2015-11-11

「街で見かけたブラックホール」と「オタク差別

以前、「街で見かけたJK」の絵をツイッターに載せていた人が炎上したことがあった。作者が街で見かけた(らしい)女子の絵が性的タッチで描かれており、そこに矢印で作者の「汗だくでスケスケ!」と言った性的視線コメントが書き込まれているものだ。私も、これは批判されて当然だろうなあ、と思った。

で、その騒動とき、私がツイッターフォローしているエロ漫画家が「街で見かけたブラックホール」という体のネタ絵を描いてツイートしていた。その絵では街中にブラックホールが(なぜか)出現しており、そこに矢印で「時空の歪みが丸見え!」といったコメントが書き込まれものである。明らかに「街で見かけたJK」絵のパロディである

そのちょっと後のこと、「(街で見かけたJK絵への)批判すらネタにするのがオタクにとっての表現の自由なのか」という、オタク批判ツイートを見かけた。そのツイートには、ツイッッターで絵描きアップロードした画像が4つ添えられており、うち3つは「街で見かけたJK」と同様の体で非実在女性性的に描いたパロディ。で、残り1つが「街で見かけたブラックホール」の絵であった。

私は驚いた。他3つの絵は別として、「街で見かけたブラックホール」の絵は、寧ろ「街で見かけたJK」の絵を皮肉っているものだと私は感じていたためである。なぜか街中にブラックホールがあり、そこに「時空の歪みが丸見え!」といった意味不明な細かな注釈をつける。そういう奇妙さが「やたら細かな注釈をつける行為」のグロテスクさを浮き上がらせており、元の絵の異常性をも際立たせている。わたしはそのように感じた。語彙力がないのでうまく表現できないし、ここまで書いたことには私の主観が多分に入り込んでいるであろう(リンクを貼らないのは本記事が無粋なマジレスめいており作者に申し訳ないからである)けど、しかし少なくとも、ブラックホールの絵が「ネタにして」いるのは「街で見かけたJK」絵に対する批判というよりは、「街で見かけたJK」絵(あるいはその作者)そのものではないか?何にせよ、「JK批判ネタにしている」と決めつけるのは偏見に過ぎる。

その「批判ネタにするのがオタクにとっての表現の自由なのか」ツイート賛同するツイートをいくつか見たが、「ブラックホールの絵は別」と指摘している人は誰もいなくて驚いた。しかさらに驚いたことには、「批判ネタにするのが〜」のツイートをした人に「これらの絵はお前らみたいな(街で見かけたJK絵に文句をつける)繊細チンピラに対する揶揄だ」と食ってかかっているバカいたことだ。両方の派閥から批判ネタにしている」と決めつけられているブラックホール絵の作者が、私は気の毒でならなかった。

以上でこの話は終わり、ここから先は蛇足です。

ときどき、「オタク差別」という言葉話題になりますね。そのたびにこれはオタク差別だ、いや違う、だとか、オタク差別など存在しない、いやする、みたいな議論が巻き起こります最近だと、とらのあなヘイト本が置かれていた件のときヘイト本を置かれていたことを指摘するツイートに「死ねオタク」という文言があったことで、そういう議論が巻き起こりました。

この件では、「オタク差別ではない」とする側の中に、死ねオタク、というのはヘイト本を買うようなオタクに対して向けられた言葉であって、あなたオタクであるからといって「死ねよ」という言葉自分に向けられているかのように思うのはおかしい、という趣旨のものがありました。このロジックが適切かどうかは、ここでは論じません。ただ、私自身についていえば確かに、ある種のオタクではあるけれども、普段からオタクは○○(何かネガティヴ意味形容詞)」だとか、「死ねオタク」といった類の文言を見ても、別に自分のことではないと思うようにしていますあくまで私個人の生き方として)。はてなっぽく言えば、「自意識の当たり判定を小さくしている」ということになるでしょうか。(あとついでに言っておくと、それはそれとしてオタクヘイト本愛好者がいることは嫌ですし、とらのあなも本件でなるべく使いたくなくなりました。)

そんな私ですが、ブラックホール絵の人が批判された件に限って言えば、「オタク差別」と呼べるのではないかと思っています。というのも、「街で見かけたJK絵(の作者)をネタにしている」という解釈が可能な絵を見て、「街で見かけたJK作者批判ネタにしている」という正反対解釈確信を持ってしまうのは、「この人はオタクなんだから、同じくオタクである街で見かけたJK作者を擁護しているのだろう」という決めつけによるものだと思うからです。だからオタクにとっての表現の自由って〜」という言い回しをしているのでしょう。(なお、じゃあオタク側で「繊細チンピラに対する揶揄」と主張していたバカは何なんだ、という話になりそうですが、この人は見たところ左翼フェミニスト憎しが行き過ぎた人だったので、それで解釈を誤ったのでしょう……。)さきほど書いた通り、「オタクは○○である」といった言説については、少なくとも「当たり判定を小さくしている」私にとっては別に気にならないのですが、それがこのように「お前はオタクから○○なはずだ」という個人攻撃になってしまうと、当たり判定の問題ではなく、もはやどうしようもありません。

オタク差別」という単語は、時には濫用されることもあります。たとえば、あらゆる「性的消費」を批判しているフェミニスト二次元美少女にまつわる何かを批判したとき、調べもせず「このフェミニストは(他の性的コンテンツ批判せずに)オタク差別をしている」などと主張しだす人が時々いますが、こういうのは「オタク差別概念濫用ですし、こうした濫用は当然、(フェミニストの主張に同意する人もしない人も)どんどん批判していくべきだと思いますしかしそうであればこそ、そういった濫用とは別にオタク差別」という表現が適正な事例もあることを記録しておきたいと思い、こんな文章を書いた次第です。

  • 長くて読めん。 美少女やエロは苦手な人もいるのでほどほどにね、で済むところを長文で反論しちゃうのは 「アニメ・マンガ好き」ってより「オタク気質」な気がするね 自分もエロ...

  • わたしも自分が差別されてると感じたことはほぼないですよ。 あと今回は、別に美少女やエロじゃなくてブラックホールを描いただけの人が怒られてて、その怒られ方がオタク差別とい...

  • わたしも自分が差別されてると感じたことはほぼないですよ。 あと今回は、別に美少女やエロじゃなくてブラックホールを描いただけの人が怒られてて、その怒られ方がオタク差別とい...

  • あの騒動で面白かったのは、批判者のスタンスだと思っている。 ちなみに、私は良いジャンこれくらい、なにムキになってんの?という立ち位置。 ・行為を批判する人 ・絵の内容を批...

  • 大学教授が書く文章ってこういう感じだよなあって久しぶりに思い出した よくもまあ退屈でうんざりする冗長な文章をこんだけ水増しして書けるよなあって意味で 大学教授って一般企業...

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