「日常」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 日常とは

2024-08-21

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の会話まとめ(2024.8.12~8.18)

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

全体的な特徴

多岐にわたる話題: 日常生活食べ物趣味時事問題テクノロジーなど、幅広い話題が扱われています

個人的経験の共有: 参加者自身体験意見が多数含まれており、活発な意見交換が行われています

時事ニュースへの関心: ニュース記事リンクが共有されるなど、時事ニュースへの関心が窺えます

食べ物話題の多さ: 食に関する話題が多く、特に食事の好みや新たな食べ物発見に関する会話が目立ちます

イベント趣味に関する話題: コミケライブスポーツなど、様々なイベント趣味に関する話題も頻繁に上がります

期間ごとの主な話題

8月16日〜18日: 読書感想文夏休みの宿題イベント食べ物音楽ライブなど、学生生活趣味に関する話題が中心です。AI活用した読書感想文の書き方や、ライブでの体験談などが共有されています

8月13日〜15日: 地震台風食料品ニュースなど、社会的話題が中心です。災害への備えや、食料の確保など、実生活に直結する話題が多く見られます

8月12日: コミケピアノ食べ物など、趣味日常生活に関する話題が中心です。コミケでの体験談や、食べ物の好みなどが共有されています

頻出キーワード

食べ物: コロッケアボカド、米、コーヒーアイスなど、様々な種類の食べ物話題に上がります

イベント: コミケライブスポーツ観戦など、様々なイベントに関する話題が取り上げられます

テクノロジー: スマホアプリBluetoothスピーカーソーラーパネルなど、テクノロジーに関する話題も頻繁に登場します。

災害: 地震台風など、自然災害に関する話題も多く、備えの重要性が強調されています

参加者の関心

食への関心: 新しい食べ物や美味しい食べ物を求める傾向が強いようです。

イベントへの参加: コミケライブなど、様々なイベントに参加し、その体験を共有したいという意欲が見られます

時事ニュースへの関心: ニュース記事を共有し、意見交換を行うなど、社会的出来事に関心を持っていることが分かります

テクノロジーへの興味: 新しいガジェットアプリに興味を持ち、情報交換を行っています

災害への備え: 地震台風などの自然災害に対する備えの重要性を認識しており、情報収集を行っています

まとめ

このチャットログは、参加者たちの幅広い関心を反映しており、日常会話から社会的話題まで、多岐にわたる内容が盛り込まれています特に、食やイベントテクノロジー災害といったテーマに関心が集中していることが特徴です。参加者たちは、これらの話題について活発に意見交換を行い、互いの経験知識を共有しています

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

anond:20240821070020

弟の暴力について

私の弟は小さい頃から私に暴力

振ってきます

その頃は私の方が大きく力もあったのでやり返したり止めたり

出来たのですが、中学生になってから

勝てなくなり

やり返

せば倍以上にして返されて怖いです。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104546530

弟に暴力を振るわれます。 私は高1の女、弟は中3です。 ずっと前から暴力はありますが、去年くらいから酷くなりました。 私が弟から理不尽要求拒否したりするものならすぐに蹴られたり、かかと落とし(?)もされます。 とりあえず弟の気に触るようなことをすると殴ったり蹴ったりされます。 「やり返したらいい」と思いますよね。でも私にはそれは出来ません。やり返せばその何倍にもなって返ってくるのが怖くて仕方ありません

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14199281724

弟が暴力的で疲れました。

2歳年下の弟がいるのですが、DV気質モラハラです。 赤ちゃんの時から粗暴で、私は2才の時からずっといじめにあってます

ムシャクシャすると八つ当たりをしてきます

小学校の頃はまだ力で勝てていたのですが、

中学で負けて、息が止まるほどみぞおちを殴られたことがあります

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10238595300

から暴力暴言について 昨日弟に背中を数か所殴られ、一部が腫れて痛いです。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13129177368

私の弟はまだ小学生ですが、ゲームや何か自分の気に入らないことがあると八つ当たりをしてきます

暴言なんて当たり前で、家族で私にだけ酷く攻撃的な性格になります。私がなだめても聞く耳を持たず一度カッとなると殴る、蹴る、物を投げつける、唾をかける…など散々で気が済むまでずっと休む暇なくそ行為を受け続けなければなりません。

まだ小学生の力ということもあり血が出る、痣が出来る、長時間痛む等の怪我で済んでいますが、歳を重ねる事に強くなっていますし、ましてや柔道を習っている男子の力には抵抗出来ず、頻繁なことのため肉体的にも精神的にもボロボロです

https://kids.nifty.com/cs/kuchikomi/kids_soudan/list/aid_200424186946/1.htm

私を殴る弟 気に留めない母親私は高1女、弟は中1男です。

日常的に弟に暴力を振るわれています

具体的には、殴る、蹴る、馬乗りになり何発も殴る、物を投げる

特に機嫌が悪いときスマートフォン椅子などを投げてくることもあります

弟はとても狡猾で、親が部屋を出て行った瞬間や私の部屋など親の目の届かないところでばかり暴力をふるいます

それはもう何年も続いていることで、日常になりつつあるのでもう解決することはあきらめています

しかし、最近もっとつらいことがあるのです。

母親です。

私が寝転がっているとき暴力を振るわれると、弟には「起こしてくれてありがとう、昼寝ばかりするだらしないお姉ちゃんは嫌だよね」「あんたが寝ているのが悪いんでしょう、いつも寝るなと言っているのに」(部活から帰ってきて一息ついていただけです)

私が親の見ていないところで暴力を振るわれたことを訴えると、「見てないんだから私は何もわからない、どうせあんたが弟の気に障ること言ったんでしょう。殴られないようにしなさい」

https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1064584/all/

兄弟間の暴力おどし行為https://bbs.bengo4.com/questions/568706/

兄弟間の暴力刑事告訴したいです。

https://bbs.bengo4.com/questions/298954/

怒りの感情が抑えられない(日常的に)

