はてなキーワード: 養成とは
ラブライブ!サンシャイン!!ってあるじゃないですか。
主人公の高海千歌ちゃん、先輩スクールアイドルμ'sに憧れつつも、彼女たちのように「輝く」ことなんてできないよ…と悩み続けていたのが記憶に新しいです。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、高2になっていた。」
失礼な言い方ながら、こんな記事を読んでいるあなたのことでしょう。ぶっちゃけそんなに成功した人生を送ってるような方じゃないと思います。
年収が1000万、大切な人がいる、学歴、職歴、持ち家、彼氏彼女、人の価値を人が決める上でのステータスは各々が違います。それが高ければ低い人もいる。その高低で優劣をつけ、普段の生活で「アレよりはマシ」と比較し、なんとか穏やかな生活を送りたいと無意識に思っている。私は22年目の人生で、少ないながらも様々な本やドラマを鑑賞し、そんな人生を送っている人がほとんどなんだろうなと思いました。
年収1000万、大切な人がいる、学歴職歴etc... もしこれを読んでいるあなたが、これらのどれかを実際に所有しているとして、自分のこころに問いかけてほしい。
本当にそれで満足ですか?これまでの人生は胸を張って「満足でした」と即答できますか?
私はできません。
中学でそこそこ勉強を頑張って、そこそこの高校に入り、大学でもそこそこの大学に入り、来たる6月に23回目の誕生日を迎えて23歳になります。
昨年は海外留学も1年経験しました。多くの人とも言語を超えて交流をした気でいます。
来年からは就活が始まります。きっと、そこそこの企業に入るのでしょう。よくわかりません。
前置きが長くなりました。
これを読んでいるそこそこの人生を送るあなたにもうひとつ質問です。
本当に輝いている人をその網膜が捉え、脳裏にその映像が映し出されたとき、人はどうなると思いますか?
応えは、「受け止めきれない」です。
ラブライブ!サンシャイン!!の話に戻りますが、昨日2月25日(土)はAqoursの1stライブが横浜アリーナで開催されていました。
幸運なことに私も参加することができ、座席もセンターステージが近く、トロッコが通る通路真横という最高のポジションで、自分が本当にこんな席に座っていていいのかと思うほど。
はてな匿名ダイアリーで書くようなことでもないですが、私は本当にAqoursのある声優さんと結婚したいと思っています。ガチです。3年以内にLINEアカウントを交換するし、5年以内に結婚する。声優五カ年計画。
そんなことを言いつつも、「やっぱリアルの彼女もほしいよね」という訳で、先日「オタク辞める」宣言を発表したところです。
未だに携帯のアルバムから声優の画像が消えることもないですが、これ以上オタクみたいなイベントに行くのは辞めようという決意。
一方で、「某Aqours声優ちゃんと結婚したら、1stライブの話をされた時に反応に困る。要所要所でポイントを押さえ、共感しないと信用してもらえない。」という推測より、「Aqoursのライブには行こう。あれなら顔も覚えられないし。」という理由で今回のライブに参加した次第です。
結論、甘かった。
一挙手一投足、身体の頭からつま先、手の先の細かいところまで自分でコントロールしつつも、ステージの上で持ち前の若さと経験を武器に誰よりも大きく振る舞う彼女。
普段書かれているブログの文章のように、のびのびとして本当に自由。それでも、時折見せる20歳とは思えない刹那な慈しみの表情。本当に20歳とは思えない。
ライブ中盤。
トロッコを用いた楽曲で、某Aqours声優ちゃんが私のいるサイドへ。残念ながら私がいる方とは反対の、ステージ後方へと私の5m先で舵を切り、網膜がキャッチする彼女はどんどんと離れていってしまいました。
おとなしく切ない曲調だったこと、そしてそのなかでも可憐に踊りながらも私から離れる彼女を見てふと、「あんなに仕草が美しい人類は他にいない、絶対に結婚したい。」と思う。これまで彼女に対して抱いてきた感情で、一番強かった。
「来てよかった。彼女のパフォーマンスを見れてよかった。」そう思っていました。
ここまでは。
2曲目の曲中で、メンバー全員がトロッコに乗り、こちらへと向かって来ました。
私の横には通路、つまりこれから視界に何も遮るものなくAqoursを観れる。ヤバい。死ぬんじゃないか。しかもこの曲だけトロッコのスピードがやけに遅い。めっちゃ真ん前に来るやつ。
そうこうしているうちに、小宮有紗さんを先頭に多くのメンバーが目の前を通り過ぎるものの…私の方向から見えるのは正面ではなく、背中でした。
「それでもやっぱり声優さんってマジ綺麗だな。すげーわ。小宮さんとかあの茶髪どこで染めてんだろ、めちゃ綺麗。」とか油断していたところ、某Aqours声優ちゃんの番に。
「かわいい」
何もできない。
人は無力、何もできない。
あまりにも私の手の届きそうで届かない頭上で輝く彼女の姿を見て、私は何も為すこともできませんでした。
地下ドル現場のオタクみたいに「それ!」って言って指を指せばよかったのか、そんなことできない。思考が追いつかない。
μ'sのときはよかった。ステージの上にはライクの感情はあってもラブの感情を乗せることはなかったから。
南條さんを応援させていただきつつも、ラブな感情が芽生えることもなく、エモい時は「エモいなぁ。すげぇなぁ。」といったところで止まっていた。良くも悪くも。
好きな人がいれば、その動きに魅了され、感情の行き場がなくなる。
それを目の前でインファイト状態でやられたもんだ。無理、輝きすぎ。処理できない。
そしてその瞬間、初めて感じた「ステージ側の人間」と「ファン」の距離。
これまで3年以内にLINE交換したかった私、今思えば本当に甘かった。この両者の距離感を近所にある小川を飛び越えるくらいの難易度だと考えていた。甘い、甘すぎる。
何故なら、ステージで輝く彼女に対して、こちらは何を披露するでもなければ生産してもごくわずかなものしかクリエイトすることのできない「普通の人間」だからだ。
彼女の身振り手振りのひとつひとつには、幼い頃から鍛錬に鍛錬を重ね、養成所に入り私が想像することもできないであろうレッスンに耐え抜き、私の知らない場所と時間にもレッスンをして、私がのこのこと大学でスマホをいじっている時間にもバイトをし、私が暇だ暇だとぐだりながらバイトをしている時間にも練習をしていたその全ての結果が身を結んだオーラを纏っている。
その動きは、私のような普通の人間では手に入れる、意のままに操れるような代物ではなく、それに手を伸ばそうとしても、ホーリーピークという事務所、バンダイビジュアルや子会社のランティスをはじめとして、様々な権利がその手を拒む。
そもそも、何の努力もこれまでしてこなかった普通の人間と、私の経験してこなかったものを多く見て私の頭上で輝く人間が一緒になっていいはずがない。
大学受験の頑張り?留学の経験?そんなものケツ拭く紙にもなりゃしない。
海外留学で得た経験は所詮は蜃気楼みたいなもので、実際に今日あのシーンを脳裏に焼き付けた瞬間、それを受け止めきれることができなかった。
海外で得た経験なんか声優の前では無力だった、何も受け止めきれない、何も理解することができない。そんなもんですよ。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、21歳になっていた。」
今からでも、変われるんでしょうか。
未だにくだらない下ネタを肴に男友達と笑いあえるメンタル中坊な私でも、就職までのあと2年で変われるんでしょうか。
そんなわけで、絶対に一般人ではないであろう、熱愛結婚報道等でよく用いられる「(お仕事の関係者だけど世間で言えば) 一般男性」になりたい、なろうと思います。バンダイビジュアルにでも就職しようかしら。そう思いつつも、帰りの電車で自分の頭上で起きたことがフラッシュバックしてきては、「本当に好きなのに絶対に付き合えない。無理。輝いてるもん。」とこころの下の方の扉を開けた深海へと今宵も意識を沈ませるのでした。
明日から頑張りたい、変わりたい。そう思いつつも、その一歩を踏み出せないまま明日も普通星人として横浜アリーナの1万人以上のファンのうちの1人と化して、流れるビートに身体を預けたまま、明日へと運ばれる電車で気づけば自宅のベッドに全重力を任せて眠るだけなのでしょう。
「某Aqours声優ちゃん、絶対今回のライブで人気出るよね。ライバル増えるよ、頑張って。」
これに関して一言。
それは関係ない。
果たしてそのなかの何人が、今日私が感じたようなキモチを味わうのか。
ひょっとしたら、そのなかには幼少期から彼女のことを応援し、日の目が当たらずよくわからんスマホアプリのCMに出ていたり、ノルマが課された演劇の舞台へと熱心に幾度も通いつめたファンがいるかもしれない。
ありがとうございます、あなたのおかげで彼女の輝く姿を今日拝むことができました。
こんな気持ちになったのは、幼稚園の頃に同じクラスだった知代ちゃん(仮名)を初恋だとするならば、おそらく2度目。
本気です。
彼女の舞台、まだ原石だった頃の彼女を見ているあなたは本当に羨ましい。時間は止められないと知って、君と早く会いたかったよ。本当に早く会いたかった。
