「非実在」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 非実在とは

2016-03-12

復興とかもうやめろよ

被災地に住んでた人は大変だと思う。震災で亡くなった人を悼む気持ちはあるし身内や知り合いを亡くした人は辛いだろうと思う。

少額ではあるけれど数万円は寄付したしちょっとした物運びのボランティアをしたこともある。

だけれども被災地に土手を10mも盛って、それどころか土地のものをかさ上げすることに多くの金を費やしていることには腹がたつ。

どうせもう誰も住まねえよ。被災地に限らずそこらは限界集落だらけじゃねえかよ。

現代は車もあるんだから海沿いに住まなくても漁業だってやりたきゃできるだろう。

かさ上げに賛成してるヤツらは5000億円あれば他に何ができるか考えてから言ってるのか?

被災者住宅仕事の確保そういう現実的なことに使われるなら復興税気持ちよく払うしなんならもう少しぐらい寄付もするけれどジジイババアの思い出のために無駄工事をするならばそんな金は出したくない。そもそも堤防作ってかさ上げしたところで帰りたいって言うジジイババアは何人いるんだよ?非実在年寄りなんじゃないのか?

日本はもうそんなに豊かじゃないんだから5000億円もの金をドブにすてるということは、その分保育園が減り出生率が下がるということでもあり、貧しい人が飢えるということであり、教育レベルが下がったり、ブラック企業を取り締まる人が減るということだと考えるべきなんじゃないだろうか。

(金の出どころが違うとか言う人もいそうだが、そんなのは必要に応じて調整すればいいだけの事。復興税をやめて教育無償化税を新設してもいい)

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

2016-02-17

今まで青二才は彼の脳内しか無い空想はてな理想をいだき、非実在はてな代表してるといる誇大妄想に取りつかれて

あれこれわけわからんことを喚き散らしていたが全く何を言ってるのかわからなくておそろしかったがようやく謎が解けたな

2016-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20160114042054

はよトゥギャれや

オフライン出来事なら増田に真偽証不明のまま書かざるをえないのは分かるけど

オンの出来事でここでぼかすってのは非実在増田の方に理があるように見せるために限界まで寄せてフカシてるのかとしか思えん

2015-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20151220013848

日本ではよくあることだろ 勝手非実在にするなよ

ネトウヨの頭のなかではそうやって都合の悪いことは嘘だの存在しないだのってことにしてればいいんだろうけど

http://anond.hatelabo.jp/20151122210459

非実在案件ぽい気もするけど

子育て時に一日単位の無給程度で引け目無く休めるんならじゃんじゃん休みまくるから

実際には子育てでございで休みが通りやすいのにかこつけて不要不急の休み取ってたのかねぇ

2015-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20151217103102

補足

"Solar Panels Drain the Sun's Energy, Experts Say."

http://www.politifact.com/truth-o-meter/statements/2014/may/29/chain-email/claim-solar-panels-drain-suns-energy-are-satire-no/

元々は非実在機関が登場するなど風刺であることが明らかな虚構新聞ネタだったが、アホの間でチェーンメール化して拡散されたことにより真に受ける人々が現れたとのこと

2015-12-15

ミカ先輩とゾーニング痴漢問題わたし(腐)

ネット民戦慄! 表現の自由を脅かす”ゾーニング破り”とは? - トゥギャッチ

これは、上記記事を読んだ腐女子がどうしても我慢できず

非実在腐女子エリコちゃんに(物陰から説教をかまそうとしたり、その勢いで著者である小野ほりでいさんに(物陰から因縁をつけたり、ちょっと前に大炎上した痴漢関連の話を思い出したりするエントリである

追記:くっそ長いです。制限オーバーして最後トラバにはみ出すくらい。

エリコちゃんよ、ゾーニング問題は暗くて深いぞ

冒頭にリンクした記事では「エリコちゃんがTwitter投稿したBL風の二次創作マンガ炎上する」という事件から

ゾーニング破り」という人種について書かれている。


ここで、腐向け二次創作画像ツイート炎上したエリコちゃんはこう言っている。

(エリコ) でも、プロフィールでちゃんと注意書きしたのになんで炎上したんだろう?

ミカ先輩)こういうネタゾーニングは、リツイートリツイートが重なってぐだぐだになっちゃうからね。

(エリコ) ゾーニング

ミカ先輩)ゾーニングというのは、情報の発信者仲介者が表現物を「見たくない人・見せるべきでない人」にまで行き届かないよう配慮したり工夫したりすることよ。

(エリコ)でも、リツイートで見たくない人に届くのは、私じゃなくてリツイートした人の責任じゃないですか?

ここでは、「エリコちゃんはプロフィールに『腐向け二次創作注意』『18歳未満の方の閲覧はお断りします』って書いて【ゾーニングをしているはず】」で、それが「RTによってぐだぐだになった」という見解で書かれている。

君のそれはゾーニングといえるのか

しかし、腐女子である私はどうもこの辺に疑問を抱いてしまう。

そもそもTwitterというのは、「発言ひとつひとつがTLに流れていく」前提のツールではなかっただろうか。

とくにRTされた発言は、いちいち「この人はどんな人か」を確認するすべなどない。

「この人はどんな人か」から切り離され、発言けが一人歩きする。Twitterはもともとそういう特性を持ったツールだ。

ようするに、「鍵なしでやってる以上、プロフィールの注意書きが読まれる前に発言だけ見られるのは当たり前のこと」である

なんぼプロフィールに「腐向けから注意してね」って書いてましたよ、と主張しようが、Twitterというツール特性無意味に終わる可能性は高いのだ。

しかミカ先輩はこういう。

ミカ先輩)もちろんそうよ。リツイート不快ならフォローを外すこともできるし、リツイートだけ非表示にする設定もあるし。

フォローをはずす」「RTを非表示にさせる」。

そういう、かなりの勢いでほかの事を犠牲にする作業受け手にさせるのって、

ゾーニングしてた」って言えるんだろうか…?

それは「目をつぶってれば見えないでしょう」と同じではないんだろうか。


たとえるなら「元カノ元カレ元カレ

この記事後半では、悪意の第三者であるゾーニング破り」という人の存在提示される。

まあ、古くからある言葉で言えば晒しだ。晒しするような人そりゃあ厄介ですよ。

悪意からRTするような人最悪ですよ。そうだそうだ!怪人ゾーニング破りがみんな悪い!!

そうだろうか。

エイズ検査促進CMのキャッチコピーで、「カレシの元カノ元カレを、知っていますか」というのがあったが、それと似ていると思う。

私たちは、「フォロワーフォロワーフォロワー」のことまでは知らない。

エリコちゃんのTLにいるのは、彼女プロフィールを読んで了解したフォロワーほとんどだろう。

そのフォロワーがエリコちゃんのイラストを好ましいと思い、RTしたらそのフォロワーにつながるだろう。

だがその先は?

BLなんて反吐が出るほど嫌いなファンとつながっている可能性は。

保護者許可を得ている13歳以下の子供は。

アニメ公式スタッフは、原作者は。

二次創作イラストが「嫌いな人、望まない人、見てほしくない人の目にはいる」可能性は、怪人ゾーニング破りのような「悪意ある第三者」よりも、そういった「好きだと思った善意の人」からの可能性のほうが高いのではないか。

その意味で、Twitter上でのゾーニングと言うテーマを扱うとき、「ゾーニング破り」という悪意の存在だけに焦点を絞るのは片手落ちだと思うのだ。

これは腐向けだけに限らない。多くの「不適切な」ものに共通である


政治的に正しいゾーニング腐女子間のゾーニング

少し横道ではあるが、二次創作BLのゾーニングについてはもうひとつ厄介な問題が付きまとう。

「男女恋愛二次創作と、BLの二次創作は同等のゾーニングでいいのか?」である

これについては本当に腐女子間でも各々の思想があるから一概には語れない。

数年前までは「キャラ勝手ホモにした妄想するなんて異常だよ。異常性癖は隠すべき」なんて言い回し腐女子間の「マナー」として語られていた。

上記の言葉がすんなり受け入れられる人も今もいるかもしれないし、

ホモが異常ってあんまりだろ」って人もいると思うし、

「いや、ホモが異常って言ってるわけじゃないから、女の私がホモ妄想することが異常って言ってるだけだから」と言う向きもあるだろう。

ゾーニングについても、

「男女恋愛より嫌がる人が多いんだから、BLのゾーニングは男女より慎重になるべき」という向きも、

同性愛描写タブー視に加担するのは嫌だ。男女恋愛と同等のゾーニングで十分」という向きもあると思うし

「いや、っていうか男女二次ゾーニングに無関心すぎるでしょ。BL見習って、エロや人を選ぶ絵は見えないようにしろよ」って人もいる。

個々の考えについてここでは意見しないけれど、問題のややこしさについてはお分かりいただけると思う。


さら腐女子間でもゾーニング問題と言うのはついて回る。

腐女子の一部は、しばしば他者作品、嗜好に対し激烈な拒否反応を示すことがある(「地雷」と呼ばれる)。

逆カプ、ヘイト創作、特殊嗜好、設定の捏造パラレル設定…

それを「見たほうが悪い」で済ませるかどうかについても、腐女子間では議論百出である

対外的にも、対腐女子的にも色々な問題に悩みながら、ためらいながら、己の安寧と衝動と、自分の絵を広く見てほしい気持ちと、見知らぬ他者平和狭間で揺れ続けるのがゾーニング問題なのだ

エリコちゃんはこういう。

でも、アカウントに鍵をかけるのはなあ…。好きな人に見てもらいたいから投稿するわけだし。

それも否定しない。否定しないが。

なにがいいたいかっつうと、いろいろ我々もフクザツなのだ

はい腐女子は静かに暮らしたい

はいである

長々語ったが、ぶっちゃけ多くの腐の感覚ミカ先輩とエリコちゃんが以下に言うとおりだとは思う。

ミカ先輩) でも怒られて嫌な思いをするのは結局こっちだから、どういうふうに工夫できるか自分で考えないとね。

…(中略)…

ミカ先輩)まあ、そのへんの基準は人によって違うけどね。

ただ、気をつけないと怒る人は内外にいるってこと。

(エリコ)私は怒られたくない。

その通りである。怒られたくない。

ゾーニングに対する意識は前述のように多岐にわたる。単純に考えの足りない人もいるかもしれない。

だがしかし、きほんてきに、静かに暮らしたいのだ多くの腐女子は。

その方策として記事内ではこのように表現されるが

エリコちゃんがやったような注意書きはもちろん、違う呼称を使って検索避けしたり、アカウントに鍵をかけたりね。

実際のところ、腐女子界隈で多くとられている措置は、さらに以下のようなものがある。

①「不適切画像を含むものとして設定する」にチェックを入れる

②「表垢」と「裏垢」を使い分ける

③privatterなどの外部サービスを利用する

①はTwitterデフォルト機能である受け手が「不適切画像を表示しない」設定にすることにより、サムネイルの表示にワンクッションはさませるもの

ただ、おそらくBLは見たくないけど男女(or百合)のエロは見たいぜ!って人は不適切画像も表示させている可能性が高く、「設定してないおめーが悪いんだろ」という理論は成り立っても自衛としては不十分とみなされることがある。

