はてなキーワード: 証左とは
本題に入る前にid:iteさんがブコメで、「中立を装うこともやめた」とのたまってて腹抱えて笑ったんですが、おもろいからどんどんやってよw
しかも私が中立じゃない旨を示してると突っ込まれてなお自分で確認もしてないのめっちゃうけるんですけど、あなたがやるべきことは、私が中立だっていつ宣言したのか示すことだと思うけどね。いちおう私は結構親切なので、おしえてあげますけど、4/13日の記事で不偏不党ではない旨の宣言はさせていただきました。大体増田に中立性とか求めている人は、自分はなにか政治的な意見を述べるときに、中立に言えるんですかね。単純な疑問ですが。
あと内閣委員会が、有村治子議員、和田正宗議員と逸材の活躍が目立ちすぎて聞くのがつらい。どんだけヒマなんだあなたがたは。山本太郎が常識人にみえてしまうぞ。
衆院本会議で地方公務員法・地方自治法の改正案が成立しましたが、共産党だけが反対。田村貴昭議員の質疑は大事な話ですが、やはり共産党は時間が短いので駆け足になってしまうのが残念。田村貴昭議員は今週だけでも、国家戦略特区の外国人労働者の人権問題について問題点を質疑されていました。こういう票に繋がらないどころか、農業関係者からの票は失いそうなこともバシバシ切り込めるのは共産党の強みでしょう。
現在、非正規公務員の職は、特別職、臨時職、一般職にわかれています。この割り振りが、自治体間で大きく異なり、保育士、図書館職員等の、熟練が求められる職員が、特別職であったり、臨時職であったりばらついていたものを、会計年度任用職員に基本的に統一する、という制度です。これによって、これまで適用対象外であった地方公務員法の特別職は、審議会の委員等の極めて限定された職種になり、ほとんどの地方自治体の特別職員そして、フルタイムの会計年度任用職員には、諸手当・一時金支給をし、パートタイムの会計年度任用職員には、一時金支給を「可能とする」という改正案です。基本的には一歩前進、といっていいのかもしれませんが、これも結局財政的手当てがないと、絵に描いたもちになるのではないか、というのが共産党の指摘。ちなみにもともとの案では、フルタイム、パートタイムの区別はなかったんですってよ。成案が出た段階で修正されたということ。共産党はこういう、一歩前進かもしれないけど不十分というときには大体反対する。何でも反対という批判もあるかもしれないけど、共産党としては、彼らが審議を通じてした批判が改善されていない、という証左として反対の記録を残しているのであって、これは議会にとって意味のあることだと思います。
10年以上、正規職員と同様の仕事している非正規公務員がいる団体の割合が、職種ごとに、3割から4割と非常に多くなっていることを指摘し、正規職員と同等の仕事をしていると認められるのであれば、任期付や常用職員として雇用するべきとする方針が形骸化しているのではないかと問題提起しています。その中で、フルタイムにしないために、15分だけ勤務時間を短くし、15分超過勤務手当てを出すことでパートタイマーとして雇うといった事例や、転勤してしまう正規職員に代わって、継続性を担うのは転勤しない非正規が担っているという図書館の事例などを紹介。結局地方財政措置を行わないといけないと思うが、どうかと高市早苗大臣に質問、高市大臣としては、当然なんとも言えないので、ちゃんと調査して、もしそういう事例が明らかになれば指摘するという答弁を行います(実効性はどうなんだという話はまぁおいておくけど、高市さんは無難な答弁はうまいよね)
「以前の答弁で、職務の内容や責任の程度は、任期の異なる職員とは異なる設定をすべきと答弁されました。どのような、あるいはどの程度の違いがあると想定されていますか」
「個別具体に申し上げにくいところはあるのですが、最終的には地方公共団体に決定していただくわけですが、国家公務員法制における常勤非常勤の概念整理とあわせて、常時勤務を要する職員というのは、相当の期間、勤務すべき業務であって、なおかつフルタイムであると整理をさせていただいた」
そして、現在の臨時職員の再任用に際して、空白期間が出ていることに関して、会計年度任用職員ではどうなるのか、という質問し、継続性がある場合は、空白期間を設けないよう、適切な任期設定をする(最長一年だけど)という答弁を得て、問題があった場合どのような対応を取るのかときき、部長が問題があったら(自治体に)働きかけをしていく、と答弁した後、すぐ高市大臣に質問(共産党の質疑はそこもうちょっと踏み込めよ、という不満が結構歩けど、時間が短いから仕方ないかなとは思う。森ゆうこさんとかも時間短いけど、彼女は問題をかなり絞って質疑するからしつこい感じがして好印象がある。)
「高市大臣に質問、いわゆる研究会報告書、地方公務員のの臨時・非常勤職員および任期付職員の任用のあり方に関する研究会報告書、この中では、常勤の職員が行うべき業務である、本格的業務という言葉がある。組織の管理運営事態に関する業務や財産の差し押さえや許認可などの権力的業務が想定される、とされているが、総務省の想定はこれと同じか。具体的にどのような業務を本格的業務と想定されているか」
「報告書におきましては、任用職員の任用根拠の適正化におきましては、常勤職員と同様の職が存在が明らかとなった場合には、常勤職員やに任期付職員の活用を検討する必要があるとしております。これにあわせて、常勤職員と同様の業務について、わかりやすく例示するために、あくまで、個々具体的に判断されることを前提としつつ、ご指摘のような業務が挙げられております。しかし、これらはあくまで典型的な例示で、常勤職員が行うべき業務はこれらに限定されるものではなく、これまでの取り扱いを変更するものではありません。その上で、地方公共団体の運営においては、公務の中立性の確保や職員の長期育成を基礎として、職務の精励することを確保し、能率性を追求し、職員の質を確保するために、会計年度任用職員を導入後においても任期の定めのない職員の確保は維持するべきものと考えております(でも予算措置はしない、自治体が努力せよ、というたてつけ)」
「副大臣、私の次の質問にも答えていただきました。今回、新たに「本格的業務」という言葉が導入された。私はですね、常勤職員の業務が、どんどん集約されていくのではないか、その代わりに、臨時・非常勤、いわゆる会計年度任用職員、あるいはアウトソーシングがもっと広がっていくんじゃないか、こういう懸念をもたれる自治体関係者はたくさんおられる、ということを指摘しておきたい」
これは要はフルタイムである、というところが用件になっているので、現状でも都合よくパートタイムを使っているのだから結局予算措置しないと、フルタイムからパートタイムに流れてしまうだけになってしまうのではないかという心配があるよね、という指摘ができればなおよかったなぁと思います。非正規職員のもっとも大事な要求は、賃金アップと、雇用の安定だと思うのですが、雇用期間に関しては、「原則1年以内」から「最長1年」に後退していますし、やはりパートタイム雇用には給与(報酬じゃなくてね)支払い義務、諸手当の支払いが不要という抜け道を、わざわざ成案で用意したということは、どうぞ使ってね、ということなんだろうなぁと疑わざるを得ないのが、残念ですが、各自治体の裁量に任せられたというのは事実なので、ぜひぜひここは、各地方自治体が、非正規公務員の処遇をどうしようとしているのかということにはこれから注目して言って欲しいと思います。維新が幅利かせてるところはあきらめてくださいね。残念。
道筋が欲しいとのことだったので。
