はてなキーワード: 証左とは
この両者の差はなんなのか?
例えば、女性が欲しがるキャラクターグッズは、そのキャラの絵そのものが描かれたものではなく、わかる人にしかわからない、そのキャラの何かをモチーフにした一般的なデザインのものが好まれる。これは歳を重ねるごとにそうした傾向が上がっていく。
一方男性は、俺の嫁を車にペイントしてしまう痛車のような、直接的なキャラクターグッズを求める。車を持てるような歳になってもだ。
そこには、他者に対する遠慮があるかどうかが差として出てきているのだ。
ここが問題の本質であって、描かれているキャラクターが性的かどうかは関係ないように思われる。性的かどうかの議論なんて、まず萌え絵に対する不快感が先にあって、なぜそれが出てきたのかを考えた時にわかりやすくとっつかれる生贄のようなものである。
そしてさらに、女性オタクは同類の女性オタクに対しても遠慮を求める。一方男性はそういうことは気にしない。検索除けという文化が女性向けのBLサイトにしか広まらなかったのがその証左である。
そういう男女の他者に対する遠慮の差が今日の街中萌え絵ありかなしか議論を呼んだ。萌え絵に遠慮を求める側がたいてい女性なのもこれで納得がいく。
他者に配慮して萌え絵を排除させる方向を望むか、他者の不快感に遠慮せず自分たちで萌え絵を楽しむ方向を望むか、あなたはどちらかな?
「これは犯罪になってるけど、理屈では納得できない。別にやってもいいんじゃないか?」
とか考えてる人
法律が、普遍的善悪の基準と完全に被さっていなくて、そこからはみ出た部分(A∪B-A∩Bみたいな??)が犯罪になるのよね
普遍的善悪の基準って言っても、人間は神様じゃないから本当は普遍的でも何でもないんだけど、生きてる限りは自分なりの正義があって、だからこそ面倒くさいんだよね
まあ、各自が想像する任意の普遍的善悪の基準に当てはめてもらっていいんだけど
この前、視覚障害者が店の予約?入店を断られた?ってニュースあったじゃん
その時に、コメントの一つに、「障害者差別解消法に定める合理的配慮に反しています」ってコメントがあって、うーんって
じゃあ障害者差別解消法がなければあなたはどういう武器で店を責めるの?
「何人たりとも差別されるべきじゃない、出来る限りの配慮をしたうえでの入店拒否なのか?」って言った方が、論理的にしっくりくるし、法律を武器にするのは時として悪手になる
見方として、法律が普遍的善悪を過不足なく包摂していて、過不足なくその基準になってるって盲目的に信じ込むのは、危険だし、そう信じ込めること自体が、幸せであることの証左な気がするなあ
そもそも論として法律は普遍的善悪の基準じゃなくて社会の行動規範って言われればそれまでなんだけどね、もちろん、そういう面があるのも事実だけど
「自分は悪いことをした」と「自分は社会を乱した」はトータリーイコールにはなりませんよねえ
所与のもの(既存の在り方、既成概念)を疑うことが、なぜか法律だけにはなかなか適応されない(される場合でも、性犯罪(セクシャリティ)の問題など、非常に感情論的な疑い方にすぎない)事実は、あるんじゃないかなあ??
