はてなキーワード: 非実在とは
では何故男性向けコンテンツには女性を性の道具として扱うようなモラルの無い物が多いのでしょうね。
女性向けの類の物も無いことはないでしょうが、圧倒的に男性向けの方が数が多いですよね?
男性の多くは女性を悪辣に扱うコンテンツのせいで傷ついている人が居るとは考えないのでしょうか。
また居たとしても何の問題も無いと感じるのでしょうか。
私は殺人描写に関してもある程度の規制が必要だと考えています。
特に弱い立場の人々が無下に殺されるような描写は、戦争が如何に悪であるかを描く等の理由がない限り許されるべきではないかと。
それを観た人はどう感じると思いますか?
例えば女性や子供が、男性の快楽目的で強姦される描写を目の当たりにした時、確実にある程度の人は心に傷を負うでしょう。
感覚が麻痺してなんとも思わないという人が居ようと、そういった描写のせいで傷つけられる人々が居るなら規制を行うべきです。
その線引は現実に違法である行為か否かで行うのが最も無難であると思われます。
コンテンツを楽しんでいた側の人権はどうなるのか、と思われるかもしれませんが、
喫煙行為が周囲の人に害を与える為に喫煙所が縮小されているように、悪辣な表現も傷つく人がいる限り縮小されるべきです。
あなたも汚れた楽しみを得ながら
少なくとも私は悪辣なポルノや犯罪の表現に楽しみは感じませんし怒りを覚えます。
ゾーニングされても何の間違いで触れるかわからないのですから、現実に犯罪行為で有るか否かを線引に規制を行い、コンテンツを健全にするべきです。
自分以外が欠落していると考えるのは重大な邪見です。
私も自分が完璧だとは欠片も思いませんよ。ですがより良くしようとする努力は必要ですよね?
男性天国である(男性を顧客とするコンテンツが多い)こととモラルの有無は関係ないと思います。
「殺人が禁止されているのに、何故漫画の中でキャラが殺される描写が許されるのか。」
っていってる人見たら変だと思いません?
論理的にしゃべって下さい。
現実に違法な状況を非実在世界の中でつくることはどうして人権侵害なのか。
あなたが何のコンテンツも見ずに生きている沙門ならあなたの主張は理がありますが、
あなたも汚れた楽しみを得ながら、単にいま突然他人の欲望や楽しみだけを不快視しているだけではないでしょうか。
自分以外が欠落していると考えるのは重大な邪見です。
その精神状態はお子さんを育てる上でも大きな障害になりうるので、
私は底が心配です。
私も規制に賛成です。
児童ポルノが禁止されているのに、何故未成年のキャラクターに性的な表現を盛り込む事は許されるのか。
非実在の人物だからどうとか以前に、そのような表現を許す事自体が人権を著しく侵害しています。
女性を性の道具としてしか見ていないんじゃないかと疑うような物が平然と作られて売られており、
目を覆いたくなるような現状。
小さな子供が居る身としては、あのような物を好んでいる人がうようよしているのかと思うと不安で仕方がありません。
人間として何かしらの欠落があるのは明白ですから、国をあげてカウンセリングを推奨していくべきです。
私もエロを全て規制しろとは言いませんが、ポルノを許すとしても互いに同意の上での健全な内容で、
かつ悪意を挟む余地の無いレベルまで規制することは必要でしょう。
それに、国は今クールジャパンと言って日本のサブカルチャーを世界に売っていこうとしているのですから、
なおさら世界基準に合わせた規制をするべきです。国連からも規制せよと再三指摘されていますよね。
世界に胸を張って日本の表現物を売っていくためにも、まず徹底して悪辣なものを一掃し、クリーンな状態に持っていかなくてはなりません。
ひょんなことから、いろんな要因で働けない、働きづらい若者(っていうのは39歳までを指すらしいです)の就労支援に関わることになった。
若者支援をやっている人たちは、多数の「働くことのダブルバインドで動けない若者」のことを全くイメージしていないか、だ。
まず自分のことを書いておこう。
とりあえず生きるために工事現場に働いたり、服屋で働いたり、
そんなことしているうちに、懐かしの◯◯占いブームで、ライター稼業をすることになり、
2週間徹夜でテキスト上げれば80万が振り込まれるみたいな生活をしていた。
昼も夜もなく、残業代ってなんですか?みたいな世界にずっといた。
「夢」や「やりがい」「ここをステップにて」「まだ若い会社なのでポストはがら空きです」
という言葉が飛び交っていた。
今では「今すぐそんな違法企業は潰れてしまえ」とネットで言われて然るべき環境だったと思う。
でも、別にそれでどうでもいいと思ってて、しばらくしたら違う世界が見えたんで、
今は違うことを本業として、いくつか声がかかったプロジェクトに関わりながら生きている。
さて、ネットに飛び交っている言葉は、それが本当かどうかはさておいて、心に響くと思う。
労働基準法を守れない会社はとにかく全部潰せ、そっから新しい社会が始まる。
うん、一理あるかもしれない。
株式会社セブンコードの濱野氏に関するまとめはとても面白かった。
何より、これだけマメに若者(かどうか不明だけど)の声に答えている人はいないので、単純に尊敬に値する。
https://togetter.com/li/1061401
もちろん、労働基準法の方が問題だと表明したエイベックスCEO松浦氏のブログも読んだ。なんてナイーブな方だと思ったが。
http://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-12230798500.html
そうやって、今の空気を作りだされているんだろう。
ただし、一応疑問を呈しておくと、本当に働けない若者呼ばれる人たちが、このような言説に目を通しているかはわからない。
実は、30~40代の連中だけが、大きなテーマで話したいだけなのかもしれない。
それを考えると謎が謎を生むので、いったん保留して、
働くことに踏み出せない若者と呼ばれる人が、
などなどの言説に影響受けてるでしょ?と思う。
「いや本当は若者みんな働きたがってるんです。一歩が踏み出せないだけで」
「親身になってくれる経営者さんの元で、イキイキとしてきてます」
「実際に体験や実習で働くこと、働いた結果「ありがとうございます」と言われると喜ぶんですよ」
なんて言葉をよく聞くんだが、
んー、これって「そういう支援者さんを喜ばせる言葉を言っているだけなんじゃないの?」って思うんだけど。
いや。みんながみんなそうじゃないと思うけど。
ようするに何が言いたいかと言うと、
●ネットでの働くことに関する言説を、
「まぁそうは言うけどネット論壇は所詮討論のための討論だったり、『正しいこと言ったもん勝ち』でしょ?」
とクールに見ているのか?
