はてなキーワード: 孤立とは
西暦1805年冬、ナポレオン率いるフランス大陸軍六万と、ロシア・オーストリア連合軍八万がウィーン近郊のアウステルリッツ=プラッツェン高地西方で激突した。
フランス軍は当時のロシア軍に対し数的劣勢であったことに加え、アウステルリッツにおいて最重要拠点であるプラッツェン高地をロシア軍に占拠されていたため(一時はフランス軍によって占拠されていたものの、明け渡された)、当時フランス軍にとって有利な状況は何一つ存在していなかった。その上、アウステルリッツの南北双方からは敵増援が到着しつつあり、これら増援とロシア軍が合流を果たせばフランス軍には万に一つの勝ち目も無かった。
しかし連合軍は数的優勢、土壇場になって停戦交渉に打って出たナポレオンの弱腰、さらには戦場における最重要拠点であるプラッツェン高地を手中に収めていることを鑑み、勝機ありと見た末に停戦交渉を撥ね退け、フランス軍との大規模会戦に打って出たのである。それらが全てナポレオンの張り巡らせた罠であるとも知らずに。
1805年12月2日、戦端はロシア軍の先制攻撃によって開かれる。プラッツェン高地南方にて、フランス軍右翼の守るテルニッツ村が攻撃を受けた。
当時の布陣図によれば、フランス軍右翼は極めて脆弱であり、ロシア軍はそこを弱点と見做し自軍左翼のブクスホーデン軍を急行させたのである。南北に伸びたプラッツェン高地から出撃したブクスホーデン軍によって、フランス軍右翼陣地はあわや撃滅されようとしていた。右翼が壊滅すれば突破したロシア軍はフランス軍後方へと迂回し、中央のフランス軍主力部隊を挟撃することができる。そうなればフランス軍は終わりである。
しかし、まさにその瞬間に――ブクスホーデン軍がプラッツェン高地から、地上のフランス軍右翼へと殺到し始めた瞬間に――ナポレオンは勝利を確信したのである。
フランス軍右翼は囮であった。ナポレオンの狙いは、ロシア軍左翼がフランス軍右翼を攻撃するために進撃を開始した瞬間に、手薄になった中央のプラッツェン高地を集中攻撃することにあった。
これによって、重要拠点であるプラッツェン高地をロシア軍から奪回し、戦場の主導権を我が物にしようとしたのである。さらに、アウステルリッツの会戦当日にはプラッツェン高地周囲の森には深い霧が立ち込めており、この霧の存在もナポレオンの企図を助けることとなった。
ロシア軍左翼がプラッツェン高地から出撃して間もなく、スルト元帥麾下の第四軍団14000がプラッツェン高地中央部を急襲し、霧の中突如として現れたフランス軍を前に、ロシア軍中央は総崩れとなる。また、脆弱だった筈のフランス軍右翼も、ダヴ―元帥麾下7000の部隊が後方都市から到着したことで、数的劣勢を克服し、戦況を盛り返しつつあった。
(開戦前日にダヴ―麾下7000の部隊は密かに戦場へと到達すると、言わば伏兵として右翼後方に待機していた)
やがて激烈なフランス軍主力の攻撃により、ロシア軍中央は壊走を始め、プラッツェン高地はフランス軍により奪回された。同時に、フランス軍右翼の攻撃のためにプラッツェン高地から地上へと降り立っていたロシア軍左翼は、敵陣の中孤立することとなり、戦局はここに決したのであった。
ロシア軍は戦端を開こうとせず、増援の到着を待ち戦力を増強しさえすれば、少なくともフランス軍との直接対決において敗北を喫することは無かったであろう。
しかし、ナポレオンはその裏を掻いたのである。彼はロシア軍が友軍と合流する前に会戦の火蓋を切って落とし、大規模な会戦に持ち込むことで、いち早く敵軍主力を撃滅することを画策したのだ。そのために、敢えて戦力劣勢を露呈し、戦場の最重要拠点を敵軍へと譲り、尚且つ弱気な姿勢を見せるために仮初の停戦交渉さえして見せたのである。とどめには、勝機に逸るロシア軍の中央を攻撃するために、敢えて右翼の布陣を脆弱にするという周到さであった。それら全ての罠がロシア軍の判断能力を奪い、かくしてロシア連合軍八万はアウステルリッツの地にて壊滅したのだ。
かの有名な書物『戦争論』の中で、著者であるプロイセンの将校クラウゼヴィッツはこの戦いを次の言葉で概括している。 「戦争芸術の粋」。
紀元前219年、遥かアフリカ北端の国家・カルタゴの将軍ハンニバルは、当時世界最大の強国であった共和制ローマを相手取り絶望的な戦いを挑んでいた。
その絶望的な戦況を好転させるため、ハンニバルは自ら率いた精鋭部隊をスペインからアルプス地方へと経由させることで、ローマの中枢であるイタリア半島本土に対し直接攻撃を仕掛けたのである。
最終的に、ハンニバルはイタリア半島に十年間留まり、その間絶えずローマ軍に対する圧迫を続けた。その十年の戦いにおいて世界戦史上に燦然と煌めく、もっとも著名な戦いこそがカンナエの戦いである。
ハンニバルはアルプス山脈を越えイタリア北部に侵攻すると、次々と現れるローマ軍を待ち伏せや正面突破によって壊滅させ、イタリア半島南方へと進撃した。当時、快進撃を続けるハンニバルは数万の軍隊を維持するべく、イタリア半島各地で略奪を行っており、農村を中心に甚大な被害が上がっていたことからローマ軍首脳のストレスはピークに達していた。更に、イタリア半島南部においてはローマ軍の補給基地が存在しており、そこをハンニバルに抑えられるとローマ軍は南イタリアでの行動を制限される可能性があった。そのため、ローマ首脳陣はカルタゴ軍を撃滅するべくローマ史上最大規模の部隊を編成し、約八万の軍を執政官パウルスとウァロに指揮させた。この時、決戦の地に選ばれたのがイタリア南方のカンナエである。
決戦の舞台となったカンナエは、川と丘陵地帯に挟まれた地形であり、カルタゴ軍約五万とローマ軍七万は平原をほとんど埋めるように布陣し、正面から向かい合った。
両軍は双方ともに両翼に騎兵部隊を、中央に歩兵部隊を配置しており、いかにも窮屈そうな陣形であった。
しかし、この人馬が埋め尽くす不自由な戦場は、後に分かる通り、ハンニバルの用意した殺戮の舞台としてはうってつけのものでさえあった。
ローマ・カルタゴ双方の騎兵隊は、狭い地形において機動戦法を取ることができず、正面からぶつかった。
歩兵戦力ではローマとカルタゴで比べるべくもない数的差(6万強:4万)が開いていたが、騎兵の質、量においてはカルタゴ軍がローマ軍を上回っており(6500:1万)、カルタゴ軍は開戦から僅かな間に、左翼での騎兵部隊の戦闘において優勢に立っていた。単純な数的有利から繰り出される圧力と、また練度の違いによりローマ軍騎兵は瞬く間に圧迫され、その算を乱していった。
一方歩兵部隊における戦力差は繰り返すように圧倒的であり、歩兵同士の戦闘に限ってはカルタゴ軍がローマ軍に勝利する公算は無かった。