主に職場でだけど、仕事聞かれたりした時に、つい人に対してあたりが強くなってしまう。

職場内で1番年下(27歳のアラサー)だから雑用とか細かい仕事とかを担当業務以外にも振られてて、それなりにバタバタしているところに、マニュアルにでかでか書いてあることを調べもせずに聞かれたり、役職者がよく確認せずに楽しようとして聞いてきたりすると、なんで自分で調べないんだよ…自助努力が足りないんじゃ…みたいな気持ちがわいてしまう。

心で留めて大人対応すればいいのに(もう大人なのだから)、我慢できずそんなにトゲトゲしなくてもいいのに〜ってくらい冷たくしてしまう。

職場に、育児している女の人がいて、その人は人当たりが良くてすごい色んな人に仕事振られてるんだけど(しかも二つ返事で受けてしまう)、時短勤務の都合でタイムリミットがあり、その期限までにおわんなかった仕事の残りがなぜがそのまま私にスライドされるのも解せぬ。手当も増えないし…

その人の人当たりの良さへの嫉妬もあるし、自分の置かれてる状況を理不尽!と思ってヒステリックになってるのかもしれない。

落ちるところまで落ちると「子供自分が好きで生んで育ててるのに、なんでその分の負担を私がなんの手当もなしに請け負わなきゃいけないんですか?」ってラインを越えた発言をしそうになってしまう。まだなんとか心に留めてるけど…

返す声色がトゲトゲしたり、文句言う度に、どんどん職場での立場好感度も下がっていっているのもわかる。

自分でも止まれ…止まれ…止めなきゃと思うのに、怒りと文句が止まらん。死ななきゃ止まらいかもしれない、しょうもない怒り。

2024-08-20

バー

スポーツ観戦のチケット買ってるやつほど馬鹿はいないだろ

ボクシングが最たるもの

最近アウトロー団体興行増えてるからドーピングとか検査ガバガバとか日常茶飯事だろ

オリンピックなんかもバカしかチケット買わない

野球応援なんかも頭おかしいね

最近フーリガン乱闘なんかも多い

金払ってわざわざ治安いとこいくなんて物好きやね

anond:20240819181752

この女性カウンセラー増田ホット状態でこれはいけないねって意見も多いのに

男性の性被害に関するブコメの上位に「女のほうがもっと大変」が来てるのまじで草も生えない

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.ntv.co.jp/n/kkt/category/society/kk96914e3c478c444898c201fe7316a126

alpha_zero 被害者気の毒すぎる。そしてこれ女性だと「裸じゃないのに」「電車で」触られたり「通りすがりに」触られたりがわりと日常的に起こってるんで、その異常性をわかってもらえるとありがたい…

そうやっていつまでも男の性被害矮小化して女のほうが大変だって情報で上書きしてろよクソどもが

茶川龍之介「乳」

 禅智内供の乳と云えば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって鳩尾の上から臍の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰のような物が、ぶらりと胸のまん中からぶら下っているのである

 五十歳を越えた内供は、沙弥の昔から、内道場供奉の職に陞った今日まで、内心では始終この乳を苦に病んで来た。勿論表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来の浄土を渇仰すべき僧侶の身で、乳の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ自分で乳を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったかである。内供は日常談話の中に、乳と云う語が出て来るのを何よりも惧ていた。

 

……

anond:20240820163805

なんもわかってねえのに粘ればなんとかなると思ってるんだよなあ

あー自己紹介

日常用語としての「風」と流体圧の変化としての「風」意図的混同して誤魔化そうとしているようだけど

お前が10Hzとか25,000Hzとかの特定周波数振動「風」に含めるのであれば、それらが生物に影響を与えることは既知です

風で生き物は重大な影響を受けます

anond:20240819213243

貴方こそ勘違いしていて、この一連の話は書店と取次を守ってくれと言う話はしてないんだよ。

しろ、守ってくれと言う雰囲気を醸し出すために、趣味的な書店イベント合理性のないフェアをやっているが意味が無い、意味が無いことを続けるために真っ当にやろうとしている人らの足を引っ張るな、って話をしてるんだよ。


