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はてなキーワード: 伊勢崎賢治とは

2024-03-01

anond:20240229044739

全部見終わった 。まず番組の作りへの不満。30年前に書かれた本に今日的な価値を見出そうとするなら、その後の状況変化、新たに生じた条件を踏まえて今でも通用する部分・陳腐化した部分を検討するべきである。ざっくり古典としてたてまつるには早い。

オミットするべからざる状況変化の第一アメリカ孤立主義傾向であるトランプはそれを始めたのでなくその流れに乗っかりダメ押ししているだけだ。

もう一つはいわずもがなインターネットだ。特に近年目につくようになったのはいわばデマデジタル物量飽和作戦であるロシアの得意技。当局の雑すぎるウソ発表を、当初我々はナメて嘲笑していなかったかしかしその雑さは「東側」的な要領の悪さ・いい加減さの結果というよりそれ自体が場を荒らし言論のものを無力化する作戦だったのだ。今後はそれにAIが加わる。公共の「情報空間」そのもの腐海に沈む。

https://m.youtube.com/watch?v=fBiGeCxXoNI

「疑い」を輸出するロシアプロパガンダ真実よりも不信感!騙される人が続出する巧妙な仕掛け|奥山真司



第三夜以降の内容に目新しいものはなかった。エクスキューズたっぷり挟みつつ基本的チェリーピッキングリトアニア独立非暴力による成功例と言われても、そんなのいわばソ連崩壊過程余録だろう。

数々挙げられている「成功例」は、非暴力が勝ったのではなく体制が瓦解する時に民衆の側から追加の暴力はいらなかっただけだ。

独裁体制側に暴力の口実を与えないための非暴力というが、プーチンアサドみたいにヘッチャラでガンガン殺すパターンは?

「多少やられてもいずれはこっちが勝つ」その多少の死体になりたくないし近親をならせたくないのが人間本音だ。

非暴力手段に命をかけさせる煽動もまた暴力であると言える。

畢竟、独裁体制を倒す「さえたやりかた」なんかないのだ。あると思うのが思い上がりである安全から上から目線アドバイス

暴力的な独裁体制下の民衆はやり過ごし耐え忍ぶしかない。独裁体制本来的に不安定なのだから。なんかの弾みに瓦解する日を待つのだ。俺ならそうする。

シャープ理論への興味が尽きたところで思うのは「民主主義体制もまた本来的に脆い」ということだ。これぞお手本という民主主義ロールモデル存在しない。民主主義国の数だけブサイクな異形が存在する。イスラエルなんかわりとお手本に近いような先進的でシステマチックイメージもあったような気がするが今やすっかり自己コントロールを失ってひどい体たらくだ。

独裁体制民主主義体制か」が今日課題なのではないではないということだ。ポイントはそこじゃない。

今日的に重要ポイントはそれぞれにダメな国々がいかに協力して虐殺や抑圧の「悲惨」を避け得るかということ、でもそのための枠組みが死んでいるということだと思うのだが詳論は他日。

平和な国での平和運動」に、膾吹きカルチャー現実主義的なふんいきをまとわせる箔付けにはシャープ本は格好のモノだろう。

なんかずっと何かに似てると思ったら伊勢崎賢治だ。さも実務家の触れ込みで全然中身は伴わないという。

ところで「先生役」の清泉女子大名誉教授中見真理という人を知らなかったがぜんぜんダメだった。完全に仕上がった人である和田春樹とかの類。

日本人平和憲法を棚ぼたでいただいたので、外国のように自分の手で自由を勝ち取る発想がない」

コスタリカ軍隊をなくす決断をした素晴らしい国」

アメリカはそれであのー経済的観点からもね、あーの軍事的な、あのー介入を抑えていきますねこからね当然ねそういう、そこへ、日本がのほほんと、その(失笑軍事力を、増強してなんて出ていったら、ほぉーんとにバカみたいですよね」

他者に決定を委ねる方が楽だと思う人が増えているのではないかっていう気がします。独裁的なリーダーの出現を防ぐことができるかは私たち一人一人の自覚にかかっているということです」

