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2024-04-02

東京都スクールカウンセラー解雇問題に思う。

 心理学畑の人って、ろくに組合入らないので

しょうがない、とも思う。心理の人って物事の原

因を人の内側にあるとして、能力性格、意欲

とかの問題にする志向性がある。

社会に対してろくに働きかけてこず、手元ばっかり

見てたからこんなことになったので、自業自得だろう。

そもそも心理士の資格制度を作ったときに、団体の金で

清和会の森(文教族親玉)のパーティ券

とか買ってなかったか

 事情知っていて、傍から見てると、まぁ自ら

播いた種としか思えない。

心理学-新自由主義自民党通底している。

2023-10-14

文科省財務省のバトルについて解説するよ」のブコメについて

https://anond.hatelabo.jp/20231014043358

についての

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231014043358

お話です。増田自称財務省主計局元中の人だけど、ホントかどうかの判断自己責任よろしく

参考資料の学級規模と教員一人当たりの生徒数のギャップを見る限り先生余っているはずだけど公立学校見ているとどうも余っている様子は全く見られないのなんでなんだろうなあ

足りないのは事務員なんだよね。自治体予算には限りがあって教育分野でも削らざるを得ない、でも教師雇用処遇相対的に守られてきてそれほど減らせない、となると他の部分にしわ寄せが行って、事務員が足りなくなった分、教師事務仕事をこなすことになって多忙になると。人件費単価は教師より事務員の方が低いから、教師の枠を事務員に振り替えれば、学校従業者数を増加させることになって職場環境改善できるんだろうけど、世の中うまくいかないよね。

とりあえず予算査定する側とされる側が対等にバトルしているという幻想は捨てよう。実際、他省庁が財務官僚に「査定のお願い」に行く際、財務省側は二ランクか三ランク下の官僚相手をする程の権力差がある。

よくある財務省ツエー論の根拠の一つとして挙げられる話だけど、実態全然違います。9月の最初ヒアリングは、要求網羅的に聞くから各課課長主査課長より2ランク下の課長補佐クラス)に説明するけどーー各担当補佐が説明するとなると、ヒアリング日程の調整やヒアリング現場での説明者入替え等のオーバーヘッドがかさむんですよーー、その後は普通に主査と補佐で議論してるからね。まあ各省庁の文化の違いや課長キャラで補佐に下ろさず課長が出てきがちな場合もあるけど、少なくとも主計側から主査は補佐を相手にしない、課長を出せ」なんてことを強いているわけではありません。

ともあれここ数十年財務省の力が強くなり過ぎているのが国力を削ぐ結果に繋がっているので、財務省は分割解体されるべきである

こうした主張、はてブに限らずいろんなところで見るけど、なんで一定説得力を持っているのかさっぱりわかりません。だって大蔵省財務省にとっては、ここ数十年、国債残高を減らすことが悲願なわけですよ。で、それを一度たりとも成し遂げていません。バブル末期に赤字国債脱却はできたけど、その間も建設国債は増えていて残高は右肩上がりバブル崩壊後はご覧のありさまですよ。増田個人的には国債残高減少を金科玉条として目指すことには批判的ですが、だからこそ、財務省が悲願を実現するだけの力がない弱っちい役所でよかったなあ、としか思えません。

補正予算になると精査もせず30兆ぽんと出し、剰余金一般会計に繰り入れて好き勝手に使う財務省文科省にだけは強気だけど、他の省庁にもちゃんと物申したらどうですか。大蔵省の頃はやってたと思うよ。

農水省国交省中の人たちからすれば、文科省はうらやましい限りだと思うけどなあ。増田主計局を離れてそこそこ経つので、例えば最近防衛費増の受け止めはわかりませんが、増田がいた頃は、文教費は、社会保障や地財と並んで扱いが難しい予算だ、というのが一般的認識だったと記憶してます文教族は政治力いからねえ。

2019-11-08

英語入試問題本質

ババ引かされたのは受験生だ! 英語民間試験 なぜ国は推進した

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191107/k10012167391000.html?utm_int=tokushu-new_contents_list-items_002

私たち官僚矜持とは、政治から不本意政策下りてきた時、それが理にかなわなければ「無理です」と説得する、もしそれがかなわずとも、その政策を、広く合理的説明できる程度までしっかり練り直すものだと思っていました。」

止めたいと思っている役人はいるけど、止められる役人はいません。

エビデンスがないから。

もちろん、文教族に歯向かえる勇気もないけど。


そもそも文科省教育施策は、科学的なエビデンスというより、

文教族国会議員が言った(元大臣など)

中教審会長が言った(大臣と仲がいい大学学者民間有識者など)

で大きな方針が決まっていて、それを実現するために利害を調整するのが役人。。。。


「そうはいっても、審議会有識者会議でも審議して決定してるんだから一方的意見だけじゃなくて、反対意見もあるだろうから調整されるんじゃないの?」


そんな指摘もあると思うが、審議会有識者会議は、大きな方針を実現するための装置しかない。


有機会議を開催する時点で、ある程度の結論は決まっていて、何を言われようが結論は変わらない。異論が出ても最後は、役人が根回しをした座長議長)に報告書の決定が一任されてしまうので、役所が得たいような結論が出る仕組み。


対外的には、決定された内容については「第三者構成される有識者会議で決定されました!」「審議会で決定されました」といった客観的意見であると主張できる。

ただ、実態は、役人が手をまわしている都合が良い内容の報告書なので、当然、それ自体が本当にやるべきことが書いてあるものではないので、科学的なエビデンスになるわけではない。