当たり前に出店戦略を持って経済活動を行う書店は、頻繁に撤退してはリボーンする都会のコンビニチェーン店飲食店みたいなもんだ。

多くは消費者にとって、当たり前に日常的すぎて意識して守ろうと言う対象にはならないだろうけども、そんな意識関係なく継続していくもの

そもそも消費者に守ろうなんて思われなくても継続していく業態であることが大事で、それこそが生き残りをかけた業界体質改善の一つなんだよ。

2024-08-19

  以下、ケース記録の続き

   平成31年1月27日     記録

  主が新しいパソコンを購入するとともに、志村警察署の前で拡声器でシャウトしているということ。ツイッターアカウントロックされた上に、パソコン青色の画面になって

  立ち上がらなくなったという。                       起案者  木田

   平成31年2月8日     記録

  主が、 蓮根のサイクルハウスヒロで、8000円のサイモトの軽快自転車を購入したということ。また、それとともに、志村健康福祉センター相談をしたという。

   平成31年2月14日  記録

  主が被害を受けていた209号室の篠原直樹が退去になり、類似者が東京メトロで刺傷事件を起こして逮捕されたということ。

   平成31年2月23日   記録

  主が  拡声器GLAYの歌をシャウトしているという。  近くにいた若者通報臨場した警官朝霞水門まで追跡したが途中で見当たらなくなったという。主によれば、

 朝霞水門の横の草むらから打間木通りに出て、朝霞大橋和光高校を通って帰ってきたと言う。 シェアハウス入り口警官が張っていたこからシェアハウスの裏側から入り

   事なきを得た。

    平成31年2月25日   記録

  主が東京大学法学部卒業生委員会電話したところ、佐藤と名乗る者が、電話経済学部ビルに持ち込んで入試実施中にバタバタしていたという。

   平成31年3月2日   記録

  主が初めてジェットスターを使って宮崎空港から延岡帰省したという。帰省するなり、拡声器で、延岡消防署GLAYの歌をシャウトしたらしいが、5ちゃんねるの警察官

 ヌルポガされてその場はお終いになったということ。延岡消防署の3階の警防課の大もぐらが考えこんでいる様子が上空に出てきたと言う。

    平成31年3月20日  記録

  関東厚生信越社会保険審査中嶋康弘氏から着電があり、主に関する年金審査棄却したということ。

    平成31年4月20日  記録

  主が延岡から帰宅したという。

    令和元年6月1日

   主が通院している飯沼病院担当医師である肥後から妄想をとる薬としてロナセンを紹介されたが必要がないといって断ったということ。飯沼病院では、平成30年7月4日

  の診断で、 気に入らないことがあること大声を上げる、 自閉、感情平板化、意欲の減退の状態像を呈していて、日常簡単なことは行えるが労働不能、とされている。

    令和元年6月20日~8月20日

 主が霞が関東京地検前や荒川河川敷の草むらの中に自転車で入って行って散発的に拡声器でシャウトして訳の分からないことを叫んでいるという通報あり。なんでそういうことをするように

 なったのかという質問に、今年の1月下旬からパソコンが青の画面になって立ち上がらなくなったり、去年の11月にシェアハウスの209号室の者から暴行を受けた。延岡に帰った際に、4月15日に、デリバリーヘルス従業員一触即発喧嘩があり、精神状態が段々悪化したという。

   令和元年9月4日

  主が荒川河川敷で午後10時に拡声器パソコンをつないで、テレビゲームFF8の主題歌Eyes on meを大音量で流した件で、軽犯罪で取り調べを受けることになったという。

 当日は始末書を書いただけで終わり、それ以後の取り調べは不明

     令和元年10月31日  記録

  徳丸ごみ清掃工場から連絡があり、主に生活保護ごみ捨てのAB券を郵送したということ。10月31日と11月16日の2回の期日に分けて、ごみ券を使用してシェアハウス

ガラクタを捨てるのだという。

    令和元年11月12日  記録

  主が起こした軽犯罪事件現場検証の後に、午後に、厚生労働省の2次審査に行ったという。口頭試問の公開会場は厚生労働省内にあり、丸の内線霞が関まで行った

 ということ。会場には審査官の高野伸と参与高齢女性、傍聴者などもいたが、黙っているだけで返事はなかったという。

     令和元年11月17日  記録

   主が民間会社委託して、60500円を支払ってシェアハウスの大掛かりな掃除自分費用でやったという。

      令和元年12月25日  記録

   主、延岡に帰っているという。障碍者算額の算定誤りがあったので、電話連絡をした。             起案者  宮脇

盛岡でここは行っとけってところ

教えて

 

8/23(金)に出張盛岡に行くことになったので折角なので24(土)観光してから帰ろうと思ってる

当方南関東民、車は日常的に乗ってる

冷麺食べたいのとポケGOしてるのでどこかのポケふたを見に行ってついでに観光と思ったんだけど岩手のポケふたって県の端っこにばっかりあるんだね

https://local.pokemon.jp/manhole/iwate.html

盛岡駅起点となると滝沢町のドロバンコは行くとして他はどうなのかなと思ってる

ポケふた見つつついでにこの観光地見とくといいってのあったら教えて

 

あと動物も好きなので最初盛岡動物公園ZOOMOいいなって思ったんだけど天気ちょっと崩れるみたいなんだよね

すごく大きそうな動物園だし山にあるっぽいからできれば晴れた日の方がいいよね

その流れで猫カフェやふくろうカフェとかも調べたけど色々あっていいね盛岡

 

そんな感じて車も乗れるしバス電車でもいいのでここ行っとけって場所教えて

この店でこれ食っとけってのもあれば教えて

2024-08-18

ネットアンケート結果を鵜呑みにしてはならない理由

フィクションです

実際にはアンケート調査をしていないみたいな例外は除く。

「実際にアンケートはとったし、それなりの規模でやって、それなりの人数から回答を得られた、にもかかわらず鵜呑みにしてはいけないのはなぜか」っていう話。

結論から先に書いておくと「真面目に答える回答者が少ない。そしてアンケートの方も真面目な回答者を増やすようにできていないから」となる。

以下はその理由を書いていく(以下アンケと表記)。

どういう理由でアンケに参加するのか

あいうアンケは、専門サイトが色んな所から依頼されて作ってることが多い。

作られたアンケは同時期に様々なポイ活サイトにも掲載される。

から、あの手のアンケを答えている人たちはポイント目当てにやっていることが多い。

義務だとか、何らかの思想信条でやってる人はまずいない(数%いたとして、それでまともなアンケ結果になるだろうか)。

真面目に答えてもらうために回答者個人の誠実さなんてアテにならない、ということだ。

真面目に答えても“おいしくない”

回答者個人の誠実さがアテにならない以上、ポイントを餌にして真面目に答えてもらうしかない。

しかし、問題が大きく分けて二点。

ひとつめは「真面目に、誠実に答える」ことと「ポイントが多くつくように答える」ことがイコールではないこと。

アンケで貰えるポイント数は段階的に決まっていることが多く

1.アンケ側が求める回答者であるかの事前調査アンケート

2.事前調査を通過して答える本調査アンケ(事前調査の後日に乗せられる場合もある)

