はてなキーワード: ロスジェネとは
氷河期が悲惨なことの一つに、すぐ上の世代がバブルだったことがあると思っている
奴らの就職活動は引くて数多、大手なんかだと囲い込みで別荘や旅行にまで招待されるような状況だった
同じ努力をしても結果がまるで違うどころか、成績やポートフォリオや資格取得に相当の努力をしたこちらより
確実に努力の量が劣る遊び呆けてた連中の方があっさり就職が決まってた
就職氷河期が努力が足りないって言われるのは腹が立つが、もっと腹が立つのは同じような努力でも時代で全然結果が違うことだ
そして俺らの就職活動では早けりゃバブル期で入社したやつやバブル期の就活生に鬱憤溜まってたやつが面接官
バブル世代のツケをいつまでも払い続けなければならないほんとうにロスジェネって言葉がぴったりだよ俺らは
かつてトー横ビブ横ドン横池公グリ下警固界隈で少女買春を繰り返しfc2-ppvでその動画を売り捌いて暴利を貪り私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の生徒の怒りを買って殺されかけた経験のある奥飛騨膣襞襞研究センター所長膣川膣男が開発した対セルフクンニ軟体開発女学院専用殺人潮吹き封印貞操帯が完成を間近に控えており官邸経由でこの拘束具をセルフクンニ軟体開発女学院に在籍する全ての女生徒に装着することを義務付ける法案を通すことで殺人潮吹きの脅威から自らを含む児童買春キモおぢ共を守護り天皇を中心とする美しい神の国であるこの日本をいい歳こいてマンガアニメゲーム特撮アイドル程度しか理解出来ないロリペドミソウヨロスジェネチー牛が闊歩する地獄へと変貌させようという狙いがあると思われその思惑がセルフクンニ軟体開発女学院生徒1919人全ての逆鱗に触れ奥飛騨膣襞襞研究センターは壊滅すべきではという意見が100%を占めた為第92セルフクンニ特殊空挺部隊を含めた当女学院きっての優等生が本件の暗殺部隊に選ばれ膣川腟男の首を持って来いとの指令を下されるがプチエンジェル事件にも関与し皇室や政権与党とも強い繋がりのある奥飛騨膣襞襞研究センターは何基ものPAC3と対空機関砲を備えそれらを地上から護衛するSAT部隊と各地の陸上自衛隊から選抜された精鋭部隊が遊撃要員として常時駐留し鉄壁の防御を誇るため機甲部隊を保有しないセルフクンニ軟体開発女学院にとって攻略は不可能に思えたものの機を見て奇襲を仕掛け格闘戦に持ち込めば学院が誇る病みかわ地雷少女たちの人知を超えた身体能力に勝機ありと睨んだ学園理事長は大晦日の夜に高高度からHALO空挺降下で必要人員を送り込み作戦を開始するが早速40mm対空機関砲の斉射に降下した生徒の数人が被弾し上空で赤い花を咲かせてかつて人体であったという面影すら無い肉片へと姿を変えていくもこの程度の損耗で殺人潮吹き封印貞操帯の開発を止められるなら万々歳とでも言わんばかりの気勢で広範囲に配置された警衛に飛び蹴りをかましながら私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の生徒たちは華麗な着地を決めて水上をも走り抜けられるほどの超高速走行で奥飛騨膣襞襞研究センター正門へと向かうが次に彼女たちに襲いかかるのは無数の自爆ドローンと榴弾砲の雨霰でありこれを宙返りしながらの対空殺人潮吹きで迎撃しながら度重なる市販薬ODリストカットの経