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2022-06-06

【再追記あり】手嶋海嶺氏の知的不誠実さ

hesopennです。私はある誤解をしていたので、それを説明しておきます。私は指摘されるまでBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かったことに気付いていませんでした。さすがに発表されてからこんな短時間批判修正が入っているとはちょっと想像していませんでした。申し訳ありません。この誤解をしていた旨を堂々とここに追記しておくべきでした。またそのような誤解を読者に与えていたのであれば(与えていたと思います申し訳ないです。

とはいえ、手嶋氏に論文を読み、それを説明する資格はない、という意見に変わりません。無査読論文を大々的に紹介し、それの結果に反するトップジャーナル掲載された論文提示されたにもかかわらず、あたかもそれが重要でないような(その論文が元の論文と食い違うことも述べず)扱いをすることは研究自分目的のために恣意的に歪めて紹介する行為からです。修正したといっても、最後に「実際のところ、社会統計からポルノ性犯罪を引き起こす!」と主張する研究者は、もうほぼ絶滅しているわ。」という文章は残っています。これは明らかに間違いであり、Bhuller et. al. (2013)の結果を(経済学研究の蓄積において明らかに重要である判断されているにも関わらず)無視する行為です。経済学という学問の正しい理解を妨げ、学問政治化する人間論文を扱う資格はないという意見に変わりはありません。

手嶋海嶺氏の 「性的表現性犯罪性的攻撃性」の関係最先端科学的知見に迫る~ (https://note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298) を読みました。この文章では私は手嶋氏は完全に知的誠実を欠いていることを説明します。手嶋氏は自分結論に合う論文のみを子細に説明し、それに反する論文を軽視しています

手嶋氏の論考では二つの論文を軸に性的表現性犯罪性的攻撃性の関係について考察をしており、前半はKendall (2007)の解説に紙幅を割く構成になっています。Kendall (2007)は学術的にそこまで重要論文なのでしょうか?手嶋氏も述べていますが、この論文はUnpublished Manuscriptです。いわゆる査読されていない論文で、2007年に発表されたものが最新のものです。経済学においてはまだ査読されていない論文をWorking Paperという体裁で発表することはよくありますが、2007年論文2022年まで査読されず残っているということは、一般的には著者の個人的事情アカデミアを辞めるなど)か、その論文問題があるということを表しています

このKendall (2007)を詳細に紹介した後、手嶋氏は手短に、その手法問題点が指摘されていることをBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を引用して述べています。この四人の著者からなる論文Review of Economics Studiesという、経済学のいわゆるTop 5の雑誌掲載された論文です。Unpublishedのまま2007年から更新されていないKendallの論文と、RESに掲載された2011年の彼らの論文、どちらがより信用に足るかと言われれば、事前情報なしでは経済学者の100人100人後者と述べるでしょう。では、なぜ手嶋氏はKendall (2007)の中身だけを扱って、Bhullerらの論文の内容を紹介しなかったのでしょうか?

それはBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)がポルノの消費の増加によって性犯罪が増加したこと示唆する論文からです。この論文ではノルウェーにおいて、インターネットが普及した地域においてレイプ、およびその他の性犯罪が増加したことが述べられています。そしてAbstract最後では、”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.”、つまりインターネットによって性犯罪は増加したこと示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう、とまで述べられているわけです。

追記:ここではPossiblyという表現をおそらく、と訳すのは不正確でした。もしかすると、という表現の方が適切だったと思います。ただこのこと自体は私の主張を崩すものだとは思っていません。詳しくは(https://anond.hatelabo.jp/20220607234113)を見て頂ければ幸いです。

このように、手嶋氏はなぜかKendall (2007)という査読されずに15年も経っている論文を子細に扱いつつ、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)という経済学トップジャーナル掲載された論文無視しています百歩譲ってKendall (2007)が重要論文で、説明する価値があるにしても、それと相反する結果が出たBhullerらの論文結論を述べず、手法問題点が…と曖昧引用するのは全く理解できないことです。これこそ手嶋氏が誘導したい結論合致する論文のみをとりあげる、知的誠実さを欠いた行いです。

追記:一番上の追記で述べたように、私は手嶋氏が初稿で両者の論文を把握していると誤解していました。実際には指摘を受けて追加した、ということのようです。しかし本稿の趣旨意見に変わりはありません。その点については一番上の追記を見て頂ければ幸いです。

本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべきです。手嶋氏はあたか科学的、中立的であるような風を装いながら、自分の意に沿う、決して評価が高いとは言えない論文のみを詳細に取り上げ、学術的に評価が高い論文を軽視(無視)しています。またそれにより、あたかもこのテーマについて学問的なコンセンサスがあるような、間違った印象を読者に与えていますこのような行為学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです。

手嶋氏には論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません。

論文リンクを張っておきます

Kendall (2007) : http://pirate.shu.edu/~rotthoku/Liberty/internet%20crime.pdf

Bhuller et. al. (2013) : https://doi.org/10.1093/restud/rdt013

追記

「手嶋氏は指摘を受けて修正した。だから誠実ではないか」という意見があります。これは大きな間違いです。Kendall (2007)は未査読のまま15年経った論文であり、Bhuller et. al. (2013)は査読を受け、一流の雑誌に載った論文です。この二つの論文信頼性には雲泥の差があります。この二つの論文を対等に扱うことすらおかしいのです。ましてや手嶋氏のようにKendall (2007)のみを子細に取り上げることなど、常識的研究倫理を持つ人間ならまずありえないことです。