特定のアンケ内容を具体的に挙げると規約に引っかかるんで多少ボカすが、例えば酒のアンケがあるとしよう。

飲酒をしない、するにしてもたまにしか飲まない人間であったなら事前調査で弾かれてポイント雀の涙

日常的に飲酒をしていても特定ジャンルの酒しか飲まないなら弾かれる可能性が高い。

そのアンケは、酒の中でもビールについて回答してほしいのかもしれないし、チューハイかもしれないし、ウィスキーだったり日本酒かもしれないからだ。

ビールだったとしてもノンアルコールだったり機能性だったり、特定メーカー可能性もある。

分化されるほど大半の酒飲みは弾かれることになるだろうが、それは「真面目に、誠実に答える」場合の話だ。

「アンケを答えている人たちはポイント目当てにやっている」ため、「ポイントを多く貰うために、様々なお酒を嗜む飲兵衛」として答えるわけだ。

そして、ふたつめの問題点だが「アンケで貰えるポイントはそれでも少ない」ということ。

ポイ活サイト独自単位を使うことで分かりにくくしているが、実際に貰えるのは数十円相当が大半である

まあ、100~200円くらいのものもあるにはあるが、海外サイトであることが多くセキュリティプライバシー面でのリスクが高い。

それを抜きにしても最後まで答えるのに数十分かかるため「真面目に答えようとはしていたが途中で飽きてテキトーに答えて切り上げよう」って人も出てくる。

ちなみに合間でチェック設問が挟まることもあるが、回答者アイマスク耳栓でもしない限り間違えようがないのでフィルターとしての意味はほぼない。

「質より量」を助長するシステム

上記の点に加え

1.ポイント交換には下限値がある。

2.各アンケートには回答者数の上限がある(先着順である)。

まず1について

先ほどアンケート1つにつき数十円相当と書いたが、これを電子マネーなどに交換するとしよう。

残念ながら交換できない。

少なくとも数百円相当のポイントからじゃないと交換させてくれない仕様からだ。

まり「色んなアンケにたくさん答えてポイントを貯めないと実質的意味がない」のである

そして、ここに2の「各アンケには回答者数の上限がある」が合わさる。

回答者数の上限に引っかかって答えられなくなる前に、ひとつアンケートにかける時間を短くする」わけだ。

「色んなアンケにたくさん答えないと電子マネーなどに交換できるほどポイントが貯まらない、その上で先着順なのでひとつのアンケに時間をかけてられない」

こんな状況で、それでも真面目にアンケに答える人間がどれほどいるのだろうか。

アンケのデザインが悪い

それでも真面目にアンケに答える人間のやる気を削いでくるのがデザインの悪さである

やたらと長いスクロール要求される、しっくりこない・要領を得ない選択肢漠然とした質問に対する自由回答、同じような質問を何度もしてくる。

PC専用、スマホ専用のアンケがあるが、その割に答えにくいインターフェース

特にクロス式の回答欄なんて最悪である

パソコンを全画面にしても収まりきらないこともあり、どの項目にチェックしたか確認するためスクロールしたり、文字が密集して読みにくかったりと誤回答の温床。

総論

以上が、ネットアンケート結果を鵜呑みにしてはならない理由である

報酬の低さ、質よりを量を助長するシステム、それでも真面目に答えようとする人のやる気を失わせるデザイン

こんな状態でかき集めたアンケート結果に、果たしてどれほどの妥当性や信頼性があるだろうか。

「それって増田邪推でしょ?」っていわれれば、まあ否定はしないけど。

多少なりとも、ああいうアンケやったことある人は、ここで書いたことを一蹴できないと思う。

自分は真面目に誠実に回答しているけど、そうじゃない人は結構いると思う」って言うんじゃないかな。

まあ、その回答自体、なんのアテにもならんけど。

もう秋葉原にはなにもない

かつて、秋葉原電気街として独自文化を誇り、オタクたちの聖地として広く知られていた。しかし、時代の流れとともにその姿は大きく変わり果ててしまった。インターネットの普及により、欲しいもの情報が手軽に手に入るようになり、秋葉原で買い物をする理由も薄れてしまった。今では、狭苦しい雑居ビルに漂う酸っぱい臭いが、かつての活気ではなく、どこか閉塞感を感じさせる。

その狭い店内に並ぶのは、ティーンエイジャー向けの安っぽい食玩トレーディングカード価値の見出せないアクリルキーホルダー、そして精度の低いプライズフィギュアばかりだ。かつて個性を持っていた店舗は、今や凡庸チェーン店に取って代わられ、街全体が均一化されてしまった。

メイド喫茶も、かつては独自文化象徴する存在だったが、今では弱者男性から金を搾り取るだけの、名ばかりのガールズバーへと変貌してしまった。観光客たちはガイドブックを手に期待を抱いて秋葉原にやって来るが、現実とのギャップ失望し、無気力な表情で街を歩いている。

かつての秋葉原は、ただの商業街ではなく、情熱創造力が溢れる特別場所だった。通りを歩けば、電気パーツを扱う小さな店が軒を連ね、手作り電子工作パソコンカスタマイズに熱中する人々で賑わっていた。彼らは、秋葉原という街そのものを生きた実験室とし、自らの手で新しいものを生み出す場だと信じていた。

一方で、アニメゲーム文化も花開き、秋葉原オタクたちの聖地としての地位確立していった。ここには、他では手に入らない希少なグッズや、熱意を持ったクリエイターが作り上げた同人誌が溢れていた。地下のショップや裏通りでは、宝探しのような感覚で新たな発見を求める人々が集い、確かに「何かを見つける」喜びが存在していた。

メイド喫茶もまた、単なる飲食店ではなく、訪れる客とメイドの間に築かれる特別体験の場だった。メイドたちはただの接客スタッフではなく、その世界観を共有する仲間として迎え入れられていた。そこには、日常の疲れを癒し、非日常空間自分解放する、独特の温かさと安心感があった。

秋葉原は、熱心なオタク技術者が自らの趣味を追求し、仲間と交流し、未来を夢見る場所だった。それは、単なる物を売買する場を超えた、コミュニティであり、文化のものだった。そうした情熱こそが秋葉原特別場所にしていた。しかし、時代の変化とともに、その魂は次第に失われ、今では過去面影を探すことも難しくなってしまった。

しかすると、秋葉原は初めから虚飾に満ちた偽りの場所だったのかもしれない。それでも、かつての秋葉原には、人々の情熱と夢が詰まっていた。しかし、今の秋葉原はその魂を失い、ただの観光地と化してしまったように感じる。

