はてなキーワード: 正義派とは
https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/blog/bl/pNjPgEOXyv/bp/pbeex6x83b/
ポーランドやバルト3国以外のヨーロッパではおおむね、和平派が多いらしい。
日本では西欧での反ロシアのデモとかがより多く報道されがちではあるけれど、実際のところはそうでもないみたいだ。
もちろん戦争やめろっていうのはコンセンサスではあるにしても。
旧東側の国とか、ソ連に侵攻された経験がある国とか、離れてはいるけどロシアが逆切れして核ミサイル打たれたらたまらんとか、いろいろな要素があるので単純にはわかりにくい。
そうだね。
イジメで我が子が自殺して加害生徒保護者相手に訴訟起こしたシングルマザーがいかにもイジメっ子が真似しそうなキツい弄り芸やってる売れっ子芸人と事実婚したとか、
暴力団被害者救済に身を捧げている正義派弁護士が義理人情に溢れたヤクザ者たちが痛快に活躍する任侠作品で人気の漫画家と同性婚したとか、
こういう例の方が適切だね。
はあちゅうとしみけんの事実婚はそういう物なんだけど、二人の結婚を祝福している方々が全て、現実の犯罪と作り話として犯罪を描いただけのフィクションは無関係ですって立場なら全然問題ないよ?
(ただの仮定の話として万が一女優が撮影内容を知らなかったのであれば性犯罪であるのは間違い無いとしても)あくまでそういう筋書きのフィクションとして完全な自由意志に基づいて演技をしている女優を相手にドッキリ企画物AVを演じただけのAV男優の仕事をアレコレあげつらうのは、
でも、MeToo運動を支持します、はあちゅうを全面的に支持します(*1)、って界隈は、AVのような性暴力コンテンツはたとえフィクションでも現実の性犯罪被害に悪影響を与えている、って意見の人たちと相当被ってたと思うんだよね。
「AVのような性暴力ポルノの歪んだ性嗜好や女性観は男性の性行動に影響を与えて現実の性犯罪を誘発している」
とか
「仮にAVが直接的に性犯罪を誘発しないとしても、性暴力を娯楽として消費するコンテンツが蔓延しているせいで現実の性犯罪被害者が好奇のまなざしを向けられるようになり被害を告発するのが難しくなっている」
とかね。
あなた方がAVにそういう悪影響があるという主張を捨てないのであれば、
夫が誇りを持って働いている仕事が、妻に深い心の傷を負わせたセクハラ上司のような加害男性を生み出したり、かつての妻や身代わりに捧げられた女性たちのように泣き寝入りする被害女性を生み出したりする
という呪詛をこの夫婦に向かって唱え続けていることになるのだけど、それでも自分は二人を祝福していると言い張るつもりなのかな?
「我々MeToo運動やはあちゅうの告発を支持している者たちは誰もAVの悪影響など主張していない。お前は藁人形と戦っているだけだ」
という反論は歓迎する。
MeTooを唱え支持を表明する方々はAVをはじめとする性暴力を描いたフィクションに悪影響があるという立場は取らないということだからだ。
#MeToo(私も性暴力フィクションの制作・流通・消費を祝福します!)