②は、鍵をかけておらずイラスト過激もの投稿しない「表垢」を作り、主な交流や雑談をそこで行う。

そこで知り合い、年齢が確認できる人だけ鍵つきの「裏垢」フォロー許可する、という方法である

BLっぽさがあきらかな作品エロなどは「裏垢」に投稿することで、幅広い交流ゾーニングとを同時に行うのである

③は、要するに「作品を見てもらうのにワンクッションはさむ」と言う方式である

- Privatter - share your long tweets to your followers only

中でもプライベッターは、画像テキストどちらも投稿でき、公開範囲を全体・ログイン限定フォロワー限定フォロー限定…などと細かく設定できるため、最近非常に好まれている印象がある。

ログイン限定」は、Twitterログインしている人なら誰でも見られるのだが、作品を見るためにprivatterをTwitterに関連付けするというワンアクション必要になるため、ある程度「見たくない人の目に入ってしまう」事態を防げると目されている。

てゆうか小野ほりでいさんの記事が苦手だというだけなのですが

さて、長々と腐女子ゾーニングにまつわるエトセトラについて語った。

しかしたら「いや、そういうディティールはいいんだよね。あの記事は『ゾーニング破り』っていうならず者告発するのがメインでしょ?」とお思いの方がいらっしゃるかもしれない。

いや、そうなのだ。そう思う。

でも、正直、私は小野ほりでいさんの、「そういうディティール」を捨て去った記事が苦手なのだ

ぶっちゃけこれが言いたい。すみません増田の癖に。しかも腐った増田の癖に。

読後の「そりゃあそうですけども…」的モヤモヤ

小野ほりでいさんの「エリコちゃんとミカ先輩」記事は、よくネット上で話題のいろんな「微妙問題」をばっさりと切る。

その理論的な切り口、爽快感に、ファンの方も多いと思う。

私も彼の記事を読んで「だよね!超納得、すっきり!よく言ってくれた!」と思ったことがある。

だがしかし。前述の「腐女子ゾーニング問題のように、自分当事者としてかかわっている問題になると、どうも読後のモヤモヤが残るのである

記事の言ってることは、決して間違ってない。

けど、私が実際に見ている世界には、もっと細かくいろんな問題があって、その中でなんとかバランスをとろうとしているのだけどな…といいたくなってしまう。

そんなことを小野ほりでいさんが知る由もないのは承知である

privatterがどうこうとかそら興味ないだろうし、知らなくても彼の記事正論として成り立つ。

でもさあ。でもさあ…

ミカ先輩「名前をつけてやる」

なぜ、細かいことはよく知らないのに、ミカ先輩は正論を言えてしまうのだろう。

それは、悪役を作り上げ、「名前をつけた」からだ。

彼女はそれが圧倒的にうまいのだ。

前述の通り、ゾーニング問題は「善意第三者」によって破られることもあるが、

ミカ先輩はそれをスルーする

このリツイートした森山ゴリ夫という人の「こういうのって気持ち悪くない?」というコメント…。

これは明らかに「見て不快に思う人に見せる前提」で共感を集めるためにやっている面があるよね。

ややこしいところを全部ぶっとばして、誰もが「わあこいつはどうよ」と思える悪役を持ち出す。

そして、その悪役に「ゾーニング破り」と言う名前をつける。

こうなれば、読んだ人間気持ちは一致するのだ。そうだ、ぼくたちの敵は「ゾーニング破り」って名前なのだ

どうして痴漢された話は「自慢話」になるの? - トゥギャッチ

痴漢問題について「自己責任論によるストレス隔離」という「名前」を掲げて切り込んだ記事も、

最後はこうなる。

大事なのは、話を聞いてほしい人の気持ちも、聞きたくない人の気持ちも尊重してあげることだよ。

そうだ。そうなんだけど、その通りなんだけど。

ネット上では自分で好きで記事を読んでおきながらブログを読んで殴りかかってくる人もたくさんいる(私みたいに)。でも読んだ人がどう反応するかは自由だ。その倫理観は人による。

また、痴漢問題における社会的周知や認識の共有も進んでいるとは言いがたく、「無理やり聞かせる」と「なんとか一緒に考えてくれとお願いする」の境目はどこだって話もある。どこに不快を感じるかは人による。

けれどもそういうメンドクサイことは語られない。名前がつかないから

そして、「自己責任論によるストレス隔離」という「名前」周りの事象けが語られ、きれいにまとめられる。

でも、そっからが。

ミカ先輩よ、あなたが今丸めたそこからが、懲りずに炎上しくすぶり続ける本質なのではないか。

あなたは、そこを見ない振りして「キャッチーな名前」をつけ、そこから一点突破で論を構築する。

そして「これは正論」「すっきりしました!」と多くの人から賞賛を受ける。

あなたのつける名前はわかりやすく、理論にはそつがない。その問題に詳しくない人にもすっとしみこむ。

けれど、問題の渦中にいるとき、私はいつも困惑する。

すっきりしたか?そうか?ボロッボロ大事なことが落ちてないか?

そして、これがいちばん引っかかる。

その、「すっきりしたキャッチーな名前」を得た人たちは、もうそ問題を「解決済み」のフォルダに入れてしまうのではないか。

そして、問題の渦中で苦しみ続ける人を見て、「ミカ先輩があんなにきれいにまとめたのに、まだ苦しんでるのか。ばかだなあ」と思いはしないだろうか?


私が、小野ほりでいさんの記事をあまり好きになれない理由はこれである

名前をつけてやる。

名前をつけて、それでその問題がすべて解決したかのような印象を(小野ほりでいさんの意思はともかくとして)受ける人がいる。

名前のつかなかった細かいかいしかし容易には解決しない問題は積み残したままに。

そして記事を読んだ人たちは、本質理解した気分ですっきりして立ち去り、問題の渦中にいる人は苦しみ続ける。

ミカ先輩のやり口を「団結ポルノ」と名づけたい(ミカ先輩式に)

今上で思いっきり批判したことを、自分ひとつやってみたいと思う。

小野ほりでいさんほどうまくはいかない素人芸だが。

痴漢問題うつくしき団結

痴漢問題は本当にとかく炎上やすい。

暴力冤罪男性立場、女性の立場男性差別女性差別、都市の過密、労働形態子供の保護…

痴漢問題を語る切り口は無数にあり、ひとたび話題に上るとそれぞれの人間がそれぞれの立場からそれぞれが気になる切り口について語るので、基本的に収拾がつかない。

11月はじめ、「痴漢されない女子の特徴」というエントリ大炎上した。

http://cild.hatenablog.com/entry/2015/11/05/072629 - 2015年11月5日 07:55 - ウェブ魚拓

例に漏れず私も大変なアンチになったので、上記リンク魚拓である

ところでこの記事に対する反応はすさまじかった。

老若男女を問わず、みながブログ主性犯罪に対する無理解と、性差別意識を叩きに叩いた。

前述の通り痴漢問題は無数の立ち居地と切り口から語られ、全会一致など到底ありえないはずだが、ことあのブログに対するコメントブコメに関しては、殆どの人が意見を一にしていたのではないかと思う。

ブコメは増え続け、言及記事が連日ホッテントリに上る、祭りの様相だった。

あの、「無理解差別意識に満ちた邪悪ブログ主」という悪役を得て、我々は性別を超え立場を超え「団結」したのだ。

彼を叩いている間、我々は仲間でいられたのだ。


そして、正直に告白する。

「団結」できたことが私はうれしかった。

己の考えとはまったく異なる意見を、私の目には無理解と保身としか思えないブコメを、痴漢関連のエントリではたくさん見る。

けれどあの記事に関してだけは、どのコメントを読んでも納得がいき同意できた。

それは本当に気持ちの良い体験だった。

ミカ先輩は私たちに「団結」を提供してくれる

ミカ先輩は非常にたくみに、ややこしい問題スマートに言い表す。

そして、炎上しゴタゴタするはずの話題について、「同意」「正論」というコメントが並ぶ。

それは、きっと、すごく気持ちのいいことなのだ。

喧々諤々しているところより、すっきりした結論と、それに対する同意の中にいられたほうがいい。

同じ考えの人の中で、自分もまた同じ考えを書き込む。

自分感覚の「正しさ」を、「団結」が――わかりやす理論と、同意コメントの多さが――保証してくれる。

しかし、前述の通り、ミカ先輩の言うことは、「スマートで誰でも同意できる」代わり、「ややこしくてなかなか解決しないこと」をしばしば捨て去っている。

本当は、そこに取り組み続けることがもっとも大変なのに。

から、思うのだ。

彼女は、「問題真摯に取り組む姿勢」を捨て、その代わりに我々に「団結」という快楽提供してくれているのではないか。

それは、いわばポルノだ。

「団結」と言う名のポルノだと思う。


団結ポルノは一夜の夢だ。ではそのあとは?

「団結」は一瞬の快楽をもたらしてくれるし、あまり興味のない問題ならば「読んですっきり」できる。

それが悪いことだろうか、と言われたら私は答えに窮する。

世の中の問題のいちいちに、「真摯に」かかずらわってるほど我々は暇ではない。

腐女子ゾーニングにどんだけ頭を悩ませてようが、二次創作に興味のない人は「私に迷惑かかんなきゃいいよ」ってなもんだろう。


でも、どうか、時々でいいから、振り返ってほしいのだ。

あなたが「団結ポルノ」ですっきりしたあとに、点々とこぼされている、ややこしくて、一概には言えなくて、どうにもならない問題があることについて。

それに取り組み続けている人がいることについて。

2015-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20151122031945

ここまで堕ちたか昇給セクハラ野郎

せくハラっつーかフィギュアへの冒涜発言だな

ほんと救いがたい愚かさだ

非実在新人OL妄想してるだけにトドメておけばよかったもの

2015-11-14

最近ラノベ女の子女の子として書かなくなってる。きっと童貞が書いてるに違いない

いつもの

お馴染みのあのアニメを見てるんだけど、このアニメ見てるとテンプレラノベっぽさっていかにアホの子を出すかなんだろうな…と大真面目に思えてきた。昔から自分のことをかわいい理解した上で色気を振りまいてくる娼婦のような女子高生キャラはいたんだけど、最近テンプレラノベはそれよりも…ある時期までは「(自分かわいい・お色気を期待されている理解してる)娼婦のような女子高生」が出てくるラノベが増えていると思うんだが、最近はそれをさらに突き抜けて「男子中学生の恥ずかしさを詰め込んだようなアホの女の子を入れる(むしろ彼女達こそラノベらしさ)」になってない?



例えば、西尾維新(というよりも、この場合物語めだか)がラノベかどうかを議論する上で、ヒロイン娼婦っぽさとか設定の中ニっぽさに着目するならラノベよりもクサいからラノベカテゴライズしてもいい。でも、ある時期からハーレムラノベに出てくるアホの子はほぼ出てないから今の基準だと。僕が西尾維新が苦手(少なくとも、あんまり文学的だという評価をしたくない)なのはめだかボックス代表されるような「読んだだけでお腹いっぱいになるような中二」なんだ。ある時期までラノベには多かれ少なかれそういう雰囲気を入れるものだったが、最近のは形骸的に中ニという作品が増えた? 落第騎士で学んだことはアホの子萌えキャラにすると許されるというかいじりがいがあるという「可愛い子は正義」「オタク本質的にはフェミニスト女の子びいき)」ということだと思うの…。個人的感想から異論は認めるし、僕自身おかしな事言ってる自覚はある。落第騎士見てると頭悪くなりそーだけど、逆に言うとテンプレラノベ書いている人がなんでそんなことをするかを考えながら見てると「あー読者的にはこうだから、こうなってるのか」と感じることがしばしばある。頭悪そーなことには変わらないけど、自分が好きな作品ガチで語る作品はウケへんもん…


主人公唐変木すぎてセクハラにも相手から好意にも気づかないというラノベ主人公の設定って要約すると(というよりも、女性身もふたもないツッコミをするとするなら)「ガキ」なんだろうね。それも悪い意味ではなく、煩わしい性欲がない代わりに性を隔てるデリカシーもないという両方の意味で。すご~く変な言い方かも知れないけど、落第騎士ってホモアニメだと思ったほうが(登場人物全員男子で、男子校的な場所にいると思ったほうが)ぶっちゃけしっくり来ると思うんだよなぁ…。ちゃんと女の子らしい視点とか、キャラを持ってる人がいないし、女性目線入れると簡単に崩壊しそうな意味で…。女の子女の子として書く必要がなくなってると考えるとテンプレラノベって童貞でも…いや、むしろ童貞の方が書きやすい?男がかっこいい男を主人公とかすぐ死ぬキャラとして配置して、男子的な幼さは女の子に埋め込んでしまえばいい。あーそう考えると、女の子っぽさが何かとか考える必要ないわ。

ハーレムラノベドンドンヒロインの影が薄くなって、主人公が他の女の子には親身になって行くという現象学術的に言い表すと「クーリッジ効果ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…)」と言っていいと思うの。浮気本能。新しい女の子は別腹!!


