2024-08-16

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

  • AI創作乙

  • AIで要約しようとしたら規約違反でダメだった

  • Twitterか5chに転載されてツイフェミが怒って男性憎悪のエコチェンバーのネタに使われるところまで見えた

  • なんでこういう増田って、文体似てるの?

  • 警察行って父親逮捕するべきだろ。犯罪だよこれ

    • そうだけど、何度も話をしないといけないとなると難しいよなあ

  • 誰か!!!!!! あの葬式関連で親戚とわちゃわちゃした増田に心の寛いコメントを送っていたお坊さんの増田いるじゃん!あの人呼んできて!探したけど見つかんなかった!

  • なんかこの文章的には初めての妊娠の相手父親じゃなくて中3のガキやんけ?

  • 人間が描いているとしたらかなり文章の構成力は高い。取り留めもなく書いているようででもちゃんとレトリック

  • 興奮した 今日はこれでオナニーする

  • あなたの本当の気持ちは(そんなものがあるとするなら)、あなたの自尊心が回復して、あなたが父と対等に話せるぐらい強くなって、初めてわかるものなのかもしれないね。

  • ジャップの性欲は異常

  • 中居くん、レイプ養父に救われた人もいるとか言ってみてよ

  • 妹を守りたいと思ってここまで来たなら妹には言わないほうがいいと思うけどな。

  • 嘘松。この話はあまりにもリアリティが欠けており、詳細な描写が多すぎるため、作り話のように感じられます。また、風俗嬢として妹を養っているという設定も、非常に非現実的です...

  • 実母が無くなった後って、義父はただの赤の他人だからね それでも一緒に住むなら当然好意があると認識できる 赤の他人になったときに出ていくべきだったね とはいえ、若い風俗嬢...

  • 虐待の話ついつい読んじゃうのは自分も機能不全家庭で育ったからなんだなぁーと思う。 自分の意思みたいなの持ったの30すぎてからてまだまだ呪われてる。 家族と会うのは年に3日が...

  • 義理親による性虐待なんていうグチャグチャした案件は世間一般のルールに照らして機械的に処断してもらえばいのである。 性急さが負担になるなら単純に時間的猶予をおくのはいい。 ...

  • ウケる

  • ・父親がいなくて、変なおじさんと一緒に暮らしていた子 ・その妹 ・コブ付きの死にかけをゲットした変なおじさん ⭐︎ コブ付きのことを考える時、想像の中でさえ一度も「将来的に...

  • 弱者男性っぽいやつが娘がいるシンママを狙うのあるあるだからなあ マジでやめてほしい

  • きめえ~

  • だいぶ違うけど、桜庭一樹の『私の男』をちょっと思い出した。あるいは『ベルセルク』のガッツの義父ガンビーノか。 ー 義父氏の低学年の局部をじっくり見たりイジったりするので小...

  • 全部読んだ こちらの話を思い出した もしかしたら、増田のことかもしれない 誰かを救いたくなる気持ち https://anond.hatelabo.jp/20240207213229

  • 以前増田で、職場の人に誘われて複数人でその人のうちに行ったら未成年の娘がいて、お金払って、その娘を複数人で犯す流れになった(その増田は罪悪感を感じており、一回行っちゃ...

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