他国に脅威を与えるような“専守防衛”になっていないかどうか。他国不安を与えるならば必ず日本不安となって跳ね返ってくるわけです」

血みどろの「今」を生きてる人の肌感覚じゃない。伝統芸能業界内でのんべんだらりとやってきて勝ち逃げ確定の人の鼻歌みたいな言論

2023-06-05

ウクライナ情勢に関して、中国提案賛同する日本人

以前このような増田を書いた。

ウクライナ情勢に関して、中国に呼応する日本人についてのメモ

この増田は、中国ウクライナに対して領土放棄型の停戦提案したという記事に対して「日本リベラル呼応している」「屏風から出せ」というコメントがあったので、同じような主張をしている日本人を挙げたものだが、中国提案する前の出来事だったので領土放棄型の停戦賛同しているのではないという反論があった。

しか東京新聞がこの記事を書いた。

ウクライナに兵器を供与し続けることが正義なのか 「停戦」を呼びかけた意見広告から考える

中国領土放棄型の停戦提案したと産経新聞が報じたのが5月27日であり、東京新聞意見広告代表者インタビューしたのが昨日あたりである広告が載ったのが13日と16日だが、「2本の意見広告掲載されて約20日たつが」と書かれている)。そしてインタビューされている伊勢崎賢治東京外大名誉教授はこう発言している。

既に中国停戦提案している。これにインドはじめ中立立場を取るグローバルサウスの国々も仲裁に加わることができないか。最も重要なのは米国停戦にどのような立場を取るかだ。被爆国であり平和憲法をいただく日本には、米国停戦仲介者に巻き込む役割を演じてほしい。そうしたかつてない国際的協調がないと、停戦テーブルは作れない

伊勢崎名誉教授中国提案の内容を詳しく知らずに言っているとは考えづらい。よって、伊勢崎名誉教授中国領土放棄型の停戦賛同していると言っていいのではないか

ちなみに前回紹介した署名の発起人は31人だったが、新聞広告では32人になっている。東京新聞記事では広告の細かい部分は読めないが、Twitterなどで細かい部分まで見れる画像を探したところ、歌手加藤登紀子氏が声明発起人に加わっていた。

2022-07-21

長周新聞について調べたら面白かった

記者座談会 統一教会自民関係にメスを 反共右派として育てた為政者の罪 | 長周新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/24165

岡良様 on Twitter: "長周新聞・・・スゲェーな!"

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/oka1029ri/status/1549691233039446018

これらの記事が「真のジャーナリズム」とか「地方紙気概」とか絶賛されてて、

かに部分的には正論なんだけどちょっと怪しさがないか?と思ったので長周新聞について調べてみたよ。

 B 日本統一教会の原点は戦後反共産主義を掲げて岸信介を中心とした右翼連中でつくっていた「防共挺身隊」といわれ、岸信介出身地である熊毛地方には一定集団いたことが知られている。山口県戦後共産党トップだった野坂参三宮本顕治志賀義雄などもいて、それこそ彼らは田布施の隣である出身だったりもする。政治的には右も左も激しかったわけだが、その防共挺身隊岸信介パイプを持っていた韓国反共宗教団体である文鮮明統一教会ドッキングして、日本統一教会誕生したという。

こことか、岸信介日本における統一教会活動バックアップしてたとか自宅の土地統一教会アジトとして使わせてたとかいう話はこれまでに色々な媒体で見たけど、

岸信介自身が作った防共挺身隊韓国統一教会ドッキングして日本統一教会になった」って話は見た覚えがない。

岸信介統一教会と昵懇の仲だったどころか岸信介の作った組織が発展して統一教会になったんだよ!

なんて話が本当だったらすごいショッキングだし、他でも大きく取り上げられてると思うんだけど。これは何がソースなの?