所詮はラブライブ!サンシャイン!!という大箱コンテンツの、しかもアニメ放送後からファンになった身。
それでもやらなきゃならない。吐いた唾は飲まない。そこに関しては徹底して彼氏候補ナンバー1の座を意地でも奪いたいと思っています。
満足した人生を送ってますか?という最初の質問から普通の人として生きるまで。
現状、私はそこそこの人生を送っているものの、満足していません。
「幸せは足元に転がっている」
そうです、そんなことは百も承知です。それでも彼女と笑いあいたい、対マンで。サシで。頼むよ。
本当に満足して生活を過ごしたい限りです、過ごすぞ。
そんなわけで、Aqoursのライブが終わった明後日から生きられる自信がないので、どうすれば声優さんと結婚できるのか。「声優さんになる」以外の回答ができる経験談をお持ちの方は是非ともコメントいただきたいです。飲みましょう。
あと、本当に最後の曲が終わってアドレナリンが出まくってたのか、一目散にステージからセンターへと俊足で駆け抜け、おまけに自分の腰の高さまでありそうなくらいにモンキージャンプをしてけらけらと最後まで満面の笑みを見せた彼女。
4時間にも及ぶステージ。映像なんかがありつつも、やっぱり3時間くらいはステージで歌って踊っているわけで。
いくらダンスが好きだ、愛してると言いつつも、本当に他のメンバーを置いてきぼりにするくらい、アクセルベタ踏みで最高速度を叩き出せるあのスタミナは心底恐れ入った。
3時間のライブをして、普段トレーニングをしてるミスチルの桜井和寿さん。
彼もライブ中によく走るけど、彼女のようなスピードを出しているところは見たことない。おまけに、彼女は3時間のアクトを踊りきった後。
マジで怖かった。アドレナリン出まくってたんだね、表情からでもわかったよ。マジでテンション高かった、やっぱかわいい。
マジで身体のラインが出ていたので本当に辛かった。アイドルといえど、公衆の面前で身体のラインを出すのはやめてほしい。
本日ハマのステージで素敵なパフォーマンスを見せてくれたAqoursのメンバー18人の皆様。そして想い人の某Aqours声優さん。
文科省からの天下り問題が注目を集めているけど、教育業界の天下りはそれだけじゃないよね。
例えば、教育系大学(学部)への教育委員会経験者や「有名教師」の天下り。
教育大学や学部から昔ながらの教育研究者を減らして、現職あがりの教師を准教授とかで迎える動きがここ数年でずいぶん進んだ。
これって、実践的な教師を育てる名目で推し進められているけど、実態は学生を教員採用に口利きするためのものになってる。
結果的に、学生は有力教員に擦り寄るだけになるし、お上にペコペコ頭を下げるイエスマン教師だけが排出されるようになった。
現場を知らない教育研究者がダメダメであるにしても、実践しか知らない教授・准教授が増加して意味不明な論文をかいてたりする。
教育大学の予算削減を狙いとして、研究系の大学教員をどんどん外に追い出して、現職上がりの教員だけとったら教師になれる学生は増えるかもしれないけど、頭を使う教師は増えない。
これまでの教員養成が良かったわけではないだろうけど、実務家教員だけで良くなるとは限らない。そればかりか利権の温床にもなってる。
そのうち崩壊すること間違いなし。
全部説明せなならんのかとちょっとガックリ来てる。「待ってた」じゃねーよ。
違うって。区別する必要あるんだよ。あくまでも主体はエイベックスってことは認識しておかないと話が進まない。
前も書いたように、プリリズのアニメで最初から製作委員会に入ってるし、主題歌以外の楽曲もエイベックスから発売してる。エイベックスサイドから見れば、出資比率の違いはあっても、WUGもプリリズも、自分でお金を出して自分で売るIPだという点は全く同じ。
というのは、一体何を見て言ってるのかと言わざるを得ない。
プリリズが始まった時に主題歌と主演を担当していたのはLISPだった。
もちろん、LISPも81とエイベックスのプロジェクトである。そこだけ見ればWUGもi☆Risと同類であるが、決定的な違いがあった。
LISPは「有り物を集めて作ったユニット」で、まあ傍から見てても本気で売るためには色々問題点があったのは見て取れた。
いやもしかしたらLISPは素晴らしいユニットだったと信じている人も世界にはいるかもしれないが、オーロラドリームの放送開始2ヶ月でユニット活動停止発表とか、普通だったら「正気かよ!」と全力ツッコミ入るレベル。
なのに当時の玄人筋の間の空気感は「まあそりゃそうだよな」の方が多数だったと記憶している。
こっから先は単なる憶測だが、当然、エイベックスの中の人としては
「やはりアイドル声優ユニットを本気でやるには、ミュージックレインのように大規模公募型オーディションを開催してユニット活動を前提に新人を集めるしかない」
そういうわけでまだオーロラドリーム放送中の2012年2月からアニソン・ヴォーカルオーディションが始まります。
といってもアニメ2期ディアマイフューチャーには絶対に間に合わない。
エイベックス的には座組から抜けるわけにも行かないので、まあ実写パートとか韓国資本参入とかいろいろありました(遠い目)。
2012年7月にひっそりとi☆Risが結成されるわけですが、まあ大昔の代アニ全盛期みたいな荒っぽい時代だったら、ゴリ押しで素人のままアニメに出していったんでしょうけど、そんなのが通る時代でもないのでみなさん81の養成所での演技訓練が本業です。
…というわけにも行かないので、いろいろなラジオ局とかレコード会社とかの暇なプロデューサーがよくやるメソッド
「養成所を卒業したばかりの新人や養成所在籍中の子を適当に見繕ってアイドル声優ユニットというていで活動させる」
も発動。
演技力も歌唱力もまだまだ発展途上な子ばかりだし、プロモーション予算もそんなにあるわけじゃないから、ゲリラ的な活動しかできないのもよくあることです。
それらのユニットは9割方、何かのまぐれ当たりを期待する低予算低労力の数打ちゃ当たるプロジェクトだけど、今回は違う。
初期投資が大きいので、いずれ訓練が終わったら、エイベックスが金出してるアニメを使ってガッツリ売り出す気満々であるわけです。
2013年4月にアニメ3期レインボーライブ開始。ここでようやくまず一人だけ、芹沢優が出演。本当は全員出したかったのかもしれないが、時期尚早との判断だったんでしょう。
そういうわけでTRFとコラボったり、赤尾…じゃなくて三重野瞳が山ほど歌詞を書いてるうちに1年終了。
この間、6人全員が一応声優デビューして場数も踏んで、そしてたぶん音楽面のレッスンも順調だったんでしょう。
念のために3ヶ月の準備期間を用意して茜屋日海夏にみんなを馴らしてから(いや逆か)、満を持して2014年7月から主演i☆Ris、主題歌i☆Risなアニメが始まったわけです。
アニメを作るのに必要な時間の長さを考えれば、ほぼ全作業がプリパラと同時並行で進んでいると言っても過言ではない。
要するに元増田が「WUGの成功を見てi☆Risも同じ売り方にした」的な物言いは確かに間違いなのだが、無関係というのも間違い。
実際には単に「同時期に、同じレコード会社がお金を出し、両方とも同じような売り方をしている」でしかない。
あえて違いを指摘するとすれば、WUGの方が中の人とキャラのシンクロ度が高くて演じやすい分、デビューまでの期間を短縮できた程度の差である。
オーディション会場、事務局、どこをとっても純度100%でエイベックス。
つまりプロジェクトの主体はあくまでもエイベックス。形式的な契約はともかく、実務上はエイベックス主催のアイドルオーディションであり、歌手としての訓練はエイベックスのほうでやり、声優としての訓練は81ACTOR'S STUDIOに委託する、という形だったのではないかと推測できる。
類似例としてはスーパー声優オーディション(ミュージックレイン)がある。あれも声優としての訓練は某大手事務所付属養成所で受けてた(はず)。
実際、オーディションスタッフブログが残っているので最初の方を見に行くと、
さて、プリティーリズム・オーロラドリーム(オンエア2011年4月~2012年3月)の製作委員会のメンバー見るとすでに企画に『齊藤淳、田中宏幸』とエイベックスの名前が入っている。
「プリパラの枠はプリティーリズム時代から、エイベックスがアーティストとして売ろうとしている81の声優が起用されていた」
が正しい理解であろう。
81側にカウンターパートとなるマネージャーがいないとは言わないが、動かせるお金の違いから考えてもエイベックスに注目して分析するのは当然ではないだろうか。
年末に2ちゃんねるの東洋医学板、日盲連VS私学あはき養成校について考える(あはき法19条論)のスレに書き込み。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/kampo/1476413457/
104 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/12/27(火) 17:44:41.58 ID:dmaRhxk0
>>103
高齢者って何歳までのこと言ってるのか知らんけど
あと医業類似行為の件は、70代以上の人達限定だということを忘れてないか?
