はてなキーワード: リスボンとは
なんか「大航海時代」って意図的にニュートラルな命名してるの日本だけで世界的には「発見の時代」らしいっすよ、ヨーロッパ中心主義で
https://x.com/cicada3301_kig/status/1801810831396716887
「大航海時代」の名称は、1963年岩波書店にて「大航海時代叢書」を企画していた際、それまでの「地理上の発見」、「大発見時代」(Age of Discovery / Age of Exploration)
といったヨーロッパ人の立場からの見方による名称に対し、新しい視角を持ちたいとの希求から、増田義郎により命名された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Age_of_Discovery
マジレスすると日本が発見されたのは1541年です。リスボン市郊外の「発見のモニュメント」は
大航海時代に新たに発見された国土とその発見年次が刻まれてますが日本については1541年とありますので
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
なんで糖尿病って「糖尿病になると一生治らない。たとえ生活習慣の改善によって薬なしで血糖値を保てるようになったとしてもそれは治ったとは言わない」と言われるんだろう…
薬なしでも症状が出ない間が一定期間続いたなら、それはもう「治った」でいい気がするんだけどな。「治ってない」ではなくて、「一旦は治ったけれど再発した」じゃあ駄目なの?
たとえば癌とかだって手術して患部を取って数年後に再発するなんて事もある訳だけど
その場合はあくまで「再発」であって「治ってない」とは言わないよね?
いや手術とかを伴う疾病じゃなくとも、自分なんかは喘息で一度治療を受けて以後症状は出てないんだけど
この場合今後また症状が出たとしてもそれは「治ってない」ではなくて、「一旦治ったけれど再発した」でいいと思うんだよね
あと、仮に現時点の医療技術では絶対に治らないとしても今後の再生医療の発展などにより根治が望める可能性だってゼロじゃないと思うんだけど。何故絶対に治らないと言い切るんだろうか
糖尿病は治らない治らないってこうも言われると、運動や食事療法による糖尿病の血糖値コントロールが上手くいかない人が多いのって、「糖尿病は治らない」と言い切られる事によって
どんなに頑張っても無駄というスティグマを植え付けられるせいなのでは?
こんな記事もあるみたいだし、「糖尿病は治る」というイメージを伝えてモチベーションを上げさせた方が、患者にとっては有意義だと思うんだけどなあ
https://diamond.jp/articles/-/220441?page=2
「最初に報告されたのは、2017年9月にリスボンで開催された欧州糖尿病学会(EASD)でした。英国のニューカッスル大学のロイ・テイラー教授が、約40年間におよぶ糖尿病研究の集大成として、『肥満のある2型糖尿病の人でも、カロリーを適切に調整した食事と運動を続ければ、糖尿病が“治った”状態を維持できる』と発表したのです。この内容は、医学誌『ブリティッシュ メディカル ジャーナル』にも掲載されています」
https://diamond.jp/articles/-/220441?page=3
それから約2年後の今年9月、「大幅な減量をしなくとも、5年間で体重の10%を減らすだけで、2型糖尿病が寛解し得る」という論文が、同じく英国の研究チームよって発表され、本サイト(10月20日公開記事『過度なダイエットは不要、2型糖尿病は体重を10%減らすだけで改善!?』)でも関連記事が掲載されている。
2017年4月。新卒で入社した会社の内定式。就職活動に失敗した私はこんな会社はなんとして辞めなくてはいけないと入社前から決意していた。
なにせその会社は世間から聞こえはいい会社なものの実態は年間休日104日、残業月70時間以上(残業代が全部つくとは言ってない)で車を一年に一台買わされる(補助はあるが)という私の旅行・車という生きる楽しみを潰しにかかる地獄のような会社だった。
2016年8月に某一般社団法人の最終面接でやらかした自分が恨めしかった。私の就職活動は11月近くまで続き、とうとう内定を得た行きたくない前職に就くしかないと諦めたのは内定者懇談会の後だった。
他にも某黒い猫の会社の子会社にも内定していたが、親の強い勧めに負けるところがあり前職に就いた。ネームバリュー、東証一部上場とかそんなことはどうでも良いと気付くのは就職してからしばらくしてからだった。ネームバリューも東証一部上場も人を幸せにはしてくれない。現時点で私を幸せにするのは休みと旅行と乗り物だった。
誰かがアドバイスをくれても最終的に判断するのは自分で自分の判断を誰かを忖度して曲げてはいけない。自分の人生だ。
前職には本当に就きたくなくて4月に入社式を控えた1月末の午前4時に泣いたのをよく覚えている。
レールから外れることが怖かった私は結局卒論を出して卒業の日を迎えたが、嬉しいものではなかった。
嫌いな仕事だったが社会が転職を許容してくれる年次まではやむを得ず勤めようと丸2年勤めて3年目の冬に転機は訪れた。
転職活動を始めたキッカケはとある写真展だった。MPG写真展という名前のそれは2019年の1月末にあった。半ば強引に連れてきた同僚を乗せて会場の京都へと車を走らせ八坂神社近くのコインパーキングに車を停めた。
会場にはバイクと風景の素晴らしい写真が多数展示されていてこんな写真を撮れるように腕を磨かないと…!と思えてきた。(今年もやるそうです)
出展者の皆さんは所謂ホワイト企業に勤める方が多く、休暇をフル活用して各地に出かける「週末エクストリーマー」の異名を持つ方も居た。世の中にはそんな会社もあるのか…!と希望が湧いてきた。
