はてなキーワード: 今週のお題とは
去年の今頃に鬱病で会社を辞めた。会社を辞める前、休職してた頃から精神科に通って1年以上抗鬱剤やら眠剤やらの薬を飲んでいた。会社を辞めて収入もないので田舎の実家に帰ってきた。以来1年間無職。実家に帰ってきた直後は一切家を出ずに引きこもり、親とも顔も合わせられず昼夜逆転というか、ずっと布団をかぶって臥せっているような状態だったけど、医者には通い続けていたおかげか、抗鬱剤は今は飲まなくなったし、眠剤の量も減ってきた。まだ眠剤は処方されて飲んでるし、不眠症状も残っているし、もう数ヶ月は無職だろうけど。それでも最近は外に出て散歩もできるようになってきたし、プログラマだったということもあったので、調子のいい日はそれまで扱ったことのない言語の勉強をしている。androidとiPhoneのアプリをリリースしたいと思いながら作っている。
「まずは朝起きて夜になったら寝るという普通のスタイルの生活リズムをおくれるようにしよう」「その次はもっと外に出れるようにしよう」「それが出来たら毎日勉強をしよう」と少しずつ元の生活に戻りつつあるけど、その中で次を考えるとやっぱり不安になる。「その次は」を考えていった先にあるのは再就職だ。再就職のことを考えるとものすごく不安になる。徐々に良くなっていった調子も崩れる。
もう一度プログラマとして働くか、全く別の職種にするのか。まだ決まっていない。そもそもそれを選べる立場にない。自分の今住んでいるところは本当に田舎だ。電車が2,3時間に1本しか走ってない。最寄りのコンビニまでは歩いて1時間。マクドナルドに行くにも電車で2時間はかかるような僻地。求人サイトなどで求人情報は一切情報はヒットしない。ハローワーク以外に雇用を求められるところがない。ハローワークの求人も見てみたけど、プログラマなんて求人は一切ない。よく分からないパートの求人くらい。しかもどれも運転免許必須。運転免許すら持ってない身なので、応募条件にも当てはまらない。
その電車で2時間かかる位遠くてマクドナルドくらいはあるような都市ならプログラマの求人は多少あるみたいだ。それでも普通の転職サイトじゃ求人情報は一切無くてハローワーク頼りだけど。求人情報数が少ないので、時期によっては一切そういう求人がないかもしれない。
そもそもプログラマであれなんであれ、求人があったとして、自分は採用してもらえるのだろうか。三十路で1年以上も無職期間があるような奴を、受け入れてくれるようなところあるんだろうか。しかも鬱病持ちだ。就活する時には「元」鬱病持ちになっているだろうけど、そんなに扱いは変わらないんじゃないだろうか。
東京や大阪のような求人がもっと沢山あるような大都市でも、こんな人間は雇わないんじゃなかろうか。ウソをつこうにも、1年以上の空白期間は誤魔化せない。1年以上かけてプログラミングの勉強してました、と言ってもすぐにバレるだろう。実際プログラミングに費やした時間よりも寝込んでいた時間のが多いし、アプリを実績として提示してもそれに1年以上費やしたであろうと予想できそうなクオリティは見いだせないだろう。結局正直に鬱病で寝込んでましたって言っても、その事実が変わることはないし、言葉は悪いが、いわば「前科者」であることを告白してるのと変わらない。「今は薬も飲んでないんだね、それなら別に問題ないよ」と言ってくれる会社がそうあるのだろうか。若ければまだ可能性はあるかもしれないが、若くもない。卓越した技術・能力があるわけでもない。
精神状態が健全である人たちからみて、こういう自分のような人間はどう映るんだろうか。同僚に前科者がいたらコミュニケーションを取りながら同じプロジェクトに携わるのはやっぱり嫌なんだろうか。マネージャーから見て、部下やチームメンバーに前科者がいることはこいつはいつか逃げるだろうなと思ってしまうような大きなリスク要因と捉えられるのだろうか。採用担当者から見て、前科者なんて絶対すぐに欠勤しだしたり辞めたりしそうだし時間と人件費の無駄だから雇いたくないと思うのだろうか。
30歳で未経験の職種にトライするというのは普通の人でも結構厳しいのではないかと思う。増してや無職期間がかなりある人間、病んでいた人間だったら尚更だろう。だからプログラマとして再就職するほうが、多少の知識と経験はあるのでまだ未経験の職種に突っ込むよりは見込があるのではないかと思っている。個人でサービスとかアプリ作ってみたという実績も見せれれば、焼け石に水かもしれないけど、多少は足しになるかもしれないと思って勉強している次第だけど、焼け石に水にもならないのだろうか。もう前科者という時点でお断りなんだろうか。どういうスキルがあったらその過去を帳消しに、帳消しとは言わないまでも、雇ってもいいレベルになるのだろうか。
普通の人は自分のような人間をどう見ているのか教えてほしい。多分採用の募集要項に「鬱病・パニック障害などの経験ある人はお断りです」なんて正直に書いてあったら炎上するだろうし、「元鬱病大歓迎!」とも書けないだろうし、正直な態度がよく分からない。匿名だから言えるけど、正直前科者はそのまま自殺して社会に戻ろうとしないで欲しいとか、そういうのでいい。みんな本当はそう思ってるならすっぱり諦めがつく。毛沢東の伝記でも参考にして革命を起こすか、首を吊る。とにかくどう思ってるのか知りたい。それを参考にしたい。希望があるならそれにすがるし、正直みんな一緒に働きたいと思わないなら、それでいい。前科者でもこういう人なら、こういうスキルがある人なら一緒に働いてもいいとか雇ってもいいというのがあるなら教えてほしい。
また、実際鬱病だったけど社会復帰できたという人も多分いるだろう。そういう人はどういう経緯で社会復帰が出来たのだろう。若かったから社会復帰できたのか、元々スーパーエンジニアみたいなタイプで技術力が高いから社会復帰できたのか。どうやって社会復帰できたのかを知りたい。切実に知りたい。今の状況の自分に何があれば再就職の可能性は見えてくるのだろうか、教えてほしい。更に良かったら、金策とかも教えてほしい。
正直お金がない。休職中は一人暮らししていた上に給料もなかったので、元々雀の涙ほどの貯金がみるみるうちに減っていった。去年は健康保険や年金に住民税で更に持っていかれた。田舎から大都市に引っ越して就活しようとも、賃貸の初期費用が20万弱はかかるだろうし、いつまでかかるか分からない就活中の生活費もかかるだろうし、万が一就職できたとしてもその会社の給料が月末締め翌月末払いとかだったら就職しても丸々2ヶ月は収入無しの生活になる。それくらいのお金は残っていない。クラウドソーシングで就活前にそれらのお金だけでも稼げれば…と思っても、あんまり稼げなそうだし、そもそも病み上がりの人間がいきなりフリーで何かこなせる気がしないし、コンペとか勝てる気が一切しないし…
http://gothedistance.hatenadiary.jp/entry/2016/02/24/125121
希望があっても頭金がなければ、これまたどうしようもない。お金だけの問題なら、最悪足りない分借りればいいだけかもしれないけど。
はてブロの今週のお題に「元鬱病の人間についてどう思うか」とかやってほしい。もっと過激なお題を出して欲しい。上場したから余計に無理だろうけど。
とにかく、みんな自分のような人間をどう見ているのか、自分のような人間に社会復帰の希望はあるのだろうか、良かったら教えてほしい。希望があるなら、それに届くように出来る限りのことをしたいんだ。
毛糸のマフラーを巻いて道を歩いていると、まるで恋人がうしろから抱きついてくる感覚で、首がくすぐったい。「ふふ、あたたかいでしょ」「うん、あたたかいね」と脳内妄想で甘いデートに興じ、ふと笑みがこぼれてしまう。私は人目をはばからず、ニヤリニヤリと歩いていた。通行人たちがギョッとした顔を向けてくる。私のような冴えない男が、行き交う人々から注目を集めてしまうのはいささか恥ずかしく、彼女化したマフラーが「ね、家に帰ろ? ふたりきりで、ね?」と急かしてくる。
よし、家に帰るか。しかし私は玄関口でマフラーを投げ捨てて、ベッドにジャンピング土下座して《抱きまくら》に強くハグするのだった。マフラーが悲しそうに悲鳴を上げて廊下にへたり込む。私もつくづく罪な男だと思った。モテる男は辛いのだ。
スーツも脱がず、私は灼眼のシャナの抱きまくらを抱きしめた。シャナは照れるように「くぎゅう」と鳴いた。カバーはAmazonで 22,000円で買った。シャナは小説も全巻読んだし、アニメのDVDもフルコンプした。(アニメ版まさか完結まで見れるとは思わず、5年待ったかいがあった。人生長生きするものである)でもコミックは持っていない。
ところで、私は子供の頃から、あのモサモサして食べにくいメロンパンが大嫌いだったのだが、シャナと出会ってから人生が変わった。今では毎朝メロンパン。カリカリとモフモフを食す、至福のひととき。メロンパンを頬張るとき、私はいつもシャナの笑顔を思い浮かべている。それが仕事の活力になるのだった。はてなブログで「人生を変えた一冊は?」みたいなお題があったが、私にとっては間違いなく灼眼のシャナである。おかげで私は今この時を死なずに生きている。(しかし今週のお題は何だ? 「結婚を決めた理由?」 おのれはてな、絶対に許さない)