そういうのを解ろうともせず主張が支離滅裂だから議論しようにも平行線になるんだよ。
障害者と健常者の垣根を取り払おうと尽力している団体には迷惑千万な話なんだわ。
-------------------
と「障害者と健常者の垣根を取り払おうと尽力している団体」らしき人が登場。
レス番127
-------------------
再三申し上げているように、あはき法19条死守論者は
一部の既得権者が盲人あはきの「生活が向上すると都合が悪い」のです。
-------------------
と主張。
レス133
--------------
>再三申し上げているように、あはき法19条死守論者は
>一部の既得権者が盲人あはきの「生活が向上すると都合が悪い」のです。
彼らは日盲連に騙されて傍聴に来ていると思うのかね?
>障害者と健常者の垣根を取り払おうと尽力している団体には迷惑千万な話なんだわ。
と言っている以上、そういう団体に属していると思うが、あなたは晴眼と視覚障害者、
どちらなのかね?
----------------------
レス138
----------------------
私は19条を廃止すべきと考えている視覚障害者の意見を知りたいのだよ。
君が視覚障害者ならその旨を明かして意見と根拠を述べればよかろう。
晴眼者であっても、そういう団体で19条廃止の意見を持っている視覚障害者から
と扱っているわけではあるまいな?
裁判の傍聴に行ってればわかると思うが、盲人の方々は傍聴後に19条を守るための集会にも行っているぞ。
http://nichimou.org/activity/161110-jouhou-1/
http://nichimou.org/activity/161213-jouhou-1-2/
http://nichimou.org/activity/161215-jouhou-1/
以前のレスにも書いたように、日盲連会長の竹下先生は盲人にあはき師しか道が無いのを疑問に思って弁護士になり、19条死守の音頭を取っているわけで。
>>127
で君が書いた
>一部の既得権者が盲人あはきの「生活が向上すると都合が悪い」のです。
を証明するために日盲連がどのように末端会員の盲人を騙して、傍聴にいかせ、19条を守るための集会に参加させているのか、理屈を説明してくないかね?
それとも自分たちの生活向上を妨げる目的の集会に行くぐらい、盲人は頭が悪いということかい?
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しかし以後、19条がなにゆえ視覚障害者のデメリットかを19条廃止派は説明せず。
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yahoo知恵袋より
目の不自由な人たちを利用してマッサージの仕事を独占して訪問マッサージの甘い蜜...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10151879810
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私がこの釣り質問に回答するうちに、障害者を雇用する事業者側にとって、19条廃止により盲人あんま師の雇用が脅かされ、助成金が増額する可能性が出てくることに気づく。
レス192
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192 : ◆1zxBDDXZ3s 2017/01/03(火) 19:00:57.74 ID:uCxrZ4Z5
>>191
>目の不自由な人たちを利用してマッサージの仕事を独占して訪問マッサージの甘い蜜を吸い続けている、
>あん摩マッサージ指圧師業界を懲らしめる方法はありますか?
この場合、訪問マッサージ会社が盲人あん摩師を雇用しているのだろう。
そうなればドライバーを用意する必要のある盲人あん摩師を雇用する必要性が薄れるのではないか?
障害者雇用で補助金がどのくらい給付されるかはわからないけどね。
助成金がドライバーの人件費を賄えると仮定しても、助成金は19条とは全く関係ないからね。
逆に助成金で余計にかかるコストを賄えない場合、晴眼あん摩師を雇ったほうがコストを削減できるようになるから、
と挙げられているけど、19条廃止により盲人あんま師の雇用が失われる状況になれば助成金が
増やされる可能性もあるわけで、助成金目当ての企業にとっては19条は廃止してもらったほうが
都合が良い。
なるほど、19条廃止で助成金増額となれば盲人以外の障害者にとってはメリットかもね。
盲人あん摩師の生存権を無視したら、他の障害者にとってはメリットを期待できるのか。
こんなその他大勢のために一部を犠牲にする考え、まともな人間ならそりゃ公言はできまいよ。
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2ちゃんねるですから発言している立場が事実かどうかはわかりかねますが、19条廃止で障害者雇用の助成金が増える結果になれば障害者全体の雇用にはプラスかもしれません。
特にあん摩マッサージ指圧師を雇っている施術所・会社にしてみれば晴眼あん摩師が増えて採用が楽になる、盲人のあん摩師を雇用したときの助成金も増える(かもしれない)ので、19条廃止はメリットです。
あ、19条廃止派はこんなふうに請願者である私の発言を封じようとしましたね。
視覚障害者のふりをして、発言を封じるなど、19条廃止派が散々言っている「弱者利権」そのものだと思うんですが。
レス番174
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174 : 名無しさん@お腹いっぱい。2017/01/02(月) 17:17:23.47 ID:aFN1s3Px
もう一回言うておくが、このコテハンは
年末から正月まで酒飲んで酔うてるのか、己が本当に晴眼のあはき師ならば
おそらくは突如としてコテハンに変えて参戦してきたのは、この糞キチガイが
19条廃止されると一番困るであろう張本人であることも明白であるのも間違いないだろうよ。
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長岡藩の支藩であった三根山藩(現在の西蒲原郡巻町峰岡)が長岡藩の窮状を察し、米百俵を寄贈したが、分配されることを望む藩士らに向けて虎三郎は、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」と教育第一主義を唱え、その米百俵の売却益を元手に、学校に必要な書籍、器具の購入にあて、明治3年6月15日(1870年7月13日)に国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目)に開校した(現在の市立阪之上小学校のルーツでもある)。
国を興すは教育にあり―小林虎三郎と「米百俵」 | 松本 健一 |本 | 通販 | Amazon
One Hundred Sacks of Rice : A Stage Play: Yamamoto; Keene, Donald (translator) Yuzo: Amazon.com
イレーナ(study)三部作を読んだ。純粋に面白かった。ハラハラドキドキワクワクさせてくれる、強い物語をずっと読みたいと思っていたので大満足だった。
毒見師イレーナから始まる今回の作品群の魅力は、かなりシビアな状況設定にあると思う。主人公が選ぶことになる最初の分岐点にしても、殺人を犯した罪で死刑になるか国の最高司令官の毒見役になるかだから押して図るべし。
国の体制も面白くて、管理社会主義と呼んでもいいシステムの良い面と悪い面がちゃんと描かれていた。後々出てくる南の民主国家との差異もはっきりしているから、より長所短所が明確になっていた。
孤児院での悲惨な過去があり、死刑を免れたと思ったら誰にも気を許すことのできない毒見役の仕事が待っていて、その生死さえ周囲の人々の賭け事にさせられしまうイレーナだけど、なんやかんやで懸命に生き抜こうとするところが格好良かった。時折優しくなるけどいつも心の内が読めない上司のヴァレクを筆頭に、イレーナの周りを彩るキャラクターも生き生きしている。のちに良き理解者になってくれる軍人のアーリとジェンコは武芸のいい市販であり優しいお兄さんたちだったし、同じく軍人のマーレンは戦い方の道を決めてくれた姉御肌の人だった。最後まで意地悪な家政婦のマージもいい味を出していたし、料理人のランドや裁縫氏のディラナも素敵なキャラクターとして配置されていた。
敵役が憎々しいのもいい。微塵も感情移入できない屑どもなので、最後にはスカッとできると思う。
世界観としては魔術がかなり強力なんだけど、武芸の練習をしっかりしているところなんかは精霊の守り人を思い起こさせた。また生い立ちとか境遇を見ると獣の奏者のエリンにも似てるところがあるなあって思った。だから上橋菜穂子作品が好きな人は楽しめると思う。というか、ファンタジー好きならいける。ファンタジーが好きじゃなくてもいけるはず。テンポもいいし、ちょっと変な言い方だけど章立てがするとずるいので、一度読みはじめたら最後まで読み進んでしまうと思う。
そんな一巻「毒見師イレーナ」は策謀の張り巡らさせた軍国を、平凡な主人公が前向きな性格と機転をきかせて生き抜く物語なんだけど、二巻の「イレーナの帰還」では追放された南の民主国で自分の居場所を見つける物語になる。でもって、この二巻からこのシリーズ最大のヒロインであるキキが登場する。ぶっちゃけてしまうと馬なんだけど、口足らずな言い回しや、胃袋の具合から世界をのぞく精神性など、本当にかわいらしかった。微妙に主人のいうことを聞かないのもいい。すごくいい。本当に。
さて、二巻では民主国家のいいところと悪いところが描かれている。軍国にはなかった着衣の自由や移動の自由がある一方で、路上には幼い物乞いがおり、誰も彼らに手を差し伸べようとはしない。少しでも優しくすれば彼ら際限なく要求するからだってのが理由なんだけど、イレーナは違和感を覚える。完璧な国家は存在しないと軍国の最高司令官はいうんだけど、現実社会においても同じことが言えるよなあって思った。
物語として二巻は居場所を主題にしていると思った。始まりからして生き別れた家族との再開が描かれているし、養成所での身のふるまい方に苦悩するところなんかも、一巻の生き死にの問題とはまた違った悩みを描いている。そんな二巻だけど、テイストとしてはミステリっぽい連続殺人犯を探す展開もあって新鮮な読書感が得られた気がする。ただこの巻からイレーナの性格の問題が噴出しはじめるので、もどかしくさせられることが多くなった気がする。
また二巻から翻訳者が変わってたのにはびっくりした。思えばちょっぴり文章が柔らかくなっていたのかもしれない。けどあんまり気がつかなかった。翻訳者ってすごいですね。
三巻の「最果てのイレーナ」は自分自身と向き合う物語だったと思う。この巻は読んでいて結構つらかった。どんどん悪い展開になっていくし、イレーナが覚悟できないから仲間との関係も悪化してしまう。追い詰められていくのって嫌な感じだよね。ただその分、最後のカタルシスは大きかったと思う。自分自身と向かい合い、与えられた力の意味を知った途端に形成が逆転するのは気分がいいです。
一巻一巻が長いなんだけど、読みはじめたら止まらなくて、一気に三巻も読んでしまった。どの巻も登場人物が多くて、ちょっと把握するのが難しいところがあるんだけど、それぞれの表裏というか、いい面と悪い面がしっかり描かれていたので、人間味があって生きている感じがよく出ていたと思う。
全巻本当に上質なファンタジー小説だったので、いろんな人に読んでもらいたい。ありがちな中世ヨーロッパがモチーフのファンタジーじゃないから、そういうのに倦んでる人も安心なはず。加えてヤングアダルトっぽさもあるので、若い子にもおすすめ。朝読書の時間に読めば、え、海外の小説読んでんのってびっくりさせられると思うよ!