験で得だ知識をもとに選定した最も切れ味がいいと言われる貝印の剃刀で愛知長久手立てこもり発砲事件を教訓に見つけ出したSAT隊員の弱点を突いて門番の頸動脈を切り裂き一瞬で絶命させることでセルフクンニ軟体開発女学院きっての精鋭部隊は奥飛騨膣襞襞研究センター内部へと突入することに成功するがここからは未知の戦力との遭遇を考慮しセルフクンニ特殊空挺部隊が得意とする尋問用の技である活人潮吹きでなるべく出血させずに四肢を切断し生け捕りにした敵勢力を肉の盾として先行させるがそれらは壁面に設置された一見小さなネジ穴のようにも見える侵入者撃退用の人工殺人潮吹き噴射装置によって全て脳幹を貫かれて無力化されセルフクンニ軟体開発女学院側は警衛から押収した銃器でそれらの防衛設備を全て破壊する必要に迫られ大幅なロスタイムを迫られその隙に奥飛騨膣襞襞研究センターは増援の手配をするも習志野からの現着には数時間かかると言われ所長膣川膣男は体水分量を大幅に増加させるセルフクンニ軟体開発女学院用に開発されたドーピングを自らに施し全身数十ヵ所から自らの体水分と引き換えに人工殺人潮吹きを噴射するパワードスーツを身に纏い侵入者を殲滅するべく動き出し全方位殺人潮吹きを研究所内部という狭い空間で存分に駆使しセルフクンニ軟体開発女学院きっての精鋭部隊は一気に窮地に立たされある生徒は脳幹を貫かれまたある生徒は股間から頭頂まで病みかわ地雷ファッションに身を包んだ最高に可愛い肉体を真っ二つに両断されるがセルフクンニ特殊空挺部隊の一人が一瞬の隙を突いて放った顔面騎乗からの殺人潮吹き零式によって遂に強固な装甲に身を包んだ膣川膣男の脳幹を貫き死闘の末その首を切断し持ち帰ることに成功するもDNA検査の結果その首は愛知県三河地方にルーツを持つ病み系地雷女子御用達の超有名美容整形外科の院長本人であり膣川膣男そっくりに整形手術と洗脳を施され影武者にされたことをセルフクンニ軟体開発女学院の生徒一同が知ると学院内はあまりにも深い悲しみに包まれ中には自ら命を絶つ生徒も現れ今回の作戦で計92人の生徒を学院は失うことになるのだが真の敵である膣川膣男本人の所在を特定するため主要な日本の企業政府機関にサイバー攻撃を仕掛けその結果膣川膣男は海外に亡命したのち腎不全を引き起こし尿そのものを出せなくする紅麹を原料とした毒ガスを新たな殺人潮吹き封印用兵器として開発しているという情報を得て私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院は遂に海外遠征に乗り出し目標を消去することを決意するのだった
僕は29歳の男性(来年の2月に30になる)で以前はにわかネトウヨかぶれだった男だったけど
ネトウヨになれずに大人になった今考えると特攻隊を美化する言説って胸糞悪いなと思っている。
特攻隊作戦というのも今考えると無能軍部と国により若い男性が犠牲を被ったようにしか思えない。
普通の国の軍隊はあんな戦術をするなどありえないし、やっちゃいけない行為だ。
太平洋戦争当時の政府に盲従し敵に抵抗したお陰で戦争が長期化し、特攻によってイタズラに敵対心と恐怖心を植え付け、その後の日本中の空襲や原爆投下の口実・正当化に利用されている。
「ゆとり世代やZ世代が楽に生きられるのも団塊ジュニアやロスジェネが若いころに犠牲を払ったおかげ」と人様の目の前でいうことができるだろうか?