あなたにMS OfficeなどのいわゆるOAスキルがあるのなら、地方に移住してみるのはどうか。
地方の、特に中規模な製造業などではOAスキルを持った人材が足りていない印象があるので、あなたの年齢(45歳前後を想定している)でも滑りこめるかもしれない。VBAどころか、エクセルの関数使えるだけで持て囃される。欲を言えばバッチファイルが組めたりするとなお良いが、これは滑り込んだその後の勉強でも間に合う。
製造の現場では検査項目の入力やら在庫の管理やら生産管理やらにPCが使われているのに、肝心の作業者たちがPCのことをまるで分かっていないので、驚くほど非効率なやり方が罷り通っていたりする。現場のことも分かる、PCのことも分かる。そんな人材が工場に数人いれば、冗談でなく日本の工場の生産性は3割上がるだろう。
PCを使わなくなった時のことは知らん。でも技術的なブレークスルーが無い限り、当面PCは現場に居座る。
あなたのようにPCリテラシーのある人間(このような長文はPCで書くだろうというあくまで憶測だが)が仕事にあぶれて嘆く姿は、需要と供給のマッチングがうまくいっていないことの証左だ。
出るところに出れば仕事は必ずある。
今朝は山尾しおり議員、階猛議員が、それぞれ共謀罪について、金田法務大臣、安倍総理大臣に質問をしていました。はっきりいって答弁を理解するだけでも困難なお2人がディフェンダーですから、まぁ聞くのは苦痛でしたががんばって聞きましたよ。
戦略的には、もう絶対安定多数を持っているわけですから、何にもしなくても(公明党との間でさえ合意が成立すれば)採決にさえ持ち込めば、全勝はもう決まっているわけです。ですから、後の問題は、「イメージの問題」しか残らないわけですね。野党は「審議が尽くされていないのに、強行的に採決した」とアピールしてくるので、そのアピールに対して「そうだ、与党ひどい」となるか「野党仕事しろ」といわれるかのどちらの反応が出てくるかを慎重に政権は見ているわけですよね。
安倍さんは、「世論調査で森友問題について8割の国民が説明が十分でないと答えていますよ、証人喚問をしませんか」的な質問について、「その与論調査で53%が安倍政権を支持してるんですよ」という回答とはいえない答弁をなされて、「会計検査院が適切にやる」というわけですが、これは世論調査を気にしている証左のひとつです。誰かが「どこまで国民を馬鹿にできるかのチキンレースをしている」とおっしゃっていましたが、これはまさにそのとおりで、どこまで好き放題できるのかの瀬踏みをしながらやっているわけです。一昨年の平和安全法制周りで、一時かなり支持率を落としましたが、その後もう支持の根拠にしていないことを「学習」したので、今回も、4割を割り込んでも大丈夫だ、と踏んでいると思います。
そうした上で与党の戦術を見てみると、日報問題での稲田大臣、共謀罪での金田法務大臣、安倍総理大臣、森友問題での佐川理財局長の答弁、また先日の厚生労働委員会で森友聞いたから質疑終了などに顕著にでておりますが、まず第一の戦術は、戦場の極小化です。委員会のほとんどは与党が委員長ですので、どの質問を誰に答えさせるか、というのは与党側が基本的に握っているのです。ですので、何でも質問してもいい予算委員会が終了した後、彼らがやっている基本戦術は、
2.その他の委員会では、「質疑は議題の範囲内で」として答弁をさせない
3.当該委員会では、通告された質問に対し用意された「カンペ」を連呼、通告していないと「通告がないから答えられない」
4.十分に議論されたとして採決
というものです。この際の3ですが、まったく質問に答えていなくても、それに掣肘し、答弁を促すことができるのは委員長だけですから、絶対安定多数を握っている自民党としては、そこで意味不明な答弁をしても何の問題も起こらないのです。この状況下で、野党が取りうる戦術は、日程闘争しかありません。
日本の議会は、会期性があります。これは大事なポイントで、常会の会期は150日で延長も1回しかできません。したがって、日程闘争が意味を持ちます。なにか、絶対に通したくない法案がかかっているときに、野党が今もっている戦術は、「できるだけ採決を引き延ばして、法案を廃案に追い込む」というただ一点しかないといってもいいのです。したがって、時に野党は審議拒否もします。自民党も下野したときには、審議拒否をやりましたし、それに対して民主党側も「強行採決」をやりました。これはそういう風に制度ができているからです。審議拒否は諸刃の剣で、「野党は給料泥棒」という批判にさらされます。また、審議拒否をしたときの人質になっているものによっても効果が異なります。一番効果があるのは、予算、もうひとつは特例公債法です。日本は毎年国債を発行していますが、それは特例公債法を毎年可決して発行することができるようになるので、これを人質に取られると経済的に窒息する状況になります。自民党は震災復興時にこれをやりましたね、2回。私は心底軽蔑しましたけどもね。当時は民主党政権への不満が強かったときだったので、こんな大事なものを人質にとっていても、野党に対する批判はそれほど強くありませんでした。今回、幹事長の野田さん、国対委員長の山井さんは、あっさり予算審議には応じたわけで、野党支持者には不満があった部分もあると思うのですが、予算や特例公債法といった、行政運営に必要不可欠なものを人質にとって日程闘争をやれば、現状の世論を鑑みれば、批判は野党にくると思うので、まぁしょうがないんじゃないのとは思いますよ。現民進党執行部は、「提案型野党」だといっているのでね、その面子もあるのでしょう。しかしその提案した法案、審議されてますか?一蹴されてるだけですよ、とは思いますよね。先日の丹羽委員長や田村筆頭理事らの失態のお詫びとして、介護従事者の賃金加算に関する法案は、一応採決にかけられましたけど、あっさり塩崎さんに「反対です」といわれて採決であっさり否決されましたよね。いったいどれほどの国民が、野党が介護従事者の賃金増を求めて、与党がそれを否決した、というものにニュース価値を認めてくれるでしょうかね、と皮肉はいいたくなりますよ。
民進党に期待しているリベラルというのも、もう希少種になっているでしょうが、それでも現実的に考えてしかたなく民進党に期待している有権者というのは少しはいると思いますよ。そういう人たちにとって共謀罪というのは多分、今国会で一番大きな関心事だと思いますよ。 その件で、「俺たちは一生懸命反対したけど、仕方なかった」でいいと思っているとするとどうなんだろうね、とは思いますよ。今はもう、審議拒否しても人質になっているものはそこまで重たくないので、私個人は、審議拒否しても支持しますよ。共謀罪はほんとうに嫌だから。審議したらまともに疑問点に答えるならまだしも、全然答えないからね。ちょっと判断間違えないで欲しいよ、山井さん、野田さん。まぁあんたらはリベラルではないと思うけども。
4・17決算行政監視委員会
山尾「ほんもののテロ対策なら喜んで協力します。だから私この議論の最初に、現行法では対応できないテロ対策出して欲しい、と申し上げたら、立法事実として、3つの事例が出てきました。どれも包括的な共謀罪を作らなくても対処できる事例でした。そして大臣質問です。4事例目以降あるんですかと、頭の中に多数あると、この第一委員会室でおっしゃった姿を私覚えております。成案ができたら説明するとおっしゃっていました。成案が出ました。どうぞ。今日うってつけのこの場だと思います。多数ある事例のひとつでも、どうぞ、具体例をお出しください。」