http://anond.hatelabo.jp/20160413011057
まだ見てくれているかな・・・?①について補足すると言って時間が経ってしまいましたね。遅くなってしまいゴメンなさい。
※ラブライブ!論争の流れは下記のページにまとめました。興味のある方はご覧ください。
http://kato19.blogspot.jp/2016/04/lovelive-hihan.html#nagare
正直なところ『逃げていた』っていうのはあります(笑)やっぱり大好きな作品を納得いかない理由でけなされるのはストレスが溜まるものですからね。でも、ずっと小骨が引っかかっているような気分でいましたので何度か読んでは感じたことを書き留めてまとめました。
既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。
これは今だから思うのですが、当時の自分の感覚としては、本当に怖いというか危機感を持っていたんですよね。増田氏とは観測範囲が違うのかもしれませんが、今も当時も増田氏が言うほど絶賛派が多いとは思いません(あくまで劇場版についてです)。検索では完全否定派のブログも目立ちますし、完全否定ではないですが批判的な内容のブログも少なくないと思います。しかし当時は絶賛派の感想がひと段落した後も、ときおり注目されるのは否定的な言説で・・・このままだとアニメ史において駄作として記録されるかもしれないという危機感はありました。(増田氏は正反対に絶賛で記録されるのが許せなかったのでしょうが・・・)つまりお互い同じような危機感を持っていたのかもしれません。とはいえ、増田氏のような原作派(初期作品群派)は確かに少数でしたので『多勢に無勢』感というのはあったのでしょう。私としては大勢いる批判派の一派という感覚で十把一絡げにしてしまったところはあります。そのあたりは認識不足でした。
とありますが、自分が記事を投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。
おっしゃる通り、ネガティブ派を単なるアンチも含めて大雑把に捉えていたことは反省しています。個人としてある程度継続的に批判意見を提供していたのは、おりあそ氏(ともう一人いたのですが失念)ぐらいかもしれませんね。とはいえ、当時は肌感覚として否定的なイメージで塗りつぶされる恐れを感じていました。(増田氏にとってはアニメ版によって初期作品の設定などが塗りつぶされるという恐れがあったわけで・・・サンシャインが放映されている現在ではその感覚をさらに強くしているのかもしれませんね。)ただ私が増田氏に強く反応したのは、明らかに誤解している点(絶賛派はウソをついている)を否定したかったからです。
強調されている『海外ドラマのパクリ疑惑』について真偽の検証はしていません。しかし仮に盗用されていたとして『だから駄作』なのでしょうかね?当該作品は未見ですが有名作品だとすれば、それに似ていると言うことは逆に面白いということの証左になってしまいます。海外ドラマのファンなら白けるのもわからなくはないですが、見ていない人にとっては『だから駄作だ』といわれても、それこそ内容と関係ないじゃん?と感じるわけです。『よく似た脚本の海外ドラマがあってそちらはもっと面白いよ』と言われて『じゃあそちらも見てみるか』ということがあっても、『よく似た脚本の海外ドラマがあってそちらはもっと面白い。だからこのアニメは面白くない』といわれても、それは別の問題です。
ラブライブが好きなら検証する義務があるのでしょうか?視聴者にそんな義務があるはずもありません。問題があるとすれば製作側の問題で、面白いと感じたファンが何か対応する話ではないはずです。なぜ増田氏がそこに拘泥するのか?それはやはり、自分の愛する初期作品が『盗作』などという行為に汚されたという『怒り』や『不快感』なわけでしょう。原点が初期作品群であり、アニメ1期から強い否定感情のある増田氏にとって、2期はもう内容云々の問題じゃないわけです。
結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品を批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります。
『作品内容の是非がどうであれ布教をしたい』これは明らかに間違いです。繰り返しになって恐縮ですが、少なくとも自分は素直に素晴らしい出来だと感動したのですから。ただ、そう思わない人がいたとしてその人の感覚が間違っているとは言いません。しかし自分にとっては間違いなく真実なわけですよ。『ファンである状態を共有したい』ここが増田氏の論理の最も疑問な点ですが、これは私たち絶賛派よりもむしろ『中間的な層』(劇場版はついていけなかったけどイベントの一環として楽しんだ層)にいる可能性はあると思います。増田氏はそういう中間層も絶賛派に加えているのかもしれません。だから絶賛派である自分は、ラブライブ!ファンの中でも多数派ではない感覚があるのかもしれませんね。繰り返しになりますが『ファンでありたいために駄作を傑作と思い込もうとしている』などということはありえません。本当に傑作だと思っているのですから。具体的な点は以前ブログに書いた通りです。その感動が甘い・幼稚だというならともかく、嘘をついていると言うニュアンスになると間違っているとしか言いようがないです。
