はてなキーワード: 深い反省とは
ギリアンは、夜の闇が村を包むと、一人静かな家の中で燭台の光を眺めながら過去を思い返していました。彼の心は深い悩みで満たされており、柔らかな声が震えることもありました。彼は言葉を紡ぐごとに、過去の失敗を覆い隠す繊細な言葉の網を編んでいきます。一方で、彼の心の奥底では、真実と虚構の境界線がぼやけていくのを感じていました。
「こんなにも、言葉は強力なのか...」彼はつぶやきます。彼の目は遠くを見つめ、彼の心は自己反省の海に浮かんでいました。「でも、これが僕を救う唯一の道だ。」彼の言葉は静かで、しかし決意に満ちていました。
彼の心の中では、言葉の力が彼の過去を塗り替えるたびに、新しい自分が生まれ、古い自分が消えていく様子が描かれていました。彼は自分の行動に疑問を抱きつつも、この秘密を守るために言葉の魔法に頼るしかないと信じていました。この深夜のひそやかな時、彼は自分自身との葛藤と向き合い、新たな一歩を踏み出す勇気を見つけていました。
エリナは、村の静かな図書館で、ほこりっぽい書物の間を熱心に調べていました。彼女の眉間にはしわが寄り、時折深くため息をついていました。彼女はギリアンの言葉の背後にある真実を知ることに強い関心を持っていたのです。灯りのもと、彼女は一冊一冊の書物を丁寧にめくり、ギリアンの過去に関する情報を探っていました。
「なぜギリアンはあんなにも言葉を慎重に選ぶのだろう?」エリナは独り言を漏らしながら、ページをめくり続けます。「どこかおかしい...」彼女の心は疑念で満たされつつありました。
夜が更けるにつれ、エリナの瞳は疲れとともに真実を求める光を宿しました。彼女は自分の考えに自信が持てないことが多いですが、この問題に関しては違いました。彼女は何か大きな秘密が隠されていると感じており、その真相を突き止めることに強い意志を見せていました。
「この中に答えがあるはずだ...」エリナはそっとつぶやき、次のページをめくりました。彼女の心の中では、ギリアンの言葉の謎を解く鍵を見つけることへの期待と不安が交錯していました。彼女は夜通し調べ続ける決意を固め、真実を探る旅を続けていきます。
その日、ギリアンは村の広場で人々を集め、自分の「魔法の秘密」について熱心に語り始めました。彼の声は柔らかく、言葉は巧みに選ばれていましたが、エリナはその中に何か不自然なものを感じ取っていました。彼女の心は疑念で満たされ、真実を知るための決意が固まっていました。
エリナは群衆の中に静かに紛れ込み、小さな録音機を慎重に操作してギリアンの言葉を録音し始めました。彼女の手はわずかに震えていましたが、その目は集中の光を放っていました。「これで何か手がかりがつかめるかもしれない」と彼女は心の中で思いました。
ギリアンは自分の言葉に自信を持っていましたが、エリナはその言葉の裏に隠された真実を見抜こうとしていました。録音機はギリアンの言葉を一つ一つ捉え、エリナはその内容を精密に分析する準備をしていました。彼女の心は、この行動がギリアンの秘密を暴く鍵になることを強く望んでいました。この瞬間、エリナはただの少女から、真実を追求する探偵へと変貌を遂げていました。
エリナがギリアンの録音を公開した時、村の広場は緊張で静まり返りました。録音が再生されると、村人たちはギリアンの言葉の真実を知り、その驚きと困惑の表情が広場に広がりました。ギリアンの言葉の裏に隠された意図と彼の過去の失敗が明らかになったのです。
しかし、村人たちが最も驚いたのは、ギリアンの反応でした。彼は怒りや否定ではなく、深い反省と謝罪の言葉を選びました。「私は間違っていました。過去の失敗から逃れようとして、皆さんを欺いてしまった。本当に申し訳ありません」とギリアンは静かに言いました。
その瞬間、エリナの心は複雑な感情で満たされました。彼女の行動が真実を明らかにしたことには満足感がありましたが、同時にギリアンの素直な反省には感動さえ覚えました。村人たちの反応も様々でしたが、多くの人がギリアンの誠実な態度に心を動かされました。
この出来事は、ギリアンにとってもエリナにとっても、そして村全体にとっても重要な転機となりました。ギリアンは自分の過去と向き合う勇気を持ち、エリナは真実を追求する力を証明しました。そして村人たちは、誤解や偏見を超えて互いを理解し、許すことの大切さを学びました。この日以降、村はより強く結束し、互いに支え合うコミュニティへと成長していきました。
この一連の出来事を通じて、村の人々は言葉の持つ力と個人の責任について深く考えるようになりました。村の長老は集会を開き、みんなが集まる中で、言葉が持つ影響力とそれに伴う責任について語りました。「私たちの言葉は、他人の人生に大きな影響を与えることができます。だからこそ、私たちはその力を正しく使い、誠実であるべきです」と長老は言いました。
エリナはこの出来事から多くを学びました。彼女は自分の行動が村に与えた影響を見て、自信を持つようになりました。彼女は真実を追求する勇気を持ち、正義感を持って行動することの重要性を理解しました。
一方、ギリアンも自分自身と向き合い、過去の失敗を受け入れることで、新しい人生を歩む決意をしました。彼は「私の過ちが、皆さんに教訓となったなら、それが私の新しい始まりです」と村人たちに話しました。
この経験を通じて、村の人々はお互いをより深く理解し、支え合うコミュニティとしての絆を強めました。言葉の力と責任についての教訓は、村人たちの心に深く刻まれ、これからの人生に大きな影響を与えることになりました。エリナとギリアン、そして村全体が、この出来事を通じて成長し、新たな未来へと一歩を踏み出したのでした。
エリナとギリアンの物語は、村にとって重要な教訓を残しました。この一連の出来事を通じて、村人たちは言葉の重要性と真実の価値を深く認識するようになりました。言葉がどのように他人に影響を与え、時には人生を変えることができるのかを理解し、真実を大切にする心を育てました。
エリナとギリアンの物語は、次世代の村人たちにも語り継がれるようになり、子どもたちには物語を通じて教育が行われました。彼らの経験は、言葉を慎重に使い、真実を尊重することの大切さを教える貴重な教材となりました。
また、この物語は村のコミュニティを強化しました。村人たちはお互いをより深く理解し、互いに支え合う関係を築くようになりました。エリナとギリアン自身も、この出来事を通じて成長し、新たな自分を見つけることができました。
エリナの勇気とギリアンの反省は、言葉の持つ力と責任、そして真実を大切にする心の重要性を村全体に伝えました。彼らの物語は、村の歴史に不可欠な一部となり、長い間語り継がれることになったのです。それは、言葉と真実が人々の心と社会に与える影響を永遠に思い出させる物語として、村の文化の一部となりました。
原文
https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html
ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所(日本の国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナの文化外交の責任者。訳者の感想は最後に。
ロシアの侵略開始からわずか数日後、ウクライナの文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化的制裁」を実行し、プーチン政権やロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物・団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。
ウクライナ研究所は、国内・海外のパートナー団体や専門家のネットワークの代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米の学術団体や大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化的制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト・人権活動家・教育関係者・文化人たちが署名していて、在外のウクライナ人たちも同様のアピールを拡散している。
ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法に違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物を意図的に破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪を正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所を提供することに他ならない。ウクライナ研究所は声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化を政治的プロパガンダの手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国と植民地のヒエラルキー体制を確立してきたことを指弾した。このロシアの行為に高名な学者、キュレーター、美術史家、財団理事、美術館、フェスティバル、フィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシアの政府機関に進んで協力してカネの出所を無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシアの芸術的プロジェクトを通じて広められた有害で非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークのMoMA、ロンドンの王立芸術院、パリのグラン・パレで十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから「最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアがウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。
ウクライナに爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムのロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化をプーチンの政治や戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイ、ドストエフスキー、ショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。
全世界とウクライナとの連帯は過去に類を見ないほど広がっており、世界の文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナの文化外交に課題を投げかけた。
メトロポリタン歌劇場、カーネギーホール、バイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフや歌手のネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアのアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭はロシアの代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスはウクライナの戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちがコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナの難民を支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドとリトアニアの団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。
そして、西側の文化学術団体はウクライナとロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権の犠牲者」と位置付けることで、戦争の犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。
こうして、23年もの長期にわたってプーチン政権が継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会の政治的受動性、あるいは市民の抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンとカーンというロシアのオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協的施設となったバビ・ヤールのホロコースト・メモリアル・センターの芸術監督イリヤ・フルジャノフスキーはプーチンの犯罪と戦うことを要求する書簡に署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセル、ワシントン、ベルリンでは歓迎されたようだ。
これは偶然そうなったわけではない。西側はウクライナとロシアの関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自の文化もアイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシアの帝国主義とウクライナの独立は絶対に両立しない。ウクライナは武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要な最前線なのだ。
ウクライナがロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナが辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシアの文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイムの解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。
ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアがドンバスとクリミアを含むウクライナの領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナに賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれる民主的な政府、市民社会、メディアはウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会の自己批判と深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである。
もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナが今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化的辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポスト・ソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界はロシアの帝国主義や植民地主義の知識人とさらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナは自分たちの意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。
「戦後のロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史を経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点、コミュニケーションや共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。