自分も旅行が大好きな人間だったが、就職してからはどうだろうか?と振り返ってみた。
海外には全く行ってないし国内にも数回しか行ってなかった。余裕がなかった。休日は身体を休めることと家事に追われていた。
そんな「お休み過激派」の私はどんなに仕事をして成果を出しても「お休み」には繋がらないと分かると全く仕事にやる気が出ず、仕事が徐々にテキトーになってきた。
これではマズイと思うこともあったが、「お休み過激派」は止められない。
年間休日104日という少ない「お休み」を改善するには転職しかない。MPG写真展に行った翌日の昼休みには営業車の中から転職エージェントに連絡をしていた。
いざ転職活動を始めるとなかなか忙しいものだった。「お休み」が取れない中で転職活動をしなくてはならない。あらゆる嘘をつき「お休み」を作り出しなんとか面接に臨んだ。いくつかの取引先にもお願いをして「お休み」を無理やり作ったりもした。
転職エージェントとの面談を優先して面談中は絶対に職場、取引先からの連絡には応答しなかった。自分の最優先はこの職場をなんとしても抜け出すことでそれ以外は最早どうでも良いことだった。
仕事に粗が出てきたのか「君がわからない」と上司に言われたことがあった。分かってもらったら非常に困る。
30社以上に書類を出して面接にこぎ着けたのは7社程度だった。
一次面接も5社連続で落ちてかなり落ち込むと同時に受からなければこの会社で働き続けなくてはならないという絶望で頭がおかしくなりそうだった。
そんな中転職活動を始めてから3ヶ月後になんとか内定を貰った。最終面接を受けてから18日後のことだった。
自分の就職活動での失敗を自分で取り返した自分を誇らしく思う。よくやった。ありがとう。
内定を獲得してから30分も経たずにシベリア鉄道旅行の見積もりを取り旅行社に電話をかけていた。絶対行きますなんとかチケットを取ってほしいと電話口で担当の人に言っていた。
新卒入社してから数ヶ月後には転職に伴う旅行計画を策定しおおまかな計画は立てていた。ようやくソレが日の目を見るときが来た。
バンクシーは名前くらいは知ってると思うが、街中に意図のある落書きを残していく匿名のアーティストで、モスクワ・マドリード・リスボン・香港などで100万人以上を動員した展覧会『BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?(バンクシー展 天才か反逆者か)』の日本版がいま横浜のアソビルで開催されている。
この展覧会は、バンクシーが匿名の活動( 言ってしまえば犯罪的な活動もしている )をしていることをいいことに、勝手に開催されているもので、日本はまだリストインしていないがモスクワやラスベガスなどで行われた「BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?」は、バンクシー公式サイトで「FAKE」と指摘されている。
最近バンクシーの展示会が相次いで開催されていることを知っておいてください。 どれも同意の上で開催されたものではなく、これらはアーティストの知識や関与がない組織によるものです。それなりの扱いをお願いします。
https://www.banksy.co.uk/shows.asp
展示されている作品は、バンクシー作品を所有しているコレクターから借りてきて展示しているので、まあだいたいが本物らしい。真贋の確認はされていないが。
(贋作も混ざっているという情報あるので、「贋作が見られるのは本展示会だけ!!」とかいう凄い企画である可能性も高まってきた。これについては後述)
バンクシーも勝手に名前を金儲けに使われて( 作品はオーナーであるコレクターに権利かあるんだろうし、どこに展示されるかは勝手だろうが ) いい迷惑だなと思うが、オリコンニュースのこの記事。
https://twitter.com/oricon/status/1288212393659523072
バンクシー展からオファーがきて江頭2:50の「バンク尻―」もバンクシー展に展示することになったというニュースだ。
すぐにこれは訂正が入っている
【お詫びと訂正】「本家バンクシー側からオファー」と紹介いたしましたが、この展覧会はバンクシー本人無許可のものであるため、表現に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
https://twitter.com/oricon/status/1288312436634710023
恐らく、バンクシー展が本家から認められていないものだとは知らずに江頭側が「本家からオファー」って書いてしまったのだろう。
確認してないのが悪い……とは思えないな。バンクシー展が本家(本人)と無関係なんて思わないもんな…。
バンクシーは、自らの情報を隠して活動しているため世界各地で勝手に「こいつなら訴えてこないだろう」とばかりにグッズが作られてガンガン売られている。
EUで法人を設立して商標管理をしたり(もちろんこれは商業主義の批判のためであって自らのグッズを売るためではないと思われる)、実際には買うことはできないグッズが並んでいる(通りからショーウインドウ越しに商品風の作品を見られる)「店」を出したりして対抗している。
バンクシー展、本人は認めてないわ、バンクシーって書いてあるだけのグッズ作って勝手に売るわ、地味にやりたい放題なの恐ろしい。※画像は拾わせていただきました
https://twitter.com/springcourtykh/status/1239527013452378114?s=19
我らが日本の「バンクシー展」では、本家ロゴを使わず普通のゴシック体のフォントで作ったTシャツやトートバッグを売っているのだ。アツい。アツいぜ。
この「BANKSY」って書かれたトートバッグ持って歩くの、ヤバくないすか!?!?!??