『作品を批判する人を減らしたい』これは当たらずも遠からずです。最初に書いた通り、批判派はこの作品を『駄作』として後世に伝えようとしているように見えたのです。絶賛派が一通り感想をあげた後、上塗りするよいうに駄作のレッテルを貼っていく。劇場版を見ていない多くの人は分かりやすいレッテルに影響されます。はっきり言って劇場版は『難解な作品』です。なんの準備もなく初見で見れば理解不能です。それだけに、今後のアニメファンに誤解した歴史が伝わって欲しくなかったのです。増田氏の言うような歴史、つまり『絶賛している人も本心では駄作だと思っていたのにラブライバーでありたいがために絶賛していた』などという明らかに間違った認識が広まらないようにしたかったのです。もちろん発言は自由ですがら、私としてはきちんと反論を公開しておく事でバランスを取りたかったのです。
いや、そこまでは言ってないのですが・・・面白くないなら(嫌いなら)仕方ないですよ。でも絶賛派をおかしい人呼ばわりすることに反論しているわけです。盗作問題と面白いと思う感情は別。目をそらしていると言われればそうなのかもしれませんが、絶賛したファンに『直視して反省せよ』というのでしょうか?まあ、本音を言えば私は劇場版の絶賛派でTV2期の心理的ウエイトは低いのが正直な所でもありますけどね。それよりも、増田の本当の目的は『初期作品の擁護』であって、そのためにアニメ版の粗探しをしているのは明白なわけです。だから私は増田氏が本当の目的である『初期作品の良さを広める活動』に徹するべきだと主張したのです。
初期作品を愛する増田氏から見て、ある意味『乗っ取ってしまったような形』になったことは申し訳ないなぁとおもいつつも、アニメ版が初期設定と連動していない問題と、アニメ版の評価(特に劇場版)は別にしてもらいたいなぁと思います。そうは言っても感情的に割り切れないとは思いますが、私はアニメ作品としてのラブライブであり、劇場版はその流れの到達点として捉えているので。
その点については正直ホッとしているのですが、そこが論点にならないとすると、結局は譲れない根本問題になってしまいますね。増田氏の言うとおり、私はたしかに初期作品群の『ラブライブ!』を全くと言っていいほど考慮していません。しかしそれを『蔑視につながっている』は飛躍のしすぎでしょう。差別はされている方が感じることだとは思いますが、申し訳ないが蔑むような気持ちはありません。無視すること自体が蔑視であるというなら仕方ありませんが・・・。ですから私は、増田氏は思うところをポジティブにアピールして欲しいと主張していたのです。
あと、レストランの喩えは恣意的すぎるように思います。『この例えにおいては料理の種類や味というのが作品の物語性やキャラクター』っていうのもいくらでも言い換え可能です。1歩譲って小説ならともかく『アニメ作品』においてどれが一番重要かなんて切り分けることに意味を感じません。特に劇場版においては、多少整合性に疑問があったとしても適当に補完できる程度の問題なわけで・・・まあ、また堂々巡りになってしまいますが。増田氏のこだわりは残念ながら理解できません。
結局のところ『お互い理解できない』で終わってしまうのは仕方ないのですが・・・もし後世の人がこれを読んだとして、これだけの極端な絶賛と批判がある作品だった事は知って欲しいかもしれません。とても一言では片付けられない・・・色んな思いが乗っかった作品(群)でした。
3,指摘がログに残ってればあとはどうでもいい
等々
http://anond.hatelabo.jp/20160715151635
放置して残しておく価値もないってことだろ、バカは相手にされなくて発狂しちゃうからそこまで思い至らないんだろうけどな
http://anond.hatelabo.jp/20160715152305
残すことに価値を見出してるんだ
誰もそんなこと言ってないけど?情報に価値がある場合があるのであって残すことに価値があるのではない。というわけでキチガイがなにもない壁を見て爆笑してるということだな。
消すコストを発生させることで残ったものに価値が出るんだ。
俺のどこの発言をどう曲解させるとこうなるのか意味不明すぎるので論理展開をきちんとつけて説明してみて欲しいものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160715153722
・なのに何故「記事を消して」まで「残す」操作をしてるんだ?