団塊ジュニアやロスジェネ世代が若いころにまかり通った派遣労働も、結局は若者への虐待や搾取を通じてイタズラに日本への敵対心と嫌悪心を植え付け、今では若者による反日・売国言動・行動の口実・正当化に利用されている。そりゃ若者ほど日本的な料理や製品を毛嫌いするし、韓流が流行るし、少子化も車バイク離れも止まらなくなるわな。
太平洋戦争であのような戦術をすることがなければ1990年代や2000年代の不況時にあんな若者を食い物にする派遣労働なんかが流行ることがなかったかもしれないのにと今では思っている。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌「ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。
東のゼロ年代はゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムがゼロになる」という意味らしい(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか。
3 ゲンロン
ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観で編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。
ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズは2010年4月6日に創業された。2009年の秋の飲み会でアイデアが出たそうである。宇野常寛、濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜(空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズの代表に就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表に就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかったかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。
「一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月号から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代のパラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもので民意をくみ上げようというものである。ゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代とゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。
「サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画は2ちゃんねるの動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSにネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。
「一般意志2.0」の次の主著は「観光客の哲学」(2017年)であるが、サブカルチャーを批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれてから、アニメやゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客の哲学 増補版」第2章によると、観光客は二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタクは原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客も住民の暮らしなどお構いなしに無責任に観光地をつまみ食いしていく。このように観光客は現実を二次創作しているそうである。
「福島第一原発観光地化計画(思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発で事故があり、ダークツーリズムの対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズムは二次創作への抵抗である(「観光客の哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地に観光に出かけると、普通の場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである(二次創作への抵抗)。
社会学者の開沼博は福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞のウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客の哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府の戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年に東京大学大学院情報学環准教授に就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣「脱原発の哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラーは佐藤の博論(「権力と抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤はバトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラーの著作の邦訳を担っている)。「脱原発の哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤の博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。
「観光客の哲学」はネグリ・ハート「帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学的であるとして、郵便的マルチチュードとしての観光客を対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというもの、リベラルはマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客の哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二やこたつぬこ(木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判的である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実「革命的なあまりに革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。
東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である。経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうである。ブレイディみかこ・松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルがマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田は2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員の代表を務めている。
「観光客の哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学」である。こちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢が大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念の意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能性なのだという(森脇「東浩紀の批評的アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。
こうして現在(2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身の気質を自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事を自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体と境界侵犯の欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀・桜坂洋「キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からぬものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。
宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客が結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利を宇野が要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である(映画の原作なのだろう)が、宇野のウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代の論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代の批評をふり返った本の終章なのだから、2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。
濱野智史は「アーキテクチャの生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised:情報社会の倫理と設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドルが流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年、アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史(社会学者)が経験したアイドルプロデュースの真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。
千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰と東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベントで千葉はゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀と何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生を全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。
大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。
福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談「現代日本の批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。
津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田は2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督に就任し、東は2017年10月、企画アドバイザーに就任する。しかし、企画展「表現の不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルからも顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
◯選定基準
•高齢者政治の是正から、蓮舫より10歳以上、年下であること。(1977年以降生まれ)
•過去に「男なら泣くな」などの性差別発言がなく、社会的に弱い立場におかれる人々に寄り添う資質が推測されること。
•米国シカゴ出身。蓮舫と同様に二重国籍を批判されたが、自身や蓮舫への批判を「差別主義者」と見なす意見を「分断を煽る」と分析し、自ら戸籍謄本を公開した。
•2023年に子宮筋腫となり子宮を全摘するも、2024年より外交防衛委員長を務める。
•沖縄県出身。感音性難聴の息子を持つ母で、「電話リレーサービス法」「読書バリアフリー法」など、障がい者支援政策の実績が多い。
•故郷である沖縄の振興や、女性のDV被害者支援に力を入れている。
•北九州出身、米国で外交政策の修士号を取得したウイグル系日本人。
•まだ当選回数一回なので実績は乏しいが、人権外交を超党派で考える議員連盟で事務局次長を勤め、台湾やトルコなどの外交や、不同意性交罪などについて活動している。
•AV出演被害、ホスト被害、不妊治療、乳がんなど女性の人権と健康に関する業績が多いが、ロスジェネ支援にも強く関わっており、今後さらなる活躍が十分に期待出来る。
•福島県出身。共産党内から「ブラック企業キラー」と呼ばれるロスジェネの元会社員。
•雇用問題では、違法を繰り返す企業名の公表を実現した。奨学金による負担を軽減するための活動や、反戦活動にも積極的に関わる二児の母。
ゆでたまご最高傑作との誉高い完璧超人始祖編のアニメ始まりましたね。
X、ふたば、5chとロスジェネというか直撃世代の多いコミュニティは
どこもそれなりに話題になってるようで。
ところがはてなははてブでも増田でもロクに感想も流れてこない始末
よく考えたら2012年の原作再開以来、あんだけネットを沸かした
ステカセキングのマッスルインフェルノやら、悪魔将軍vs超人閻魔の頂上決戦やら
マリポーサやビッグボディの勝利やらジャスティスマンがありえない勢いで
サタン様をボコボコにしたりやら、世代が限られながらも日本のネットをバズらせた
名シーンの数々もここでは不気味なくらい無風なんだよなと
ジャンプラあたりのその場限りでちょっとエモい気分になっても3日も経てば
忘れそうな短編なんかがそこそこバズったりするはてブあたりじゃもうちょい
キン肉マンが話題になってもよさそうなもんだが、ユーザーの気質でこうも
変わってきたりするもんだろうか
実際のところいる人間なんて上にあげたコミュニティと大差なさそうなもんだが
追記:ブコメで2020年のゆでたまご嶋田氏のTwitterでの感想バズの加熱への苦言の呈し方がちょいイマイチで
炎上した件の関連が指摘されてるけどアレは始祖編終わってだいぶ経った後の出来事だしなぁ
追記2:ゆで嶋田氏も炎上で多少は懲りただろうし実際ネタバレ感想言った読者に妙なアクションとった実績なんてないのにいつまでも擦られるのはチョイ気の毒だなあとブコメを見つつ
それどころか無職ロスジェネのここからの問題はもうすでに単純に仕事がないからっていうんじゃあなくて、普通だったら新卒から労働に対するトレーニングをされてたはずが、そういうの受けてない人が結構歳いっちゃってから社会生活に馴染めるのか?っていうことなんだと思うよ…
多分氷河期の時に大人だった人たちは景気が良くなったらきっとみんな働き口があるだろうって考えたんだと思うんだけど、中途採用するにしたってそこまでのスキルは考慮されるわけで意外にそこ見落とされてたっていう。
そこから新卒と同じようなトレーニングをできるか?っていうと、心理面からも体力面からも新卒と一緒くたにしてうまくいくはずもないし。
単純に仕事があればどうにかなるっていう問題でもないんだと思う。
でもそうは言ってもその人たちがみんな生活保護に突入すると社会保障やばいし、だからって切り捨てるわけにもいかない…ってなったらまずは本人たちに自信を持たせるとかできる人がサポートしてくとか、まあ確かに一足飛びに自立は難しいと思うけどなんか他にいい方法ないか考えるとか、今んとこそのくらいしか思いつかない…虐げたところでますます状況は悪くなるだけだろうなとは思う。
殺してもしかたないですとは思わないけど、同じような境遇にある母親が意外に多いから同情されるんだろうっていう感じはなんとなくわかる。
弱者男性が同情されにくいのは多様性すぎて共感しにくいからなのではないか。
あとよく言われるけど女性はこういうの比較的言いやすいけど男性はやっぱ愚痴言わないのが美徳みたいなとこあるから聞いてもらいにくいし、その分問題も隠されがちなのでは。
そのへんの問題点をうまく言語化できると注目してくれる人はそれなりにいるんじゃないだろうか。
経済的に苦しいとかは性別に限られることではないし男性特有の弱者って具体的になんなのか?っていうのがあんまよくわからない。
これは想像だけど、今弱者男性を自覚してる人はもしかしてロスジェネが多い?つまり性別の問題ではなくて年代の問題だったりしないだろうか…
まあそういうことなら女性は比較的結婚という就職口が残っていた(残ってない人もいるけど)っていう意味では、「女性は下方婚しない」っていう呪詛を吐く気持ちもわからなくはないけど、だとすると「もうちょっと若かったらな…」っていう女性に対する侮蔑ともとれる言葉が頭をよぎっちゃうけどそれは言わない約束で、あー…そうだねえ…大変だね…ってお茶を濁すしかない感じがしてきた。
まあなんか…とりあえず働こ。
前半はわかる。
後半は勝ち組だろうと負け組だろうと子育て支援しないと日本の人口ごんごん減ってただでさえ危ういロスジェネ以降全員の老後も危うくなるじゃん。
ロスジェネの不遇を嘆き、国や企業に怒りをぶつける事自体は理解できるんだけど
なんで高齢者叩きに走る人がこうも多いんだろう?