長周新聞について | 長周新聞

https://www.chosyu-journal.jp/aboutus

要するに派閥抗争に敗れて日本共産党を除名された人が集まって作った日本共産党(左派)の機関紙

政局的には今はれい新選組推している模様。

気概はあるかもしれないけどこれを地方紙で括るのはちょっと無理があるなぁ。

共産党分派を許さない(民主集中制)ので思想意見割れたらどっちかが抜けるまで戦うしかないわけだけど、

日本共産党(左派)は徹底的に毛沢東を崇拝し中国共産党方針に従うべきという考えの派閥だったので、

日本共産党日本独自路線でやっていくべきだとする主流の自主独立路線とは相容れなかったみたいだね。

そんな感じで日本共産党(左派)はあまりにも毛沢東を崇拝していたため、

日本共産党は彼らを「毛沢東盲従集団」とか呼んで罵倒していたよ。こういう左翼罵倒ボキャブラリー好き。

毛沢東盲従集団福田一派の虚像実像

http://maoist.web.fc2.com/jcp/jcf000.htm

福田正義の経歴も面白くて、満州日新聞で記者やってたとき後藤新平の功績を称える伝記を書いて日帝中国侵略正当化に荷担していたんだけど、

それについてはひた隠しにして自分を「不屈の革命戦士」と売り込んでいたただのお追従野郎とか散々言われています

長周新聞創設者であり編集主幹であり日本共産党(左派)初代中央委員会議長である福田正義2001年に亡くなっているんだけど、

長周新聞ではその死後も彼を編集主幹として名を掲げているとのこと。

この辺がやっぱり日本共産党とは違い毛沢東主義を貫いている日本共産党(左派)っぽくて、個人崇拝が強めだよね。

日本共産党志位和夫がずっと選挙もなしに委員長に居座っててどうなんだとは言われているけど、そんな露骨個人崇拝をするようなことはないし。

そしたらリニューアル前の長周新聞Webサイト面白コンテンツがあるという情報があったのでWebアーカイブで見てみた。

2002年に行われた福田正義氏追悼記念集会特集ページで、スピーチとかの内容が記録されているよ。

中でもこれがすごい。

福田のおじちゃんに誓うこと

https://web.archive.org/web/20160304141021/http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/himawari.htm

長周新聞長周新聞人民保育所という社員用の保育所を設けていて(それは偉いと思う)、

そこ出身の子供たちが「楽しかった、運動会!」「「運動会!」」みたいなのをやるパートがあったみたいだね。

 小六男・小六女 わたしたちのお父さん、お母さんは、

 小六男 貧困失業戦争もない、新しい社会を実現するために、

 小五女 新聞仕事をしています

 小六男 ひまわりは、一九七三年四月、長周新聞保育所としてつくられました。

     間

 小二男 ひまわりがなかったころ、

 中一男 赤ちゃんは、昼と夜、別のベビーホームにあずけられ、

 小五女 まだ仕事が残っているときは、段ボールで寝かされていた。

 中二女 だれもかまってあげられないので、赤ちゃんは、人の足音がするときだけ泣くようになった。

 中三男 家に帰るのはいつも夜中でも、朝早く家を出て、赤ちゃんもお母さんといっしょにがんばった。

 小五女 そんなとき福田のおじいちゃんが、

 小四男 子どもたちが病気をせず、のびのび生活できるように、

 中二女 お父さん、お母さんが安心して仕事ができるように、

 中二女 そして、子どもたちが将来、お父さん、お母さんのように、社会の発展のために役立つものになるようにと、

 中一男 ひまわりをつくってくれました。

 下学年 ひまわりは、今年で、二九年目です。

 中三男 ひまわり卒業したぼくたちの先輩は、おじいちゃんのあとを受けつぎ、

 小四男 長周新聞でがんばっています

 五年生 わたしたちも、先輩たちのようになるために、

 小六男 ひまわり毎日がんばっています

この「福田のおじいちゃん」への個人崇拝色の強さ!

かに保育所設立したのは福田正義だったのだろうけど、福田のおじいちゃんがまったく一人でやってくださったみたいな言い方なのがなんかすごい。

 小六男 一、勤労人民尊敬し、労働やたたかい、生き方に学ぼう!

 小六男 二、大きい子は小さい子を温かい心で指導しよう!

 小六女 三、女子男子に負けないくらい、がんばろう!

 小五女 四、学校の成績で仲間を差別せず、ひまわり目的で団結しよう!

 小五女 五、学童会や中学会で決まった方向を実行し、自分中心の考え方をなくそう!