萌え豚フェミニスト ※半分はネタだけど、もう半分はジブリ社屋のトイレ女性のモノのほうが広い理由を尋ねられた時に「それは宮さんがフェミニストからです」と鈴木さん(だったかな?)が答えたのを元ネタにしてる



姫さんなんか言動の(斜め上な)色ボケっぷりを外して評価すれば、刑事モノとかアクション劇の“バディ枠”ですわね… 負けず嫌いが過ぎて時々逆噴射する熱血・正義漢だと思えばいいと。「男子中学生の小っ恥ずかしさを女の子に詰め込んでかわいいかわいいという系統キャラ代表格は柏崎星奈だと思う」的なことを1,2週間前ぐらいにいったらヴァーミリオンが肉っぽくなり始めてきた…。予想どおりっつうかなんつうか


禁書からずっと続いてる、ラノベ世界に都合よく湧いてくる悪役のヤンキーってなんなんだろう?悪く言うつもりかどうか以前にあいつらの存在自体が謎。本来フィクションの中で出てきたヤンキーって主人公一味よりは現実味を帯びたキャラクターのはずなのに、なぜかヤンキーの方が現実味がないキャラクターに感じて萎えるんだよなぁ…。アレなんでだろう?数日に一度は、近所でヤンキーらしき人見てるから「いない」とはおもってないんだけどなぁ。異能力使いよりも非実在性をヤンキー見出ししまうのはなんでだろうか?NPC的な割に人間味を見いだせないラノベに出てくるヤンキーほど謎なキャラクターも珍しい。舞台装置といえばそれまでなんだけど、もっとうまくやれないのかが謎。いや、下手だと感じるライトノベルしか出てきてないからヤンキーが出てきちゃう時点で下手くそラノベなんだけどぱにぽにとかパンストみたいにヤンキー楽屋裏で出演陣と楽しく盛り上がってないと整合性が取れないぐらいの舞台装置っぷりに困惑する現象を何と名付ければいい?

2015-11-11

「街で見かけたブラックホール」と「オタク差別

以前、「街で見かけたJK」の絵をツイッターに載せていた人が炎上したことがあった。作者が街で見かけた(らしい)女子の絵が性的タッチで描かれており、そこに矢印で作者の「汗だくでスケスケ!」と言った性的視線コメントが書き込まれているものだ。私も、これは批判されて当然だろうなあ、と思った。

で、その騒動とき、私がツイッターフォローしているエロ漫画家が「街で見かけたブラックホール」という体のネタ絵を描いてツイートしていた。その絵では街中にブラックホールが(なぜか)出現しており、そこに矢印で「時空の歪みが丸見え!」といったコメントが書き込まれものである。明らかに「街で見かけたJK」絵のパロディである

そのちょっと後のこと、「(街で見かけたJK絵への)批判すらネタにするのがオタクにとっての表現の自由なのか」という、オタク批判ツイートを見かけた。そのツイートには、ツイッッターで絵描きアップロードした画像が4つ添えられており、うち3つは「街で見かけたJK」と同様の体で非実在女性性的に描いたパロディ。で、残り1つが「街で見かけたブラックホール」の絵であった。

私は驚いた。他3つの絵は別として、「街で見かけたブラックホール」の絵は、寧ろ「街で見かけたJK」の絵を皮肉っているものだと私は感じていたためである。なぜか街中にブラックホールがあり、そこに「時空の歪みが丸見え!」といった意味不明な細かな注釈をつける。そういう奇妙さが「やたら細かな注釈をつける行為」のグロテスクさを浮き上がらせており、元の絵の異常性をも際立たせている。わたしはそのように感じた。語彙力がないのでうまく表現できないし、ここまで書いたことには私の主観が多分に入り込んでいるであろう(リンクを貼らないのは本記事が無粋なマジレスめいており作者に申し訳ないからである)けど、しかし少なくとも、ブラックホールの絵が「ネタにして」いるのは「街で見かけたJK」絵に対する批判というよりは、「街で見かけたJK」絵(あるいはその作者)そのものではないか?何にせよ、「JK批判ネタにしている」と決めつけるのは偏見に過ぎる。

その「批判ネタにするのがオタクにとっての表現の自由なのか」ツイート賛同するツイートをいくつか見たが、「ブラックホールの絵は別」と指摘している人は誰もいなくて驚いた。しかさらに驚いたことには、「批判ネタにするのが〜」のツイートをした人に「これらの絵はお前らみたいな(街で見かけたJK絵に文句をつける)繊細チンピラに対する揶揄だ」と食ってかかっているバカいたことだ。両方の派閥から批判ネタにしている」と決めつけられているブラックホール絵の作者が、私は気の毒でならなかった。

以上でこの話は終わり、ここから先は蛇足です。

ときどき、「オタク差別」という言葉話題になりますね。そのたびにこれはオタク差別だ、いや違う、だとか、オタク差別など存在しない、いやする、みたいな議論が巻き起こります最近だと、とらのあなヘイト本が置かれていた件のときヘイト本を置かれていたことを指摘するツイートに「死ねオタク」という文言があったことで、そういう議論が巻き起こりました。

この件では、「オタク差別ではない」とする側の中に、死ねオタク、というのはヘイト本を買うようなオタクに対して向けられた言葉であって、あなたオタクであるからといって「死ねよ」という言葉自分に向けられているかのように思うのはおかしい、という趣旨のものがありました。このロジックが適切かどうかは、ここでは論じません。ただ、私自身についていえば確かに、ある種のオタクではあるけれども、普段からオタクは○○(何かネガティヴ意味形容詞)」だとか、「死ねオタク」といった類の文言を見ても、別に自分のことではないと思うようにしていますあくまで私個人の生き方として)。はてなっぽく言えば、「自意識の当たり判定を小さくしている」ということになるでしょうか。(あとついでに言っておくと、それはそれとしてオタクヘイト本愛好者がいることは嫌ですし、とらのあなも本件でなるべく使いたくなくなりました。)

そんな私ですが、ブラックホール絵の人が批判された件に限って言えば、「オタク差別」と呼べるのではないかと思っています。というのも、「街で見かけたJK絵(の作者)をネタにしている」という解釈が可能な絵を見て、「街で見かけたJK作者批判ネタにしている」という正反対解釈確信を持ってしまうのは、「この人はオタクなんだから、同じくオタクである街で見かけたJK作者を擁護しているのだろう」という決めつけによるものだと思うからです。だからオタクにとっての表現の自由って〜」という言い回しをしているのでしょう。(なお、じゃあオタク側で「繊細チンピラに対する揶揄」と主張していたバカは何なんだ、という話になりそうですが、この人は見たところ左翼フェミニスト憎しが行き過ぎた人だったので、それで解釈を誤ったのでしょう……。)さきほど書いた通り、「オタクは○○である」といった言説については、少なくとも「当たり判定を小さくしている」私にとっては別に気にならないのですが、それがこのように「お前はオタクから○○なはずだ」という個人攻撃になってしまうと、当たり判定の問題ではなく、もはやどうしようもありません。

オタク差別」という単語は、時には濫用されることもあります。たとえば、あらゆる「性的消費」を批判しているフェミニスト二次元美少女にまつわる何かを批判したとき、調べもせず「このフェミニストは(他の性的コンテンツ批判せずに)オタク差別をしている」などと主張しだす人が時々いますが、こういうのは「オタク差別概念濫用ですし、こうした濫用は当然、(フェミニストの主張に同意する人もしない人も)どんどん批判していくべきだと思いますしかしそうであればこそ、そういった濫用とは別にオタク差別」という表現が適正な事例もあることを記録しておきたいと思い、こんな文章を書いた次第です。