殆どは親がいるんだから、高齢者福祉を削ったら共倒れになるだろうに。
あと、子ども手当を推進する意見も意味分かんない。結婚できなかった負け組からしたら、結婚できて子供も持てた勝ち組に対するさらなる優遇なんて怒りを覚えるだけなんだが。
同じロスジェネの勝ち組なんて負け組からしたら敵以外の何者でもない。自分達が実家の太さや運に恵まれていた事は棚に上げて、自己責任論で殴ってくるんだから。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/premier/politics/articles/20240607/pol/00m/010/005000c
長文失礼します。
ロスジェネ世代の姉がいます。正社員で働いてはいますが独身で実家暮らしで、ずっと両親に甘えていたせいでまともな家事能力がありません。婚活が上手くいかないまま40代に突入。給料を家に入れたり貯金するよりも、多くを推しの宝塚俳優の追っかけやグッズ購入、宝塚ファンとの交遊費に使っています。
運転を怖がるので、毎日の通勤や家族で遠出する時の運転、宿泊先等の手配はいつも両親か私や弟(私からは兄)任せです。最近一番イラつくのが毎回そこに何かのキャラのぬいぐるみを連れて来て、それをまるで自分の子どものように扱っていることです。旅館や観光地でいちいちそのぬいぐるみと一緒に写真を撮って、「ほら見て、◯◯だよ~」とか書いてTwitterに上げています。本人は「いや別に遊びだし、私だけじゃなくてみんな普通にやってるんだよ」って言ってましたが、40過ぎの女がやってるのは痛々し過ぎて、突然夫や子供の前でやられると恥ずかしくて冷や汗が出ます。親は「姉ちゃんだけ子どもがいなくて寂しいんだと思うからそっとして置こう」という態度です。
趣味の場やSNSで自分と似た境遇の独身女性達とばかり関わってきた影響で、安心してズルズルこうなってしまったんだと思います。ぬいぐるみの件も、子どもを産まないまま閉経しそうなせいで狂いかけているようにしか見えません。今70代半ばの両親に介護が必要になった時、私や兄の子ども達に一番お金が掛かる頃に両親の介護と姉問題がのし掛かってくるのかと想像すると憂鬱になります。そのことについて話し合いをしようとするといつも黙り込んで逃げます。
ポンデさんのように「早く結婚して子どもを産んで大人になれ、独身のままだと狂う」って、叩かれても発言し続けてくれる方達が今は本当に貴重だと思います。我が家はもう手遅れですが、応援しています
今日は休日だけど気温が変動しすぎて体がキツイんでぐったりしてるからさ。行動する気が起きない。部屋掃除とかした方が良いんだけどなあ。
主人公に自分を投影しているのはもう確実。それでいて現代もの、近未来SF、ミステリといった以前好んでいた小説より異世界転生へ主軸が移ってしまったのはなぜなのか。
もしかしたら、既存の社会に影響を与えたくないのかな。迷惑をかけたくないのか。
昔バトルロワイアルとか流行ったじゃん。エンタメとして素直に面白かったけど、どこか遠くに「実際の殺人ゲームではないが実質的にぼくたちはこれをやらされているのでは」とか「こんなくそったれな大人や社会から手を取って抜けだそう、出し抜いて台無しにしてやろう」みたいな実社会に対する気持ちが残るじゃん。モデルとして提示するというか。
それを異世界転生は残さない。だって新天地にうつっちゃってるし、元の世界に影響を与えることはまずないからね。荒唐無稽な世界に行っちゃってるからそちらの教訓を持ち帰ることすら読者はできない。
自分がいくら幸せになっても、自分にかかわった人を不幸にしても幸せにしても、現実のもしくは現実に類似した世界に影響は与えない。だから好きなのかなあ。安心だから。
ん?なんでそれが安心なんだろうか。現実に持って帰る教訓が一切ないことがなぜ好きなんだ。
説教臭いのはエンタメにはこりごり。うんまあそうだな。私は確かにそうだ。
それに加えて自分の人生に行かせそうな教訓なんぞうっかり受信しちゃったら自分の人生で頑張んないといけないじゃん。
ロスジェネのつらさなんてほぼ構造的なもんで個人の努力なんて同世代から奪うことにしかならないってのにさあ。
抜本的な対策なんて突き詰めたら親世代を社会から取り除くしかなくなっちゃうんだよ。古典には親殺しはよくあるが歴史に残る英雄が達成するならともかく自分でやったら単なる犯罪者だもんな。考えない方が良いんだよ。
ああだからかあ。そういうことかあ。