そして修正された文章を見ても、そもそもBhuller et. al. (2013)がKendall (2007)と異なる結論を導き出していることは読み取れません。私は最初、おそらく多くの読者と同じように、Bhuller et. al. (2013)はより洗練された手法でKendall (2007)と同じ結論を導いたものだと理解していました。手嶋氏は明らかにBhuller et. al. (2013)の結果を隠し、間違った印象を読者に与えることに固執しています。この追記あくまお茶を濁し、読者の誤解を誘うように書かれています

繰り返しますが、手嶋氏が真に知的に誠実な行いをしたいのであれば、Bhullerらの論文吟味したうえで、それでも自分の主張が正しい、もしくはKendal (2007)のほうが説得的な論文であることを議論すべきです。そうでないなら、経済学という学問価値規範に沿って、未査読のKendall (2007)ではなく、Bhuller et. al. (2013)のほうを重点的に解説すべきでしょう。失礼ながら、手嶋氏は経済学の専門的な教育を受けていないようなので、これらの論文理解し、その信ぴょう性を比較する能力があるとは思えませんが…。

ちょっとかい論点(および追加的な説明)について追記しました。ごちゃごちゃしてすいません。

https://anond.hatelabo.jp/20220607234113

追伸:

はてなブックマークを見たところ、この問題点を指摘しているのは私だけのようです。研究者としての訓練を(修士しろ博士しろ)受けたものであれば、Unpublished Manuscriptを子細に取り上げ、トップジャーナル掲載された論文を軽視するやり方に一目で違和感を抱くはずだと思います。このような初歩的な問題点を無視することもまた、知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう。

2022-06-03

世界最大の植物、豪シャーク湾発見 4500年かけ180キロわたり拡大か

2022年6月2日

Shark Bay seagrass

画像提供, Rachel Austin

画像説明,

世界最大の海草の面積はサッカー場2万個分に相当するという(豪シャーク湾

オーストラリア西岸シャーク湾でこのほど、米マンハッタン島の約3倍の広さにわたって広がっている海草が見つかった。地球上で最も大きな植物だという。この研究学術誌「Proceedings of the Royal Society B」に1日に掲載された。

西オーストラリア州には海中に大きな海草藻場があるが、今回遺伝子検査を行ったところ、これが1つの海草からなるものだと判明した。

通常は1年に最大35センチ程度成長するといい、少なくとも4500年もの時間をかけて1つの種子から広がったと考えられる。

西オーストラリア大学研究者たちによると、この海草は約200平方キロメートルもの範囲を覆っている。

研究者も仰天

研究チームは、オーストラリア沿岸部でよくみられる種の遺伝多様性について調べていた際、パースの北約800キロにあるシャーク湾で偶然、この事実発見した。

研究者たちは湾内から採取した1万8000個の遺伝子マーカーを調べ、それぞれのサンプルから指紋」を作成した。この海草藻場を構成する植物の数を調べるのが目的だったという。

「その答えに私たちは仰天しました。たった1種だったなんて!」と、研究の主執筆者であるジェーン・エッジロー氏は述べた。

「たった1つの植物シャーク湾で180キロ以上に広がり、地球上で最大の植物になっていました」

A birds eye image of a massive seagrass plant off the coast of Western Australia

画像提供, Angela Rossen

画像説明,

西オーストラリア州シャーク湾

世界最大のこの植物は、状況が荒々しく変化する湾内で成長しており、そのたくましさも注目すべき点と言える。

ほとんどの植物にとっては通常大きなストレスとなるような、温度の大きな変化や塩分、極端に強い日差しが降り注ぐ環境で育っており、回復能力が非常に高いようだ」と、研究チームのメンバーエリザベスシンクレア博士は述べた。

2022-06-01

学術論文ってエッチだね。ありがとう

昔、大好きだった大学先生告白して振られた女だけど、昨日ようやく先生研究凄さに気付いたよ!!

最近身辺整理が終わり落ち着いている状態なんだけど、なぜか今まで読めないでいた文章が読めるようになり……(??)

久しぶりに先生研究見よ!とググッたら論文が出てきたので、先生が書いたなんてエッチすぎる!と思いながら読んでたけど

こんな凄い研究してたの?とようやく気付く。内容はぼかすけど資金がゴニョゴニョで、自分が今働いている分野にも若干関わるので色々凄い

大学講義ではあまり扱わない分野だった(と思う)けど、ニコニコしながら嬉しそうに話されていたのを思い出す。先生はあれだけ嬉しそうに話すのはナゼ?と不思議だったので、ようやく納得。

あーあ!業務上必要そうならワンチャン関わりが持てたかもしれないのに!告白テロしたばかりに!絶対こんな頭のおかし人間は着拒!ブロック!されてるじゃん!

卒業前に「好きです」なんて言うものなら関係がぶち壊れるのは当たり前なので、告白しなきゃ良かった…告白テロには気を付けよう!