なに言ってんのか意味不明なので具体的に。消してるなら残らないだろ。
勝手に残ったものに何か意味を見出してるのか?
・なんでわざわざ消す/消さないの選択をしてるんだ? その判断基準は?
・まあ、一言で言うなら「自意識過剰」
議論の質で判断してると明言されているのに悔しいと思って消してるに違いない!!とかこだわる方が自意識過剰だわな。
・増田というコミュニティの観点から言えば「他の人が参照するときにリンク切れになるからそれは迷惑行為」
低レベルの議論は参照する価値もないと明示できていることになる。残す方が、またそれに反対するほうが有害行為。
・迷惑行為と認識していなかった上で消していたのならばまだ改善の余地はあるが、迷惑行為ではないという認識の上で勝手に消しているのならば「お願いだから死んでください」って話になる
増田君はどこまで自分を誤魔化しきれるかな。
自分で自分の理屈を疑ったことがないバカに限って自分は正しいと思い込んでるという良い証明だ
あとこれも答えてくれてないので具体的に頼むね
消すコストを発生させることで残ったものに価値が出るんだ。
俺のどこの発言をどう曲解させるとこうなるのか意味不明すぎるので論理展開をきちんとつけて説明してみて欲しいものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160715203711
相手の文章や行間から文意を汲み取ってご覧。大丈夫、僕は「そんなこと書いてないじゃん?」みたいなことは言わないよ。
バカの論理展開を読み取るのは普通の人間にはムリなので言語化出来るようになってから口を開こうね
明確に否定された書いてもない文意を勝手に読み取ってたバカがなにを言ってるのやら。
消した記事に価値が無いという判断は誰がどのような判断基準で行っているのかな?増田君に消す権限は確かに与えられては居るが、消せることとその記事に価値が無かったことはイコールにならない。記事の価値は読んだ人によって異なる。逆に言うなら読まれなければ価値を判断されない。
その根拠はどこにあるのかな? 増田君、答えられる? 「自分がそう思ったから」ではSEALDsの人と言ってることが同じになっちゃうよ?
自分勝手に判断することは賢い人のやることかな?合意形成を怠ってはいけないよ。
世間一般の常識という存在を知らないバカがいるらしい。たとえば「AがBに変化した」と言ったら「A=Bなんだな!」とか言い出すレベルのキチガイとの議論を残す価値があるのか?笑
あると考えてるならおまえもキチガイだから。SEALDsレベルの連中の意見を参照する程度のバカには理解できないということがよくわかるな。
キチガイはキチガイ理屈をわめきたてておいて自分勝手に判断されたと文句を言うのか、とりあえず自分の腐った脳みそから発せられる言葉をきちんと言語化して説明できるようになったり自分の考えに疑問を持てるようになってから社会に出てくれないと誰からも相手にされず一生孤独のまま死んでいくのが確定だよと誰かおしえてあげなかったのかなぁ
・迷惑行為と認識していなかった上で消していたのならばまだ改善の余地はあるが、迷惑行為ではないという認識の上で勝手に消しているのならば「お願いだから死んでください」って話になる
は論理展開のない感情論をぶつけてるだけの典型的なバカ発言だという指摘に対して
そうだね! そうかもしれないね! 増田君の中ではそうなんだろうね!