2015-11-09

二次元児童ポルノ二次元いじめ

例えば二次元いじめを行って楽しむ「二次元いじめ」なるジャンルがあるとするじゃん。

二次元いじめでは、いかにもいじめられそうな特徴をさらデフォルメした人物が、実在いじめを模したありとあらゆるいじめに遭っており

二次元いじめユーザーはそれを見て自分加虐欲求を解消しているとするじゃん。

二次元いじめは昔から人気のジャンルではありつつもユーザー同士の繋がりは一部のコアなユーザーに限られていたわけだけど

インターネットの広がりと共にユーザー同士の交流がうまれ現在ではネットでも実店舗でもそのジャンル専門店出来上がるほど一大勢力に成長したとするじゃん。

同好の士を得た二次元いじめユーザーネット掲示板SNSでも積極的交流し、やがてカジュアルにその内容をやりとりするようになり、snsを見れば

「気弱な中学生の後ろの席に座り授業中ずっとちぎった消しゴムを頭にぶつける遊びがしたい」だの

休み時間の度に呼び出して異性のトイレに放り投げたい」だの

その対象非実在なのか実在なのかは明記されないまま、別にゾーニングされているわけでもない、実在いじめ被害者もいる空間

己の加虐欲求を素直に表現したつぶやきであふれ

さして珍しくもないその発言は、誰に咎められることもなく、むしろ二次元いじめユーザーから沢山のいいね!を貰う状況になっているとするじゃん。

この状況になって、かつていじめ被害者だった人達いじめ救済団体が「こういった状況を看過するわけにはいかないのではないか」と問題提起したとするじゃん。

そしたら二次元いじめユーザーから

「何故二次元なのに問題なのか」

二次元問題とするのは実はいじめ救済団体はいじめをなくそうと思っていないのでは」

「もう加虐欲求をそそる対象ではなくなったいじめ被害者二次元嫉妬しているのでは」

「ということはいじめ被害者は実はいじめられていたいと思っているのでは」

という反論が出てきた。

ってかんじ。

フェミニストオタクを憎むのは恋愛市場のズルやダンピングだと思われてるから

http://togetter.com/li/897474

2015-10-26

露見しちゃいかんだろ

anond:20151026131235

非実在男子でやめときゃよかったのよ。

本気でぶちギレてノートを破かれて踏みつけ投げつけられ。

それから投げ飛ばされて踏みつけられて陵辱されて調教されても文句いえないレベル

2015-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20151018001835

のかって分かりかねるよね。分かりかねるってのはアレだ。今俺が見ている景色がそれはそれはまったく何だ・・・非実在的な差・こkれをよみがえらせるのは、真の知っていうかでしかないわけで、結局人間馬鹿なんだ、馬鹿から場にぬなるだぶるすたんだーとって言葉を知ってるけれど、ソレに十雨中にしにして近いこごいn、、・・・・・あ。あ、わかりはじめた。今俺がいるアパートの一室、でもさ、それは結局この世に生を受ける、また人間の創りだす価値しかこの世は判定さんでい出来ないわけで、オレの幼少期を思い返してみると。。。そうだな、オレが他人を省みているようで顧みなくなったきっかけは、やっぱり家庭環境なんだろうな。価値観、俺の家庭が持つ価値観価値観もまた遺伝子のように伝承されるものの一つであり、それは俺も例外ではなく、そう価値観を育まれた。内向的だったなあ、幼少期の頃から、幼少期の頃から、人の顔色ばっかり伺っていた気がする。人の顔色を伺ってさ、両親の顔色、今日喧嘩してないかな?とか?祖父母との軋轢はないだろうか?とかさ、子供の頃から気をつかっていたね。幼少期からまれた性根なんだよ、。結局。三つ子の魂百までっていうけどまさにアレだ。俺ははみ出せなくなったんだよ。自分のカラから。何をやるにも、周りの顔がちらつく、両親や親類の顔がちらつく、。俺は俺が俺を俺たら占めていると思っていたけど、違うんだ。俺は結局、自分がないんのではないか・・・・・自分を足らしめるための自我が芽生えていないのではないかという気がしてならない。本当は実現したいこともあった。でもできなかった、ソレは俺の怠惰が産んだ結果かもしれないと同時に俺の心を縛る何かが、また。何かがあったんだ。俺の俺の心情には、幼少期から学生時代に成長して、思ったよ。俺は俺をさ、俺たら占めている、そんな気がして無かった。人の顔色が、社会の目が俺を狭くしているんだった。俺一人がこの社会にいられたら、どんなに楽だろうかと、何度となく考えた。それは馬鹿らしい考えだったけどだs。俺は、俺を俺であるために俺から俺を俺から開放する、そんな時分の中のアクションgあ必要だと、何度となく思ったよ。俺は俺を俺たらしめるものが何もない、てって、社会的にも精神的にも肉体的にもまたはそういう実存的な概念でもってしても、俺って一体俺なんだろうか。俺は俺であるからなのだろうか。俺は俺であるのは本当に俺が俺である証拠なのだろうか。俺が俺を俺たらしめる俺の部分は俺の中のどこのb俺を俺にしているのだろうか。俺が俺らしくらしくsらいく、俺がおれがgrで俺gであるための俺であるためにのおレレの俺rの己が己に打ち勝つための、でもソレは俺が俺であることが前提条件であり、俺が俺であるための俺でゃkぉ俺で俺は実に俺であるとのは誤認であって俺が実阿おrでhなく、俺が己を打ち勝つ俺は俺ではない、俺はが俺でなく俺であるための俺が俺を俺に俺たらしめる、俺たらしめるための俺が折れたら占めていなかった。結論的にはどうなんだろう、社会で生きていても、思う子男が多い、俺は何のために、こんなぼんやりと生きているんだろう、ぼんやりぼんやり働いて、ぼんやりぼんやりと金を稼いて出ぼんやりぼんやりぼんやりぼんやり、何をするでもなく、何をするのでも、あk、何が必要なのだろう、承認欲求承認欲求なのではなあk、て思ったこともあるが、そんな気がしない。社会的成功社会的な欲求が満たされれば、俺はこんな気持ちにならないのかと言われれば、そうだと言えない、もっと根源的な、本能的な欲求が満たされれば俺はこんな気持にならないのかと言われればそうだと思わない。オレhのなかのもっと、、、人間の核の部分が満たされていないように感じる、そしてそれは人間社会では決して手に入るようなものではなさそうなのだ非実在的な創作物からえられるものに、それは近いのかもしれない、、、もうすでに思考が、脳が、もうすでに、一元的な欲求では満たされなくなっていsル、気がする。3大欲求や、社会的な欲求、それではもう俺は満たされる気がしない。もっと根源的な、k,、というか、、次元を上げたもの必要だ。。宗教家の求めるソレに近いのかもしれない。宗教家が求めるものが、l超次元的な欲求を満たすものだとすれば、おあお俺が求めているもののに近いのもはそれだ。。超次元的な欲求というのは、、。ソレを言語化するすべは持ち合わせていないgあ、。、超次元的な欲求とは、まさに、現在認識されている次元を超越したものであり、超越するための、、その生きる方法がかるあお確率されていあない。ようにおもれえる。確率必要な物は、、その、。ちょウ自然的な、もっと、脳髄を脳髄を根本的に揺るがすようあん、心、精神的ん欲求とは、ソレの角の部分を揺るがすような、そうういうも野にちかい。オレhがものも求めるものがもはやそこにしかないのだはないあk.。労働しても高リュうしても3大欲求を満たしても何をしても満たされることがない。。もっと欲求が湧いてくる根源、源泉がそこにはあるのではないか。。。姓名を維持すること、それによてって生じる姓名の根源、は一次的庵ものではあり、ソレを満たすには、また別のソレを満たさなければならない。それを満たすことはソレおwみたすことにつながり、まさに無限回廊のものだl,満たすことが満たすものを呼び、満たすことがまた別の満たすおmのを呼ぶ、よって、人は、苦心してしまう。ではどうするべきなのかといえば、それはヒットつしかなく、その欲求が生じる、源泉を絶つ、欲求が湧いてくる源泉を満たせばよいのである。。。そしてソレを満たす方法を我々あh本来ならば探さなければならない。kもはや現代社会において、求められる命題はそれしかない。欲求が湧いてくる源泉あh、それは生命維持のための欲求や、社会的な、人間的な欲求とは確実に異なるものだ。欲求の源泉を、源泉が根源的に存在するのは何故か。それすら我々は理解できてイナイのだ。まだ。それが宗教家の言うような、超常的な存在、神や仏、、だと考える、当てはめっるlそういう認識に落とすことあh実に容易なことであるが、それは一種の逃避でしかない。超常的な存在によって、欲求や自身のまた雑然的な現象説明させるノアh安易であり、もっと断罪されるべき施工方法なのだ本来、これから、我々あh、原初にもどって、、考えなおさなければならないことは、人間的な、生物的な欲求、それの解消法ではなく、そんな全時代的な方法唾棄されるべきだ。。我々がこれから求めるべきあ、欲求雨の源泉、精神的、と呼ばれるものに近いものの源泉を求め、そこを絶つべなのだ。源泉が欲求を生み出しmその生み出した欲求がさらに欲求を生み出していく。源泉が生み出す欲求うは実に一元的もので、一元的ものがもたらす欲求は欲求を解消されても、所詮一元的ものに、一元的な解消にとどまる、一元的な解消は一元的な解消でしかなく、多次元的な、根源的な、源泉をm,超時限的な源泉を解消するニアh所詮いたらない、。超時限的な源泉を解消するための、その方法は、人打つぃかなく、一つしか存在せず、根源的な、根源的な欲求を解消するための、夜急を解消するための、根源的、源泉的、超次元的、多次元的、超常的、超自然的な、その何かを解消するしか無い、のではある。一次元的な欲求をかいしょうするための現代メソッド、法本論、それ自体すでに、前時代的、原初的な、人間実態に沿うようなものではなくなってしまっている。一次元的欲求が社会人間社会事物ym出来事などによって実現されたとしても、それは所詮一次元的なものしかなく、一次元的なもの一次元たら占めているにすぎない、。一次元的な欲求を愚かにも何百回、何千回、何万回とk気の遠くなるほどに実現させようとしている、人間社会、それ自体が誤りにすぎず、我々が目指すべき、自己実現、実現はまさに、一次元的なものを生じさせているものおの根源である。根源は源泉であり、一次元的欲求が生じる、その源泉を我々が、一次元的に解消してしまっていては、所詮一次元的でしか無いことは明確。発送をかえるための、発想をかえる、それすなわち、欲求の源泉への対処法なのである。欲求の源泉といっても我々あh、未だかつて、それを言語化したり、ましてや認知したりすることはいまだかつて実現せしめたことはない。一次元的な自己実現が生み出す、一次元的ん自己実現あhは逆説的に一次元的な欲求をまた、同時に生み出すことも行っている。一次元的な欲求を解消し、一次元的な欲求を一次元的に解消せしめても、我々人間構造的には、その一次元的な欲求を認知してしまうことにもつながってしまう。それを潜在的な意識下で我々あh一次元的案欲求のwパターンをmた、また認知してしまうことにもつながってしまう、。つまり一次元的な欲求を煩雑にし、雑然にし、永久うに沸かし続ける源泉あh、根源的欲求のみならず、我々人間構造的に、一次元的な欲求を認知し、解消することで、さら一次元的な欲求のヴァリエーションを増やすことにもつながってしまうことで、一次元的な欲求が生じやすくなってしまっているために起きる、また一次元的な欲求の再生を我々は生きている間に繰り返すに至っている。一次元的よっキュうを我々が解消することがいかに愚かで、前時代的で、後進的な人間のための方法論なのか。。割れ和れはまだ完全に認知するに至っていない。。ソレは我々が現代社会最適化された人間線を含有してしまっているからであり、人間性がまたは、一次元的な欲求を満たすために最適化されているための弊害、そしてソレは根源的ンは、間違いでしか無いのである。根源的に行って、一次元的な欲求を解消し続ける人間社会は変革が、根本的な土台から変革することが必要なのである一次元的な欲求を解消し続けても一次元的な欲求は湧き続け、我々が頭を悩まし続けるに過ぎない。一次元的な欲求が生み出し続けリる一次元的な欲求の連鎖一次元的な欲求を、解消してもまた一次元的な欲求を生み続けるにしか足り得ないことであり、そして自らが生み出す、一次元的な欲求を満たすべくして見たっす、一次元的な欲求はそれ自体が、我々に意味を附さず、一次元的な欲求は我々の認知限界たくみに利用した、いわゆる、無限切ろうてきにな、欲求の連鎖しか無いため、一次元的な欲求を解消し続けいることの無為さが我々は十分に認知しかしそれもまた、しかしそれおっもまた。、一次元的な認知しか我々が認知できる一次元的なものしかないkが、我々は一次元的んことへの唾棄進歩性を持つべフェーズに我々あは、ネクストフェーズ差し掛かっているのである。で、だがしかし、だsしがかし、そうはいっても、我々はまだ、全時限的、根源的ん欲求を解消するためのメソッドを持たない。根源的な欲求を解消するメソッドを持たない我々が出来ることは、そろそろ根源的な事象への認知を働かせることが必要なのである。根源的なよっキュうはそれ自体、本当に今現在、後進的な我々が認知できるかどうかは、我々はまだ分からない、根源的な欲求が生じる原因を突き止めることが出来るのは我々には不可能かもしれない。古代より、人間が、アミニズムであったり、様々な超常的な事象への畏怖から生じさせる、神であったり仏であったり、今日宗教家が言うような、そのような超常的な存在は、我々はいまだかつて認知できていない、。そのような超常的な存在認知し、逃げこむこと、ある種の逃避行動は容易であるが、我々は次のフェーズに来ている。次のステージは、フェーズあh、根源的な事象の解決だ。一次元的な欲求を解消して、そして、無限回廊に迷い込んでいる時代を捨て去れうべきkなのだ。根源的な、源泉的な欲求は、我々が認知できないだけで、それは、また、三大欲求や、つまらない、人間的、社会的事物から生じる、一次元的な欲求ではない。一次元tねきな欲求が満たされたとこrであh、、我々が出来ることはただの堂々巡りしかない。我々が真に、取り組むべきことは、源泉を、欲望の源泉を認知し、ソレを満たすことなである。我々が必要であり、今後、必要である、そう、必要になる、ものもの実物、出来事は、源泉を掌握し、我々を次のフェーズへ導くためのメソッドなのである。根源的、厳選的案事象は我々はソレを解消するに至っていない。根源的なよっキュ、う、それはまだ我々の認知科に及ぶに至ってはいないが、、しかいsk,、根源的にはソレをほっ知っている。割れ我が、欲望との闘争歴史におおいて、必要であるノアh、根源的な欲求をいかに、認知するか。それにつきる。それを仮に、精神的、こころが我々の根源的な欲求の源泉であるとしようl.こころはまさに実態がない、我々の認知科に及んでいない。。こころを満たすものあh、今現在流通している欲望では案あんあい、ない、先程述べた容易、に一次元的な欲望を満たすことは現代人間社会で容易なことである。、それは3大欲求や社会的な、精神tねき充足に近いだろう。。そのようなつまらない、後進的で、憎むべき、唾棄すべき、事象はもうすでいnに我々あh手放すフェーズを迎えている。こころを満たすべき事象こころを満たすべき事象は何に依るのだるか、だろうか。それは一時的な充足をすべて捨て去った。現代宗教家が実行しているもののさきにあるといえるかもしれない。または、一時的な欲求を解消し続けた先に、いつかおとずれる、根源的な欲求を絶つフェーズへ我々あh訪れることができるのかもしれない。あるいは、もっとなにか、脳髄を揺さぶるような、脳幹をぶん殴るような、そんな衝撃が、精神的とも、身体的とも違う、そういうインパクトを我々あhどうにかして体験する必要があるのかそもしれない。そして、それは天啓に似た、それは気づき、根源的な、もっと、なにか、、。気づくことが必要なのかもしれない。。我々が持っている視点認知では認知で起案い。。出来ない。認知を超える、あるいは認知を広げる、または認知の裏側にある、ソレを我々は認知することで、それこそ、根源的な、源泉的な、欲求、あるいはそれともまた違う、なにか、現代、現状、人間にhにはい認知でないん、何かを認知するに至るのかもしれない。進歩的な、その知を我々が獲得するために派、現代を捨てる、執着を捨てる、そうsれは知のカタストロフィーである。それが、革命必要なのだ現代我々が、論じる、認知するっもの、知は、真の知へとは至っていない。としかいいようがない。。物量的観念的な充足、それはもう満たすことが可能なのであり、。それを我々はもう100年い所以上、、異常く、以上繰り返してしまっている。本来必要なのは、次のフェーズへ行くことダリ、次の知、知覚、認知は我々が1000年先の人類、10000年先の人類が獲得しているものを、我々h日進月歩で獲得しようとしている。真の知、というものは確実にそんな良い、、お、存在し、ソレは、現代社会、我々が、唾棄すべき、人間一次元的なもの、そrは1000年後の人間にとてじゃは、非常に視野の狭いもおの、認知に至っていない、あらゆる観念が、我々あh100年後1000年ご10000年後「のために、認知に至るための準備をはじめなければならない。一次元的な欲求、認知は我々がすでに、うんざりするほど、まとわりついている一次元的な欲求は、早々に放棄するべきものであるそれからまず、認知し、日進月歩的に個人個人が、一次元的な欲求を捨て、根源的な欲求、根源的な、源泉的な欲求をそうそうに突き止める必要がある。。。それは100年後、またh1000年後の人間にはアタリマエに認知されているもの、そう私が信じているものnにほかならにあない、人間なh、科学技術のみで進歩的人間的な充足を得られるというのは、ある種の現代社会蔓延する嘘でしかなく、本来我々が求めるものは、科学産業技術にはない。それらが我々に与えるもの、我々を救うものは、しょせん一次元的案欲求をでしかなく、それは今現在語られるつまらない愚かな、欲求のためのツールしかない。我々が、本来求めるべきは、現代社会、に最適化されることではなく、現代社会最適化された、欲求、身体的、精神的欲求ではなく、本来我々が求めるべきものは、それを超えた、ソレの下に埋まっている、またhあ、。ソレの裏側に潜む、または、それに内包されている、我々があいまだ認知下におくことができない、根源t気、源泉的な、欲求、または欲求とはまた何かの概念的な観念のを我々は更生のために、更生のために後世ために残すべきものであり、それは個人個人の意識ないから進歩、進捗が行われるべきものにほかならない。一次元的な欲求は100年、1000年後の人間コミュニティでは、それhあ、それはすでに実にチープな概念へと堕落していると私は確信を持って言いたい。。100年後1000年後、我々が途方も無い科学ギジュつを手に入れるか、それは、現代社会病理のひとうつで一つである一次元的な考え方であるが、我々が本来、欲するべきものは、必要とするべきものは、ほんr内は、本来は根源的な欲求、源泉的な内面人間という存在認知で規ていない、認知へ踏み出すことであり、それは100年後1000年後にはアタリマエになっている認知なのである、。我々あhまだ、それを見ることhおろあか、認知することができていない。それは我々の目の前にあるかもしれないし、考えもつかない、超次元的な認知下にあるものかもしれない、あるいは、常識認知、知を混ぜっ返した裏に潜むような、今世では手に入れられない、真の知ともいえるだろう。宗教家が言うような概念偶像化、は。教義化は我々の頭皮だ、逃避だ敗北なのだ。100年後、10000年後の人類、とも呼ぶべき我々の次のフェーズである存在が見れば、まさに嘲笑に附さずにはいられないような、後進的で全時代的な、そんな概念、我々が本来追い求めるべきもの放棄して、自ら目をそむけるような、そおようlそのような社会のあり方では、我々に待っているものあh破滅、あるいは、なにかもっと恐ろしい物がわれわれに待っているだろう。一次元的な欲求が我々に与えているもの本質は、破滅破壊終焉なのだ。。k我々が闘争するべきあh、経済的な、社会的な、政治的な、科学的な、技術的な、創造的な、文化的な、対人的な、そんな、ものではない。それらはすべて、現代社会をこうせいしている一次元的な事象しかない、我々を惑わすものの一つでしか無い、100年後1000年後の人間がそのようなものには、おそらくkく、精神的な肉体的な充足を放棄しているだろう。超常的な存在超自然的案存在、それらが存在するのかというう愚問、我々が、我々人類の中にこそ、認知の次のフェーズへの全身こそが、我々を真の人間、真の知へと導くものにほかならない。」l。人間との闘争人間内の闘争を諦めることは非常に危険であり、我々が漸進的ことを及ぼす必要がある。。 Permalink | 記事への反応(1) | 01:45