まあ1人の男性人生を掛けての研究成果なんてエッチなのでOKです

2022-05-30

anond:20220530174004

12-14歳を狙う風俗について詳しく

 

いや、学術的な興味があるのでね…

2022-05-28

正業正社員年収1000万円、副業で1000万ちょい円稼いでいる

円安なので副業収入正業収入になった。

副業: ソフトウェアエンジニアでUSテック企業でフルリモート1020時間休日含むので平日は毎日1~2時間くらい)

副業の方は確定申告に備えて個人事業として開業届を出して起業

起業はいつかできたらいいなと思ってたが、仕事が先に来て起業が後に来るとは思っていなかった。

でも、よくよく考えたらこれが普通起業パターンだよな。

仕事が無いのに起業して、起業してから具体的に何をするか考えるって、それってネット起業熱にあてられてる気がする。

でも実際有名ベンチャー立ち上げた人とか「仕事もないのに起業たか最初の数年は本当に苦しかった」って書いてる人ちょくちょく見るけど、

本当のところはどうなんだと思う。

起業して食っていけそうだと思ったかサラリーマン辞めて起業してるんだよね?

実際は小さめかもしれないけどちょくちょく知り合いや昔の客から仕事貰ってたんだよね?つまり先に仕事があったんだよね?

から起業して何やるか全くアイデア無いのにとりあえず起業だけしてる人って結局何もできずに終わってる気がするんだけどどうだろう

追記
正業について

コンサルエンジニア企業ではない民間一般事業会社ソフトウェア開発でメシ食ってる会社ではない。

正業ジョブ型じゃなく年功序列型のメンバーシップ型な会社

 →ジョブ型にしてポジション採用すりゃいいのにといつも思っているが、総合職採用継続している。総合職採用メンバーシップ型は一体の関係なんだろうね。

  ジョブ型に移行するなら年功序列終身雇用メンバーシップ型は必然的ストップすることになるが、今現在40代以上の人が突然ジョブ型に転換しろといってできるわけがなく、

  おそらく少なくともあと1020年はメンバーシップ型でやっていく模様。とはいえ中途採用者数が新卒採用を上回る年が増えつつある。。

  これって実質新卒一括採用が終わり始めてるってことだよね。そもそも新卒学生数が減りすぎてて新卒採用する方が中途採用よりも厳しいのが現実だろうけど。

・ちなみに副業始める前に人事に副業していいか確認した。確認したが、競業してる会社副業じゃない限り会社から副業をするなとは言えないらしい。

 →そりゃそうだよね。世の中土日に少年野球コーチとか審判やって謝礼貰ってるパパとか結構な数いるとは思うけど、

  会社が「謝礼貰って少年野球コーチやるのは副業禁止規定に反する!」なんて言えるわけもないし。

 →とはいえ公務員だと謝礼を伴う少年野球コーチ審判ピアノ指導ダンス指導Youtuber、全部一律ダメなんだよね?そりゃ東大卒官僚志望者数が激減するわけだ。

  正直官僚志望の学生が減ってるのは公務員の厳しすぎる副業禁止規定がかなりでかいと思う。人生機会損失があまりにも大きすぎる。。


副業について

副業ジョブ型でリスク取りに行って、正業メンバーシップ型でリスク相殺してセーフティーネットを確保する、このやり方だと生活が安定しかつ多額の報酬も狙えてかつリスクも低い働き方を実現できる。

 →犠牲になるのは遊ぶ時間だが、好きでやってる仕事天職だと思ってるので、遊び時間飲み会時間を削っても個人的には人生の損失を一切感じない。ここらへんの価値観は人によるだろうね。

  副業やって収入やすより俺は飲み会会社の人たちとワイワイやりたいんだ、という価値観の人が無理に好きなことする時間削って副業する必要は一切無いと思う。

副業の方はやってること自体ゴリゴリソフトウェア開発なんだけど、向こうの会社のタイトル的にはITコンサル的な扱いになってて助言や技術サポートをしていることになってる。

 →なので勤務時間は決まってはいないけど、USタイムゾーンに合わせるために朝4時に起きて正業の勤務開始前にリモート会議出たり逆に深夜2時まで起きてチャット対応したり柔軟に対応してる


やってみるまで気が付かなかった副業の隠れたメリット

・現時点で副業は直接雇用関係ではなく外部コンサル扱いなため副業側に健康保険厚生年金は一切かからない。実収入に対する社会保険負担率が激減していることを実感している。

個人事業主として技術コンサル報酬を売上として記録しているが、サービス消費地アメリカであるため日本消費税が一切かからない。

 →つまり自動車の輸出みたいな形になっている。まてよ、だとしたら仕事のために買ったパソコン検証用のスマホタブレット消費税は還付されるのかこれ?


海外フルリモートワークについて

・フルリモート副業でUSの会社で働く経験してみて思うが、ここ数年の海外フルリモートワーク関係シリコンバレーベンチャー進化が凄まじい。

 →海外リモートエンジニアへの報酬の振込サービスとか、経費処理サービス電子契約管理サービス電子印鑑・電子署名)とか、ストックオプションの管理サービスとか、多分2,3年後には

  日本でもかなり一般に触れるサービスになると思う。

・あり得ないほど高騰してるアメリカソフトウェアエンジニア報酬に比べ、日本エンジニアは向こうからしたらあり得ないくら採用コストが低い。

・例えば30代のそこそこスキルある中堅エンジニア年収600万円で働いてると言ったらアメリカ人は絶句する。

英語抵抗が無い日本ソフトウェアエンジニアアメリカ企業リモート勤務で採用するケースは今後数年爆発的に増えると思う。

・USテック企業はいっても、エンジニアだけを採用しているわけではなく、広報(コーポレートコミュニケーションと良く言う)、営業HR、総務、コーポレートコントロラージョブ募集していることが多い。

