共通了解があるからだね。
でも、クラシック音楽はそうではないでしょ。一部のマニアを除いてはなかなか敷居の高い世界だし、ポスドク問題と同じでなかなか商売にならない厳しい世界。ファンを獲得するには、結局本当に質の高い作品の質の高い演奏を世に出し続けて、それに偶然触れた人が急に感化されるのを待つしかないっていう厳しい世界でみんなやってるわけだよ。
そんな中で、「現代のベートーヴェン」とかいって粗悪な作品を売られることは、本当に質の高い作品や質の高い演奏家がスポイルされるリスクを高めてしまう。「クラシックなんてたいしたことないじゃん」と思われてしまったらそのせいで才能ある音楽家が何人も葬られることになるかもしれない。女流棋士とかマスターズリーグとちがって、「本物」のおまけではなく、「本物」と競合してしまうんだよ。
そういう意味で、何が「本物」であるかがわかりにくい世界で、「本物」と勘違いさせて贋物を売り出すというのは問題のある商売だと思うよ。ホメオパシーとかと同じだと思うけど。
「現代のベートーヴェン」、佐村河内守。聾者を装い、別人に作曲をさせたものを自分が作曲したと偽って、収入を得ていた男。 彼を取り扱う記事は一様に彼に批判的である。それは尤...
ええとね、「大江光」「和波孝禧」「辻本伸行」「フジ子・ヘミング」「川畠成道」あたりでぐぐってみてからそういうことは言おうね。 クラシック界ではもともと、障害と結びつけて...
横レス失礼します。 クラシックに詳しい知人も同じように佐村河内を批判していたのだけれど、その時はいまいち納得できなかったが、ようやく理解できた。 佐村 河内の作品が本当に...
お返事どうも。 言いたいことはわからなくはないんだけれど。 それに対してお金を払おうと思う人が、批判されるのは変な話だ。単なる個人の趣味に難癖つけてるのと同じだと思う。...
現代のベートーヴェンといえば、俺らの間ではふつう藤倉大のことをいう。 佐村河内ごとき、現代のベートーヴェンと呼ぶのは馬鹿げている、という認識がおおかただった。 「よく書...