はてなキーワード: 船越英一郎とは
おはようございまーす!
夏の季語で帯に短したすきに長しって言うけど、
もうさ!ドラゴンケースに入れてね!って言うほどプールとか海とか
この昨今賑わいがないと思うんだけど、
おかげで区民プールはこの大晴天のなか休業とか!
笑うしかないわね。
私気付いちゃったの。
みんなは入りたがってる人が入れないから、
誰も来なかったら延々と入ってられるわ!
冬ほどにサウナで整うって未だによくその感覚は分かってないけど、
冬よりは整わない感じがするし
だけど、
せいぜいやっぱり3時間が限度ね。
そんな水風呂水面すれすれの冷たくて美味しい空気を味わいたい夏休みにすっかな!って意気込んでいるんだけど、
近場で過ごすのもお金使わなくて良いんだけど、
でもやっぱり遠くに羽を伸ばしたいところじゃないかしら?
インドではないのは確か。
家でやってることを出先でするってことに
旅感を感じるじゃない?
もう全くもって何何感を感じるって言えばそれは二重表現警察の人達が来そうな勢いだけど。
一方通行を一瞬だけバックしただけで
なんか白バイに捉えられてた人見かけたけて
気の毒だなぁって。
ぜんぜん白バイの人には怒られなかったし、
だけどあれ一輪車でウイリーできるチャックノリスさんならどうなってるか分からないわね。
まあその一方通行を逆に行った人には気の毒だけど、
なんで「いっつう」って入力しても「一方通行」に変換出来ないの?って不思議に思いながら、
私たちは日本語変換を「ふいんき」で使っていたのかしらってこれも雰囲気に変換できないのなんで?って思うわ。
イキフンって打ったらちゃんと雰囲気って変換出来るのには笑っちゃうけど、
なんなのよこの倒語対応!って感心しちゃったわ。
私は俄然として
でもよく考えたら、
ABCマートやタワーレコードなんかで流れてる店内ラジオみたいな感じの、
でもラーメン食べてんのにラーメンの話しなんて面白く聴けるのかしら?とも思っちゃうわ。
だからやっぱりメンラーに合う音って言うのはなんなのかしらね?思うし
優先でもないしFMでもないし、
すするメンラーも格別よね。
ああいう所で、
早く食べ終わっちゃって店から出るから絶対事件解決まで見届けることができない2時間サスペンス物なんかみたらたまんないわよね。
いつも結末は船越英一郎さんの決まり手東尋坊の崖落としが決まって終わるんだけど、
でもやっぱり
エジプトで初の日本人ライブを行ったさあ眠りなさいマドンナ達のララバイでお馴染みの岩崎宏美さんはやっぱり凄いと思うわ!
メンラー屋さんでやっぱり一番ピッタリ合う曲はマドンナ達のララバイだと思う。
レコード大賞は取れなかったのは残念だったけど。
ではこの辺で
なんちゃって~!
うふふ。
野菜野菜サンドってことかしら?三度じゃ無いけど二度は言ってるわ。
みんなも気を付けて!
具体的にはと言うと、
だからキューリ囓りながらウォーキングは理に適ってるってわけよ。
最近よく見かけるでしょ?
見かけない?
じゃ流行ってないのね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これはただ、この哀しみを、この虚しさを、どうにも消化できないから吐き出すだけだ。完全にチラシの裏だし、なんの建設性もない。
勝手に辞めればいいと自分でも思うし、なにより、そんな断筆宣言なぞ古今東西あらゆる作家がやっては反故にしてきたものだ。なんの意味もないと言われればその通りで、反論の余地もない。
だが、それでも、もう疲れてしまったのだ。
辞めようと思った理由は、すこぶるありがちで申し訳ないのだが、サークルメンバーとのモチベーションの差だ。
これを説明するためには、少々自分語りをしなければならない。突然の自分語り! なんともかまってちゃんの香りがしてくる展開である。まぁ概ね犯人の自供シーンと大差ないので、ぜひ船越英一郎氏の気持ちになって聞いていただきたい。
私はもともと、一次創作の小説をやっていた。書き始めてから、かれこれ十五年は経っていると思う。コミケの創作島に出すようになったのは、十年ほど前だろうか。
ここで初めて手に取ってもらって、対価と引き換えに本を渡した時の感動が、などと書けたら美しいことこの上ないのだが、残念なことに、私は自分の本が人の手に渡る瞬間を見たことは数えるほどしかない。なぜなら、どういうわけか知らないが、私がいるとみんな手に取ってくれないのだ。いないときに限って出るし、いないときに限って売り子に「〇〇さんですか?」などと声をかける。みんな、もっと本人がいるときに話しかけてくれていいのよ?
