はてなキーワード: 曲者とは
特に呼ばれてないけど出てきた。
https://anond.hatelabo.jp/20171014062408
とりあえず食い物捨てるのもったいねーとかロスチャージがーとかいう話は置いとく。ロスチャージの話はあとでするかもしれない。
えーとまず前提として、廃棄ってのは店舗側にとって「かならずしも」不利益なものではない。というのは、廃棄が出るっていうのはどういう状況かというと「商品が充分にある」ということだからだ。弁当とかは、1日に2回とか3回とか店に来る。朝飯晩飯なんかにあわせて納品があるわけだけど、納品と納品にはとうぜん谷間ってものがある。コンビニっていっても朝昼晩がいちばん混雑するわけだけど、同時に「コンビニでメシ済ます」の状況について考えてほしい。たとえば昼メシ食いそこなったときだとか、残業すっげー遅くて牛丼屋しか営業してないけど、でも寝る前にせめてストロングゼロくらいは飲みたいよねってなったときに2箇所の店に寄るのすごいだるい、みたいな状況がけっこうあると思う。つまり、弁当とはいっても、ピーク時「だけ」売れるものではないということで、24時間とはいわんけど、ある程度すべての時間帯でそれなりの商品のボリューム感は欲しい。幕の内とからあげ弁当が2個だけ陳列されてるような状況だと買う気になるかって話ですよ。
なんで、弁当とかって基本的に「次の納品にかぶるように」商品を置いておくのが正解になる。つまり売れるギリギリの量を見切ってその上限で発注しつづける。
けどそんな読みどおりに行けば苦労はない。天気予報が外れたー、電車が遅れたーだの予測を外す要因なんか腐るほどある。なので「これなら絶対欠品しねーだろ」っていう上限限界の在庫を持つのである。そりゃ廃棄も出る。
もちろん廃棄がまったく出ないように発注することもできるだろう。売れる数に対して少なくとりゃいいんだから。でもそういう店って、結局客からは「弁当の少ない店」って見られるんですよ。ちょっと想像してほしいんですけど、これ読んでる人のなかでもなんとなく「弁当がいつもある店」と「いつもなんか残りものみたいなものしかない店」っていうイメージあると思うんですよ。
「ない店」って思われた店では、さらに弁当が売れなくなっていく。発注を減らす。さらに売れなくなる。極端な話、最後には「弁当を買いたい人は行かない店」となる。昔と比較して弁当類売れなくなったっつったって、やっぱコンビニの売上では柱に近いところにあるわけですよ弁当ども。
だから要はですね、たとえ廃棄が出ようとも、その金額が「モノがなかったことによって発生しただろう損失」より小さくなれば問題はないわけ。コンビニにとって(あくまで経営の観点だけですよ)廃棄って絶対悪じゃない。あくまで程度の問題。
あともひとつ重要なのは、人の記憶にはネガティブなものほど残りやすいってこと。大量廃棄出てもうだめだーっていう記憶は強く残るけど、その一方で、早々に品切れ起こしてチャンスロス大会やらかした記憶ってのは、そのことで客が怒鳴りでもしない限り、あんまり記憶に残らない。「廃棄やばい」の背後には、それ以上の回数の「品切れやばい」が本来は存在してるはずです。
本部が「廃棄出せ」というのは、実際には「発注強くしろ」の意味であることが多いと思う。本部としてはチャンスロスは絶対に防ぎたい。チェーン全体で、たとえば「おにぎりの弱いチェーン」と思われたらチェーンごとひっくり返るから。しかしオーナーは廃棄を減らしたい。あたりまえですわ。
もちろん発注を強くしろっていっても、無根拠に強くしろって言ってるわけではないはず。それなりのデータを示したうえで仮説を立てて「だから」これだけ強くしろっていう言いかたをしてくるはず。問題はそのデータが現実離れしたものに思えることなんだけど、これコンビニに限らず、数字って「人の実感」をブチ越えた仮説を出してくることが多い。
さらに、いまコンビニで機械の助けを借りずに発注数を決めるってちょっとないと思うんだけど、こいつがなかなか曲者で、本部としては欠品をとにかく防ぎたいもんだから、とにかく欠品を過大視した数を提示してくることが多い。欠品の回数が多く、時間が長いほど、アホみたいな数字出してくる。
あともひとつ、コンビニって実は売上があんまり安定してない。全体の売上としてはそこまで上下しないにしても、たとえば弁当っていう単体のジャンルだと、トータルの数が昔より減ってることもあって、昨日10個売れました、今日23個売れましたーみたいなことはよくある。ここまで極端な事例はどうしようもないにしても、ある程度の上下動は廃棄出してでも防がないと、1年後2年後の売上には確実に影響が出てくるってのもある。
えーと、あとはあれだ。あれ。あのー、工場。本部は工場に対してもある程度の売上を保証しなきゃいけない。ただでさえ無茶な要求してること多いんだから、それくらい保証しないとどうしようもないでしょみたいな。この点からも発注数は多いに越したことはない。
じゃあ本部の過剰な発注数の要求は問題ないのか、なにも悪くないのかっていうと、そうは思わない。ここがロスチャージの問題なんだけど、本部は廃棄出しても腹痛まない。腹痛くないところで「本気で」廃棄を削減しようと思うかって話だ。逆にいえば、廃棄があまりに過剰でない限りは、本部も工場も店舗も廃棄は「出たほうがいい」わけで。あとは立場によって程度の違いがあるだけである。あ、でも工場でも見込み生産で廃棄出るから、そこはないほうがありがたいよな工場としては。
個人的には本部が「廃棄を出すことを目的に」発注の指導をしてるとは思わない。いや結果的にそうなっててもだよ。ふつうに考えたら会社全体で「へっへっへ廃棄出させて俺たちだけ丸儲けだぜ」なんてやってたらバカすぎるじゃん。正確には「自分たちの腹は痛まないので、できるだけ商品を多く陳列させて欠品を防いで、チェーンの競争力を上げる」だと思う。あたりまえだけど、廃棄出すより売れたほうが本部もいいわけ。売れるってことは店舗の競争力が上がるってことじゃん。チェーン全体にもいい影響あるじゃん。問題は「廃棄が出ても本部は別に困らない」のほう。そのしわ寄せが店舗に来る現実のほう。このことって、現象としては一緒かもしれないけど、考えかたとしてはぜんぜん違う。もちろん「売れるはずない」と思われるような量を発注させるのは別の悪。ただこれもなー、3個並んでると2個しか売れないものが、12個積んでありゃ「ふだん弁当買わない人が、なんか話題の商品かと思ってまちがって買う」というかたちでの副産物があって、弁当での総数は伸びたりするんで、難しいところなんよ。
だからって本部が正しいとも思わない。俺を含めてコンビニ関係者って、廃棄のことは投資とか経費くらいにしか思ってないけど、モノは食い物だよ?捨てるの?投資とかじゃないでしょ?っていうあたりまえの人の実感に立ち返ってみれば、なにもかもがおかしい。この「欠品ダメゼッタイ」とかも競争力落ちると死ぬっていう状況も、要は過当競争のなせるわざであって、その状況を招いたのはだれだよって話でもある。
なお、この手の話題のときにかならず出る「冷凍とかでどうにかならんのか」の話なんですが、その昔、午前午後という名前のコンビニがあってな、そこではとれたて弁当という名の冷凍食品を解凍して売っておって、あれけっこうおいしくて俺好きだったんだけど、そのチェーンがどうなったかは……ええ……。とれ弁好きだったんだけどなあ……。
最後に。
俺はあくまで現状がいいとは思ってない。そもそも現行のコンビニのビジネスって、たぶん平均の売上がもっと高かった時代にその骨格ができてる。ロスチャージがおかしい、廃棄が出まくるのもおかしい、そりゃそのとおりですよ。それでも早い話、儲かってりゃだれも文句言わない。そして過去にはそれが可能だった時代があった。余裕ないすよどこも。その余裕のなさが最悪のかたちで破裂する前に手を打つべきは、個々のオーナーじゃないと思います。
……オチがねえな。
もう疲れた。
経験値をためるために一番効率のいいレイドバトルをやってるんだけど人間関係がしんどい。
言葉を発しない日が多いコミュ障の自分にとってはかなりの苦痛になってる。
レイドバトルのために無理やり他人とコミュニケーションを取ってたんだけどもう限界だ。
人口が少ない小さな市なので普通にレイドバトルをしようと思ってもなかなか人が集まらない。
そのため組織的にレイドバトルをするために多くの人がLINEグループに入ってる。
自分以外にもグループに入らずフリーでやってる人はそこそこいたんだけどそれだと人が集まらないので次々とLINEグループに入ってしまってた。
そのLINEグループがなかなかの曲者でレイドバトルが始まるたびに和気藹々と会話をしてる。
それが友達がいなくコミュ障の自分にとってはかなりしんどい。みんな仲良さそうなのが見てて辛い。
レイドバトルに非LINEグループの人が集まらないので仕方なくそのLINEグループのレイドに勝手に寄生してるんだけど最近になって陰口を言われてることに気付いた。
自分の理想はレイドバトルが発生してる場所に人が何人か集まって「始めましょうか?」「始めましょ」と始めて
無言でスマホをポチポチしてバトルが終わったら無言で去るのがいい。
女性誌読んでると湯船に浸かって血行をよくして疲労回復とか、何℃に何時間だとか、美容にも良いだとかよく見かけます
わかってるけど入れない
「お風呂 入りたくない」で検索すると「ちょっと疲れてるんじゃないの〜?心身大丈夫〜?」みたいな記事が上位にあがります
そうなのかな……って思ってた時期もありましたが、私の場合はたぶん違う、ただただ面倒くさい
面倒くさい
ではここで何が面倒なのか考えてみようと思います
・湯船を簡単に洗う
・お風呂をわかす
・バスタオルの準備
・着替えの準備
2.お風呂に入っている間に行うことは以下です
・洗顔
・洗髪
・体を洗う
・毛を剃る
・湯船に浸かって温まる
・歯磨き
・体を拭く
・服を着る
・化粧水などをつける
・髪を乾かす
多くない?????
もうイヤになってきた……
1.お風呂に入るために必要な行程 はわりとクリアできる日が多いんですよ
でもこのセクションの曲者は
これ。スマホアプリなんて始めようもんならもうお風呂へ行く気なくなるわ
どうせクレンジングしてる間は湯船に入らないので給湯器のスイッチ押したら入っちゃえばいいんですかね?
今度そうしてみます
2.お風呂に入っている間に行うこと ここは自分なりに少しずつ簡易的にしていて
シャンプーとコンディショナーが1度で済む商品を選んだりしているのです、がどうにもならないのがこれ
・毛を剃る
「脱毛したらいいじゃん???」って思われるでしょうが、やってます!!
成果がでて無毛になるまで数年かかるのでそれまでは剃るしかない……
しかもこの時に明日の予定と着る服を考えなきゃいけないのがまた厄介なんですよねぇ
(見えないところは手を抜いていきたいタイプ)
ちなみに脱毛完了している箇所は圧倒的に手間が減っているので本当にやってよかったと思っているしこれからも頑張ってサロンに通うぞ〜
とりあえずの解決策としてはカミソリをこまめに変えて剃り味をよくしておくことかな……
・髪を乾かす
ドライヤー良いやつにしたらちょっと乾くの早くなった気がしなくもない
今度髪切りに行ってきます
・化粧水などをつける
髪とか体とか隔日でもいけなくはないけど顔はさぁ……
これにプラスでトリートメントだとかボディスクラブだとかクリームだとか美容液だとかやりたい日もあるわけじゃん(つい買う)
次は浴室用スピーカーを買おうと思っている
おおよそ30年間の内、痩せていた時期がない。
自分自身、太っているのはよく分かっているし、それが美しくない、などという曖昧な表現に納まらず、ストレートに申し上げれば醜いことも理解している。風呂上りに鏡で見る裸体は掛け値なしに本当に醜いと感じる。美醜という点でも、健康という点でも、「出来るなら痩せていた方が良い」ということは重々承知している。この「出来るならば」が曲者なのだ。私が思う痩せたい/痩せた方がいいという理解と判断と気持ちは、分かりやすく表現すると、宝くじを買っていないのに「あ~3億円の宝くじ当たらないかな~」と夢見るようなものでしかない。解決する気、つまりやる気がないのである。ちなみに私は宝くじを買っていないのによく宝くじ当たらないかな~と口にする。
このやる気がないことはありとあらゆることに繋がっている。デブという体系以外の服飾や美容や化粧というものにもやる気がない。服飾や化粧や手入れでドブスがブス、ブスがまぁちょいブスくらいには変わるものなのかもしれないが、いたずらに耳目を集めるような汚さ/臭さ/奇抜さがなく、最低限の清潔感さえあればいいやと、仕事でもプライベートでも家でも全てユニクロを着ている。
デブであることも運動や食事療法、生活習慣などを見直せば当然痩せるだろうが、努力してまで現状を変えようというガッツがない。美味いものを食って美味い酒を呑み、ろくに運動せずだらりと過ごすのが好きだ。
幼少期から今に至るまで、テロメアに異常でもあるのだろうかと思うほどに運動が苦手であるが、克服しようという気がない。苦手なものは苦手なままでいいや、積極的に関わろうとしなければいいや精神だ。
学生時代は学業はそこまで悪くはなかった、ストレートで中の下といったそこそこの大学へ進学し、ストレートに卒業した。努力をすればよりレベルの高い大学に進めたろうし、今だって勉強すれば知識は増えるだろう。でもそこまでやる気がない。
料理や掃除スキルもない。部屋は乱雑でごちゃごちゃしているし、未だに実家に暮らしている上、母が料理が得意なので全てまかせている。家事スキルというのは人間として高いに越したことはない。どちらも経験を積めばある程度はレベルがあがるし、努力すれば身につくものだ。でもやらないで過ごしている現状が楽だ。
人とコミュニケーションを取り交友関係を広げていくことは、トラブルに巻き込まれることもあろうけれども、悪いことではない。でも一人が気楽だ。
当然、若いころは周囲も若かったのでデブスであることを積極的にからかわれ、なぜ自分はこうなのかと考えたこともあるが、デブスであることは純然なる事実であったし、特に顔を真っ赤にして怒るようなことでもなかった。なによりそのころにそういったストレートな事象で人を罵倒するタイプの子供というのは、悲しいことに得てして馬鹿だった。本当にごく一般的で、大した事のない自分よりも学校の勉強すら出来ない馬鹿の言葉を気にして反応する必要はない。そうしてなぜか無駄なほど高飛車に形成されていた心の強さにより、そういった罵倒を全て無視した所、まぁ当然嫌がる反応を見たいからこそ投げられる暴言だ、頻度が酷く減っていき、気付けば自分も周りも大人になって、そういった言葉は投げかけられなくなった。
本を読むこと、音楽を聴くこと、歌うこと、映画を見るもの、絵画を見に行くこと、そういったことは昔から今に至るまで好きだ。好きだからこそ努力していない。努力は必要ない。それぞれでプロを目指している訳でもなく、自分が楽しいと思える範囲しかやっていない。学生時代はかなり厳しい部活動に所属して自分を追い込んでいたし、結局やめることなくきちんと務めきったが、その経験から精神を病んだり苦しんだりしながら努力を重ねるほどやりたいことではないなと思った。当然アマチュアレベルだしプロを目指すほど上手くはない。
人と深く交流することも面倒で、必要最低限で済ませた。一人でも楽しめる趣味に世界は溢れていたし、十分楽しいのだ。
こうやってぐだぐだと思考を重ねていくことも好きで、SNSはtwitterだけやっている。趣味の話をする友人…と私が思っている対象もそこそこいる。
そんなやる気もガッツも一切ないデブスなので、当然交際経験もない。処女というと性行為をしたことがない意味になるが、そもそもの交際経験がないのだ。異性の友人もいるが、友人として成り立てるということは、価値観が近いということで、そりゃデブスに興味はないのである。見目麗しくなく、得意なスキルもなく、努力を重ねる高い精神性もない人間と、一体誰が好き好んで深い関係になりたがるというのか。自覚があるし理解もある。
利益があるから好きになるんじゃない、というのが恋とか愛の定説だろう。きっとそうなんだろうなと音には聞く。他人事なのは特別好きになった相手もいないからだ。齢30を手前にして、恋とはどんなものかしら~なんて考えているなんて大笑いである。しかもそれが美しい娘が窓際で歌う小鳥とハーモニーを重ねるのではなく、ユニクロを着たデブスが乱雑な部屋で光る画面を見つめながらだ。
承認欲求は人と同じほどあるし、彼氏/彼女は正直欲しい。女なのだろう?彼氏じゃないのか?という部分に関しては、正直どちらでもいい、両刀/バイやⅩジェンダーなのか?と聞かれても困る。なにせ交際経験がないからだ。より正直に言えば、男/女/LGBTに関わらず、別に動物でもいい。哺乳類以外も好きだ、爬虫類などね。虫は苦手だが蜘蛛は好きだ。でもまぁ彼氏/彼女と並べるなら変温動物よりは恒温動物がいいな。じゃあペットを飼えと思われるだろう。ペットに憧れはあるが中途半端に繊細なハートの持ち主なので、いわゆるペットロス…ペットに先立たれることに耐え切れないのが目に見えているし、やる気がないのだ。
寂しいときに甘えられ、向こうが甘えたいときに甘やかしたい。そんな欲求ゆえに彼氏/彼女/恒温動物が恋しくなる。でもそれはつまり都合の良い相手が欲しいというだけで、苦労し努力してほど捜し求めたくない。ここでもやっぱり結局、やる気がないのだ。
死にたい訳ではない、楽しいことは沢山ある。まぁ嫌なことも多いけれど。あと、まだ30歳前であるが、今後死に際も一人かと思うと猛烈に怖くなる。私は末っ子だ、不摂生が祟って早死にしなければ、身内と呼べるコミュニティの中では最も遅く死ぬことになる。じゃあ早死にしたいか?というと、絶対嫌だ。出来る限り楽しく生きたいとさえ思っている。じゃあ不安解消の為に努力をするか?といえば、やる気がないのである。
自分は別に特別な人間じゃない、ということはよくよく分かっている。つまりはこういうやる気のないが人寂しい人間というのは一定数確実にいるのだ。そういう人同士が寂しさを埋めるように体温を分け合えばwin-winじゃないかと思う。需要と供給が成り立っている。でも実際そういう人間を探そうというやる気が私にはない。多分まだ見ぬ同じような存在もやる気がないのだ。
出会えば幸せになれるかもしれないが、出会おうとするやる気がない同士なので出会えない。無気力のジレンマとでも名付けたい。
私は生まれながらの天然培養デブス処女、年齢はアラウンドサーティン。寂しい、評価されたい、愛されたい、愛したい、頼られたい、良く思われたい、楽に行きたい、尊敬されたい、etcetc…欲望はつきない。でもその欲望をかなえるべく努力はしない。やる気がないからね。
気になったので、児ポ法条文読んだ。
(法律は完全に素人なんで、他に条文あるとか知らんのだが、関連してる法律って児ポ法だけだよね?)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO052.html
児童とは0~18歳ですよ、と。
第二条 3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの
これが最大の曲者。
まず児童ポルノとは、写真等のメディアで【次の各号のいずれかに掲げる】児童の姿態を見れるようにしたものですよ、と。
で、その【次の各号のいずれかに掲げる】のうち1、2は論外。論点は3だけど【我が子の成長写真】はそれに当たらんということになってしまうんじゃないか?
ブコメに
dogear1988 えっ。親でも裸を載せたらアウトという認識だったんだが、違うのか…。
uranukimaru 親が公開するのも違法だし、(後略)
第三条の二
みだりに児童ポルノを所持(中略)してはならない。
これ読むとまとめサイトアウトじゃないのと思うが、前号が【児童ポルノじゃない】と定義できるのであれば、他人の子どもの成長写真なのでセーフということになってしまう? しまわない?
第七条 自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者(自己の意思に基づいて所持するに至った者であり、かつ、当該者であることが明らかに認められる者に限る。)は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。自己の性的好奇心を満たす目的で、第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録を保管した者(自己の意思に基づいて保管するに至った者であり、かつ、当該者であることが明らかに認められる者に限る。)も、同様とする。
【自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者】ということで、やっぱまとめサイトアウトじゃないかと思うが、児童ポルノという定義が以下略。
第七条 6 児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
上記同様。
第十六条の三 インターネットを利用した不特定の者に対する情報の発信又はその情報の閲覧等のために必要な電気通信役務(電気通信事業法 (昭和五十九年法律第八十六号)第二条第三号 に規定する電気通信役務をいう。)を提供する事業者は、児童ポルノの所持、提供等の行為による被害がインターネットを通じて容易に拡大し、これにより一旦国内外に児童ポルノが拡散した場合においてはその廃棄、削除等による児童の権利回復は著しく困難になることに鑑み、捜査機関への協力、当該事業者が有する管理権限に基づき児童ポルノに係る情報の送信を防止する措置その他インターネットを利用したこれらの行為の防止に資するための措置を講ずるよう努めるものとする。
Googleフィルタリングしろよオラァ! って話やね。やったほうが良いと思いますマジで。
ざっと条文を見た限り、児童ポルノの定義がクッソ曖昧なので、我が子の成長写真を所持するのはセーフ、ネットにうpするのもそういう体裁ならセーフ、それをロリコン野郎が集めるのは、条文だけ読むとセーフっぽいけど実際法廷いったらアウトになるんじゃねーのという所感。
今の部署に配属されてから3ヶ月が経つが、もう無茶苦茶なことがめちゃくちゃ多くて心底感覚が麻痺している。
あげつらうとキリがないが、今日めちゃくちゃ腹が立ったのはこれ。
※ところどころ虚実を織り交ぜて書いてあります、大体の流れは一緒
ある被保護者が元妻とやり直し、県外に転居するので、生活保護を廃止にしてほしいと電話で申し出てきた(被保護者は単身世帯)。
電話口にその元妻という人も出てもらい、転居に至るまでの大体の流れと、転居先での生活はどうするのか、向こうでも生活保護を受給する意思はあるのか、などを尋ねた。転居に至るまでの流れについては、元妻の父が死去し、ある県にある元妻の実家の墓を守らなくてはならなくなったので、ある県に転居するとのことだった。
転居後の生活について、元妻は、元妻の親類を頼って同居し、その親類が営む家業を手伝いながら生計をたてるか、もしくは近くに住み別の仕事を探すかする、とのことだった。平たく言えば、まだ転居先もはっきりしておらず、向こうに移ってからの生活もどうするのか具体的には固まっていない様子だった。
しかし、もう転居の日取りと段取りは決めており、5月末には転居したいという。
当職から助言できることは、まず向こうでどういった方法で生計を立てるか、また転居先をどうするか決めてから引っ越しをするようにすることくらいだった。
この時点でおかしな点が一つあるが(親類がいるのにどうしてその県に転居してわざわざその元妻と被保護者が墓守をしなければならないのか、という点)、その時は私も初めてのことで右往左往し、周りの先輩方に助言を請いながら対応するしかなく、疑問に思いはしたが、その点についてはあまりツッコミを入れることもできなかった(そこにツッコミを入れていいのかわからなかった)。
通常であれば、窓口に来て辞退届を書いてもらい、他県に転出による保護廃止という流れになると思う。自己都合による転居となるので、辞退届を書いてもらうだけで、特に支給もなくすんなり終わるはずだった。
電話口の印象としては、あくまで普通、寧ろ父親の死にダメージを受け、沈んでいるような雰囲気も感じられたが、実際にその被保護者を伴って窓口に来た時の印象はまるで違った。
電話で話した際に、元妻に身元引き受け人という形で一筆書いてもらった方がよいとの助言を上から頂いたため、元妻も窓口に一緒に来てもらったのだが、面接室で話を聞くうちに元妻の態度が豹変したのだ。
やれ転居費用を出せだの、家を引き払うときにかかるルームクリーニング代は出ないのかだのの主張をはじめ、かれこれ二時間はそこに居座ったのである。
そもそも、元妻は離婚しているままなので法的には扶養義務関係もなく、その上生活保護を受給しているわけでもない。完全に部外者なのである(あくまでこの時点ではの話で、私の認識が間違っていなければだが)。
そのうち元妻は、「私の父は生活保護を受給している父の兄に、父の兄の知り合いのならず者を通して、ギャンブルで使う金欲しさに金をせびられ続け、それを苦痛に自殺して死んだのだ、当職の住んでいる街で調べればそいつが受給していることがわかるはずだ、なのにこちらはなにもしてくれないのか」、などと言い始め、その父の兄の名前を当職が尋ねると、それは教えられない、などと無茶苦茶なことを並べ立て始めたのである。仮にその話が本当だったとして(明らかに苦し紛れについた嘘のように思えるが)、こちらとしては、事情は理解できるが、そのような結果がもたらされたのは、冷たいようだが、我々の指導できる範囲外のことであり、そういう案件は警察に相談してください、と伝えるしかなく、当職がそう伝えると、元妻は既に警察には相談している、役所は何もしてくれないのか、などと、主張を並べ立てるばかりであった。
ちなみにその間、被保護者本人はずっと大人しくしていた。被保護者本人は無害そうな人物で、特に何も無茶苦茶なことを言うことはなかった。寧ろ、無茶苦茶なことを並べ立てる元妻に対し、やんわりとなだめこちらをフォローしてくれているような様子さえ見て取れた。
いきり立つ元妻に、当職は何度も少々お待ちください、上と協議して参りますので、という宝刀を用い、かれこれ3、4回はそれを繰り返した(実際、本当に対応を上と協議していた)。
私も3月までは完全に生活保護の門外漢であったので、OJT(私の業務をサポートしてくれる方)も同席の上、対応していた。
ルームクリーニング代は通常支給していないが、そのうち上も元妻がただでは帰らないことを察したのか、何とか法的根拠に則った上で、必要な書類が揃ったら、という条件を満たせば、クリーニング代を支給することとなった。
なんやかんやで被保護者に必要書類等を持参させ、それが揃ったのは転居当日であった。しかしそれには明らかな不備があった。こちらとしては、原則として、あらゆるものにおいて、事前にかかる費用の見積もり(この場合は大家や不動産からの請求書)を提出してもらい、こちら側での検討を経ない限り、費用は支給できないことになっているのだが、その請求書自体がまだもらえていないというのだ。当職が被保護者に対して、業者に請求書を出すよう頼むように、事前に伝えていたにも関わらずである。それでも業者が頑として請求書を出さない、というのは考えにくい。
どう考えても、それではその場でのクリーニング代の支給はできない。しかも、保護は同日付で廃止となる(同日なのか翌日なのかの認識が間違っているかもしれないが)。これでもう支給は不可、ということになりそうなところだが、特例として、後日その領収書を提出をするのなら、それが確認でき次第口座に振り込む(このような場合原則窓口で直接小切手を渡し支給するが、県外転出で窓口には取りに来られないと思われるため)こととなった。
さらに、29日付けで廃止となったため、支給済みの、月の残り3日分の生活保護費は戻入金として返してもらわなければならない。
あまり良いことではないが、転出してからでは回収できる見込みが薄いため、現金の状態でその場でピッタリの額を預かることとなった(お釣りはこちらから出すことは出来なかった)。
釣りは出せない旨伝えると、元妻は露骨に機嫌を損ねた様子で、財布から出した札をこちらに放り投げ、持っていけとばかりにこちらに差し出した。この時点で当職は怒りではらわたが煮えくり返っていたが、それを受け取り、一旦この件は落ち着いたかに見えた。しかし帰り際、元妻は当職の名前を聞き出し、ある県に行くのはもうやめる!あんたとはやり直さない!などと腹いせに被保護者に対して言い放ちながら、足早に去っていった。被保護者は、その後ろをいそいそとついて帰っていった。
そして翌日、帰り際に元妻が市民相談窓口にクレームを入れていったらしく、その元妻が訴えたことが市民相談事案として当職のグループに下りてきた。私は対応を協議していた直属の上司とともに、そのさらに上の上司に対して、このような事案があった、という釈明に追われた(その場では、私の対応に特に落ち度はなく、こういうことはままあるので気にするな、くらいの話でまとまったが、それまで私の胃がキリキリしていたことは言うまでもない)
そして今日まで、何度かその被保護者と元妻に連絡を入れたものの、結局そのクリーニング代の請求書はこちらに届くことなく、その支給は宙に浮いた状態になっていた。
長くなったが、これがことのいきさつである。
ここからがやっと本題だ。今日、その被保護者から突然電話があった。何かと思えば、元妻が病死し、行くあてがなくなったので当職の住むもとの街に戻りたい、と言うのである。
そして今どこにいるのかを問うと、沖縄、という答えが帰ってきた。もちろん、元妻の実家がある(と聞かされていた)場所は沖縄ではなかった。この時点で話がめちゃくちゃだが、その上その被保護者は、身元の保証人になってくれる人がいないので家が借りられるかどうかわからない、こっちでそうした保証人のいらない物件を紹介してはもらえないのか、などと言い始めたのである。
いや、無理。斡旋とかできないし。つーかもう帰ってくんなや。帰ってくるにしても自分で探せや。あんだけ好き勝手やっといて、保証人になってくれる人もいねえし、なんの宛もないくせに、こっちに戻ってくる理由はなんだ。
久しぶりに私のはらわたは煮えくり返った。もちろん電話口では、そういう紹介はできない旨伝え、こちらでできることは何もないとやんわりと伝えるなど、冷静に対応したが、怒りをどこに向けていいのか分からず、思わず舌打ちをしそうになった。
沖縄の方が暮らしやすいぞ?てか帰ってくる金はどうすんだ。借りた?んじゃあその金で暮らして立ち行かなくなったら自己破産でもしろや。つーか生活保護の申請なんかわざわざこっち来てしねえで向こうでやれや。
枚挙に暇がなさすぎるので、このへんで筆を置くことにする。
食材に火を通している時間があれば包丁もまな板も洗ってしまいたいし、調理で汚れた手を洗うのだから一緒に食器も洗ってしまいたい。
インスタントラーメンを作るにあたって、どうしても最後に鍋から丼に移すという作業が必要になる。
そうなればラーメンが出来上がった後には必ず鍋が残る。
そのまま放っておけば、熱をもった鍋はさっさと乾いてスープや小さな食材がこびりついてしまうだろう。
かと言って全体が浸かるほどの水をいれるくらいなら、まだスープなどが乾いてしまわない今のうちに洗ってしまったほうが楽だ。
そう思うとラーメンの入った丼を食卓においては、すぐに洗い物に取り掛かってしまう。
曲者は卵だ。
ラーメンに入れる卵は溶き卵と決めている私は、それでもなお澄んだスープを楽しみたいがために黄身が固まるまで火を通さないと気がすまないのだ。
できるだけ早めに卵を入れるつもりでいるのだが、麺がある程度ほぐれるのを待ってからでないときれいな溶き卵にはならない。
そのために、必ずと行っていいほど麺に火が通るギリギリの時間まで加熱が必要になってしまう。
その結果、いつも丼に移した直後がもっとも麺の食べごろになってしまうのだ。
そこから大急ぎで鍋を洗っても1分半。
コンロ回りを拭き取って布巾を絞り直して手を拭いてなんてしているうちに、あっという間に2分は経過してしまう。
これはもう誰かに作ってもらうしかない。
そう思って、先日だんなに作ってもらうことにした。
わたしの大好きな溶き卵のこだわりをしっかりと伝えた上でだ。
そうしていよいよベストなタイミングで目の前に丼が運ばれてきた。
律儀にラーメンをしっかり二等分に取り分けようとするだんなの愛らしいこと。
早く椅子に座れよと、だんなの一挙手一投足に釘付けになる。
いざ椅子に手をかけただんなは、何かを思い出したように流し台に戻ってしまった。
やっぱり気になってしまったのだ。鍋が。
仕事内容については大嘘だが、営業部営業支援n課、みたいなところにいる。業種は、まあCAD屋さんと思っていただければいい。
営業部隊が引いてきた案件をうまく図面に落とし込む仕事で、1課(正規軍)、2課(国内支店扱い)、3課(特殊案件担当)ぐらいの配置。
1,3課は、営業部隊と同じ社屋にいて相対で仕事をするけど、2課は電話越しになるのが違う(支店にCADを置くと過剰装備の上、要員は一日の3/4を寝て過ごすことになるだろうから、本店で集中運用されている)。
で、移動でこの度、5年ぶりに3課から2課に戻ってきた。
面子もだいぶん入れ替わり(若返った)、机の配置も変わっていて(狭くなった)、変わらないのはオフィス用の電話ぐらい。
が、この電話が曲者だった。古い機種なうえ、配置換えの時にマニュアルを捨てた馬鹿がいたらしく、短縮ダイヤルの登録法が誰もわからなくなっている。
1/3課ならそんなものはいらないんだけど(すぐ後ろにいるからね)、こと2課は遠隔地数か所をオペする関係上、頻々に数か所に架電する必要がある。
で、それを簡単にしてたのが短縮登録なんだが、誰もそれをしていない。なんでだよーと言ったら「だって、そんなの一回一回ダイヤルすればいい話じゃないですか」ときた。
いやさ、その手間、明らかに無駄じゃん、塵ツモで総人工に延べたら明確に損失じゃん、心を込めてダイヤルしたところで支店の莫迦が治るわけじゃないじゃん。そう主張してみたが、暖簾に腕押しだ。
ならば自分のところだけでも、と思って、方々あさったもののマニュアルは無し、ならばオンラインにあるじゃろ、と思ってググってみたら、なんと数年前にオンラインマニュアルが抹消されている始末(メーカーは呪われるがいい)。
同メーカーの新機種と設計思想が変わらないと踏んで、それを参考に短縮登録のやり方を再開発するのに30分ぐらいかかってしまったのでした(その間仕事はしている)。
結果、どっちが得なのかは知らん。しかし、ちょっとの技術の断絶が、すでに思想の違いを生んでいることに愕然としたのであった・・・。
アクリルたわし、アクリルの毛糸で編んだ編み物の事なんですけど。
使い道は主に皿洗いで、洗剤無しで汚れが落ちると重曹大好きエコ大好き環境を大切にしような人に支持されてたりする。
アクリルたわしは「洗剤を使ってはいけない」なんて事は全く無い!
私はバリバリ使う。環境なんてしるか。洗剤使わずに洗った食器は抵抗がある。
じゃあエコ以外にアクリルたわしを使うメリットがあるかというと、ある。
純粋に「汚れがとてもよく落ちる」。
スポンジを使っていた時は、油汚れは憂鬱だった。スポンジに着いた油を他の皿に塗りつけてしまい、それを防ぐ為に洗剤を追加し、夏でもお湯をジャブジャブ出していた。(私はエコは嫌いだが無駄遣いはもっと嫌いだ。)
アクリルたわしにしてからは快適だ。油汚れが本当によく落ちる。洗剤のCMでよく取り上げられるヌル付きもゼロだ。
茶渋や水垢なんかもよく落ちる。メラミンスポンジなんて使うのはアホだ。マジで。
私は食器洗いとは別に洗面所、お風呂場にもそれぞれアクリルたわしを置いて、水垢が気になったときにさっと磨く。全部落ちる。
メラミンスポンジの様なカスも出なければ、毛糸だから素地が削れる事も無い(はず。詳しい人教えて欲しい)
どうしてこんなに優秀なのに世の中に普及しないのだろう。
「泡立ちが少ないから洗剤で洗ってる気がしない」「かたくて使いにくい」というならば細いモヘアの糸を3本取りして編めば解決だ。スポンジと同じレベルで泡立つ。
「洗ったあとバイキンが気になる」というのはもはやバカバカしい。アクリル毛糸には抗菌タイプがいっぱいあるし、吊るして干せるのでスポンジより乾きが早い。気になるなら漂白でも除菌洗剤でもいくらでも使えばいい。
「買うと高い」これが曲者かもしれない。編めば100均の糸で4-5枚は余裕で作れるのだが、買うとなるとエコ税でもかかっているのかやたら高い。
これだけ熱く語っても誰にも伝わらないんだろうなー。
今就活してるんだけどさ、昨日の朝に机の上で履歴書書いてたのよ。
で書き終わるじゃん。とりあえずえっちしとこって思うじゃん。DLsiteからの漫画開いていたすわけよ。
そしたら、あっイクイクってところで
僕「あっ 待って(ウッ」
このわずか2秒でウサイン・ボルトなみの電撃でズボンをたくしあげ、そのまま全てを収納したんだね。
……この全ての収納ってのが曲者で、Ctrl+Dで全部無かったことにした余韻で、机の上にあった履歴書に手があたってさ。
そこからはもう流れるような滑りで履歴書がパンツの中にスッ……っと入ったわけよ。
母親「あ、もう着替えてたんか」
僕「……今着替えてたとこ」
かくして履歴書に自分のY染色体をぶちまけた就活生は、今日も元気に面接に向かうのであった。
おわり。
1.構想 … 考えるだけ
3.始動 … 一応最低限揃った状態で仕事が回る状態。赤字だけど売上が立つ状態。法人化してなくてもいい
6.成長 … いわゆるベンチャー企業
7.拡大 … 中小企業となる 上場するか、営業続けるか、バイアウトするか
できれば4か5あたりまでは片手間でやりたい
でも多くの会社が副業禁止なため、2や3あたりから厳しくなってくる
「本気でそれをやるつもりはないが、ちょっとしたいいアイディアがあるから試してみる」みたいなことは更にしづらくなる
・会社を辞める
・貯金を食いつぶす
本当は「何個かアイディアを試してみたい」とか「上手くいく確率は30%だろう」とか考えていても、その仕事に全力投球しなければならなくなる
理想は「調達する(誰かから借りる)」だが、数百万借りれる相手が居るというだけで限られるのではないだろうか?
ここで多くの人が脱落するだろう
有名な話だから省略
アメリカと日本では破産時に、個人の責任の重さが違ってくるという話
例え売上が立ってきたり、調達できたとしても、簡単に給与を上げることはできない
来てくれるのは、社長のビジョンに共感してくれて「安くてもやる」という奇特な優秀な人と、単純に優秀じゃない人だ
そしてあまりケチって優秀じゃない人を入れすぎると動きが非常に鈍くなる
結局、金をばら撒いて短期集中で頑張るか、経営者自ら優秀じゃない人を長期でじっくり回すか
これは日本に限らないが
一番駄目なパターンは、優秀じゃない人を高い給料で入れてしまうパターンだ
だが自分が経験のないポジションに対して、誰が優秀なのかなんてわからない
結果、慎重になりすぎて安い人ばかりで固めるみたいなことになったりもする
人が増えれば増えるほどコントロールは難しくなる
大体30人を境目に世界がガラッと変わる印象だ
6.成長や7.拡大フェーズで止まってる会社はこういうケースが多いと思う
何がしたいんだ一体
一刻も早く夫婦別姓を制度化してほしいと望む増田です。タイトルは煽りで金額は精査してないのであしからず。
さて同姓が強要されることにより、改姓者が受けるデメリットを具体的に想像してほしいと思い、
どれほどの届け出や書類記入が必要なのか簡単にリストアップをしてみました。
各要件詳細については精査していないので、コメントやトラバでフォローアップをお願いします。
まずは
姓を本人において避けられない変更
2. 自分のパスポートの再発行(記載事項の訂正による当日受け取りは今年3月19日からできなくなりました)
4. キャッシュカードxN
5. 携帯電話xN
6. 年金手帳
7. 雇用保険
8. 健康保険
13.火災保険xN
14.ネット
15.ケーブルテレビ
16.電気
17.ガス
18.水道
21.生協
22.各種カード(ここが曲者で、フライトマイルを貯めているカードの変更はかなり大変)xN
次に印鑑を使うことが多いような方と不動産購入済みの方に+αで必要な手続き
26.児童扶養手当xN
27.子のパスポートの再発行xN
30.会社の定款変更
31.株主総会の開催
34.労働基準局への届け出
(上記は常識的に司法書士に依頼するので、30とか50万という費用も)
婚姻届けを一枚出すことによって、40種類ぐらいの名義変更届が必要で、
かつ住民票やら謄本(戸籍・登記諸々)などのエビデンスも無料ではありません。
憲法が同姓を強要するのであれば、結婚に関する姓の変更手続きに金銭的時間的デメリットを
享受しない救済措置があってもいいと思うのですが、そういうものは一切ありません。
特に会社の代表をしている場合などは、完全にコストです。利益にも繋がらない捨て金になります。
これは、改姓した人に起こるデメリットで、性別を限定しておりませんが、日本では9割の女性が
改姓していることを鑑みると女性が受けているデメリットと言ってもいいかと思います。
是非結婚したいひとも離婚したい人も、もしあなたが姓を変えると、最大届出が100を超えて
一部はてななどでも「合意があったのか?」「不起訴ということは犯罪者じゃないので批判出来ないな」などというトンチンカンな発言を目にするので、当方素人ながら思うところを書いておきたい。
これには、被害者とされた女性との示談成立が考慮されたことは事実と思います。しかし、ご存じのとおり、強姦致傷罪は被害者の告訴がなくても起訴できる重大犯罪であり、悪質性が低いとか、犯罪の成立が疑わしいなどの事情がない限り、起訴は免れません。お金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単なものではありません。
示談成立が不起訴の決め手になっているのはその通りでしょう、しかし後段の悪質性という言葉は曲者です。そもそも強姦致傷罪は起訴率は50%程度でそこまで高くありませんので、
本件がほかの強姦致傷罪よりも著しく悪質性が低かったとは言えませんが、そのような誤読を誘う文章です。
一般論として、当初は、合意のもとに性行為が始まっても、強姦になる場合があります。すなわち、途中で、女性の方が拒否した場合に、その後の態様によっては強姦罪になる場合もあります。
このような場合には、男性の方に、女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意がないので犯罪にはなりません。もっとも、このようなタイプではなく、当初から、脅迫や暴力を用いて女性が抵抗できない状態にして、無理矢理性行為を行うタイプの事件があり、これは明らかに強姦罪が成立します。違法性の顕著な悪質な強姦罪と言えます。
これは強姦というものに対する古典的な誤解に基づくただの一般論で、高畑レイパーの行為とは何の関係もない世間話です。
私どもは、高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。
しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります
事実関係が解明できていないのに知り得た事実関係とはなんでしょうか? 他の関係者の話を聞くことが出来なかったのですからつまりここで言う知り得た事実関係とはそのまま「高畑レイパーの一方的な主張」のことです。
後段でそのまま恰も事実であるかのような書きぶりになっていますが、すべて高畑レイパーの主張においてはそうだと言うだけの話です。
以上のことというのはなんでしょうか? 途中で全く関係のない一般論の話と高畑レイパーの思い込みの話が入るのでわかりにくいのですが、「示談が成立したから」ですよね不起訴になったのは。
と言う訳でまあ実際の高畑レイパーの犯行がどのようなものだったかは全く分かりませんが、本件と無関係な一般論や知り得た事実関係などという言葉を持ち出して恰も高畑レイパーと被害女性の間に合意があったかのように印象付けたいコメントであるとしか言いようがありません。
カメラに映る場所に出てくる弁護士に女性を選んだ理由もその服装もすべて高畑レイパーへの批判をトーンダウンさせるための印象操作でしょうね。
「おなじ女性が弁護しているんだから合意はあったのかもな?」と思わせる作戦。
はてぶなどを見ていると「不起訴になったのだから有罪とは言えない、高畑を批判するのは私刑だ」のような反応が見えますが、示談したということは強姦を認めたということです。
だから私は容疑者ではなくなってしまった高畑裕太を高畑レイパーと仕方なく呼んでいます。レイパーを批判するなとは一体何事でしょうか?
また、「女性はこれに不服があるのなら反論すべき」という意見も見受けられますが、まずこの詭弁声明の中に弁護士から見た限り恐らく嘘はありません。無関係な一般論や加害者側の一方的な意見はありますがね。
そしてこの手の場合示談の際の条件として「事件についての一切の発言を行わない」というものが盛り込まれていますから、女性はいかに不服でも何も言えません。
一般に日本では犯罪者=批判しても良い/非犯罪者=批判出来ない、という不思議な感覚があるようですが。
「法と道徳の分離」が全く行き届いていない弊害ですね。
最初に流れる他の映画の予告編で真っ先にプリキュアやってて「こういうファン層(大友)向けなんだなあ」って思ったし、
危機感のない関係閣僚会議にイライラしたしやっぱり閣僚は無能ぽさガンガン出てたし、
ゴジラの幼体みたいのめっちゃ誰?感あって気持ち悪くて怖かったし、
指示が後手後手でどんどん浸食されていくのリアルで笑えたけど笑ってる場合じゃなくて、
そのあと再上陸した時にゴジラ対策マニュアルみたいなのできてて対応速い!すごい!ってなったし、
緊急対策チームみたいなのの曲者、モブっぽさ凄くてこれこれ!これを待ってたんだよ!ってなったし、
てか高橋一生とあの女の子(石原さとみでない)めっちゃ萌えたし、
鎌倉に上陸したって聞いてほっとしてたら()こっちに来てうわわってなるし、
ていうかそういう感覚って、ハリウッドの超大作パニックとか、昔のゴジラでは味わえない、いま日本で見るからこそ感じられるリアルな怖さだと思うし、
閣僚もやるやんけ、ってなったとたん…ってなったし、
石原さとみはまんまヱヴァのアスカみたいで実写だこれ!ってなったし、
平泉の狸かんとか、田口の動けるデブ感とか、マツダの有能な二世っぽさとかいとおしいし、
「無人在来線爆弾(うろ覚え)」のネーミングのシュールさとプラレール感に笑ったし、
他の人はともかく、お前だけは言うな。お前だけは。
町内でやたら絡んでくるっていうのは、おばさんか、たまに年寄りかやろ。
自営で暇なんやろな。
玄関内で話してたら、すりガラス越しにドアに背中貼り付けて聞いてる姿が見えるわで、正直とんでもねぇ奴なんだよ。
あっちゃこっちゃで噂話したり、悪口言ったりするの大好きやな。
あと、何も聞いてないのに、こうした方がいいでとやたらと絡んでくる。
その癖、曲者の世話好きおばさんのことを、やたら貶してるし。
正直、お前だけは絶対に言うなよって、心の中で全力で突っ込んでたわ。
今改めて言いたいのは、お前だけは言うな!
ただそれだけ。お前だけは言うな!
己を知れ。
子供、孫がヤンキーになったのは、多分にあんたに原因がある。(二人とも今はまともやけど)
それを思い知れ。
お前だけは何歳になっても変わらない。
いい加減にしろ。
増田の手助けになればなと色々書き終えた後、もし私が下記文章を見たら「量が多くて読む気力がわかない…いつか読む…」と後回しにしてしまうなと思った。
なので、その場合は最後の方のtogetter(私が一番役に立ったと思った話は--)だけ読みましょう。
Gigazine「なぜ締切りギリギリまで先延ばしして遊んでしまうのか、どうすれば防ぐことができるのか?」
http://gigazine.net/news/20160422-how-to-overcome-procrastination/
http://b.hatena.ne.jp/entry/gigazine.net/news/20160422-how-to-overcome-procrastination/
id:aaaa_a4 ナナメ読みしたら、先延ばしにしないためには先延ばしにするなって書いてあった
ですよねー。
id:barm wikipediaの最高傑作「先延ばし」の出番だ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%BB%B6%E3%81%B0%E3%81%97
続けて
Gigazine「やるべき事を後回しにする「先延ばし行動」の背景にある「感情」を理解する事で問題解決を狙う取り組み方法とは」
http://gigazine.net/news/20150902-stop-procrastion-by-understanding-emotions/
ここでもやはり
先延ばし体質にある人に対して「何かを始める際に『強い心配』のような感情を抱いていることを自覚させること。ただしそのことを理由に自己批判させない。次にまずは作業に取りかからせ、あえて視野を狭くした状態で少しずつ物事を進めさせること」が挙げられています。
◆◆◆ ↓↓ ここから ↓↓ ◆◆◆
私が一番役に立ったと思った話は「やる気が出ない人にオススメの「モチベを維持しようとするな」というコツ」というものです。
ここでも基本は「やる気がなくてもやる」なんですが、それでも幾つもの大切な点が説かれています。
その実に不味い点は、「やる気を出しつづける方法」という、存在し得ない方法を探しているのに「その真理にたどり着けない原因は俺がクズだからじゃないだろうか」と考えてしまう部分にある。簡単に言えば、自己嫌悪に陥る。これが曲者である。
やる気が無い、日課をサボった、誘惑に負けた。こういうとき「ああ、これは好ましいことではないけど、あって当たり前のことなんだな」と心の底から納得していることが大切で、言葉だけで逃げようとすると追い詰められる。
これを、「やる気がなくても作業をする習慣」をつけていくとどういうことが起きるか。
まず、自分のクズさに嫌気がささなくなる。気楽だ。いや、気楽じゃなくても作業する。内心はもうほんと、どうでもいい。やる気が偶然あっても、サボりてぇとおもっても、とにかく、やる。(どうやって?と言う議論は後述)
当然、大体とてもツラい。正直なきそうになるし、最初の頃は他の人が遊びまくっているのをみて気が狂いそうになる。だが、気が狂ってもいいのだ。内心など捨てるのだから。
やりたくないな~と思いながらも何とか手を動かし始めます、その後しんどい、つらい、と思うでしょうけど「つらい…(でも手は動かす)」「めんどう…(でも手は動かす)」「やめたい…(でも手は動かす)」という感じで、感情と動作を切り離すことが重要みたいです。
と。このような感じで「やらなければいけないことに手がつかない」と困っている人は思った以上に沢山いて、それでもまあ何とかみんな生きてるし世界は回ってるのでまずは一息ついてお茶でも飲みましょう。
再度書きますが、面倒な場合このtogetterだけ読みましょう。他の部分は私個人のメモとして書いてる意味もあるので、読まなくてもなんら問題ないです。
◆◆◆ ↑↑ ここまで ↑↑ ◆◆◆
その他
「最初の一歩は始めること」http://www.aoky.net/articles/jason_zimdars/the_first_step_is_to_start.htm
「射撃しつつ前進」http://japanese.joelonsoftware.com/Articles/FireAndMotion.html
「後回し癖は一生治らない、のか?」http://anond.hatelabo.jp/20150513201325
http://stopwatchtimer.yokochou.com/pomodoro-timer.html
認知療法の話が出てきますが、そのあたりはまだ自分でも調べ切れてないので中途半端ですみませんがこれで終わります。
「あまりにも仕事に行きたくないのでログインボーナス作った」http://tamokuteki.hatenablog.com/entry/2016/04/28/133414
これとかとても良いと思いますが、自宅で働いてる人は「会社へ行く」というきっかけがなく、いつ始めていつ終わっても良いのでさらに大変ですよね。
で、実際のところ私はここまで色々見てもなお手につかなくて、もう id:xevra さんに従って瞑想と運動を始めようかと思いますがやり方がよく分からなくて後回しにしています。
誰か助けて。
http://anond.hatelabo.jp/20160413023627 を見て触発されたので書く。
タイトルのようなことについて、実態というか現実というか、そういうのを当たり障りない範囲で書こうと思う。全ての企業や学生に当てはまるはずはない(むしろかなり偏見や単純化を混ぜてる)けど、参考になれば幸い。
ちなみにトラバ先は研究を志望したという話だけど、本エントリは研究志望というよりは一エンジニア志望向けかも。
あえて定義はしないけど、Github で公開されてるような OSS を使ってます/いじってますとか、LL 使って Web アプリ作ってますとか、アジャイルやらテストコードやら最近主流の手法使ってますとか、そんな感じで捉えていただければ幸い。あるいはメインフレームで COBOL とか周辺機能を全部車輪の再発明してるC言語製アプリとかそういう古い仕事ではない仕事、と捉えてもいいかも。
トラバ先のトラバの言葉を借りると「日本的な旧来型のIT大企業」という感じ。
ITという言葉には色々な意味がある。大手IT企業だとこれが特に広い。もちろん「モダンな開発」も含まれているけれど、そんなの全体のごく一部でしかない。(主観だけど数 % とかじゃないだろうか)
