はてなキーワード: つのとは
ストローで飲み物を飲むとき、最後の方まですすろうとすると「ズゾゾーーーー、ズズーーーー」という音がする。
あれは昭和時代には禁忌の音で、「ズズ…」と多少の音がしたとたんに親に「こら!はしたない飲み方しちゃダメ!」怒られたもんなんだが、このところ立て続けに、中学生~高校生ぐらいの子供がその辺のチェーン店のカフェで「ズゾゾー音」を盛大にぶちかましてるところに連続して居合わせてる。
夏休みだから昼間の街中に親子連れをよく見かけるのだが、これが親が同席していて子供がズゾゾー音を盛大にさせてても怒られもしていない。
いつの間にかストロールールが変わってたんだろうか。それともたまたま下品な親子ばかりを目撃しただけ?ルールが変わったとしたらタピオカブームあたりが分水嶺だろうか。でもタピブームのころは女の子たちがタピりながら「やべー音出ちゃったダメじゃんきたねー笑笑笑」みたいになってたのは見かけたんだよな。数年前まではルールがまだあって、その後ズゾゾーは有り、みたいになった?
腐敗した死体が活動するもの。肉が残っていることが多い。人間以外のゾンビもいる。
アンデッドの中でもっとも映画化されており人気がある。放送コードなどの兼ね合いで服を着ていることも多い。
死体の活動を再開させる方法はいろいろある。「ゾンビに噛まれたらゾンビになる」というものが多く、その伝染性が恐怖を増幅する。
ゾンビパウダーというものが実在するとされるが仮死状態にした肉体から意識を奪っただけのものもあり、そうして作られたものは腐敗はしておらずゾンビではないのかもしれない。
人骨が活動するもの。ゾンビとの違いは肉があるかどうかくらいしかない場合が多い。広い意味ではゾンビの一種なのではないだろうか。
骨女
骨の形をした女性。生前愛した男性を訪れて戯れる。ターゲットにされた男性は骨女を骨だと認識できないようで、
美しい女性だと思って骸骨と毎晩のように絡み合う姿が他人に目撃されたりする。
中国生まれ。活動する死体という点でゾンビと似ている。が、死体が新しいので「死後硬直」のせいで動きがピョンピョンしているのが特徴。
マミー
ミイラが活動するもの。ただ乾燥した人体の場合と、包帯でぐるぐる巻きの場合がある。包帯を武器にして麻痺攻撃をしてくる。
「ミイラ男」として表現されがちだが初期のマミーは女性が多くラブロマンスの対象でもあったようで、ホラーでの登場が定番化した後も恋愛対象なマミーがたまに現れるそう。
ミイラといえば豪華な副葬品のイメージがあるが、倒した時の所持金額はそうでもないことが多い。それもそのはず、古代エジプトでは王族貴族に限らずあらゆる人や動物がミイラにされていたそうだ。
ワイト
これといってイメージが定まっていないがアンデッドとされることが多い。
語源をたどれば「人間」とか「あらゆる生物」など広い意味を持つ言葉だが、中世以降「超自然的なもの」という意味を持つようになったようだ。
ゾンビのように、「ワイトに殺されたらワイトになる」とされることも多い。
レヴナント
語源は「戻ってくる」とか「帰ってくる」といった意味を持つ。多くは蘇った死体や骨の姿。「アンデッド」の総称のように使われることもある。
倒すためには「首を切り落とす」、「聖水をかける」など作法が定められていることもある。正しく行わなければ再び「戻ってくる」のだろうか。
ドラウグ
ルーツは北欧のようだ。「顔色が悪く、無力で、頭の回転が遅く、足を引きずって歩く人」のようなものが語源らしいが、
アンデッドとしてはむしろ超人的な力を持つ凶悪な存在とされることが多い。死んだら本気出すタイプ。
レヴナントと同じくアンデッドの総称のような意味を持つことも多かったが、墓守りや守護者のような役割を与えられていることが多い。
ゾンビのような実態を持たない霊体だけの存在。肉体が別の場所にあることもある。スコットランド出身
フェッチ
その人間がもうすぐ死ぬ前兆とされるが、朝方に現れた場合はむしろ長生きする前兆とされたりする。
霊的な存在ではあるが、アンデッドとしての正体があるのか、単なる自然現象なのかは不明。
お化けや幽霊といった存在のなかでも幻影や幻、錯覚のようなあいまいさと共に語られる。
肉眼で見えなかったりする。
霊体としてのおばけといった意味を持つことが多い。
幽霊や霊に惹かれる性的倒錯のことをスペクトロフィリアと言ったりする。
首なしの騎士。首を抱えていたり首をどこかに落として探していたりする。
本来はアイルランドの妖精で、厳密にはアンデットではないとされる。
バンシー
これもアイルランド・スコットランドの妖精だが、人の死を予言して叫んで回るというイヤミな性格からアンデッド扱いされることが多い
老婆の姿をした妖精であり、バンシーの垂れたおっぱいを吸えばバンシーの養子になり、望みが叶うという。