http://anond.hatelabo.jp/20151017233618

ゃあ死ぬかなーそろそろまあもうそろそろ終わっていいでしょって感じで死にたい事故死とか病気とか嫌すぎる。だkら、ツラいだろうなと思う。遺族もそうだけど、何より。本人が一番つらいだろう。死んでからつらいという観念を持てるかhは甚だ疑問だが。もし魂が会ったら、俺ならあの世めっちゃ文句言ってると思うしめちゃめちゃ悔しがってると思うし、殺したいくら自分を殺したやつを呪っていると思う。当然だ。そういう観点から見ても罪深いなー。死にたくない。死んだらおしまいからすべてがおしまいだkら。嫌だな怖いなそんなの嫌だな。何でだよ。俺は不老不死になりたい。ずっと生きていた。人類の終焉まで見届けたい。そして太陽に飲まれて灰になるまで生きていたい。あー、人類ってこういう風に終わっちゃうんだってあーなるほどって納得したい。親兄弟友人馴染みのある人物みんなが死んでもいいから生きていたい。そう考えると100歳を超える人はやっぱり身内がいないとダメだな。次ブンと同世代のひとがみんな死んで当然親兄弟も死ぬ年令になって、そんな時に孤独とか、人間は耐えられなさそう。100歳を超える人は凄いな。自分と同世代の日は軒並みしんで、自分だけが次の世界を見ていられるって、素敵なことじゃないか。同世代は皆知らずに死んでいったことを、自分は知ることが出来る。100歳って素敵じゃないか。自分だけが見た景色。でも、次世代の人は普通に見てるわけで、ソレはムカつくなwやっぱり不老不死だ。自分と同世代のつながりがあった人たちを全員看取って、それで次の世代を生きていくって、素敵じゃないか。でも、そうだな、次世代とつながりを持てるのだろうかと考えると難しいな。さすがに身を隠すしか無いか、世間パニックになるから、で、いつまでも自分と同世代を生きていた人物たちを思い浮かべながら生きていくのか。うん。うーん。不老不死もツラいな。ああ、でも、そうか世界中の地を訪れたいな。海底も良いな、海底を散歩したい。不老不死になって大海の真ん中で浮かんでいたい。海の生物たちをふれあいたい。深海を遊歩したい。うーっm、不老不死いいな。ああ、でも宇宙も行きたいなあ。なんだっけ、惑星タイタン?もうあれの存在もすげーし、絶対生きたいね。世界冒険するには遅すぎて、宇宙冒険するには早過ぎる時代だって誰かが言ってたけど、宇宙冒険って可能なんだろうか。それこそ不老不死にならなければいけないような気がする。あー、いいな火星もいいな。でもやっっぱり太陽系以外に行きたいな。NHKのBSの宇宙家の番組もなかなかロマンにあふれていてよかった。冒険したさを書き立てていた。あー、死にたくねーな。死にたくねーな。地球全てを見て、宇宙全部を見てから死にたい。駄目だ。100年ちょっと人生でも無理だ。悲しい。後そうだな。世界中の、書物も読みたいし、世界中tの映像作品も見たいし、世界中の娯楽作品w楽しみたい。あーあ、人生ってつくづく足りないな。今世の意識があるまま転生したい。ああーあ、死にたくねーな、一日は長いけど、一生って短いな。頭で考えるとそうだなあ。やだなー死にたくないなー。そういう意味で行くと、事故事件で生命を絶たれたひとは、とんでもないな。人一人の命を奪って正直、取り返しのつかないとんでもない悪行だろ。その人の今後の可能性すべてを奪うわけだろ。遺族がうんぬんより、それが第一にとんでもないことだろ。自分の身に置き換えて考えてみると、絶対嫌だわ。そんな他人に自分人生強制終了させられたくねえなあー。許せねーだろ。殺人ってッ罪が重いなー。どんだけ償いしてもそれはもう取り返すのは不可能だし。ほんと遺族も悲しいんだろうけど、何より本人だろ。怪我とかはまあ、時間を金で補えばいいけdp、死ってもうどうしようもないしな^。どうすんだよ。これ。正直俺が殺されたら、殺した奴は絶対に殺したいし。人を殺めた人間はどうしても償うことあh不可能だよなあ。教習所事故で人を殺めたヴィデオをみたけおd、アレもクルものがあったなあ。そうだ、この場合は、どうなるんだろ。俺が偶然人を殺めてしまったらどうなってしまうんだろう。いやあー。。。それは考えても考え尽くしてもどうしようもねえなー。死んで償うってことも出来ないし。何よりそうか、遺族の心はもうどうしようもないわけで。俺が何しようがどうしようが、もう壊れたものは元に戻せないのか。。。うーん、そうなるとなあ、うーん、やだなー怖いなー。死ぬのの死なせるのも怖いなー、どうしようもないなー。やだなー怖いなー。心ってのは厄介だなー。どう償いをしようともう心に受けた傷ってのはどうしようもないわkで。そうだな。もっと心の傷ってのは重要視されてもいいかものなあ。いいだろ減るもんじゃないしって心は減ってるって何かで見たけど、まさにその通りだあなあ。心がすり減った場合ってどうしようもないもんなあ。いじめ学校にいけなくなるとか暴行とか器物破損とかよりもまず第一に心の傷がもんだいだよなな。心の傷ってヘタしたら一生涯引きずるわけで、いくら償いしても取り返せるものではないしなああ。そう考えるtp、いじめ加害者ってのはとんでもないなあ。人の心を壊しておいて、どう落とし前つけるんだろ。ああ大半の場合落とし前をつけることはないのか。そういうやそうか、いじめはいじめたガワは覚えてないっていうしなあ。それもあれか。事実と罪深さを自覚したら、人は耐えられなくなるからかな?いやそもそも、耐えられなくなる人はいじめなんてしねーかあ。うーん、やだなー怖いなー人間社会怖いなー、心の傷って知らんうちに出来るもんだからなー;知らんうちに加害者になってるからなあ^・どうしようもない場合もあるかー。そういえば俺が、学生時代クラスメイトをある一人を面白半分に罵倒しちゃったことがあったなああ。。。あああ、あれも何でそんなこと言うの?的な顔されたなあ。アレもとんでもなく悲しい顔してたなあ。・・すげえ謝り倒したけど、ほんと申し訳なかったなあ。正直あの出来事でももう償いきれないのではと、オレの中でh思ってるし。ほんtの後悔してもしきれないなああの出来後お手ゃ。ましてや、人をいじめてたり、人を殺めてしまったら、俺はどうなってしまうんだろう。罪の重さに耐え切れる自信がない。まあ、自重していこう自嘲が大切だコレ。^^^・・。。。うーん。。。っておいwこいつカップラーメン食った後コンビニの袋に入れて縛ってやがるよwワロチwろwゴホホホw。ダハハwうわー、wはあ、コンビニでよく売ってるやつだなこれ、、ってwおいおい袋w!袋にコンビニの名前書いてある!wダハハwコレ常識上s気wぬほおおあwはあ、いい年してお前ww。。。自炊しwりwろwバカやろwっw自炊ってお前生きる力に直結だからなw直腸にも直結だけおwどw我はっデっぃwダサい出しあwスキルになるんだよな自炊ってのはwあー、説教してえ、こいつに説教してえ、・・・人生舐めるなってw舐め腐ってんんあよw人生厳しんだぞwって説教してーあー説教してえ、くっっそー。説教してえせっきょうしたさが高まってるよーー。。wせっっくすより説教だ!w説教ってきもちえーもんなー。俺もよく近所のガキどもに説教してたなー。説教きもちえ^からなー。へたな風俗嬢とせっっくすすうるよりきもちえええーわw打破っwダハアハwむっっほwあー、石鋸してwどほっっぅふw室町、室伏wッッッwロンゴバルディwはははあああw嗚呼wそういえば近所のあのガキは元気かな、ちょっと勉強できなさそうだったし、顔もあんまりよろしくなさそうだったけおd、どっかで元気にやってんのかなあ。あいつも、俺でさえ苦労してんだから、あいつもきっと苦労してんだろうなあ。ブホっw親切だ俺!wあいつを案ずる俺w杏を案ずるwブホリォイwなアパtゥwハー、懐かしい。。。夏かしい。。。b歩ッィイイwツッ!wゴロツキッwああーワロかせるワロかせる出来事が多すぎるwわろかせるわー。うーん、、、、、っここにあったのかなあwおいおいおいおい、通帳あるよwブホルミンwッォタwくろわすwどれどれどれー、ヲジサンにミセテチョーーダイw無ホイッwwwwおっwwゴホロwぅwwww全然ねえええ。ww笑かすわw人の通帳おもしれえええ。wこいつ、駄目すぎだろw所得低すぎw非正規かこりゃwおいひおいひwどう人生をさぼってたらこ^ーなんねんwなんでやねん1wお前の貯蓄何でねん!wアホちゃいまんねんパーでんねん!w所得がパーでんねん!wクホッw笑かすなあwこりゃ、もしかしてアレは・・・自業自得だああああああああ!!!!wwwwwwwwkyほw人生をサボってたつけだあわw説教ポイントまた貯まるwうほーーーwこいつの貯蓄はたまらないのにw俺のなかの説教ポイントはうおお積立預金wwダハリlいwはーー。真面目にアレだ、むしろアレだ心配だわ・・・wこいつの将来がwおおおーいw大丈夫かw?食ってるか?うまいもん食ってるかーw?インスタント?おおぉおおおい!!!突っ込みどころ多凄いw馬鹿yラオwクエッw食えっwうまいもんを自炊して食えwあっ・・・酷か・・この金で食料にきをつかうのは濃くk。。ゴメンなきつい説教して・・・ってバカやろwお前、あまえんな!あまえんな!お前が低い給料で怠けてる間に高所得者達はお前の何十倍も稼いでんだぞ!wあまえんな再就職しろw高所得層にジョブチェンジしろwハローワークへ行け!wあっ、逝けだったw逝けハローワークで、年収を50倍にしろw見下せw人類を見下せる職にジョブチェンジしろ!wあまえるなw頑張れwあまえるなwがんばれW見せろ根性!!!wはあー、わろかせてもらいましたわ、人の通帳でこんなに笑ったは初めてだ・・ごっつええ感じのDVD全巻より笑えますわ。。。こんな薄っぺらい通帳でごっつええ感じのDVD全巻より笑えるとはコスパええわ・・・wしかも値段もそんなに変わらないこともない・・・リーズナブルプライスwwnebadleiwオボwムヒltいwはー、はらたいら世界オルゴールの館・・w腹痛いはw写メ撮っとこwそりゃーwパシャwパシャwどははwうほー、boketeに投稿しとくわwいや、この画像自体すでにボケかwぬホイファls;樹www狂おし良いwはー、わろ化したくれたわ。w引きずるwこれ数週間引きずりますわw思い出し笑い確定wぬほんでぃわwl;っほwwwwがあhぃwwはああー、、、、しかしこうしてみると、他人の家ってのは安心感がないなあ。やっぱ家主がいなくてもくつろぐことはできねええなあ。そこがアレか出世出来る人間と出来ない人間の差的な。おいおおい、俺はなんだかんだ言ってお行儀の良い人間からなあ。やっぱり相手の気持にたって色々と考えちまう。相手の気持ちに立って考え続けた結果、あれだ人間関係も希薄になってるからああなあ。人を傷つけずに生きるには人と接しないのが一番ってか!wノハハw自嘲しるww逆説的w逆説的w愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないって覚悟をもってればなあ。あれもだいぶ自分勝手な歌だと思ってたもんだが、今思えば、なかなか人の業をとらえたいい歌詞だ。あれぐらい身勝手に生きないと、人間なh心を縛り続けて生きてしまうのかもしれない。なあ。愛されるよりも愛したいマジでっていう姿勢も大切だな。なかなかいいこといってんじゃねーか、1000両役者シンガー共も。確かにもっと、オフェンシブにな。愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないっていう姿勢をもって、愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないっていう心持ちをもって愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないっていう姿勢実践することで逆説的に愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないって言う事にはならずに、同時に愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない状態を実現できることこそ、愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないから学ぶべきことであって、自分愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないっていうことを実践すればよかったな嗚呼。