これが現在のウクライナの文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話や和解を促進するべきではなく、ロシアの文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちのアイデンティティを守らなければならない。
訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。
ウクライナ研究所はそのブリティッシュ・カウンシルに範をとった機関として2017年に設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュ・カウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本語wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。
lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌のweb版です。
で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半からの西側批判は面白い部分かなと思います。特に文化界にありがちな既存のヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。
最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナの右翼問題に言及しておきますと。
途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンターは地元ウクライナのユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナが反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナの情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーもセルフプロモーション目的のクズ扱いされてました。まあドンバスで内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。
それと、元からウクライナのユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側のユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側でネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナのユダヤ人というのはソ連時代に反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ人意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人が建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。
なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモイスキーがユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。
よってウクライナの極右というのは、西側のネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています。靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団の役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米の学者やジャーナリストは「犯罪的組織の公然部門としての右翼団体」みたいなものが理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものにコロモイスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事的経験のある右翼のアニキが愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明で日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。
鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナの極右グループは実際にチェチェンやグルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本の暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチスの紋章がどうだとかは暴走族が旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザの盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います。
というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊は普通の大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安が悪化することを懸念してなくもないです。
物心ついた頃から国会では揚げ足取りやっていた印象で、小渕さんから総理大臣はころころ変わり、うっかり小泉さんに期待してしまったり、国民がそりゃ今回は民主党に入れるでしょみたいなノリで流されてしまったり、3.11でメルトダウンしたり(未だに夢だったと信じたい)、オバマさんが羨ましかったり、日本の政治に期待しちゃいけないとこれでもかとゴシゴシ擦り込まれて生きてきた32歳(童貞)。
政治には期待できないからリーマンショックから脱して日本が元気になるには会社で頑張ろうと思ってやってきたけど、やっぱりそれも僕個人として間違いだったのかねえ。
アメリカは状況として酷いけど、それでも柔軟で対応策が毎日ニュースで届く(あのトランプがトップでも!)、韓国は初めはPCR検査を大量にやって感染者数の統計が爆発的に増えたけど、今は本当に落ち着いているし、検査をしている国だから数字が信用できる。行動履歴の追跡もあっという間に実現していてその対応の早さに驚く。
(関係ないけどサムスンとかLGのアグレッシブさが改めて裏付けされて、日本の会社が社内政治で話が進まず、いつも他社が先に出してからようやく上からお許しが出て商品が出せるのと一緒かもしれない。開拓しないとゆっくり会社として死ぬのにあと数年逃げ切りたいマネジメントは短年での失敗を逃げ切ることで頭が一杯で粗探ししかしないんだよね)
国民性として多数決すると日本は右往左往し続けて何も決められないのかなあ。それはやはり戦争の軍部の暴走が憲法に深い反省として刻み込まれている呪いみたいなものなのかなあ。
だからって改憲したいって訳じゃなくてまたこれから戦時の様相を呈してくるのであれば他国の主権が暴走し始めるような気もして、何が正解かはわからないだけど
北村は戦前戦中にわたり、戦意高揚のための軍人像などを数多く手がけた。
反核、反戦の美術評論家、故針生一郎氏は、北村について「戦後一転して平和や自由をうたいあげる公共彫刻に意欲を燃やしたが、戦前戦中の自作についての深い反省もなく百余歳まで生きたので、各地に醜悪無残な彫刻公害を残している」と酷評。その代表格が、北村の戦前戦中の作風そのままの男性裸像、平和祈念像ということなのだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nishinippon.co.jp/item/n/554327/
O村氏はこの像を支持するの?しないの?
