2015-07-20

無知自分非実在家族


とある監督映画が放映される度に、やたらと批判に近いツイートが回ってくる。

「こんな田舎存在しない」「男尊女卑だ」「女性軽視だ」「家族間の意思疎通ができてなさすぎる」「家族美を描きたいのならもっと女性立ち位置を考えるべきでは」「母親信仰も大概にしろ」「こんな自分勝手母親が居るのか」「子供の情操教育に悪い」とかそう言った主張であった。

そう言った感想自体はいい、いいのだけれど。なぜそれを「アニメとして割り切る」ことができないのか。現実アニメがすべてリンクしているかのように考えて怒り口調の批判ができるのか。そこが何度考えてもわからないのだ。

映画の中で何か気に入らないことが起こったとしてもそれは「アニメの中の出来事」ではないのか。

自分経験した事と同じ不遇を受けているか不快だ」という主張は良く分かる。自分の不幸を抉られるようでとても面白くない。しかし、言ってしまえばそれだってアニメの中の出来事」であり「実際にその不遇を受けた現実女性は居ない」のだし、その不遇を受けているのは自分ではないのである意見を見てから何度かアニメを見返してみたが、やはりあれは画面の中の話で現実に出てくるわけではなかったのだ。画面の中で女性をそういうように描いていたからと言って、監督自身女性の扱いがそうである確証などどこにもないというのに監督自身の人柄にまで批判が及ぶのだから、いっそ恐ろしさまで感じてしまう。

考えてもわからないというのは自分経験不足がそうさせるのかもしれないし、または自分がそういう女性が台所から出られない世界を当然だと思って生きてきているからかもしれない。あるいは、感情移入をできない冷たい人間からなのかもしれない、何度主張を聞けども理解が及ばない自分が悪いのかもしれない。だが、わからないものはわからないのであり、それゆえに断定に近い話を聞かされるのにもほとほと疲れるたのであるSNSで見るくらいならまだいいがリアルでも相手が同じように思っている、と思いながら話すのはどうかやめてほしいとおもう今日この頃である

余談だが「子供の情操教育に悪い」とはいったい何なのだろうなぁ。子供の情操を育てるのは親であるし、親の言葉アニメよりも効果が薄いと言う自己主張なのだろうか。自分にはわからないことばかりである

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