そのため、ハンニバルは一計を案じた。
ハンニバルはカルタゴ軍歩兵の陣形をお椀のように変形させ、その弧を描いた部分をローマ軍中央の歩兵部隊と接敵するようにしたのである。これによって接敵する面積をできるだけ減らし、中央が突破されるまでの時間を稼ごうとしたのだ。ハンニバルは歩兵同士の戦闘をできるだけ遅滞させ、両翼の騎兵部隊が優勢に立つのを待った。
また、ハンニバルはお椀型をしていた陣形を、戦闘が推移するに従って屈伸させ後退させた。当初の形(お椀の底の部分が接敵する形)とは逆に、ローマ軍の大半をお椀の中へと誘い込んだのである。さらに、ハンニバルは温存していた自軍左右の重装歩兵をローマ軍へと攻撃させ、ローマ歩兵が挟撃される形を築こうとした。
とは言えこの時点ではカルタゴ軍によるローマ軍への包囲は決定的ではなく、ローマ軍は歩兵戦闘において依然優勢な状況にあった。そのためローマ軍は、優勢な戦況を継続し、カルタゴ軍中央を突破することで戦局を優位に進めようとした。
ところがその時、歩兵部隊の両翼で戦闘を行っていたカルタゴ騎兵が、歩兵同士の戦闘に加わったのである。
戦端より優勢を維持していたカルタゴ軍騎兵は、ローマ騎兵を壊滅させた後に、敵歩兵部隊の無防備な背後を攻撃した。左右を川と丘陵に囲まれた陣形の狭さ故に、ローマ騎兵は有効な回避機動を取ることができず、瞬く間にカルタゴ騎兵によって殲滅されたのであった。
ただでさえカルタゴ軍に包囲されかかっていたローマ軍は、後方から攻撃を受けることによって決定的な混乱を迎えた。周囲を完全に包囲されたローマ軍は逃げ惑い、歩兵の中央部では逃げ惑う味方の身体に押されて圧死する者も現れたという。
この戦いによってローマ軍7万の部隊は完全に壊滅し、6万人が死傷、また、残る1万人は捕虜となった。
地形を有効に利用し、敵軍を機能不全に陥らせ包囲殲滅する戦法は、いわばハンニバルの御家芸であった。
機動部隊同士の戦闘を優勢に進め、敵軍を包囲殲滅するこの戦法が、以降近現代の軍事教本に取り上げられ、カンナエの戦いのハンニバルに帰する栄光が不動のものとなったことはあまりにも有名である。ハンニバルはイタリアの地にてローマ軍を完全に破った。この戦闘によって、当初戦闘に参加していた元老院議員の政治家八十名が戦死し、議員定員約300名のローマ議会における四分の一が戦死することとなる。
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
教えている事に対し、順序立てて説明しているのに勝手にすっ飛ばして物事を考えようとして、結局何一つ覚えていない。
業界で働いていたなら知っているはずの専門的な用語を何にも知らない。
会話が成立しない。
『今日は混み合うと思うから、早めに用意しておくように』って話をしているのに『明日は晴れでしょうか?』って話が飛んでくる。意味がわからない。
お客さん帰ったら清掃を忘れないようにって指示しても『店長はお子さんいるんですか?』何の話してんだよ。
そもそもの会話が成立しないので、勝手に孤立して誰も近寄らなくなってしまった。
仕事の覚えも全く駄目なので、これ以上雇っていても仕方ないから解雇になった。
50代にもなって会話が成立しねーってどういう事なんだ。
新型コロナウイルスに対し、学級閉鎖が有効なのかどうかというのは未だに結論が出ていないはず。
去年の3月頃だったか、北海道での感染拡大は無症状の若い人たちがウイルスをばらまいているからしか考えられない、みたいな話しがあった。
幼稚園児や小学生あたりもウイルスをばらまいているんじゃないか、だから学級閉鎖は有効じゃないかと考えられそうだけど、実際に小学生くらいがウイルスをばらまいているかというとそうでもないらしい、という調査もある。
イギリスだったと思うけど、小学生の学級閉鎖は行わないことに決めたかと思う。
そもそも幼稚園児や小学生くらいだと一人で広範に行動することはほぼなく、ある意味社会からは孤立しているからウイルスを運ぶのは学校と家庭くらいになる。
じゃあ小学校でクラスター化しているかというとそんなこともない。全くないわけじゃないけど、少ない。
中学校のクラスターも少なく、高校くらいから部活や学校内でもクラスター化して、甲子園の地方予選辞退なんてことにもなっている。
じゃあ、なんでインフルエンザは学級閉鎖が行われるのかというと、単純にインフルエンザは子供にとってリスクが高いから。
インフルエンザに関しては子供から大人にうつすより大人が子供にうつす方が問題で、学級閉鎖は大人にうつさないための措置ではない。
オリンピック開会式が終わり、日々オリンピック関係者の感染者が増えていて、心の底からがっかりし続けている。
この気持ちの理由を紐解くと、ごくごく個人的なことながら、祖父の葬儀に出席できなかったことが根底にあるように思う。
私の祖父は初夏に旅だった。
しかし、私はエンタメ業界の末席におるサラリーマンであり、業界の状況的にも、とてもじゃないが葬儀に参列させて欲しいとは言えなかった。
勿論、本心では葬儀に参列したかったが、仕事柄、舞台の上に立てないと存在欲求が満たされず、地から足が浮く人たちが存在すると知っているし、
フリーランスの人たちが、肩書となれるような大きな仕事の有無によって生涯年収が左右されることも理解しているつもり。
だからこそ、オリンピックアスリート達が報われるような大舞台、そして納得行く結果が出せると良いねと思い、
少しでも感染状況を押さえる事で晴れ晴れしい状況に繋げられるのであればと、個人の感情に蓋をしたのだった。
しかし結果として、日々増え続ける関係者の感染、そして各パートが孤立して文脈のない開会式。
私は祖父の葬儀に参列できなかったのも、残された高齢者達への感染防止のためと思えば当然だと思うし、結果的に正しい行為をしたと思う。
しかし、この、心に小骨が刺さったような気分は、抑えられた感染状況、そして素晴らしい開会式の力で昇華されると信じていたのだ。
舞台上の選手達には、おめでとう、良い舞台にたててよかったね、と感じはするが、
しかしながら、現状の感染状況は悲観的な状況だし、開会式の内容と照らし合わせると空虚に感じる。
オタクって歴史的には社会から迫害されてきた立場なのに、結局はただの権威主義者なんだよな。例え孤立しても自分の「好き」を貫く気概などなく、「人気があるから」「みんながいいって言ってるから」って程度で推しをコロコロと変える。だから、国家的イベントが少し目配せした程度で「日陰者の俺たちが認められた」「俺たちの麻生」って舞い上がってしまう。クリエイティブに関わっていながら自分ってものが全くない。そんな軽薄な感性で生きてて恥ずかしくないの?