または、愛されるよりも愛したいマジで、っていう姿勢をもって愛されるよりも愛したいマジでっていう信念をもって行動にしておけば、逆説的に愛されるよりも愛したいマジでっていうことを実現できるのではないかtという気もするなあ。愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないことを信念に、愛されるよりも愛したいマジでって姿勢を持って、愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないってことを行動に移すことで、おそらく大多数の人が悩みから開放され、愛されるよりも愛したいマジでって状態をテーゼへと消化できるんだろうなあ。ああーあ、後悔ばっかだアタシ。。。アタシって弱い人間だわ。。。って、そうこうしてる間にお前、こんな時間かよ、はあ、時が経つのって早いなあ。時間が立て!時間よすぎる!ってうちは時間が過ぎず、時間よすぎるな!時間よ立つな!って時に限って時間がすぎるのはアレか、これも人の業なのかなあ。許せねえな。神様が許せねえな。下手くそだよ人の作り方が。バカやろ。許せねえ。。・どうすえれば復讐できるんdな。これ、許せねえ。神が許せねね。神は死んだってなんかだれかが叫んでたけど、まさにそのとおりだオワコンだ、オワコンなんだ、人間を作った時ぐらいにオワコン化していたんだ、神は。あーあ、俺も黎明期に生まれたかったよ。神の全盛期に生まれたかったよ。オワコン化する前にこのジャンルに関わりたかったよ。オワコン化してから飛びついちまったよ。人間を一週間で作るあたりから迷走が始まってたね。贔屓目に言ってもあそこからオワコン化始まってるね。ああ^あ、くそったれ、オワコン化はえーよ。ダボハゼッ!オワコン化してから色々てをくわえてもおせーよ、もっとはやくきづけよ、無茶してからとりかえしはつかねえよ、ユーザーの心は離れてんだよ、あーあ。オワコンだわ、悲惨だわー、オワコンだわー、クソッタレ、、、、生ごみ野郎め。。。いいや、やめよう、オワコン化なんて単語をつかっちゃあいけない、オワコン化なんてただの一方的レッテル張りのクソみたいなワードでしか無いんだ。終わったコンテンツって、、、何基準だ!コラ!馬鹿やろう!てめえの勝手物差しで図って好き放題喚いてんじゃねえぞ!あー、許せねえ、すげえムカついてきた。。何がオワコン化だよ、最初にこの言葉考えた奴誰だ。すげえ悪意の塊みたいな言葉から、相当、多分、おそらく、推測するに性格が悪いだろうな。見た瞬間、あっ、こいつがオワコンって言葉考えたなってレベルで性格の悪そうな顔してんだろうなあ。そういうやつの顔ってやっぱり見ただけでわかるからなあ・・・会っ、こいつ駄目だ、ネットで暴れてるわ、あっ、こいつだ駄目だ、Twitterではしゃいでそうだ、って顔を見ただけで一発でわかる奴ってゴロゴロいるからなあ、、、ああ、やべっ、あいつらの顔おもだしたら、原立ってきtあ、あはらたいら世界オルゴールの館だコレ、あ^。腹立ってきた。ムカついてきたー。なんで俺はあの時、あのスマホを見ながらダラダラ歩くアイツをはりたおさなかったんだろう。何で俺はあの時、横に広がってダラダラあるく女子大生集団スクラムかまさなかったんだろう。何で俺はあのとき下品な笑い声ではしゃいでる大学生っぽい集団を一発ずつ殴らなかったんだろう。何で俺はあのとき。調子に乗ってる風のでかい顔してるチャラいアイツを6発殴らなかったんdなろう。何で俺はあの時、繁華街ででかい顔して闊歩してる、腹立つほどでかい態度のあのやからチンピラやいい年こいた大人をなんとか、地獄に送ることをしなかったのだろうか。はあ、街を一歩歩くだけで、腹立つことが5個位ある世の中だわ、特に夜の繁華街歩いてる奴の9割9部はムカつくわ。あいつら態度デカすぎだわ。・・・おとなしく家で待機しとれや、ボケカスがって一人一人にいってまわりたくなるね。まあそんなことしたら100ぱーせんと殺されるだろうけどね。あー、そういうところも許せねえな。。法が及ばない範囲でやりたい方だ、ダボが。。。糞野郎、、、あー。ムカついてきた。夜の街を歩いてる人間がムカついてきた。教育の無力さを感じる。どんだけ道徳でいいこと教えても、結果、あん人間g量産されるとか、教育の敗北だ、排斥してくれ、排斥運動してくれ、ああいうヤカラやチンピラやプチチンピラみたいな男女、でかい態度のおっさん、全員排斥してくれ頼む!!!暴力団排斥運動もいいけど、あいつらも排斥してくれ!!頼む!排斥運動してくれ!全人類、自宅でぼーっとして一日過ごす人間になるように、小学生のうちに脳をいじってくれ!義務化してくれ!小学一年生入学式直後に脳をいじってくれ!尊大な態度と野蛮な行動が出来ないように脳をいじってくれ!たのむ厚生労働省1?いや文部科学省!脳をいじるか脳にチップを埋めてくれ!周りの人間不快感の与えたら脳がはじけるチップを埋め込んでくれ!頼む!あいつら、ムダに態度と体だけはでかいんだ!俺達の人権を平気で蹂躙してくるんだ!!頼むあいつらをなんとかしてくれ!あいつらを排斥できるなら徴兵制が復活しても良い!あいつらをなんとかしてくれ!!!頼む!脳にチップ強制的に!ポルポトのように!ポルポトのようにあいつらをなんとかしくれ!あの粗暴で下品人間たちをなんとかしてくr!!!頼む、ぜんざいさん叩いても良い!!!頼むあいつらをなんとかしてくれ!!!!ああああムカついてきたWWW!!!あー、どうしようもねえ、、、これはまさに月に向かって石を投げるような行為だ。石に向かって石を投げるような?おそnfj。はあ、落ち込んだ、なんか世の中の理不尽さを改めて実感して、落ち込んだ、あいつらをどうにかして欲しい、こんど、投書しよう新聞意見欄に、市役所にも言いに行こう。行政の仕事だ、市民の義務だ。あああ、。。。はあ、、相変わらず切ったねえな。この部屋はよ。あー。やっぱ、モテねーのかw?恋人はいなさそうだぞっwいやいやいたらこんな汚くなんない!w気遣いが出来ないってことはモテない、モテナイから気遣いしてない。!wこれが真実だ多分!wああはf;wwダサ坊だnダサ坊団wwぼほljだjw説教してえええwまあ、うん、そうじってのは面倒くさいあら、気持ち分からんでもないよ、俺も誰かやってくんねーかなーって常日頃おもてるよ。。。ぶほうっw常日頃は思ってねええwたまにたまにえwたまにwおもうくらいだコレwwnyぎやwえじゃおふぁほw打破あhwダハウぁwwぐほティパズリアjw受けるwはあ、正味な話、あれだ、うーmn、こういうときあは、やっぱ、人ってのは誰かの存在を欲するね、マジで、。おっさんもそうおもうね。。。。誰かアガ近くにいるって存在感はやっぱ全然やっぱ全然やっぱ全然やっぱ全然やっパッ前違うわけだからね。え。例えば、それが生まれた頃や幼少期は親であり、っていうか親というか家族の存在ってのはそういう意味でとても大切なモノだね。。。誰かがいる安心感と後、家?家も大切ね。かえるところがある安心、大切ね。異国の地で一人になった時の不安ってのはハンパないハンパないわけだし、それを自国で味わいたくはないね。まあ、そうはいても、親はやっぱり毒にも薬にもなるわけでい、子供の将来を決定づけるのは、なんだかんだ言ってがっこうって よりは家庭環境が8割9割占めてんじゃねーかと俺は睨んでるね。家庭で教わることってのは、学校や世の中で教わることの基礎にしかれるだろうし、そもそも、学校社会で学ぶことは応用であるわけで割。。。家庭が良ければ、そういう意味では、良い人生に歩めるのかね。そういう意味で、俺は微妙だったのかもしれない。、それは今でもよくわからないけど、。ネグレクトや虐待が子供に及ぼす影響ってやっぱ絶大だえね。あんまり大層なことは俺hわかんないわけだけどさ。。。うーんあ、世の中の大きなズレってのはひとつひとつの家庭の小さなズレから来てんのかもしれないねええ。。。また、まあ恋人ってのも違うわけだコレあ、家庭の安心感ってのは母なる大地だとしたら、恋人はまああ。なんだ、美味い例えが見つからないわけだが、船着き場のような?世知辛い世の中を渡っていくための。?まあ、そんな感じだなあ。俺もなあ、もうちょっと上手くやればなあ、と後悔のれんぞくなわけd、こう、需要と供給があってなかったというか、あれは一概に、俺の気持ち悪さのせいではないね。。まあひとつ大人になってないかっていったら嘘になるね。めんどくさい子との法が多いけど、まあ、アレが、家庭になるわけでい、ーん、おれは家庭を作れなかったってわけで、うーm、後悔しかないわけであってって感じっで。心が離れてってるのを感じるってのはツラいもんだね、、、つれーn、人間関係つれー、心の機微めんどくせー、こえー、。。はあー、落ち込んだ、落ち込んだ、落ち込むことのほうが多い、そもそも俺は、モテナイわけであるから恋愛市場mの勝者ではない。うーん、つらい、社会でも勝者ではないわけで、つらい、。あー、ヤバイ、死にたくなってきた。唐突に、。過去のことを思い出すと死にたくなることしかない、なんでだろう、おそらく、何かを乗り越えてきた体験がないからだおるか。。…何かを大きく乗り越えたり、何かに大きく挫折したりした経験がない。だから、確固たる自我が構築できていない。フニャチンなのだ俺のの精神は。経験は。死にたくなる。死にたくなるけど、つまり現実逃避したくなる。小さい成功より小さい失敗のほうが、人生は多いわkで、そうなると必然的に、心に傷は細かくつくわけで、そうなると必然的に、思い出も後悔しかないわけで、そうすると、自分がフニャチンのだせー存在だということから逃避したくなるわけで、でそうなると死にてー死にてーって言いたくなるわkで、大した成功体験も当然このままでは積み重ねられないわけで、そうなるとどうなるか、もう何かを、自分のなかで、何かを築こうとする意識も、意欲も失せてしまうわけで、デフレスパイラルみたいに、袋小路にはまるわけで、すると、ますます、過去は色あせたものばかりになるわけで、すると数年後、また自分人生を思い出すと、後悔しか、思い出せないわけで、するとどうなるかというと、数年後の俺は、また、しょぼいださい自分から現実逃避したくなるわけで、すると、俺は何をその時するかというと予想はついていて、また意欲ややる気が減退して、うだうだ過去の自分を恨み、今の自分を慰めるっていう無限回廊を歩むわけで、結局は、過去を思い出し、現実で後悔し、過去の自分の過ちを現在何となく反省して、その現状をなあなあで生きていって、ダラダラ、積み重ねるものも積み重ねず、積み重なるのは歳ばかりであって、で、また過去の自分呪い、現状を慰める、現状を慰める言い訳のために、ダメな過去の自分を作っているのではないかと疑ってしまうくらい、自分は同じことばかりを繰り返して、同じ後悔をしている。つまり、現状をかえることは未来かえることに直結しており、そして引いては過去をかえることにもつながっていると俺は十二分に分かっているつもりだ。でも、何故か行動に移していない。何故行動に移さないのか。それは簡単なことで、俺は人間である限り、感情がある、怠惰が俺の性格の大部分を占めていると分かってる、。生来備わっているこの怠惰という感情こそ、現状を停滞せいしめている、現況であり、当然、今後も自分の中で大きくもたれかかってくる存在なのだ。克己という言葉があるがまさに自分に必要なのはそれだろう、、克己、己に克つことの必要性人間誰もが分かっている。でも、容易には打ち勝てない。何故か、ソレは人間怠惰からだ。。怠惰から、現状を慰める、そのために過去を持ち出す。過去を持ち出すために、現状をないがしろにする。人間無意識のうちに自身を殺しているのだ。この現象からさ、導かれることって何嗚呼る