そして、願わくばこの作者の他のシリーズを翻訳してほしい。この三部作の続きとなる物語もすでにあるって話なので。どうかお願いします。翻訳してください。このとおり。
囲碁入門してから何していいかわからんままフェードアウト、挫折する人多そうだと思ったから書く。
囲碁知らんやつは始めてみようぜ。
入門サイトが色々あるからそこ見よう。おすすめは「インタラクティブ囲碁入門」。
Q.どこが地なのかわからない。
A.前提として石の生き死に(二眼とかセキ)を理解しよう。相手が生きた石を作れないところがあるなら、そこはあなたの地。
Q.どうなったら終局?
A.自分が得する手(自分の地を増やす、相手の地を減らす)がなくなったとき。
最初は、ネットならCOSUMIか囲碁きっずのぽかぼっと。cpuだから負けても悔しくない!
俺強くなったんじゃね?ってなったら対人やってみよう。
まずはシチョウ、ゲタ、オイオトシ、ウッテガエシあたりの基本手筋を覚えよう(ググれ)。
19路盤やってみよう。最初は打ち方わからんだろうから、適当に他の人を観戦してなんとなく真似ればいい。
基本定石を覚えよう。絶対の正解ではないし、定石覚えたら弱くなるとかいう格言があるけど、初心者のとりあえずの打ち方には良いから覚えて使ってみよう。
楽しくなってきたら碁盤と碁石買え。プロの棋譜を入手して実際に碁盤の上に再現しよう。最初は150手ぐらいまでを何となく並べるくらいでオーケー。何となく打ち方が身につく。
読みの練習。
goproblem.comに大量の問題があるから、レベルに合ったものを繰り返しやろう。
基本手筋、基本死活を手が覚えるくらいやろう。手が覚えると思考のショートカットができる。
初段になりたいならヨセの価値計算方法を習得すべし。これは書籍を買ったほうがいい。
石の強弱(生きの確度)を意識しよう。弱い石の周りは価値が高く、強い石(厚み)の周りは価値が低い。相手に価値の低い手を打たせよう。
対局後はできるだけ検討しよう。
石の形には良し悪しがある。急所に打って悪い形を作らせよう。
相手の大きい模様(地になりそうなところ)は消しに行こう。カタツキとかサバキ
定石は状況に応じて使いわけよう。複数の選択肢を用意しておこう。
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抜けてるとこありそうだけどこんなもんで初段にはなれるよ
是非、賃金低くても馬車馬のように働いてくれそうな隷属プログラマとしての教育を彼らに!きっと、彼らは、俺らのような頭の良い連中から搾取されまくるだけの存在となるだろうが、彼らを礎に、私腹を肥やしまくってやるから安心してくれ!
また、「この業界はまだまだ人材不足で、エンジニアが足りていない。」という件は全くそのとおり!だが、親切な俺が補足しておいてやると、「安いギャラで使い勝手の良い、奴隷エンジニア」が不足しているというのが実情なんだけどな!ちなみに、ギャラが高くつきそうなエンジニアの需要は、長引くデフレ経済の為に、能力に見合うギャラを会社が出せないので需要がなかなか無いのだよ。
というわけで、もうプログラマーとかエンジニアの量産は、教えても教えた相手が洩れなく奴隷生活一直線になって将来を悲観しはじめるので、タノムからやめとけ。やるなら、普通に儲かる類の他の業種向けに教育ということでよろしく。公務員養成とか、防衛大学合格のために受験対策を叩き込む方向でよろしく!
ふつうはボトムアップとトップダウンを併用している気がするけど、教育方法としては、トップダウンを主として教えるのはおかしいってことか
そうです、どっちも使えるならどっちも使っていると思います
ここからは教育方法論の問題になりますが、教育現場には、「つまらない授業」を異常に忌み嫌う界隈がいます
この界隈に目を付けられているのが、いわゆる「ボトムアップ式の読み方」なんです
形式段落に分けて読むなんて古い!ナンセンスだ!そんな読み方は活動的じゃない!
といった感じで、古式ゆかしい国語教員を取り巻く状況は非常に厳しいものとなっています
自分は、元増田で書いたような理由から、「つまらない授業」を続けるつもりですが、教員養成大学の初等教育コースなんかでは、もう完全にボトムアップの読み方は無かったことにされ、トップダウン式の読み方こそが素晴らしいと教えられているようですね
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品を知っているだろうか?