(*1)ここでの「はあちゅうを全面的に支持」が指すのは「はあちゅうの過去っつーか現在進行系のセクハラ言動を槍玉に挙げる連中は正義の告発者にスティグマを与え加害者を利するセカンドレイピストで、敵!」みたいな勢いの方々ね。
「こいつ大嫌いだけど、セクハラ被害を告発した点だけは正しいし立派だと思うから嫌々ながら支持するよ。だから、お前のやってる童貞弄りもセクハラなんだと気づいて我が身を省みてくれよ……」みたいな気の毒なほど理性的な方々は外しておく。
日々、ネットの世界で悪人が仕立てあげられ、ネットバッシングやネットリンチが繰り広げられている。確かに、叩かれるほうには否があり、叩くほうの意見に理がある場合が少なくない。しかし、バッシングが開始され、その流れが定まってしまうと、にわかに大勢が参加し、過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。
『他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)は、こういったネット住民たちの多くは一見「正義派」を装っているが、目的は他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。
そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体を自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。本書によると、これには「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。
まず、「世界が小さくなっている」というのは、インターネットとSNSが大きな役割を果たしている。“隣人”の範囲が広がりつつあると共に、個人の秘密を保つことが難しくなってきている。
新しいデバイスを得たことで容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。
「社会の変化」については、社会で「コンプライアンス」が重視されるようになってきたことを挙げている。昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。
なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容な日本人が増えてきているからだ。背景にあるのが、社会の「コンプライアンス重視」らしい。
社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調されることを、マジメな日本人は表向き良しとしている。一方で、「コンプライアンス」によって、これまでの慣行が突如「悪」として否定されることがしばしば起きている。
コンプライアンスを遵守するということは、不自由で煩雑な手続きを伴うということだ。ルールが細かく決まっているほど、余裕がない現場では「違反」も生じやすくなる。もちろん、コンプライアンスは遵守すべきだが、「違反」が発覚したとき、他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ちの反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる、というのだ。
「日本人が元来持つ特性」とは、「差異に敏感」なこと。日本という島国の“閉鎖的空間”が培ったものだという。
閉鎖的な空間ではしぜんと同質集団が形成され、「微妙な差異に敏感」になる。たとえば、多様な民族や宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーンや価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。
「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」「あのガンダム作品好きが気に食わない」など、学校や職場とかで生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人的特性と深く結びついている、と分析している。
以上の3つの要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやすい日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである。
バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間とエネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ。
本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。
閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。
私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。
『他人を非難してばかりいる人たち 〈バッシング・いじめ・ネット私刑(リンチ)〉』著者・岩波明氏からのメッセージ
閉ざされた「平和」なこの国で、ぼくらは満ち足りて暮らしているべきなのかもしれません。世界中のどこよりも安全で豊かなこの場所で、「幸福」であるはずなのです。
けれども、ぼくらはいつも不満足で不機嫌で、ぼんやりとした退屈な世界の中で、他人の不幸を求めてしまう。自分は何も持っていないにもかかわらず、自らが「神」のように振る舞い、他人の存在そのものを糾弾することに喜びを見出しています。
本書は、このような息苦しい日本の「空気」について、ネット社会で起こった実例をもとに検討を加えたものです。この淀んだ小さな世界では、だれもが加害者であるとともに、いつでも被害者にもなる可能性を持っています。
共感力の高低云々という話もあるが、共感後の再・他人事化という逆向きのベクトルの話もあるわけで、俺が増田に「共感」してしまったのは、深読みなのかもしれないが、事象を体験した後の他人事化(心理的な切り離し)について、それなりに考えた上でやや露悪的に書いているんじゃないかと思ったからだ。