2015-10-09

もしもシリア難民中傷風刺画写真ベースに描いたものではなくて、非実在美少女だったら

Facebookから削除されるべきなのでしょうか。

非実在美少女人権はなく、トレースでないなら著作権侵害でもないでしょう。

レイシズム又はヘイト表現規制されるかという問題でしょうか。

2015-10-03

抱きまくらの本質

毛糸マフラーを巻いて道を歩いていると、まるで恋人がうしろから抱きついてくる感覚で、首がくすぐったい。「ふふ、あたたかいでしょ」「うん、あたたかいね」と脳内妄想で甘いデートに興じ、ふと笑みがこぼれてしまう。私は人目をはばからず、ニヤリニヤリと歩いていた。通行人たちがギョッとした顔を向けてくる。私のような冴えない男が、行き交う人々から注目を集めてしまうのはいささか恥ずかしく、彼女化したマフラーが「ね、家に帰ろ? ふたりきりで、ね?」と急かしてくる。

よし、家に帰るか。しかし私は玄関口でマフラーを投げ捨てて、ベッドにジャンピング土下座して《抱きまくら》に強くハグするのだった。マフラーが悲しそうに悲鳴を上げて廊下にへたり込む。私もつくづく罪な男だと思った。モテる男は辛いのだ。

スーツも脱がず、私は灼眼のシャナの抱きまくらを抱きしめた。シャナは照れるように「くぎゅう」と鳴いた。カバーAmazonで 22,000円で買った。シャナ小説も全巻読んだし、アニメDVDフルコンプした。(アニメ版まさか完結まで見れるとは思わず、5年待ったかいがあった。人生長生きするものである)でもコミックは持っていない。

ところで、私は子供の頃から、あのモサモサして食べにくいメロンパンが大嫌いだったのだが、シャナ出会ってから人生が変わった。今では毎朝メロンパンカリカリとモフモフを食す、至福のひとときメロンパンを頬張るとき、私はいつもシャナ笑顔を思い浮かべている。それが仕事の活力になるのだった。はてなブログで「人生を変えた一冊は?」みたいなお題があったが、私にとっては間違いなく灼眼のシャナである。おかげで私は今この時を死なずに生きている。(しか今週のお題は何だ? 「結婚を決めた理由?」 おのれはてな絶対に許さない)

シャナに「今日可愛いよ」と語りかけると「うるさいうるさいうるさい」と怒られた。いやよく考えれば抱きまくらはシャナではないし、抱きまくらはしゃべらない。ここは無何有鏡の向こうにある偽りの世界なのだ。本物のシャナは、今頃坂井悠二とイチャラブしているのだろう。心の底を冷たい風が吹き抜けて、私はますます枕を強く抱いた。ずっとこうしていると、私が抱いているのか、私が抱かれているのか、わからなくなる。でもそれは、私が子供の頃からずっと夢見ていた、幸せひとつの形なのだった。

そろそろ本題に入るとすると、私は「抱きまくら」の本質はどこに所在するのだろうかと考えていた。カバーではなく、中身の綿でもないとすると、私が今この瞬間に愛しているシャナは、いったいどこにいるのだろうかと。

自分の頭のなかだろうか? 否、それでは妄想でよく、抱きまくらである必然性がない。

私が抱きまくらを愛する理由、それは「あたたかさ」なのである

無い胸に顔をうずめると、ほんのりとあたたかい。そのぬくもり。確実に、彼女は生きていると思わせる現実の「感覚」たとえ彼女非実在で、手の届かない次元にいる少女だとしても、このあたたかさだけは、真実なのである

