そいつはよく、周囲の空気を読まずに場違いな行動を取ることが多くて、そのせいで周囲から軽いいじめのようなものを受けていた。
パワー系の知的障害者だったので、本気で向かってこられたら勝ち目がないのが周囲もわかっていたので、そこまでいかないように手加減しながらいじめていた。
いじめの内容は、軽く小突いたり蹴ったりする程度のもので、誰もそんな深刻に捉えていなかったと思う。とはいえ、本人は自分がそんな扱いを受ける度に、悲しげな表情を見せていた。怒ることもできないし、反撃することもできない。感情の行き場を失ったようなあの表情を今でもよく覚えている。
ある時、母にその生徒のことを話す機会があった。
同じクラスに知的障害を持った生徒がいて、ちょっといじめられているっぽいことを伝えた。
すると母は、突然真顔になって、
と言った。
私は母からそんなことを言われても全く気にせずに、それまでと変わらずその生徒をいじめ続けた。
それからしばらくしたある日、母と話していた時に、母のパート先の職場の話題になった。
母のパート先に、知的障害者の従業員がいて、その人が仕事ができない為に周囲を困らせているという内容だった。
「ある程度の規模の会社やと、ああいう人を採用するように法律で決まってるらしいねん。いややわ」
母は悪びれもせずにそう言うと、職場の全員でその人のことを無視したり、その人に重要な連絡を伝えなかったりとか、そういうことをしているんだと話した。
私は母に、
「それっていじめやよ。やっぱりそういう人がいると、そういうふうになってしまうやろ?」
と、皮肉を込めて言うと、
「だって、かわいくないねんもん。あの人もかわいかったら、優しく接してもらえるのにな」
と言った。
周囲からかわいく思われるように振る舞ったりできるわけないだろう。それができないから障害者なのに。
私は母からその話を聴いて、大人になってもいじめがなくなることはないし、そこには物理的な暴力が介在しない分、精神的な陰湿さが倍増しになってくるんだなということを学んだ。
そして、私のクラスにいたそいつも、この先大人になってもずっとそんな扱いを受けていくんだろうなと思うと、なんだか気の毒になってきて、それ以来、私だけはいじめるのをやめた。
もう手を出すのはやめて、そいつが自然にみんなの輪の中に入ってこれるように声をかけるようにしたりして、そいつができるだけ孤立しないように気を使うようになった、
それで何が変わったわけでもないけど、あいかわらず周囲からは小突かれたりしていたけれども、それでもみんなと一緒に遊んでいる時にだけは見せる笑顔を見て、私は少しほっとしていた。
今はそいつとは疎遠になってしまっていて、どうしているのかはわからない。うまく社会に溶け込めていたとしても、こんな世界だから、たぶん辛い思いをしているんじゃないだろうか。
でも、どんなに辛い時でも、中学時代にみんなと遊んで楽しかった記憶がほんの心の片隅にでも残っていたら、それがそいつにとっての支えになってくれていないだろうかと、そういうふうに思う。
ここ数日、小山田の件を眺めていて、そんなことを思い出したりしていた。
感情に蓋される側の気持ちも尊重されるべき きみら親子は悪くない!