 →なので、プログラミング能力が無くても英語さえできればUSテック企業日本からしたら大金と思える給料ジョブを得ることは可能

自民党はWeb3で国を興す!と言っているが、それをさらに発展させてIT技術海外輸出しやすい国にする政策を推進してほしい。

 ドルは稼げるしソフトウェアエンジニアは経費がほぼ掛からないので所得税もがっぽり取れるし(泣)、日本ITエンジニア別に海外エンジニア比較して

 英語以外の面で特段劣っているとは思わないので、自分のように海外フルリモート副業する人が増えれば税収も増えるし外貨も獲得できて国にとってもプラスしかないはず。

・上でも書いたけどソフトウェアエンジニア仕入れが無いんだぜ?つまり円安になって円建ての仕入れ価格が上がっても関係なく売上(≒ほぼ利益)が円安分だけそのまんま増えていく。

 →なので行き過ぎた円安を防ぐビルトインスタビライザーとして機能するのでは?

追記2

ここでイキって増田に書いちゃうあたり、ここが最高潮で、これがあと何年持つかわからないスタイルの人だなと予測してしまうクセがついてる……頑張って欲しいんですよ一応

これはとても良いコメント。実は本人も全く同じことを考えていた。

(以下、後から読み返したら恥ずかしくなることが確実なので時間がたったら削除する予定)

本業年収1000万円を超えた時は特に自慢したいと思うことは無かったが、ソフトウェアエンジニア界隈ではそこまでレアでもない副業ちょっとかじっただけで気持ちがとても浮ついている。

本来なら匿名日記を書く時間勉強をしたいのに、あたか自分は「達成した人間なんだ」という浮ついた気持ち支配されてしまい下らない匿名日記一生懸命書くことに人生を消費してしまっている。

これはつまり、今以上の良い立場状態を目指す情熱に欠けた状態、つまりここまでが自分の器なんだなということなのかもしれないと思い始めている。

それまでもいくつかの競争や達成を経験してきたが、それでもまだやることがある、自分はより良い人生を目指せるはずだと寡黙に思い続けて今まで頑張ってきたはずだった。

しかしここから先の道は正直自分の器以上の立場待遇を得るための試練になるだろうと思っている。

ここから先が自分にとって人生における人的資本等価交換ではなく「本質的利益」を得るための闘いになるもの覚悟している。

人生というのは本質的には「等価交換」の連続だと思っている。

一人の人間に与えられた寿命若さ頭脳容姿身体能力、体力、気力、家族地域環境、運など、あらゆる人的資本効率的に「等価交換」していった結果、それが時間とともに金銭財産だったり親友の多さなどの人的財産だったり学術的な発見等の知的財産だったりと何らかの外から得た資産結果的に交換されていく。つまり大富豪になったり芸能人になったり成功したセレブリティというのは、効率的等価交換を繰り返していった挙句の一つの結果に過ぎないと考えている。

例えば、親の遺産10億円を手に入れた人間は、親の死と10億円を等価交換している。つまり、ここに本質的利益存在しない。利益ゼロだ。世襲政治家が親の地盤を引き継いで2世政治家として地元から出馬議席を親と交換することも、本質的利益ゼロだ。東大理三に元々合格できる頭脳人間が理三に合格した、これも等価交換に近く利益を得ているとはいいがたい。

しかし、例えば本来10億円という金額財産を得るはずのない人間がその財産を得た場合はどうだ。理三に合格するはずのない人間合格した場合は?等価交換によっては得られない立場状態を得ること、これこそが「本質的利益」ではないだろうか。

だとすれば今の自分もようやく「本質的利益」を追求できる立場まで来たと言えるのではないか。ここから自分人生における真の利益を得られるかどうかの分水嶺かもしれない。

2022-05-22

anond:20220522132623

逆に音楽理論的でどういう音階ならハーモニーが生まれるかは分かっているのだから

そういった音楽理論経験と堪、あと実験でなんとかなってたのでは

宮廷音楽ぐらい昔ではそういった手間暇を惜しまなかったのでは

音楽は娯楽というより学術とか教養とか宗教みたいな高尚なものだったわけだし

2022-05-18

anond:20220517221222

逆に池袋暴走は、あの老人が元日学術会議会員であることには絶対に触れないんだからちゃんと選んで陰謀論してんのよ

2022-05-17

インポという言葉が好き

Impotentzというドイツ語日本語のチンポと同じ語感を持っていたという奇跡シンクロニシティ性的不能という深刻な症状に対してどこか軽快さと明るさを持っているインポという言葉の響き。でもインポテンツとフルで呼ぶと一気に学術的な響きになる二面性。最近はすっかりEDという言葉に取って代わられてる感があるけど、日本人からこそ声に出して読む価値のある素敵な言葉だと思う。Everybody say インポ

2022-05-13

就職氷河期世代就職氷河期世代を助けない

https://anond.hatelabo.jp/20220509195813

 

かにそうかもなーって思った。

就職氷河期の初期世代で、リーマン東日本大震災の影響もモロ受けた。

とはいえ自分はすごく運が良い方で、紆余曲折経つつも、ここ数年でやっとマトモな収入を得られるようになった。

個人的には職務の割には少ないなと思ってるけど、同年齢の平均年収よりは貰っている。

でも、ここまで辿り着くまで本当に時間がかかった。ブラック企業に勤めていた時もあったし。

 