[B! 司法] 「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(望月優大) - 個人 - Yahoo!ニュース
この件、既にブコメでも言われてるから敢えて書く必要はないかもしれないが、「国民の一般的な宗教的感情」が持ち出されるのは仕方ないと思う。
誤解無いように言えば技能実習生だったリンさんに対して下された判決そのものを妥当だと言ってるわけではない。「国民の一般的な宗教的感情」の中身や適用範囲には議論の余地があるが、「国民の一般的な宗教的感情」という概念自体はやむを得ないというお気持ち。
Q. 「国民の一般的な宗教感情」概念自体は仕方ないにしても有罪に導くロジックはおかしいのでは?
A. 実際のところ実務的な論点はそっちの方が重要だと思うよ!このエントリは死体遺棄罪の保護法益は「国民の一般的な宗教感情」としか言えないしそこはしゃーないって話しかしてないからね。「殺人罪の保護法益は『人命』です」ってエントリだけじゃ実際の事件に対して殺人か傷害致死か過失致死か、正当防衛か緊急避難か、手術の失敗みたいな仕方ない事案なのか、責任能力はあるのか、そもそも被疑者が犯人なのかetcなんて語れてないというのと同じです。
ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁 | NHK | 事件
最高裁で逆転無罪判決が出たようです。かなり珍しい形ではないでしょうか。難しい判断だったかと愚考しますが個人的には良かったと思います。NHKのこの記事は論点を網羅していて良い記事ですね。技能実習生に対する妊娠・出産に関しての不適切な言動について「出入国在留管理庁が去年初めて……実態調査を行った」レベルなのは今まで行われてなかったのかと愕然とするものがありますが…。
制度に関する有識者会議が現在開かれています。この事件を通して技能実習制度が孕む問題について真剣な社会的議論が行われることを切に望みます。技能実習制度の抜本的な改革が叫ばれてもう20年以上経ちました。その間に訴訟が起き労働者性が認められ、法が変わり労基法も適用されるようになりましたし、外国人技能実習機構という新しい組織がなんかできたりもしました。もちろん状況の改善がなかったとは言いません。しかし一方でずっと同じ問題が指摘され続けてもいます。そろそろこの問題に決着をつけてほしいと願うばかりです。
第188条
1 神祠し、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
第189条
墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する。
第190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。
第191条
第百八十九条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
第192条
まず刑法の建て付けとして死体遺棄罪を含む死体損壊罪等(190条)は「礼拝所及び墳墓に関する罪」という章の中にあるんだよね。同じ章にある第188条は「礼拝所に対し、公然と不敬」をした人間を罰するもの(礼拝所不敬罪)だったり第189条は墳墓の発掘者を罰するもの(墳墓発掘罪)だったりで非常に宗教的な内容。なので190条も宗教的な項目だと見るのはそこまでおかしくない。もちろん猥褻関係の罪のように同じ章でも個人法益の保護と社会法益の保護と分かれてるものもあるので必ずしもというところではあるんだけど。実際192条は明らかに性質が違うので。
第1条
この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする。
関連して墓地埋葬法では宗教的感情を理由に墓地や埋葬に関わる規制を行うと明示している。
しかし、それでも死体損壊罪等は宗教的側面から逃れられないだろう。と、その前に感情を保護法益にできるのかという話をしなければならない。
確かに刑法において感情を保護法益にするのはあまり好ましく思われていない。例えば侮辱罪について保護法益を名誉感情とする説もあるが人気はない。刑法は謙抑的でなければならないのに安易に感情を理由にした規制を認めれば際限なく広がりうるからだ。社会秩序としての「国民の一般的な宗教的感情」が云々と言った時も何とかして法益の最終地点を社会秩序とか宗教的風俗とかそういうところに落とし込もうという謎の努力が垣間見られる。
しかしはっきり言えば第188-191条は基本的に「宗教的感情」を保護法益とするものだと理解されることが多い。礼拝所不敬罪についての高裁の判例を見てみよう。
……思うに、同条は、国民の宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬の感情を害する行為を処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般の感情としては、特に清浄を保つべき場所たる墓所の区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所の神聖を穢すものと観念されるのであつて、このことからさらに推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。……
いや、判例がそう言おうとも礼拝所不敬罪(188条1項)と説教等妨害罪(188条2項)についてはあくまで宗教的自由の保障なんだという意見はありえる。墳墓発掘罪(189条)についても確かにそう言えなくもない。これらは他者の宗教的行為に対して害をなしていると言う立論もできなくもないからだ。
しかし果たして死体遺棄や損壊は他人の宗教的行為に害をなしていると言えるのだろうか?やはり死者への崇敬の念という宗教的感情で説明せざるを得ないのではないか(通常189条に対してもこう説明される)。
これはつまりそもそも何故死体はここまで保護されるのだろうかという問題である。何故器物損壊罪では飽き足らず、死体損壊罪を特別に規定したのだろうか。感情を持ち出したくないなら死者の生前の人格権の延長と見なすという方法はある。それでも権利主体でもない死体が法益の帰属主体となりえるのかという疑問は湧く。しかもこれだと生前の火葬を拒否していた人間を火葬したら人格権の否定として死体損壊罪の構成要件に該当する可能性まで生まれてしまう。
実際のところ死体が敬意を伴って丁重に扱われ慰撫されるのは生きている我々でしかない。死体が傷つけられたのを生命への侮辱と見るのはそれこそ素朴な「宗教的感情」ではないか。無宗教を自認する人間の多い日本では宗教的感情と死者への敬虔を別と考えたくもなるかもしれない。ナイーブな気がするが、まあ宗教的でない普遍的な感情としてもやはり「感情」が保護法益であることを否定はできていない。「国民の一般的感情」としても問題は変わるわけではあるまい。
まあネットでは「お気持ち」カード切ればゲームに勝てる感じだしまあネット上の議論なんてそんなものでもいいのだが、現実を見るとそう簡単に割り切れるものでもない。今回は刑事なのでちょっと違うが民事の名誉毀損では「名誉”感情”」が保護されることになっている。「お気持ち」と法で言う「感情」は同じじゃないと言えるかもしれんが…本当にそうかなあ。実務的にはどういう感情というかお気持ちが保護されるべきかみたいな方が喫緊の課題なんじゃないかな。ネット上の議論はその辺り無視して話をできるからやりやすいですな。建設的になってるかは知らんけども。でもはてブのAPIも非建設的なコメントを建設的と認識してる気もするからまあヨシ。