そんなこんなでのらりくらりと本を出し続けること約十年。ひょんな事から商業で本を出してみたり、ずっと書いていた物語が一区切りしたりで、コミケから足が遠のいていた私だったが、仲間内数名の酒の席で、とある二次創作で大盛り上がりをした。コミケで本を出そうという話になった。
ディレクションが一人、ライターが私含めて三人というメンバーだったが、私を除く二人は早々に脱落した。まぁそれは別に構わない。色々な理由があって書けないと判断するのは、それはそれで正しいことだ。
仕方ないねと思いながら書き上げてみれば、ディレクションしていた人物は、特に上がってきた話に対してのコメントはなかった。さらにいうのなら、その人物は何一つ、そう何ひとつ、サークルに益をもたらすような行動をしなかった。
今思えばディレクションとはなんだったのだろうか。商業で物作りをしているとかの人物は言っていたが、妄想のタネを配り歩くことを物作りであるというのかもしれない。それならそれで私の考えるものとは全く違う。
話を戻そう。その人物は、本のレイアウトまではかろうじてやっていた。だが、告知のための行動であるとかは一切せず、表紙に絵をつけようという話さえ黙殺し、空の写真を貼ってキレーとか言っていた。その空の写真と作中の物語には何か関係があるのだろうか。未だにわからない。
なんでそんなに消極的な行動しかしないのか、ちゃんと物を出す気はないのか、と問うたところ、かの人物は、趣味だからそこまでやる気はない、と宣った。
曰く。自分は物作りを仕事にしており、趣味である以上、仕事ほどの労力をかけたくはなく、趣味の範疇で物事を行いたい、だという。
まぁそれは否定はしない。各々のスタンスは違うだろう。ただそれでも、あの日、酔っ払いながら語った物語は、間違いなく面白かった。それを、必ず劣化するとはいえ、この世に存在するものとして送り出すことに、なぜ少しの手間さえ惜しむのか。だいたい、忙しいと言っているがドラクエXIやってんじゃねーかというツッコミは心の中でだけした。
そして迎えたコミケの日。私の前には、私が書いた物語があった。だがそれは、中身はともかくとして、外身はどう見ても他のものに負けている。もちろんそれが、物語を色褪せさせるものでないことは理解している。だが、そういうパッケージとは、タイトルのフォントひとつ、本文のインデントの1mmにまで拘ったパッケージとは、物語として完結してしまったモノに、我々が贈ることのできる最期の手向けなのだ。
会場には様々な本があり、彩りは様々だ。そのいずれもが、様々な制約の中、描き手が精一杯作り上げたものだろう。
翻って、自分の本はどうだろう。本文には妥協はない。少なくとも、自分が面白いと思うものを詰め込んだ。だが、例えるならばその本が纏うドレスは、妥協に妥協を重ねた、見すぼらしい、安っぽい既製品のようだった。
近くに、同じような内容の本があった。まぁネタ被りなどよくあることだ。内容は知らないが、そのパッケージは、とても良くできていた。これが愛だろうか、と思ってしまった。
そちらのサークルは、軽く数百部。翻って我々は三部。ディレクターは、あっちは印刷に百万ぐらい使ってるんだから仕方ないみたいなことを言っていたが、それがどうしたというのだろうか。
ああ、もういいかな、と。
そのあとは、逃げるように家に帰った。まさか自分の行動を逃げるように、だなんて表現する日が来るとは思いもよらなかったが、事実は小説より奇なりだ。
一眠りすればこの空虚な気持ちも回復するかと思ったが、どうにも戻らないところを見ると、本当に私は心の底から、創作にまつわる全てに失望しているらしい。
もっとも、自分が書かなくとも世の中にはごまんと物語が溢れているし、たかだか商業で本を何冊か書いたぐらいの弱小ライターだ。一人消えたところでなんの影響もない。というより、99%の人間は大なり小なりこういうエピソードで心折られて筆も折るのだろう。
別に彼らと自分が違っている、だなんて思ったことはない。だが、こういう風に筆を折るなんて、少しばかり、いや、だいぶ哀しい。
もう、私は彼らと創作の話をすることはないだろう。スタンスの違い、などでは許容できないほどに、私の物語は蔑ろにされた。それを笑って見過ごせるほど、私は大人ではない。
吐き出してみればすっきりするかと思ったが、存外そうでもないものだ。それどころか、自分の未練を知覚するまである。
だが、今はとにかく、創作というものに喪失感しか覚えていない。だから辞めようと思う。
今までありがとう。
ここまで長い(原稿用紙6枚もあるらしい) チラ裏を、全て読んでくれていたとしたら、ただただ感謝する。
あと、コミケで出展するたびにブースに足を運んでくれた人。本屋で私の小説を買ってくれた人。今まで本当にありがとうございました。
全部当てはまるけれど困ったことはない、なぜならコミュニケーションを殆ど取らない人間だから。
自分は基本的に見た物を記憶することが弱いから顔とか関係なく憶えない。憶えられないのか憶えないのかは知らない。
とりあえず、船越英一郎とグッチ裕三の顔が思い浮かばないわけだけれどね。
相貌失認は知らないけれど、どんな症例も軽い程度だったら10人に1人ぐらいは居るんじゃない?
ちょっと聞きたいんですが、皆さんは下の10項目のうちどのくらい当てはまりますか?
1 自分の顔が分からない
2 顔を見ても目の前にいる人が誰だか見分けられない
3 久しぶりにあったり、雰囲気が変わってると誰だか分からない
4 顔が似ている人同士をよく混同してしまう
5 人の顔を覚えるのが極端に苦手
6 家族の顔を思い浮かべられない
7 グラビアアイドルとかの今イチ顔の印象が薄い人だと、前に見たことがある人物かどうかは分からない
8 自分が似てると思う人について他の人に話すと、全然そんなことは無いと言われる
9 知り合い程度の人の顔は思い浮かべられない
10初対面の時と、知り合った後の印象がうまく繋げられないことが多い
前からうすうす思ってたのですが、最近どうも自分は軽い相貌失認なんじゃないかと思えてきたので、他の人がどんな感じなのかを知りたいです。
ちなみに自分は6から下は全てあてはまります。
が、今まで人を見分けるのに困ったことは特に有りません。