シャナに「今日も可愛いよ」と語りかけると「うるさいうるさいうるさい」と怒られた。いやよく考えれば抱きまくらはシャナではないし、抱きまくらはしゃべらない。ここは無何有鏡の向こうにある偽りの世界なのだ。本物のシャナは、今頃坂井悠二とイチャラブしているのだろう。心の底を冷たい風が吹き抜けて、私はますます枕を強く抱いた。ずっとこうしていると、私が抱いているのか、私が抱かれているのか、わからなくなる。でもそれは、私が子供の頃からずっと夢見ていた、幸せのひとつの形なのだった。
そろそろ本題に入るとすると、私は「抱きまくら」の本質はどこに所在するのだろうかと考えていた。カバーではなく、中身の綿でもないとすると、私が今この瞬間に愛しているシャナは、いったいどこにいるのだろうかと。
自分の頭のなかだろうか? 否、それでは妄想でよく、抱きまくらである必然性がない。
私が抱きまくらを愛する理由、それは「あたたかさ」なのである。
無い胸に顔をうずめると、ほんのりとあたたかい。そのぬくもり。確実に、彼女は生きていると思わせる現実の「感覚」たとえ彼女が非実在で、手の届かない次元にいる少女だとしても、このあたたかさだけは、真実なのである。
無機質な紙のページを捲っているのではない、ブラウン管の電気信号を眺めているのでもない、私は今この瞬間に「あたたかさ」を抱きしめているのである。最近はネットの世界も殺伐としてきた。人が人を愛するという感覚を、私は忘れずにいたい。
ブックマークを私用するのが主たる用途だが、個人的な備忘録も兼ねてはてなブログを始めてみた。当然アクセス数は皆無に等しく読者もいない。でもまるで気にならなかった。いやまるではうそだが、そんなもんだろーなという印象である。書評や趣味のことをたまに書くようなそれだからだ。アクセス元ページの一位はYahoo検索。そんな奇特なワードで検索する人もいるのかーなんていうのをまじまじと見るのが楽しみだった。
そして先日、初めて「今週のお題」というものを書いてみて、ついでに「はてなブログ」のはてなトップページというのを初めてまじまじと見てみた。
そこには闇が広がっていた。中身の無いライフハックブログ。メンヘラめいたぺらっぺらなはてな女子日記。写真だけがただ更新されるよくわからないブログ。ポエム。承認欲求丸出しなブログ達。……まあそれはいい。何を書こうがそのひとの自由だ(私も他人のことを言えた義理もあるまい)。
ただ不可思議なのは、そうしたものにやたらと☆がついている。ブックマークもついている。読者も何百人といる。そう膨大な記事数でもないブログであってすらもだ。謎だ。
未知の領域過ぎて新鮮で興味深かったので、とりあえずトップで見かけたメンヘラ女子ブログを読者登録してみた。すると謎の一端が明らかになった。そのユーザーがすぐさま私のブログを読者登録し、最新の記事に☆をつけたのだ。
なるほど、まるでFacebookだ。
なんとなく、これまで漠然としか理解できなかったはてブロ界隈の気持ち悪さや閉塞性やスパムっぽさやクローズドな雰囲気がようやくわかった瞬間だった。
ちなみに、登録したのがなんでブログの方というと、理由は簡単で、最初「ダイアリー」の方はもう登録不可になっているかと思ったからである。というのも、マイページのサービス一覧では「はてなブログ」が推されまくっていてダイアリーは相当根気強く探さなければ出てこない。ダイアリーに登録できると知ったのは今年に入ってのことだった。
なんだかはてな村界隈において「ブログ=悪しきもの」な認定があるような気もしなくも無いし、確かにはてなブログのトップページは気持ち悪いし、『ブログ』という響きも大仰な感じで苦手なので、ダイアリーの方にいっそ移籍しようかなあとも思いつつ、でも使い勝手は正直ブログの方が使いやすいんだよね。画面も見やすいし。ダイアリーの方は見づらくてかなわん。このままブログにいてもいいんじゃろうか。アフィはする気は特に無いです。
困りました。はてなにおいてのブログとダイアリーが暗に意味する違いとか心象を誰か説明してほしい。
▽
(追記)
ごめんなさい、ろくも知りもしないのにいつの間にか「いわゆるはてなブログなるもの」を十把一絡げにしていました。もっと平穏で平和なブログも海千山千あるはずなのに。はてなブックマークのホッテントリにあがってくるようなブログや、炎上中のブログや、はてな奇譚や(毎話楽しみに読んでいます)、こちらのブログ(http://cild.hatenablog.com/entry/2014/09/16/012030)などを拝見するに付け、なんだか印象が凝り固まって、恐ろしい恐ろしいと視野狭窄になっていた気がします。
私は性別は女ですが、いわゆるはてな女子という単語も苦手であります。自分がいつの日かそこにカテゴライズされてしまったらどうしようと気が気でない感じであります。
まー、なんというか、対岸の火事を見るような心の持ち方で、自分の畑は自由に耕していくのがきっといいのでしょうね。ちょっと落ち着きました、ありがとうございます。