2010年にシリーズ1作目となるゲームが発売され、翌年アニメ化。
そのアニメが大当たりとなりゲーム続編やアニメ2期等が制作され、今年は6年目に突入したコンテンツだ。
内容はいわゆる乙女ゲームで、プレイヤーは登場してくるアイドルのたまごたちの曲を作る作曲家となり、一緒にデビューを目指す。デビューを果たした後は彼らとの仲を育みながら、アイドルとして作曲家として共に成長していく…という、説明してしまえば何の変哲もないストーリーだ。
今年の1月にはさいたまスーパーアリーナで2日間に渡るライブも開催され、10月からはアニメ4期が放送となる。
この時点で「なんだ、おたくのジャンル紹介日記か」と思われたなら仕方ない。
もちろんこの記事はうたプリの存在くらいは知っている人を前提に書かれた記事なので、知らない人からしたらどうでもいいことこの上ないだろう。
それでも今、うたプリファンの一人として私はどうしてもうたプリの真髄のひとつ(だと勝手に思っている)でもある「遊び」について言葉にしておきたくてキーボードに向かっているので、もし少しでもこのジャンルに興味がわいたならぜひ知ってみて欲しい。
さっきも説明したけれど、うたプリはアイドルと恋愛するゲームだ。
シリーズ1作目の舞台はアイドル養成専門学校で、一応恋愛禁止だったりする。アニメでもその設定はガッツリ意識されていて、アニメ第1期放送時には「誰も校則守ってねえじゃん!」とまあネタにもなった。
しかし彼らと私たちプレイヤーは、アイドルと作曲家という枠の中で恋愛をしていく。
作品の大元であるゲームの中では個と個であり、そのストーリーは彼と私(あるいはヒロインである七海春歌)の物語だ。
しかしうたプリのすごいところは、「私と彼」という枠組みとは別にもうひとつ「アイドルとファン」という枠組みがある点だ。
一つ例を挙げたいと思う。
シャイニング事務所公認Twitterアカウント|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/twitter/index.php#.V84vgkjOyk8.twitter
これはシャイニング事務所に所属するアイドルたちがやっている(という体の)事務所公式アカウントだ。
このツイッターが始まったのは2012年のクリスマスのことで、まずアカウントが出来たところからすごかった。
各キャラクターの互いをフォローするタイミングから順番が見事にキャラクターらしさを外れず、キャラクターごとに異なるクライアントや写真撮影の技術。長期でつぶやくときには、仕事や移動時間まで計算し、どのキャラクターがどの新幹線に乗ったのか特定することだって出来た。
そこには圧倒的な"存在感"がある。
これが大いに盛り上がった。
もちろん、キャラクターツイッターの先駆者がうたプリだとかそんなことは言わないし(確かスタスカとかの方が早かった気がする)、こんなのスタッフが必死こいて原稿を打ち込んでるんでしょ、と言われたら元も子もない。
それでもそこにはプリンスたちが存在する"リアル"があったし、自分たちのツイートと彼らのツイートが並ぶ画面は現実だった。
(だからこそ2016年のシャニフェスプリツイに関しては、言いたいことがないわけではないのだけれどここでは割愛する)
そしてここでの彼らと私たちは、完全にアイドルとファンなのだ。
プリンスたちアイドルは決して恋愛の匂いをさせないし、何においてもファンとの関わりを重視する。
ツイートの隙間に、文脈に、ヒロインの存在や自らを投影する楽しみ方ももちろんあるだろう。
しかしプリンスたちの言葉は、恐ろしいほどのクリーンさを持った、アイドルたちからのファンへのメッセージなのだ。
もう一つ例を挙げる。
うたの☆プリンスさまっ♪サマーキャンペーン PRINCE SUMMER!2015|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/prince_summer2015/
これは2015年の夏に行われたうたプリのサマーキャンペーンのページだが、その中でもグッズラインナップの一つを見てほしい。
「メモリアルフォト」と題されるグッズの説明文には"直筆サイン"の記載がある。
うたプリシリーズのキャラデザをされている倉花千夏先生が"撮り下ろした"ビジュアルブロマイドとともに額装された"直筆サイン"色紙。合わせてお値段5,500円+税。
うたプリを知らない人からしたら何を言っているのかと思われるかもしれないが、このサイン入り色紙はプリンスたちが自ら一枚一枚書き上げた(という設定の)色紙なのだ。
入っているコメントも種類があるし、もちろん一つとして同じものはない。
私たちはそこにプリンスの存在を信じて、5,500円の色紙を買う。
決して安い金額ではないと思うし(下手すると映画が5回は見られる)、キャラクター自体が実在しないのにバカじゃないかと言われたらそれまでかもしれないが、私たちにとって彼らは現実を生きていて、そしてその存在を信じるために5,000円以上を費やすことが出来る対象なのだ。
倉花先生の描くプリンスたちは"撮り下ろし"だし、誕生日や記念日にプリンス宛に届く手紙は必ずシャイニング事務所へ届けてくれる。
バレンタインには事務所からのお知らせが毎年でるし、ファンレターの宛先もブロッコリー方シャイニング事務所だ。
今年の夏に行われたイベント"『Shining Dream Festa(シャイニングドリームフェスタ)』 http://www.utapri.com/sp/shining_dream_festa/ "でコラボレーションした世界的デザイナー丸山敬太氏とも、アイドルたちは"相談して"衣装を作り上げた。
私はこの夏感動したのだ。
現実のアーティストのライブ衣装なども手がけてきた丸山氏がうたプリとコラボをしてくれたこと、そしてうたプリの世界観をきちんと意識してインタビューやSNSで応えてくれたこと。
私たちの大切にしてきたアイドルたちが、世界に存在を認めてもらえたように感じたのだ。大げさと言われるかもしれないが、私はそれが何よりも嬉しかった。
うたプリはこうした壮大な「遊び」を大切にしてくれている。
これは私の個人的な考えなのだけれど、アイドルは二次元三次元にかかわらず、その存在自体が究極の「ごっこ遊び」だと思っている。
アイドルを名乗る彼ら・彼女らはステージというフィールドの上で、精いっぱい自らをアイドルとして作り上げる。
アイドルたちも人間だから、当然恋愛もするし食事もするし代謝もある。それでもその瞬間は私たちファンとアイドルというたった一つの関係だし、それ以上でもそれ以下でもない。
その関係性に夢を見るから、例えばアイドルたちに恋愛スキャンダルがあろうもんなら、裏切られた気持ちになる。ファンの信じる"アイドルと私"という関係性の他に、関係のない人物が"アイドルと恋人"という関係性を作り上げているのだから。
もちろんそんなこと思わないし、恋人がいたって全然気にしない!という人もいるだろう。
それでも私たち受け手とアイドルたちにの関係は、どう頑張っても"アイドルとファン"を超えることはない。
アイドルでも個である彼らプリンスと、作曲家でもファンでもある私たち"うたプリのファン"。
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品は、その両面を楽しむことができる。
もちろん今までだってうたプリのやり方に困惑しなかったこともないし、キャラクターに関する重要な情報が後出しでぶれたりすることもあった。
それでも私が5年を超えてなおうたプリを応援しようと思えるのは、魅力溢れる楽曲や展開はもちろんのこと、うたプリの作り手たちがプリンスたちの存在を、生きていることを何よりも信じさせてくれるからである。
それが揺らがない限り、私は彼らを応援し続けるだろう。
アニメ4期もこれからの展開も、6年目を迎えたからこそ不安に思うことはたくさんある。
それでもそれ以上に楽しませてくれることを祈って、私はこれからもうたプリを応援したい。
応援していることが悲しくなってしまうようなコンテンツだけにはどうかならないで欲しいし、何よりも応援したいと思わせてくれるコンテンツでい続けてくれることを私は祈っている。
2016年度全国キャンペーン:ライバルは、1964年|ACジャパン
ACジャパンが今年7月1日より開始した『ライバルは1964年』というCM。
自分がよく聴く民放ラジオ(基本的にTBSラジオ)では結構な頻度でこのCMが流れている。
自分はこのCMを耳にする度に、得も言われぬ不快感に襲われる。
とはいえ単なる根拠に乏しい繰り言でしかないので、そこは留意してほしい。
このCMにおいては、「笑顔」や「夢」、「思いやり」といった根拠の不確かな理由で過去を美化している。
加えてこのCMには「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢、思いやり、心の豊かさで負けているのではないか」という言外の意味も込められていると考えられる。
そうでなければ、律儀にあの頃の日本人と今の日本人を比べる必要なんてないはずだ。
つまり、居酒屋談義としての「昔はよかった」の変奏でしかない。
また、この10年ぐらい俗流の「昔はよかった」に対するカウンター的な言説も勃興している。
これらのカウンター的な言説の場合、だいたいは統計などのデータを用いた上で「昔はよかった」的言説の欺瞞を浮き彫りにしている。
『ライバルは1964年』で提示される「昔はよかった」を構成する要素のうち、「思いやり」は犯罪件数の推移をもとに論駁が可能であるかもしれない。
しかし「笑顔」や「夢」の場合、犯罪統計のような定量データは存在しない。そのため、「笑顔」や「夢(の大きさ)」を昔と今とで比較するのは至難の業である。
結果「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢で負けているのではないか」というCMのメッセージに論駁することすら叶わなくなる。
論駁不可能な概念を持ちだすということは、それだけ「昔はよかった」ことをゴリ押ししたいのだろう。そこにはある種の狡猾さすらも感じさせる。
このCMにおいては、東京で五輪が行われた1964年と東京で五輪が再度行われる予定の2020年とが対比されている。
2020年に向けて日本を考えようというのは、東京五輪に向けた行動をとれというメッセージを婉曲して表現しているということは容易に推測できる。
また、ACジャパンの公式サイトの記載より、「日本を考える」ことは具体的に「(東京五輪に向けた)ポジティブなモチベーションと、日本人の活力を高める」を指すようだ。
今の日本において、五輪は政治的な意味合いが強いイベントとして意識されているようである。
例えば、2012年に取りまとめられた「スポーツ基本計画の策定について」には以下のような文言がある。
(中略)
国際競技大会等における我が国のアスリートの活躍は、国民に日本人としての誇りと喜び、夢と希望をもたらし、国民意識を高揚させるとともに、社会全体に活力を生み出し、国際社会における我が国の存在感を高めるものである。我が国のアスリートによるメダル獲得は、その一つのあらわれである。