でも、どっちなんだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20161027142849
「ぼくがかんがえたさいきょうのじょうし」がどんなものかは理解したが、中間管理職はそんなに甘くない。正直1から10まで見事に理想と真逆のことしか書かれてない。部下から見た理想と、中間管理職の理想が、どの程度かけ離れてるか。こんなに酷い上司像が1500ブクマ共感されてしまう現実。恐ろしい恐ろしい。
これから書くことは、「何もわかってない若造がエラそうな口叩きやがって」って新橋の高架下で安酒あおって上から目線で講釈をたれてる40歳中間管理職、という設定の「妄想」だ。決して現実ではない。非実在フミコフミオ。でもEDじゃないよ。あ、XVIDEOSは大好きです。
あ、あと、社畜は自分の頭で考える事が出来ない大脳が壊れた豚とか、起業!起業!さっさと瞑想!しばくぞ!とか、そういうのはいらないのでお帰りください。帰れ。
酷い。タイトルから青臭い。30歳営業で自分のこと「上司になって」とか表現してるのは社会人としてどうよ。「管理職」とか「部長」とかだろ。年齢自体フェイクか?
この手の効率化は大概自部署だけで収まらない。裏を返せば影響範囲が自部署だけの効率化なんてたかが知れてる。
書類関連のデジタル化なら、関連各所に問題提起し、打ち合わせを重ねて書類フォーマットを詰めて、フォーマット変更で影響を与える他部署に筋を通す。書類の種類によっては法務とも相談。無事デジタル化に至った場合は、関係部署に説明、規模によっては資料を作成し社内説明会を開く。
この中で君の仕事は、問題提起、効率化プロジェクトのメンバー選定、他部署・上層部との調整、説明会での背景説明までだ。管理職として一線を退いた以上、具体策は現役に任せる。ツメが甘いなーと思っても、どうしても納得いかないところ以外は一歩ひいて我慢する。細かく指示を出すのはNG。裁量はやる気の源。自分が部下だった時を思い出せ。
その他の細かい事は部下の仕事になる。それだけの負荷を部下に与えて尚、トータルでの効率化が達成されるという信念をもって、上層部の説得や外部折衝を根気よく続ける。重要なのは、その信念を誇示し続けて、チーム全体の効率化に対するモチベーションを保つこと。
こんな時代になっても尚アナログだったものは、大体面倒臭い理由がある。関係各所の都合の調整。つるし上げ。吐くほどの高負荷。板挟み。上層部は「効率化!効率化!」と簡単に言いやがる。いざ終わってみるとデジタル化って意外に成果が出ない。大概の場合、アナログより制限が多くなるので管理は楽になるけど、現場は使いにくくなる。しまいには昔の方が良かったとか言い出しやがる。きっつー。
アウト。管理職が業務用エクセルシートを作成するのは完全に悪手。もし不都合があったとき、部下は上司にメンテナンスを依頼するのか?自分が依頼した修正で居残っている上司がいる状況で、君は先に帰れるか?結果、メンテナンスは部下に任せる事になるが、他人の作ったエクセルシートのメンテナンスがどれほど苦行か。
この場合、どんなに自分で作りたくてもエクセルシート作成は部下に任せて、自分は問題点を伝えるのみにとどめる。なぜか知らないが、エクセルシートって、若手で作りたくてうずうずしてる奴が一人くらいいる。重要なのはそういうのが好きそうなメンバーを見極める事。うまくハマれば、多少細かく指示し出しても、めっちゃ楽しそうに仕事してくれる。まぁ、これはメンバーに恵まれた感あるけど。
(追記;もし仮に文章下手で「関数やマクロの使い方を教えた」って意味で書いたんならもっと酷い。エクセルは出来る奴に組ませて、その他の人間は運用するものだ。わざわざ出来ない奴に関数やマクロを教える意味がない)
閉口。さすがに簡略してると信じたいが、手順やルールまで事細かに「そもそもコレなんのために必要?」って、上司に言われてムカッとしない奴がいるか?自分に当てはめてよく考えろ。どんなに丁寧に言ったとしても、そもそもこのニュアンス自体がNG。
この手の効率化は、いかにモチベーションを持たせるかという心理戦になるので非常に面倒くさい。管理職になった以上、その業務のプロは担当部下であって自分ではない。ならいっそ無知を演じて、「これめんどくさいよねー。いらなくない?」くらいから会話を始めて「実は自分も~」みたいに釣る。言うは易し。デジタル系の自動化とかならともかく、手順とかルールについて、余計な負荷を与えてまで効率化を促進させるのは、かなり骨が折れる。というか心が折れる。というか折れた。きっつー。
定時がくると「定時ですよ~定時ですよ~」とフラフラと部署を歩き回るおばけになった。残って仕事をしている人には簡単に何をやってるのか説明してもらって、明日でも大丈夫そうだと自分が判断したものは「明日!明日!」と言いながら退社を催促した。
うん、ごめん。なんか、この上司ウザくね?
まず「残業中に上司に業務説明する」という負荷を部下に与えてる事に気づけ。何回も言うが、業務のプロは部下であって自分じゃない。大丈夫かどうかを管理職ごときが判断できるなんて、勘違いも甚だしい。誰だって早く帰りたいんだよ。今日9時でイベントが終わるんだよ。スタミナMAXなんだよ!12万位ボーダーギリギリなんだよ!!ここはフィクションじゃねーんだよ!!
上に書いた効率化も、ひとつひとつは作業が十数分早くなるだけだけど、地道にいくつも積み上げていくと、慢性残業部署だったのに今では定時退社が当たり前になった。
Oh...Fantasy...効率化しただけで定時退社ができるなんて考えはお花畑だ。1つの原因を潰して1つの結果を得るなんて小学生でもできる。
残業の原因は千差万別。いろんな病気を「風邪」と十把一絡げにしてるのと一緒。風邪における総合感冒薬の役目は、病気を治す事ではなく症状を緩和する事、病気を治すのは自分自身。残業も同じ。帰りやすい空気だけ作って、あとは自浄作用を信じる。見てきた中で数少ない成功例は上司が早く帰るパターン。週に1日でもいいからスパッと帰ってしまうだけでも効果があるらしい(ここだけ伝聞なのは察しろ。世の中そんなにうまくはいかないんだよ)。あ、外出直帰は効果があったなー。打ち合わせ5時くらいに終わって「直帰ね♪」とかやってると、この文化はかなり簡単に浸透した。敵は社内上層部。戻ってこいって言われりゃ戻りますよ。もちろん。死ね。
一言だけ。人によるだろ。以上。
仕事をやってくれた皆さんに「ありがとう!」「ありがとうございます!」「助かりました!」を絶対に欠かさないようにした。
これは合ってる。声掛けしてるうちに心から本当に感謝するようになる。どんな小さなことでもお礼大事。
ただし「!」の表現に一抹の不安が残る。小さな事には小さくお礼、大きな事には大きくお礼。些細な事で「上司から」大袈裟にお礼されて嬉しいか?年上部下ならなおさら。相手と自分の立場はよく考えろ。
客先からのクレームは全部自分に繋いでもらうようにお願いし、逆に、客に一言モノ申したい時や、他部署への申し入れも、自分に一本化した。でも、処理の進捗や細かいニュアンスは、可能な限り発端の担当者には伝えた。
あほか。やれるもんならやってみろ。管理職になった瞬間、雑務は5倍、会議は10倍に増える。お前は社内上層部との会議中にクレーム対応できるんか?あ?
クレーム対応は、重大さを正確に判断して必要なタイミングで出てくのが基本中の基本。相手を見極めて戦略的謝罪。担当営業の謝罪→技術担当と同行で謝罪→上司も同行で謝罪のジェットストリーム謝罪。これマジ有効。高度経済成長の中、歴戦の日本企業戦士があみだした渾身の必殺謝罪なめんなよ。
これも管理職が必要以上に部下の業務に干渉する最悪手。特に客対応や進捗管理は営業の手腕の見せ所。管理職はまず部下を信じる。裁量はやる気の源。「失敗したら即相談」できる空気作りが重要なんだけど、これは未だに難しい。人間誰しも失敗は隠したい、重大なら重大なほど。なんつーか、そいつが育ってきた環境による感じだよなー、これって。
ここで一番重要な事。全部自分を通させるべきなのは「得意先」ではなく「社内上層部」だ。本当の意味で部下を守るってどういう事なのか、もう一度考えてみろ。本当の敵は身内にあり。しかし部下には理解できない。きっつー。
だーかーらー。「有給~有給~」と意識して声掛けをするだけで、有給取得率が上がるとか、どんな人生イージーモードだよ。福山雅治かよ。寝言は寝て言え。定時退社同様、直接的に解決する方法なんてない。子供の行事で有給とる文化を根付かせたいなら、まず自分が取る。上層部にどう思われようとも、子供の風邪で病院に連れてくためだけに有給をとる。んでもって、本部長に「あいつ、いっつもいねーなー」って言われる。部下からは「本当っすねーw」って笑われる。上層部と部下の潤滑油になれるなら、それこそ理想の中間管理職だ。
「これやって」「あれやって」ではなく、例えばデータの集約なら、それが誰からどうやって集めたデータで、集約した後にどんな場面で活きるのか、それを全部伝えてからお願いした。締切日は、自分が一旦頭に浮かんだ日付より3日ほど前に設定するようにした。
ここまで読んでればわかるだろう。明らかに管理職の職域を逸脱してる。こんなことしたらモチベーションは確実に下がる。各担当はその業務のプロ、まずは部下を信じる。管理職は、締切日を担当に見積もらせた上で全体把握して調整する。ただし、どう考えても常識から大きく逸脱してる場合のみ修正。また、新人とかが締切バッファを計算してなさそうなら、バッファは設けさせる。
「仕事に対する時間見積もり」は社会人として最重要スキル。これができないと、他にどんな突出した能力があっても社会人として無能。時間見積もりスキルは経験でしか身につかない。まぁ、これはいくらやってもできない奴もいるので、時間見積もりが得意な他メンバーとセットにしてアウトソーシングさせる。
重要なのでもう一度。上司が時間管理にまで直接口出ししたら、その部下のストレスは倍増、モチベーションは半減する。自分が部下だった時を思い出せ。
はい、最悪ー。ここまで読んでるなら、もはや何も言うまい。顔洗って出直してこい。クソが。
ただ、まあ、1対1の会話を如何に成功させるかは、かなり重要なんだよなー。早めに外出先に出かけて喫茶店で30分くらい時間を潰す形で雑談とか、朝早めにきて早出メンバーと雑談するとか、4時くらいに外出の打ち合わせ終わったら1時間くらい喫茶店でだべって直帰とか。ただ、これも人による。
んー。偶発イベントではあるけど残業メンバーでの雑談って、確かに濃厚で有用なんだよなー。なので、「時々(週2~3日位)最後に帰る」位にしとけ。
解ってんなら書くなよ。これも人による。ちゃんとした関係を築けてるなら悪くはない。まぁ、固定メンバーにはるけど、一回でかなり濃厚に情報交換ができる。
ただ「可能な限りで少し多めに払った。」はあほか。年上部下だと若造なのにお前より金もらってるアピールになりかねない。ここまでの話読んでると、そこら辺の微妙な空気をちゃんと読んでるやつには思えないんだよなー。。。大丈夫か?
もう、なんかさ。ここにきて、まさかの仕事ができる俺かっこいいアピールとか?
こんな青臭い当たり前のこと、最後にわざわざ書くなよ。読んでるこっちが恥ずかしいわ。そもそも自分の仕事ってなんだよ。中間管理職なめんなよ。
その青臭さ嫌いじゃないよ。
君が、いつか本当に管理職になったら、肩肘張らずにいろいろ頑張ってみな。
昔ボンクラだと思っていた上司が、突然スターになったりするんだぜ。
https://twitter.com/toriwalking/status/773722928613429248
ゲーマー同士が@つきのリプライでナコルルというアイヌモチーフキャラクターの話をしながら他愛ない会話をしている。
そこに多分「アイヌ」とかその辺のワードで毎日エゴサしてる例の糾弾者が「怖いだろう、想像力がないのか?」といきなり喧嘩腰で噛み付いた感じ。
これで分かり合おうというのは、粗暴な言葉を使ったこの若者達でなくても難しいと思う。
憎悪ガチガチで固まっている本物のレイシストのヘイトスピーチ野郎に遠慮する必要は全く無いが、
アイヌに対して特に悪印象も持っていない人々の言葉尻を捕まえて怒鳴りつけるのは、一体何がしたいんだろう。
(というか逆にナコルルを通してアイヌに親しみさえ持っているだろう、それが良いか悪いかは別として。外国人がニンジャやサムライのイメージ(※偏見)のおかげで日本人に親しく接してくれるのと一緒だ)
ヘイトスピーチってさ、直訳で分かる通り「憎悪表現」なんだよね。
新大久保で心から在日韓国人が憎くて「韓国人は消えろー!」って叫んだりするアレだよ、アレ。
いきなり呼び止められて「お前アイヌ人だな、死ね」と言われたらそれはヘイトスピーチで間違いない。
そこまで行かずとも、やはり同様に街中で「あーあー、アイヌ人死なないかな」と言われたのを当事者のアイヌ人がたまたま聞いてしまったら、それは怖いだろうことは想像に難くない。
(コンテキストとしてナコルルや同様の非実在キャラクターの話だったとしても。今回のゲーマー達のリプライのやりとりをエゴサした状況は明らかに違いはするけど、そういうシチュエーションだったとして)
そういう時、仮に一言
「すみません、そういう意図ではないのかもしれないですが私はアイヌ人で今のあなたの発言が怖かったです。」
と言ったならよほどの相手でもない限り、「ああ、自分の発言は当該属性の人を傷つけていたんだな」と理解できるはずだし、そして静かに反省し謝罪することだろう。そして以後は気をつけるだろう。
要するに伝え方の問題。
本当にヘイトスピーチをやめさせたい、この世から根絶していきたいなら、コミュニケーションに気を使わないといけない。
今回の件についてだけ言えば、怒鳴りつけられたゲーマー側には明らかに理不尽感が残る。本人にそういう意図がないからね。
彼らに落ち度があることは間違いないが、それでも、軋轢は残るよ。粗暴な言葉にはそれだけ感情を動かす力がある。彼らだって人間なんだから。
「意図があろうがなかろうが、ヘイトはヘイトだ」とか、そういうありきたりな言説もあるっちゃあるけどさ。憎悪ってそういうことだっけ?
「私が不快なのでその言葉はやめてください」はいいよ、まだ分かる。けど、「それはヘイトスピーチです」はさ、伝わらないと思うよ。
そんな喧嘩腰だと、新たな憎悪が生まれるだけなんじゃないの?本物のね。
という疑問が出てくるのは別にそこまでおかしなことじゃないよね。
と想いながら当該の人物のツイートを追ってたら、ナコルルやゴールデンカムイのようなアイヌを描いたフィクション作品を片っ端からdisったり、
https://twitter.com/kotnei/status/773115914195566592
ネイティブではないがアイヌ語でツイートしてみた人に対して、該当ツイートを検索で見つけた上で「間違ったアイヌ語を拡散する責任感はないのか、間違っていると指摘がくるだけでもありがたいと思うべき」と噛み付いたりしている。
https://twitter.com/kotnei/status/770846937612324864
百歩譲って少数民族の、かつての歴史での被差別対象についてだから敏感になっている、もしくは半分頭がおかしくなっているというのは分かるが、それにしても態度が悪すぎる。
もうちょっとどうにかならないの?
普通、怖いものは見たくもないはずだ。何故わざわざTwitterで気に入らない言葉を検索して殴りに行くの?それって逆に憎悪になっちゃってない?
みたいなことを書くと、
「私は弱者、だから私が怖かったり傷つくような発言は、誰に向けたものであれどんな意図であれヘイトスピーチだ」
「強者の理想の弱者の押し付けはやめてください。あなたが勝手にやってください。私には関係ない」
とか言い出すんだけどね。今回の燃料投下役のはてこさんとかね。
それって一生平行線だよね。現実問題、それでなんか進んだの?誰からも理解されない独りよがりの全方位攻撃を何年続けるつもりなんだろ。
※ちなみに、オチにする意図ではないのだが、例の糾弾者(今回の件で若者たちからはアイヌおじさんと呼ばれている)は、純粋な日本人であり特にアイヌとは関係がない。
2016/9/9追記
aramaaaa マイノリティはマジョリティの気分を害さないようい抗議しないと聞き届けてもらえませんよというありがたいご提言です。
同じ属性、例えば日本人のおじさん同士だってこれくらいのことは気を使うんだよ。
電車内で携帯電話で通話してる人がいたとして、私たちが「通話はやめてください」って注意をしたいとして。
その時はできるだけ相手に聞き入れてもらえるように穏やかに、不必要に相手を傷つけたり、怒らせたり、追い詰めたりしないように伝える努力をするんだってば。当たり前にね。
いきなり携帯持ってる腕を掴んで「迷惑だと思う人がいるだろう!?お前は想像力がないのか!?」って言って、相手がモゴモゴしてたら携帯取り上げて叩き割るのは違うでしょう。
人間と人間とのコミュニケーションについての話をしてるんだから、そこにマイノリティだの、マジョリティだの、勝手な境界線を持ち込んであちら側こちら側って分けようとするほうがおかしいよ。
でも、もう年中差別のことで頭がいっぱいになっちゃってる人はそこがどうしても譲れなくなっちゃってるんだよね。
これについては、はてこさんの最新記事も本当に悲しかった。もうダメかもって思った。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/09/003414
「それにしたってヘイトスピーチ呼ばわりは行き過ぎだ、穏便に話し合い、理解を深めなければ元も子もない」という意見がたくさんあった。
わたしが思うのはそれを言っていいのは当事者だけで、加害者の子孫が被害者にそれを求めるのははなはだ見当違いだということだ。自分の民族が少数民族を面白半分で揶揄することを野放しにするのは恥ずべきことだと思う。相手を理解する必要があるのは被害者ではなく加害者の方で、自分の立場をあかすことさえ危険な当事者に説明するためのリソースを割けというのは傲慢だ。
「加害者の子孫」って。「自分の民族」って。それってつまり日本語ではてこさんのエントリを読める日本人だからほぼ全ての人だよね。
君たちは全員差別加害者の子孫だから野放しにするな、野放しにするなら同じ加害者民族のお前も同罪だって意見でしょう。これを過激と思わなくなってるのは、反差別のことを書きすぎて感覚が普通の人とかけ離れてしまっていると思う。
そしてやっぱり、「リソースを割けというのは傲慢だ」って話になるんだよね。はあ……。
※ちなみに「理解を深めなければ元も子もない」って主張も最初から理解を深めるべきなのは加害者側ですって意味で、一方的に私刑にするだけでは加害者に理解されないよってことだと思うよ。
※被害者に理解しろなんてどこにも書かれてないはず。はてこさん、最近そういうミスリード増えたよね。。。
更にこの後、
って話が続くんだけど。
ここから先はまた少し違う話。
上で言いたかったこととはまた全然違うから別物として読んでね。
確かにかつてアイヌに差別があったことはみんな歴史の教科書で習ってなんとなくは知ってる。
ナコルルや、ゴールデンカムイや、あとシャーマンキングにもいたよね?アイヌの子。そういったキャラクターで愛されて、少なくとも今の若い日本人達はみんな差別感情は持ってないんだよ。
ニンジャに興味津々な外国人の子供のように、無邪気だよ。それは良い面悪い面あるだろうし、"差別意識が全くない"ことで逆に今回のように元々口の悪いゲーマー達が迂闊で失礼なことを発言するかもしれない。
それがそんなに、悪なんだろうか。
「戦い続けるよ」なんて言われる、倒すべき相手なんだろうか。
今この瞬間オギャアと生まれた赤ちゃんにも、お前は加害者民族の子孫だって教えていくんですか?
なんかはてこさんの主張読んでると、もしかして静かに忘れられることが差別解消の第一歩なんじゃないかって思うことはある。
エタヒニンってなんですか?そんな人いるんですか?僕達みんな一緒じゃないんですか?だってあの子もこの子もみんな友達で、何が違うんですか?って、今の子ども達は本気で思ってるよ。
それを「あそこの家の子は被差別民族の血なのよ。私たちとは違うのよ。私たちは加害者なのよ」って教え続け、また時には迂闊な発言をした子を吊し上げ、それで何が得られるんだろう。
でもはてこさんみたいな人は言い続けるんだよね。知らないほうが悪い。免罪符にするな。ってね。
観測者である自分を量子論から除外してる方がオカルトでしょうが。
ミクロだけでなくマクロにおいても作用されていると考えるのが今の主流科学だから。
シュレディンガーの猫は実在・非実在のゆらぎにあるのは猫だけでなく観測者である自分自身も含まれていることくらい知ってるんだよな。
なら観測者自身も見ている自分と見ていない自分の存在・非存在に分岐されているのに
結果が集約した後はどちらかしか存在しないのはどこで決まったと思う?
ランダムはランダムでしかないんじゃなくてそこに観測者の存在が介在するからこそ結果が1つしか得られなくなる=観測者も参加型の選択権を所持しているってこと。
日の丸の赤というのはまさに暖色の中心の赤。
それを中心に据えながらCool Japanを表現する難しさはデザインを心がけた人間ならすぐに分かることだ。
セレモニー中に使われている暖色は赤のみ。しかも、FF0000と表記したくなるくらい原色の赤。
それに対して、ショーのメインとして使われているのは白黒のモノトーンと、赤の補色に当たるシアンとそれより寒色側に位置する青系のみ。
基本となるモノトーンは、潔さや清潔感を想像させる白、礼儀や誠実さを感じさせる黒という日本の代表的なカラーと言える。
そこにただ寒色系を織り交ぜだだけでは無機質で寒々しいショーになってしまっただろう。
しかし、日本の象徴であり暖色の代表格と言える赤を、さらにテーマカラーではなくアクセントとして時に大胆に用いたことで、内に秘める情熱やたぎるような生命力が見事に表現されていたのだ。
恒星は青くなるほど温度が高くなる。そんなことをも思い出させてくれるような、火傷では済まない熱さが伝わったはずだ。
そのために黄色や緑などの生命感溢れるカラーを徹底的に排除し、それが生命力溢れる原色を前面に押し出すリオのショーに対して真っ向から挑むことになったのは単なる偶然ではないのかもしれない。
リオが押し出したのが生命や自然だったのに対し、マリオやドラえもんなどの非実在キャラクターや都市やテクノロジーなどが存分に登場するムービーがそれを物語っていると言っていいだろう。
多くの観衆や視聴者はこのたった10分間だけのショーを見ただけで、リオオリンピックは過去のものになってしまったと感じたはずだ。
その証拠に、東京五輪セレモニーを挟んだ前と後のショーとでは全く違うものに見えたのはわたしだけではないはずだからだ。
一見挑発ともとれるこの行為は、まさに地球の裏側であり全く文化の異なる国にバトンが渡されたことを意味するには効果が絶大であり、オリンピックが終わった直後であるにも関わらずすでに4年後を期待させるにはこの上ない演出となったと言っていいだろう。
居合わせた観衆や視聴者の誰もが東京五輪に少なかぬ期待を抱いたはずだ。
ここまで大したデザインも勉強したこともなく、ホームページの配色くらいしか担当したことのない人間の妄想だったがいかがだったろうか。
しかしそれよりも何よりも、自らの人生40年を振り返って、まるでその集大成を走馬灯のように見させられたかのようであまりにも感慨深かった。
本当に近頃の商用文化だけでお茶を濁すようなものにならなくてほっとしている。この時代に生まれてよかった。
ただこの考えで行くと、小池百合子氏が選んだ高価なお着物の配色は東京五輪のテーマとはそぐわなくなってしまうのだがこれは何かの暗示だろうか。
NEW GAME! という、美少女しかいないゲーム会社を描く作品がある。
放映開始当初から「働くおっさんたちが過労のあまり幻視している理想の会社」という言説がありまして。
この仮説を裏打ちする根拠は作品全体を通して随所に見られるが、ここでは第七話を例に論証してみるぞい。
何かが待っているのかな?(納期)
強くなれる(圧倒的成長環境)
そう君は1人じゃないよ(失踪するなよ)
Stand up★(朝礼)
何気ないような朝がきた(絶望)
おふとんが いとしいな(出社拒否)
走りだそう(通勤ダッシュ)
……すべて。
楽になりたい。
夢。
おっさんが現実を思い出さないように、肝臓や胃腸検査の話が全く出てこない。
元気が出るお薬。
沖縄出身者の性『阿波根(あはごん)』を笑いのネタにするのはどうかと。
オッサン、ならびにアニメーター(やはりおっさん)はPCを気にする余裕さえなかったのか。
入社して間もないと言っても、いきなり3Dキャラが作れて初任給ももらってる青葉(主人公)が、エラー警告の存在すら知らないというのは考えられない。
おっさんたちは疲れているのだ。
こういう娘をリクルートしてくれ人事。頼むぞい。
さて、後篇である。サブタイトルに「捏造行為が発覚」とはなんとも穏やかではない。
後篇の内容は、池田氏の発言の検証とマウス実験に対する批判が主である。
マウス実験についての指摘内容は、これまた私の指摘と同じなので割愛する。
またそれとは別に、発表資料内で示された図とグラフ(資料ページ59: 自己抗体の沈着の写真とグラフ)はチャンピオンデータによるものではないか、との疑問も呈されている。
確かに、写真は1種類でグラフにエラーバーが無い点からも、疑問を抱くのは妥当であろう。
そして村中氏がその詳細について調べるため、実験を担当したA氏を探し出して取材したところ驚くべき証言が得られた、というところで記事は終わっている。
あとは月刊Wedge7月号を読んでくれという、「続きは映画館で!」的な終わり方であり、少々拍子抜けだ。
その過激なサブタイトルにも関わらず、後篇の記事中では「捏造行為が発覚」していない。
せいぜいチャンピオンデータの使用が示唆されたくらいだが、これも疑義どまりで、とても「発覚」とは言えない。
そもそも、チャンピオンデータの使用は「捏造」と異なる形態の研究不正である(不正と見なされない場合すらある)。
「捏造」はデータそのものをでっちあげる行為であるため、「チャンピオンデータ」のような都合よく選別したデータを示す行為とは明確に区別されるのだ。
このような乏しい情報でもって「捏造が発覚」というような非常に強い表現をするのは、控えめに言ってもやりすぎであろう。
Web記事だけでは片手落ちなので、Wedge本誌の記事についても解説していこう。ええそうです。買いました(\500)。
本文4ページ中、1.5ページは後篇の内容とほぼ同じであったが、Web版を読んでない人には序文として必要であろうから、とやかくは言うまい。
この記事の目玉は、A氏への取材で得た実験内容の詳細および池田氏の捏造行為についてである。
A氏の証言をまとめると
(1) マウス実験はごく初期段階の試験的なもので、使ったマウスも3~5匹程度であった
(2) HPVワクチン以外の血清で緑色蛍光を呈した写真も存在したが、発表資料には採用されなかった
(3) 資料中のグラフ、写真は1匹のマウス(N=1)からのチャンピオンデータであった
(4) 自己抗体が沈着した写真はワクチン接種個体の血清を正常マウスの脳切片に添加して蛍光染色し、撮影したものであった
(5) 自己抗体がワクチン接種個体の脳に沈着していた証拠はない
(6) 血清をとったマウスに接種したワクチンの量は50ul (濃度は不明だがヒト換算で通常接種の100倍以上らしい)
これらの証言を読んでわかるように、A氏の証言を全面的に受け入れたとしても、研究不正に該当しそうな行為はチャンピオンデータを用いた点だけであり、「捏造行為」の存在は見出せない。
村中氏は、証言(2)に対して「重大な捏造である」と断じていたが、チャンピオンデータのみを示す行為が「捏造」でないことは前述の通りである。
また、証言(4)と(5)に対しては、ワクチン接種個体の脳に自己抗体が沈着していたかのようにミスリードしていたという点が批判されていたが、これもまた「捏造」ではない。
つまり、Web版とWedge本誌の記事を通して、池田氏らが「捏造行為」をしたという根拠は一切示されていないことになる。
さらに、記事の最終ページでは池田氏の学長選挙エピソードやその上昇志向といった人格面の描写が過半を占め、最後の結びは以下のような文章であった。
それぞれの立場と動機から捏造に手を染める研究者たち――これが国費を投じた薬害研究班の実態だ。
子宮頸がん罹患リスクを負ったワクチン未接種の少女たちとワクチンに人生を奪われたと苦しむ少女たちの未来は、こんな大人たちの手に委ねられている。
これらの批判、ともすれば中傷は、池田氏らの名誉を著しく傷つけるものであり看過し難い。
捏造というのは、科学者に対する批判としては極めてインパクトの大きい言葉であり、軽々に投げかけて良いものではないのだ。
私は元増田で池田氏らの発表および発言内容を「言い過ぎ」と評したが、村中氏の方が「言い過ぎ」度合いでははるかに上である。
過激で煽情的な表現は、耳目を集める上では有利かもしれないが、それは科学的な議論、批判をするうえではノイズにしかならない。
村中氏の取材や批判の内容そのものは概ね適切であり、あえて過激な言い方をせずとも十分に説得力と訴求力があるはずだ。
Wedge本誌の記事で中核となっているのは明らかにA氏であった。
村中氏の記事によれば、A氏は以下のような来歴を持つ人物のようだ。
であれば、信州大学産科婦人科学教室のメンバーからA氏の正体がわかるかもしれない。
上は現在(2016年6月)公開されているリスト、下がInternet Archiveというサイト(WEB魚拓の凄い版と思ってくれれば良い)に保存されていた2015年10月のメンバーリストである。
信州大学 産婦人科学教室 ― スタッフ紹介(2016年6月現在)
http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-sanfu/about/post_9.html
これらをみると、2015年10月時点で産婦人科学教室に所属している准教授は存在しない。
そのため、A氏が産婦人科学教室に配属されたのは少なくとも2015年10月以降であると考えられる。
しかし、村中氏によるとA氏は2016年4月に転出しているとのことだが、配属からわずか6カ月ほどで転出というのは少し速すぎるように思う。医学系ならそうでもないのだろうか?
さらに、2015年10月より後に教室に配属されたとして、そこから翌年3月の発表までにマウス実験を終わらせるのは少々厳しいのではなかろうか。
もちろん、取材源の秘匿等の理由で記事中には偽の来歴を記していた可能性もあるし、村中氏がこんな嘘をつくメリットも思い浮かばない。
個人的には実在しているように思うが、非実在でも驚かないといった程度に私は認識している。
氏の連載を通して読んでの批評を述べるとすれば、「客観的事実に基づく批判はまっとうであるが、それ以外の部分が煽情的に過ぎる。対立する話者の悪魔化をおこなうべきではない」といったところか。
HLA型にまつわる遺伝子頻度と保有率の取り違え、マウス実験がヒトには適用できない点、チャンピオンデータだけを提示する行為などに対する批判などは妥当なものであった。
しかし、池田氏らの行為について悪意的にとらえ過ぎているきらいがあり、人格面での批判も目につく。
また、池田氏らがマスコミを利用して何かを企んでいる、というような論調が全篇にわたって存在している(タイトルからして「利用される日本の科学報道」である)。
その帰結としてなのか、「捏造」という科学者にとって極めて強力な(したがって非常に強い証拠が必要な)批判を無根拠に突きつけるといった行為にまで及んでいる。
(恐らくこれは村中氏が認識していた「捏造」の定義が間違っていたことに起因するが、それにしても杜撰である)
氏の精力的な取材と情報発信は、HPVワクチンに関して薬害説に傾きがちなマスコミ報道において、貴重なカウンターパートとなっている。
なればこそ、冷静で客観的な表現を心掛けることで、より良き論評ができるのではないだろうか。
願わくは、煽情的な表現は避け、客観的かつ冷静な筆調でもって語っていただきたいところである。
なぜか池田氏らを擁護するような内容になってしまったが、私はそもそも彼らの見解について批判的である。
元増田もそういう意図で書いたし、HPVワクチンの積極的な接種勧奨の再開を望んでいる。
しかしながら、元増田でも述べたとおり、評価すべきところはその立ち位置に関わらず評価すべきであるとも考えている。
村中璃子氏に対しては極めて批判的に論じてしまったが、総評でも書いたとおり、氏の活動は褒むべきものである。
HPVワクチン問題について多くのマスコミはセンセーショナルな薬害説に傾いた立場を取ることが多く、そういった状況で村中氏のような立場から論じてくれるジャーナリストの存在は重要だ。
村中氏については、その立場を応援させていただくとともに、穏当な表現でもって議論してくださることを願ってやまない。
以上、もし間違いや事実誤認等の不備があれば指摘していただけるとありがたい。
というか、マッタク楽しくない。
合コンだの、友達たくさんだの、週に何回も飲み会だの、バーベキューだの旅行だの。
あれ?と言う感じ。
というのも、俺が持っていた「スクールカースト的?」な劣等感なんてなかった。
スクールカーストはあって、俺はそれが『うらやましいもの』と思い込んでたけど。
俺は多分、「なれない」んじゃなくて、「ならなかった」側だったんだわ。
勉強ばっかりしてたから。将来研究医になることしか興味なかったから、そもそも周りに興味なかった。
よく、ドラマとかで王子キャラが、「セバスチャン」的なノリで出てくるけど、あれがリアルだと思う奴はいない。
少女マンガの白馬の王子なんてのも、流石にリアルでいたらアホ。
なぜ信じてしまったのか。
それは、見た目がクソブサメンのチビデブハゲふけ顔だったから。
でもさ、関係ないんだよ。
女からしても男ってそういう動物園の動物なんだよなあ、リア充世界では。
漫画やドラマで見るような、「ウフフ、オホホ」なことは一切無い。
小学生がカードゲームや家でゲームやってる時のほうがよっぽどリア充。
キモオタがコミケで集団で同人買い占めてるけど、あっちのほうがよっぽどリア充。
カースト上位のリア充集団なんて、女は金持ちのペット、男はパズドラ並のクソゲーをやってる気分。
これは、せいぜいパズドラ程度しか楽しめない層のための、ゴミゲーなんだわ。
一方で、キモオタ集団やカードゲーマー、ラブライバーみたいなのが本当の面白さ。
こっちのほうがよっぽどリア充。
なんで、キモオタが馬鹿にされるって、結局女とやれるやれないの差だけ。
女は、結婚とか恋愛で脳みそが馬鹿になってるってか、カワイイとか雰囲気いいみたいなノリじゃないと楽しめないからパズドラばっかりやってるわけ。
女は、『ワンピース』みたいな、まったく戦略もしっかりしてないのにノリや仲間感で敵を倒せたりみたいな、ドキュンノリのファンタジー的なカワイイ系のりしかわからない。カワイイ系ノリで問題解決するわけがないんだけど、『ワンピース』では、カワイイ系ノリの絵で雰囲気だけで話が成立している。
リア充ってのは、そういうワンピースノリそのもの。馬鹿らしい。
一方で、キモオタはスグ文学に走る。文学なんて、学校の図書館でホコリまみれだったでしょ。誰も読まないけど、クッソ面白い。
結局、この程度のものなんだけど。
キモオタは文学的に考えちゃうから、「キモオタ視点のエロ漫画」とかになると、すぐリア充を『勝者、人生楽しんでる』と設定したがる。
二次元絵でメン球やおっぱいを巨大にかいてしまったり、体重を30キロ台に設定してしまうような、極端な抽象化をしてしまう。
ドストエフスキーが『地下室の手記』で劣等感まみれの男を書いたり、『賭博者』ってので女に貢ぐ男を書いたりと煽られたのもある。
とにかく、文学が言うんだし、エロ漫画も読みまくって刺激受けまくって。
「これぞ真実だろう、死ねよリア充。堕胎やいじめを産んでるクソ文化死ね。他人を犠牲にしてリア充とか本当に人間性ねーなバーカ」
と本気で思ってた。
しかし、当のリア充は、「精神的に貧困」な人達ばかりだ。特に女。こんなクソゲーに女はガチでやんないとだめなんだなとアホらしい。
男はこんなんを降りても余裕でキモオタ文化で楽しめるわけで、むしろキモオタ文化のほうが高度なわけだし。
う~ん。劣等感消えましたなあ。
キモオタ文化の抽象化された「リア充うらみ」をそのままトレースして遊んでいたんだなあ俺は。
好きだったアイドルがAV落ちしたときに泣きながらオナニーしてる奴がうらやましくって、そのアイドルがアイドルしてたときの動画を必死に漁りまくってファンだった設定で泣きながらオナニーしてるようなもの。
そして、その、最初の、「アイドルがAV落ちして悲しんでいるオタク」ってのを抽象化して、二次元キャラみたいに物凄い劣等感を抱かせて神格化して。そういう神格化された非実在キモオタをトレースして気持ちよくなってたんだなあ俺は。
舛添要一東京都知事が、出版社社長の氏名を言わないのは、ある意味では当然だと思う。人と人の付き合いには信用が大事だ。もし秘密と約束していたのであれば、それは秘密にしないと信義に関わる。
しかし今、舛添要一の信用は地に落ち、誰からも信用されていない状態だ。東京都民を裏切り、政治家としての矜持を失いただ保身に必死になっている人が、失う信用などない。
舛添要一に守秘義務がある訳ではない。しょせんは口先の約束に過ぎないはずだ。東京都民は裏切れても、出版社社長は裏切れないのか。
私は問いたい。舛添要一にとって、東京都民と出版社社長のどちらが大事だと言うのだ。
まあ、実際にはそんな人はいないのだろうが。
オタクの中にキャラクターへの思いやりに欠けていると感じる扱いをする人たちが一定数いて、それが特に周囲から咎められていないというのが、諸所の問題の引き金になってると思う。
キャラクターをすぐにポルノとして描いて公開したり、このキャラが好きと言って、二次エロ絵を貼ったりする人もいる。
こういう行為って、キャラクターをポルノとして消費しているとしか見られない、見られてもしょうがない行いだと思う。
それはつまり、キャラクターに対して人格を認めてからキャラクターを愛しているという感じを受けない。
オタクの人たちには、それはオタクカルチャーにおける正しい愛の形だという風に捉えている節がある人も見かける。
でも、それってやっぱり欺瞞だと思う。
アニメや漫画やキャラクター文化っていうのは、人間の似姿としての存在を愛でていく営みなのだから、そこには現実の人格が現実の人格を愛するようなやり方の相似が適用されていて然るべきだと思う。程度の差はあるかもしれないけれど。
だから、そういったオタクの人たちの行為を問題にするときに、、各個人が現実においてどれだけ他の存在を慈しめるか、その方法にどれだけ思慮があるかとか、性というものと社会人格との折り合いや線引きをどのようにつけるのかつけないのかとか、個々人がどれだけそれらについて真摯に考えていられるかという、そういったことに波及するのは自然な流れだと思う。
これを人格批判と捉えて、非実在だから単純にポルノとして消費してOK、そういう意見こそ逆に現実と混同している、という展開がよく見られるけれど、これも極端な飛躍だと思う。
そういった捉え方は、オタクカルチャーが社会の模写を一切やめるか、ポルノとして消費する人たちが一切社会と関わらないという前提がないと機能しない。それは現実的ではないし、もっとなだらかなグラデーションを描いて現実と創作物の世界は繋がっている。
だから、オタクの人たちはもう少しポルノの扱いに慎重になるべきだと思うし、自分は既に慎重になっていると思う人は周囲のそういった部分が緩いオタクの人たちに対して、それは良くないという感覚をしっかり伝えて対処すべきだと思う。
仮にオタクカルチャーの実態がポルノでしかないとしたとしても、きちんとポルノとしての振る舞いを身につけないといけないというのは同じことなのだし。
そうやっていかないと、オタクカルチャーは社会的な文脈で力を発揮できないし、それは長期的にはオタク環境にとってマイナスになっていくと思う。
調べてみたら、なんか有名な代表作みたいなのが「要約すると『女児をレイプして捨てながらゆく逃避行』」みたいなことが書いてあってワロタww胸糞悪すぎるわwww
もはやまったく「イエスロリータ」ですらないだろこれ。ダメじゃん。どこがイエスなんだよ。
あと「ハタチなんですけど」のやつも十分美化はされてると思う。切ないだの感動だの、「泣けるエロ漫画」とか紹介されてるし。
ネグレクトっぽいような描写がすごいって、そういうのも結局ちんこの興奮剤を保たせたり味付けするための添加物なんじゃねーのとか思っちまうわ。
何だろ、それ食材にしちゃダメだろみたいな素材を使った料理を、技術力すごい最高に美味いって褒めてるみたいな。違うか。
超有名古典作品『ロリータ』では、真性ロリコンの主人公のハンバート・ハンバートの手記って体裁なのもあって、「ニンフェット最高!我が腰の炎!」っていう、子どもの性的な魅力の強烈さと、ハンバートの「愛」され欲望されることでロリータは傷ついているってことも表現されている。ただ、こいつはハンバートの手記だから、ロリータが傷ついてるって事実自体がハンバートに都合良いような方向に省かれているし、直接ロリータ本人に話を聞くことは(「フィクションの、非実在な人物だから」ではない理由で)出来ないことも明らかになっている。…と、ここまで含んだ作りになっていて、やっと「倫理を問う作品」みたいな感じの議論に耐えるんじゃないか?
エロ漫画とかは大抵そんなレベルにも行ってないじゃん。何つうか、万事が性欲準拠みたいな。
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