 中一男 ぼくたちは、このスローガンのもとに、団結して生活しています

五番がかなり民主集中制っぽさがあって良い。

 小六男 福田のおじいちゃんはみんなの声を代表して、長周新聞をつくられました。

 小六男 自分の小さな幸せでなく、みんなの幸せのために、奮斗した。

 中二女 福田のおじいちゃんは、ひまわりにいつも心を寄せてくださいました。

 中二女 わたしたち学校の帰りにおじいちゃんにあって、「こんにちは」というと、ニコニコ笑ってあいさつをしてくださいました。

 小二女 長周四五周年のとき

 小四男 体が痛かったのに、

 小六女 わたしたちの出し物のときは、いちばん前で見てくださいました。

 中二女 そして、病気とたたかいながら、ウソをあばき、まちがっているものとは、断固たたかい、

 中一男 ぼくたちにほんとうの真実はなにかを教えてくれました。

 小六男 福田のおじいちゃんは、

 中三男 戦争のない、平和日本未来のために

 小六男・中二女・中三男 生涯、真実を貫いた。

 小六男・小六女・中一男・中二女 長周新聞は、強い!

長周新聞は、強い!」の力強さに笑ってしまった。

こういうのを2002年にやってるっていうのもなかなか驚きだ。

これ見て思い出したのが何かというと、森友学園話題になったときに出た幼稚園の子供たちの映像だよね。

安倍首相、がんばれー!」「安保法制国会通過、よかったです!」ってやつ。

毛沢東主義・スターリン主義を貫徹すると何故か結局指導者の個人崇拝に行き着くの面白いなぁ。

法的根拠特にない安倍晋三国葬に反対するのは正論だと思うし私も同意するんだけど、

それ書いてる新聞めっちゃ指導者を崇拝する式典をやって子供たちにこういうのをやらせてたっていうのもなかなかだよ。

カルト宗教話題になってるときに見るとこういうのも別の形の「二世問題のような気もするなぁ。

 小六男 おじいちゃんに誓うこと

 小一女 わたしは、大きい子のいうことを聞きます。手伝いをがんばります

 小四男 自分のことだけでなく、人のことを先に考えて行動します。

 小五女 わたしは長周に入るために、自分からすすんで重いものを持ち、力をつけます。

 中一男 なんでも自分から率先して働き、だれとでも団結し、友だちをもっとつくります

 中三男 わたしたちは、おじいちゃんの遺志を受けついで、

 全員 かならず、平和社会を実現することを誓います

「小一女 わたしは、大きい子のいうことを聞きます。」のパターナリズム感!

全体的に目上の者の言うこと聞いて正しくあれみたいな感じがあるけど、

日本共産党(左派)は元から反米愛国主義を掲げていてナショナリズム色が強いから、やっぱりパターナリズム的な感じなんでしょうか。

子供たちの理想として「ジャーナリストになる」とかじゃなく「長周新聞に入る」が謳われているのもなんか二世問題っぽいね

そんで安倍晋三暗殺に紐づいて統一教会政治の関わりについての批判国葬への批判は概ね正論として、

長周新聞が他の問題についても正論を言ってるかというとそうでもないわけで。

https://twitter.com/lautream/status/1301343209751109632

ちょっと前の香港問題では「世界中国の味方!アメリカ孤立!」とか言って中国共産党を支持していたり、

ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」 ロシア研究者有志が声明発表 専門的見地から行動提起 | 長周新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/shakai/23102

ウクライナ危機国際社会はどう向き合うべきか 緩衝国家日本も迫られる平和構築の課題 東京外国語大学教授伊勢崎賢治氏に聞く | 長周新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/kokusai/22976

ウクライナ戦争では「アメリカが悪い」とか「ミンスク合意が」とか「ロシア満州事変と同じことやってるんだから日本は先に自分過去反省しろ」とか言ってたよ。

まあなんというか、いろんな意味普通新聞ではないか普通新聞に書けないようなことも書けて、時々正論を言ったりもするけれど、

やっぱり普通新聞ではないかあんまここをソースになんか言うのもあれだなぁって感じですかね。

その辺の一般人はともかくこれを真のジャーナリズムとか言って持ち上げてる学者先生とか議員先生はもうちょっとソース選んだ方がいいと思います

ソーススプートニクとか、ソースはHanadaとか、ソース世界日報とか、そういう感じ。

ていうか長周新聞記事いいねしたりリツイートしたりしている共産党員のアカウントがいてすごい。

毛沢東盲従集団機関誌広報した罪で糾弾されない?