就職氷河期時代就職失敗について、自分自己責任だって思ったことがない。

 

あの時代企業はそろって新卒採用を絞ったり停止したので、そもそも応募できる会社が非常に少なかった。

知名度の高い企業の多くは、ハガキ会社案内を取り寄せることで応募ができるようになっていた記憶がある。

女性名請求すると反応がない会社も少なくなく、対して男性名請求では普通に送ってくるので、男性同級生名前を借りて請求する事もあった。

やっと応募できても、選考が5次6次まであるのもザラで、採用ではなく「0までふるい落とす」のが主目的のようだった。

新卒採用をするように要請は受けていたみたいだけど、形だけ取り繕って「採用するほどの人材はいませんでした」というポーズを取って逃げた会社もある。

圧迫面接もすごくて、自分は「(あなたの)前に面接した人は泣いて帰ったけど、あなたは泣かないんだね。泣かなかったから、数時間後にある学術試験受けてもいいですよ」って言われたくらい、詰められていびられた事もある。

その面接官については、20年以上経過しているのに、いまだに「零細企業勤めの若造の分際で何を言ってるんだ。ばっかじゃねーの」と思ってる。けれど、特にもならない超つまらない話なので、会社名は綺麗さっぱり忘れた。

 

そんな感じだったので、とても努力だけでは抜け出せない。

あの雰囲気は、当時の渦に身をおかないとなかなか理解できないと思う。

ちなみに、初期の頃は「青田買い」は健在だったらしく、旧帝大とかの上位校ではあまり困っていなかったと後年聞いた。

 

一部の優秀な学生を除いて、努力タイミングと思い切りの良さの全てが揃ってはじめて、「どうにかなるかもしれない」という感じだった。

自分よりもずっと優秀なのにダメになった人を見たことがあるし、やっと入社できても「教育はしない。見て覚えろ。すぐに仕事を覚えられなかったり、精神病んだら見捨てる」という会社も多かった。

結果論ではあるけど、「飛び込むぞ!失敗したらそこまでだ」という捨身にも似た思い切りの良さと、ちょっとした状況の見極め力が重要だったと思ってる。

 

今いる業界は景気もいいし、仕事があっても人が足りないので、中途採用積極的にやってる。

自分現場責任者ということで採用活動に参加してる。

 

うちの会社年功序列廃止したので、実績ベースオファー年収を決定している。

ちなみに正規非正規は気にしていなくて、とにかく「なにができるのか」「どんな将来を考えているのか」で見ている。

 

たくさん面接したわけではないけど、自分と同年代の人の傾向が「40代半ばにして初めての転職」か「非正規で大量の職歴がある(1〜2年契約を繰り返すから)」。

特に非正規で大量の職歴がある」人の話を聞くと、かなり苦労をしている。身に覚えがある話もあり、すごくよくわかる。

 

でも、苦労しているけど、明らかにスキルが低い。うちの会社だと新卒入社して3〜5年程度と同じくらいという時もある。

から内定となる場合オファー年収がかなり低くなる。

特にジョブチェンジやそれに近い人は、本人が驚くくらい下がる。こっちも計算結果にめちゃくちゃ驚いて、しばし思考停止するんだけど。

 

本当は、同年代の人に、25〜28歳くらいの社員と同等の年収オファーを出すのは嫌なんだよ。やっぱり相手生活のこととか考えちゃうから

でも、年齢ではなく「実績」で計算するから、どうしても本人希望年収に到達しないことが多い。

なぜ、嫌でもその年収オファーを出すかというと、既存社員との相性も良さそうで、何より1〜2年経てば本人の希望する年収に到達する可能性が極めて高いからなんだよね。

限られた予算の中で採用しているので、100%スキルを満たす人材を得るのは難しい。そのため、会社既存メンバーとうまくやれそうで、入社後の成長が見込めそうならば、スキルが足りなくてもオファーする傾向はあると思う。

 

でも、ダメなんだよね。結局お断り

オファー年収出すために、実績と面接時の質問を基に仮評価するけれど、貢献できるところと足りないところをはっきり明示するので、それも辛いのかもしれない。

 

いや、うちの会社オファー年収が渋いのはわかっている。

自分もたまに「若手に渋すぎない?」って思ってるところがあるから最初役職が付くまでは低めなので)。

ただ、全員に渋いかと言えばそうじゃなくて、これを逃せば採用できないスキルを持っていると、年齢性別関係なく希望年収オファーするんだよ。場合によってはちょっと積む。

 

うちに来てる応募者だけかもしれないし、お金のかかる年代でもあるので、「能力が足りないので、これ以上出せません。入社後の業務遂行状態に相応しい査定します」というのに納得できないのかも。

自分たちは「入社したら上がりますよ」とは絶対に言わない。「実績」で査定するので、成果が出なければ給料が下がる可能性もある。嘘や上辺だけの言葉を言うわけにいかない。

現状景気の良い業界だし、今まで長年苦労してきたし、ここならまともなお給料がもらえるはず!…と思っている人が多いのかなって思った。

苦労はしていると思うけど、スキルが足りないのはどうしようもない。いや、苦労したから、スキルを養えなかったとも言えるのかもしれないけど。

 