私はこの判断に心から落胆し、新潮社という出版社そのものに心から失望した。
まず断っておくが、私は杉田水脈氏の記事(論文とは決して呼ばない)を一切支持しない。
一切、完全に、ただの一行たりともだ。
続く号で発表された杉田氏の擁護記事も、仮に部分的に事実があるとしても一切の論旨に賛同しない。
だが、私は『新潮45』が休刊したことについても深い憤りを覚えている。
杉田氏の記事ならびに擁護記事に批判が集まったあと、新潮社代表取締役の佐藤隆信氏は以下のようなリリースを発表した。
https://www.shinchosha.co.jp/sp/news/20180921.html
弊社は出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました。……
このリリースで佐藤氏は、『新潮45』が差別的な記事を掲載したとは一切認めていない。
まずはじめに言論の自由をうたい、《今後とも》差別には配慮する=今までも差別には配慮していた、としている。
『新潮45』の問題はあくまで「常識を逸脱した偏見」と「認識不足に満ちた表現」(不足に満ちた?)だ、ということだ。
https://www.shinchosha.co.jp/sp/news/20180925.html
会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。
これらのリリースから、新潮社が何を問題視して休刊に至ったのか、私にはよく読み取ることができない。
「言論の自由」を重要視するならば、「常識を逸脱した偏見」という言葉は矛盾している。
なぜなら、偏見は時に常識の顔をして生活に根付いているからだ。それに対抗しうるのは言論しかない。
「言論の自由」をうたうなら、常識から逸脱したことを謝罪するのは自殺行為だ。
「認識不足に満ちた表現」というのもよくわからない。誰の、何に対しての認識が不足していたのか不明瞭である。
(筆者の、LGBTに対する)認識が不足していたというならば、それは表現ではなく論旨そのものに直結する問題だ。
二度目のリリースの「編集体制が十分でなかった」ことから無理矢理意訳するなら、言論としての質が低かったことがもっとも重大な問題、と理解すればいいだろうか。
佐藤氏はこの問題に関して、何よりもまずはじめに言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立に言及した。
『新潮45』は、私の目には差別的・侮辱的で唾棄すべき蒙昧な文字列だったが、
佐藤氏は質が低いことは認めても、差別的であるとは最後まで言わなかった。
杉田氏の記事およびその擁護意見を、新潮社として「自由と多様性」の一部として認めるならそれでもよい、と私は思う。
だが、それが社としての意見だというならば、そして問題は「質の低さ」だというならば、少なくとも新潮社にはこの問題について「質の高い」意見を示す社会的な責任があったのではないか。
そして、「多様性」を庇護したいのならば、杉田氏および擁護意見への反論も意見として熟議し、「多様性のある」議論を展開するべきではなかったのか。
それこそが「言論の自由」を保証した、出版社としてあるべき姿だと思う。
その範を示すことが、長い歴史と信頼のある大手出版社の役割であり、代表取締役が「言論の自由」に言及した意味ではないのだろうか。
質の高い多様な意見を募るには歴史と信頼と知性の集積が必要だ。そんな出版社はそう多くはない。
けれど、新潮社ならできたんじゃないのか。
今回、新潮社は『新潮45』の廃刊という形での幕引きを図った。
批判に応答もせずに。
言論の自由をいちばんはじめにうたったはずなのに、世間の声に反応して言論の場そのものを潰すという、もっともするべきではないことをした。
しかし、新潮社は本当に、この幕引き以外選択肢はなかったのか。
新潮社でさえこんな風に逃げ出すしかないのなら、我々はいよいよ、批判を躊躇わなければならなくなる。
意見を示す出版社側は、「常識から逸脱した」意見を出すときは『新潮45』のように潰されることに怯えなければならず、
批判する消費者側は、自分自身の批判が言論の場を潰し、言論封殺の謗りを受けることに怯えなければならない。
新潮社は「質の高い」反論をすることも批判を受け止めることも投げ出して、結局真っ先に言及した「言論の自由」を蔑ろに踏みにじった。