が、今読み返すと当事者に寄り添う意識はあまりなかったようだ。どちらかというと俺は増田の友人のクリエイターのほうに近いのだろう。
そもそも俺自身はクリエイターとはぜんぜん違う社畜界の人間なので、その意味ではこの増田のクリエイターさんに「共感」できる下地がどの程度あるか分からない。
災害の起きた場所に親族・知人の縁がなく自分が安全なら、身につまされることなく「最初から最後まで」他人事感覚で見ることも難しくはないだろう。それを口に出すべきものかどうかは(道徳的に、あるいは本人のメリット的に)別として。
それより、はてな住民からのバッシングに近いブコメを見て思うのは、正義感あふれる書き込みをしている人の中には人は「当時自分がどう感じていたかを自分に都合よく忘れてしまった人もいるんじゃないのか」ということだ。
大震災の一次的被害者でなかった南関東の住民として書くと、いつ終わるともしれない余震と原発がどうなるかにおそれ慄き、停電の実施に怯えつつ、それと同時に、震災は東京で起きたのか、と思うくらい、東京の現在ばかりを伝えるメディアに軽く怒りを覚えながら、それでいて何か非日常感に心踊る自分に戸惑ったことを覚えている。「この高揚感は何なんだ」と、思った人がそんなに少ないとは思わない。
3月12日の夜、一日たってようやく公式に姿を見せた首相の国民向け演説を見て、その自己陶酔ぶりに異様さを読み取った人は多いはずだ。あの夜、この人は自分にしか関心がない人に見えて不安だった(そして後にその不安は的中する)。
見ていた俺もそれほど変わらない。
何かこの国の形が変わるような重大発表があるのだろうと、1945年8月15日の「玉音放送」を聞く日本人に自身を重ねるような気持ちでテレビの前に座ったことを覚えている(どちらも発表があること自体は事前に伝えられていたので緊張感をもってその時を迎えた人は多いはずだ)。
被災地支援を語り(ダシに、とまではさすがに書かない)、自己満足にすぎないと自ら語っているボランティアの方々などの例外を除けば、自分の利益にしかならないビジネスをやっているだけなのに、自分は善いことをしていると自己洗脳することに成功した人は身の回りにたくさんいる。
この辺は自分の心にとどめておくべきで、決して、このような形で書いちゃダメな領域なんだろう。「正義派」のスイッチを押してしまう(その意味では、これを書いた俺もクリエイターさんと同様にタブーを犯しているんだろう)。
クリエイターさんがどういうジャンルの方なのかわからない(アニメ系の方?)が、
「あまちゃん」で太巻がいった「売名行為だよ」という発言で、勇気づけられたエンタメ系の人も多いんだろうと思った。実際、あの劇中人物の発言で、悩みが吹っ切れた人がいるという話を聞いた。
俺自身は、いまだに吹っ切れていない。
直接の形では自分に起きなかった不幸、しかし自分が立ちすくむ程度には影響を与えた出来事をどうハンドリングしたらよいのか、今も分からない。
自分の心の内側から出ているとは思えない言葉を使って、日常をやり過ごしていることへの罪悪感は隠し切れない。
……と、このように書くこともまた綺麗事だよな。無限ループは続く。
俺の彼女って味覚障害かもしれない
100歩譲っても醤油だ
正直理解できない。
コロッケすっぱくしてどうしたいんだろう
それを指摘したら「何を掛けるかは人それぞれだし」って言い返された。
外で子供が恥かくだろうが
でも、それでもまだあいつは
おろしポン酢コロッケをメニューにしてるガストがどこにあるんだと言いたい。
あいつは普通の味覚の問題を、個人の嗜好の問題とごちゃまぜにしている
俺だって鍋物のときはポン酢を使うけれど、コロッケにポン酢はおかしいだろ。
ちなみに、
目玉焼きの時はソースでも塩コショウでもしょう油でもソースでもいい派で
どんだけ派閥を作りたいんだ。
昔の自民党か。
小泉純一郎が出てきて全部ぶっこわしてくれたらと思う、まじで
でもやっぱ冷静に考えたら彼女は味覚障害なんじゃないかと思う。
これってやっぱ障碍者ってこと?
子供生まれたら遺伝とかするよね。
今のうちわかってマジ助かった
潔癖な人ナイーブな人ほど怖い
自分達がいい人だと思っていて、そう思えなくなる事実を否定したり排除したりするから。
名古屋のある医療生協の病院の如何にもいい人そうに見える健気な車椅子のケースワーカーに、婦人相談所に半ば怒るように行かされ、区役所からの連絡には、こちらの紹介じゃありません、と言われているのを(目の前で電話した)聞いたという事を経験した時そう思った。
この時区役所に行ってどうなったか、このN里に聞かせて下さい!と自分の胸を叩くというパフォーマンスまでされた。
私が名古屋じゃない街で婦人相談所もだめだった事があると言ったら、怒ってきて「ここ(名古屋)でですか?」「この前パラノイアの患者さんを夫の暴力から守るためこちらの紹介で入所させました」「あなたが行かないから」など言われ、前述のパフォーマンスになったのだった。
区役所から(この時はM区役所、イニシャルだと今も同じだけど)生協の病院に電話したら、N里先生は帰られました、と言われた。
インフォームドコンセントが聞いて呆れる。ここの病院にはエレベータの中にも、患者の権利章典がデカデカと貼ってあった。
これは仮説だけど、なんでこんな事されるのかなあ~と考えたら
日本が民主的な法治国家と信じたい人にとっては、聞かされたくない話だったからなのか、精神病院については矛盾多い世界と言うのを知ってる人は知っているので、関わらないようにしようとしたのか、わからないが、病院の体面を守りつつ、健常者に対する悪意を吐き出す事を生業にしているからなのか、その中のどれかか、複合的なものなのか、仮説さえちゃんと立てられないが
この人も他では評判が良くて、家の前に○○党相談とか出ている家に言ってみたが、その人がそんな事言うわけないとか言われた。
あぁ、この時に、他にも言われていた。
親が当時住んでいたところにいきなり来て、隣の部屋の人に、実は精神病院に入れてまして、と言って行った、何をされるか分からないと怯えてパニくっていた私だったが、この車椅子のケースワーカーは
と言ったのだ。
関西の子供なら、聞いたこと言ったことがある言葉で、「ごめんで済んだら警察いらん」というのがあるが、そんなんで済んだら誰も困らんやろ!!!