☆金田(目線は紙)「山尾委員にお答えをいたします。法務省からお示しをした3事例は、テロ等準備罪につきまして、条約を締結して、テロを防ぐために、現行法のどこに不十分な点があるか、につきまして、わかりやすくご理解をいただくための例として、お示しをしたものであります。これらの事例によって示される、現行法に不十分な点があるということは、立法の必要性を裏付ける、いわゆる立法事実のひとつとして考えることができるわけであります。現行法が、条約の第5条でございますねぇ。が定める犯罪化義務を果たしていないことは、制度の対比からして明らかであります。したがって政府としては十分に立法事実をお示ししているとこのように考えております。」
山尾「結局、成案が出たら説明するとおっしゃってた4事例目が今日も出てこない。パネルお願いします。予算委員会を通じて、成案が出たら説明するといっていた、この事例40、ありますね。今の質問もここにあります。これ、議論の出発点になる質問です。これに答えられないのなら、要するに、国民に立法の必要性を説得的に説明できていない。テロ対策という説明がまやかしだ、とこういうことになりますね。大臣重ねて質問します。277あるいはそれ以上とも思われる今回の対象犯罪のうち、テロ対策の犯罪はいくつあるんですか。」
金田「えー、ま、通告をしているかという声が後ろからございましたが、それは非常に重要な点なので、私からも、通告はぜひわかりやすくお願いをしたいと思います。その上でお答えいたしますが、えー277ございますが、それが、テロ対策として、直接にあるいは、資金源として、あるいはそういう考え方として、関わりがあるかという風にお伺いをいただければ、関わりがほとんどあると、このように申し上げるべきであると、このように考えております。そして!先ほど、その前に言われました40項目の、出していただいてます。それは、成案、法案の成案を得る前の段階で、成案を得るまではお答えすることは、あの段階で、混乱を生じてしまったり、いろいろな誤解を受けたりすることはよくない。成案を得るまでは、私たちは、法案をしっかり固めていくわけであります。そしてお出しするわけであります。そして所管の、所轄の委員会で議論をいただくわけであります。その議論をいただく前に、その成案じたいが出ていないのに、そのことについて、私たちが、いろいろコメントをしていく、そうすれば、ああなればこうなる、こうなればああなる混乱が生じては、国民の皆様に申し訳ない。ですから、成案ができるまではお答えを差し控えていただくことは、あるんであります。これは通常の法律の案文をお出しするときの当然のことであろうとこのように思います。したがってこの点については、私どもは、その場その場で、答弁を丁寧におこなってきたつもりであります。ですから、今40項目あるといった、成案を得たらお答えするといったリストであるとすれば、それを今からでも、このあと法務委員会でも、ぜーんぶきいてください、直ちにお答えいたします。」
たった今、成案が出たら答えるといった4事例目について答えなかったくせに、全部聞けとおっしゃる素敵な答弁。だいたいほとんど意味のある部分がないのにひたすらに長い。一種の牛歩戦術。この後、条約等については外務大臣に聞け、ここは決算委員会だ、というお決まりの答弁しない理由を並べる大臣と総理。まぁ全編ひどいんだけど、本当に答えないんだよね。安倍さんもだけど、みんなもだけど通告について、いろいろ勘違いしてんだよね。twitterなんかでは質問主意書と間違えてる人もいるし。通告は義務でもなんでもないんだよ。当然、通告して、担当者に準備してもらったほうが、公式見解は聞きやすいけど、政治家本人の言葉は出てこないじゃないですか。だから、通告なしの質問に、「通告がないから答えられない」ってのは、質問者にとっては時間の無駄だけど、答弁者にとっては恥でしかないんだよね。そこんとこ履き違えて、「通告をはっきりしない、卑怯」みたいなことを安倍さんはよく言うんだけど、おかしいと思うよ。
1.殺傷力の高い化学薬品で一般市民の大量殺人を狙い、原料の一部を入手
2.飛行機をのっとり、高層ビルに突撃させるため、航空券を予約
3.都市インフラを麻痺させる目的で、コンピュータウイルスの開発に嫡手
なわけですが、☆で示した答弁は、予算委員会でしたものと基本的に同じです。カンペの答弁の読み上げ。質問と整合していなくても気にしない。この3事例
1に関してはサリン等による人身被害の防止に関する法律で予備行為も禁止されている。そこをつかれるとサリン等に含まれない殺傷力の高い化学薬品に関してだと答弁したんですが、具体名をひとつでも挙げろといわれると言えませんでした(2/3予算委員会質疑)またその指定薬品は政令事項なので、法律を変えなくても政令で対処できる。じゃあなんでしないのか、というと、テロ組織が秘密裏に開発している薬品だから、未知だ、未知だから指定できない。と安倍総理はおっしゃいました。これって罪刑法定主義から逸脱した発言だったので覚えてる人も多いと思うけど。
2に関して、政府側は、昭和36年に国会の襲撃を計画してライフル銃を入手した行為が破壊活動防止法の予備罪の準備行為にはあたらないと判断された判決を根拠にしてきたのですが、昭和45年よど号ハイジャック事件を受けて、改正された航空機の強取等の処罰に関する法律の、第3条、航空機強取等予備に当たる行為として、当時の刑事局長が、当該航空券を買う行為を明言しているとして、現行法で対処できるよ、としています。
3に関して、民主党政権自体に批准したサイバー条約を批准した際、未遂罪を指定せずとも批准できた実績がある。なぜ未遂罪を指定しなかったかというと、トレンドマイクロとかの人の行為も萎縮させては意味がないと考えたからだが、どうしても必要だというのなら個別に対応できるだろう、との指摘だったが、金田さんは例の「通告がないので、成案を得てから」だったわけですよ。先日書いた精神保健福祉法の改正問題と一緒で、立法事実ははっきり答えられないけど、なんとなく答えたような気になっている文章でいけるかどうかを瀬踏みしてんですよ。これを許せば、また別の法律、多分、この共謀罪を実質的に有効にするために必要な、盗聴、メール監視、ネット監視等についての法律を出してきますよ、絶対。今、「監視社会にはつながらない」とか言ってる答弁は信じるほうがおかしいと思いますけどもね。
今回の☆の答弁も、なぜ包括的な共謀罪が必要で、個別的な対策ではダメなのかについては一切答えていないです。この質問は山尾さんの40の質問リストの1番だったと思いますが、大事な点ですよね。でも答えないし、多分今後もペーパーをひたすら読み上げて終わりにすると思いますよ。どんなにむちゃくちゃやったって、個別の世論調査の質問でどれほど反対が多かろうが、「私の支持率は53%」で押し切られるので意味ないんですよ。
ほんとに、正しい意味で、「どこまで国民を馬鹿にしても大丈夫かゲーム」をやっているのだということは知ってもらいたいんですよね。
みなさん、こんにちは!ここに来ることができ、とてもうれしく思います。今回の日本訪問で、我々は、日米両国の素晴らしい同盟関係を再確認しています。ですので、皆さんに感謝を伝えたく、ここに立ち寄りたいと思っていました。兵士の皆さん、家族の皆さん、ありがとうございます。皆さんは、日米同盟の中核を担っています。感謝いたします。
「ウォーターボーイ」ことブシェー大佐、ガルザ最上級曹長、ありがとうございます。大勢の人たちがいますね。下士官、上級下士官、将校、一般兵士、国防省の文民職員。家族の皆さん、声を聞かせてください!