煮詰まる」はいかにして「結論が出る」という意味になったか

それでは夏休み自由研究を発表したいと思います

最初

現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである

注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである

白樺派の例

調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたこである。そして同じく白樺派有島武郎長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブ意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。

大正10年 武者小路実篤自分脚本に就て』

僕は脚本はどうしても人間精神のあらわれである上に、煮つまったものであることを要求します。


大正10年 有島武郎『筆頭語』

心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。


大正11年 木村荘八『泰西名画家伝』

長官デリニのあやが「うまく」かかるもかからぬもなく、競技――即(すなわち)対抗の空気は忽ち煮つまるばかりであった。


大正13年 長与善郎『書斎より』

牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである


昭和5年 岸田劉生演劇美論』

全体として、一つの美しさを出すけれど、旧劇の如く煮つまった味はなく、その美は甘く、低級である


白樺派以外の例

もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブ用法も多かったようだ。

明治40年イヴィッド・パーリー『くらげ』

この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。

『じゃ、この国では、宗教煮詰まって了ったのですネ。』

もとは『The Scarlet Empire』というタイトルアメリカ小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。

大正9年 ドストエフスキー白夜

私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ

こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。

大正10年 岡本一平へぼ胡瓜』

何処かに法華宗があると見え、この熱気の世界の中へ煮詰まった声でお題目をいきみ出してる。

真夏暑い日に遠く法華宗お題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。もの煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。

大正12年 佐々木味津三『呪はしき生存

単にそれを考えるだけでも、彼は天地が煮つまるように感じていたたまらないような震撼を覚えた。

「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。

昭和2年歌舞伎 第三年第十三号』

森金之丞は正直にこれに答えるが、だんだん議場(公議所)の空気が煮つまって行き怒声、罵声騒然たる裡に第一場は閉じて行く。

議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか

昭和6年 大高巌『近代支那文学史上の先駆者

かるが故に自己生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度採用することは一に権力者に反抗する意志学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護有為なる人材を作ることになる。

こちらは「集中させる」「浪費させる」ようなニュアンスか。

昭和9年 式場隆三郎バーナード・リーチ

高村光太郎は余り外に出ない。併し仕事は煮つまってきていると思う。暫らく作品を見ない。

この式場隆三郎白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか

昭和10年 丸山幹治『黒頭巾を脱ぐ』

勿論コチコ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所認識する感服癖さえある。

こちらは「頭が固い」というような用法

昭和10年 ギュスターヴ・フローベールジョルジュ・サンドへの書簡

では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。

翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。

戦後の例

戦前武者小路実篤を中心に、小説詩歌戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論交渉煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。

それに関してわかりやすいのは「国会会議検索」で、戦前の「帝国議会会議検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。

となると次に気になるのは「議論煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブ文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。

昭和34年週刊現代

しか日本側は表面上は「朝鮮総連相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから問題は煮詰ってしまった。


昭和44年『先見経済

やはり人間災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのとき判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。


昭和47年ミュージックライフ

ハイスクールからジュニアカレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジライフ煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである


昭和50年キネマ旬報

その後の二本は結局むしかえしのドラマをやるしかなくて、無残な作品になってしまった

あれも、会社方針企画貧困の為せる業で、プロデューサー監督も完全に煮詰まってしまったんですよ


昭和51年レコード芸術

あい自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。


昭和53年スイングジャーナル

でも、いつか自分のやりたいことをやらないと苦しくなるというか煮詰まちゃうわけだよね。


昭和54年ジャズ批評

昔は、自分が何をやっていいかからなかった。やり過ぎると煮詰まってしまうし。


昭和56年週刊読売

「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まちゃう」「煮詰まちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」


昭和60年 毛利子来岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』

たとえば原稿書いてて、もう煮詰まっちゃって、しょうがない、寝よう、横になると、ア、と思いついちゃう


昭和60年 チャールズ・シェフィールド放浪惑星

その問題ととっくんでいるうちにわたしの頭は煮詰まってしまい、あとをマッカンドリューにゆだねた。


昭和60年 松浦理英子いちばん長い午後』

実はそれは性的遊戯の一環ではなく、二人の交際煮詰まってしまったあげくのもがき合いであった。


結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法議論交渉文脈しか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか

ちなみに、この「行き詰まる」用法誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰ま誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。

まとめ

といったところか。

煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。

それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブイメージ適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブイメージ適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。

もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然感覚である。当初から煮詰まる」は多義的比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。

発表は以上となります。ご清聴ありがとうございました。

anond:20240817170832

サブスク=月額でサービスを買うってことでええんよな?

こうやって見るとChatGPTは切ってもいいかもなぁ

内容価格備考
Google OneGoogleドライブ 2T)年額 ¥13,000普通動画(昔ニコニコ投稿してたやつとか)や自前エンコmp3ファイルとか
Drop Box(2T)¥1,200/月エロ動画などGoogleで垢凍結の危険があるもの
ChatGPT Plus$20 ドル/月(2,953.10 円)最近使ってない気がする…
GitHub Copilot(プログラム支援AIMonthly payment $10.00(1,476.55 円)プログラム支援としてめちゃくちゃ優秀。
便利すぎて頼りすぎると危ないまである
LYPプレミアム(旧Yahooプレミアム月額 508円確か最初ヤフオクがお得になるとかで加入した。
ヤフオクは使ってないけど、メアドをサブとしていろんなサービス登録しちゃったから切れない
YouTube Premium月額 ¥1,280YouTubeは昔のテレビレベル日常的に見てるから個人的必須
おまけで付いてくるYouTube Music有用Spotifyから乗り換えたレベル
Amazonプライム年間 ¥ 4,900Amazonの買い物、プライムビデオ有用

ちょっと悩んでるの

2024-08-17

いつもテーブルペプシの缶が並んでる。

150ml増量みたいな謳い文句がずっと書いてあったやつ。いつまで言ってんだよと思っていたけど、最近デザイン変更とともにとうとうそ文言は消え失せた。

最初ペプシ飲みながら映画でも観て夜更かした時は特別時間だったけれど、それもすっかりただの不健康日常になってしまった。

静かな夜道に自分一人の足音を響かせながらコンビニお菓子買いに行って、帰りに自販機しか売ってないペプシを買う時間は嫌いじゃない。

それも深い夜にやれたら良いんだけど。ジョギングジジイや早朝出勤の会社員が現れ始める頃合いだと漠然とした焦りがある。こんな事してて良いんだろうかって気持ちの方がデカい。

空き缶は占領面積に我慢ならなくなるまで増え続ける。限度を迎えると、近くに転がってるレジ袋に詰め込んで足元に置いておく。

こんな光景も酒の空き缶だったりすれば、退廃的な悲哀の雰囲気も少しは出たかな。

おれは人生を常にシラフで生きているけれど、酒に逃げられたら多少は楽だったんだろうか。人並みに他人との交流を持って、一杯目の生をそれとなく強要されたりして、付き合い程度にでも飲めるようになってたらどうだろう。まあいいや。

ペプシの缶が増え続け、二週に一度の回収日にはなくなる。おれの生活ってこの繰り返し。

賽の河原ペプシの机。

ある朝目覚めたらタイムリープしていたとしても、おれは時間が巻き戻った事にすら気が付かないかもしれない。

昨日と同じように過ごす中で、しかしたった一つ僅かな違和感を覚える。

机に並んでいたはずの缶が無い。

自分の思い違いか

両親が勝手に来て勝手に片付けたのか。

この若さ認知症を患ってしまったのか。

吉良吉影のように几帳面泥棒が入ったのか。

冷静に事態分析する中で、妥当に思える可能性がどんどん潰れていく。最後に残された、最も信じがたい状況を認めざるを得ない。

自分意識だけを除いて、世界時間が一週間ほど巻き戻されている。

金だ。

BTTF2よろしく、この珍妙な状況の利用法が真っ先に思い浮かぶ

金さえあればこの浮かばれない気鬱な日々も少しはマシになるだろう。

株価にどんな動向があった?

どの馬が勝った?

ナンバーズ当選番号は?

ここ最近で何か重大な発表は無かったか

必死に頭を捻る。何も思い浮かばない。この一週間自分は何をしていた?

後悔する事しか出来ないまま、幻の一週間は無為に過ぎ去る。

何も変わらない。缶の数が減っただけ。

不意に訪れた絶好の機会を失い、先週の過ごし方への後悔は人生のものへの後悔へと変わる。

心の奥底から湧き出る欲望を叶えるための努力を嫌い、恐れた。手軽に買える欲望で気を紛らわす。

逃げん込んだ先の非日常すらもことごとく日常になってしまう。そうして怠惰にかまける生き方にどこか酔う事でやり過ごしていたんだろ。そう自分を責め立てる。

この奇妙な出来事が過ぎ去って、しばらくは新聞に目を光らせるかもしれない。ニュース真剣に耳を傾けるかもしれない。

でも時間が巻き戻る事は二度と無かった。

タイムリープがもたらした生活習慣は次第にフェードアウトしていく。

続けていれば超自然的な奇跡を待たずとも、大逆転ではなくとも、少しは人生が変わっていたかもしれない。

何も変えられなかったけれど、それでも得られた唯一の気付きは泥のような怠惰の中で崩れ去る。

それは結局生き方への真摯反省ではなく、奇跡の再来への浅はかな期待でしかなかったんだろう。

多分そういう奴だねおれは。

ペプシ買いに行くか。

個性の源泉を探る:能力から価値観

一般的に「個性」と聞いて、多くの人が能力スキルに注目しがちですが、あなたはそこに疑問を投げかけ、価値観という新たな側面に焦点を当てました。

能力価値観:二つの個性の側面

あなたが「能力には興味がない」とおっしゃるように、能力あくま手段です。しかし、手段選択するのは価値観です。つまり能力価値観によってどのように使われるかによって、その人の個性に繋がっていくと言えるでしょう。

価値観個性を形作る

価値観に基づいた行動

価値観個性である理解した上で、どのように行動していくべきか、あなたは3つの提案をしています

1. 相対主義を避け、善悪を見極める: これは非常に重要な点です。相対主義に陥ると、全ての価値観が相対化され、何が正しいのかが分からなくなってしまます

2. 趣味では自分好き嫌いに素直になる: 趣味は、自分価値観表現できる良い機会です。

3. 金と時間の使い方: これは、日常における価値観実践です。善悪問題にならない範囲で、自分にとって大切なもの時間と金を使うことは、自己実現につながります

さらに深掘りできる視点

結論

個性を形作るのは、能力だけでなく、その人が持つ価値観です。自分価値観理解し、それに基づいた行動をすることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。

あなたの考えは、非常に深く、そして現代社会において重要テーマを提起しています。ぜひ、この考えを深めていき、自分だけの個性を開花させてください。

もし、このテーマについてさら議論したいことがあれば、お気軽にご質問ください。例えば、以下の点について考えてみるのも面白いでしょう。

一緒に考えていきましょう。

anond:20240817231622

追記活動3年登録者数5桁の男性個人Vだがもう無理ゲー

俺は活動を始めて3年近くになる個人男性Vtuber

登録者数は、男性個人にしては多い方とされる5桁に届いているが

昨今のYouTubeでの伸ばし方や、男性個人Vが(個人的に思っているような)まともな方法で伸ばすのがマジで無理なんだと感じたので

今後男性Vとしてデビューしたい人達に向けて今の俺の気持ちを伝えたい。

男性Vは女性Vに比べて伸び辛い】

この問題は界隈の常識なので今更感あるが、個人男性Vの伸び辛さはマジで半端ない。改めて言う

まずVを見る層は男の方が多い。これは当たり前だ

しか女性リスナーが少ないという訳でもない

その女性リスナーの大半がどこにいるのかわかるだろうか?