この時に背中の痛みについても言ったが、本当に悪いんだったらね!と言われた。
医療生協の会員にだけならされ(後に取り消しに行ったが)お金も払わされ、病気なら診てもらえますよ、本当に悪いんだったらねと言われもした。
こんな如何にも正義派みたいな、スキャンダルを起こす前の辻本清美さん(顔も似ていた註あり)みたいに見える人が、こんなんなんて・・・!!!
と大ショックを受け
自分の方が悪い気がしたのだと思うけど、ちょっとおかしくなっていたような気もする。( これ以来全く相談に行けなくなった )
良い人の方が危ない
気をつけなくてはいけないと思った。
註
顔も似ていて美人と言って良い顔だった。
清潔感があり、洗剤の匂いと思われるものやシャンプーの匂いが入り混じったような何か微かな良い匂いを、醸し出していた。
(洗剤と言ってもダウ二ー臭ではなく、もっと控えめな。香水などのきつい匂いではなく、清潔で健全な生活を営んでいる証のような)
そういう人に、人に頼る嫌な奴のように、扱われた。
こちらは、こういうところに言うのも、違うかもしれませんが、とおずおずと言っていた。決して、何とかしろ!!とねじ込んだわけではなかった。
何もできないなら、普通にこちらではわかりかねます、とか断ればよいのに( 断るのも最近ではおかしいのではないかと思うようになったがこの時ならまあそれで仕方ないと思ったかもしれない )。
パラノイアの患者さんを紹介で婦人相談所に入れたというのだから、何もできないという事もないようなのに、一体あれは何だったのかわからない。
区役所に行った結果をこのN里に聞かせて下さいとの要望に、まだお答えしてないので、お答えした方が良いかもしれない。
(今はいないらしいのが、去年か一昨年電話した時にわかったけど。この時の病院の対応も酷かった)
N里の事は、ネット上のあちこちに私は過去に書き込んでいる。メモ程度のものでも証拠になるのであれば、それも証拠になるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20111011084859
辻本似CWについて追記
まだあった
「いくつですか?」
と聞かれた。
相談票に記載するとかではなく、「親にはあなたが言えば済むこと」と言った時だった。
まるで、人に頼る嫌な奴のような扱いを受けた。
「いくつですか」に対し、年齢を普通に答えたら、何だか不服そうな不満そうな顔をされた。
全体的に、かなり高圧的な態度を取って当たり前と思っているようだった。
ああいう相談は、NTTの総合案内のお姉さんが案内しつつ商品やシステムを宣伝するように、生協の会員にならせる事を目的としてやっているようで、その目的だけは果たしたいのか、そこまで人の事ぼろくそに言いながら、ここは院長がいない病院で(その当時はかもしれないが。今は居るかも)なんたらの理念でやってます、とか 理念でという時に、理念だけで実際は行き届いてないかもしれないけど、堪えてね、みたいにニチャっと笑った。
これだけでは、わからないと思うけど
怖いなと思ったのは、10年以上前に親がいきなり来た時に、相談に行った共産党系の医療生協の病院の車椅子のいかにも正義派のように見えるケースワーカーが、やたらにこちらを責めてきて、婦人相談所も他の街で駄目だったと言っているのに、半ば強制的に怒って、あなたが行かないから!と責めて、行かせたくせに、区役所からの問い合わせには、こちらの紹介じゃありません、と言った事
ナイーブな人潔癖な人、自分を良い人だと思いたがる人たちの方が怖いんだなと思いました。
自分たちが、良い人と思えなくなる事実を排除したり否定したりするから。私はこの時私の立場で言っても、全部被害妄想にされる可能性もある、と怖がってました。そうしたら、「この前、こちらの紹介で、パラノイアの患者さんを夫の暴力から逃がすために、入所させました」と怒られたり「言ってどうなったか、聞かせて下さい、このN里が聞きますから!」と自分の胸をどんと叩くと言うパフォーマンスさえ演じました。
区役所職員は私の前で電話をかけ、「そう 言ってる事がわからんの」 などと言ってました。 (同じ頃県議の選挙のポスターで知った立候補してその後の選挙では落選弁護士の事務所に相談に行った時、事務員にそんなふうに言われませんでした。弁護士には弁護士会に言って下さいと断られましたが。弁護士とはそれしか話してません ) その区役所職員は、あなたは自活していて、信念も持ってるようだから、一人でやっていっていいと思います、と言って保護しませんでした。 私が信念を持っていようといまいと関係ない事だと思います。持ってても親からの被害には遭います。 その前に電話で、言ってる事がわからないと言いつつ、信念持ってるって・・・? 言ってる事がわからない人を医者の手当ても受けさせずに放置して良いのでしょうか? 共産党系の病院と区役所が、そんなに仲が良いとは知りませんでしたし。。。 国や行政の批判は、よく書いているから、そういうものが行き届いてないという事を言ったら怒ってくるとは思いませんでした。
こういう人たちは、日本が民主的な法治国家で、何の問題も無いと思いたいから、それを信じられなくなる事実を否定したり排除したりするのではないかと思い、変な宗教家のようで怖くなって、良い人と潔癖な人は恐ろしいと思いました。
残念ながら、行政が訴訟を起こされることも、あるし 色々あるから、弁護士のような職業もあるわけなのに。。。
共産党だって、そのへんのところを指摘して食ってるようなものなのに
いつかの選挙の時に近くのスーパー前に来て、大音響で演説してたから、聞こえてきたけど、実現できるとも何とも言えないような事を、当選したらこうします、どうします、とか夢物語のように何かに酔ったように語り、明るく()笑 楽しそうに 演説して行きました。
共産党は不況で少しは票を伸ばしましたが(他地域)、共産党に入れる人は、そんな現実的な実行力に期待して入れる人ばかりじゃないと思います。
ピーターフランクルさんも、昔書いてました。 一番理屈に合っているから、支持する と。
共産党は、過半数取らないと運営を維持できない党でもないのに、少しの議席も保てず減らしてしまう。。。 明るく楽しくばかり、他の政党の真似をしてやっても仕方ないのに。 だって、共産党が存続を維持するために必要な票の数は、他と全然違うのだから、もっとニッチな層に受けるように、食い込むように、政治に関心がないわけではないけど、だからこそ選挙に行かないとか、もっと言えば白票で出すような層に働きかければいいのに・・・
そういう人は騙せないからと言って、そんなに貧乏な人がいるわけでもない街で、弱者救済だけやってても、票は取れないと思う。(私は貧乏ですけど)
つけたし
上に出てきたケースワーカーは、区役所で職員に合った後、医療生協の病院に電話したら「N里先生は、お帰りになられました」と言われ音信不通です。その後お変わり無いのでしょうか?車椅子の調子はどうでしょうか?事故か何かで人生の途中から、脊椎損傷で下半身不随になられたのに、健気に働く殊勝ないかにも正義派で弱者の味方に見える方でした。顔はちょっと辻本氏に似てました。あんな感じでいかにも正義派w
http://anond.hatelabo.jp/20111011004006
多くの人の(大衆の?)わからないというのをわかって、わきまえて暮らしてきましたが
私が今まで被害を被ったような事に専門に取り組んでいるはずの人たちや、それを批判してお金を得ている人たち(出版など) もいるのには、何とも言えない気になります。
実際、変なというか普通はしなくて良い親を保証人にできない場合の不動産賃貸に関する情報交換が載っているスレもあります。そんなに見てませんがあまり雰囲気は良くないです。
http://alfalfalfa.com/archives/1494324.html
みんなで、行政に言うべきだし、どこかに陳情するべきと言っても、全然盛り上がらず、当事者ではない叩きも来てるようだし
こういう事で、私の頭がおかしいと思いますか?と聞いたらそうは思わないけど、自分はわからないからと書かれたりもしました。
わからないなら、もっと広めて欲しい
怖いなと思ったのは、10年以上前に親がいきなり来た時に、相談に行った共産党系の医療生協の病院の車椅子のいかにも正義派のように見えるケースワーカーが、やたらにこちらを責めてきて、婦人相談所も他の街で駄目だったと言っているのに、半ば強制的に怒って、あなたが行かないから!と責めて、行かせたくせに、区役所からの問い合わせには、こちらの紹介じゃありません、と言った事
ナイーブな人潔癖な人、自分を良い人だと思いたがる人たちの方が怖いんだなと思いました。
自分たちが、良い人と思えなくなる事実を排除したり否定したりするから。私はこの時私の立場で言っても、全部被害妄想にされる可能性もある、と怖がってました。そうしたら、「この前、こちらの紹介で、パラノイアの患者さんを夫の暴力から逃がすために、入所させました」と起こられたり「言ってどうなったか、聞かせて下さい、このN里が聞きますから!」と自分の胸をどんと叩くと言うパフォーマンスさえ演じました。