黄川田外務大臣政務官、福田市長、国会議員の方々、園田海将補、自衛隊員の皆さん、この場にお越しいただいた日本の友人の方々に、感謝申し上げます。素晴らしい、岩国市民の方々にも、お礼申し上げます。母国を遠く離れて使命を果たしている米国兵士への皆さんからの温かい歓迎は、わが国にとって、非常に大きな意味を持ちます。皆を代表してお礼を申し上げます。ありがとう。
なるべく手短に話をしたいと思います。というのも、できる限り多くの皆さんと握手をしたいからです。先に注意しておきますが、自撮りはご遠慮ください。そうすると、一日中ここにいなければならなくなるからです。
しかし、まずなによりも、米国大統領として、米軍兵士の皆さんの最高司令官であることは、この上ない名誉であることを、申し上げたいと思います。皆さんは米国民を守り、世界中で平和と安全を促進しています。「戦没者追悼の日」の週末を皆さんと迎える機会をうれしく思います。なぜなら、この日は、危険と犠牲が皆さんの仕事の一部であることを思い出させ、自由のために命を捧げた人々を決して忘れず、敬意を払わなければならないことを、再認識させてくれるからです。
大統領として私は、米国が再びアジア・太平洋地域で主導的な役割を果たせるよう、取り組んできました。なぜなら、この地域は、我々が共有する安全保障と繁栄にとって不可欠だからです。そのためには、安全保障での協力が必要です。貿易協定、人々の間で築かれる関係が必要です。そして、優秀な、日本の自衛隊員と協力して、米軍兵士が域内で実施する、誇りある奉仕活動が必要となります。
ご存知のように、今日の午後、私は広島を訪れます。これは、第二次世界大戦で命を落とした、全ての人々を追悼する機会であり、核兵器をもはや必要としない世界の平和と安全を求める決意を確認する機会でもあります。広島訪問は、最も痛ましい亀裂でさえも埋め、かつて敵同士にあった日米がパートナーとなるだけでなく、最も緊密な友人となり、最も強固な同盟国となることが可能だということを示す証左となります。
日米同盟の強さは、ここ岩国で端的に示されています。岩国基地は、両国の信頼、協力および友好関係を示す好例です。米国海兵隊は、自衛隊と力を合わせ、平和を守り、域内のパートナーと連携し、人道支援および災害救援を行っています。皆さんは、フィリピンとタイを襲った洪水やバングラデシュに壊滅的な被害をもたらしたサイクロンの対応にあたりました。2011年の東日本大震災では、救助・救援活動で、極めて重要な役割を果たしました。日米は共に、域内で、数え切れない数の人命を救ったのです。このことは、我々の大きな誇りです。
ここでの皆さんの奉仕は、自由、民主主義、人権、法の支配といった、今日、日米両国が共有する価値観に根ざしています。その結果、日米同盟は両国だけの安全保障にとって不可欠となっただけでなく、域内および世界において、欠くことのできない安定の源であり、繁栄の土台となっています。皆さんは、我々の生活の質を支える礎なのです。
最後に、日米同盟の本質を如実に語る、素晴らしいエピソードをひとつご紹介します。テッサ・スノー大尉はどこにいますか? この場にいるはずですが、、あっ! いましたね。スノー大尉は、オスプレイのパイロットで、先月の熊本地震の際、自身の飛行隊を率い、被災者へ人道支援を行い、物資を届ける任務を遂行しました。ある日本人一家は自宅の倒壊を恐れ、何日も屋外で過ごすことを余儀なくされました。皆さんの取り組みにより、その一家をはじめとする多くの被災者が、食料や水など必要な物資を受け取ることができたのです。
さて、その一家ですが、6月に女の子が生まれる予定です。テッサの任務のおかげで助かったことを知り、生まれてくる子どもに、テッサにちなんだ名前をつけると決めたそうです。家族は、誠実さ、勇気、責任感、進んで他人を助けようとする気持ち、といったテッサと同じような素養を備えた大人に育ってほしいと願っているそうです。
これらは、海兵隊の基本的価値観ではないでしょうか? 幾世代にもわたって、米軍兵士を特徴づけてきた素養であり、日米両国が持つ最も優れたものの象徴でもあります。皆さんの奉仕によって、人間の尊厳と自由に対する日米が共有する決意は、この地域および全世界で、存続していき、この地域は繁栄していくでしょう。そして、我々はどこに行っても、希望を広め続けていくでしょう。私は皆さんを誇りに思います。日本側に感謝いたします。米軍をこの上なく誇りに思います。
皆さんと皆さんの家族に神のご加護がありますように。そして米国に神のご加護がありますように。皆さん、ありがとうございました。
けものフレンズという物語は、キリストの言行録たる福音書である
ジャパリパークに女性のフレンズしかいないのは、キリストの処女懐胎を暗示している
フレンドにとってのヒトとは、人類にとっての神。
サンドスターがなぜかばんと一体なのかというのは、もとのキリスト教の三位一体説もかかえる矛盾
かばんが現れるなりセルリアンに襲われるのは、ヘロデ王が赤子を皆殺しにしようとしたことに相当する
そこでかばんを助けるサーバルは、イエスを救うためにエジプトに逃げた聖母マリア
サーバルは同時に、イエスの最後を見とるもう一人のマリア、すなわちマグダラのマリアでもある
かばんを導くラッキービーストは洗礼者ヨハネ。不幸な最後が予想される
かばんを泥棒扱いするが後に改心するアライグマは、改宗者パウロおよびサウロ
ジャパリパークに広がるサンドスターローとは、サンドスターにより知恵を得たフレンズが同時に得た原罪
サンドスターローにより力を得るセルリアンは、蛇であり、悪魔であり、同時にイエスに害をなすヘロデとその一党
原罪(サンドスターローにより力を得たセルリアン)を背負って倒れたかばんは、神性をあらわしミライとして蘇り、フレンズがいつか神の国(彼の世界の人間の世界)へ召されること、またミライがいつかふたたびジャパリパークに現れることを告げて去っていくだろう
http://blogos.com/article/212112/
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僕はLINEを愛してる。
愛してるがゆえにLINEをどんどん駄目にするLINEの経営層が許せない。
はっきり言うが、彼らのやってることはグダグダだ。他社のチャット系サービスが成長してる中、LINEが初めてユーザー数が減少したと言うがそれは当然だ。
説明しよう。
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多分に自己愛と思い込みの強い著者が、アプリってのはこうグロースさせるもんなんだからそれをやれてないお前ら間違っている
と一方的に断じているもので、共感できるところは各タブに名前が入っていないことくらいのぶっちゃけ大して価値のない記事であった。
そもそもニュース領域はtwitterと違い、LINE株式会社側にLivedoor由来の編集チームがいてリソースが確保されている点、すでにLINENEWSという
基盤が存在している点で突然何の前触れもなくニュースを始めた日本のtwitterとはわけが違うだろう。
さらに噴飯ものはタイムラインについての評価で、まず誰も見ていないと断じているが、
リサーチベースではこんなものも出ている(http://gaiax-socialmedialab.jp/post-1891/)
大体、広告事業としてのLINE ADS Platformは、このタイムラインをベースにしたインフィードアドが中心であり、それで十分にマネタイズできている
ということは、タイムラインが一定使われていて、広告インプが一定以上発生していることの証左だろう。
つまり、この著者自体が、自分の見ている物事からしか評価・判断のできない典型的な「マーケティング知らない人間」なのだろう。
何をしてきた方かは存じ上げないが、いわゆるユーザーグロースのみをマーケティングであると思い込んでいるIT野郎。
LINEのニュースタブは、すでにユーザーが一定以上グロースしている国内のLINEユーザーに対してより多くの広告インプを発生させるためのレベニューグロース
としての側面が強いわけで、それも含めてマーケティングであるのだから、十分LINEの現場も、経営陣もマーケティングを、経営を理解していると言っていいだろう。
あ、後ユーザー数が減少と書いているけど、これはニュースタブを追加していない国についての話であって、そもそもの前提からしてもうめちゃくちゃ。調べずに書いてる感満載。
だからこそ失望したのが、これなわけで。僕もLINEを愛しているけど、これはマジでないんじゃないか。
http://jp.techcrunch.com/2017/03/02/line-clova/
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スペイン・バルセロナで開催中のモバイルカンファレンス「Mobile World Congress(MWC) 2017」。そのキーノートにも登壇したLINEが3月2日、クラウドAIプラットフォーム「Clova(クローバ)」を発表した。