また、2009年には塩谷立文部科学大臣(当時)が以下のような発言を行っている。
2016年のオリンピック招致については、立候補ファイルを2月12日までに国際オリンピック委員会に提出することになっていまして、そのために今準備を進めているところですが(中略)やはり、国威発揚ということも含めて、ぜひ、招致を実現したいと思っています。
これらのことを踏まえると、今の日本において五輪は政治的意味合いが非常に強いイベントと位置付けられているようだ。
特に「国威発揚」や「日本人の誇り」といったナショナリスティックな意識の醸成のための手段として強く意識されているようである。
これは、IOCの掲げる「政治的・商業的利用がなされない五輪」という理想とは大きくかい離したものである。
さて、ACジャパンの行うCMの特徴として、政治的・宗教的な事柄は一切扱わないということがある。
(中略)
一方『ライバルは1964年』においては、政治的意味合いが強いイベントである五輪に向けた行動をとれというメッセージが提示されている。
解釈によっては、「日本人の活力を高める」ということもナショナリズムと連関したかたちで捉えられる可能性もある。
このことから、『ライバルは1964年』は政治的・宗教的な事柄は一切扱わないというACの方針とは大きくかい離したCMであるといえる。
可能性として一番高いのは、制作者サイドがIOCの提示した「政治利用されない五輪」という理念を無邪気に信じ込んだということである。
一方、五輪の持つ「国威発揚」や「日本人の誇り」といった事柄は政治的事柄ではないと誤認している可能性も完全には捨てきれない。
愛国心の醸成といったイデオロギー丸出しの教育が「偏向ではない」と見做される時代である。
なお、2002年にも公共広告機構(当時)は『ニッポン人には、日本が足りない』というCMを放映していた。
しかしこれは国際交流の推進を目的とするものであり、『ライバルは1964年』とは似て非なるものである。
ACジャパンの公式サイトに新聞広告の画像データが掲載されている。
小学生が作ったような(プロとしては)粗雑なコラージュに、テレビCMのナレーションが文章としてこれみよがしに綴られている。
http://www.sendai-nct.ac.jp/news/2016/07/13/newly-004002.php
この変更点は大雑把に言って次の3点でしょうか。
(1)入学の時点では専門を選ばないようになる(ただし、建築以外)
(2)学科名が変わる
それぞれについて見てみましょう。(筆者は広瀬キャンパスOBなので名取キャンパスについては基本的にスルーします)
(1)入学の時点では専門を選ばないようになる(ただし、建築以外)
今までは入学時点で「知能エレクトロニクス工学科に行きたい!」などと専攻を選ばねばいけませんでした。
しかし、高専志望の中学生が普通の中学生よりも工学に興味を持っているとはいえ、自分に合ってそうな専攻を選ぶのは難しいことです。
たいていの中学生は学科の名前やウェブページの雰囲気で決めると思います。
ゲームを製作したくて情報システム工学科に入学した人が、回路系の授業で苦戦したり、CGの授業が実はほとんどないことを知ったりして、「どうしてこうなった……」となることだって珍しくありません。
(もちろん、卒業後にゲーム関係の企業に就職することは可能です。)
他にも、情報システム工学科と情報ネットワーク工学科の違いが中学生にはほとんど分からない、という問題もあります。
そこで導入予定なのが科類制ですね。
建築系を除くと、とりあえず入学時点では広瀬に行くか名取に行くかだけ決めればOKで、1年間高専で過ごしてから専攻を選ぶわけです。
この1年の間に、先輩からの話を聞くなり、シラバスを読むなりして、どのコースに行くのがベストかを考えられます。
1年生の頃は専門の勉強がほとんどないし、その専門の勉強も内容は(広瀬では)学科共通だったので、特に問題はないかと思われます。
(2)学科名が変わる
広瀬の方では情報ネットワーク工学科が情報通信コースに変わります。
この学科名の変更は大したことがないように見えますが、実はそうでもありません。
仙台電波の頃には「情報通信工学科」という学科がありましたが、そちらに戻そうというわけです。
先ほど中学生は学科名や雰囲気で志望学科を選ぶと書きましたが、なんとなくパソコンやネットが好きな中学生にとって「情報システム工学科」と「情報ネットワーク工学科」はどちらの方が魅力的に映るでしょうか?
今までの入試倍率を見ればその差は歴然です。
平成23年度を除くと情報システム工学科の倍率の方がずっと高いです。
(H22が仙台高専としては初の入試で、このとき情報ネットワーク工学科の倍率がとても低かったため、H23では確実な合格を狙った層が情報ネットワーク工学科を志望した、と筆者は予想しています。)
情報システムの方がなんとなく楽しいことをやってそうに見えるのでしょう。たぶん。オープンキャンパスでCG作品の展示をしていた影響もあるかもしれないけど。
「ネットワーク」という言葉を使うと、どうしてもシステムとの違いが分かりにくいのでしょう。おそらく。(受験生にアンケート調査してみたいですね)
そこで、仙台電波の頃の学科名である「情報通信」コースにしようというわけです。
「通信」という言葉を入れることにより、このコースにはある種のブランドのようなものが生じると考えられます。
今や仙台高専という学校名になりましたが、もともとは東北無線電信講習所→官立無線電信講習所仙台支社→官立仙台無線電信講習所→国立仙台電波高等学校→仙台電波工業高等専門学校という経緯があるわけです。
各電波高専は各地方に存在していた無線電信講習所が元になっています。(電通大ももとは無線電信講習所!)
仙台高専広瀬キャンパスにとって、通信というのは花形分野なのです。
実際、キャンパスを見るとまず目につくのが大きなアンテナだったり、アマチュア無線部が強かったりします。(今も強いですか?2期性がたくさん入っていた覚えがあります)
また、かつての仙台電波高専(仙台電波高校)時代の卒業生が今やお偉いさんになっていたりするわけです。
電波という名前こそなくなったものの、愛子の学び舎で通信を学んできたというのは必ず評価してくれる人がいるでしょう。
そういった点で、この学科の名前の変更は大きな点です。(情報通信コースに優秀な学生が入ることを祈っています!)
ちなみに、情報システム工学科と情報ネットワーク工学科の違いは、電磁波工学などの通信関係をやるかどうかの違い、先生の違い、就職の強さの違い(?)などが挙げられます。
ネットワーク関係に関しては両学科ともCISCOのe-learning教材を使って学びますが、情報ネットワーク工学科の方がより力を入れている印象です。
また、通信には法規の知識が必須ですが、情報ネットワーク工学科ではそれも学べます。
目指せ一陸技!(通信を大プッシュしたわりに、筆者は一陸特しかとってなかったりします……)
「数学や理科を深く追求して,サイエンスをテクノロジーに結びつけるために必要なことを幅広く学びます。」とだけ書いてあります。
これの詳細についてここで書くのはまずそうな気がしますし、これから変更があることも十分考えられるので、具体的なことは書きません。
そこで、高専にもこういったコースの需要がある、ということだけ説明しておきたいと思います。
高専は大学と違い、本来のモチベーションは研究ではなく、技術者の養成です。
その意味で、応用科学コースのようなどことなく理学の匂いを漂わせるものは不適なのではないか、と思う人がいるかもしれません。
しかし、応用科学コースはおそらく大学工学部で学ぶような基礎的な数学や物理学程度の内容を教えるようなものになるかと思われます。
高専は若いうちから専門の教育をするのが最大のウリなわけですが、専門の内容を正確に理解するのに必要な数学や物理の授業はそれに追いついていません。
電子回路を例に挙げてみましょう。
半導体の物性を理解するためには量子力学や統計力学の知識が不可欠です。
しかし、量子力学や統計力学は知能エレクトロニクス工学科以外では学びません。(一方で、電子回路は全学科で学びます)
知能エレクトロニクス工学科でも、正確に半導体物性を理解するのに必要なところまで物理を学ぶかは怪しいです。
それ以外にも、高専ではフーリエ解析やラプラス解析を学ぶ前に交流回路網の計算を叩き込まれたりします。
数学や物理が追い付いてない以上、「それはそういうものだから原理は気にせず覚えてね」という指導にならざるを得ないわけです。
その結果、「もっと原理を深く知りたい!」という人や、「これだから工学は嫌!」という人が出始めてきます。(これで工学が嫌になって理学部に行く人もいますが、大学の工学部はその意味では高専よりずっとまともなので、工学部に行くという選択肢を簡単に捨てたりしないといいなと思います)
大学編入志望の学生が集まりそうな感じはしますが、そもそも大学編入したい人は専門をより深く勉強したい勉強好きの人が大多数だと思うので、まあ問題ないんじゃないでしょうか。
八田達夫氏はアジア成長研究所所長、大阪大学社会経済研究所招聘教授という肩書で
国家戦略特区ワーキンググループの座長を務めており、そのほかの内閣会議に委員としても参加しておられる。。
八田達夫氏の発言が保育への偏見によるものか経済学的知見によるものか私にはよく分からない。
内閣会議胃の議事資料を読む中で以下に違和感を持った発言を3つ上げ、すべてネット上の範囲で政府統計や資料を調べた。
1.2は26年度の国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリングから、3.は平成28年度国家戦略特別区域諮問会議から。
(国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング27~8年度で議事要旨があるのは、27年度の「海運カボタージュ規制に関する規制改革について 」のみ。)
仕組みにすることはあり得ると思います。現金を与えると、もらった金で飲んでしまうかも知れませんからね。」
(平成26年度5月22日国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング(議事要旨)から)
→「飲んでしまう」はお酒に使ってしまう、あるいは遊びに使ってしまうの意味と私は捉える。
子育ての費用を考えると「貯蓄に使われる」が妥当であるだろう。
それで、2年やってから現場に行ったら、やはり私は向いていないといってやめてしまうというのはもったいない話ですね。」
(平成26年度5月22日国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング(議事要旨)から)
→八田氏個人の偏見による意見である恐れがある。会議資料にも記載なく、なぜ1年に短縮するか理由が不明。
また、やめてしまう理由に「賃金の安さ」をあげずに、「職業適性に対する不安」をあげる理由も不明。