僕はそう思ってはないというなら根拠もないのに主張と死ねを組み合わせるレベルの腐った脳みそをお持ちのマヌケだという証明になるな
http://anond.hatelabo.jp/20160715210627
あれだけ歴史のある企業だから仕方ないとは思うんだがどれもこれもおっさん臭すぎる。
失敗した、失敗した、失敗した、失敗した・・・
そういう話ばっかりだ。
しかもOBの話はどれもこれもあいつが悪い、こいつが悪いで他人に責任を求める発言ばかり。
はっきり言って見苦しい。
それに加えて「OBの発言は正しかった・・・」とOBの手柄にしようとするようなわけのわからん記事ばかり。
うんざりさせられる。
そもそも、米コジタイに出資したのも元AIBOの技術者が社内にいてその繋がりでというのを覚えてる・知っているやつはどれだけいるのか。
それに失敗すれば切り捨てればいいだけだ。
GoogleやAmazonを見ていればわかるが発展性のある分野に進出して失敗したら即切り捨てるのは今時は最早常套手段だ。
SONY関連の記事を見ているとSONYという会社自体は柔軟で先を見据えているように見えるのに(AI開発の分野に入り込んだのがその証左だろう)、外部の関係ない人達が旧態依然とした白物家電メーカーの役員のようにすら見える。
「失敗する要素を次から次へと探して気持ちよくなりつつ、あわよくば成功した時に備えて手柄は横取りできるように先手うっとこ」
という下衆い感覚が見え見えだ。
気持ち悪くて仕方ない。
わかった、お前の理解力に合わせよう。
まず原作のコンテンツ的価値が原作者の発言力や選択肢を変えることを説明しよう。
強者パターン:面白い 売れる 他社に流れて欲しくないくらいの作品
こうやってメディア化に対しても手綱引いて原作者の思惑通りにするのには
実際にそうやって主導権握ってるやつもいれば逆に放任して任せてる場合もある。
原作通りに再現してほしいなら発言に力が出るだけのコンテンツ的な価値を生み出す能力が必須。
それがクリアできてない時点で何を言っても負け犬の遠吠えにしか過ぎない。
弱者パターン:くまみこ(期待値低い 萌え豚アニメ 波及効果低め 原作の売上並み程度)
そこでできる選択肢は手伝うという体で監修してチェックして駄目だしをする以外にはない。
あと露骨に監修しないにしても監督と仲良くなって作品の理解を上げるとか愛してもらうようにするとか
金のかからないテクニックを使って作品完成度に影響させることもやろうと思えばできる。
それ含めて様々な努力をくまみこはしなかったのに自分の負けポジも自覚せずにファン目線での発言。
例え利益率が低くてもそれをできる人間が原作者の自分しかいないならやるべきことであったのにあの発言。
やらないならやらなかったときの結果(くまみこ騒動)を受け止める以外に選択肢は無い。
「手弁当になるからやらない」という選択をしたから今の結果があり、
それに疑問を持っているようでは自分の負け犬ポジションを理解していないことにも繋がり低IQの証左。
負け犬は負け犬なりに方々走り回りケアして小銭になるように苦労しなきゃならんのよ。
「国に届け」を批判している奴等は少女漫画も等しく批判しろってブコメがあるけど、むしろ逆じゃね?っていう感想
「国に届け」とは若者向けに選挙への興味を持って貰うために自民党が配布した漫画のようである。
この作品について、一部の方々から若者や女の子を馬鹿にしているのでは?という声が上がっているらしい。
「国に届け」自民党18歳選挙の漫画パンフに「女の子をバカにしているのか」の声も
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/20/jimin-18voice-kuninitodoke_n_10075554.html
実際のところ作品を見たわけではないので件の作品が若者や女の子を馬鹿にしているような表現かについてはよくわからない。
この手の声というのは「え?そんなことで?」とか「過剰反応なのでは?」と思わせる内容だったりするから是非は置いておこう。
元々の批判というのがよくある過剰反応的なものであるから、この手の批判に対する批判もよく見る光景である。
んで、今回気になったブコメというのが以下。
・ 少女漫画はそんなのばっかなんで、それを批判するなら少女漫画も批判せよ
・ これでバカにしてるだったら、萌え系のマンガは全部女の子バカにしてると思うだけど、そっちはいいんだ