今後はClovaを搭載したアプリ「Clova App」を提供するほか、初の自社デバイスとなるスマートスピーカー「WAVE(ウェーブ)」を今夏にも日本と韓国で発売する予定だ。
今冬にはスマートディスプレイ「FACE(フェース)」の提供も控えるという。
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要はAmazon Echoとか、Google Homeとか、スマートスピーカー領域(というか、音声会話をベースにしたインターフェース領域)に打って出るというわけだ。
これは一面ではすごく合理的に見える。つまりチャットサービスとしてユーザー間、ユーザーと企業間でのコミュニケーションのインフラを提供しているLINEが、textingから音声を介した
コミュニケーションインフラに舵を切るということ。事業の成長の向く先としてわかりやすい。
が。これ。マジで間違いなくうまくいかない。頓挫する。てかこれこそ、挑戦の美名に酔いしれてマーケティングを忘れた経営判断だろ、と思う。
音声インターフェイスの要は、自然言語処理であり、発話された音声を正確に理解する技術にあるはずだ。
この点、AmazonとGoogleは基本的に「英語」という話者が圧倒的に多い言語に優先して開発を進めればよかった。現に英語の自然言語処理はめちゃくちゃ進んでいる。
しかし、LINEは違う。英語圏ではまったく使われていないサービスなのだ。それどころか、LINEが浸透している主要国は日本、台湾、タイ、インドネシアの4カ国である。
サービスを普及させるためには、地の利を生かすほかない。そういう意味で英語圏は端から勝負しようがない。一方中華圏、圧倒的人口を誇るメインランドにはWeChatという
であるからして、浸透している主要4カ国で普及させる、という選択肢にせざるを得ないだろう。しかし、この4カ国ぶっちゃけ日本とインドネシアしか1億を越える人口の国はない。
その上、GDPベースで考えてもスマートスピーカーが短期的に人口に膾炙するほど普及させられるマーケットは日本と台湾しかない。
さらにさらに、R&Dの視点からいって、4カ国それぞれの言語にあわせて自然言語処理を一定水準まで高めるには、英語1つに絞って開発するのと比較して単純に4倍のコストと労力がかかる。
典型的な、労多くして実り少ない状況なわけだ。
どう考えても八方塞だ。
コミュニケーションプラットフォームである以上「言語」は避けて通れない問題。これを攻略する方法は正直、僕にはわからない。
だからもはやLINEは、チャットサービスとして浸透している国の中で、その土台の上で、ニュースタブとかその他もろもろで、
きちんとレベニューグロースを続けるのであれば、ぜんぜん負け続けることなんてないのになーと僕は思います。
https://this.kiji.is/207438898890506241
情報提供の受付
https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2
「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。
保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。
国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。
教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。
グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。
パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。
ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である。
あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である
東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。
東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い
今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。
「君が代」を歌うか、歌わないか。問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守・愛国であり、歌わなければ左翼・反日であると即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史や意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している
「ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼」のものと勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって、歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。
1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。
→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。
「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。
むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。
日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた
→君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではない
また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。
もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。
追加修正
西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。
1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された
この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。
結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。
1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。
http://synodos.jp/politics/19136
これ読んでおかしいなと思った点
労働力の確保はもはや手遅れ気味ではあるが――現状、米仏独と異なり、日本に来る金銭的・社会的メリットがもはやなさすぎるので、そこのあたりのちゃんとした待遇・権利保障・教育システム、多様な職種・生き方が併存可能な形を整え――移民や外国人労働者に三顧の礼できていただくしかない。
何しろ「安い賃金で働く移民」が大勢いるのだから、企業は賃金を低く抑えることが出来てしまう。
日本人が働き口を見つけるには、更に低い賃金で働くときだけで、可処分所得が一向に増えない状況が生まれてしまうが、そんな社会は望ましいだろうか?
それでもまだ来たいと言ってくれているひとたちがいる。来てくれているひとたちがいる。そして、なにより実際に来ているひとたちがいる。
そして実際に移民が大量流入したら、失業率が悪化したり、親の貧困を引き継いだ格差が広がる一方だろう。それこそ、新自由主義の負の側面以外何者でもない。
北田暁大さんは、そう言うが、それ逆じゃないの?
治安に関しても疑問が。
「外国生まれの人口比」に関しては、日本はOECD先進国のなかでは実質的に最低の数値、1%ほどにとどまる。独米英仏のように10%を超える状況にはなっておらず、治安の悪化を心配するような段階にすら到達していない。
敗戦直後、日本の治安が良かったなんてどのデータをみたらいえるのか、「昭和30年代」がどれだけ貧しく犯罪の多い社会であったのか、お忘れになったのか。
移民を入れたら、その「昭和30年代」がやってくるかもしれないじゃん。移民に職を奪われ、働いても給料が増えない日本人が、清く正しく生きようとするかね?