しかし、それがエビデンスかのような政策手法が横行しているのが文科省・・・

報告書根拠は、有識者意見です!と都合よく解釈しているけど、その有識者を選んだのも、有識者に言ってほしいことも根回しするのは文科省・・・

こうして、文教族国会議員などの一部の意見に基づく施策が展開され、諸外国の動向や、教育学者意見ほとんど参考程度。

ここが本質的問題なんだと思う。

天下り法人利益誘導するため、とかは、的外れ



文科省役人は、誰かが決めたことを忠実に遂行するための整合をとったり、利害を調整することには優秀。

だけど、どういう入試制度がいいかエビデンスに基づいてしっかり考えていないから、政治家を説得する、ということができないんだろうな。

教育分野は他の分野と違って、みんなが教育を受けてるからある意味自身体験に基づく意見施策に反映されがち。

からこそ、他の分野よりも一層、エビデンスが求められると思う。


再発防止策は、役人能力向上と、役人ちゃんと考えたことを実行できるという意味で、政治から独立性(透明性)の確保、、、だと思う。

たぶんそんな案は出てこないだろうけどw

2019-08-03

40歳 派遣社員 夏(追記しました)

40過ぎの派遣社員だが悩みを聞いてもらいたい。

氷河期煽りをモロにくらってマトモな就職がただの一度もできず、薄給手取り15万円)、パワハラ、始発終電上等のブラック企業渡り歩く。

1年くらい前からとある会社で働きはじめた。

ここが今まで務めた企業での待遇ウソみたいな超ホワイトっぷり。

給料トンカツをいつでも食えるくらいもらえる、多少堅苦しさはあるもの職場人間関係もいたって良好、10-18で残業は一切無し(1年務めたけどホントにただの一度もしたことがない)。

で、最近ついに正社員登用の話が来た。

条件聞いたら勤務体系は今までと同じで、給料が800万円くらい、さら役職付いたら1,000万円超えるらしい。その日の食費にすら事欠いてたワープアど真ん中の1年前から比べたら高低差で耳がキーンとなるくらいだ。

普通だったらノータイムで「なります正社員!」とこたえてるところだが、なかなか世の中うまくできてるものでこの会社が実は新興宗教団体なのだ

今までは派遣社員からセミナー研修会のお誘いをのらりくらりとかわしてきたけど、正社員ともなるとそういう訳にもいかないっぽい。

役職につく、ということはその宗教ステージが上がることを意味している。

さらに最悪なのが、この会社日本会議とかとべったりでホメオパシー親学団体ともかなり深く繋がりがあるのだ。

こんなに待遇の良い仕事はこの先ないのはハッキリ分かってるんだけど、カルト片棒担ぐのはまっぴらゴメンなのでめちゃくちゃ悩んでいる。

カルトじゃないけど、パワハラ反社の手先みたいになってるAKS吉本興業社員もこんな感じで悩んでたりするのだろうか。

追記

初めて増田書いたんだけどこんなにかまってもらえて驚いてる。他人に気にかけてもらえるのって嬉しいものなのね。アドバイスやら助言、ありがとうございます😊

カルトって書いたけどこの団体自体違法なことは自分の知ってる限りはやってない。むしろ官公庁からけっこう表彰されてる。

表面的にはマトモなこと言ってるし、なんなら政権与党とうまくやってて文教族議員セミナーにやって来る。

ただそのセミナー排他的雰囲気と、社内のそこかしこ創始者と2代目の写真が北の偉い人みたいな感じで飾られてるのを目にするたびに「きつー、、、」とおもってしまう。

じゃがたらの「もうがまんできない」がめちゃくちゃ心に響く毎日です。

あとタイトル今井美樹の「TOKYO 8月 サングラス」と渡部篤郎がやってたドラマから拝借しました。

2018-03-27

前川佐川の差に、文科省財務省の差を見てしまい、文科省やっぱあんなもんかと文教族まで含めて絶望するお仕事

2017-02-25

森友学園国有地取得で会計検査

森友学園国有地取得で会計検査

https://this.kiji.is/207438898890506241

情報提供の受付

https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2

二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつ伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである

戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである

保守勢力自民党文教族文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚国歌斉唱、「教育勅語」の再評価修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣天野貞祐文相は、その嚆矢である内藤誉三郎(文部事務次官参議院議員第一大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。

教育機関国民国家歴史や意義を教えることは必要である国民国家は、現在国際政治基本的単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズム時代国民国家というシステムいかに無理なく保守管理運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である

あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である

東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。

東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い

今日ほど「君が代」に関する議論劣化した時代はほかにないだろう。

君が代」を歌うか、歌わないか問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守愛国であり、歌わなければ左翼反日である即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している

1999年に「国旗国歌法」が施行された

ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼のもの勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。

1890年2月帝国議会の開会を直前に控え、地方治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳樹立を求めた。

→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

日本神の国であり、世界指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである

しろ教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

日本日清戦争日露戦争勝利し、帝国主義列強一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた

君主たるもの特定政治的宗教的思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的否定言葉を使うべきではない

また、井上帝国憲法の起草者として立憲主義尊重し、「君主臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

もちろん、自由民権運動対策念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想軍国主義権化のごとき過激ものでもなかった。

追加修正

西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

1919年、『勅語衍義』の執筆者井上哲次郎によって「教育勅語修正を加へよ」という論考が発表された

この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左

教育勅語」は、狂信的な神国思想権化ではないが、普遍的通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

2008-09-27

中山成彬国交相の失言問題って

失言っていうより、自民党文教族スタンダードだろ。あれ。

 
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