2014-08-15

時代の正体(16)語る男たち(4)セクシーじゃなきゃ 東京外国語大学院教授伊勢崎賢治さん | カナロコ

https://www.kanaloco.jp/article/76227/cms_id/96508

日本は紛争地帯イメージがいい。テロとの戦い戦場となっている国の民衆の心をいかにつかむかが根幹で、軍事力行使逆効果日本特性を活かし、対テロ戦で集団的自衛権積極的行使すべき。ただし、非武装で」

現地に行く人間に、「死ね」と言ってるも同然。現代特攻兵とも言える。さすが護憲派、「平和」を守るためなら特攻兵を生み出すことも厭わないとは。

2014-05-09

中日新聞:集団的自衛権を考える 東京外国語教授伊勢崎賢治氏(56):「われら」の憲法(CHUNICHI Web)

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/our_kenpo/list/CK2014050802000229.html

日本ドンパチやって人を殺してしまったら世界の見る目は変わってきます。それこそ日本世界にとって損失です。

はて、常日頃、「ドイツを見習え」と叫ぶ日本リベラルは、どうやらドイツアメリカほどではないにせよ、割りと世界中の色んな所に軍を派遣して、現地人を殺しまくってることを知らないらしい。

2013-05-30

まねして本の紹介 その2

http://anond.hatelabo.jp/20130529230131 の続きです。長くて途中で途切れるため分けました。このエントリで紹介するのは以下の本です。

名人に香車を引いた男、八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語記憶の切繪図, 弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖

影響を受けたブログは20冊の本を取り上げていた訳だが、自分で真似をしてまとめていく内に20冊よりもずいぶん多くなってしまった。なので、上記4冊は似たテーマなのでまとめて紹介することにする。この節は日本人自伝だ。

「名人に香車を引いた男」は昭和将棋指し(棋士)の升田幸三名人の自伝羽生善治さんがもし生きていたら是非将棋を指してみたい棋士の方だと聞いたことがある。

生き方はなんとも痛快。昔の人のバンカラな感じというか、そういう感じが良く出ている。この人のように、どんな人にも自分の本音を話せる人は今日本の中にいるだろうか。そして、名人になった時の一言が心に残る。

「八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語」は糸川英夫さんの自伝だ。この方はロケットが専門の研究者で、戦時中戦闘機設計に関わっていたり、戦後もロケット開発に関わっていたりする方だ。戦後間もない時期は失意に沈んだ時期で自殺も考えるほどの状況だったが、バイオリン製作きっかけで少しずつだが自分を取り戻していく。そのバイオリン製作には完成までに40年以上もかかった。そのバイオリンとは――。

升田幸三名人、糸川英夫さんの両氏とも戦争の影響が人生に大きくのしかかる。その点でまとめさせてもらった。それと、両氏の著作とも読んでもらえばわかるが、自由だ。それ以外はあまり共通項はないけれど、読んで楽しい本だ。重い話はないし、読みやすい本なので手に取ってみてほしい。

記憶の切繪図」は「フェルマーの最終定理」の中で登場する志村五郎博士自伝。「フェルマーの最終定理」の中でサイモン・シンさんは志村さんにいろいろインタビューしている。その中で数学における「良さ」とは何なのか、それに答えるシーンがある。その答えが簡潔なのだけれど、それ以上無いくらい志村さんの数学のとらえ方を表しているように思え、興味があって読んだ。

この方も上記二人に劣らないくらい自由だ。Amazonレビューには高木貞治さんを愚弄しているという指摘がある。しかし、だからといって謙遜して書いてもらっても一読者としてはおもしろくも何ともない。むしろそのまま出版してもらって良かった。

こう書くと志村博士はずいぶん口の悪い人で、ある種の暴露本に思えるかもしれないが、そうではなくて、要所要所に意図して書かないことがあったり、感情を押し殺した表現がちらちらあるのだ。それがあるから志村さんの人となりがわかった。良い自伝だ。

弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖」は少し前に東京都知事選立候補されたり、弁護士会の会長をされていた宇都宮健児さんの自伝だ。まだ自伝を出すには早いと思うので、半生を綴った本としておいた方がよいか