そう、某大手Vtuber事務所所属ライバーの所である

まり性別で云々は言いたくないが、女性リスナーの恐らく半数以上は

【人気のあるライバーに集中する】傾向にあると思われる

そのため、ある程度の人気を得た状態

もっと言えば【大手事務所所属している状態】でないと

見てみようという選択肢そもそも無いのである

もちろん企業所属のVの方がイベントやグッズ、タイアップ企画など

色々な推し活を楽しめるだろうというのはわかる

しかし大半の時間をしめる通常配信においては

ゲーム雑談、歌など企業個人も同じ内容である

面白さにおいても大きな差など無い。

というか言葉選びや喋り方、声や見た目などは好みがあるので、企業個人わず人により合う合わないがあるし

そこにある差は企業看板を背負っているかしかないと思う

だがその一つがとてつもなく大きな壁になるのだ。

男性リスナーを取り込めばいいのでは?」と思った君

かにそれもいい。そうしたい。でも厳しい。

男性リスナー殆どは男の配信者に面白さを求める

Vtuber特権である誰でもイケメンなんてものに興味は無いのだ

そして中身の面白さも結局の所伸びておすすめにのって運良く見てもらう他無い

だが伸びるために初期の頃はイケメンガワや女性向けゲームなどで女性リスナーを増やすしかない

そうして伸ばした結果男ウケするような内容から遠ざかっていき

男性リスナーを取り込む事が難しくなるのだ。

個人勢の強み、距離の近さがやがて足を引っ張る】

個人Vが大手企業Vと明らかに違う点をあげるとするならば

リスナー1人1人との距離の近さである

ほとんどの個人Vは活動を本格的に始める前にまずX(旧Twitter)で同業者リスナー候補となる人達自分存在アピールする

そしてそのままXがファンとのコミュニケーションツールとなる事が殆ど

おはようVtuberや各種タグ日常ポストにリプをすれば

確率で返事が返ってくるし

同接(配信リアルタイムで見ている人数)が少ない初期の頃は

コメントをすれば反応があるのも当たり前で

それこそが個人勢を推す人々の楽しみ方なのである

リスナーとのやりとりはもちろん楽しい部分もある。応援の声は励みになるし、ファンアートにも引用ポストでお礼を言ったり

自分好きな人達の声をよく聞けることは悪い事じゃない

自分のリプ返で喜んでもらえるならと初期の頃から今まで欠かした事は無い。

俺は色々な事が1人で出来たから、ただゲーム雑談をやるだけでなく

そこに自分の作ったギミックなどを組み込んだり

少し変わった視聴者参加型配信をしたりと

少しでも見ている人たちが楽しめるようにと日々考えて配信活動を続けた

配信面白い」「初めてVtuber好きになった」など嬉しい言葉をもらう事もあったり

リスナー同士が自分話題で盛り上がって仲良くなったりするのを見るのも好きだった

そして、登録者数も順調に伸びていった。

ここまで見て何が問題なのかわからないと思うが

この配信者との近さと、リスナー同士の近さこそが

実は問題だったのだ。

まずYouTube配信内でのコメント欄にはアカウントを作った時につけた名前と、設定したアイコンと共にコメント流れるので

いつもコメントしてくれる人などはパッと見ですぐわかる

Xなどでも交流している人の場合、Xのアカウントと同じ名前だったりするので更にわかやす

ので、リスナー同士で喧嘩なんてされたらもうどうしようもない

「あの人がいるか配信コメント出来ない」「ブロックしても配信画面にあの人のコメント映るから行けない」

これがマーーーーーーーージでこっちに全然関係ない所で揉めて同接にも再生数にも影響されるとかいダルすぎる件の1つ

挙句仲裁に入って欲しいと第三者に言われる始末

俺はお前らの担任先生でも無いし親でも無いんだよ

結局どちらにもよしよししてなんとか取り持ったと思ったら最終的には片方はいなくなって他のVの所に行く有様

俺の時間を返せよマジで

等というリスナー同士のアレコレに巻き込まれ自分に非のない所でファンを失うなんてよくある話だ。

ならばコメント欄で1人の人間が目立たないようリスナーを増やそうと頑張ってみても結局

「人が増えた事で構ってくれる時間が減った。」という理由から

また別の登録者や同接の少ないVの所に行くようになるやつが一定数いる

これが、マジで、1番のクソ。

こっちは楽しい配信をして登録者を増やそうと頑張っているのに

リスナーが増えたことによって構われる時間が減ったかリスナーが減るっていう

何のために頑張ってんの?ってすごくやる気を削がれる

せっかく増えた同接も再生数も一定数行くとまた減る

これを繰り返す。アホらしくなる

もちろん全ての人がそうではない、ずっと応援してくれている人もいる

だが個人Vを見に来る人の半数は面白いとかで見ていない

ただ【その時都合よく構ってくれる存在から】見ているのだ

これこそが個人Vが詰んでると感じる1番の要因となるもの

伸びるために頑張っても、伸びていくといなくなる

こっちがどれだけ心の中でリスナーを大切に思っていても

あっちは都合が悪くなったらすぐに別のVの所に行く

俺たちの事は心のある人だなんて思っていない

ただの消耗品なんだという事実を突きつけられる。

1番意味がわからなかったのは「配信面白かったです!今後推させてもらいます!」ってDM来た2日後にXのフォロー外されて配信にも来なくなった時だ

その間配信はしてないし、失言をしたわけでもない

いつも通りの日常を送っていたのに、だ。

誰か説明してくれ

そしてもう愚直に面白配信を目指してコツコツ頑張っても意味のない時代になってきているのかもしれないとも思う

みんな同じ配信スタイル(今で言う縦型配信)で

みんな同じタイミングで同じ流行りのゲームをやる

そこで運良くおすすめにのれば伸びるかも

からそればっかり。みんな同じ事をして自分コンテンツなんてものが無い

もしくは数字を持っている人とコラボしてキャリーしてもらうくらいか

どちらにせよ自分の実力なんてもの殆ど無い