話は少しそれるが、大手IT企業は元々メインフレームなど「化石」で発展してきた経緯がある。何十年以上も昔、コンピュータといえば化石しかなくて(それでも当時は最先端)、それを個人やそこいらの企業では相手にできないような大組織に対して導入してきた。プログラミングの手法やノウハウが十分存在しない時代だったけど、それでもやるしかなくて、幸いにも昔は今ほど不景気ではなかったし人材も豊富だったから人海戦術で何とかなった。
そうやってつくられた化石コードと化石システムは今なお動いているし、時代に合わせてそれなりに機能追加もある。大手IT企業は化石から離れることができない。現代が化石で食べていけるほど甘くない時代だとしても。
そもそも化石に詳しい化石人が現役引退や昇進などによりいなくなったということもあって、実は現状維持ですら大変である。たとえばレガシーで汚い膨大なソースコードを知る者は誰もいない。もちろんネットで調べても答えなど出ないし、IT界隈のコミュニティに頼ったところで知る者はやはりいない。どんなに時間がかかっても読んで、理解するしかない。どんなに時間がかかっても。
以上のような現実があるので、化石のお仕事に新人を割り当てることも普通にあるし、むしろそうなる確率が圧倒的に高い。
大手IT企業にとって新人とは「専門的な技能や経験は無いが、地力(頭の良さ、伸びしろ、根気など)はあるため近い将来使える戦力になる卵」である。
対人コミュニケーションには自信ありますという遊んでばっかのリア充も、OSS に Contribute してました大学はほとんどパソコンと向き合ってましたという趣味グラマも、同じ「新人」でしかない。
「新人」は技能も経験もないので、いきなり一人前の仕事を任されることはない。電話応対、飲み会の企画運営など雑用全般を任されつつ、簡単な仕事がアサインされる。
この簡単な仕事というのが曲者で、手順書にしたがって環境を整えるとかテストをするとか、そういう仕事だ。手順書を読める程度のIT知識があれば誰でもできる。でもボリュームは多いし、手順書は不完全で不正確だからわからないところが多々あって、忙しい先輩や上司に何度も相談しにいくことになる。言うなれば「属人性の高い単調な手作業仕事」とでも言えようか。
ITを知らない素人新人ならこれが仕事だと抵抗なく受け入れられるが、ITを知る新人だったら、これはとてつもない苦痛だろう。配属先が「モダンな開発」を行う部署であれば苦痛具合も軽減されるし、なんなら「君結構詳しいんだね。じゃあ早速本格的な仕事任せてみようかな」なんてこともありえる。化石部署だとそんなことはない。だって、仕事で扱ってるシステムは化石だからモダンなIT知識なんて役に立たないもの。
この「新人」に、早くて数ヶ月、遅くて数年耐えると、次第に仕事を任せてもらえるようになる。設計やコーディングといった、エンジニアらしい仕事だ。といっても、配属先が化石部署であれば、当然扱うのも化石なわけで、いつまでたっても化石で苦しみ続けることになる。
一方で化石部署から異動し、「モダンな開発」を行う部署で働く者も存在する。これには色んなパターンがあるが、おおよそ以下のような状況が重なって異動するパターンが多い気がする。
大手IT企業では エンジニア→中間管理職(部長以下)→偉い人(部長より上) というキャリアパスがつくられている。特徴は
こんな感じ。
いつまでもエンジニアとして働いて、でも給料はそれなりにもらって、ということはありえない。成果を出せば昇進するし、昇進すればエンジニアから離れていく。成果を出さなければエンジニアとしていれるけど、いつまでたっても給料は増えない。大手だけあって新人時点での給料はそこそこ良いけれど、30代以上になってくるとそれでも苦しい(物欲無き健康的一人暮らしなら問題無いが、家族を養うつもりなら相当苦しい)し、そもそも無能な管理職に振り回されることに対して苛立つだろう。つまりエンジニアとして何十年も働き続けにくい。
「昇進するつもりだから問題無し」と考えている人も要注意である。というのも、大手IT企業は管理職で溢れかえっているからだ。新人が昇進するのは非常に難しい。昔は割と誰でもなれていたし、実際「こんな奴がなんで管理職になれてんだ?」っておっさんもたくさんいるけれど、今は違う。一握りの社畜(必死に仕事に食らいついてきた&先輩や上司からのウケも良い)だけが昇進できる。たとえエンジニアとして優秀な仕事をし、正当な意見を主張してきたとしても、空気を読んでウケの良い社畜にならなければ昇進はできないのである。
大手IT企業の研究所は非常に狭き門である。トラバ先でも言及されているが、博士課程を終えたようなガチさに加え、当然のことながら学歴も必要になってくる。実際、研究所の人間は英語を当たり前に読み書きできたり、分厚い技術書を躊躇なく読み込んだりするような変態であり、裏を返せばそれほどの実力と熱意がなければやっていけない世界というわけで。とにかく多少ITに覚えのある凡人が入れる場所ではない。
また、入社後に研究所に異動するケースもほとんど無い。一般部署の凡人をわざわざ引き入れる理由が無いからだ。
ここまで色々書いたが、そもそもなぜ大手IT企業を目指すのか。それは以下のような理由や期待があるからではないか。
確かに上記のメリットはある。あるけれど、ここまで書いたように
といったこともあるわけで。
「モダンな仕事をバリバリしたいならベンチャー行け」という話もあるけれど、ベンチャーで通用するほどの人材ならそもそも大企業を選ぶことに悩みなどしないだろう。大企業を選ぶということは、実力なり待遇なり何かを求めているわけで、そうなってくると大企業以上に適切な選択肢は無い。でも、その大企業にも上記のデメリットがあるわけで。
世の中は甘くないですね。
ちなみに、本作で一番株を上げたキャラはにこだろう。
彼女は出番こそ決して多くなかったものの、登場するたび印象的なセリフや立ち回りを披露し、それを中の人であるそらまる氏が完璧に演じきっていて素晴らしかった。
特に5話の「アイドルっていうのは~」というセリフ、12話の「あんた、それ本気で言ってるの?」から始まって激昂するシーン、いずれも本作屈指の名場面である。
結果として、気難しいところもあるけどそれ以上に可愛いところもいっぱいあって、実は1年生組と一番仲が良くて(面倒見の良さを想像させる)、そしてアイドルに対する強い想いが芯にあってと、これでファンが増えないわけがない。
アニメ以前2010~2012年の矢澤にこがどれだけ可愛くて個性と魅力を両立させていて強く期待を背負ったキャラだったかを知っているとなかなか上記のようには思いがたい。むしろアニメ化の被害者という印象の方が強い。
これが曲者で「印象的」と曖昧な言い方で誤魔化してはいるが、印象的なだけならアニメ前のにこも十分に印象的なセリフばかり残している。むしろアニメ前のキャラクターの方が印象的かつアイドルらしく可愛いセリフや立ち回りが多い。
アニメ前の設定を馬鹿にする新参系や流され系のファン(実質アンチ)もアニメ前の矢澤にこについては「キャラのクセが強い」、「キャラがキツイ」とよく言っている。クセが強い、キツイというのは個性の強烈さの言い換えとも言える。つまりアニメ前の方が印象的なキャラであることを認めているようなものでもある。
アニメ前や原案作成者の公野櫻子系作品の矢澤にこは常に理想のアイドルになろうとしていた存在だった。キャラ作りではなかった。キャラ作りだとしてもプライベートでもその作ったキャラのまま振る舞うキャラクターだった。
その姿勢はアイドル活動に疎い他のメンバーからも尊敬され、一目置かれている描写も多々あった。そのにこのキャラクター性には(公野媒体のギャグ度が弱い)海未ですら翻弄される描写もある。
アニメ版の矢澤にこは花陽と絵里以外には基本的にいつも馬鹿にされている。意識だけ高い振りするウザい奴という扱いのクズである。
一方でアニメ版も印象的なキャラではあったが、良い意味で印象的だったのは最終話付近で穂乃果に檄を飛ばす所くらいであり、寒い天丼ギャグ扱いのために花田十輝が拵えた改悪キャラクターとしての役回りが中心である。
それでも、最終話付近は穂乃果をはじめとした周囲のメンバーが腑抜けていたのと対照的にアイドル活動への熱意と執念を見せるセリフや行動で株は上がっていたのは確かである。
ただ、アニメ以前と比べたら少なくとも株は上がっていない。アニメ1期直後に新規投票者が増えたことで人気投票の度合が増した総選挙の順位も下位を低迷し、最後にようやく自己最低タイの5位に滑り込んだ形であったことからも、1期終盤の展開もあまりカバーする効果がなかったことが明らかになった。
その他、各種ネット媒体での評判を見てもアニメ以降、矢澤にこ=クズ、馬鹿、無能といった印象ばかりが定着してしまい、矢澤にこはアニメで最も株を下げたキャラクターであるというのは当時を多少知る人なら分かるはずであるし、それを認める書き込みや同情の風潮も1期から2期の途中までは他のキャラよりは多く存在していた。
実際にアニメ以後、矢澤にこといえばクズというような扱いのネタ系のスレッドや書き込みが増えて定着していった。
また、そこにアニメ制作側の悪意に近いものが存在していることも、その後の2期で海外ドラマglee盗作問題が浮上した際、glee元ネタ回の損な役回りをことごとく矢澤にこに当てていた所からうかがえる。2期4話や6話は脚本プロットもgleeの元ネタ回に近いが、2期4話の元ネタではにこに当たるキャラは最終的に同情を買うキャラでマイナスイメージは無いストーリーになっているが、ラブライブ2期4話ではフォローがなくただの痛い奴という扱いのまま、メンバーのご厚意で許されたようなギャグキャラ的扱いの流れで終わってしまう。最後のソロライブすらライブシーンはなく終了。6話でも元ネタ同様の憎まれ口を言わせる役をわざわざにこに当ててしまっている。
ただ1シーンならそういうシーンとして認められるだろうが、元からいちいち頭や性格の悪い発言をさせる役をことごとく矢澤にこに当ててきた上でまた駄目押しのようにそのようなセリフを与えたことで呆れたファンも少なくなかったようであり、そこでは既に盲目信者の割合が増えていた当時のラブライバーでも流石に疑問を抱いた者が多かった。それが後のglee盗作疑惑の発覚にもつながったかもしれない。
しかし、この記事の筆者に限らず2期以降はまともなファンが見限って消えた影響もあるのか、ラブライブファンの中心は感覚と思考が麻痺したファンばかりになってしまったようである。
2期途中まではアニメ制作の矢澤にこの扱いを特に問題視したり、かつてのファンに同情したりするファンが結構いたのだが、段々とそういうファンがいなくなり、たまに内容に踏み込んだ批判をする人が現れても、「アニメの被害者は目に見えて出番が少なく映像付きセンター曲もない海未と花陽だ」とか、むしろ「出番は多いが変な行動ばかり描かれた穂乃果が被害者」だとか、
基本的には即時的で短絡的な感情からの物言いをするファンが多く、1期から2期途中まで比較的多かったアニメ化の被害者の代表格が矢澤にこという意見は殆ど見当たらなくなってしまった。
もしかすると、アニメラブライブにおける矢澤にこの描写の問題点を指摘しようとする際、どうしても「アニメラブライブのキャラクター描写や脚本がgleeの盗作ネタがあり、その影響でキャラクター改変を受け、損な設定や役回りを与えられたのが矢澤にこ」
という事実にぶつかってしまい、彼らがなんだかんだいっても大好きなアニメラブライブという作品の根本部分を痛烈に批判・否定しなければならなくなるから避けているのでは、と邪推してみたくなるほどである。
ラブライバーは騒動が段々と大きくなるにつれて当初は問題視していたファンも割と存在していたのにパクライブことglee盗作疑惑の件には頑なに口を閉ざし、批判者を雑に馬鹿にして精神的安定を図るのみで、その問題についてはまともに語ろうとしない所からも本能的に避けるようになった節がある。
スクフェスを制作しているKlabがgleeでスクフェスみたいなゲームを作ったから円満解決とか考えるアホらしい解釈もあるようだが、そういう簡単な問題ではない。仮に盗作が許されたとしてもそれでOKという表面的な話ではないのだが、やはり作品の内容については愛しておらず、ラブライバーをやっている自分の地位だけが大事と噂されるラブライバーという人種はその地位さえ守られたら安堵できてしまうものなのだろうか。
1期の後は、この記事の筆者も実力を懐疑的に見ている花田十輝氏によるキャラクター大改悪により、
人気はあるようだが、大半はチビロリ黒髪ツインテールという記号としての見た目と声優で見ているのが大半であることは、彼らに好きな所を聞くと2期以降の話が殆ど出て来ないことから明らかである。
実際は上に述べた見た目や声優のことだけが好きな理由であり、1期で少しだけ見せた良い所を拠り所に、好きな所を聞かれたらそれを答えておくという状態だろう。
それはそういうものとしていいとは思うが、それで出来上がった人気を根拠に、人気が出たのだからキャラクター改変は成功や正解というのは通らない。
そんな記号や声優という要素さえあればいいならアニメ以前のまま変更する必要は皆無だった。作品内人気の面では今以上に定評があった。
徳井青空は大半が新人若手で構成されていたラブライブ!の中でも早い段階でキャラクターに適応した演技を見せていた。
ニコ生内で、自分で考えてキャラクターのセリフを演じるコーナーでも他の声優より抜きん出て台詞考案と演技が上手かったし、アニメ以前の矢澤にこのキャラクターをよく理解していた。
それもあって作品としては黎明期であった当時の矢澤にこの人気と評価は高く、作品の今後を背負う大きな存在として期待されていただけに勿体なく残念である。
電撃ラブライブ!3学期の花田十輝氏もこの記事の筆者と同様にアニメのそらまるの演技を評価しつつ、徳井青空のおかげであの改変したキャラ設定がものになったみたいなことを言っていたが、徳井青空の演技力を過小評価している。アニメ版矢澤にこを見てアニメ版ミルキィホームズのネロの延長線上でああいうキャラ付けにされたような印象を感じた人は当時多かったと思うが、徳井青空はもっと他の演技もできる声優だと自ら矢澤にこを演じて証明していたのに何故あんな薄く浅いキャラクターに改悪してしまったのか、とても悲しいし悔しい。
ラブライブ!のアニメシリーズというのは結局の所、京極尚彦氏と花田十輝氏のストーリーやキャラクター描写を行う上での無能さを知らしめるための作品でしかなかったし、その最大の被害者は矢澤にこだった。
「少子高齢化の影響で地方を維持することが難しい」という話が出てくる度に、難癖をつけて地方の維持に税金を使わせようとする輩が居るが、それには以下の2種類の人間がいると思う。
都市の人間が納めた税金を地方に回したくないと思う人間が本当に対応するべきは2.である。地元住民とは手強さが違う。
地元の住民は、できてもせいぜいその選挙区の政治家に1票を投じる程度のことしかできない。政治家も自分の選挙区に予算を引きこもうとするだろうが、そもそもパイの大きさが縮小傾向である以上、予算獲得合戦をしたところで引き込める予算の額は減少する一方である。加えて、地方の維持が難しいと言っているのは要するに人口が減少しているということなのだから、一票の格差を是正するたびに地方の議員の数は減少していく。どうあがいても、人口が減っている地域の地元住民にかける税金は減少する以外に無いのである。これを避けるためには、住民は自身の母体を増やす…とまではいかなくても、最低限現状維持はしなければならない。それができるならば「限界集落」などというワードは生まれないはずであり、この名前がついた集落はもはや地元住民だけで問題を解決できない、ある種の限界を突破しているのである。
おうおうにして、こういう地方の住民は諦めモードに入っており、「途絶えさせたくない」とは考えていない。代々続く文化があろうと無かろうと、最後の住民がこの世を去れば、必然的に地域が静かに役目を終える。住民はみな高齢で、もうすぐ死ぬだろう。今すぐとは言わなくても、いつの日かインフラ整備のために投じる税金を断ち切られても、住民は仕方がないと考えている。ちょろいもんである。
一方で、地元に投資する人間は曲者である。旗振り役は地元出身者である場合もあれば、本社を東京に置く観光業界である場合もある。彼らはだいたい
であり、ぶっちゃけ地元の人間はいなくてもいい。強いて言うなら「町中を人が歩いていないと廃墟みたいになっちゃって廃墟マニア以外から敬遠されるからとりあえず出歩いてて」要因でしかない。ここでは、彼らの目的が「観光資源として利用して主導権を握るか中間マージンを搾取したい」前提で話を進める。
この場合に矛盾しているのが、彼ら自身は予め整ったインフラの上に事業を展開するのに、インフラを整備する予算は(地元の人間も払っている)税金から出ている点である。したがって彼らが初期投資をしてから回収できないまま税収が減ってインフラの整備が途絶えようともなると、彼らはものすごい勢いで反発する(自前でインフラを整えたり、税金を多く納めようとはしない)。その矛先は地方自治体や、下手をすると地元の人間に向く。具体的には、彼らは「景色を残したいのに」「地域に代々伝わる伝統を残したいのに」「この地域の産業を活性化したいのに」などとそれっぽいことを言い、それに協力しないことが悪いことであるかのように唱え、周辺から徐々に責めていく。地方の人間が協力しなくても、周辺の人間が「景色を残すためなら」「地域に代々伝わる伝統を残すためなら」「この地域の産業を活性化するためなら」と同情し、補助金などの税金を獲得してその場を凌いでしまう。そして投資した分が回収できたところで、景色を残すこともなく、地域に代々伝わる伝統を残すこともなく、地域の産業を活性化することもなく、「市場原理に基づいて」彼らは補助金という名の税金を返納することもなく退散するのである。
ところで「地方が途絶える」とはどういう意味なのだろうか。思うに、地方が存続している条件は「景色が残っている」「地域に代々伝わる伝統が残っている」「この地域の産業が活性化した状態が存続している」などの状態では無かろうか。上に2つのシナリオ(住民がいなくなって途絶える・地元に投資した人間が食い荒らして途絶える)を挙げたが、いずれの場合も結果的に地方は途絶えている。結果は同じなのだから、投じた税金の少ない1.のシナリオの方がマシとすら言える状況である。
まとめると