上野さんとも北田さんとも違う意見かもしれないが、移民大量流入後の日本でもし治安が悪化したら、その主役は移民じゃなく無職の日本人だと思うよ。
世代間再配分を果たそうにも多くの団塊世代にはそれが難しい。貯蓄額・資産の大きい人びとの資産が、社会的な再配分に向かっていない状況は、上野氏自身が属する「団塊」世代内での断絶を示している。「逃げ切れる団塊」などほんの一握りの人たちであり、そうしたなかで「おひとりさま」などと提唱するのは、社会政策としては絵空事に近く、再配分をなにも考えていないことの証左である。
でもさ、
どれだけ上野氏をはじめとした左派が「アベノミクス」を否定しようと、ここ数年の新卒就職率は高卒・大卒ともだいぶ改善されており、ご存知の通り大学院志願者は低減傾向にある。
上野さんがお花畑なのはそうだとして、北田さんだってお花畑でしょ。
それを踏まえて言えば、移民を制限して、何とか国内で再分配を苦しんででもやるしかないよ。
それをやらないで移民を入れても、分配の議論が混乱するだけだよ。
そんなことを思いました丸
・フレンズとは超科学(サンドスター)が作り出した新しい不死生命体
サンドスターのエネルギーによって死ぬことはなく永遠に生き続けるが、恐らくジャパリまんを補給しないと死ぬと考えられる
通貨にもなっていてフレンズたちにとって食料以上の価値があるものと認識されているジャパリまんは不老長寿を維持するサプリメントである可能性大
通常は死ぬことがないため繁殖が必要なく1種族につき1個体で問題がない、同様の理由でオスが不要なためメスしかいない
超生命体フレンズはあくまで兵器ではなくテーマパークの死なないマスコットキャラのようなもの、
セルリアンを倒すことができるということは想定外のことだったのか、
もしくは後天的にセルリアンに対抗する能力を与えられたのかは定かではない
・人類は既に滅亡している
第4話にてツチノコの発言から既にかばんちゃん以外の人類は絶滅、もしくはそれに近い状態であると推察できる
滅亡の原因は詳しくは不明だが唯一の外敵であるセルリアンが原因であると考えるのが自然
人類を攻撃対象にし、絶滅に追い込んだ後のセルリアンは次にフレンズを敵として認識しはじめたのかもしれない
・フレンズは物理的な外傷では死なないが、唯一セルリアンに食べられると死ぬ
バスに引かれた、高所から落下したという物理エネルギーによる損傷があってもおかしくない状態でもサーバルちゃんは無傷
しかしそんな無敵のフレンズもセルリアンを脅威として捉えていることからセルリアンからの攻撃により最悪死亡すると考えられる
集落を作り情報交換をし知能指数が向上してしまうとジャパリパークにて生きるフレンズたちが
集団でセルリアンから自衛するよりもフレンズたちの由来を知られることを危険とみていることがわかる
今まで人類がフレンズ化しなかったのは「人間を不老不死にしていいのか」という観点と
「フレンズたちに楽園の真実に気づかせてもいいだろうか」という危惧から実行されなかったのであろう
ところが結局かばんちゃんがやってきたということはそれ以外に人類の選択肢が残されていなかったということの証左である
そして第4話にてツチノコが他のフレンズにはラッキーモンスターは反応しないと説明しているのでかばんちゃんは最後の人間ということになる
http://anond.hatelabo.jp/20170109214808 のつづき
前回の記事を書いて、数日はセルクマ+netcraft3さんのブクマだけだったので、うーんはてなでもこういうの受けが悪いのかと思っていたのだけれど、久しぶりに見たら結構伸びていた。どうせ批判コメ(しかも本質に関係ない、放射能アレルギー的なもの)にあふれていると思ったが、意外や意外、肯定意見や建設的な批判が大半で、まだまだ日本のインターネッツも捨てたものではないななどと思ったりした。
その中でも、commonな批判と、その他目についたコメントに対する返信をしたい。
また、以下の返信については、あくまでもコメントに対する返信であって、コメントをした人に対する(人格)攻撃のつもりは一切ない。そう見えたのなら私の文章力の問題だし、そもそもミスリーディングな文章を書いたのが問題だろうと言われたらそれまでである。すいません。
(これだけ書いても多分ある程度の人は攻撃されたと感じてしまうのだと思う。文章力のせいだろうか。ちょっと申し訳ない)
この文章は、あくまでも彼の主張の問題をつくだけのものである。福島が安全かどうかというのは全く別の問題であり、ここではそれに関する議論は一切しない。
これでも噛みつかれそうなので一応書いておくが、別に私自身は特に何かを避けているとかはない。単に面倒だからだ。
と書いたら、id:reijikanさんから『「単に面倒だからだ」ということだけれども、早野さんはその面倒なことをやっている。』というコメントを頂いてなるほど書き方が悪かったなと思った。
単に(面倒くさくてw)一言で面倒と言ってしまった私が悪いのだが、これは後半でも書いているように、「私は私の責任でもって積極的には気にしない」という選択肢を取っているということである。したがって、例えば乳幼児の親が放射能汚染に敏感になっていることを批判することは私には決してできない。そもそも上で挙げた資料には、誤差すら書いてないので原理的に批判はできないのであるが…。
また、早野氏がどれだけ何をしていようと、(これも語弊を招くかもしれないが)私には一切関係ない。また、彼の行っているその「アウトリーチ活動」とやらは科学の世界と一切関係のないものであるというのが先の文章の主張である。
これは一番星を集めていたid:IkaMaruさんやid:njamotaさん、また「牧野さん政治発言繰り返してるじゃん…」とのトラバなど、結構たくさん頂いた指摘である。
結論から言うと、もちろん科学者が政治をするのはまことに結構なことである。有馬氏など、日本の科学行政にも科学者あがりの人は実際に何人かいる。政治発言にしたって、牧野さんが政治発言をtweetするのも結構だし、M川さんが天皇制に反対するのも結構だし、xxさんが毛沢東と会って公安の監視下に置かれたのもどうぞお好きにやってもらえればいいとしか言えない。外国でも例えばロシアのサハロフさんなんかは大変有名である(こう書くと業界が極左ばっかのようだが、まぁそんなことはない) 。
というかそもそもよく考えたら私のこの文章だって見ようによっては部分的には政治的であると言えなくもないかもしれない。
私が問題だと思うのは、「科学的発言の皮をかぶった政治発言」である。そりゃあ(直接面識もないのにこんなに例に出しまくって申し訳ないが)牧野さんが集団的自衛権に反対しているのを見て「あぁなるほど天文学的には日本国は9条を保持すべきなのか」と思う奴はこの世にいないだろう。こんなのは誰がどう見たって個人の思想信条を発言したに過ぎないと思うわけである。翻って見るに早野さんが「躊躇なくイエス」「どこにもない」「自信を持って言える」「間違っている」と繰り返したらどうか。(あぁ、http://bzfd.it/2jkl8zc からコピペしてめまいがしてきた…。)これを見て政治的発言だと思うやつは相当ひねくれているか科学的知識を持っているかのどちらかである。
もっと別の例を出そうか。いわゆるニセ科学、例えばなんとか水やなんとか菌のたぐいであるが、これにはほぼ必ずと言っていいほど「~博士」「~名誉教授」の肩書を持った人のコメントが寄せられている、ような気がする。人は一般に、そのような肩書があれば科学的に中立な発言としてそのコメントを見てしまうということの証左であろう。「水素水で若返りました(65歳男性)」とは発言の重さが違うのだ。
(どうでもいいが、改めて上の記事を読んでみたがこれは本当にとんでもない記事である。『その批判、一部は当たっているんですよね。「あなたたちは、全員を測ったわけではないでしょう」「安全な人だけ選別しているのではないか。きっとどこかで高い人がいる」という点は特に当たっている。その通りだと思いました。』なんてバイアスがあるって言われただけなのにあたかも「とんでもないいちゃもんつけられたのに真摯に対応するワタクシ!」みたいな感じに読めるし(というか下の論文読むまでこの文章が何言ってるかわからなかった)、そもそも「思想を語っているわけじゃない」とまで断言している。早野さんはサイコパスなんじゃないだろうか。正直言って恐怖を覚えた。)
私も、早野さんが(65歳男性)として発言する、あるいは「これはあくまでも政治的発言ですが」と断って発言するならば一切何も言わない。どうぞ好きにやってくれればいい。しかし、「科学者」の肩書を使って「絶対」というような非常に強い政治的発言を繰り返すのは看過できない。科学者として発言するならば科学の言葉を使わなければならない。
以上のような早野さんの言動は、日本のインターネット界にいわば「放射脳叩き」をもたらした。そのせいで、親が我が子を心配するといったような基本的な権利ですら危機に瀕している。少なくとも今私がここに書くくらい、公の場で福島関連を言うことははばかられるようになってしまった。このような恐ろしい事実を鑑みるに、やはり私には早野さんの政治スタンスを認めることはできない。