無機質な紙のページを捲っているのではない、ブラウン管電気信号を眺めているのでもない、私は今この瞬間に「あたたかさ」を抱きしめているのである最近ネット世界殺伐としてきた。人が人を愛するという感覚を、私は忘れずにいたい。

http://anond.hatelabo.jp/20151002071628

むかしはおにいちゃんのまねをしておねえちゃんのまねをして とか

親の真似をしてみたり とかあったもんだ

興味なんてのは実践から真似をしたいと起きる欲求がおおいもんだ

でもいまは他人の身体的特徴とか平常特に接触がなく偏執的に収集しない程度を超えると

犯罪になるからアニメドラマで始めるのはやむを得ないのではないか

アイドルだって俳優だって人間なんだから実際の生活はあるしCMおすすめしているのは

実際の効果立場を成し得たわけではなく仕事宣伝してるだけということで商品に関する

責任から解放されるべきという職業安定性を確保される時代なんだから

いまは現実人格人格形成を任せる時代じゃなく空想非実在人物を情報源にすることが

推奨されているってことだな

人権尊重肖像権保護観点からしょうがないことだろ

それで差別被害者差別的搾取がへるんだと信じられてるんだからしょうがない

2015-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20150903222916

非実在医者を持ち出してまで女をおっさん結婚させたいんだなあ

精子の加齢による劣化という文脈で「精子の元気さ」なんて持ち出しているの見た事ないわ

子供の先天性の障害が増える事を指すだろ普通

あと男は歳食うとEDが増えてセックスが困難になるってのも

2015-08-06

[] 逆ソーカル事件

1996年物理学者アラン・ソーカル人文科学誌 Social Textデタラメ論文投稿

掲載された後でジョーク論文だった事を明かし、物理専門用語言葉遊びをしていた一部の「ポストモダニズム研究者皮肉った。

実はこの事件にはちょっとした後日談がある。

ソーカル事件から6年後、Annals of Physics と Classical and Quantum Gravity に掲載されていたある物理論文話題になる。

それらは「位相的場理論」、「宇宙論」、「量子重力理論」などの複数分野にまたがる難解な論文で、

正しい専門用語を正しい文脈で用いていたが、論文全体では何も言っていないという代物であった。

悪質ないたずらが疑われ、ソーカル事件の逆襲ではないかと話題を集めたが真相は意外な方向へ。

論文投稿したのはボグダノフ兄弟

兄弟ブルゴーニュ大学で学び、グリシュカは数学イゴール理論物理学博士号を得ている。

二人はいたずらである事を否定し、論文正当性を訴えた。

ボグダノフ兄弟サイエンス番組の人気司会者であったことからメディアをも巻き込んで騒ぎは大きくなっていった。

2人はネット上の議論に偽名で参加し、多重アカウントによる自作自演を繰り返した。

偽名には実在物理学者数学者名前勝手に使い、また、時には非実在物理学者を名乗った。

兄弟真意が何であったにしろ、全うな議論を捨てネット印象操作を始めた時点で もはやまともな研究者とは呼べないであろう。

結果的ソーカル事件とは関係なかったものの、論文査読精度や博士号授与の基準見直し議論きっかけとなった事件である

2015-08-02

風俗アスペくそマンコに遭遇した

風俗行ったら、クッソ昔に指名した女を間違えて指名してしまった。

前もクソ過ぎて嫌だったんだよなあ。アスペなんだわ。

しか性格クソ。顔も偏差値45で平均を割ってる。深海魚みたいな顔してた。

動物獣姦してんだ、そういう変なプレイなんだと思い込んで割り切った。

  

で、今回もそんな感じで、ウザかったんだけど。

終わった後に聞いた話がすんごい嫌だった。

  

俺「今日居酒屋同級生と飲んだ」

嬢「私とか、絶対居酒屋なんていかな、社会人になってから

俺「そうなんだ」

嬢「ご飯もお酒もまずいでしょ」

俺「そうだね」

嬢「ほら、8000円のボトルとか普通に空ける感じで、イタリア料理とか」

俺「へえ、社会的地位高い感じのあつまりなんだ、居酒屋とかしかはいかないなあ」

嬢「そんな、女子会とかなら、量を飲むわけじゃないし、ちょっとでいいもの食べられればいいな的な」

俺「へえ、女の人誘うのそれ厳しいねえ、分からないわ」

嬢「え?ってか、そういう居酒屋とかに誘われるっていう概念が私達ないから

  

って感じで。

俺は普通に医者だし、親も医者だし、普通に金持ちだけど。別に居酒屋でもいいやって感じだったんだけど。

ってか、社会的地位が高かろうが飯なんてテキトウでいいじゃんとしか思わないんだけど。

だって製薬会社弁当なんて出されてもクッソ高い飯とかでても何の感慨も無いし。

会で飯くっても、別にうまくもなんもないし。分からないわけじゃないけど、興味が無い。

やっぱ女ってこういう考えになったりするんだろうね。

調子乗ってるなって思った。たいしたこともできないだろうし、勉強全然やってないなって会話から思ったし。

  

一番衝撃的なのは。そういう女ですら、男が貢いでるんだろうなってこと。居酒屋でなく、イタリア料理とか誘う男がちゃんといるらしいね

それ、本当にビビル。

こんな女ですら市場価値があるんだなあと。

俺はこんな女いやだけど。ネットではこういう女多い。はあちゅうとかだっけ。そこらへんも同じこと言ってた。

とてもじゃないけど、女は相手したくないなって思ってたけど、今日さら確信した。

やっぱ女はクズだわ。

風俗で買うのがちょうどいい。

  

もちろん、いい女もいるんだろうけど、そういう女はヤリチンとか金持ちイケメンキッチリ引き取るから、それはそれでいい。

俺みたいなのは残った女から選べとなるが。選ぶ意味が無いなと思う。

男同士での会話、女は二次元みたいな非実在概念で十分だな。

2015-07-30

意図的コンプレックス持って生きてる

「追いかけていたアイドルAVデビュー!」ってなったとき、おっかけファンだった奴は泣きながらオナニーしてると思うとうらやましいなあ!ってならない?

俺はなるんだけど。

それと同じで、本当は追いかけてもいなかったんだけど、アイドル時代写真とか漁りまくって、疑似体験するみたいなことをしてもどーも楽しくない。

  

しかし、

低学歴ドモは、俺が青春を捨ててガリガ勉強してるときに、俺を馬鹿にして、あいつらは俺が好きな女の子セックスしまくったんだ。

許せない、アリとキリギリスと同じだ!低学歴絶対ゆるさない!高学歴になったからには、あいつらをとことん叩く!!!

女もだ!!!散々イケメンヤリチンに股開いておいて、ババアになって高学歴とかふざけるなよ!!絶対引き取るもんか!!!

女叩きしてやる!!!高学歴IQ高い俺様AV二次元でと風俗で性欲は満たせるからいくらでも女叩けるから!!!覚悟しろ!!!

みたいなのは可能。

正直、低学歴とかどーでもいいし、宇宙から見れば大同小異、皆同じ人間しか思わない。

自分男子校だったから、低学歴セックスしてるかどうかなんか知らない。

女も興味ないし、付き合ったことなから知らないが、ネットではそのように書かれるので、のっかかっている。

  

こういう感じで、何につけ、コンプレックス意図的に持って、快感を得ている。

マゾなのかもしれないし、実際、風俗顔面いっきり踏まれたりするの好きだし。

友達に膝を折れるまでのっかかってもらったりしてるし。

脚の小指はぐしゃぐしゃにつぶしちゃったけど。

普通にマゾなんだけど。

これが快感

  

セックスときも、「金払ってセックスしてる客を見下しやがって!!!クソ馬鹿にしやがって!!!このやろ!!このやろ!!!感じた演技しやがって、ふざけるな!!ムカツクムカツク!!」

という感情を持ってもいないのに、無理やり思い込んで興奮している。

  

あと、コンプレックスを持つことで、「自分ダメなんだ、頑張らなきゃ、絶対見下してやる、頭下げさせてやる!!!」と頑張る気力にもなる。

  

多分、本当はコンプレックスは無いんだけど。人生プラスになるから、わざとコンプレックス持ってる。

ってか、コンプレックスみたいな、何にも無いところからでも作れる感情とか無いと、人生何も無さ過ぎてつまらないんだよね。

ドラッグみたいなものかもしれない。

コンプレックスにはメリットもあるし、楽しんでいる。

  

実際、本当におっかけしてたアイドルが、危ないマッサージ屋で働いてるみたいな情報がここ2ヶ月でさらされて。

あ、そいつヤミンっていうアイドルなんだけど。ライブにも行ったし、握手会にも行ったんだけど。

まあ、底辺アイドルで、淫夢に媚売ってたから見ただけのファッションファンだったんだけど。

それで、よっしゃ!悔しくて悔しくて抜けるな!!!

って思ったんだけど。全然ナン感情なかった。

非実在感情だったw

2015-07-26

さら

anond:20150726115842

非実在の人の名誉毀損まで認めれば完璧

警察が点数稼ぎでネット炎上を取り締まって……くれるわけねぇだろ。

非親告罪化目的は……誰か来たようだ うわなにをするやめ

2015-07-20

無知自分非実在家族


とある監督映画が放映される度に、やたらと批判に近いツイートが回ってくる。

「こんな田舎存在しない」「男尊女卑だ」「女性軽視だ」「家族間の意思疎通ができてなさすぎる」「家族美を描きたいのならもっと女性立ち位置を考えるべきでは」「母親信仰も大概にしろ」「こんな自分勝手母親が居るのか」「子供の情操教育に悪い」とかそう言った主張であった。

そう言った感想自体はいい、いいのだけれど。なぜそれを「アニメとして割り切る」ことができないのか。現実アニメがすべてリンクしているかのように考えて怒り口調の批判ができるのか。そこが何度考えてもわからないのだ。

映画の中で何か気に入らないことが起こったとしてもそれは「アニメの中の出来事」ではないのか。

自分経験した事と同じ不遇を受けているか不快だ」という主張は良く分かる。自分の不幸を抉られるようでとても面白くない。しかし、言ってしまえばそれだってアニメの中の出来事」であり「実際にその不遇を受けた現実女性は居ない」のだし、その不遇を受けているのは自分ではないのである意見を見てから何度かアニメを見返してみたが、やはりあれは画面の中の話で現実に出てくるわけではなかったのだ。画面の中で女性をそういうように描いていたからと言って、監督自身女性の扱いがそうである確証などどこにもないというのに監督自身の人柄にまで批判が及ぶのだから、いっそ恐ろしさまで感じてしまう。

考えてもわからないというのは自分経験不足がそうさせるのかもしれないし、または自分がそういう女性が台所から出られない世界を当然だと思って生きてきているからかもしれない。あるいは、感情移入をできない冷たい人間からなのかもしれない、何度主張を聞けども理解が及ばない自分が悪いのかもしれない。だが、わからないものはわからないのであり、それゆえに断定に近い話を聞かされるのにもほとほと疲れるたのであるSNSで見るくらいならまだいいがリアルでも相手が同じように思っている、と思いながら話すのはどうかやめてほしいとおもう今日この頃である

余談だが「子供の情操教育に悪い」とはいったい何なのだろうなぁ。子供の情操を育てるのは親であるし、親の言葉アニメよりも効果が薄いと言う自己主張なのだろうか。自分にはわからないことばかりである

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん