2020-03-04

雨のパレード天才だった

5・6年前、当時関わっていたバンドを見に渋谷club乙へ行ったとき、まだインディーズ所属していた頃の雨のパレードを見た。

彼らのステージ天才的だった。あのとき制御不能創造活動」という曲を演奏していたが、それは当時の彼らを象徴するような楽曲で、もう何年も音源を聞いていないのに、未だにあの心地よい恍惚感は記憶から薄れない。メジャーデビューを機に消されてしまったが、「制御不能創造活動」や「空間の中の一つの連続する三角」という曲のclub乙でのライブ映像YouTubeで何度も見返して、彼らがこれからどんな活躍をするのかずっと期待していた。

club乙でのライブのあと、メジャーデビューの発表が出るまで、そう時間はかからなかったと思う。インディーズ最後シングルとして「tokyo」がリリースされ、すぐにタワーレコードcdを買いに行った覚えがあるが、しかし、聞けば聞くほど、「ひいきにしているアーティスト新曲がでた」という盲目的な興奮から冷め、今まで彼らが創作してきたモノとの違いを感じざるを得ず、そのあとに「new place」のビデオが発表されたときには、俺はもう雨のパレードに対する熱がほとんど冷め切ってしまった。それはたぶん、実力を多分に備えた彼らが「東京で夢を見てる」とか「おきまりダンスナンバーなんてはじめて知ったんだ」とかいきなり拍子抜けなことを言い出したことに対する、失望のようなものを感じたからだと思う。

乙でのライブを見たとき、彼らは無敵だった。そのスケールそもそも「東京」がどうとか関係なかったし、まして地方出身なんてのは本当にどうでも良いくらい、天才的な確固たる世界観をすでに持ち合わせていたのに、メジャーになった途端、彼らは、俺にとっての魅力的な世界観から逸脱していってしまった。

それがどういうわけで、そういう方向のプロモーションへ向かったのか、俺にはわかるはずもない。だが、インディーズ時代にやっていなかったアプローチデビューを機に突然始めたのは、やりたいことが変わったとも考えられるけど、アーティスト意向以外の要因があったのではと、どうしても勘ぐってしまう。

そういうわけで、俺はここ何年かは雨のパレードを全く意識することなく日々を過ごしていたのだが、先日、ラジオから「borderless」が流れたとき、かつて俺が彼らに対して抱いていた感情を思い出した。今もあるのかわからないけど、ボーカルは昔、ちん毛をライターで燃やそうとしてるモノクロ写真Instagramに載せていた。

そんな彼が、いまは何を思い、あのコカ・コーラcmみたいな曲をつくったのか・・・俺にはわかるはずもない。

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