私が前の記事で言いたかったのはあくまでも「アウトリーチ」としてのあり方なので、論文には言及しなかった。もちろんなにか「動物のふしぎ」だとか「宇宙のふしぎ」みたいな啓蒙書に対して統計5σ要求するのは流石にやりすぎである。しかし、福島のような問題に対しては、アウトリーチですらも科学に立脚した発言でなければならないと私は思っている。なぜなら、目に見えない不安に対抗する術として人類が編み出した方法こそが科学に他ならないからである。まずは、自然に100%はないことから理解しなければ中世から進まない。
ところでid:njamotaさんが挙げてくださった論文 https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjab/89/4/89_PJA8904B-01/_pdf もせっかくだからとさっと見てみたが、どうやらこれはあくまでも生データをそのまま載せた論文であるようで、そこから先の議論はなかった。正直これで論文になるのかというのは私も少し驚いた(おそらく、やはり前回の予想通り、疫学調査では統計を議論できるほど数がないからであろう。別に分野が違うから驚いただけで、ケチをつける意図はない)が、それ以前にそもそもSrに関してはmentionすらされていない。アンダーコントロールな汚染水を垂れ流している以上、チェルノブイリ基準では問題ない、という結論で良いのかどうかはわからない。
(ただやっぱりFig.3, 5, 7にエラーバーがないのは絶対におかしいと思う。早野さんだって東大理物の学生実験でこんなグラフ見せられたら突き返すと思うよ…)
このレベルの調査で絶対安全という結論を導き出すのは、私には不可能である。ググったところこの論文が聖典のように扱われているが、正直一体何がどうなっているんだ…という感じが拭えない。(しつこいが危ないと言っているわけではない。ただわからないと言っているだけである。)もっとも私は疫学など露とも知らないので、まあこれがどこまで確からしいかconcludeすることはできないのだが、少なくともある種の統計分布を仮定して有意性を出す、という(少なくとも私にとっての)conventionalな科学の枠内では捉えられなかった。有識者の意見を聞きたい。
おっしゃる通りだと思うが、私は牧野さんや押川さんほど社会的地位も無ければメンタルも強くないし、早野さんやそのゆかいな仲間たちほど厚顔無恥ではない。
あと日本語の読解間違ってたらすいません。やさしく教えてください。
【インタビュー】字幕翻訳者・戸田奈津子さん「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」
https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/interview-with-natsuko-toda?utm_term=.bhpJ8y62dK#.pf3GDwzR2e
を読んだ。全体的には一方的な自己弁護を垂れ流すだけの提灯記事だが、インタビューという性質上これは仕方のないことなのだろう。この記事の良い点は、戸田奈津子という人の見当違いな自己顕示欲を浮き彫りにしているところだ。
「叩く扉もなかった」字幕翻訳という仕事に、その道の第一人者に直接食らいつくようにして取り組んでいった前半生は感動的でさえあるし尊敬もしよう。しかし一人前として仕事を任され、一定の地歩を固めつつあった頃には、質的な研鑽よりも量的なアピールに重きを置く仕事ぶりだったことがよく分かる。
それは時代というか当時の映画産業の要請でもあって、戸田個人に責任を帰すことも出来ないだろうが、何度も立ち止まるチャンスが有ったにも関わらず、過剰な自信に満ちた「職人魂」みたいなもので自分を虚飾したい一心で、本質的には作品に奉仕するべき字幕翻訳者のあり方を歪めた自己像を描出し、直そうともしなかった。それがこのインタビュー記事で表現されている「字幕翻訳の女王」の実態だ。彼女はことあるごとに「文字数は自由だし調べ物にもゆっくり時間をかけられる文芸翻訳とはわけが違うのよ」式の言い訳(師匠の発言の一部を都合よく切り取ったものだ)をして、質を犠牲にしてることを棚に上げて早業自慢を繰り返すが、この記事もまさにその例を一歩も出ていない。ほとんど馬鹿の一つ覚えだ。
せっかく日本一名の売れた字幕翻訳者になったんだから、個人の早業を自慢するよりも、字幕の質的向上のために制作・配給側が用意する時間や予算の拡充をアピールするのが筋なんじゃないのか? と私などは思うのだが、そんなことは自己否定になりかねないのでできない。映画や観客より自分が大事だからだ。徹底して裏方仕事に向いてない性格なのに(だからこそ喰らいついていけたとも言えるが)、なぜか字幕翻訳者になっちゃった人で、その上根っからのダンピング体質なんである。広く「第一人者」と呼ばれるものの最悪の事例として歴史に記録されるに値する人物だろう。
戸田字幕の具体的な問題点については、今ではある種のネットミームと化していて、山のように検証を綴ったページがヒットするので、ここでいちいちあげつらうことはしないが、この記事を読んでそれらガッカリ字幕の根本的な原因を確信できた気がする。戸田奈津子自身の映画作品に対する理解力が低いのだ……というのはあまりにも失礼なので、観客(想定読者)の理解力を低く見積もりすぎ、と留保つきで言うべきなのかもしれないが、とにかく画面に映っているものや脚本に対する読解力が低い翻訳をしてしまっている。軍事用語や「指輪物語」の専門用語に通じてないせいで勝手流に造語しちゃうみたいなことは、専門の監修者をつければ(それさえ不服のようですが)済むことだが、理解が浅いまま手癖で字幕をつける悪癖についてはせめて直そうとする姿を見せてほしいと思う。
どんな作品であれ受け手によって読み出せる情報量は変わるものだが、戸田字幕はその理解力の設定が最小限になってるみたいな字幕なのだ。そんなとこを端折ってしまったら、まるで子供の頃に見た「大人の映画」のように途中で筋が追えなくなるだろうな、と思うことさえある。一通りセリフが聞き取れるとか、背景知識も揃っているような人間が見ると「エッ?」となるような訳を乱発してしまっているのである。これは映画字幕という表現媒体そのものの制約なのだろうか? 単に投下すべきコスト(時間と人員)をケチってるだけじゃないのか? なにしろ理解力が乏しいゆえにかえって回りくどい表現をして、大切な字数を浪費している例さえあるのだ。単にこなした本数が多いから下振れが記録されているだけと擁護することも出来るが、それを言うとかえって早業自慢の露悪性が強調されるというものである。
そして戸田字幕に感じる理解力の低さ、雑さの遠因が、このインタビューでは明らかにされている。ただの映画ファンとして、「作品のファン」としての経験を積まずに映画を見まくった原体験が、映画を十分理解せずに、ざっくりと筋がわかれば(たまにそれにも失敗する)いい、という仕事を次々とこなすことを良しとする「映画字幕の女王」を産んだのだ。それは映画というものの立ち位置が変わってしまった現在には全くそぐわない態度であると私は思う。
多くの人が週末には何かしらの映画を見て、学生なんかは金の続く限り映画館に入り浸って、それ自体が楽しみで、何度かに一回面白いものがあったら儲けもの、といった時代はとっくに過ぎ去った。多少荒っぽい仕事があっても、「まぁそんなこともある」と納得してすぐにまた映画館に足を運んでくれる観客は絶滅危惧種と言っていい状況で、「とりあえず筋の追えるものを今週中に」みたいな品質でつけられた字幕を使う理由はほとんどないと言って良いんじゃあるまいか。なにもタコツボ化したマニアだけが字幕翻訳者の理解不足を責めているのではない。字幕でスクリプトの情報量を100%伝えろという不可能を要求しているのでもない(そんなことを言ったら、原語が完全に理解できても伝わらない部分は常にある)。娯楽が多様化する中で、金と時間を使うに値する丁寧な仕事で競争できているかが問題なのだ。
そもそも多くの映画は長い時間をかけて作られるものだ。製作に着手してから数年かかることはザラだし、驚くべき短期間で撮影が終わったというような作品でも、原作を読み込んで脚本化するのに何十年もかけていることだってある。そしてそれを待つファンも何十年越しで待っていることだってある。それだけの労力と期待を集めて公開される作品の最後の工程に、パッと見の印象を伝えるので精一杯みたいな字幕がついていて良いのだろうか? 日本人の英語力の向上には役立つかもしれないが、自分で聞き取れるようになったからといって問題が無くなるわけではない。「自分は内容がわかっても、あまりにも作品に無理解な字幕がつけられていることに耐えられない」という作品のファンの心理を考慮せずに仕事を続けることは、今や娯楽の王座から落ちて、比較的嗜好性の強いものになった洋画のファンには悪印象しか与えない。それに洋画ファンだけの問題でもない。どんなジャンルの仕事であっても、雑な仕事というのはそれに初めて触れる者に「なんとなく面白くないな」という印象を与えてしまうものである。それを防ぐために必要なのは、十分な準備期間と作業時間を用意することによって得られる翻訳者の深い作品理解だ。翻訳者に十分な時間とリソースが与えられ、一つの作品に使える労力を拡大することのほうが誰にとっても良いことなのではないか? すべての原因を「文字数の制約」や「納期の短さ」に帰することが出来るという甘ったれた足かせを自慢できればそれでいいのか?