区役所職員は私の前で電話をかけ、「そう 言ってる事がわからんの」 などと言ってました。 (同じ頃県議の選挙のポスターで知った立候補してその後の選挙では落選弁護士の事務所に相談に行った時、事務員にそんなふうに言われませんでした。弁護士には弁護士会に言って下さいと断られましたが。弁護士とはそれしか話してません ) その区役所職員は、あなたは自活していて、信念も持ってるようだから、一人でやっていっていいと思います、と言って保護しませんでした。 私が信念を持っていようといまいと関係ない事だと思います。持ってても親からの被害には遭います。 その前に電話で、言ってる事がわからないと言いつつ、信念持ってるって・・・? 言ってる事がわからない人を医者の手当ても受けさせずに放置して良いのでしょうか? 共産党系の病院と区役所が、そんなに仲が良いとは知りませんでしたし。。。 国や行政の批判は、よく書いているから、そういうものが行き届いてないという事を言ったら怒ってくるとは思いませんでした。
こういう人たちは、日本が民主的な法治国家で、何の問題も無いと思いたいから、それを信じられなくなる事実を否定したり排除したりするのではないかと思い、変な宗教家のようで怖くなって、良い人と潔癖な人は恐ろしいと思いました。
残念ながら、行政が訴訟を起こされることも、あるし 色々あるから、弁護士のような職業もあるわけなのに。。。
共産党だって、そのへんのところを指摘して食ってるようなものなのに
いつかの選挙の時に近くのスーパー前に来て、大音響で演説してたから、聞こえてきたけど、実現できるとも何とも言えないような事を、当選したらこうします、どうします、とか夢物語のように何かに酔ったように語り、明るく()笑 楽しそうに 演説して行きました。
共産党は不況で少しは票を伸ばしましたが(他地域)、共産党に入れる人は、そんな現実的な実行力に期待して入れる人ばかりじゃないと思います。
ピーターフランクルさんも、昔書いてました。 一番理屈に合っているから、支持する と。
共産党は、過半数取らないと運営を維持できない党でもないのに、少しの議席も保てず減らしてしまう。。。 明るく楽しくばかり、他の政党の真似をしてやっても仕方ないのに。 だって、共産党が存続を維持するために必要な票の数は、他と全然違うのだから、もっとニッチな層に受けるように、食い込むように、政治に関心がないわけではないけど、だからこそ選挙に行かないとか、もっと言えば白票で出すような層に働きかければいいのに・・・
そういう人は騙せないからと言って、そんなに貧乏な人がいるわけでもない街で、弱者救済だけやってても、票は取れないと思う。(私は貧乏ですけど)
失礼しました。
「だったら今からみんながマスコミに就職なり、制作会社に入るなりしてよくしていけばいい話じゃない?」といいつつ、「本当のマスコミとも言うべき、良心的な人たちの食い扶持を減らしている」というのはギャグとしか思えない。
良心的な人がいるのに腐った体質になってる業界に良心的な志を持った部外者が今からマスコミに転職して改善できると思うんだろうか?本当は良心的な人なんかごく一部で大半が腐ってるから業界全体としても腐ってるんじゃないかと突っ込みたくなる。
なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
夜な夜な皆さんがネットで吹き上がってても、「マスゴミ」的な人は赤坂とか西
麻布の個室でエロい飯食ってます。
こうやって上に責任転嫁するのは良心的な行動でも馬鹿正直でもなくまさにこれこそが批判されるべき責任逃れだと断言する。マスコミの経営陣は個別の番組や記事をいちいち全部チェックできるわけもない。形式上問題があれば上が責任を取るのが組織だけど、問題点を実際に改善する力予防する力があるのは現場の人間。ますごみの報道の名目上の責任はエロい飯食ってる偉いさん達にあるが、実質的な責任は自分が「マスゴミ」であるという自覚がないあなたのようなタイプの自称真面目な弱者君達。
弱者とか真面目とかを隠れ蓑にして自覚もなく悪事を働くのがまさにマスゴミというにふさわしい批判されるべき行為なんだよ。
医療ミスとか耐震偽装とか派遣をマスゴミが批判して多くの医療関係者や建築業者や派遣労働者を窮地に追いやったのは別に悪意があったわけではなく、まさに正義感ぶって弱者を守れと真面目にやった結果だろう。良心にもとづいて真面目にやってるから良い結果につながるというばかげた思いこみは捨てろといいたい。そういう自称正義派ジャーナリズムに比べたら低俗バラエティのほうがはるかにマシ。新聞は報道をやめてテレビ欄天気予報広告だけ載せとけ。テレビはニュースやめてドラマやお笑いやクイズ番組だけで良い。