決して飾らないその人柄は文章にもそのまま表れている。豊田商事事件、オウム真理教の一連の事件、カード破産の話など、弁護士として関わった事件の数々。それらを振り返りながら、今されている仕事にも言及している。自分法律のことは全くわからないが、こんなに多様な類型、しかもその事件が発生した時点では立法のものが不整備だったり、法解釈が分かれていたりといった、未開拓の問題に対処するのは並大抵の法律家にはできないように思える。それをまるで飄々とこなしているような姿は、武道の達人のようだ。

気負いのなさと実直さ、そして執念を感じる本だ。宇都宮健児さんへのインタビューが下のURLにある。興味のある方は見てほしい。

からくり民主主義

この本は学生時代に講義で先生おすすめされていて読んだ本だ。著者は高橋秀実さん。

高橋秀実さんはルポライターで、自分の体験を元に本を書く方だ。ただ、ルポライターではあるけど、少しほかのルポライターと毛色が違う。本来ルポライターは事件や事故が起きたら素早く現場に赴き、当事者インタビューをして、それらを記事や本にする。高橋さんはそれらの事件や事故が起こって、ほとぼりが冷めたあたりでインタビューに出向く。時期がかなり遅いのだ。

元のブログでは物事には多様な見方解釈があって、一元的に判断することは危険なことを理解するための本として「バカの壁」を挙げていた。その点では、この本も内容は似ている。面白いのは、この本ではそれが「実例」でいくつも挙げてある所だ。

ニュース番組新聞では、大きく取り上げられていた事件・事故が、実際に現場に行ってみると「あれ?」と思えるくらい当事者たちは冷めていたり、むしろその状況が続くことを望んでいたり――。読み進めていくうちに、不謹慎かもしれないが笑ってしまうような話になっていったりするのだ。某映画台詞の反対で、むしろ事件は会議室しか起きていないんじゃないか?、という気持ちにもなる。

自分単行本ハードカバー)で読んだ。解説を村上春樹さんが書かれていた。(はずだ。確か)

堅苦しい話ではないので、気楽に読んで、何度かたまに読み返すとその度に不思議な気持ちになる本だ。

冬のデナリ

著者は西前四郎さん。半分が小説で半分がノンフィクションといった感じの本だ。

デナリというのはアラスカにある山の名前で、日本では「マッキンリー山」と言った方が通りがよいと思う。この山を登る登山家チームの話だ。ちなみに、植村直己さんはこの山で行方不明になった。(この本のチームとは無関係だろう)

厳寒期の冬山を登る人の気持ちは自分には想像もつかない。だけれども、そんな自分にも山を登るチームワークの大切さと難しさ、軽く見積もった事象が後にやっかいな出来事にふくらんでいくその状況判断の危うさや過酷さ、そして生きることへの執念といったもろもろが、響いてくるような本だ。

今の登山の装備と比べると、重かったりかさばったりしてその面でも大変だったはずだ。写真のページを見ると、そんなところも気にかかった。

この本も最後一言(だと思ったけど)が良い。

この本のあと、山登りの本は植村さんの本(「青春を山に賭けて」)も読んだけれど、こちらの方が山について全く知らない自分には印象に残った。所々で登山の道具の名前ハーケンとかザイルとか)が出てきて、イメージができない自分のような人は、出てきたところで、ググったり辞書で調べて簡単な絵を紙に描いておいて、再度出たときにその絵を眺めたりしながら読むとより読みやすいと思う。

パタゴニア―あるいは風とタンポポ物語

この本は椎名誠さんが著者だ。椎名誠さんは今はエッセイ世界各地を回った紀行文を書いたり、写真家であったりとマルチ作家だけれど、この本が出たのはそうなり始めてすこし経った頃だ。

冒頭から危機的な状況である。にもかかわらず出発するのだ。この判断は本当だとしたらすごいことだ。何が危機的なのかはここでは言わないけれど、読めばすぐわかる。

全体として、椎名さんが書く紀行文自分で感じたことをズバズバわかりやすく書いていく方法なのだが、この本はそこまでズバズバ書くと言うよりも、なんとなく「岳物語」につながるような、私小説風の書き方をしている。その書き方もあるし、パタゴニアという場所のせいもあるからか、行き止まりに向かって進んでいくようなやり場のの無さを感じる。それが途中ですっと消えて静かな感じで終わるのだ。自分はそこがとても好きだ。精神的な閉塞感がふと消えて、やさしさが残る本だ。