プリントグッズやってる印刷会社のデザイナーが「バンクシー展のグッズのデータ作ってよ」って依頼されて、このデータ作るときに「本家のロゴデータないんですか? 本当にこれでいいんですか?」って言ったと思うんだよなー。泣けるなー。
バンクシーについての本も書いている美術の専門家、鈴木沓子さんのツイートです。
中にはバンクシーの贋作も何点か展示されていたので(添付)、本物と贋作と別の人の作品がいっしょくたに展示している展覧会だということは、もう少し知られてほしい。。
https://twitter.com/gingerhoneytea/status/1288309852222058496?s=19
バンクシー作品かを確認する方法は恐らくバンクシーの商標管理をしている法人の認定を受けるかどうかだけっぽいので、真贋の確認は難しいのだが、専門家がこう言ってるのが本当ならバンクシー展の主催すごいな。
いや、バンクシーが有名になってるしちょっと儲けてやろうってくらいで、ここまで徹底的にやれなくない?
どうなってるの???
最近はBuzzFeedジャパンや、Business Insider Japanと並んでジャーナリズム魂のあるメディアとして(俺の中で)話題のウェブ版「美術手帖」さん、いまこそこれを記事にしてくださいよ。
コタツ記事じゃなくて、中の人に意図を聞いてくるとか、バンクシー関連の専門家の意見までまとめるくらいのやつ。
この増田はそれを読みたくて書きました。届け、この想い。
ロンドン:ベタだが名所多数。ビッグベン、バッキンガム、セントポール、ウエストミンスター、ロンドン塔、タワーブリッジ、大英、ナショナル、ハロッズ等々。
マンチェスター:何もねえ
リバプール:何もねえ
カーディフ:何もねえ
エディンバラ:何もねえ
グラスゴー:何もねえ
パリ:治安最悪、汚ねえ。でもルーブル、オルセー最高。エッフェル塔、凱旋門、ノートルダムは焼けたけど、ヴェルサイユ、モンマルトル、シャンゼリゼ、く、悔しいけど好き。
モンサン:遠い
マルセイユ:汚ねえ
ボルドー:最高
トゥールーズ:汚ねえ
カルカッソンヌ:広い城だけ
ニース:最高
カンヌ:まあまあ
ベルリン:壁壁壁
フランク:何もねえ
ミュンヘン:オクトーバーフェスト、クリスマス、季節だけかよ。ノイッシュ。
ハンブルグ:何もねえ
飯は肉しかないのかよ!
ミラノ:最高
ローマ:汚ねえ
フィレンツェ:最高
ヴェネツィア:最高
ナポリ:汚ねえ
シチリア:最高
ジェノバ:何もねえ
トリノ:何もねえ
ピサ:塔
アマルフィ:最高
チンクエテッレ:最高
マドリー:バルセロナの後だと今ひとつもレベルは高い。プラド、ピカソ。
セビーリャ:最高
マラガ:最高
グラナダ:最高
コルドバ:最高
ビルバオ:何もねえ
サンセバスティアン:飯最高
飯:ウマーーー!
飯:ウマーーー!
チューリヒ:何もねえ
ベルン:何もねえ
山:最高最高!!!!!
オスロ:何もねえ
ストックホルム:何もねえ
飯:ミートボールは大して名物じゃなかった。黄色にはめられた?
ヘルシンキ:何もねえ
ロッテルダム:何もねえ
飯イマイチ
ブルージュ:綺麗だけど何もねえ
モナコ:綺麗だけど何もねえ
チェコ:
ワルシャワ:何もねえ
アテネ:最高
ミコノス:最高
サントリーニ:最高
飯は素材を生かせればまあ、という感じ。
ドブロブニク:最高
オーストリア | プリンツ・オイゲン(1663-1736) | オーストリアの名将。元はフランス貴族だが、軍人としてハプスブルク家に仕え、祖国フランスと戦い続けることになる。オスマン帝国との戦いでその西進を挫き、スペイン継承戦争においてはイングランドのマールバラ公と共に大活躍をした。 |
スイス | ウィリアム・テル(?-?) | スイス建国の英雄として知られる。オーストリアの代官に強いられて息子の頭に置かれた林檎を射抜き、後にその代官を射殺したことで、それがリュトリの誓いに始まるスイス独立運動へとつながったという。ほぼ確実に架空の人物だが、スイス国民が実在を信じているならそれでいいのだ。 |
スロバキア | ユライ・ヤーノシーク(1688-1713) | 伝説的な義賊。山間で商人や聖職者などの金持ちから金品を奪い、それを土地の貧民や有力者たちに渡していた。有力者は見返りにヤーノシークを守っていたという。やがて捕らえられ処刑されたが、民族意識の高まりと共に支配者への抵抗の象徴と見なされるようになった。 |
チェコ | ヴァーツラフ1世(907-935) | ボヘミア公。敬虔な信徒として、チェコのキリスト教化を積極的に推し進め、また神聖ローマ帝国に臣従して外圧を緩和した。キリスト教に反対する貴族たちによって暗殺されたが、その死の前後にさまざまな奇跡が起こったという。 |
ハンガリー | マーチャーシュ一世 | 反オスマンの英雄フニャディ・ヤーノシュの息子。ハンガリー王に選出されると、領土としては最大版図を、文化としてはルネサンスをもたらし、ハンガリーの最盛期を築き上げた。水戸黄門のような廻国漫遊譚があるらしい。 |
ポーランド | ヤン三世ソビエスキ(1629-1696) | 若い頃から各地で戦功を重ね、国民的人気を得たことで自由選挙によって王に選出された。オーストリアの首都ウィーンを包囲していたオスマン帝国の大軍を、かの有翼重装騎兵フサリア3000騎の中央突破によってさんざんに打ち破り、ヨーロッパの守護者として大きな名声を得た。 |
オランダ | ウィレム一世(1533-1584) | オラニエ公。ハプスブルク家の支配下にあったオランダの貴族だったが、カトリックへの強制改宗に反発して起きた独立戦争においてその反乱の中心となる。「海乞食」と呼ばれる船団を率いて港湾都市をゲリラ的に襲って勢力を拡大、事実上の独立を果たしたものの、戦争が続くなかで暗殺された。 |
ベルギー | アンビオリクス(?-?) | ガリアに住むベルガエ人の一部族、エブロネス族の王。「アドゥアトゥカの戦い」において、カエサルの麾下にあったローマの一個軍団を、谷に誘い込んで殲滅した。カエサルにとってはガリア戦争における最大の痛手となり、その後の反撃でエブロネス族の土地を占領したものの、とうとうアンビオリクスを捕らえることはできなかった。ウェルキンゲトリクスと似た扱いで、ガリアの自由を求めた英雄とされる。 |
ルクセンブルク | ヨハン盲目王(1296-1346) | ボヘミア王およびルクセンブルク伯。晩年には病を得て盲目になりながら、百年戦争の激戦「クレシーの戦い」に参戦して壮絶な討ち死にを遂げた。ルクセンブルクでは国を発展させた名君として評価が高いが、チェコでは戦争ばかりで領地に戻ってこなかった王として人気がないという。 |
ドイツ | ビスマルク(1815-1898) | プロイセン王国首相。普墺戦争・普仏戦争に勝利してドイツを統一し、外交でもフランスを封じ込めて欧州の均衡を保った。その豪腕ぶりから「鉄血宰相」の異名を取る。他の候補はオットー大帝、バルバロッサ、フリードリヒ大王あたりか。 |
フランス | ナポレオン・ボナパルト(1769-1821) | 言わずと知れたフランス皇帝。他の候補はカール大帝、ジャンヌ・ダルク、ド・ゴールあたりか。ちなみにカール大帝はドイツでも人気だけど出生地はベルギーが最有力らしい。 |
スペイン | エル・シッド(1045-1099) | 本名はロドリゴ・ディアス。通称はアラビア語の「アル・サイイド」に由来する。カスティーリャ王国のアルフォンソ6世のもと数々の戦いで活躍し、王によって追放されたあともバレンシアを征服するなど、レコンキスタの英雄として勇名を馳せた。後に叙事詩に歌われた。 |
ポルトガル | アフォンソ1世(1109-1185) | 初代ポルトガル王。伝説的な「オーリッケの戦い」でムラービト朝の大軍を寡兵で撃破し名声を得た。主君筋であるカスティーリャ王国と対立した後、和解して独立した。イベリア半島のイスラム勢力と戦いながら領土を広げ、リスボンまで占領した。 |
イタリア | ジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882) | 南米でウルグアイの「大戦争」に参加し、そこでゲリラ戦術を身につけた。オーストリアの支配のもと、統一の機運が高まるイタリアにおいて「赤シャツ隊」と呼ばれる義勇軍を結成、シチリアと南イタリアを占領すると、そのままサルデーニャ王国に献上。イタリア統一に大きく貢献した。その後も何度か軍を率いて決起しつつも、政治にはほとんど関わらないまま隠遁生活を送った。 |
過去の私は何をしていただろうか。
十年前、私はエル・プラットに降り立っていた。仕事上の出張と言い訳したが、目的はあの彼女に会うためだった。
アナベル。
空港から街までのタクシーは、当時カタロニア語を解さない自分には物珍しかった事を記憶している。
運転手はコロンブ、コロンとアジア系の私を見ながら笑顔で塔の人物を指差していた。すぐに理解できなかったが、それはコロンブスの像であろうとは想像がついた。
コロンブスは私の記憶ではジェノバの出身であり、リスボン時代があったことまでは理解していたが、彼が当時のカタロニアにどのような関わりがあったのか、その場では分からず不思議に思ったものだった。
タクシーは、それがまるで南欧そのものであるかのような眩しい太陽を受けながら、ホテルとへと私を連れて行った。
バルセロナは街は計画された美しい都市であった。そして今もその姿は変わらないだろう。
その街はオリンピックやアントニオ・ガウディなどで有名である事は既に知っていたが、そういった一画とは対照的に、市内の一部の通りでは、服飾を扱う中国からの貿易商で溢れており、その姿が往年の歴史、そして地中海の今も変わらぬ姿を教えてくれるには充分であった。
私は彼ら貿易商達の傍らを通り過ぎながら、アナベルに会えることが待ち遠して仕方がなかった。
携帯で彼女に到着を知らせると、すぐに「会いたかった」の返事が返ってきた。
(続)
嬉しかったです。続きです。
ガチガチのシューター系A+です。その他のブキの人はすみません。
http://anond.hatelabo.jp/20150727154851
==
■シオノメ
苦手なので長くなる。
・キルスポット
→ 対通路だけなら、手前の柱を登った細い高台が有利
→ 突進するときは、端っこギリの落ちるスレスレを狙うと途中で詰まらなくてうまく行く気がする。
→ 何度も書くけど基本殴り合い。
→ 先手必勝。
→ラスト30秒に北からガチ勢が降ってくるので、怖い人は自陣側の高台で待っとくと広場をウンマーできる。
・エリア
開始
・味方のブキ構成を見て立ち回りを少しだけ変える。
→通路へダッシュ
→多分逃げようとしても反転が間に合ってない。
→撃ち合い
→ボムをポイー。→一緒に突進→爆発!→相手がアタフタしてるので倒せる、最悪相撃ちになる。
→相手にローラーがいたらバシンてされる。
→相手が重めのシューターの場合は、初回の撃ち合いでは引き目。
→助走中に倒すくらいのインクは補充できるよ。
→下の通路を視界端でチェックする。
→ 裏取りマン発見。
→テンプレここまで。
→上から降ってくるローラーの恐怖。広場へ登れる柱を2つを塗る
→うまく通路のシューター勢を手前に釣れるとローラーさんが潰してくれるか恵みの雨を降らす。
→ナイス連打。
→柱を塗るのうまいので塗らない。
→通路の中央入口横の壁を塗ってエリアに入り時間稼ぎ役を買って出る。
→柱を撃つときはオブジェクトで射撃をガードするのを意識するといい感じ。
→たまに相手の早足ローラーが奥に走ってるので、満面の笑みでキル。ホッホッホッ。
→自陣通路から正面入口を狙うリッターが相手にいたら、オブジェクトに隠れましょ。
→正直あんま怖くない。
→確保されたら無理。
→ 「1人2殺がノルマな。」スタートダッシュ。広場通路を攻略できたら相手側高台の裏を確保してリスボン地点で嫌がらせして時間稼ぎ。
→遠投を積んでいると通路側の高台から相手の降り口へクイックボムで攻撃できる。
→着地点を塗ると、入り口で足を止めるので高台からRボタン連打してアボン。
→たぶん相当恨まれる。
→ 肉ビーコンをご所望のようだ。
→ 味方が何人デスしてるか確認して北へ走るか検討すべしおすし。
・味方が裏取りに走った!!
→ ブラスターとローラーは最初不利っぽいし許す。いってらっしゃい。
■確保された。
→柱を登ってチョロチョロ → 釣れたイカさんをダイブキル → エリア侵入 → 入口を通って通路側へダッシュ、敵の通路確保マンをかき乱す。
→侵入できないほどガチガチに固められたら、畜生と叫んでボムを入口近くに投げておいて通路側へダイブ。上から通路確保勢に八つ当たり。
→通路がとれたら3パターンの攻め。
1. 通路からX字にインクを投げ込みまくって導線を開ける → 隙があれば突進。 →入り口を通るときに置きボムして追跡できないようにする。
2. 通路側の壁を塗って、広場壁に起立。 → ボーッとしてる相手がいたらパパパボシュン → 中央高台にジャンプ → 後は臨機応変。
→本物の猛者はクイックボム連打して突進する。
→後ろにたっぷり引いてて手出しできなかったイカちゃんが怒り顔になって近づいてくるよ。
→ 確保されてる小山への突進は、相手が小山端の通路にヌーって行くと結構な割合でまけるので絶対やらない。
→ 実際、私も守りが一人になったら、猛烈に逃げて、助けてカモン連打する。
→降り立つダイナモ神の神々しさ。まじゴット。ゴットダイナモ。
→ 自陣側の柱に登ると向こう側の様子がまるわかり。
→ 真下までインクを塗れればスピード勝負。(ズシャッ ババー!)
確保時
→ チャージャーさんはお芋さんにならずに高台移動して通路側の攻撃も対応してもらえるとマジイケメン。
→ 移動を頑張ってるんだしチャージャーさんの命1つくらいあげる。(さっきまでそいつ敵だったし。)
→ 最初に裏取りしてくるイカは確保されたら、裏取りもっかいしてくるよ!
→ たまにダイナモが裏取りしようとして下からインクが見えてすごく面白い。
→ 攻めが大人しい気がしたら嵐の前触れ。
■ヤグラ
・ 敵に確保された
・ 取り返した
→ 余裕があれば、高台への柱を塗っておくと制圧を逃したときのリカバリが容易。
→スペシャルを使うならここ。
→ インクバシバシ相手に顔を出させない(照準をつけさせない)
→ 下りに入ってからはインク補充の暇がないのでボムはなるべく使わない。
→ ガード陣は、ヤグラから少し離れて2キル目標に動くと2ターン目で制圧しやすい。
→一人目でゴールまで行けることはかなり稀なので割り切って囮にする。
→ごめん。でも、生贄こそが真の勇者だ。
→丁寧に書く。勇者が死んでヤグラに飛ぶ前にリスボン地点にいるイカを倒さないと
進められないので囮がいるうちに倒しに行く。
・キルスポット
自陣側の壁を塗って戻ろうとしてはいけない。
→窪みの壁を塗りまくると奇襲がポンポンきまるよ。
→逆に、自陣側で前に出ると壁に張り付いたイカに奇襲をうけるので、適当にボムを転がししながら左の坂道と右の坂道を塗って前進を妨げる。
・そのほか
→中央の窪み部分の壁を意識的に塗るとローラーさんイッキイキ。敵陣前の右側のガードレールを優先して塗る。
→事故が起こりまくるので自陣側が塗られてたら、塗り替えす。
・エリア
キルはあまり取れないけどなんとなく投げとく。(そーい!)
→ そんなこんなやってると右側の坂から凸してくるイカがチラ見できるのでジャンプ突進すると大体倒せる。
→ 坂なので相手は引くとインクが届きにくくなる。
ボム投げる → チャージャー逃げる →壁塗って突進 → チャージャークイックボム乱舞 → いったん逃げてもう一回コンニチワ(ニッコリ) → 大人しくなったチャージャーにバシバシ。
→できると良いけど、大体壁に登る余裕がないので、スパショ確殺。
→スパショは縦照準を気にしないで良いので
・ヤグラ
→守りで高台に行けない場合は、広場のスペースを塗りまくった後に、壁にある自販機の上で待機をおすすめ。
ヤグラと高さが同じくらい。ヤグラに複数のイカが乗ってることが多く虚をついて全倒しできる。
→攻めの人は左か正面に夢中でボーナスステージ状態。
→ スペシャルがない場合は左側に逃げると高台から死角になって落ち着いて行動できる。
→ ヤグラが昇ったら高台にジャンプ。2人着地できたら勝ち確。
・ヤグラでの中央広場は、ライン上ランナーが非常に多いので外周走行を心がけるとやられにくいよ!
■ホッケ
・キルスポット
左右から狙われること、狙えることを頭に入れとくと立ち回りしやすい。
・地道に網の目を塗って、異変を感じとれるようにしとく。
・進入は左右の通路
→気にするの片側だけ!
・エリア
通路前にボムを投げて敵を引かせつつ、通路とガチエリアにあるオブジェクトへの道をつくると味方が進軍してくれる。
→うまく行かなそうだったらいったん引いてカモン連打。
味方2人がエリアに流れ込めると何とかなることが多い。
→難しそうであれば敵エリア確保マンになる。置きボムして逃げ。→相手エリアの角につくまで絶対振り返らない。
・確保中は敵陣で分散して守る。
→味方イカ「ぬわー!」 残骸インクでジタバタ。私「ぬわー!」これが最悪。
・ヤグラ
左右の通路を確保できるとみんなが奇襲しまくるはず。
→ガチエリア用広場の相手から見た死角にビーコンがあると惚れる。
→攻めは、左通路の上に入り込めると有利。
→死亡確率80%(あっひょ)
→登れかった場合はヤグラと反対側に進む。
→裏取り狙うマン退治をしつつ守りイカの裏取り。
→ゾンビアタックの応酬になるので、少し引いた位置のビーコンが強い。
ヤグラ勇者になる場合は、反復カニ歩きでフルオートしてるとA帯でも2体ぐらいは安定して狩れる。
→最後の直線に入られたらゾンビアタックの餌食になるので正面からは無理。
→攻め側のほうがヤグラが高台だしスペシャルゲージあるしで有利すぎる。
■ネギトロ
・キルスポット
→人数が多いほうが勝つ。
→十時の高台に登って振り下ろし撃ち → 逃げ →自陣側でパパパ → 追い詰められる→自陣側台座裏の壁に逃走→出たり引いたり潜伏からの不意打ちしたりして時間稼ぎ
→しょっぱな裏取りやめろ。やめてくれ。
→2人以上裏取りにいったらむしろ付いていく。
→裏返ったァッッ!ガチエリア復活ッ!(×8)
→長距離強すぎ。
ガロンやジェットに高台からシャーシャーやられるだけで負けかねない。
→退治無理。スパショ。
→ひたすらカニ歩き撃ち。
→内側は裏取りに対応できない。
→相手の立ち位置もテンプレなので、真ん中にたってのスパショが鬼。
→逃げ道の壁は塗っとく。
→相手が片方に寄ったら反対側から進入する。
→守りの左、攻めの右
→相手にヤグラ取られた瞬間なら対応できるので、最初は右側進行のほうが好み。
→ヤグラに乗って壁を登る瞬間は13階段。無理せず降りようね。いのちをだいじに。
→絶対殺すマンのときは、壁を登ったら右側にグッっと進んで広間を塗ると超有利。
→最後の押し込みはスペシャルが無いとこじ開けるのかなり難しい。
→仕方がないのでヤグラの壁に張り付いて勇者が屠られたら、実は私もいるよー!ってダメ押す。
→それか左か下に進んで肉ビーコン。
→カオスに巻き込まれるとインクに潜れずセルフ煽りイカになってる間に試合が終わる。
→撃ち合いには付き合わない。
→上に行けなかったら、発射ボタンを押したままイカセンプク移動を小刻みにやる。
→撃ってりゃ当たるくらい込み入ってる。
→「はいはい、そこ通りますよー。」って後ろからフルオートで駆け抜ける。
→ほんで、「やっぱ、やめますよー。」って逃げる。
→ナワバリで遊んでて初心者イカに不意をつかれるあの感じ。少しほんわか。
■モズク
・キルスポット
→でも居座るとやられる。
→移動にだけ使うと奇襲の起点として優秀。
・エリア
→正面に入る場合は左の味方に合流する。
→突入後正面に向かうと塗られていない中での撃ち合いなのでかなりリスキー。
→それでも勝てる猛者がたまにいるので恐ろしい。
取り返すのがかなり難しいので丁寧にいく。
→絶対1人で突進しない。味方の復活を待つ。
→ダイナモ神がいれば金魚の糞戦法。なんとでも言え。ウンコマンだけはやめろ。(増田成分)
→左から入ったら右に進む→高台の死角を活用して正面口の味方と合流。
→なんか左からは無理っぽい!
→右の裏取りルートに進入してカモン100連打。
しっかり守るだけー 以上。
・ ヤグラ
不意打ちできる可能性がグンと増えて撃ち勝てる
- 攻め
→広場に入る前に金網から撃つマンが絶対現れるのでヤグラがない方向から撃つ。
→相手はヤグラ見てるので、危険なく倒せる。
→最後の広場に差し掛かる前に壁から爆弾を降らすと1イカ倒せる。
→爆弾でボンか、通路に炙り出し。
→最後の押し込みまで行けたらスパショ。正面だけでなくて横にも絶対撃つ。
→押し込み失敗するときは正面からの攻撃じゃなくて横からの奇襲ってことに気づいたとき世界が変わる。
→坂にダイナモ神がいると背筋が凍って息を飲む。(ハァッ....マンメンミィ。)
→最後の押し込みに乗り遅れたらヤグラに乗ろうとせずにポテトマンからの肉ビーコン。
- 守り
→とにかく真正面だけはやめる。→斜め前でも良いから真正面だけはやめる。
→高台めざしましょ。中央高台、金網(歩ける位置までいっちゃダメ)
イカよろしくー。
自分は旅行が趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、
極めて非効率な気がする。
例えば北海道であれば、札幌のウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、
もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから、毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。
だから例えば
てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、
体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。
「休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。
「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、
「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。
「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、
それを「ハシゴ」する。
ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本・世界都市の主要スポットを訪問できるような
65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。
A期間=4月10日~4月25日
B期間=5月15日~7月15日
C期間=9月1日~10月31日
D期間=11月15日~12月15日
E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)
65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇
66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇
66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇
67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇
67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇
68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇
68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部・ネパール等を制覇
69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアやハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇
69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇
69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇
70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇
70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇
70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇
70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇
71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇
71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇
71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇
71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇
72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)
72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇
72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇
72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇
73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇
73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇
・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている
・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。
・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。
確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?
・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、
1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。
・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、
その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州・中四国・韓国・中国を旅行しまくる、というのもいいかも。
・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。
・東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合、カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。
100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。
2000年代の世界経済史の著作の中でも、最も重要なものの1つで、バーンスタイン「豊かさの誕生」やJ.サックス「貧困の終焉」のネタ本としても知られる(アマゾン情報)。その最大の特徴は1000年以上に及ぶ人類の歴史を膨大な”統計データ”によって叙述していること。これだけの情報を集めるのに一体何十年かかるのか。著者の労力を想像するともはや”スゴ本”なんて生易しいレベルではない。「経済統計で見る世界経済2000年史」という名前で柏書房から出版されてもいるが、現在は絶版である。以下,ポイントを列挙する。
・世界経済(システム)が数字の上で本格的に動き出したのは「17世紀」。
東西貿易が量、品目ともに拡大し、ヨーロッパ諸国からアジアへ向かう船便数は、16~18世紀の間に4倍へ。
その数はさらに、18~19世紀の間も2倍へ膨れ上がった(p65)。
産業革命が浸透した19世紀をすぎるまで待たなければならなかった。
1000年から1800年までの西欧諸国の一人当たり
年平均GDP成長率はわずか0.1%台だった。
一方で1820年以降は1%を超えて急成長する(p265)。
かつて技術、文明で世界をリードしていた中国の一人当たりGDPは14世紀にはヨーロッパに抜きさられている(p44)。
しかしそんなアジア諸国の例外が日本だ。江戸時代の安定政治のもと、
都市の衛生にも気を配り、着実に豊かさを増していった。
明治維新が起こる前の19世紀の前半には、日本は1人当たり所得で中国を追い越していた(p264)。
(別の言い方をすれば中国は20世紀に入るまでの過去1000年、ほとんど経済成長がなかった)
また、日本に関して付言すれば、世界が歴史上もっとも高いGDP成長率を謳歌した1950~73年("Golden Age")
の期間中でも群を抜いて成長率が高かった(年間8% 世界平均は2.9% p126)。
・ただ人口については、西暦以来一貫してアジアが西欧を凌駕し続け、その差も拡大している。
本書によれば地理的にインドと中国が世界人口のツートップである構図は、西暦が始まった頃から変わっていない。西暦0年の時点で、すでに中国の人口は5000万人を超え、1500年を過ぎるころには1億人を突破していた。中国の人口はそのれからさらに、2度の人口爆発を経験した。1つは18~19世紀初頭の100年で、1.3億人から3.8億人へ3倍に爆発。2回目は20世紀後半、50年弱で5億人強から12億人へ爆発した。それぞれの時期について、西欧諸国の人口合算と比べると、1000年~1500年の間はだいたい2対1。19世紀~20世紀には3対1の比率だ。つまり、中国はほとんど所得成長がなくても、人口だけは西欧をこえるスピードで拡大してきた計算になる。同じ議論を、インドについても当てはめることができる。
【その他、気になったことなど】
・16世機~17世紀にかけて、欧州最大の都市はナポリ(281000人,AC1600)で、
18世紀~19世紀にロンドン(865000人,AC1800)へと移り変わる。意外と
・第二次大戦前と大戦後で、西欧諸国は移民の排出元から流入先へと転換した(p128)
1870-1949までのうちに1800万人がアメリカなどへ移住した。
しかし、1950年以降1998年に至るまで逆に2000万人移民を受け入れている。
・人類の歴史に負の人口ショックを与えてきた3大要素として、マクニールなどの研究も参照しつつ「飢饉、病原菌、戦争」とおいている。西洋とそれ以外の発展の違いについては、「いかに」の部分は定量的にかなり明快に記述しているが、「なぜ」に言及した部分はあまり目立たない。その意味で本書は、記述が西洋寄りという意味で西洋中心的ではあるものの、発展の原因を西洋的なものに限定していたかどうかは議論の余地がある。
・人口、所得、実物取引などのデータについては各国別の詳しい時系列がある一方で、金融関連や価格のデータが少なかった。それと、主要地域における経済発展の速度の違いがメインテーマに上げているのならば、それぞれの都市と農村との関係がどう変化したかにも踏み込む必要があると思った。欲張りすぎか
「勝ち組」の代表格に勝間和代という人がいる。いや、別にこの人だけを槍玉に挙げるつもりはないのだが、あまりにもわかりやすかったので。
やたらとポジティブな自己啓発書を次々と出しておられる方だが、やっぱりこういう人だったか。以下の記事の末尾を参照。
座右の銘は、「起きたことはすべて正しい」。
来たよ来たよ。要するに "This is the best of all possibile worlds" というやつですな。何百年も前に使い古された「最善説」というやつです。本を月に何十冊も読む(上記記事参照)のなら当然ヴォルテール「カンディード」なんて小説なんかも読んでるんだろうね。フランスなんかだと古典の教科書として国語の授業で教えられるような本ですよ。もう一度読みなおすことをお勧めしますよ。この方が既に以前に指摘していることですが、もう一度書かねばなるまい。
この「カンディード」という小説のなかにこんなくだりが出てくる。d:id:hokusyu:20080112から孫引き。
ジャックという商人の、戦争や財産を巡る争いを見るに人間は自然を堕落させたのではないか、という質問に、パングロスはこう答えます。
「そうしたことはすべて必要不可欠だった」と片目の博士はすかさず言い返した。「個々の不孝は全体の幸福をつくり出す。それゆえに、個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善なのだ」
ちなみにジャックはリスボン沖で溺死するのですが、パングロスは「リスボン沖の停泊地はあの再洗礼派の男(ジャック)が溺死するように特別につくられたのだと証明」するのです。
もはや説明は不要であろう。これほど「勝ち組」のネオリベ思想を的確に風刺した表現はそうないのではないのだろうか。
ちなみにこの「カンディード」という小説は、このパングロスを天才的哲学者と信じて馬鹿正直に信じたカンディードという純朴な青年が、世の不条理と師の教えの間の葛藤と戦いつつ、幾多の悲惨な体験を乗り越えて精神的自立を達成するに至るまでの物語、というわけなのだが、この小説が書かれたのは二百五十年前なのである。努力によって自分を向上させることが大好きな「勝ち組」の頭の中身というのは、どうやら二百五十年間進歩しないものらしい。
さて、上に引用したくだりをもう一度読みかえした上で、ロスジェネに関するこれにはじまる話題、たとえばこれとかこれを読みかえしてみてほしい。あまりにもこの小説と構図が似ていないだろうか。このような形で見せられれば誰でも、「自己啓発」の限界と馬鹿馬鹿しさに気付くのではないか。結局「自己啓発」というのは世の中の仕組みを全て肯定して不問に付した上で「全ては自分次第でどうにでもなる」という、あまりにもナイーブな思想なのだ。もうそろそろいい加減そのことにみんな気付いてもいいのではないか。
この小説の結論では次のようなことが語られる。あまりにも単純で、まともな大人なら誰でもわかっているはずのことだ。
正直者が報われるとは限らない、全てが必要不可欠で正しいなんてことはあり得ない。世の中は理不尽で満ち溢れている、しかしその中で自分なりに細々と努力して生きていくことこそが唯一の「人生を耐えられるものにする手立て」だということだ。そして、そのことについて他人がどう論評しようとも、すべてはどうでもよいことなのだと。
言いかえれば、「自己責任」だとか「自己権利」なんてものはどこにも存在しないのだ。健康と環境と才能と努力と時の運、それらを全て兼ね備えたときにだけ「成功」ができるし、「責任」があるとすればその「努力」の部分だけだ。それに、その「努力」さえも、「健康」と「環境」がなければどうすることもできなかったりするものでもある。その辺の複雑なことは自分にしかわからない。一般的に「負け組は努力が足りないから自己責任」なんてことが言えるはずもないのだ。
なんでその程度の平凡な理屈が誰の口からも出てこないのだろう?自己啓発自己啓発といって騒いでいるはてな民は、自分の努力だけでなんでも解決できると思ってるのだろうか。だとしたら随分、挫折を知らないお坊ちゃんお嬢ちゃんだとしか言いようがないのだが。
ちなみに「ルサンチマン乙」と言われないために言っておくが、俺自身はどちらかというと「勝ち組」に属する人間だし、才能のない俺にとっては努力だけが切り札だったことは理解しているつもりだ。しかしそれでもなお、いやそれだからこそ、努力だけで全てが解決できるなんて素朴すぎる発想にはとてもついていけないのだ。