たまに、自分がその立場だったらどうするだろうって考えることがある。

ジョブチェンジに近い転職オファー年収想像以上に低かったら、自分はどんな選択をするだろう。

他社の結果にもよるけど、同じような結果が出た場合スキル不足は確実なので、2〜3年死ぬほど頑張ってスキルを磨けるような会社転職する。

社内で年収が上がらなければ、そのスキルを持ってとっとと転職しよう…くらいは計画を立てそうな気がする。

 

そこまで考えると「目の前のことしか考えてないかも」という事に気づく。

 

自分は今の収入を得るために、拙いながらも戦略を立てながら仕事をしてきた。

スキルがおぼつかない時は、どこでも通用するスキルを養えるのであれば、ぎりぎり生活できる程度の収入でよしとした。

ある程度のスキルを養った後は、年収を上げるための転職を繰り返したし、転職先でも死ぬ気で働いて、さらスキルを増やしていった。

歳を重ねるようにスキルを積み重ねてきたんだけど、中年ジョブチェンジに近い転職をする人は、この考えが薄いのかなと思う。

 

今までの社会人経験無視するつもりはないけど、年齢を重ねているか年収もそれなりに上がるという考え方は誰も納得しないと思う。

 

と、ここまで考えて「氷河期世代氷河期世代を助けない。自己責任と責める」というようなコメントを読んで、そうかもしれないなーって思った。

うん。

こう考えるのは、「戦略的に仕事してこなかったのが悪いんじゃないか」って自分もどこかで思ってるってことだよなあ。

とはいえ会社規定通りに計算しているので、自分がどうこうできるものではない。

そこを断るか、受け入れるかは個人意思なので、他人にはどうすることもできないよね。

 

 

通常は「●●世代」って感じたことがない。

部下に「僕はゆとり世代だって思われたくないです!」と唐突に言われた時に、

「え、君の年代って『ゆとり世代』なの?どっからどこまで『ゆとり世代』なの??っていうか、『●●世代』って仕事の出来になにか関係ある??」

…って答えちゃうぐらいに意識してない。

 

そもそも仕事相手世代の呼ばれ方とか、学歴とか未婚・既婚・子あり・子なしとか意識しないよね。

それを知ったところで、仕事の進捗にはなんら寄与しないし、知りたいとも思わないし。

 

「●●世代」という区分けをすることで、世代間や世代内の争いを誘発して得している人がいるってことなんだろうなあ。

得している…政治家とか?なんかありそうだよね。

2022-05-07

anond:20220507130528

フェミニズムナチス思想と違う」と主張するには、ナチス思想との違い、例えば自分正当性根拠説明する必要がある。

でもフェミニズムは自らに対する明確な線引きから逃げてきたからね。フェミニストに対する話の通じなさは宗教原理主義レベル

フェミニスト攻撃力に全振りしていて防御力が全くない状態とも言える。

からフェミニストは、学術スキルではなく、「〜には当たらない」論やごはん論法ベース詭弁スキルでその場を凌ぐインチキスキルばかりが伸びるんだよね。

フェミニストと話していて、「こいつら議論の態度悪すぎ」となる事が多いのも、それが理由

2022-04-25

政府表現の自由観点から出版支援はしないだろうが、学術系の出版が衰退したら産業も衰退しないだろうか

例えば半導体技術だと、日本場合出版される本は全盛期でも少なかった。

簡単説明は多く見つかるが、実務レベルになると無い。


中国半導体産業は勢いがあるが、書籍ウォッチすると、実務レベル書籍はそれなりにある。

中国キャッチアップする段階だったり、雇用流動性が高く共通バックグラウンド知識を持っているか確認する必要があるのかとか、

すぐ実務で使える内容に需要があるとか、

色んな理由はあるのだろうが、端的に「ああ、日本はそりゃ負けるな」という印象を持つ。


日本政府からすると出版に直接支援はおそらくしにくい。

表現の自由観点があり、政府とは離れている方がいいと考えるのは普通だろう。

産業が稼いでいれば出版も盛り上がるはず、というルート選択するしかない。


書籍が出なくてもネット役割果たしているというのであれば問題ない。

2022-04-23

anond:20220423164321

規制母体規制根拠の在り方だ。

規制母体については、①国②公的団体業界団体学術団体などが考えられるが、どれなのだろうか。

自民党青少年健全育成法でやろうとしたのは、各業界毎に自主規制組織を作らせ、それを大臣管轄する機関統轄するという仕組み。

規制あくまでも業界団体自主的にやっていることなので、大臣の息掛かった国の機関から「適切な指導や助言」があるだけで国家による検閲ではないという完璧作戦

最近フェミニストイズムな人達第三者機関としてジェンダーの造詣に詳しい人間にあらゆる広告表現をチェックさせる仕組みを作るべきだと殊更に主張するので、みんな嫌ってるフリをしてるだけで本心では自民党が好きなんだなーって感心しちゃう

表現規制」の具体的な形は何なのだろうか

表現の自由」関連の議論となるたびに、表現規制必要だという意見が出る。

しかし、その具体的なイメージが全く掴めないので、私も賛成していいかからない。

なので、素朴に増田質問してみようと思った。

私がわからないのは、まずは2つ。

規制母体規制根拠の在り方だ。

規制母体については、①国②公的団体業界団体学術団体などが考えられるが、どれなのだろうか。

それとも、現状のようなインターネット上の意見を、ひとつの形に集約するような組織が立ち上がるのだろうか。

あと、規制根拠の在り方として、その根拠はどれくらい明示化されるのだろうか。

規制対象となる具体的な表現を明示する(例えば、裸体は不可みたいな)