から春にかけて寝る前に少し読むのが似合う本だろう。この本は文庫版もあるけれど、ハードカバー装幀自分にはしっくりくる。

カヌー犬・ガクの生涯

カヌー犬・ガクというのは、前に挙げた椎名誠さんの飼っている犬の名前だ。その犬は手こぎボートの船頭に座って川下りをするのが得意という、ちょっと変わった特技を持つ。

その犬と椎名誠さんの友人の野田知佑さんが、日本世界の各地を巡ったときの話をまとめたのがこの本だ。著者は野田知佑さんご自身。

カナダユーコン川を下ったり、北極(か、南極か忘れてしまったけれど)に行ったり、といろんな所に行って危険な目に遭ったり……、南国に行ってのんびり過ごしたり。少し羨ましいけれど、いざ自分が行くとなるとそんなところはとても怖くていけないようなところに行く。

犬を人間と同じように扱うという著者なので、犬が好きな人はより楽しめるだろう。元のブログとの対応としては「深夜特急」にあたるかな?(やや無理矢理だけど)

ピアノ調律師

著者はM.B. ゴフスタインさん。翻訳は末盛千枝子さん。絵本だ。(やや字が多いけれど)

小さな女の子主人公。おじいさんがピアノの調律を仕事にしていて、おじいさんとしては女の子ピアニストになってもらいたいのだけれど、女の子はおじいさんのようにピアノの調律をしたくてたまらない。そんなときに、ピアノの調律を頼まれるのだ。

あらすじで書くとそんなに心惹かれる感じは無いかもしれないが、絵の良さ、そして言葉の良さ。二人を取り巻く登場人物の面々もすばらしい。

「謎のギャラリー」のところで言及した「私のノアの箱舟」も同じゴフスタインさんの絵本だ。こちらもすばらしい。ゴフスタインさんの本はほかにも何冊か読んだけれど、この本が一番絵本らしい絵本だと思う。絵の良さはいくら文章にしたところで伝わるものではないので、図書館で借りたりして手に取ってみてほしい。もちろんM.B. ゴフスタインさんのほかの本を読むのも楽しい

数学ワンダーランド

中学校で習う数学を、苦手な人も得意な人もできるかぎり楽しく考えていこう。それがこの本のテーマだ。中学生向けの数学月刊誌で連載していた読み物をまとめた本で、著者は小島寛之さん。はてなダイアリーを利用されている( http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/ さん)ようだ。

数学は、学習が進むにつれてどんどん(指数関数的に?)難しくなっていき、小学校中学校では好きだった人もだんだんと距離を置いて離れて行ってしまう……、そんな科目だ。なかなかずーっと数学が好きで好きで……、という方はいないのではないかと思う。おそらく数学プロの方(数学者のような)でも、そのキャリアのところどころで難問にぶち当たり、歯がゆい思いをするのだろう。(そういう話は前に挙げた「フェルマーの最終定理」にちらっと出てくる)

そんな風にだんだん一般人数学から身を引いていきがちになるわけだけれど、この本は、わりと数学算数を学び始めた頃に不思議に思えたことを延長して話をすすめようとしていく。こういう書き方はやろうと思ってもとても難しいはずだ。著者は数学が好きな気持ちと、一方で嫌いな気持ちの両方を持ち続けているような、そんな状態になるだろうから。嫌いな人の気持ちになって、そしてそのどこが嫌いなのかを共感した上で話を進めつつ、好きな人も読めるようにする配慮を怠らない。そんな書き方がされている。

この本が持つ数学へのアンビバレントな思いは、いわゆる数学(の歴史を中心とした)解説本でもなく、かといってとっても難しい数学ドリルみたいな本でもなく、わかりそうでわからない絶妙な問題の難しさと相まってなかなか類書がないと思う。くわえて、ところどころに経済学の話とかもでてきたりする。好きな人もそうでない人も読んでみてほしい。なんとなくわかりそうで手が出ないあの「数学の感じ」を思い出すはずだ。

同じ著者の「解法のスーパーテクニック」も良い本だ。ただ、一冊にしろと言われたら「数学ワンダーランド」かな。ほかにも小島寛之さんの著作はいくつかあるのだけれど、自分が読んだのはこの2冊だ。なのでほかにも良い本はあるだろう。

