オリンピック開会式が終わり、日々オリンピック関係者の感染者が増えていて、心の底からがっかりし続けている。
この気持ちの理由を紐解くと、ごくごく個人的なことながら、祖父の葬儀に出席できなかったことが根底にあるように思う。
私の祖父は初夏に旅だった。
しかし、私はエンタメ業界の末席におるサラリーマンであり、業界の状況的にも、とてもじゃないが葬儀に参列させて欲しいとは言えなかった。
勿論、本心では葬儀に参列したかったが、仕事柄、舞台の上に立てないと存在欲求が満たされず、地から足が浮く人たちが存在すると知っているし、
フリーランスの人たちが、肩書となれるような大きな仕事の有無によって生涯年収が左右されることも理解しているつもり。
だからこそ、オリンピックアスリート達が報われるような大舞台、そして納得行く結果が出せると良いねと思い、
少しでも感染状況を押さえる事で晴れ晴れしい状況に繋げられるのであればと、個人の感情に蓋をしたのだった。
しかし結果として、日々増え続ける関係者の感染、そして各パートが孤立して文脈のない開会式。
私は祖父の葬儀に参列できなかったのも、残された高齢者達への感染防止のためと思えば当然だと思うし、結果的に正しい行為をしたと思う。
しかし、この、心に小骨が刺さったような気分は、抑えられた感染状況、そして素晴らしい開会式の力で昇華されると信じていたのだ。
舞台上の選手達には、おめでとう、良い舞台にたててよかったね、と感じはするが、
しかしながら、現状の感染状況は悲観的な状況だし、開会式の内容と照らし合わせると空虚に感じる。