私にはそう思える。
そして、そんな愚かな選択を、あの新潮社がしたことに心から失望している。
はじめて買った文芸誌はyomyomだった。
100%orangeのかわいい表紙に、めくると広がるとりどりの物語に心をときめかせて創刊から買い続けた。
新潮文庫の背表紙が好きだった。明朝体の文字だけのそっけなさ。
書店に行くたびあの背表紙群を眺めて、次は何を買おうと迷うのが楽しかった。読んでも読んでも読みたい本が尽きない。頼もしかった。
新書の玉石混淆さにはもう十年以上もうんざりしているけれど、それでも新潮新書には基本的に安心感を感じていたし、学生時代の論文でも、参考文献に新潮社の本を何冊も並べた。
今はただ悲しい。
本年5月6日に行われました関西学院大学アメリカンフットボール部と私たち日本大学アメリカンフットボール部の第51回定期戦での私たちのチームメイトの反則行為について、ケガを負ったQBの選手とご家族の皆様にお見舞いを申し上げるとともに、関西学院大学アメリカンフットボール部関係者の皆様、関東学生アメリカンフットボール連盟その他の関係者の皆様に、多大なご迷惑とご心労をおかけしてしまったことを、私たち日本大学アメリカンフットボール部選手一同、心よりお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。また、私たちの行為によりアメリカンフットボールという競技そのものへの信頼が損なわれかねない状況に至ってしまったことについて、アメリカンフットボールを愛する全ての皆様、そして社会の皆様に深くお詫び申し上げます。
今回の件が起こってから、私たちは、どうしてこのようなことになってしまったのか皆で悩みながら何度も話し合ってきましたが、まだ明確な答えが見つけられたわけではなく、これからも話し合いは続けていきたいと思います。また、これから捜査機関による捜査や大学が設置する第三者委員会の調査が行われるようですので、私たちも全面的に協力して、その結果も待ちたいと思います。なお、それらの捜査・調査に際しては、関係者の皆様にも、私たちが信じているチームメイトのように、誠実にありのまま全てをお話しして、その責任をしっかり受け止めて頂きたいと思っています。
ただ、少なくとも、私たちは、私たちの大切な仲間であるチームメイトがとても追い詰められた状態になっていたにもかかわらず、手助けすることができなかった私たちの責任はとても重いと考えています。これまで、私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることも無く信じきっていました。また、監督・コーチとの間や選手間のコミュニケーションも十分ではありませんでした。そのような私たちのふがいない姿勢が、今回の事態を招いてしまった一因であろうと深く反省しています。
私たちは、日本大学アメリカンフットボール部全体が生まれ変わる必要があることを自覚しています。今後、具体的に何をしていかなければならないかについては、これから選手一同とことん話し合って決めていきたいと思います。ただし、絶対に必要だと今思っていることは、対戦相手やアメリカンフットボールに関わる全ての人々に対する尊敬の念を忘れないこと、真の意味でのスポーツマンシップを理解して実践すること、グラウンドではもちろんのこと、日常生活の中でも恥ずかしくない責任ある行動を心がけるなど常にフェアプレイ精神を持ち続けることを全員が徹底することです。そのために何をしていく必要があるのか、皆様にご指導頂きながら、選手一人ひとりが自分自身に向き合って考え抜くとともに、チーム全体でよく話し合っていきたいと思います。
そして、いつか、私たち日本大学アメリカンフットボール部が、部の指導体制も含め生まれ変わったと皆様に認めていただいた時には、私たちが心から愛するアメリカンフットボールを他のチームの仲間たちとともにプレーできる機会を、お許しいただければ有難いと思っています。また、そのときには、もし可能であれば、私たちのチームメイトにも再びチームに戻ってきてもらい、一緒にプレーできればと願っています。
私たち選手一同の今の思いは以上のとおりです。私たちは、今回の件の深い反省のもと、真剣に、謙虚に、一丸となってチーム改革を実行していく所存ですので、どうかご指導のほど、よろしくお願い致します。