「一般的」とか勝手に言うなというのは分かる。ところが刑法判例を見ると「普通人」だの「通常人」だのという言葉もそれなりに見る。
最高裁様が決めた悪名高き刑法175条「わいせつ」概念の定義を見てみよう。
「普通人」「正常な」ってなんだよ。そもそも羞恥心みたいな感情を害することを軽々と要件にしていいのか。何らなら「善良な性的道義」もよく分からないが、しかしまあこの定義は脈々と受け継がれている。ただ、正直に言えばこうした罪状はこういう言い方しかできない部分が無いではない。
もう少し言えば他の罪状でも「通常人」を持ち出すしかない部分はある。例えば過失の認定をするのに危険が発生することを予見できたのか、という思考実験を行わざるをえない時もある。その際に通常人から見て予見可能性はあったのかと考えるのである。そうでなければ、被疑者が「自分には危険は予期できなかった」と言えばそれに反する証拠を提出できなければ全て無罪になってしまう。過失犯は立証困難になり死ぬというわけだ。
それと実際上の問題としてわいせつ概念や死者への敬虔の発露の方法が時代や社会によって大きく異なることは留意せねばなるまい。わいせつに関しては女性の胸の扱いとか見ると分かる気がするんだけど、下着姿の女性が公然わいせつになったりというのはある時代ある社会ではありえないことだろう。今の日本では実際に逮捕されたりしてるけどね。死者の扱いもやはりその場所その時の習俗に大きく左右されるのは分かるだろう。だからこそ「一般」「普通人」みたいな限定をかけておいてあまりにも硬直的で時代遅れにならないようにしてる部分はある…のかは分からないんだけどたぶんそう。
ただまあ「一般」も「普通人」も「通常人」も裁判官の想像上の産物しかないので注意を向けなければならないのも確かではある。どうしても恣意的になるしそうなると罪刑法定主義からしてどうなんだって話にはなるし。今回の件も宗教的感情という言葉そのものよりそういうとこが問題なんじゃないかな。
これはもう労働法が妊娠による不利益取り扱いを禁じていて、その労働法が技能実習生に適用されるよう法改正した時点で自明なことなんだけど、何故か未だに妊娠禁止とか恋愛禁止とか決められてたりするんだよねえ…。技能実習生に対しては日本人労働者と同じ扱いしなくていいと思ってるのか、そういうヤバイ労働環境だから日本人が来なくて技能実習生で代替せざるをえないのか分からんけど。
裁判例としては最初期の2013年の地裁判決の内容を紹介しておく。
(事例)
中国人技能実習生の女性は中国の送り出し機関と妊娠禁止の規定を結んでいた。ところが来日し食品加工会社で働き始めてから6ヶ月後に妊娠が判明した。
すると日本の受け入れ団体(監理団体)は妊娠を理由に強制帰国させるべく抵抗する当該女性を拘束して空港に連行した。なおも女性は抵抗し空港で保護される。
こののち女性は流産。女性はこのことで記者会見を開いたため会社に解雇された。
(結論)
技能実習生に対しては非人道的な行為がわりと行われてたりするので法の限界事例みたいなのがしばしば起こる。会社所有の寮にカメラがあって盗撮されてたという事例なんかははてブでも話題になってたが実は日本の法体系の間隙を突いた問題なんだよね。迷惑防止条例は公共の場に限定してることが多いから会社所有の寮みたいな私的空間には適用できず、そういう時に拡張して使われる建造物侵入罪は所有者が被害届を出さないと適用できない。軽犯罪法の窃視の罪にはなりそうだけど、迷惑防止条例と拡大解釈した建造物侵入罪でとりあえず対応しておくという実務というかちゃんと法整備してないツケ。閉店した後の店とかも公共の場ではなくなるので実は真摯に議論する必要がある部分だと思うんだけど、まあこういうことが技能実習制度で分かるというのは平常人間が受けない仕打ちを技能実習が受けやすいということでもあるんだろうなあ。違法状態が常態化してるのおかしいですよ。
女は全く悪くないでちゅよー、かわいそうでしゅねー、よちよちー、って甘やかすからでしょ
なんで悪いのは男だけで女は全く悪くないみたいな世論が溢れているのか
「女も悪い」ときちんと認識され、それが周知されれば安易に男に股を開いて妊娠する女も減ると思うけど
そうなると女の身持ちが堅くなって男に都合が悪いんだろうから
まあ絶対にそうはならないよね
https://news.yahoo.co.jp/byline/mochizukihiroki/20210728-00250180
この件でベトナム人実習生の女性に極度に同情して判決に怒っている人が多いのって結局、
ネットでよく批判されてたのぶみの絵本や細田守のおおかみこどもと根っこは同じだよ。
母親は純粋無垢な少女のような存在であり、自分を捨ててでも子供に尽くすものである。そうであるに違いない、という思い込み。
『母親』を、打算も利己心もあるただの人間として捉えられていない。ましてやこの女性の場合死産なので、妊娠しただけで子育てすらしていない訳だけど。
「約150万円にものぼる借金を負って来日したリンさんは、妊娠に気づいたあとも妊娠を理由に強制的に帰国させられることを恐れ、働いていた農家や監理団体に言えないままでいた。21歳だった彼女は孤立出産、死産する」
というのが本当なら、少なくとも私はこの女性に対して全く同情の余地は感じないです。
言えなかった?「言わなかった」んでしょ?単に子供の命よりも自分の立場が大事だから。保身に長けた普通の人間だねって印象。
強制帰国を怖れて妊娠を言わなかったんだから、仮に死産にならなかった場合子供達を別の方法で始末していただろう事は容易に想像できる訳で。寧ろ死体遺棄で済んでよかったね、って感じなんだが。
↓
ってグローバル化の時代に、どんなけ椎名林檎が普段付き合ってる人間やお客さんが、そこそこ金持ったインテリの古いサブカルオッサンなんだって話なんですよね。80,90年代かよ。
社会として統制はしないと、少数民族や弱者、人種、宗教や障害に配慮して共存できないでしょ。椎名林檎は、どれだけそういうところに想像力がないんだよ。自分の表現一つで下手したら紛争が起こって人が死ぬのが国際社会の場なんだよ。
今、左右に分かれるというのは、イデオロギーによる問題やセンターがどこだって話じゃなくて、グローバル化による先進国の労働者層の貧困問題やコミュニティからの孤立、引きこもりや、その反動からのIT化によるSNSの過激化などが絡んでるわけで、単純に東西冷戦で国連という真ん中作ろうぜ時代の話じゃないと思うんですけど。真ん中は形式としてあるんだけど、ネットのメッシュをベースにした細々した紛争は止まらないっていう時代で。
自分もMETAFIVEとか聞くけど、サブカル界隈は本当に国とか電通の責任にする前に、自分たちの国際社会や政治、人権・多様性に対する考えの浅はかさを反省した方がいい。スポーツの方がよっぽど人材に多様性があるし、国際政治の問題と関わらざるを得ないから考えもあるし、自国第1を高らかに謳わない謙虚さもある。
1人で飯が食えないタイプだ。誰かと同じことをしていないと不安になってしまう人間だ。
当時、全く面白くもない『ダウンタウン』のお笑い番組だとか『エンタの神様』だとか、興味もない『ミュージック・ステーション』を見て、クラスメイトと話を合わせていた世代だ。
トレンドで言うなら、何が楽しいのかわからないけどオリンピックで金メダルすごいね!と語るタイプのつまらない人間が俺だ。
現代風に言うと、陰キャ。でも、人と話を合わせることで、なんとか立ち位置を獲得していた。
当時はハルヒやコードギアスが流行っていた。あとはスクールデイズだとか、ひぐらしだとか。とにかくそういうものが好きだった。今より少し、深夜アニメを見ていると公言するには恥ずかしかった時代だ。
名前を仮にNとしよう。
Nは学活というものを極端に嫌うやつだった。合唱祭の練習だとか、文化祭の手伝いだとか。
「みんな積極的に出ようね」という空気はとにかく読まず、自由参加と銘打たれた活動に一切姿を現したことがなかった。
でも、頭はよかった。5教科の総合成績で、いつも1番か2番になっていた。特定を避けるために詳細は書かないが、とある学問分野で全国的に表彰されたりもしていた。
だからものすごく嫌われていたと思う。そして、多分Nも俺達のことが嫌いだった。給食の時間だとかに、Nが口を開いているのを見たことがなかった。
Nはバラエティ番組の話を一切しなかった。オリンピックの話を一切しなかった。
大衆娯楽というやつを、Nはとにかく見下していたのだと思う。やつは二次元狂いだった。昼休みは常に図書室に籠って漫画やラノベを読んでいた。
なんでそんなことを知っているのかというと、一時期、俺も昼休み、中二病にかかって、図書室でラノベを読みに通っていた時期があるからだ。
その行きと帰りの道で、必然一緒になって、Nと話す機会が何度かあった。教室に戻ると、Nはとにかくこちらから話しかけてもほとんど空返事しかしない男だったので、その道中で話すしかなかった。
Nは話してみると面白い人間で、オールラウンダーなヲタクだった。
少しハルヒの話を振ると、Nは「ハルヒは嫌いだ」と前置きをした上で、元ネタのSF小説の話を初心者にもわかりやすく、ジョークを交えて教えてくれたし、歴史系の話をすれば、聞いたこともない武将や各時代のエピソードを色々と語ってくれた。
アニメや特撮についても勿論詳しくて、押井守の批判だとか出﨑統のすばらしさを語って(今思うと彼も中二病だったのかも)、まんだらけに行って原画や資料を眺めるのが楽しいと嬉しそうに話していた。
映画も大量にTSUTAYAで借りて見て、聞いたこともないような芸術雑誌や文芸雑誌、科学雑誌を何冊も買っているようなやつだった。(Nは俺がそれらのジャンルを知らないとわかると、一切その話をしなくなった)
ただ、Nにバラエティやオリンピックの話をすると、途端にやつは不機嫌になった。俺は慌てて話題を変えたものだ。
その時に、Nは言っていた。「パチンコだとか競馬だとAKBだとか、ああいう趣味にハマっている大人はダメだ。嫌いだ」と。
俺はなんとなく、鼻が高くなったのを覚えている。多分、俺はNの存在に救われていたのだと思う。
きっと、キョロ充である俺が到達するのは、そのような「つまらない大人」に違いないと諦めていたからだ。そして多分、俺もまた人とのコミュニケーションにうんざりしていたからだ。
人と同調して中身のない会話をして、なにやら冗談を言って笑わせて。自分のためではなく他人のためのコミュニケーションが、俺は嫌いだった。
俺は無能だったし、人から孤立するのが怖かったから、キョロ充をしていた。でも嫌だった。N以外のクラスの人間と話したり遊んだりするのが苦痛でしかなかった。
でも、Nは違った。自分の能力で他人を黙らせて、好きな物だけ摂取して、自由に、生きたいように生きているように見えた。
他人に流されない、気高い孤高の男で、俺はいつかNみたいになりたいと思った。
ヲタクとして、Nはきっとクリエイターや評論家になって、多くの人を唸らせるような、美しいものを表現するに違いないとすら当時の俺は確信していた。学生時代にコイツと時間を共有したことをいつか誇ろうと算段していたのを覚えている。
前置きが長くなった。
卒業と同時に離れ離れになったNと、先日、俺達は東京で再会したのだ。偶然のことで、たまたま映画館で『閃光のハサウェイ』を観た時、横で限定版のBlu-rayと『夏への扉』のパンフレットを買っていたのが、Nだった。
Nに話しかけ、俺のことを覚えていると知った時、嬉しくなって、うっかり「飯でも食わないか?」と誘った。
「しまった」と思った。
Nは、これからハサウェイのBlu-rayとパンフレットを自宅に帰って観るのを何より大切にするような人物だと覚えていたからだ。
だが、Nは、「いいよ」とアッサリ快諾してくれた。
俺もまた、ウマ娘をやっていたので、「推しはタキオンなんだよ~」とか、中身のない会話を続けた。
Nは、俺とアイドルライブの話をした。BTSの話をした。オリンピックの話もした。
俺は勝手に失望していた。Nは、きっとあの幼き日に、彼が嫌っていた大人そのものになっているように見えた。
酒の話、サウナの話、競馬や野球の話をする。全てNは自分の体験談も交えて応じてくれた。
試しにパチンコの話をすると、ミリオンゴッドとかいうよくわからない機体の話をペラペラと話していた。
Nは、大衆に呑まれていた。低学歴のオッサンが好むような、侮蔑するべき酒だのサウナだのパチンコだのアイドルだのの話をしていた。
一番やつが嫌いそうな、バラエティ番組にも、随分と詳しくなっているようだった。
どうしたのだと聞きたくなった。
お前は、俺とは違うんじゃなかったのか。
他人なんて気にせずに、自分の道に邁進して、人の顔色を伺うようなつまらないコミュニケーションは決してしない、そういう男ではなかったのか。
学生時代にお前が探求していたに違いない、美しいものは何処に行ってしまったんだ。キョロ充の俺とは違うんじゃなかったのかと。
孤高のヲタクは、どこにいってしまったのだ。俺は辛かった。そして、その辛ささえもあまり感じなくなっていた俺自身が、何よりも辛かった。
若い日の憧れも、時間と社会経験によって、すっかりと洗い流されてしまっていたのだ。だから、きっとNもそうに違いないと思った。
社会は独りで生きていけるようにはできていない。今は特にそうだ。
1億総オタク社会だとか、1億総陰キャ時代だとか揶揄するやつがいるが、それは違う。
今は、『1億総キョロ充時代』なのだ。SNSは、下らないキョロ充を量産するための装置に違いなかった。常にみんなが、人の顔色を伺ってコミュニケーションを取っている。
キョロ充だけれど、きっと充実しているのだろう。だからいいじゃないか、としたり顔の大人達の声が聞こえてくるような時代だ。
だから仕方のないことだと思った。Nも、「上手く他人と生きる」つまらない人間、否、正しい人間に進化したのだと、自分を納得させた。
他人が見たい仮面を必死に作るのが、正しい生き方でありコミュニケーションの本質である。そして低学歴趣味とは、その本質にとって最高に都合のいい道具なのだから。
でも、それでも俺はNに、お前、どうしたんだよと聞きたくなった。
聞きたくなったので、聞いた。正直に、「パチンコとか競馬とかバラエティとか、あと流行りのウマ娘とか、そういうの嫌いだと思ってた」と。
Nは、俺の顔を見て、笑って言った。
「当たり前じゃん。今言ったやつ、全部大嫌いだよ!」
Nの目はドス黒くて、世の中全てを見下していて、それでいて、とても楽しそうだった。
俺は、最高に嬉しかった。その後のことは、あまり覚えていない。とにかく、Nの職業が何なのかは、あえて聞かないで別れた。
何故なら、確信したからだ。やつはきっと、多くの人を唸らせるような、何かを創り上げているに違いないと。
勿論その日、NとLINEの交換はしなかった。
(1)「現場に居た当事者じゃないから口出しするな」と言うお前は、当事者として和光学園のイジメの現場にいたの?加害者本人?被害者本人?クラスメート?目撃者?「当事者じゃなければ口出しするな」と言うならば、お前は当事者な訳だ。QJの関係者か?それとも、北尾修一・村上清・小山田圭吾か何れかの本人か?「当事者以外は黙れ」と言うのならば、お前自身が率先して口を閉じたら?それが出来ないからお前も口出しするんだろ?当事者でもないのに。馬鹿なの?