強力なアンデッドとされ、生前の人格や能力を維持しているなどチート気味なことが多い。
優れた魔法使いが禁術でリッチになるなどの場合、回想シーン込みで3話くらい使って語られたりする。
ニンニクに弱かったり光が苦手、十字架が苦手など、どう考えても弱そうな設定モリモリであるが、基本的にイケメンであり強いとされる。
ヴァンパイアと人間との子供。普段は人間社会に溶け込んでいるがヴァンパイアを見分けることができ、
その血は吸血鬼にとっては酸のようなもので噛まれる心配がないため、ヴァンパイアハンターを稼業にするものもいる。
ヴァンパイアと違い血を飲まなければならないということはないが、飲めば寿命を延ばすことができる。
体が柔らかい。柔らかすぎて真のダンピールは骨が無いなどといわれる。
グール
アラビア出身。人を食うというのが特徴。墓を漁って死体を食うもの、生きた人間を家に招き入れて襲うものがいる。
女性の姿で男性の旅人を騙して食うタイプもいる。女性の場合はグラというらしい。
最後に食った人間の姿になれるらしく、真の姿は男でも女でもない、野獣でも人間でもないなどとされる。
日本生まれ。本来は「無機の王」という意味だが不死の王という意味が定着しておりアンデッドの仲間とされる。
アンシマイエン
アキイニ
イヌイットに伝わる骸骨の幽霊。音楽を好み年中踊り続ける陽気な幽霊だが、彼が踊る振動で地震や津波が起き大勢が死ぬ。
ドレカヴァツ
夜になると墓から出てきて、金切り声をあげて誰かの死を予言する。人間の姿といわれたり鳥や猫、犬の姿といわれたり、
光る眼をもつ一本足の人間だったり、まだら模様の細長い紡錘形の体と不釣り合いに大きな頭を持つ生き物の姿だったりする。
隣人の土地との境界に置かれた石を動かして所有地を広げるズルをしたもののなれ果て。境界石をもとに戻すまで魂の安寧は得られないが、
石に触れようとするとつるっと滑ってしまい永遠に元の位置に戻せず悲痛な叫び声を上げ続けた。
フェクスト
戦場や飢餓など、大量死が発生した場所に発生する。その正体は死んだ者たちの怒りの総体とも。
ジェンガンガー
北欧出身。「再び歩き出すもの」というような意味。殺されたものや自殺したものなど、未練があるものがなりやすいようだ。
葬儀の際に棺を持ち上げて教会の周りを3周するというのがジェンガンガー化の予防策とされた。
ルガット
アルバニア出身。日光が当たらない場所を好み、空を飛ぶこともできる。死者の皮を被り、長い爪をもち、凶悪な顔をしている。
闇に隠れて子供を攫ったりする。基本的に不死身だが墓の中で焼き殺すことはできるようだ。
ククド
守銭奴の亡霊とも、ペストを運ぶ亡霊ともされる。ルガットを焼き殺す際に焼きが甘いとククドになるとも。
ランスヤール
妊娠中・出産中に死んだ女性の幽霊。生まれたばかりの赤ちゃんを好んで食べるが、とくに男児の血が好きなようだ。
死体の口にガラスビーズを入れ、脇の下に鶏卵を入れ、手のひらに針を入れることで、死んだ女性がランスヤールとして戻ってくるのを防ぐことができる。
最近死んだ人が墓から出てきて、生きている知り合いなどを死に引き込もうとする。ドイツ出身のアンデッド。
埋葬の時に故人の衣服に名前が書かれている場合にはナッハツェラーになりやすい、死体の目や口が開いているとなりやすい、死体の唇が赤いとなりやすい、
死体が柔らかいとなりやすい、死体の手が反対側の手の親指を握っているとなりやすいなどとされ、なりやすすぎるアンデッド。
そもそもソシャゲ全般に言えることだけれども、一つのゲームシステムを数年維持することそのものが無理があることなんだよな
アイマスやホヨバはそれをわかってて、ブランド維持のために新タイトルをポンポン出してる
それをしなかった(したけどウケなかった)のが悪い
毎日いろんな人に会いいろんな話をしまくってると誰になんの話をしたのか忘れる。
「ごめん誰に何の話したから忘れてるかもしれないから◯◯の話したっけ?」と確認するようにはしている
増田は一人一人との付き合いや一つ一つの話を大事にしてるんだろうしそれは良いと思うけどファストフードのレジのように次々に目の前に現れるいろんな人といろんな話をしてる人もいる
クロウリーが作中で発した言葉、"He is an angel"は2つの意味を持ちます。
一つは、アジラフェルが文字通りの天使であるという意味です。これはクロウリーの主観から説明された言葉です。
もう一つは、この言葉を聞いた一般人女性の視点からの意味で、ゲイがパートナーを「天使(のように美しい)」と表現した、と勘違いしたことを意味します。
シガニー・ウィーバーです。
私はいつもお馴染みの助けられなかった少女の儚い気持ちを手のひらの中で消えていくでお馴染みのメディカルバブ炭酸強めを入れてバブみを感じつつ
いや感じつつと言っても良いのか分からないけれど