元のブログとの対応としては細野さんの数学の本としておく。(その本を読んでないのでどこが?といわれると、単に数学つながりなだけだ)

心地よく秘密めいたところ

この本は幻想小説というのだろうか。ファンタジーだ。著者はピーター・S・ビーグルさん。翻訳山崎淳さん。

この本はとても雰囲気がよい。あらすじはそんなにたいしたものは無いんだけど、夏の早朝のような爽快な感じがある一方で、なんか少しじめっとした感じもするのだ。

Amazonレビューがこの文章を書いている段階で4つある。で、そのどれもが作品の魅力を的確に紹介しているのだけれど、なんだかそれらのレビューだけではこの本の良さを伝えきれない感じが残る。言葉を連ねてもなかなか伝わらない感じがする本だ。

この本を自分は夏の終わりの頃に読んだのだが、その頃の陽気にとてもよく合う本だった。光の強さと日の入りの早さがこの本の主題に合ったものからだろうか。「リプレイ」が動くSF小説に対して、この「心地よく秘密めいたところ」は静かにじっとしている感じだ。でも、どちらを読んでも同じ思いに至るはず。不思議だけれど。

東チモール県知事日記

著者は伊勢崎賢治さん。この方は日本大学卒業されたあとにインド民衆グループリーダーをされて、その実績を買われ、国連の要請東ティモールに赴任する。(下のURLに伊勢崎賢治さんへのインタビューがあるので詳しいことを知りたい人は読んでみてほしい。)

こういう日本人って(自分不勉強なせいかもしれないが)あまりいないと思うのだ。杢尾雪絵さんくらいしか自分はほかに知らない。

ずいぶん前に読んだので細かい記述は忘れてしまったけれど、この本の良さは著者が見たこと、感じたこと、やったことが率直に書かれたところ。そして日本に住んでいる限り想像できない「危険」な東ティモールでも、危険な所もある一方で、そうでないところがあるといったような、現実の姿が伝わってくるところだ。

外見はなんかどこにでもいそうな感じのおじさん(もし本人や関係者がこの文を読んでいたら失礼で申し訳ない。すみません。)だ。だが、インフォーマルな組織における統率の方法や、戦争犯罪者をどのレベルまで処罰するのか、など、繊細な問題への対処。こういうのは前者は経営学とかで少し研究されているようだけれど、じゃあそれが実地で適用すれば問題は解決するのかというと、そうでも無いと思う。そういった「答えが見えない問題」へどうやって取り組むのか――。しかも異国の地で。

そういうことを知りたいときに読むとよいかもしれない。自分も詳細を忘れていることに気がついたのでもう一度読むことにする。それにしても久しぶりに上のインタビュー記事を読んだけれど、タフな人だ。

ニッポン貧乏旅行

著者は藤本研さん。この本は、藤本研さんがおよそ半年をかけて日本を歩いて一周をした旅行記。旅行記というよりも生活記録といった方が良いかもしれない。

生活記録なので、朝は何時に起きたとか、午前中はどうしていた、お昼は何を食べた、などなどそっけない記述が中心だ。でも、そのそっけなく感じる記述が妙なリアルさを出していて、読んでいると日本ってこんなに広いんだと思わせてくれる。それと歩いてたどり着いた各地の景勝地を見るとか、そういうことも無くて、そこもこの本の特徴だ。タイトルに「大貧乏」と付くのは、宿泊ほとんどを野宿やお寺の本堂の隅を借りたりして無料でまかなうことによる。食事もとても簡素ものだ。

本のはじめに藤本研さんの歩行ルート日本地図と一緒に図示されていて、その後にスケジュール表があって、それをみるのも楽しいたんたんと書いてある中の楽しさ、と言って伝わるだろうか。

たまにアクシデントに見舞われるのだが、そのアクシデントがなんとなくユーモアがあるというか、おだやかな感じだ。日本一周するからと言って、気張らず、藤本研さんはたんたんと歩いて行く。歩いている途中で同士がいたりする。そういう記述もなんだか一緒に日本一周しているような気持ちにさせてくれる要因だろうか。

自分は今まで挙げた本はだいたいは図書館で借りて読んでいる。この本もそうだ。再度読みたいのだが、図書館で借りようとしたらいつの間にか消えてしまっていた。残念だ。




(まだつづく、かも。)

 
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