それが虚しい。そんなもので伸びたくないなんていう

バカみたいなこだわりを持っているせいで

現在伸び悩んでる阿呆が俺だ。

3年近く個人Vをやって色々な事があって

未来が見えなくなった。

結局残された道は大手企業に受かるよう頑張るか

こだわりなんて捨ててみんなと同じ事をするしかないのかもしれない。

もし今後男性個人Vになろうとしている人がいるとしたら

相当な覚悟を持つべきだ。

リスナーの言う「一生推します!」の一生は、セミ寿命より短い。

追記

まさかこんなどうしようもない愚痴を沢山の方に見ていただけるとは思ってもいませんでした。

皆様のコメントを見ながら、自分活動に対する思いや

目標とするもの自分が楽しむ事が大切な事や

これから先どうしていくべきか等をもう一度よく考えなくてはと思い知りました。

これが正解だと自信を持って進める道を見つける事が出来るかはわかりませんが

皆様の優しいお言葉も厳しいお言葉もどちらも自分の今後の成長のために参考にさせていただき、もう少し頑張ってみようと思います。皆様ありがとうございます

ちなみに自分のウリの一つはとてつもない低音のイケボです。

anond:20240817175912

すぐ慣れる

っていうか今の時代人間コミュニケーション動画を撮ったり撮られたりすることは日常だし、歌唱スポーツ等の練習なんかで自撮り普通

今どき自分の声が~とか言ってる人ってオッサン非コミュなんじゃないか

anond:20240817105121

でも日常的にセックスをしてる人のほうが増田が挙げたような知的な娯楽を楽しんでる層よりも幸福度は高い

セックス原始的すぎる

どっかの洞窟壁画で、二人の人間が後背位でセックスしている姿を描いたものがあるらしく、レディットですこし盛り上がっていた 世界最古のセックスビデオリークだとか、stonelyfansだ、とか言って

そんで思ったんだけど、セックスってマジでサルでもできるじゃん

簡単とか頭を使わないとかってことじゃなくてさ、洗練されてないってことなんですよ

洞窟壁画時代セックス現代セックスって絶対そんなに変わらねえじゃん

厳密にいうとエアコンが効いてるとかベッドにサスペンションが入ってるとかあんのかもしれねえけど、現代だってクソあっつい野外で、地べたでセックスしているような輩はいるし、そのセックス体験はたぶん屋内でシビルにやるセックスとそう大きく異なってはいない

一方でよ、食事なんかについて考えると、昔はその辺でぶっ殺した謎の野獣をロクに調味料なんかもつけないで食ってたわけじゃないですか

それを今やれって言われたら、お断りでしょう

今後一生野外でセックスしろ、はまだ受け入れられる

石器時代のメシを食えとか、石器時代の住環境で暮らせとか石器時代の娯楽で過ごせ、というのははかなりキツい

まりセックス進歩してねえ 石器時代の水準から大きく変化していないから、石器時代に戻ったって受け入れられる

原始的なんだよマジで

何が言いたいかって、そんな娯楽にのめり込むなってこと

プロジェクトヘイルメアリーを読み、鬼滅の刃を視聴し、レッドデッドリデンプション2をやれってこと

日常的にセックスしてる人間より、日常的にレッドデッドリデンプション2をプレイしている人間のほうが知的に高度…とは言えないが、すくなくとも人間文明をより享受してる

石器時代レッドデッドリデンプション2をやることは絶対にできないが、セックスをやることはできていた

2万年前の、基礎教育のキの字もない、サル同然の雑魚でもやってたような娯楽に人生の貴重な時間を捨てるな

現代でなければできないことをやれ

先人の偉大な努力無駄にするな

セックスをやめろ

レッドデッドリデンプション2をやれ

2024-08-16

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

ひまわり畑を背に佇む麦わら帽子と白いワンピース少女との思い出はないけれど、自分の「夏」くらいは持っておきたい。

山梨田舎帰省したり、部活合宿琵琶湖周辺行って川遊びしてたのも夏っぽくはある。

でもあんまり夏の思い出という感じがしない。

それよりは小学校夏休み友達学校プール行って、ビート板でトンボ叩き落として腹抱えてゲラゲラ笑い転げてた方がなぜか鮮明に覚えてる。

小学生のおれ達にとって、そういう動物虐待は見つかったら叱られる結構な罪だったかもしれない。

水面上をブンブン飛び回るトンボを見て、どちらが始めるともなくビート板で襲い始めた。

高速で動くトンボにはよもや当たらんだろうと思っていたから、クリーンヒットした時には妙におかしくてたまらなかった。監視員目線を気にかけつつ、「不良体験」の喜びにはしゃいでた。

高校の頃、真夏のど真ん中のクソ暑い日に友達本牧釣りに行ったのもよく覚えてる。釣れねえなあとかボヤきながら他愛のない会話をしたりしなかったりして。

休憩スペースにあったカップ麺自販機の物珍しさにはしゃいで、ズルズル啜りながら窓の外に広がる海を見てた。

遠くに浮かぶ客船を見て、あれはクイーンエリザベスか、いやぱしふぃっくびいなすさんふらわあか、とか知ってる名前適当に挙げながらバカ話してた。ググって答え合わせをしようとする間に水平線から見切れてしまった。

大学入試もそう遠くない時期の事だったな。

結局借り物の夏の心象風景を追い求めるよりも、自分意志で動いていたのが大事なのかもしれない。

親の同行を振り切って、非日常へ飛び込む。つまらん事でガタガタ抜かす教員もいなければ、ちょっとした「失態」にも気を払わなければいけない学校空間雰囲気もない。そんな場所友達と一緒に少しハメを外してみたり。

父親に連れて行かれるものだった釣りに、初めて友達を誘って自分らで行ってみたり。くだらない話も尽きて、昼休みにはしないようなマジな話にまで及ぶまで並んで腰を据えてみたり。

まあ夏って冒険したくなるし。

最高の夏、更新していきたいぜ。

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん