はてなキーワード: ぼんやりとは
常々死にたいと思っていた。死にたいんじゃなくて幸せになりたいんじゃないの、的な話をネットで読んだ時、ああそうかもと思った。
それからはただぼんやり幸せになりたいと思うのだけど、具体的にどうなりたいのかわからないので、具体的にどう行動すればいいのかもわからない。
結局のところつぶやく言葉が死にたいから幸せになりたいに変わっただけで、死にたいのか幸せになりたいのか、自分でもよくわからないが、ともかく、そういう実の感情は何も変わってない。
いきなりですが自分は今回が同人イベント初参加だったのです。正確に言えばお○かけライブなんかには顔を出していたりしていたのですがあのイベントはグッズ参加だったりファンの交流会としての側面が強かったりしたので本を売買するのがメインであろう同人誌即売会への参加はこれが初めてということになります。
「分からねえ……分からねえよ! 自分には何が正解なんだかひとっつも分かりゃしねえ! いったいどうすりゃいいってんだ!」
このようなハラハラドキドキを抱えつつ準備を進めます。まずは小銭です。イベントでは300円や700円など100円玉硬貨があった方が支払いやすそうな価格の本が大量に並んでいそうなことは予想できました。ならば両替だ! と銀行に行ってぼそぼそとした陰気な声で「アノー……リョウガエタノンマース……」とか言わなきゃならないのか、憂鬱だな……とこの時点でコミュニケーション能力に難のある自分はテンションが下がりましたがここは快適な薄い本漁りまくりタイムのため、と銀行にて両替を敢行。無事に大量の100円玉と500円玉を入手するに至ったのです。
次はカバンです。カバンが無ければ本を入れられません。丈夫で大きいカバンの予備が無かった自分はその足で雑貨屋へと向かいました。ファッションセンスというものと無縁なので店員さんに勧められるままシャレオツっぽいものを買ってしまって「どうすんぞこれに合う服とかねーし! 合わねえし!」と内心焦りながら会計を済ませます。とりあえずなんとなく合いそうなものを近くの服屋で見繕いましたが終わった今となってはこのチョイスが正解だったのかどうか大いに疑問が残ります。やっぱ一人で買い物なんかするもんじゃねえや!
あんまり規模が大きいと迷っちゃうかもしれないし、だからって寂しいのもなんだかなあと優柔不断な自分は迷います。泊りがけという選択肢はありません。日帰りです。日帰りは決定事項なのです。仕方ないのでピクシブにてサンプル巡りをします。
「……二日目だな。これは二日目だな。というか他の日にあまりにも人が……気のせいか?」
この時点では配置図は出ていませんでしたが、気のせいではありませんでした。しかしこれはこれで多そうだなあ大丈夫かなあと不安になりつつサークルチェックを進めます。と言ってもナンバーが出て居なかったのでカップリング別にサークル名をメモしておいたぐらいだったのですが。
ゴールデンウィークなんだよなあ、自由席って空いてるかなあ、いざとなったらこだまに乗るぞ! 不安が頭をよぎるたび、自分はイケるイケるとそれを頭の隅に押しやります。不安いっぱいでは恐怖に駆られてせっかくの買い物も思うように楽しめないだろうからという浅はかな考えですが、そうでもしないとこのときの自分は夜も眠れそうになかったのです。
朝早くに起き下手なメイクを施し慣れないスカートを履き荷物をせかせか準備します。財布はイベント用と普通に使う用を2個持ち、なんだかファンシーなデザインの大きいカバンを肩に引っさげ、支度は整いました。朝飯代わりのウイ○ーインゼリーを胃袋に流し込み士気を高めます。
怖え……人いっぱい居るとこ怖え……でも! 行かないと、そこにパラダイスがあるから! 自分は行かなければならないんだ! このような寒いことを考えでもしないと冷静ではいられませんでした。引きこもりをこじらせるとこのようになるので皆さんも気を付けてください。要らぬ心配だとは思いますが。
市内電車に乗って新幹線が停まる駅まで向かい、駅に着くと切符を買ってそわそわしながら列車を待ちます。し、新幹線か、慣れてないからなあ。席空いてるかなあ。立ちっぱは辛い距離だよなあ。考えている間に列車は到着しました。中を覗くと若干の空席があるようでした。よっしゃ! などと言おうものなら不審者まっしぐらなのでここはぐっと抑え、乗り込みます。
乗っている間は携帯をいじったり腕を組んで妄想に励んだり携帯用固形食をかじったりするぐらいで特にどうということも無かったのですが、寝ると荷物をすられやしないかと神経過敏な自分は警戒し続けていたのであまり気が休まりませんでした。とはいえ一人なので寝ないのが当たり前と言えなくもない気がします。
名古屋駅に着くと、そこは未知の国でした。「……デカい!?」というのは規模に対しての感想です。名古屋ってどんなところだろう、味噌? 味付けが濃い? モーニングが豪華? 程度のにわか知識しか無かった自分は大いに驚き、迷いはしないかとビビりました。が、案内板通りに進むことで無事方向音痴の自分も乗り継ぎ切符を買い豊橋駅に向かうことが出来ました。今回は観光出来ませんでしたが、次に来るときは周囲を散策してみたいなと思っております。
豊橋駅に着くと外がなにやら騒がしく、ふらふらと声のする方へ向かって行くとイベントをやっておりパフォーマンスとしてよさこいらしきダンスを披露していました。そのままぼけーっと眺めていましたが、はっと腕時計を見るともうすぐ開場時刻! しかもここバス出るとこと反対出口! 気づいた自分は慌てて早歩き。「待ってろよST豊橋2、もうすぐ自分はそこに着くんだぞ! 逃げるなよ!」逃げねえよ、と思うだけの冷静さはもう既に頭から無くなっておりました。
早足で外に出るとYOUの案内板を持ったスタッフが見え、その方の指示する方向へ向かいます。この時点で同じ目的と思われる方々に取り囲まれていました。会話の内容から彼女たちが誰萌え、あるいはどこ校萌えであるのかが窺い知ることが出来なんだか暖かい気持ちになりましたが、同時に一人で歩く自分に対しどこか寂しい気持ちになりました。しょうがないですよね、ぼっちで来たんですから。
「バスが……立派だ!!」
第一印象がコレか、と思われるかもしれませんが立派でした。観光バスを借りるとは、……儲けてやがるな!? などと下衆な感想を抱きましたがそこは脳内で流して乗り込みます。既に車内には何人か待機しており、彼女らもまたこれから向かう会場に対しての予想などを並べ立てていました。なんせ地図で見た限りは倉庫でしたから、会場として機能するのか不安もあったのだと思われます。かくいう自分もその通りで、大丈夫かなあとぼんやり考えながらバスに揺られていました。さあ会場はもうすぐそこです。
「うわ外観めっちゃ倉庫やん!」まんまじゃねーか、な感想は置いておきます。手荷物検査を受けるとシールを渡され目立つところに貼っておくようにと念を押されました。流石にセキュリティは厳重です。なんだかピリピリした雰囲気だなあと思いながら入口から会場の様子を窺います。
そこに居たのは300スペース超のサークル参加の方々と、今日を楽しみに集まってきた一般参加の方々、その方々の熱気で構成された異空間、夢が形になった場所でした。ここにいる人たちは趣向の差はあれどおおむね同じ目的で参加しているんだなあ、そのことを実感し感動しました。生の空気というものはいいんだなあ。同人誌なんて通販で買えばいいじゃん、そのように冷めた気持ちが自分の中にあったことは否定できません、しかしこのときをもってそのような斜めに構えた気持ちは消え去ったのです。この熱を自分の肌で感じ、自然とそのようになったのでした。
ややまごつきながらパンフレットを買い、きょろきょろとあたりを見回しながら会場の隅に向かいます。パンフレットの配置図へ事前にチェックしておいたサークルをマーカーで引き、いざ出発! 果たして無事に買うことが出来るだろうか、そう思いながら横目で受付近くを見ているとなぜか地元の団体さんがはんぺんを配っていました。後で聞くとこのはんぺんは無料だったようで、というか放送でもそんなことを言っていたようで、しかも美味しかったという感想もあり、もらっておけばよかったかなあなどと今更現金なことを考えています。
目当てのCPの島に来ると当たり前ですが同じCPが固まっていて、そこで買い物をしている方を見て「あ、同じCPが好きなんだな」と思うとなんとなく嬉しく思いました。自分ではあまり買わないCPでもポスターやポップが来られているとついつい寄ってしまい「よし買いだ!」と買わせてしまう、そんな勢いや愛にも満ちていました。幸せな気分で今日一番の目当てだったサークルさんの所に足を運びます。無事に帰るだろうか、緊張しながらスペースに向かうと……。
誰も居ない。あれ、間違えたかな、と机に張り出されているナンバーとサークル名を見ました。間違っていません。すかさずツイッターで確認を取ります。今日になって急遽欠席が決まったようでした。しょぼくれましたが、気を取り直し他のサークルさんの元へ向かいます。ここで挫けてはいられません、目当ての本は他にもたくさんあるのですから。分かってはいても、やっぱり残念でした。またの機会があれば今度こそ、と思いつつ探索を続けます。
「おおう、やはり色がどこも派手だなあ。こういう彩のあるジャンルは見てるだけでも楽しくていいよね」
なんて他人事なコメントだと思われるかもしれませんが、現実の光景だというのに目の前で行われているイベントにリアルさを感じることが出来なかったのです。そこはさながら夢の国、すっごい遊園地。異世界でした。普通にレイヤーさんが歩いているのを見て○○が歩いてる……そんな風に茫然とするしかなかったのです。BGMとしてキャラソンがかかりまくり、人はごったがえし、そこらじゅうで普段は出来ないジャンルトークを楽しんでいる。夢のようでした。同人イベントっていいなあ、漠然と抱いていた憧れはここで実感に変わったのです。
コピー本コンテストに投票したり、同人誌なのにすごい厚いよ!? とアンソロジーを見て驚愕したり、「だって○○受けってここしかないじゃん……」とジャンル友達にぶっちゃけトークをしているのを聞いて複雑になったり、桃リコが可愛かったり、こんなCPあったんだーと驚いたと思っていたらいつのまにか買っていたり、委託本にも手を出したり、同じところをぐるぐる回って「へへへこのCPもいっぱいいるじゃんすげーじゃん」と悦に入ったり、……とにかく、普段では絶対に発散できない類の衝動を思いっきり発散できる場所であり、幸せが形になった場所でした。
「そういえば、このジャンルはしばらくイベントが開催できなかったんだよなあ……」
噛みしめます。無事に開催できて本当に良かった。これだけの人が喜びを分かち合える空間が壊されなくてよかった。どうかもう、中止などという悲しすぎることが起こらないように。改めて祈りました。
そろそろ会場を後にしなければ。腕時計を確認すると会場を出てバス乗り場に向かいます。クレープの屋台などが出ていましたが、どうも待ち時間的に食べられそうになかったので泣く泣く断念。ちくしょう、時間に余裕を持って行動しないとな。
バスに乗り込むとイベントの熱が冷めやらぬ人たちが熱心に語り合っています。これが公共の交通機関であれば眉をひそめられることなのでしょうが、ここはイベント専用の車内です。思う存分余韻を分かち合会えるこの空間もまた乙なものだなあと思いました。ただ、送迎用にバスを用意するなんて普通は無理だよなあとも思います。アフターがしたいならやはり2次会にしておいた方が良いようです。自分はぼっちなのでどうにもなりませんが。
バスから降りると、一気に現実に引き戻されました。もう夢は終わったんだ。でも、自分には思い出が出来ました。代えの利かない大切な思い出です。また行きたいな。今度もこのジャンル、いや別のジャンルか、ジャンル無しの大きいイベントにも勇気を出して行ってみようか。今までは恐怖が先立ちどうしても踏み出せなかった一歩をやっと踏み出したこの日、自分の世界は広がった気がします。今回のイベントに参加できてよかった。心からそう思っています。
最後に、主催のスタジオYOUさん、イベント開催お疲れ様でした! また次も頑張ってください、応援してます!
今ちょっと流行ってる1時間で人生おわるゲームにもう丸2ヶ月以上ハマっている
ログイン報酬とかデイリーとか一切ないどころか1時間で寿命でPS以外何も引き継がれないけどその潔さが好きで毎日数時間やってる
このゲームのアプリ版が日本で妙に人気になっていて日本鯖だけで8鯖ある(うち4鯖はビギナー鯖)
各鯖の定員は200人で夕方から夜はほぼ満杯 夜中でも150人くらいずつとか余裕でいる
明け方から早朝にかけて人が減ってそこで文明が途絶えがちなので発展してない村に生まれたい人は午前中がいいかもね
日本鯖はそんなだけど他の国の鯖はそうでもなくて例えばシンガポール鯖なんかは常に人が少ないし(20人とか)なんなら中身は日本鯖の混雑に嫌気がさした日本人だったりする
とにかく日本人・日本語話者が多い 他の言語圏の人がやりにくいんじゃないかってくらい
まあこのゲームはもともとPCなので英語圏ではまってる人の多くはPCでやってんのかな?とは思うんだけど
クッキークリッカーもなんだか急に日本であほみたいに流行ったのをふと思い出したので
そういう感じでなんか急に局所的に流行ったゲームが他にもあったら知りたい
ヤギのゲームとかパンのゲームとか壺おじさんとかぼんやりと思い出すけどどこで主に流行ってたのかよくわかんない
ああ、ああ困ったなあ
もう居場所が無くなりそうさ
大学生、専門に課題に部活に寝る間も惜しんでがむしゃらに頑張ったつもりさ休みたくてもやりきったつもりさ
やっと休めるとばかりにやる事が軽くなって自分の時間が取れたのさ
親は私を叱るのさダラけていると叱るのさ
親の言う事はもっともさ親が怖くて反論もできやしない小心者の私は休ませてくれと言えやしない
いつも死にたいとぼんやりと思ってた、それでも3割ほどの想いと思ってた、だから頑張っていたいのさ
4年になったら死のうと思ってた、だから今死んでも少し寿命が縮むだけさと思ったのさ
寝てれば誘惑は消え失せるだから寝ていたいと思ったのさ
もうそれもいつの日か出来なくなる、今日も大学があると嘘をつき街を彷徨い歩いてこの文章を書く
さおりさん、こんなところまで政府批判を持ち込むならば、あらゆる動画で朝鮮、韓国政府、中国共産党の批判をする人々を批判することがダブルスタンダードになってしまいますよ。ありとあらゆる動画で中国共産党や韓国政府、馬鹿な中国人、馬鹿な朝鮮人の悪口を見聞きしたいですか? それは容易に実現することができるでしょう。それに日本企業で作られるアイスで牛乳が原材料のものはいくらでもあります。検索すればすぐにヒットしますが。嘘や間違った政策だ なんてぼんやりした批判はアメリカにも中国にも韓国にもいくらでもつけられるものです。韓国なんて日本との約束を裏切ってばかりですからね。韓国軍兵士が無抵抗なベトナム村民に対してやった大量強姦殺人事件"ライダイハン"を棚上げしつつ解決済みの慰安婦(実際は自主的に売春していた人々だったと発覚。朝鮮人による人身売買もあった。)問題をぶり返したり、最近では同じく日本国民の多額の税金で解決済みの徴用工問題にしてもそうです。中国なんて毒入り粉ミルクなど幾多の飲食物が虚偽どころか命がけです。アメリカでは原爆実験で兵士に嘘をつき多数の放射線死傷者を出した過去があり、ベトナム戦争開戦でも実はアメリカによる「ベトナムが初めに攻撃してきた」という声明が嘘だと発覚し、実質的にベトナム戦争はアメリカによる一方的な侵略だった事実が明らかになってもいる。アメリカ政府およびアメリカ兵士はベトナム人の民間人をも大勢殺傷し、枯葉剤の薬剤により多数の重大な被害を数世代に渡って出し続けた。どこの国でもいくらでも批判はできるものです。治安、安定した電力や水、安心できる飲食物、社会保障など総合的に考えれば、日本人であることは、世界的にも極めて恵まれたことです。さおりさんは日本が嫌ならば北朝鮮人にでもなればいいでしょう。
オリラジあっちゃんの記事に、憤りしか感じない。それはおそらく、自分が似たような行き違いを夫としているから。肝心なのは、中田さんは、福田さんの気持ちをわかろうとしたか?ということだと思う。
中田さんは、アレをした、コレをした、ということを言っているけど、じゃあなぜ妻がそうして欲しかったのか、わかろうとしたか?なぜ妻が子どもを先に拭いてくれと言ったのか。子どもが冷えてしまうことを心配していた母親心を、中田は理解したのだろうか。
中田さんの主張を見ていると、自分は我慢して、自分のやりたいことができていない!と仰せだけど、奥さんは?
「それぞれの夫の長所を伸ばしてほしい」
奥さんは?あんなに可愛くて素敵な奥さんの笑顔をどうして伸ばしてあげなかったの?あんなに可愛かった奥さんを、わがまま若手女優にしてしまったのは、誰?
奥さんは?奥さん、タバコは?お酒は?趣味は?オシャレは?仕事は?
当たり前だ。奥さんだって、子育てなんかしてるより、綺麗に着飾ってて面白いこと言って、みんなに素敵って言われる方が向いてるし楽しいに決まっている。
男性は、「やーめた!」で投げ出せる。
でも奥さんは?奥さんは子育てを投げ出せるの?子どもたちはどうするの?
本当に自分のことしか考えずに、わがままを言っているのは、誰?
「シッターを雇えばいい」
結論的にはそうかもしれない。でもね、奥さん んは、まず旦那さんにわかってほしかったんじゃない?自分のやりたいことぜーんぶ我慢して子育てしている自分の気持ちを。
同じ我慢をしろとは思っていない。ただ、わかってほしい。子育てのタスクの多さ、自分のことなんて考える余裕もない日々。追い詰められた気持ちを、分かって、助けてほしかったんじゃないかな。
どうやら、ここに男女の行き違いが生じるらしい。男性は「問題解決」、行動で解決したがる。妻がああ言うから、やった。言われた行動をとれば満足してもらえると考える。
でも女性は違う。女性が求めるのは、「感情の共有」。自分のかかえる悩みやフラストレーションを、とにかく「わかってほしい」。わかってほしいから訴える。
けれど、女性から何かを訴えられたとき、男性は「じゃあこうすればいいんでしょ」と行動をとる。あれもやった、これもやった、と主張しているあたり、中田さんもそれに当てはまるのではないかしら。
けれど、女性が本当にしてほしかったのは、「気持ちをわかってもらうこと」。いくら行動をとっても、気持ちをわかってもらえない、自分の本当にしてほしいことが解消されないから、エスカレートする。そして男性は、こんなにやっているのに!なんで!?となる。
うちの場合はそうだった。
もちろん、男性でも他者の気持ちを慮ることのできる人もいる。でも、男性の中には他者の気持ちに共感するということが本当に苦手な人もいる。それこそ、個々の得意不得意、の範囲であって、どちらがいい悪い、ということはない。
ただ、女性にとっては、出産・育児の大変さは、その向き不向きに関係なく、女性というだけで降ってくる。その人生の大変な時期に、パートナーである夫に寄り添ってほしい。ただそれだけのことなのだ。
そのあたりの男女の行き違いは、お互いに自覚することが欠落していると思うし、もう一つは、女性にとって出産・子育てというのがどれだけ大変で、どんなサポートが必要か?という社会全体の知識不足にあると思う。
ここまでボロクソに書いたが、実は中田さんの感じている事は間違いではない。自分の好きなことを我慢して、仕事も制限され、自分の向いてない家事育児をしなければならない。それはとても大変でつらいこと。
しかし、多くの女性はその困難を背負うことを「当たり前」とされているのだ。中田さんの奥さんもそう。中田さんが「やーめた!」と言った家事育児は誰が担うのか。間違いなく中田さんの奥さんだ。そこをどう考えるか。
「奥さんが作り上げたいい夫像を押し付けられる」と言っているが、自分はどうか。「子育ては女性のするもの」という「いい奥さん像」を無意識のうちに押し付けているのは中田さんのほうなのではないだろうか。
つまり、足りなかったのは「出産・育児が女性に与える負担」の知識。奥さんも中田さんも、ぼんやりと家事育児は女性がして当たり前、という前提があって疑わなかった。けれど実際蓋を開けてみたら趣味も仕事も我慢するばかりで育児って大変。
もうこれは日本社会全体がそういう空気だし、女性の出産・育児ということへの知識が足りなさすぎるのだ。本当はこんなに大変なことなのに、何の疑問もなく全部女性におっかぶせてきた。そこに問題があるのではないだろうか。
夫と妻、それぞれどの程度負担していくかは、各夫婦で落とし所は違うかもしれない。それで構わない。けれど、芸能人である中田さんが「いい夫やーめた」と声高に言うことで、それがモデルケースのように扱われることに怖さを感じる。
ちょっと待って、それでいいの?
きちんと奥さんと話し合って。納得した上で決めてほしい。
シッターを雇うにしても、奥さんの気持ちを聞いた上で「そんなに負担に感じているんだね。それならシッターを雇うのはどうだろう」と話し合うのと、「やーめた!そんなに不満なら稼いでくるからシッターでも雇えばいい!」と突き放されるのとでは全然違う。
イクメンがもてはやされ、男性の育児参加が進んできた時代、揺り戻しがくるのは仕方のないことだと思う。でもそれは、女性からしたら「やっと育児の大変さに気付いてくれたのか!」という段階。
そうなんだよ、仕事も趣味も酒もタバコも付き合いもぜーんぶ我慢して向き合わなきゃいけないんだよ。すごく辛いことなんだよ。
だからこそそこで、「やーめた」となってしまうのではなく、もう一歩踏み込んで、「この負担を減らすために、夫婦2人でどうやって協力していったらいいか」という視点に持っていける社会になってほしい。
2週間前、インスタントコーヒーの瓶(大きさわかんないけどかなりでかいサイズ)を買った。
一昨日までで既に半分以上飲んでいた。他の飲み物を飲まないので、一日に5杯以上は飲んでいたと思う。牛乳たっぷり・コーヒーの粉たっぷりの濃いめのカフェラテもどきで毎日腹を下しながら、懲りずに飲み続けた。美味いから。
元々コーヒーに牛乳たっぷり入れて飲むのが好きだ。一人暮らしなのに1リットルパックの牛乳を3日ほどで飲み切るくらい、そりゃもうガブガブ飲んでいた。
でもここ最近、明らかに飲む量が増えた。牛乳を1度の買い物で2本買った。コーヒー以外の飲み物は、ミルクティーと時々ペプシくらいしか飲まなくなった。
ふと、体調の変化に気付いた。眠れない。でも日中は無性に昼寝がしたい。喉が乾く。常にぼんやりと頭が痛くなる。
もしかしてこれカフェインのせいかな?そう思って、砂糖を入れただけのアップルティーを代わりに飲み始めた。美味。爽やかな味。牛乳や濃いコーヒーのもったり感が無く飲みやすかった。
一昨日から今まで、カフェラテもどきは2杯も飲んでいないが、何故かぼんやりした頭痛が消えた。昼間の眠気も特に無い。ついでだが、腹を下す回数も減った。
1日2日でこんなに変わるのかは分からないけれど、何となくスッキリした気分だ。これからはコーヒーばっかり飲む生活は改めようかなとちょっと思った。
気持ちの整理に書かせてもらう。
数年前、最愛の猫が死んだ。
その子が死んだら自分も生きていけないとすら思っていた猫だった。
それなのに実際のところ、自分は涙を一滴も流さず、それどころか悲しささえ感じなかった。
自分のことをよく泣いてよく笑う人間だと思っていたから、この感覚は凄く奇妙だった。
どうして何も感じないんだろう?
猫の死を実感できていないのか。ショック過ぎるのか。もしかしたら本当は愛していなかったのか。自分は薄情なやつなのか。
そもそも生き物が生きて死んでいくことに意味なんてないのではないか。
何年も考え続けた。どこか冷めたような気持ちで生活しながら、ぼんやりと。
最近、なんでもないような瞬間にふと、あることに気付いた。
あれからずっと心のどこかで、何かが欠けたような感じがしていること。
衰弱して目も開かないような子猫の頃、一度は処分されそうになったところを引き取った。
臆病で人を怖がって、でも自分のことは気に入ってよく傍にいてくれた。
最期に見つけた時、まだ体が柔らかくて、太陽の熱で体があたたまっていたから、生きてるみたいだなって思った。
あたたかさ、柔らかさ、よく居た寝床、お気に入りのごはん、抱っこされるのが好きだったこと。
自分にとってあの子のすべては、死んでしまったことへの悲しさじゃなく、一緒に過ごした時間の方だった。
そんな単純なことをようやくちゃんと理解できて、はじめて涙が出た。
昨今の流れでは、お気持ち、と揶揄されがちだが、他者の感情に対する配慮自体は確かに重要なことである。
というのも、ちょっと前までの人権っていうのは、個人の感情というものを全く無視していた。弱者への保護は、「無知のヴェール」で有名なロールズ流の功利主義的な操作によってのみ正当化されていたし、そうでないといけないと考えられていた。だって客観的論理的に議論を進めるには、感情を無視した功利主義を使うしかなかったから。
でもそれじゃあやっぱり理屈から取りこぼされるものが出てくるし、そもそも現実に即してない。現実の人間は感情を持っていて、感情に基づいて人を助ける。もし自分が弱者だったら、とかいちいち想像力を働かせて人権を守ってる奴なんていない。
理屈にならない感情、個人のお気持ちに対する配慮、共感こそが人権を守る本当のキーなのだ。
そういう事を言い出したのがだいたい20世紀後半だ。「相手の気持ちを考えましょう」と俺も学校で教わった。
でもここでKKOとかの話が問題になってくるわけだ。
キモいオッサンに共感する人は少ない。人権の話をしているのに、*ただイケ、みたいな事が起きてしまう。
そもそも昔、ロールズが功利主義で人権を定義づけようとしたのは、そうしないと平等には出来なかったからだ。なのに功利主義を捨てて共感メインに走ったら、それはもちろん不平等・身内ひいきになる。そういう批判は昔からされていたが、ポリコレ運動の結実とSNSの普及が始まった2010年代になって、現実社会で危惧が顕在化してきた。
増田やツイッターの上っ面だけじゃなく、もっと別の文脈でも、このような批判は、既に始まっている。
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080275981.html
「でた、お気持ちー!」とか揶揄している人たちが本質的に求めているのは「お前の気持ちはいいけど俺らの気持ちは?」ということだ。ヘイトスピーチを広めるネトウヨたちにも気持ちはある。しかも彼らは往々にして低所得者で、つまり社会的弱者だよ。人権運動家が彼らと敵対するしかなかったの、ほんと思想的危機と思うわ。
かといって、今更ロールズに戻るわけにもいかず、一体どうするんだろうね。
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たくさんのブクマカありがとうございます。
>一体どうするって、やはり戦争が続くのだろう
ですかね。
このエントリは、言及先の増田を見て、個人的には戦争以外の何か包括的な考えがないだろうか、という思い付きから書いたものだったが、「そんなもんねーよ」と言われたら、うーんやっぱりかーという感じ。
弱者のみを都合よく救うことなどできない、という話も胸にささった。こうなるともうネットで正義を議論すること自体が不毛で愚かだ。それもやっぱり感ある。
貴方がたは正しい。
男どもは貴方の父親や夫じゃないので、貴方が性行為に恐怖していてもしったこっちゃない。
このエントリは、そんなしったこっちゃないの殴り合いでいいのか?という思い付きを記したものだが、やっぱ殴り合いはするしかないのだろう。
あそうか、変な言葉使ってしまった、というのが正直なところ。教科書にないことを書いた。
しかしやはり僕は、ロールズは実際に功利主義の一派だと理解している。正義論は功利主義批判とは言われるが、その内容はつまるところ「無知のヴェールみたいな仮定を置けば、功利主義でも弱者を守れる」であって、遅れてきた修正功利主義といって差し支えないと思う。しかもその理論は、ロールズ批判に重箱の隅をつつかれまくって最終的に破綻したように思われ、その根本原因はロールズが功利主義的であったからじゃないかと思う。
ロールズ後に現れた共感、と書いたは現代フェミニズムの源流の一つ?であるケアの倫理の登場を念頭に置いており、フェミニズムの皆様がお気持ち理論を繰り広げるのは明らかに「ケア」の影響のはずだ。しかしそれは先の述べたように社会全体としては争いを誘発するものであるようだ。
そういう自分の中のぼんやりした理解を、雑に社会学史一般に当てはめてしまったのは、やはり失敗だったのだろう。まさかこんなに読まれるとはね。
一棟一棟の同じようで違う外見。点在する公園の統一感のあるはがれかけの塗装。道の舗装がガタガタの商店街。どれも少年時代の風景として思い出に刻まれている。
この団地はほとんどが建て替えられ、今最後のエリアが取り壊しのため囲われている。
私はつい先日、生まれ育った団地でない、別の団地という区域に生まれて初めて足を踏み入れた。自分の育った団地以外にも団地はあるということはもちろん知っていたし、車やバスで通りがかったことは何度かあったが、自分の足でちゃんとその中を歩いたことはこれまでなかった。
この別の団地を歩いているとだんだん、夢を見ているような、頭がぼんやりとして足を前に出す感覚が薄れる奇妙な感覚に襲われた。
夢を見ているとき、「ここはあのAという場所だ」と自覚していても、その風景が恐らく記憶の再現の失敗によりどこか微妙に違っている、といったことがよく起きる。他の人がどうか知らないが、少なくとも私はそうだ。
この感覚と全く同じ感覚が私を襲っていた。あそこは私にとってまさしく、夢のような風景であったのだ。
ほとんど似ているが微妙に違う棟の形や塗装の色、番号の付け方。道の曲がり具合。つくりは違うが同じように寂れている商店街。
当たり前なのだが、似ている。だがその場所は、私の記憶の再現の失敗した風景だと言われても微塵も疑えない。
夢を見ているような、奇妙で、そして懐かしい体験だった。
10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリの希望もない恋だった。
好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢を今日、自分で選んだ。
好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。
特別可愛いわけでもスタイルがいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意もプライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。
好きだった人と同じ髪型だったからLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。
「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。
私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーとデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。
いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。
これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。
「変わった人だなあ」が第一印象だった。
その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。
2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草、視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。
それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶違いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいつももう少し一緒にいたかった。でもその感情は好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。
「ホテルで映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画を再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロールが流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。
それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。
このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。
それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。
彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋で自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬をオーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。
そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛に依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛にアクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。
「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」
保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安で心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。
告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。
「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。
8月14日。お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10時から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店で他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。
「ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後だから」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。
それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。
すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ
ていったのは確かだった。
でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人のSNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒はさらに揺れて、そう長くは続かなかった。
「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿げたことを思った。
そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所で待ち伏せをした。
彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。
彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。
2月17日、たった1時間ちょっとの時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインのチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。
2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。
10月16日。彼のSNSのひとつに鍵がついた。もうひとつのSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いのきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。
息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎ、キスをして、セックスをするんだろうな。
悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。
これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。
ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。
彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントのひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージを検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。
「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。
喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。
好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。
SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。
私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。
今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。
やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名の日記にするくらいには悲しい。
本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子だから、絶対絶対絶対、幸せになってね。
国公立理系にはなんとなく来た.ぼんやり興味のある分野に来たつもりだったが,自分はコード書いてる方が楽しいんだなぁと気づいたのがB4卒論を書いているときだった
M1になった今,情報系ではなかったことを後悔しているけど,とりあえずプログラミングを勉強してはいる.
成果物が手元の端末に置けるっていいなって思ってモバイルエンジニア,特にiOSエンジニアを志望するつもりだ.
で,就活で大学で打ち込んだことはなんですか,とよく聞かれるらしいがそれを答えるためだけに大学に行っていたのだろうか,果たして俺は打ち込んだことに何を言えばいいんだろう
でも大学で研究して得たものはうちの研究室では就職に直接繋がらない.
画像処理やってたから画像処理系,機械学習の研究やってたから機械学習を使う,そんな職に就けるようなわかりやすい研究ではない.
大学の勉強は往往にして職にはほぼ関わらないというのは,自分には,わかるようでよくわからない
研究したかったから来たけど途中で職にしたいことは別だと気づいた,でも大学院まで来てしまっているし辞める踏ん切りも金もない.こんな中途半端な気持ちで何を言えというのだろう.
アプリを書くのは楽しいけどおそらく周りの大学時代の空き時間はみんなコード書くのに費やしました〜という人間には全く足元にも及ばないだろう,そんな微妙な自分を採用する企業はあるのか
著名なアプリエンジニアの方々の中にも自分と同じ分野出身の方がいて,就職路線は普通に用意されているんだな,とは感じるが…
読みづらくてごめんね 就職が怖くてすごい不安なんだ 周りからは焦り過ぎって言われたけどどうしてそんな楽観できるかわからないんだ
ここ5,6年で完全に自分には才能もセンスも情念もないことがわかりきって、自分より才能もセンスも情念もみなぎってる若手にあっという間に追い抜かされる日々。
自己肯定感も何もない。毎日うんこ仕事みたいなクソCG案件の保守アップデートだけやってる。
新しいことやりたくても、もうついていけない。Houdini? Unreal Engine? VR? Unity?なにそれおいしいの?
みんな仕事終わりの平日夜とか週末にガンガン自主制作してガンガンスキルあげてるけど、うちはもう既婚&子持ちだから家に帰るとマジで時間がない。週末なんて子供の遊び相手とか掃除洗濯で全部消える。
もう成長する伸びシロが全然ないんだよね。赤魔導士レベル15くらいで止まった感じ。6歳歳下の共稼ぎの嫁さんにも年収越されたよ(涙
そんなこんなでCGメインよりもCG関連のエンジニアとかプログラマになりたいって超ぼんやり思ってるんだけど無謀かな?
だってCG本業じゃ好きでやっている連中にはもう勝てないので、せめてあいつらが面倒でやりたがらなそうな分野に手を伸ばさないと生きていけないじゃん?
今んとこレンダリング中の待ち時間でprogateの無料アカウントでpythonの勉強してる。なんでpythonかっていうと噂ではCGプロダクション内でよく使われてるらしいから。。。いまさらJavaScriptとかゼロからやってキャリアから遠いウェブプログラミング目指すよりはCG系のプログラミングのほうがキャリアの応用が利くかな?って思うだけど甘いかな?
テックアート!!!Techinical Artistを目指したいんですよ。でもTechinical Artistって何するのかもよくわかってないかも。だってゲーム会社やらCGプロダクションの中の人に聞いてもみんな言っていることが違うんだもん。
40過ぎのおっさんでも専門プログラミングを学んでTechical Artistになれますかね???やる気はそこそこあります。でも時間がほとんどないです。。。トイレでウンコするときか電車で通勤するときしか読書する時間ないんですが、プログラミングの本は実際にパソコンいじらないとわけわかんないよーーー。奇跡的に金曜日の夜に子供が早くねたら早朝2,3時間だけフリータイムくるけど最近寝付かせも俺担当だからマイパソコンが寝室にあって結局使えません涙
リクルーターに聞いても「(40歳過ぎの)その年齢では即戦力じゃないと厳しいです」ってはっきりいわれてるんだけど!はっきり言ってくれるね!!
とりあえず増田に泣き言かけば誰か親切な人がブコメでアドバイスくれるってきいてきてみたよ!だれか40過ぎの負け組おっさん助けて!
直球すぎて自分でも笑っちゃう。そう、これは自分語りだ。自分でも受け入れられない、けれど認めざるをえない私について、誰かに話したくて、けど理解されなくて、不可解な目で見られることが怖い私の、自己満足。
私はノンセクだ。ノンセクシャル。平たく言えば「恋愛感情はあるけれど性欲はない」セクシャルマイノリティのこと。認知度は低く、カミングアウトしても大体の人からは首を傾げられる。私はこの、ノンセクシャルである自分のことが本当に嫌いだ。受け入れられない。大嫌いだ。何で私はこんな出来損ないに生まれてしまったんだろう。どうして他人と同じように、当たり前に好きな人に告白して、結婚したりとか、夢見ることができないんだろう。どうして、どうしてはいつも頭にこびりついていて、それを思い出すたび私は、ヘテロではない自分を殺したくなる。
何かがおかしいと思ったのは、高校生の時、初めてキスした時だった。それまでずっと、ぼんやりとした思いで、いつかはキスしたりとかしたくなるんだろうな。セックスとかもするんだろうと、思ってた。けど、付き合って一年以上経っても私はそれを全然したいと思わなくて。キスがしたい、と当時の彼氏に言われてキスをして初めて、それに対して「何とも思っていない」自分に気づいた。
好きならもっと、キスがしたいだとか、したら幸せだと思うとか、あるんじゃないの? そう思うと、私は彼のことが好きじゃないのかもしれない、好きじゃないのに、こんなにまっすぐな愛情を受け取り続けるのか、と思ってしまった。そう思うと辛くなって、高校三年生の夏に、別れてしまった。問題はその後だった。
好きじゃなくて別れたはずなのに、彼のことを考えてしまう。他の人に取られるのは嫌だ、私以外の女の人と幸せになるくらいならいっそ私が死ぬか、彼が死ぬかしてしまえばいいのに。恋人らしいことをしたいと思えなくて、でも彼のことは他の誰にも取られたくないほど大好きで。わけがわからなかった。彼のことを受け入れられないのに好き? いいやこの好きは、情が移っただけの勘違いだ、もっと別に好きになれるような人がいるはずだ。でもこんなに好きなのに、恋愛じゃないのはおかしいんじゃないの? ぐるぐる頭の中で回って気持ち悪かった。
そんな気持ちにケリがついて、同時に自分を憎んで殺したくなったのは、大学二年生の時。ノンセクシャルという概念を知った時だった。納得して、同時に絶望した。私はもうこれから先二度と、普通の人が当たり前に手にできる幸せを手にできないのだ。
大学一年生の時に一度よりを戻した彼氏の、「別れていた間、ずっと忘れられなかったほど好きだよ」という言葉を思い出す。こんなにも彼は私を好いていてくれているのに、私と彼は絶対に一緒になれない。だって私がノンセクだから。好きでも、セックスしたいと思わない。彼は好きだからセックスしたいと思う。この差がどれだけ残酷か、誰もわかってくれない。
どんなに好きでも私は、肉体的に相手を受け入れることができない。性行為に嫌悪があるわけではないからできるのだろうけど、何も感じないし高ぶらない、言ってしまえばマグロになる。相手から向けられた感情の熱量に、同じだけの大きさで応えることができない。私が我慢して演技して受け入れることを、優しい彼はきっと望まない。けど、そんな優しい彼に我慢をさせることは私が望まない。一緒になっても誰も幸せになれない。好き合ってるのに、こんなに大好きなのに、好きだと言ってもらえたのに。
私に性欲があればよかったのに。あればこんなに苦しい思いもせずに、彼の隣で笑っていられるのに。彼に「好きだよ」と伝えて、手をつないで、キスをして、そんな幸せな未来だって描けるのに。私に性欲がないから。私が全部悪いから、幸せな未来だって望むこともできないんだ。どうしてこんな出来損ないに生まれてきたんだろう。私はどこで間違えて、こんな頭に、体に、心になってしまったんだろう。頭と心と体がチグハグで、それぞれが違う方向へ行くから、自分が引きちぎれそう。彼のことが好きな私と、性行為に何も感じない頭と体。わけがわからない。気持ち悪い。私は本当に、自分が憎くてしょうがない。
こんな話を他人にすると「それなら次は、受け入れてくれる人を探そう」と言われる。違う、違う。私が好きなのは彼なのに。そうじゃないのに、彼と一緒に居たくて、彼と幸せになりたくて、彼と同じように彼を愛したいのに。だからこんなに苦しくて辛くて痛いのに、受け入れてくれる人を探そうだなんて。私に性欲があったなら、絶対もっと別なアドバイスをするくせに。次じゃない、現在進行形で好きなのに。
仮に次があったとしても、私は告白もできない。向こうから好かれていたって、受け入れることはできない。だって私はノンセクだから。もし相手がヘテロだったら? ヘテロじゃなくても、性欲をちゃんと持ってる人だったら? はいだめ、もう私は一緒になれない。そんなこと考えないでしょ? 相手がどんなに私のことを好いていても、私がどんなに相手を好いていても、絶対に付き合ったりなんてできない。普通の人が悩むようなことよりも、もっと手前のことで私は諦めなきゃいけない。そんな苦しさ、誰もわかっちゃいない。
「本当は恋じゃないんじゃないの?」なんて言葉は失礼にもほどがある。じゃあなんで私は、こんなにも大きな感情に苦しんでるの。好きで好きで大好きで、誰にも取られたくなくて取られるくらいなら死んでほしいくらいに大きいのに。これは友情? 絶対ノーって答えるでしょう? じゃあ何になるの? そうだよ、浅ましい嫉妬と独占欲も詰まった、立派な恋愛感情だよ。なのに、私は、一般的な恋愛感情と一緒にあるはずのものがない。かけてる欠陥品なんだ。
たった一つ、他人にあるものがないだけで、こんなに生きづらい。苦しい。どうしようもならないから、引きずって生きるしかない。私は、性欲を持てない私が大嫌いだ。
現実に存在しないアニメキャラなのに、Youtuberと同じに動画でしゃべってる。
アニメキャラが人間のように動いていて、現実の人間と対等に話している、それが面白かったのに。
現実の人間と同じ基準で評価・批判されるのも、一人の人格として認められてるからだ、とみることもできる。
現実的に考えれば、そういうのは出てくるだろう。問題があった時に訴えを聞くのはVtuberではなく、リアルの誰かだ。
でもさ、そういうのがあいまいだったから不思議面白かった面もあるわけで。
この議論に首を突っ込んで、クリアにしていこうとすればするほど、夢が覚めていくような気がする。
スタッフの誰か一人でも、Vtuberより前に出て説明してしまえば、Vtuberは所属タレント、あるいはキャラクターのようになってしまうわけで。
なんだかな。
「Vtuberの概念はこうだ」「Vtuberはこう説明できる」と決まってしまったら、なんだかな。
手品の種まで知ってても手品を好きかとか…ちょっと違う…「ぼんやり見ていてただ楽しい」を卒業しないとだめなんだろうか、とか。
私には大好きな神絵師がいる。2万フォロワー越えの、(主観)神絵師である。そしてその神絵師は私とは違うcpを推している。私がABを推しているとしたら、彼女はCBというふうに。
ここまでは良い。よくある話である。
問題は、私が固定派だということだ。
固定派腐女子の方が読まれているなら分かっていただけると思う。推しcpが違う…しかも、攻め違い。これは固定派にとって大変重大な問題である。
私は私の推しcpが絶対唯一無二のcp(運命cp)であると考えているタイプの固定派である。
たいへん生きづらい私は快適なSNS生活を送るためにもちろん、他cpは即ブロック&ミュート。逆cpもまた然り。そうして自分の心の安寧を保ってきた。 もちろんどんなに素敵な絵を描く神絵師でも秒でブロックして生きてきた。そうしなければ殺意でどうにかなりそうだったから。
推しcpが溢れるTL。私はとても穏やかな心持ちでSNS活動をしていた。
件の神絵師を見つけるまで。
その日は突然訪れた。TLにとある絵が流れてきたのだ。私の推しである美少年キャラが描かれたイラストである。
う、美しい…!あまりにも美しすぎる。
その絵を見た私は思わず感嘆のため息を漏らした。繊細で柔らかく、透き通るような色使いで描かれた推しキャラはまるで、ヴィーナスを彷彿とさせるような美しさである。ヴィーナスなどと書いたが、正直な話私はあまり絵画には明るくない。ただ、そのイラストに描かれた推しキャラは形容し難い美しさであり、それは美の女神ヴィーナスを彷彿させるほどであったわけである。当時の私がヴィーナスを彷彿させたかは置いといてだ。
直球どストライクな絵柄に私の胸は貫かれた。
こんな美しい絵を描く人間がこの世に存在するのかと関心すらしていた。もちろんすぐにイラストは保存した。
「他にどんな絵を描いているんだろう?」
きっと美しい推しを沢山描いてくれているに違いない。こんな神絵師と出会わせてくれたフォロワーありがとう。きっとサムネイルもヘッダーも美しいんだろうな。とか呑気なことを考えながら、私は興奮気味に神絵師のプロフィールを開いた。
しかし、私の目に飛び込んできたのはサムネイルでもヘッダーでも無かった。
私は発狂した。
一瞬にして天にも登るような多幸感は打ち砕かれ、まるで奈落の底に突き落とされたような絶望感が私を襲った。
私は何かの間違いではないかと、その一言を無視して画像欄を開いた。
私は2度目の発狂をした。
固定派にとってその画像欄はまるで地獄絵図である。死すら感じた。他cpの絵しかないわけではなかった。他cp以外にも普通の、普通のキャラ単体イラストももちろんあった。
だが、私は少しでも他cpを見ると体調を崩してしまう。これから神絵師が他cpを描かないとは当たり前に言えないし、私が単体イラストしか踏まないという補償はない。これからの体調のために、万が一を思い私は泣く泣くその神絵師をブロック&ミュートした。
それで全てが終われば良かった。
しかしそれでは終わらなかった。
その神絵師の絵を見た日から、ふとした時に件のTLに流れてきた絵を思い出すようになった。頭に浮かぶあの、美しいイラスト。私は「憎き他cpの神絵師の絵など…」とすぐにそのイラストを打ち消すようにしていた。他cpを親の敵のように憎んでいた私は、他cpの神絵師が描いた絵すら許せないタチであった。
だから、そうやって他cpの神絵師または絵を、想ってしまう自分が許せなかった。
モヤモヤは何日も続いた。なんなら保存した件のイラストを眺めたりもした。「いけないわこんなこと…」と思いながらも何度も繰り返しイラストを眺めては複雑な感情を抱いた。
他cpを描く神絵師のことなんてきっぱり忘れよう、とデータフォルダに保存されたイラストを消そうともした。無理だった。こんなにも美しいイラストを、消せるわけがない。まるで禁断の恋をした、思春期の乙女のような気持ちだった。
「他の絵も見てみたい」
その願いに近い感情を認めるのは困難であった。散々憎んだ他cpの神絵師の絵を、わざわざ探して見に行くなどというのはプライドが許さなかった。推しcpを愛するものとしてのプライド。固定派としてのプライド。何より他cpの神絵師の絵を見に行くことは、他cpを認めてしまうようで、自分がしてきた行いや他cpに抱いた感情を無かったことにすることと同じだと思えたからだ。断固として見るわけにはいかない。そう固く胸に誓っていた。
見た。
人間は欲深いとはよく言ったものである。己の願望には従うしかなかった。ただ少し言い訳をさせていただくと、すぐに見たわけじゃない。
その時は自分の固い意志に従い、なんとか神絵師を忘れられるようにSNS活動に励んだ。そして神絵師の存在も忘れかかってきた頃、新しい覇権ジャンルにハマり没頭。神絵師と出会ったジャンルは私が心から愛するジャンルだったので、ちょいちょい見たり描いたりすることはあったが、神絵師と出会った当時ほどの熱はその年以降生まれはしなかった。気づけば絵をはっきり思い出せることもなくなり、「そういえばあんな絵もあったなあ」というぼんやりとした感情しか思い出せなくなっていた。あれほど見たいと思っていた他の絵に対する思いもほとんど無くなっていた。
そして今年。
神絵師と出会った日からゆうに3年が経っていた。色々あり、私はその例のジャンルに再熱。再び楽しい固定派ライフを楽しんでいた。
そんなある日私は機種変更をするためにデータフォルダの整理をしていた。その時目に入ってきたあの懐かしいイラスト。見るべきではないと瞬時に思ったものの、惹き付けられた目を離せるほどの意思がその時の私にはなかった。恋焦がれ、繰り返し眺めたあのイラストは、3年経っても変わらず美しく、輝いていた。再び燃え上がる感情。
「あの美しさをもう一度だけ…」
3年越しに打ち砕かれた誓いだった。
我ながら馬鹿だなと思う。
実は当時の私は、ブロックする前に彼女のIDをメモしていた。ブロックしてしまえば、他cpの単語で検索しても出てこないから、と。この行動だけを見ると、「やっぱりあとあと見る気だったんじゃないの?」と言われるだろう。否定は出来ない。固い意志がどうのこうのと書いていたが多分見る気だったと思う。
メモされていたIDを打ち込み、神絵師のユーザーページを開く。
うわ美……………………………………………………うま……………………………
絵を見た私はまるで激しい波に打ち付けられたような衝撃に襲われた。3年越しに見た神絵師の絵は3年前よりさらに美しく洗練されていて、それはもう、泣きそうなくらいに美しかった。
美の波に私は飲み込まれ、再びその美しさに胸を撃ち抜かれた。
他cpのイラストを上手く避けながらキャラ単体イラストだけを眺め、保存した。他cpのイラストが目に入ってくる度、殺意に駆られたが、だからといって絵をスクロールする指を止めることは出来なかった。完全な敗北である。
今でも昔と何ら変わりなく、他cpへの殺意は消えていないし隙あらば殺したいと思っている。しかし、その他cpの神絵師の絵だけはどうしても認めざるを得なかった。神絵師の絵があまりにも、涙が溢れてきそうなくらい美しかったから。この世に彼女以上に美しい絵を描く人間はいないと思ったから。彼女の絵を愛してしまったから。
他cpも他cpを選ぶ彼女も嫌いだが、彼女の絵は大好きだ。だから、「大好きな神絵師」というより「絵だけ大好きな神絵師」という表現の方が適切だと思う。
ネット上で異なる文化圏同士が衝突し、罵りあいになってゆく状況を多く目にする。
「どうすれば衝突しなくなるだろうか」とぼんやり考えた。
前提条件
2.双方の価値観は相容れないので、歩み寄ることはない
問題の発生には様々な要因がある。
自分は「異なる文化圏同士が接触する」というポイントに目を付けた。
これは技術の力で防げそうだと感じた。
「わたし、こういうの嫌い」というものを、ブラウザなどに登録して「存在しないもの」としてふるまうことはできないか?
現在そんな技術があるのか、誰が開発するのかという話は置いといてほしい。(これは思考実験)
双方に違う現実をみせる。
自分が見たい情報だけを見て、耳障りの良い情報だけを集めて、居心地の良い環境をつくる。
一案としてどうだろうか?
二十代後半で乳がんが見つかった。
乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。
二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、
よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。
巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。
がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。
Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、
しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。
自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。
肉まんの中に梅干しのタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。
実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。
胸のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しのタネに触り心地がそっくりだった。
彼女たちは触らず、微笑みながら言った。
帰国して約一か月、土曜日にトイレでぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。
何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。
電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。
「しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」
あまりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。
予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院へ電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。
仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。
マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。
それにしても痛すぎるのではないか。
それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。
しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。
検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときにパニックになりそうだった。
こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、
痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。
しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。
自分の名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。
大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。
そういう知識は持っていた。普通の会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。
エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。
お医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。
良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍はデコボコしている。
そういうことも学校で習った。
これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。
だから大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。
医師の友人に連絡をとった。
友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、
エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。
当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種にコンバートされていた。
それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく
新しい職場は単身赴任のおっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。
登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。
電話で細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。
結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。
人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社の非常階段で受け取った。
診察室で細胞診の結果を見た。
あまり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。
バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもので組織を吸い上げる。
局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。
検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。
色々な説明を受けた。
詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ、予後、タイプによる治療方法の違いや色々。
がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。
「先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。
「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。
大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。
簡単にいうと、乳がんの治療薬に対して感受性が良いから治療しやすいタイプだ。予後も非常に良い。
その時は、結果に対して良いことだと感じた。
しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。
術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療とホルモン療法をする。
卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち
手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので
術中にすべてが終わる、同時再建となる。
私の乳がんは治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。
予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。
若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。
元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやすく新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。
2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。
それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。
味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。
病気のストレスでどんどん食べる。抗がん剤の副作用の吐き気がおさまれば、
副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。
乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。
実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。
咳が止まらない風邪のおっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。
病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて
懇願しないと手伝ってもらえない。
確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。
そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど
最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。
突然健康と容姿を奪われてしまって、なおかつ職場と家族の理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。
手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。
少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。
それでも医療機関で新しいスタッフに出会うたびにきれいだと褒められる。
術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。
時期的にはそろそろ寛解といっていい。
手術痕はきれいなものの、剥がれた背中の筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。
この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても
薬指や小指のあたりに力が入らない。
抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。
足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。
私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。
しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。
ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものだからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。
こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないから彼氏はいない。
太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。
だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。
人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。
がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。
幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。
粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。
ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。
それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。
でも、終わりもないし先が見えない。
次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。
できれば死にたい。
何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。
でもそうでもない人もたくさんいることだろう。
そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分で病院にかかったから
がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない
でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。
現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんたはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。
元気がない人にも声を上げさせてほしい。
下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。
だからそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。
やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ちで毎日を送る羽目になるぞ。
末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。
病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。
長い長い、そろそろ自分を乳がん患者と呼ぶのにためらってしまう三十路女の独り言。
たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません。
Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます。
お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具!
…物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯やおやつをごちそうしてあげて下さい。
回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。
◆母のこと◆
クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。
恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います。
今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています。
私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。
だからと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。
母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。
内弁慶で臆病なおばさんなんです。
ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。
◆職場について◆
国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。
ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。
とは言え、どう考えても非情な対応をされたことは間違いありません。
もっと貶してください。
叩いて下さい。
あの頃耐えて笑っていた私が報われます。
今は優しい人達の多い職場に転勤しています。仕事にも人にも恵まれています。
泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ!水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。
分子標的薬で心不全症状がガンガン(乳がんだけに)出ていた最中に引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライで職場環境は確実に改善されています。
それでも体が辛いものは辛い。
そうなんです、八つ当たりなんです。
わかっているんです。
気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単な処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。
ファッション感覚でピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。
ウェーイしている女子がいるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来の目的なんでしょう。
ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。
元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。
妬ましく思っても許して下さい。
エネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴がしんどいんです。
残っている後遺症のようなものも障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。
不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です
ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。
優しい言葉をありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう。
嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。
初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。
大好きなアーティストに懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。
ぼんやりしていたら、昔のネットでは創価学会と朝日新聞と韓国がやたらと叩かれていたなあ、ということを思い出した。
そういえば、ネットにおける創価バッシングは昔ほど強烈じゃなくなったような気がする。昔は数撃ちゃ当たる方式の在日認定と創価認定をよく見かけたのに。キンキンが「俺は創価じゃねえよ!」ってキレてたな。懐かしいな。
一方で朝日新聞と韓国はバッシングの勢いが増す一方だ。ホッテントリでもよく目にするよ。でも、創価の名前は見ない。みんなあんなに創価のことが大好きだったのに、どうしたんだ?単純に教団の勢いがなくなったのが原因なんだろうか。
新興宗教叩きそのものが減った気がする。おもしろ話題を頻繁にふりまく幸福の科学は、バッシングというよりもネタにされている感じで、かつてのネット上に漂っていた創価嫌悪の雰囲気とは別物だと思う。統一教会は相変わらず目立たない。日本会議叩きに熱心な人は多くない。
「新興宗教を嫌う」というエネルギーはどこか別の場所へ流れていったんだろうか。もはや叩くターゲットではなくなったのだろうか?
私は同人作家である。漫画を描き始めてから数年だ。それとは別に仕事もしている。社会人である。
もう成人してからいい年数が経っている。
私の描いているもののクオリティは…簡単に言って、そのCPでは喜ばれるが、他のCPの人の興味をそそるほどではないというレベルのありふれた画力をしている。
筆の速さと話の傾向だけがちょっと特殊で、そこに数人のファンが付いていてくれたりしている。ありがたいことです。
自己紹介がくどいが、私はカップリング雑食超浮気者腐女子である。
メインに好きなキャラクターが1人ないし2名いて、ABというカップリングがすごく好きである。
が、ジャンルまるごと作品まるごと好きになることが殆どで、キャラクターがみんな好きなので他のカップリングも読むし描く。
他のカップリングを読むという人は少なくはないが実際描く人になってくると、そんなに多くはないだろうと思う。
いいと思った作品はいいと思って好きになってしまう。描きたくなってしまう。
もちろん、そのCPで主流になっているシチュエーションや解釈が好みではないな…という場合はあるが。
いわゆる総攻め厨、総受け厨というわけでもない。BLGLHLもすべて混ぜた雑食であるジャンルすらある。
この嗜好で、何度衝突や摩擦、匿名の悪意を受けたかわからない。
ツイッターの空リプ(リプライをつけずにぼんやりと特定の人間に宛てて発言をすること)でも何度やめてほしいと言われたかわからない。
あるジャンルでは固定(ABだけを好きであるということ)に擬態した経験もある。
自分に嘘をつけなくなりまた早い段階で他のCPに目移りしてすぐに化けの皮が剥がれてしまったのでもう二度としない。
一応、最低限ワードミュートしてもらえるようにCP名はきちんと表記するようにしている。
ここで、言葉で刺してくる人に
「キャラクター愛を感じない」
「カップリング愛を感じない」
「作品愛を感じない」
などなどと言われることに興味が湧いて、今キーボードを叩いている。
受けと攻めが違うこと、カップリングが違うこと、作品内でキャラクター同士をコレでもかと結びつけることに『愛』を感じないのだそうだ。
一人だけに言われたわけではないので、そう思う人が結構数いるのだということに驚きを覚える。
私の『愛』が『ない』と感じる創作姿勢は、例えば『ゲームをでゲームの二次創作をする』だとか『二次創作だけを見て二次創作をする』だとかだと思っていたので、感覚のズレに吃驚する。
CP愛とはなんだろうか。と考える。
そのCPについて一日の中でどれだけの時間妄想しているかだろうか。
ニートと社会人と社畜では、妄想できる時間に差があるだろう。一日の時間で愛の量が決定できるかと言われたら、違うんじゃないかなと思う。
筆が早い人もいれば遅い人もいるだろう。また創作にあてられる時間にも差があるだろう。ここでも愛の量が計測出来るかと言われたら違いそうだ。
じゃあパーセンテージで考えよう。
自由に妄想したり、創作できる時間の何%をそのCPに割いているか。
これじゃないか?
きっと私を攻撃してくる人の多くは、高い比率でその一つのCPに気持ちを傾けていて、
私はそこよりも数値が目に見えて劣っている(様々なCPに気持ちが分散している)から、攻撃したい・攻撃してもいいだろうと思われているのだろう。
また前述した通り、自分は少し珍しい話作りをしている。
王道の展開や、テンプレ化した二次創作ネタ、徹頭徹尾ハッピーな話ではない。
その部分でも、『愛』がないと思われているのかもしれない。
欲しいグッズがないわけではないが、特に欲しいと思ったものを1つか2つ手に入れられればそれで満足という人間だ。
そしてやはり、ジャンルごとキャラクターたちを好きになってしまう事が多いので、全員揃えると結構な額になってしまいお財布的にも家のスペース的にも厳しいみたいな状況になるのであまり買わない。
そこが、グッズを収集するタイプ(複数買いでお金を貢ぐタイプ)の人間からは『愛』がないと思われる部分なのかもしれない。
人の『愛』の比率を計って、自分と比べる行為は、直接的にはCPには何の関係もなくないか。と思ってしまう。
人の好きにまで干渉しないで欲しい。
リバ(相手は変わらないがセックスの時に挿入の上下が変わること)のほうが『愛』がある/ないという話もよく持ち上がるがピンとこない。
自分の『愛』をアピールしたい人が世の中には意外と多くて、驚く。
話が戻るが、私は雑食ではあるが一番最初に好きになるカップリングがどのジャンルでも必ず1つはある。
ABとする。
私は筆が早い。ジャンルないしABにハマった初期はABのネタをバンバン投下する。
もちろんツイッターのフォロワーはABが好きな人で埋まっていく。私もAB作品が見たくてABの描き手さんのフォローが増えていく。
そこで、あとえばCDだったりEBだったりFAだったりを描き出す。
人が減ったり増えたりする。該当のCPの描き手さんをフォローしたりする。
TLのAB固定に空リプを受けたり、ABファンから匿名のメッセージが飛んでくる。
固定でいて欲しい。
貴方には愛がないのか。
人の趣味にどうこうケチつけてくる前にフォローを外したり、ミュートしたり、ブロックしたりすればいいのに、それはしないらしい。
不思議だ。
あくまでそういう意見を送る人たちは私が固定になること、一つのものを好きでいること、比重を傾けることを暗に強要してくる。
不思議だ。
人間単純で、くり返しそういったチクチクとした攻撃を受けているとだんだん疲れてそのCPを描きたくなくなる。
そのCPは好きなのに、そこにいる人たちの『愛』のせいでやる気が削がれていく。
好きの気持ちや愛の気持ちを共有できている時はいい。でも重荷になったら疲れる。
気分を変えるために他に目を向ける。楽しい。でも他のCPの人には『○○さんは"一応"ABの人ですもんね』と言われてしまう。
暗に『本命じゃないんでしょ?わかってるよ』と釘を差される。
はは、と苦笑いすることしか出来ない。別にABは大好きだ。周囲の人間に砂かけしたいわけでもないからそこは否定しない。
二次元のキャラクターないしCPの『好き』『愛』に他者から勝手に順列をつけられることに辟易している。
一つだけを好きでいること、一つに比重を大きめに取ること、一つだけを好きでいなければ許されないような空気が、しんどい。
現実の伴侶の話でもないのに、そんな法律もないのに、『愛』の量を監視される空気が、確実にあるのだ。
結局、先日のイベントでも私はABの本を出した。この後のイベントでもABの本を出す予定だ。
けれども、それは私が『一番』ABが好きであるとアピールをしたいわけではなく、
紙で厚い話を描くネタが今ABで浮かんでいるからと言うだけだ。
瞬間的にCBやDAやBEやFGの熱が上がったらその本も机上に並ぶかもしれない。
その瞬間の私の中にAB『愛』はちゃんとある。消え去るわけではない。
あるけれど、それは一部の人間には『ちゃんとした』『愛』とは認められない。
それが苦しい。
というまとまりのない話。
私は悪意や解釈違いの人間に反発する屈強なメンタル持ちなわけでもないし、かといってそこで筆を折る程に繊細な人間ではないので、これからも今のジャンルに暫く居続けるだろう。
その居続けるという行為自体が、ABの『愛』を強要してくる一部の人にとっては目障りで仕方ないとしても。
勿論他のCPが地雷(アレルギーを引き起こす)であるという単純な心理で、目に見える場所で複数CPを扱う私を毛嫌いするということもあるかもしれない。
ここに該当する人たちは今回の『愛』の話とはズレるので割愛させていただく。