(2)記名記事の執筆者の名前を、匿名化する意味は全く無い。村上清を匿名化して隠避しようとするのは、マスメディア関係者の身勝手な責任逃れ。記名で執筆した記事に対する責任は、顕名で引き受けるべき。
お前はお前自身が(小山田圭吾や村上清を批判している人間とは異なり)冷静さを保っているかのように述べているが、お前の文章からは教祖様を馬鹿にされたから頭に血が上って書いたのが現れているぞ。
それとな、お前は俺のことを「デビルマンを読んだことが無い」というが、物語のクライマックスで牧村家を襲撃して血祭りに上げたのは「デーモン」じゃなくて「普通の人間たち」だよ。お前こそ、デビルマンを読んでねえだろ?サブカル馬鹿は、教祖様原理主義者の短絡思考だから、そういう初歩的なミスをするんだよ、馬鹿。
(3)それで出てくるのが「お前はライターじゃないから批判するな」かよ。じゃあ、お前は当時の、それとも現役のQJのライターか編集者なのか?まるでお前は全てを知っているかのような口調だが、当事者以外は黙ってろとお前が言うなら、お前自身が口を閉じるか、お前が当事者であることを示せ。初歩的な論理だろ。それも分からないぐらい頭に血が上ってるくせに「オレは冷静だ!」と装うから、お前自身の馬鹿さ加減を自らの手で晒す羽目になるんだよ、頓馬。
それとな、お前は孤立無援のブログをミスリードと主張するが、あれは「加害者側の一方的且つ身勝手な『ボクたちはトモダチだった』と云う言い訳によって、美化したり隠したりしている本質」を抽出しただけだ。
(4)既成事実化だろ。読んでもいない手紙の内容を、小山田圭吾と村上清にとって都合の良い内容が書かれていたかのように言って、それがさも事実であったかのように「あの思いは通じた」とか書いたら、良く言えば「北尾修一は事実と願望の区別がつかない馬鹿」で、悪く言えば「長々と願望ポエムを書き連ねて、その末尾の方でコッソリと己の願望=事実であるかのようにすり替えて読者をミスリードしようと意図した卑怯者」だろ。北尾修一は、一体どっちの馬鹿なんだ?両方かもな。
よっぽど既成事実化と言われるのが嫌みたいだから、これからもオレは積極的に北尾修一は既成事実化を意図したと主張することにするわ。
(5)村上清がイジメ被害者であることは、小山田圭吾と一緒になって雑誌の誌面で二次加害を行ったことを免責する理由にはならねえよ。馬鹿なの?
村上清がイジメサバイバーだから何なの?それで村上に、他のイジメ被害者に対して「イジメはエンターテイメントだ!」と村上清の勝手な価値観を押し付けて、剰え雑誌取材と称して押し掛けて、被害者とその家族の心の古傷を抉る権利が付与されると思ってるの?お前みたいなサブカル馬鹿は、本当に自己中心的・お仲間絶対主義で身勝手だな。馬鹿。
(6)冷静な意見?加害者側の身勝手な主張だけを根拠に、イジメを正当化・矮小化しているだけだろ。「加害者が『ボクたちはトモダチだった』と言っているから、これはイジメじゃなかったんだ!イジメ被害者との間に友情が成立していたんだ!」って、それのどこが「冷静」なの?DV加害者が「被害者を愛している」と言ったら、それを真に受けて「ああ、DVじゃなかったんだ」と納得して放置するの?お前の頭の中に、ちゃんと脳味噌入ってる?DV事件の現場では、加害者の一方的な「愛情の存在」を鵜呑みにする馬鹿がいたら批判されるよ。そういう「加害者側の一方的な主張」を根拠にして「これはイジメではない」と言うのは、サブカル馬鹿が知識や認識をアップデート出来ていないことの何よりの証明だよ。それで「オレはお前たちと違って冷静だ!」とか、馬鹿なの?
それと、お前の言う「二次加害」って、誰に対するものを指して言ってるの?「一次加害」は和光学園在学中に行われたイジメと、その後に雑誌取材と称して被害者とその家族の心の古傷を抉ったことを指すと思うんだけど、お前の言う「二次加害」に先立つ「一次加害」は誰が誰に対して行ったものを言ってるの?頭、大丈夫?サブカル馬鹿は、自己陶酔したポエムばっかり書いたり読んだりしてるから、話の筋を見失うんだろうなあ。
まあ、取り敢えず「当事者でなければ口出しするな」とお前が言うならば、先ず当事者ではないお前自身が口を閉じるか、それともお前が当事者であることを証明しろよ。間抜け。
おまえへの反論
よって、何も知らない第3者のお前が語る主張の方が偏りよろしく主観的である。
(北尾氏は自業自得といってるし、「小山田圭吾と村上清は悪くない」とは結論づけてないだろ笑)
(2)26年前の過去の記憶を辿って推測するしかないのは当然であり、
良い解釈もなにも拡散される内容と自己の記憶とイメージの乖離があるから本音を語ってるだけ。
「M氏」と表現するのは、炎上と攻撃が続く中で芸能人でもない名前を公表することは控えておこうという
プライバシーへの最低限のマナーとか配慮かもね。(悪意持って都合よく切り取り攻撃される恐れもあるからね)
「デビルマン」については、理性と冷静さを失ったお前らのような身勝手で独りよがりな怨念が、
あのデーモン達のように小山田に集中砲火を浴びせているこの惨劇を例えているんだろ。
(3)お前は当時のライターじゃないだろ?そしてその界隈にすらいないだろ?北尾氏以上に村上氏の何が語れるの?
あと、拡散されている「孤立無援のブログ」については、確かに切り取りと巧妙な順番の入れ替えによって
悪意ある印象のミスリードが行われているのは明らか。北尾氏を批判する前にまずそこ認めろよ。
(どうせお前もあのブログに乗せられて被害妄想膨らませて叩いてたんだろ?)
(4)「既成事実化」って単語ばっか使ってうるさいけど、適切じゃないから使うのやめろ。
北尾氏の内容は、状況を見てあの記事が書かれた経緯を「推測」しているだけ。
美化してるというよりも、書き手にそういう意図があったのだろうとプロ視点で解釈してるだけだろ。
実際に北尾氏のブログが出る前から、原文読んだ勢からもそういう意見あったし、自分も同じように捉えていた。
(5)はぁ、、しょうもな。村上氏はいじめられていた側だよね?
この「いじめ紀行」ってのは、いじめられていた側の視点から生まれた企画なんだよ。
当時もいじめはアウトだし、「いじめ自慢」なんか小山田サイドからしたら断られるはずなのに(現に最初は渋っていた)
許可した背景には、村上氏なりの強いコンセプトがあった。それを小山田も受け取ったからあの記事ができた。
「いじめ紀行」の冒頭でも、世間はいじめは悪と言いつつ綺麗事ばかりで、
世の中からいじめが無くなることはないというようなことが書いてるだろ。
だから村上氏なりの視点でいじめ問題を紐解くきっかけを模索していたんだろ?
「いじめっ子といじめられっ子の対談」という手法は見る角度によっては悪趣味で間違っていたし、
いじめはエンターテイメントだと自虐的に表現しながらも、決していじめを肯定しているような企画ではないんだよ。
当時の鬱屈した社会の中で、未熟なライターがデビュー記事であの小山田圭吾と過激だけどかつて誰もやっていなかったことを企画して実現しようとしていた。
その熱い思いに小山田も動かされた。結果的に考えが甘く、いじめられっ子との対談企画も失敗したわけだが、
2人がやろうとしていた実験的試みは、露悪的だけどほんの少しだけ社会に風穴を開けるきっかけになったのかもしれない
(今は違う形で穴をあけてるが、、)
そういったものをライター目線で振り返れば宝石と例えてるだけ。お前のサブカル偏見で単純化するな。
(6)当時を知る北尾氏の証言と推測が出てきてくれたおかげで、一部だけど冷静な意見もでてはきていて、
少しは全国民が共有してしまった「鬼畜いじめ妄想」を止めるような方向へ進んだようにも見える。
が、同時にいまだお前のように被害者を傷つけたーとか妄想を繰り広げ、拡散を助長するようなバッシングを続けるやつもいて、
逆に独りよがりのお気持ち正義マンをあぶり出してくれたのかもしれない。悪態ついているブコメとか見るとよくわかるよ。
北尾氏には感謝としか言いようがない。ある意味、北尾氏から村上氏へバトン。
このアンフェアで建設的じゃない状況から早く脱して前に進めということ。
その下部にツッコミ。
【冷静に考えてそんなことありえないですよね。】
→北尾修一の主観に過ぎません。そもそも、北尾修一が冷静に考えている保証は何もありません。村上清をMと伏せ字にしている上に、QJの関係者などから、北尾修一が加害者側に立っていることは明白です。
【これは推測ですが、インタビュアーへのリップサービスで、小山田さんが学生時代の出来事を大げさに話したのではないでしょうか。】
→これも小山田圭吾に都合の良い、北尾修一の想像に過ぎません。
【と考えるのが自然じゃないですか。】
→小山田圭吾と村上清を擁護するために「自然」と言っているだけ。
【こう考えると、この私のおぼろげな記憶がおそらく正しいのではないか、という気がしてきます。】
→自分の記憶が正しいと云う結論が先に有って、そのために「こう考える」と云う方針を立てる。そして「こう考える」から自分の記憶が正しいと言う。それは循環論法では?
【「目の前に現れたM氏の力になりたい」と小山田さんが思った。
特に実際に会って《打ち合わせ》をした後で、そう思うようになった。
そうとしか考えられません。】
→小山田圭吾が何を考えていたのかを、想像に過ぎないのに、その想像を元に「そうとしか考えられません」と主観的に結論づけています。
→度々「自然」と云う表現を用いるのは、北尾修一自身が「小山田圭吾と村上清を擁護するために不自然になっている」と自覚しているからだと推測されます。
→あくまでも小山田圭吾の視点に留まり、イジメ被害者からの視点で想像しようとはしません。
【きっと《打ち合わせ》に向かう小山田さんも、そんな感じだったんじゃないかなあ、と私は想像します。】
【妄想が暴走しすぎで「大丈夫か?」と思われているかもしれませんが、でも、これくらいのことが小山田さんとM氏の間で起きないと、普通に考えて実現性ゼロのこんな記事、この世に存在しえないと思うんです。】
→態々、仮定の上に仮定を積み上げる北尾修一のような論理のアクロバットを駆使しなくても、シンプルに「当時のQJと小山田圭吾は、イジメ被害者の尊厳や人権を軽視していた」「批判が寄せられたとしても、情報発信力の勾配の非対称性があったので、一般人からの批判は黙殺できると思い、実際にそうしていた(批判のお便りが来ても掲載しなかった(批判意見を誌面に掲載しなかった)」と考えれば説明は可能です。
【小山田さんが「過去に行ったとされるいじめ暴力行為」を私は擁護しません。
ただ、この記事から読み取れる小山田さんの(悪ぶっていても)隠しきれない優しい側面については、私は全力で擁護します。】
→イジメ被害者と云う「他者」を排除して置き去りにした、サブカル村業界人に対してだけ発揮される内輪向けの「優しさ」には意味が有りません。暴走族、ヤクザ、マフィアだって、時には身内に優しい時は有るでしょうが、それは被害者にとって無意味です。
【だってさあ、何なんだよ、この『デビルマン』みたいな今の状況。
こんなものを一刻も早く終わらせたくて、私はこの原稿を発表しています。
だから、小山田さんの人格を全否定する乱暴な言葉には抗います。】
→擁護するつもりは無いと言いながら、ここでデビルマンの喩えを持ち出したことで、北尾修一が小山田圭吾と村上清を「加害者」ではなく「何も罪を犯していないのに迫害を受けている被害者」と見なしていることが分かります。これぞ馬脚を露わす。
【私は時空を超えて、26年前の『Quick Japan』編集部に行って伝えたい。
今ごろやっと気づいたんだけど、良かったね、M氏というか村上くん。
村上くんが気合いを入れて書いていた企画依頼レターと、あのとき全力で小山田さんに伝えた気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだね(26年後に再読してやっと気付いた笑)。】
→いつの間にか、北尾修一が想像したに過ぎない「企画依頼レターの中身」を既成事実化しています。悪質な印象操作ですね。
【でも、私はこの記事を一緒に作っている小山田さんと村上くんの姿を思い返すと、若い頃にどんなに酷いことをした人間でも、どんなに酷い目に遭った人間でも、あるとき誰かのことを思って本気で動けば、そんなふたりで宝石みたいな何かを残せるかもしれない。この記事は、その揺るがぬ証拠として26年後の私には読めます。】
→「誰かのことを思って」の誰かには、イジメ被害者は含まれていません。あの「イジメ紀行」の記事が、北尾修一の主観では「宝石みたいな何か」になるのだそうです。
=以下、総評=
(1)北尾修一は「当時のQJの現場に近い人間が、事の真相を語る」かのように装っているが、大部分が「想像ですが」「推測ですが」「そうとしか考えられない」と主観のオンパレード。端的に言えば羊頭狗肉。「自然」と云う表現を多用しているのは、おそらく書き手である北尾修一自身が「小山田圭吾と村上清は悪くない」と結論づけるために強引かつ不自然な文章になっていると自覚していることを示唆している。
(2)イジメを擁護するつもりはないと北尾修一は言う。しかし、村上清を"M"と伏せ字にしていること、北尾の述べる想像や推測は徹底して小山田圭吾と村上清に都合の良い解釈だけであることから、北尾修一が小山田圭吾と村上清を擁護しようとしていることは明らかである。更に、デビルマンの喩えを用いていることから、北尾修一は小山田と村上を「罪を犯してもいないのに迫害されている」と見做していることも明らかである。
(3)村上清が小山田圭吾に送った(かもしれない)企画依頼レターの内容については、北尾の想像に過ぎない。にも関わらず、何故か北尾修一の書いた文章のクライマックスに至ると「村上くんが気合いを入れて書いていた企画依頼レターと、あのとき全力で小山田さんに伝えた気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだね」と既成事実化している。北尾修一は、孤立無援のブログを「印象操作している」と非難するが、むしろ北尾自身の方が悪質な印象操作を行っていると言える。
(4)小山田圭吾の証言と、それを都合良く解釈した想像だけを根拠にして「加害者である小山田圭吾とイジメ被害者との間に何らかの友情が存在した」と、既成事実化し、その上で「イジメではなく友人同士の遊びであった」かのように読者に思わせようと、北尾修一は意図している。しかし、北尾修一のしていることは、DV事件の加害者を「殴ったり蹴ったりしたけど、被害者のことを自分なりに愛していた」と美化するようなものである。イジメ加害者側の身勝手な「友人意識」を持ち出すことで、イジメ加害者の罪を減ずることが可能であるとする北尾修一の考え方を、DV事件との比較で考えれば、どれほど時代遅れ且つ間違ったものであるか一目瞭然であろう。
(5)北尾修一の書いた文章からは、サブカル村の住人の「自分たちさえ良ければ、イジメ被害者などどうでもいい」と云う、自己中心的、自己陶酔的、自画自賛な意識がハッキリと窺える。村上清による小山田圭吾インタビューを「宝石みたいな何か」と評価していることがそれを表している。
DV加害者が「愛しているから殴ってしまった」と自分勝手な弁明をするように、イジメ加害者側に立つ人間が「単純なイジメとは言えない。被害者と加害者は仲が良かった」と美化している。被害者と加害者の間には何らかの友情が云々なんて、加害者側の勝手に主張しているだけで、単なる自己正当化、美化に過ぎない。
北尾修一は、孤立無援のブログを「インタビューを悪意で編集している」と言うが、同ブログは、村上清によるインタビューが自己正当化や美化によって修飾されている中から、誤魔化せない本質的な部分を抽出しただけ。
それに対して、むしろ元の記事を書いた村上清と、小山田圭吾を擁護しようとしている北尾修一こそが、枝葉末節の部分を針小棒大に見せて、何とかコジツケで「単純なイジメとは言えない」と事実を"編集"しようとしている。
この「単純なイジメとは言えない」と云う言い回しこそが、卑劣そのもの。「単純なDVとは言えない」とか「単純なレイプとは言えない」と言うのと同レベル。身勝手な愛を根拠にDVやレイプを矮小化されたら、被害者はたまったものではない。
加害者側の勝手な思いなんて、被害者には無意味。そんなもので「これは単純なイジメではない」などと美化するな。卑怯者。恥を知れ。北尾修一、お前の記事は、イジメ被害者に対する二次加害だ。
そいつはよく、周囲の空気を読まずに場違いな行動を取ることが多くて、そのせいで周囲から軽いいじめのようなものを受けていた。
パワー系の知的障害者だったので、本気で向かってこられたら勝ち目がないのが周囲もわかっていたので、そこまでいかないように手加減しながらいじめていた。
いじめの内容は、軽く小突いたり蹴ったりする程度のもので、誰もそんな深刻に捉えていなかったと思う。とはいえ、本人は自分がそんな扱いを受ける度に、悲しげな表情を見せていた。怒ることもできないし、反撃することもできない。感情の行き場を失ったようなあの表情を今でもよく覚えている。
ある時、母にその生徒のことを話す機会があった。
同じクラスに知的障害を持った生徒がいて、ちょっといじめられているっぽいことを伝えた。
すると母は、突然真顔になって、
と言った。
私は母からそんなことを言われても全く気にせずに、それまでと変わらずその生徒をいじめ続けた。
それからしばらくしたある日、母と話していた時に、母のパート先の職場の話題になった。
母のパート先に、知的障害者の従業員がいて、その人が仕事ができない為に周囲を困らせているという内容だった。
「ある程度の規模の会社やと、ああいう人を採用するように法律で決まってるらしいねん。いややわ」
母は悪びれもせずにそう言うと、職場の全員でその人のことを無視したり、その人に重要な連絡を伝えなかったりとか、そういうことをしているんだと話した。
私は母に、
「それっていじめやよ。やっぱりそういう人がいると、そういうふうになってしまうやろ?」
と、皮肉を込めて言うと、
「だって、かわいくないねんもん。あの人もかわいかったら、優しく接してもらえるのにな」
と言った。
周囲からかわいく思われるように振る舞ったりできるわけないだろう。それができないから障害者なのに。
私は母からその話を聴いて、大人になってもいじめがなくなることはないし、そこには物理的な暴力が介在しない分、精神的な陰湿さが倍増しになってくるんだなということを学んだ。
そして、私のクラスにいたそいつも、この先大人になってもずっとそんな扱いを受けていくんだろうなと思うと、なんだか気の毒になってきて、それ以来、私だけはいじめるのをやめた。
もう手を出すのはやめて、そいつが自然にみんなの輪の中に入ってこれるように声をかけるようにしたりして、そいつができるだけ孤立しないように気を使うようになった、
それで何が変わったわけでもないけど、あいかわらず周囲からは小突かれたりしていたけれども、それでもみんなと一緒に遊んでいる時にだけは見せる笑顔を見て、私は少しほっとしていた。
今はそいつとは疎遠になってしまっていて、どうしているのかはわからない。うまく社会に溶け込めていたとしても、こんな世界だから、たぶん辛い思いをしているんじゃないだろうか。
でも、どんなに辛い時でも、中学時代にみんなと遊んで楽しかった記憶がほんの心の片隅にでも残っていたら、それがそいつにとっての支えになってくれていないだろうかと、そういうふうに思う。
ここ数日、小山田の件を眺めていて、そんなことを思い出したりしていた。