規制方針抽象的に示す(最近だと「3つのP」みたいな。まあ、あれはポジティブリストのようだが)

規制はケースバイケースとし、世論によって決める。(これだとほぼ現状に近い)

というような、皆が考える表現規制の具体的なイメージを知りたいと思った。

Twitter等で検索してみると似たような主張が大量に発掘される、それをキャプ翼論法とでも呼ぶべきか・・・

つりがねむし @Tsurigane_mushi

漫画アニメなどの表現は人に影響など与えない」と言ってるオタクに「じゃあキャプテン翼の影響でサッカーを始めた人は?」と言っても、堂々と「それは悪い影響じゃないか問題ない」と返してくるので徒労になる 彼らはオタク表現無罪論を唱えたいだけなので、これがダブスタとの自覚すらない

https://twitter.com/Tsurigane_mushi/status/1479650987459907593

しお(汐街コナ) @sodium

女は淑やかにと言われた時代に描かれた「ベルサイユの薔薇」や「はいからさんが通る」は、少女たちに、もっと主体性を持って生きて良いんだと伝えただろう。

日本サッカーが「不人気なスポーツ」だった時代に描かれた「キャプテン翼」は日本どころか世界サッカー界も変えた。

https://twitter.com/sodium/status/1515157859906260992



表自界隈はこの不都合論法卑怯にも無視・・・してはおらず、周回遅れの議論であることが指摘されていた

手嶋海嶺ゆっくり生命体) @TeshimaKairei

DiamondらやFergusonらの査読付き学術論文を読んでいれば、「キャプ翼はどうなんだ?」みたいな雑な議論はとっくの昔に通り過ぎているとが分かるでしょう。

ダブスタというか、単につりがねむし氏@Tsurigane_mushiの科学的知見がアップデートされてないだけ。

性犯罪性差別に全く関心がないのね。

https://twitter.com/TeshimaKairei/status/1480086090749194242



表現悪影響論・表現規制論に対抗するための『理論武装』~その科学的根拠~|手嶋海嶺|note

汐街コナ氏の表現論、その問題点~多様性、悪影響、炎上~|手嶋海嶺|note

この指摘以降もキャプ翼論法やそれに類似した主張(例えば下記の記事コメント・・・飲食物論法?)は各所で擦られ続けているので、今後もリテラシーの低い周回遅れな議論は繰り返されることだろうが・・・

[B! togetter] オタクなら誰でも一度はマンガやアニメに影響されて特定の食品や飲み物を継続的に摂取した過去がある説→「ほぅ…炭酸抜きのコーラですか…」

みなさんフィクションの影響は受けないんじゃなかったでしたっけ?実際は良い影響も悪い影響もフィクションは及ぼす。

二次元現実に影響を与えない」と言い張る人達は、こういうのもちゃん否定しないとね。

2022-04-22

anond:20220422161805

そうじゃなくて

世間一般で使われている言葉学者がその都度定義している」のであるならば

まり世間一般で使われている学術的ではない言葉だというのが第一義であり、社会学者研究する時だけは限定的定義を与えることもあるけれども、基本的には学者でない人々が学者定義とまったく関係なしに使っている自然発生したミームにすぎないってことじゃん

ジェンダー用語って学術用語なの?

はてなーのお陰で色んなジェンダー文字用語を覚えたけど、よく考えたら学問学術専門用語としておかしくね?って気がしてきた。

100歩譲って「これこれこういう状況をこう呼びますよ」、ならいいんだけど、自分が目にするのは批判したら反論されて「トーンポリシングやめてください」「それはマンスプレイニングだ」「これ以上はシーライオニング」みたいな議論逃げ口上としての使い方ばっかじゃねーか。こんな使い方される学術用語、他の学問じゃ聞いたこと無いんだけど。

議論対話自体非難するために学術用語使って拒否するようなのが、本当に学問なのか?それともそういう使い方をしてる社会学者研究者が特異なだけなのか?

2022-04-16

anond:20220416174942

日経経済記事国策記事科学技術記事等で最低限のレベルをみたしていて、会社員共通基盤になっているのでつぶれることはなさそう。

朝日記事レベルが低いと個人的には思う。一般紙として生き残るレベルにないので、今後じわじわダメになっていくと思う。

昔は教員の皆様の購読が多く教育関係レベルが少し高かったが、少子高齢化大学の衰退で、日本学術全体の斜陽化と一緒に

新聞自体も衰退していっているように見える。新聞発行部数も少しずつ減って単体では赤字ギリギリ位ではなかったか

教育関係夫婦教員世帯年収1500万クラス地位の安定した読者に支えられていたが、最近どうなのかな。

教育現場からしんどいしんどいしんどいという声しか聞こえてこない。人徳者の先生の話も聞かないな。

2022-04-15

anond:20220415180545

自分はIQ130以上のメンサ会員で、京大理工学部出身だよ。論文学術誌にいくつか掲載されている。

今は年収3200万、年商だと1億を超えて18歳の彼女がいるし結婚考えているけど君は?