戸田字幕の映画理解力の低さが、意図的に設定されているものではないと疑う理由がもう一つある。戸田は字幕翻訳が単独作業である理由として、「セリフの言い回しやリズムを統一するのに余計な時間がかか」るということを挙げている。そんなことを言っていたら、作中でセリフの言い回しやリズムを敢えて変えることで、登場人物の心理的変化や場面転換を表現する映画は原理的に字幕に乗らないことになる。これほど馬鹿な話はない。「こいつは最終的に悪ものになるやつだから、最初は丁寧にしゃべってても荒い口調で統一しとくのが親切」みたいな字幕が付けられた映画を、誰が見たいだろうか? 一つ一つの映画作品の性質をよく理解しないまま、ちぎっては投げみたいな仕事を続けてきたせいで、どんな映画も同じような構図に当てはまるよう訳すのが当たり前になってしまっているからこそ、セリフの統一感があることが「透明な字幕」の必要条件だという勘違いを起こしてしまうのだろう。映画が転調したときには字幕も転調するのが「透明な字幕」で、そのためには複数の視点が必要になることだってある。脚本や演出の意図を読み違ったまま、理解をし損なうことは避けられないからだ。いつまでも「一人の字幕翻訳者が短い期間で理解できた範囲」としての映画字幕が作られ続ける状況を肯定することは、この人の取るべき道ではない。それは決して映画のためにはならない。
「ロード・オブ・ザ・リング」の第二作以降は、原作の翻訳者がスクリプトの全訳を事前に行った上で、それを参照して戸田が字幕を作成し、改めてチェックを受けるという体制が敷かれたようだ(インタビューではその経緯をまるっきり無視していて、結果的に監修者の仕事を貶める傍若無人ぶりが表れている)が、これに似たことが常識的に行われるように働きかけしているんですよ、といった風のアピールをするほうが、「第一人者」としての尊敬を集めるのではなかろうかと私は思う。
現在の洋画の年間公開本数は80年代末以来の第二のピークを迎えている一方、戸田の仕事は当時の1/5近くまで減っている。文芸関係に限って言えば50歳ごろに確立した仕事のペースを守っている80歳なんていくらでもいるので、年齢のせいばかりでもないだろう。その事自体、戸田が翻訳者の待遇改善に取り組んだことの証左だと弁護することも出来るかもしれないし、実際にセリフを聞き取りながら見て「ここをこうやってまとめるのか、上手いなぁ」と思える翻訳者が増えてはいるので、まぁ戸田奈津子の問題ある訳というのも、そろそろ過去の話だよね……と最近は思っていたのだが、私はこのインタビューを読んで気が変わってしまった。やはり早いとこ全面的に後進に道を譲って、ご自身は字幕翻訳の質的向上のために翻訳者の待遇を改善する言論を起こされるなどしたらいかがだろうか。それが名の売れたものの使命と思ってはもらえまいか。いい年してよいしょインタビューに答えて、自分の大ポカで迷惑をかけた監修者の名誉を傷つけるような非道い言い訳を垂れ流している場合ではない。
今さら早業自慢を封じられるのは、自己認識からすれば転向に映るかもしれない。ひょっとしたら一気に老け込んじゃうかもしれない。しかし、昔よりずっと観客同士の横のつながりが強くかつ広範囲で、作品についての情報も手に入れやすい今だからこそ、字幕翻訳に要求される水準が上がっていることを認識し、それに適切に対応するように送り手たちに働きかけをする姿は、映画ファンの心に強い印象を残すはずだ。個人的な快刀乱麻の仕事ぶりを自慢するのはもうやめて、業界全体で作品の質に貢献する、充実した作業環境を残せるよう声を上げる好機なのではないか。それでこそ「字幕翻訳の女王」としての尊敬を集められるのではないか。今のままではせいぜい良くて「時代の徒花」といったところである。
こちら女だけれど言わんとしていることはわかる。
でも、そうやってお互いにいがみ合っている男女がどうしても目につくかもしれないけれど、健全に、つまり、お互いの性的欲望とか知りつつ仲良くやっている、そうしたカップルや夫婦もまた多いと思うよ。
そういう健全な人たちは性的欲望を表に出さないから気がつかないけれど。
思うに、異性の性欲を攻撃する人こそ非18禁フィクションから抜け出せない人なんだと思うよ。非18禁フィクションの世界では異性に対する性欲とかそういうの無視されるから。2次元の人物に対する性欲すら許せないのがその証左だと思う。実在している人物と実在していない人物の区別がついていないから、2次元の人物に対する性欲すら許せない。
なんつーか、そういうのは一度心許せる異性と寝れば解決する問題なんだと思うんだけど、性っていうセンシティブな所にトゲトゲ武装しちゃった人にはそういうのなかなか叶わないよねぇ。
ぶっちゃけ男だろうと女だろうと非モテだからそういう所にトゲトゲ武装してしまうんだと思うけど。
人生モテなくても、一人のパートナーを見つけることだけできればいいのに、モテないからってそこすら諦めてしまう人はなんていうか残念だ。というか、モテても一人のパートナーを見つけることができなければ無意味だと思うし。
なんかグダグダ書いたけど、結論として増田にはフェミとかまなざし村とかせんずり村とかジャップオスとか、そんなことを言い合っている人達からは距離を取るのが一番オススメだよ。そういう言い合いを止めたいのだとすると、無理だからやめとけとしか言えない。
いくら神様扱いされてるGoogleといえど運営してるのは神でもなんでもないただのエンジニアの人間の集まりであって、
中の"日本人部分"は電通、DeNA、サイバーエージェントなんかと一緒の奴らだってことだろう。
今のGoogleの検索結果はGoogleの検索結果っていうよりは電通がサイバーエージェントに外注して作らせた検索サービスの検索結果って言われた方が多分納得しちゃうでしょ?
それはもはや中の人が一緒だっていう証左になるのではないだろうか。
学歴や業種を考えれば転職組で相当数がかぶってても自然だと思うし、いやむしろ日本国内だったら他にどこから取るんだよってレベル。
電通、DeNA、サイバーエージェントで日本ITのクソな部分を集約した理念や思想を学んだエンジニアが
Googleに転職し、電通、DeNA、サイバーエージェントのクソな理念を発揮しているから、
日本のGoogleは"電通、DeNA、サイバーエージェント化"してしまった。
こう考えれば全てに合点が行くのではないだろうか。