・バカな女の子を出したら女性蔑視なら世の創作物には聡明な女の子キャラしか出せなくなるじゃんアホくさ。被害妄想も大概にしろや。
・とりあえず少女漫画から100作品ぐらい無作為抽出して恋愛要素が本筋に絡んでくる作品の割合を算出してから反論してください
という、これを許さないんだったら他のはどうなの?という、お馴染みの定型ブコメである。
しかし、これ反対なのではなかろうか?というのが今日の感想である。
批判の内容はともかくとして、今回批判が上がったのは政党が発行したものだからであろう。
今回批判の声を上げた方々が一般の漫画に対して批判を行っているかどうかというのはわからない。
もし仮に「国に届け」に対してだけ批判をしているのであれば、党が発行する公共性の高いものと個人が楽しむ作品は別物と区別できている証左である。
菅野完著「日本会議の研究」を読んだ感想、ではなく、疑問点をつらつら書いていく。ホントはまとめて読者お便りにでもしたかったのだけれど、切手代が惜しくなったので、気になった点を列挙していく。なお、これを読んで本書の内容を知った気になって恥をかいても知りません。
以上のように、筆者が単行本化に際して加筆修正すべきであった点を放置して世に出したのは、筆者と出版社の怠業である。一方で、本書を「巨大陰毛組織、日本会議の全貌」のような内容という理解で評価するのは本書を読んでいないか読解力が不足している。
見たんだよ、昨日ね。
テレビ草創期に生きた、存命の人物をネタにしたバラエティで、描こうとしてるものはまさに「テレビの世界」だ。
なんだよ、くっそおもしろかったわ。
なんだよ、あれ。
すげーわ。
地の黒柳徹子としての感情表現、つまりドラマに必要な演技もこなすし、この企画が要求するメタな面白さみたいなとこも、きっちりやりやがる。
しかも美しい。本当に美しい。横顔なんてマジで神々しいんだよ。
その誕生のころを組み替えたネタでしか、楽しませられないのか?
出演者、裏方これだけを集められるのはやはり、テレビというかNHKがまだ死んでないことの証左ではあるかもしれない。
森繁も渥美清も永六輔もみんな死んだ。徹子も長くない。テレビ持ってない人の方が多くなるのもそんなに先じゃないかも。
まだ初回だが、この番組の出来が良ければ良いほど、臨終のテレビへのはなむけ的な雰囲気になりそう。
ブコメの人へ
どうも増田は①「二次元さえあれば生きていける」などという考え方は誤りで、②「世間が求める”普通”を追い求めることこそ重要である」という考えが正解であると思っているように見受けられる。
しかし、それは間違いではないか。①②両方とも正しいのではないか。
若いうちに恋人を作り、結婚し、子育てをするという、いわゆる”普通”の生き方というのは、日本の民法が定める婚姻制度と、それを基礎とした相続制度や税制度が作り上げた一つのモデルにすぎない。
そのため、このモデルというのは明治以降の代物にすぎず(恋愛結婚まで含めれば戦後の代物というべきかもしれない)、別に日本伝統のものというわけではないし、このモデルに従ったときの問題点も近年噴出している。これは田舎での離婚率・家庭内別居率の高さ、近時の芸能人による不倫報道を見れば明らかだろう。
(増田流に2chのコピペから考えれば、「結婚は人生の墓場」コピペなんかもこの証左となるかもしれない。)
結局、①も②も生き方として良い点もあるし、悪い点もあるというとで、どちらが正解というのもはない。
(この点を勘違いして、②が正解であるとの固定観念に陥ると、いざ結婚したのちに、今度は「普通の人生がいいと思っていた」みたいな増田を書くことにもなりかねない。)
それを踏まえて、今回増田は、これまで消費してきた二次元コンテンツの廃棄を通して、価値観が①から②へと変化したにすぎない。
増田は二次元コンテンツの消費を通して成長ないし変化したのだ。
今回の件で増田が②の生き方をよしとするなら、それに応じた努力をすればいい。さしあたっては、美容院に行く、服を買う、出会いの場を作る、というような方途が考えられるだろう。幸い、これらの行為は全てインターネットを通して調査・実行することができる。昔に比べればハードルは低い。
エロゲーという表現形態はどうしても一段低く見られがちだが、その基礎にはクリエイターたちの必死の努力と研鑽がある。その消費によって得られた体験は、その努力と研鑽に応じた素晴しいものがあるはずだ。