2022-04-14

[]本屋必要ならVR本屋を作ればいいじゃない

本屋図書館みたいな空間Amazon等のオンライン書店から書影を借りて並べるの

オンライン書店の「関連本」や「この本を買った人は~」のお勧め枠と違って本がずらりと並ぶ光景があるから目的ジャンル以外の本も自然と目につく

リアル書店と同じように平積みも面陳列もあって本屋に入って目当ての本の場所に移動するまでに新刊売れ筋本のチェックができる

電子書籍になってるなら試し読みで十数ページは読めるから立ち読みできる機能もつけられる

裏表紙にはあらすじを表示させる

気に入った本を手に取りレジに持っていけばそのまま「買う」ことができ後日家に届く

なんだったらアカウントを取って誰でも「本屋」を開設できる機能をつける

自分選書して絵本専門店でも学術専門書店でも作ることができてAmazonのアフィリンクも貼り付けて本当に「稼ぐ」こともできるようにする

書店POP作成機能もつける

いくらアフィ稼ぎができるからってオリジナル本屋なんて手間かかるから誰も作らないって言うだろうけど、いやいや膨大な本を選んで1つ1つこだわりながら書棚に並べていくのは「マインクラフト」と同じだし、POPを作ったり並べ方工夫して店を飾り付けていくのは「どうぶつの森」だ

VR本屋作成アプリができればユーザーも集まる注目メタバースの一つになるだろう

2022-04-12

anond:20220412150835

まず第一統計では「影響がない」という主張は証明できない。影響があるとは言えない、までしか言えない。

よって影響があると思う人が影響があると示してください、となる。

第二に、たくさん実験が行われると、本当は正しいのに否定してしまったり、本当は間違ってるのに肯定してしまうことがある(第1種の過誤と第2種の過誤)

よって全体的に俯瞰して研究を見る必要があって、これは論文をいくつか出して言えるものではない。

総合して影響があると主張できるなら、それは学術的に大変価値がある研究なので、ぜひ学会で発表してください。

2022-04-11

anond:20220411234150

学術論文に出せるように論の補強に力を注ぐ学術的な話と社会運動的な話はわけが違うのも補足しておこう。

2022-04-03

生き残るための手段としての「ロシアに対するキャンセルカルチャー

原文

https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html

ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所日本国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナ文化外交責任者訳者感想最後に。

ロシア侵略開始からわずか数日後、ウクライナ文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化制裁」を実行し、プーチン政権ロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。

ウクライナ研究所は、国内海外パートナー団体専門家ネットワーク代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米学術団体大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト人権活動家教育関係者文化人たちが署名していて、在外ウクライナ人たちも同様のアピール拡散している。

ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物意図的破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所提供することに他ならない。ウクライナ研究所声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化政治的プロパガンダ手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国植民地ヒエラルキー体制確立してきたことを指弾した。このロシア行為に高名な学者キュレーター美術史家、財団理事美術館フェスティバルフィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシア政府機関に進んで協力してカネの出所無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシア芸術的プロジェクトを通じて広められた有害非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークMoMAロンドンの王立芸術院パリグランパレ十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。

ウクライナ爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化プーチン政治戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイドストエフスキーショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。

世界ウクライナとの連帯過去に類を見ないほど広がっており、世界文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナ文化外交課題を投げかけた。

メトロポリタン歌劇場カーネギーホールバイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフ歌手ネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭ロシア代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンロイヤルオペラハウスウクライナ戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナ難民支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドリトアニア団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。

そして、西側文化学術団体ウクライナロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権犠牲者」と位置付けることで、戦争犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。

こうして、23もの長期にわたってプーチン政権継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会政治的受動性、あるいは市民抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンカーンというロシアオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協施設となったバビ・ヤールのホロコーストメモリアルセンター芸術監督イリヤ・フルジャノフスキープーチン犯罪と戦うことを要求する書簡署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセルワシントンベルリンでは歓迎されたようだ。

これは偶然そうなったわけではない。西側ウクライナロシア関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自文化アイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシア帝国主義とウクライナ独立絶対に両立しない。ウクライナ武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要最前線なのだ

ウクライナロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナ辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシア文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイム解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。

ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアドンバスクリミアを含むウクライナ領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナ賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれ民主的政府市民社会メディアウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会自己批判深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである

もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナ今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポストソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界ロシア帝国主義や植民地主義の知識人さらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナ自分たち意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。

戦後ロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点コミュニケーション共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。

これが現在ウクライナ文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話和解を促進するべきではなく、ロシア文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちアイデンティティを守らなければならない。

それが私たちが生き残るための手段だ。

解説感想

訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。

ウクライナ研究所はそのブリティッシュカウンシルに範をとった機関として2017年設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュカウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。

lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌web版です。

で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半から西側批判面白い部分かなと思います特に文化界にありがちな既存ヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。

最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナ右翼問題言及しておきますと。

途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンター地元ウクライナユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナ反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナ情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーセルフプロモーション目的クズ扱いされてました。まあドンバス内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。

それと、元からウクライナユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側ユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側ネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナユダヤ人というのはソ連時代反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。

なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモスキーユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。

よってウクライナ極右というのは、西側ネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米学者ジャーナリストは「犯罪組織公然部門としての右翼団体」みたいなもの理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものコロモスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事経験のある右翼アニキ愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。

鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナ極右グループは実際にチェチェングルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチス紋章がどうだとかは暴走族旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザ盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います

というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊普通大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安悪化することを懸念してなくもないです。

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

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