正規職員の給料を下げて、その代わりに非正規の保育士の給料を上げて格差を縮小しました。こういうことを全国的に特区ではやっていきたいと思います。」
(平成28年度5月19日第22回国家戦略特別区域諮問会議から)
→正規職員と非正規職員の格差は縮小したが、待機児童の解消には至っていない。
そもそも経済学的に「正規職員の給料を下げ非正規職員の給料を上げ格差を縮小する」というのは正しいのだろうか。
ゼロ歳児の保育料(運営費約50万)の高さに対し、ゼロ歳児は母親に産休を取ってもらう。
ゼロ歳児の子育てに月数万円の手当を払うよりも、比較的運営費がかからない4,5歳になった時にバウチャー(使途を指定した現金給付)
をもらえるようにするほうがよいのではという提案の中で
「しかし、そこで例えば自宅で育てた場合も一種のバウチャーをもらえ、それを将来子供が4~5才になったときの保育料に
使えるような仕組みにすることはあり得ると思います。現金を与えると、もらった金で飲んでしまうかも知れませんからね。」
この「もらった金で飲んでしまうかも知れませんからね。」という発言を少々調べてみた。
例えば平成24年児童手当についての調査では、支給額の7割弱が子供のために使われ、0~6歳児では「子どもの将来のための貯蓄・保険料」が最も多かった。
児童手当を子どものために限定しない用途に使ったと回答した理由(複数回答)で最も多いものが「家計に余裕がないため」であった。
児童手当は少額であったが、仮に0~2歳児の子育てに月数万円の手当が払われることになったとしても、貯蓄されるか家計に使われ、
「飲んで」しまうことは少ないだろうと私は思う。
この八田氏の発言を会議中に諫める参加者がいなかったことも問題であるだろう。
ただ、八田氏の著作「ミクロ経済学Ⅱ<プログレッシブ経済学シリーズ>: 効率化と格差是正(P.490)」では
例外的に使途使用の補助金を正当化される場合の一つに、受給者の判断力が疑わしい場合をあげ、
義務教育とアルコール依存症の人が例として取り上げられていることを考えれば八田氏の発言も理解はできる。
(ただその文脈であると八田氏の発言は子育てをする人の判断力を疑わしく思っているとも捉えられるだろう。)
「今の保育士の2年というのを1年にするというのも一つの手ですね。保育士の養成に2年も要るのかと。
それで、2年やってから現場に行ったら、やはり私は向いていないといってやめてしまうというのはもったいない話ですね。」
この発言について、まず保育士の養成期間を2年を1年に短縮するという指摘は会議資料に書いておらず1年に短縮する根拠がない.
平成26年東京都保育士実態調査報告書によれば、退職意向理由(複数回答)は「給料の安さ」が65%、「長時間労働」52%、
次いで「労働時間が長い」、「他業種への興興味」が30%台、「職業適性に対する不安」は22%である。
もしこの発言が八田氏の偏見によるものならば、無駄に会議の価値を損ねるだけで座長がする発言とは私は思えない。
また上の発言と同じく八田氏の発言を会議中に諫める参加者がいなかったことも問題であるだろう。
「大阪市では、従来普通の事務職の給料表を適用していた正規の保育職員のために、新たに保育職員の給料表というのをつくって、正規職員の給料を下げて、
その代わりに非正規の保育士の給料を上げて格差を縮小しました。こういうことを全国的に特区ではやっていきたいと思います。」
「保育士給料表の新設について」の平成27年1月15日(木曜日)大阪市職員労働組合(市職)との交渉の議事録によれば
組合側が市に「労使合意なき市会への条例提案については認められないものであり、絶対に行わないように求め」ている。
2016年4月27日に大阪市のサイト上で公開された大阪市長から厚生労働大臣への
「待機児童解消に向けた抜本的な対策について(緊急要望)」は3点でそのうち1つは「若手保育士の処遇改善施策の拡充」で
「若手保育士の処遇改善・就業意欲の向上につながる施策が必要」である。
また、2016年5月25日に大阪市のサイト上で公開された「大阪市の保育所等利用待機児童数について(平成28年4月1日現在)」によると
待機児童は昨年度の同時期に比べ56人増加し、273人となっている。
以下は参考にしたURL
1.国家戦略特区ワーキンググループ 関係省庁等からのヒアリング 平成26年度
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/h26.html
国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング(議事要旨)5月22日(PDF)
ttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/h260522gijiyoshi02.pdf
http://resemom.jp/article/2013/07/30/14584.html
Google Books上のミクロ経済学Ⅱ<プログレッシブ経済学シリーズ>: 効率化と格差是正 By 八田達夫(P.490)
ttps://books.google.co.jp/books?id=VsceAgAAQBAJ
2.国家戦略特区ワーキンググループ 関係省庁等からのヒアリング 平成26年度
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/h26.html
国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング(議事要旨)5月22日(PDF)
ttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/h260522gijiyoshi02.pdf
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2014/04/60o4s200.htm
ttps://web.pref.hyogo.lg.jp/kf11/documents/tokyochousa.pdf
3.国家戦略特別区域諮問会議 平成28年5月19日 議事要旨
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/shimonkaigi.html
国家戦略特別区域諮問会議 平成28年5月19日 議事要旨 (PDF)
ttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai22/gijiyoushi.pdf
http://www.city.osaka.lg.jp/jinji/page/0000299046.html#270115-syuseiteian
国家戦略特区ワーキンググループの座長である八田達夫氏の発言が偏見によるものか経済学的知見によるものか私にはよく分からない。
以下に違和感を持った発言を3つ上げ、すべてネット上の範囲で政府統計や資料を調べた。
1.2は26年度の国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリングから、3.は平成28年度国家戦略特別区域諮問会議から。
(国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング27~8年度で議事要旨があるのは、27年度の「海運カボタージュ規制に関する規制改革について 」のみ。)
仕組みにすることはあり得ると思います。現金を与えると、もらった金で飲んでしまうかも知れませんからね。」
(平成26年度5月22日国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング(議事要旨)から)
→「飲んでしまう」はお酒に使ってしまう、あるいは遊びに使ってしまうの意味と私は捉える。
子育ての費用を考えると「貯蓄に使われる」が妥当であるだろう。
それで、2年やってから現場に行ったら、やはり私は向いていないといってやめてしまうというのはもったいない話ですね。」
(平成26年度5月22日国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング(議事要旨)から)
→八田氏個人の偏見による意見である恐れがある。会議資料にも記載なく、なぜ1年に短縮するか理由が不明。
また、やめてしまう理由に「賃金の安さ」をあげずに、「職業適性に対する不安」をあげる理由も不明。
正規職員の給料を下げて、その代わりに非正規の保育士の給料を上げて格差を縮小しました。こういうことを全国的に特区ではやっていきたいと思います。」
(平成28年度5月19日第22回国家戦略特別区域諮問会議から)
→正規職員と非正規職員の格差は縮小したが、待機児童の解消には至っていない。
そもそも経済学的に「正規職員の給料を下げ非正規職員の給料を上げ格差を縮小する」というのは正しいのだろうか。
ゼロ歳児の保育料(運営費約50万)の高さに対し、ゼロ歳児は母親に産休を取ってもらう。
ゼロ歳児の子育てに月数万円の手当を払うよりも、比較的運営費がかからない4,5歳になった時にバウチャー(使途を指定した現金給付)
をもらえるようにするほうがよいのではという提案の中で
「しかし、そこで例えば自宅で育てた場合も一種のバウチャーをもらえ、それを将来子供が4~5才になったときの保育料に
使えるような仕組みにすることはあり得ると思います。現金を与えると、もらった金で飲んでしまうかも知れませんからね。」
この「もらった金で飲んでしまうかも知れませんからね。」という発言を少々調べてみた。
例えば平成24年児童手当についての調査では、支給額の7割弱が子供のために使われ、0~6歳児では「子どもの将来のための貯蓄・保険料」が最も多かった。
児童手当を子どものために限定しない用途に使ったと回答した理由(複数回答)で最も多いものが「家計に余裕がないため」であった。
児童手当は少額であったが、仮に0~2歳児の子育てに月数万円の手当が払われることになったとしても、貯蓄されるか家計に使われ、
「飲んで」しまうことは少ないだろうと私は思う。
この八田氏の発言を会議中に諫める参加者がいなかったことも問題であるだろう。
ただ、八田氏の著作「ミクロ経済学Ⅱ<プログレッシブ経済学シリーズ>: 効率化と格差是正(P.490)」では
例外的に使途使用の補助金を正当化される場合の一つに、受給者の判断力が疑わしい場合をあげ、
義務教育とアルコール依存症の人が例として取り上げられていることを考えれば八田氏の発言も理解はできる。
(ただその文脈であると八田氏の発言は子育てをする人の判断力を疑わしく思っているとも捉えられるだろう。)
「今の保育士の2年というのを1年にするというのも一つの手ですね。保育士の養成に2年も要るのかと。
それで、2年やってから現場に行ったら、やはり私は向いていないといってやめてしまうというのはもったいない話ですね。」
この発言について、まず保育士の養成期間を2年を1年に短縮するという指摘は会議資料に書いておらず1年に短縮する根拠がない.
平成26年東京都保育士実態調査報告書によれば、退職意向理由(複数回答)は「給料の安さ」が65%、「長時間労働」52%、
次いで「労働時間が長い」、「他業種への興興味」が30%台、「職業適性に対する不安」は22%である。
もしこの発言が八田氏の偏見によるものならば、無駄に会議の価値を損ねるだけで座長がする発言とは私は思えない。
また上の発言と同じく八田氏の発言を会議中に諫める参加者がいなかったことも問題であるだろう。
「大阪市では、従来普通の事務職の給料表を適用していた正規の保育職員のために、新たに保育職員の給料表というのをつくって、正規職員の給料を下げて、
その代わりに非正規の保育士の給料を上げて格差を縮小しました。こういうことを全国的に特区ではやっていきたいと思います。」
「保育士給料表の新設について」の平成27年1月15日(木曜日)大阪市職員労働組合(市職)との交渉の議事録によれば
組合側が市に「労使合意なき市会への条例提案については認められないものであり、絶対に行わないように求め」ている。
2016年4月27日に大阪市のサイト上で公開された大阪市長から厚生労働大臣への
「待機児童解消に向けた抜本的な対策について(緊急要望)」は3点でそのうち1つは「若手保育士の処遇改善施策の拡充」で
「若手保育士の処遇改善・就業意欲の向上につながる施策が必要」である。
また、2016年5月25日に大阪市のサイト上で公開された「大阪市の保育所等利用待機児童数について(平成28年4月1日現在)」によると
待機児童は昨年度の同時期に比べ56人増加し、273人となっている。
ラノベ作家、漫画家、ゲームクリエーターなどを養成する専門学校の体験入学に参加してきました。
入るつもりは全くないのですけど、後学と言いますか社会の闇を見たくなって突撃した次第です。
別に、自分より程度の低い人たちを見て優越感に浸りたかったわけではありません。
有吉弘行は仕事がなかった頃、お年寄りが集まる場所に行って「まだ自分はやれる」と自分を鼓舞していたそうですけど、私の人間性はそこまで低くありません。信じてください。
もう三年近く専門学校を襲撃していなかったので、ムラムラしていたのですよ(本音)。
三年前の顛末は『ラノベ作家養成専門学校が酷い ~2nd Season~ http://anond.hatelabo.jp/20130901102804 )』にまとめてあります。
この過去エントリー読まなくても本エントリーは楽しく読めるので安心してください。
話は横道に逸れないのですが、『〜2nd Season~』をアップした直後から、Google先生が『ラノベ 専門学校 実態』をサジェストするようになったのはここだけの秘密です。
ちなみに『ラノベ 専門学校』でググると『〜2nd Season~』がトップに表示されます。
あと、このエントリーは若干長いです。3行にまとめると……
・学生超頭(・∀・)イイ!!
・講師陣優秀!
です。
まずはラノベ専攻科について。
卒業生の“掲載作品数”が多いと謳われていて、あっ(察し)ってなりましたね。
その証拠に現役ラノベ作家として活躍する卒業生の声が載っていました。一人。
新人賞取ってなかったり、密林レビューが一番多く付いている作品でもたったの8レビューだったり、3巻前後で打ち切りになっている作品がやたら多かったりと、香ばしいキャリアを詰まれて、もとい積まれております。
次、講師陣。
ハイローミックスですなぁ。
ジョージ・バーナード・ショーが「行動できるものは行動する。できないものが師になる」と言い残していますけど、まぁそうだよね。
それとなぜか名誉職なるポストがあって、まぁそこそこネームバリューのある人が収まっています。仕事しているの?
作家関係の講師ですと、昨年留置場にブチ込まれた方がいらっしゃいます。
すっかり名前を聞かなくなったと思っていたら、こんなところで働いていたのですね。くいぶち!
講師ではないんですけど、コスプレして剣を振り回していたイラストレーターさんや絶対に許さない声優さんが以前講演しに来たようです。
過去のイベント履歴を見ますと、いわゆる業界関係者が間歇的に小金を稼ぎに来ています。低学歴からどんどん搾取していこうな。
次、入試。
多いです。
一人の受験者が複数回筆記や面接試験受けるとかじゃなくて、正味で入試が二十六回あるんですよ。ふ、ふぇええ……
その上まだサイトに掲載されていない入試もあるようで、詳細日程は学校にTELすれば教えてくれるらしいYO!
なんで随時受け付けにしないのでしょうかね? 文科省に怒られるから?
次、各種イベントについて。
体験入学、学校説明会、入試説明会、保護者説明会、個別相談会、学費相談 etc.
大学のオープンキャンパスの比ではなくて、盆なんて関係なしに毎週行われています。
さらに学校までの無料送迎バスが首都圏六県と長野、静岡、福島から出ています(イベントによって発地は若干変わるよ)。
それと東京にある本校だけでなく、地方への出張説明会もあるようです。商魂、逞しい。
たぶんアレがアレしてアレなんでしょうけど、詳述するとPCに触れそうなので、リベラルを自認する私としてはお口にチャックでミッフィーしようと思います。ごめんチャイナ。
各学科の体験入学・学校説明会が開催されているのに、来校している見学者は数えるほど。
在校生と思しき若い人も少なかったです。本気でクリエイターになるなら休みも来ましょうよ……
受付を済ませると、『見学者様控室』に通されました。
見学者は私のほかは一人だけ。ガイジっぽい、専門学校ではなくお医者さんに行った方が良い感じの子が一人。
その子はイラストレーター養成講座の見学なのに、絵は描けないとか言ってる。人生、大丈夫か?
2-1=1だからつまりそのひょっとすると私は一人でラノベ講座を受けるのまさかそんなわけ……うっほほ~い!
パソコンが置いてある、謎の部屋に案内されました。
謎というのは、その部屋にあるパソコンもホワイトボードも何も使わなかったからです。
部屋にはラノベレーベルの編集者を自称するオッサンと、作家を自称するオッサンがいて、あぁ来たのといった感じで私を迎えてくれました。
編集者は所属している出版社名とか言いませんでしたね。専門学校の講師やりながら、激務で知られる編集者ってできるの?
自称作家のおっさんが最後に本を出したのは一年以上前。既刊で密林レビューが付いているのは半分くらい。全く知らない人ですね。
この二人、公式サイトの『講師紹介』には名前がなくて、学校側としては内緒にしておきたいご両人なのでしょうか? まさか講師ですらないというミラクルを私としては期待しております(切り込み隊長感)。
事前説明では小説を二作、ゲームプロットを一つ書く予定だったんですけど、そんなもの全く書かかない。
私はノートPC持参してきて書く気まんまんだし、二人の発言タイプしてるのに、オッサン二人は椅子にふんぞり返っているだけ。メモくらい取れや。
結局、自称業界人のオッサン二人と雑談しただけで“体験入学”は終わりました。
オッサン二人との会話が有意義だったらまだ救われたんですけど、話の内容も酷い。
自称作家は分からないこと聞かれると「作家は魂が重要なんです」みたいな精神論説いて逃げる。
自称編集者は『電撃にいた三木』も知らない、ユーザーが何に可処分時間を使っているかにも関心がない。
お二方とも物事を構造的に見られなくて、アンテナが低くて、社会人としての根本的な能力が疑われます。
三年前、専門学校の体験入学に応募したときは、頼んでもないのにどっさり資料が送りつけられて来たのですよ。
でも、今回はなかったですね……
仕方がないので帰り際に「くれ」って頼んで手に入れました。
ガキ、失敬、入学希望者がスマホで見ることを念頭に置いてるんでしょうかね。
活字びっしりで、内容は学校と企業のパイプがいかに太いか、就職実績はどれだけあるかというもの。
社会の厳しさを知っている親はお花畑スクールライフ見せられたら不愉快ですし、子どもは学校で遊ぶことしか考えていないので、この二方面作戦は賢明だと思います。
あと、学費。
サイトには載っていなくて、紙の募集要項に小さく書いてあるだけ。
年額約百五十万円。