もうこれはお風呂に湯船にお湯が溜まる間にとかしておけば良いんじゃね?って
事前に投入する仕組みにしたの。
儚い少女のあの助けられなく手のひらの中で消えていく感じは得られないけれど、
そのバブみはないとしても
お風呂に入っての気持ちいい爽快感は変わらないことに気付いたの。
しっかり入って休憩してしっかり入って休憩してって
何度か繰り返していると
なんか汗もかくはかくんだけれど
スッキリした感じがして思いっ切り熱いのを1回くらったらお風呂でそうした方がいいのかも知れないわ!って断言しちゃうわ。
それはそれで
今の私の一番重要な要素なのかも知れない気がするし、
おかげでもうオリンピックどころかなにもテレビも見ずに珍しくゲームもやり込むこと無く、
つーかこの暑さじゃねーってところもあるし
まさに夏休みのちびっ子の規則正しい生活のようで真夏の大冒険大草原だわ。
この感じよこの感じ夏のこの感じ。
今日も忙しいらしいと思うので、
今日も今日で無事に早くにお仕事終わりますように!って祈りまくりまくりすてぃーなのよ。
夜は身体をゆーっくり冷やしていく
そのためには夏野菜の力を借りることに決めたの。
キュウリを囓りながらそう思ったわ。
まさか自分がキュウリを買うだなんて今まで思いも寄らなかった行動にビックリだわ。
もう刻むのですら面倒なので、
塩もみ的にキュウリ洗いもんで
そのまま片手で持ちつつ歩きながら食べられるニューヨークスタイルでキュウリを食べるのよ。
お手軽スナックよりヘルシーじゃない?
キュウリって。
暑いなぁって思って冷たいアイスとかばかりじゃ無くキュウリを囓るのも一つの涼を得るということでは
なんだか風流だと思うわ。
いくら食べてもそんなに害は無いはずよ。
キュウリかじっておいた方がいいわよ。
それだけでも十分に涼しく過ごせると思うわ。
どうしても暑い!って時には
キュウリ囓ってみてよ!
うふふ。
たまには本当にお気に入りの値段の張る上等なサンドイッチも食べてみたいけれど
これもこれで美味しくいただいて朝の元気の源よ。
ルイボスティー人気なのかしら?
気のせい?
そんな世間がやっとルイボスティーウォーラーの良さに気付いた頃
もう私はたくさんごくごく美味しく飲んでんだからね!って
高らかに声上げて高く言いたいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
(ニーターパンと例の大事件増田の壮絶なデッドヒートをかわし、ついにあの増田が優勝に輝きました。あと今場所から識別不能な個体は軒並み除外しました)→【今回の十両】
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒して回る増田。自身の経歴からか、特に法や行政、裁判所、刑務所を目の敵にしている。
その名の通り行頭が字下げ形式で、トラバがanond:〇〇形式ではなくURL直貼りなのが特徴。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
自分語りによれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしているらしい。
文頭をスペースで空けるため、「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。別名●ミさん、●ーさん他。
詳しくはこちらを参照。ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを複垢で作りまくっては、それを増田やはてブで拡散しようと企む某ツイフェミ。
男叩きのためならいつもちゃんねるとかいう誰も知らない掲示板にまで粘着する執念深さ。すでにTwitter・Togetter・はてブで凍結や垢BAN、404化を経験しているにも関わらず、すぐ別垢で戻ってくる札付きの悪質ユーザーである。
ただ「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」のそれぞれで文章を使い回す上、噛みつく人物もネタも同じ(共同親権・ヴィーガン・絵本作家「のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している)。
はてブでも複垢を悪用し、404化を食らった前科持ち。こいつの関与が疑われるはてブidが前回からさらに増えており、「idが違うのになぜか文面が全く同じ使い回し」のブコメまで存在する。
なお、これらidと同名のツイ垢が存在し、「彼らに依頼してブコメをコピペ投稿してもらっている」説が浮上している。というのも依頼の文面まで丸ごとコピペしてしまったコピペしてしまったアホなブコメがあるため。
一部は凍結されたり別垢で復活したり提訴されたりしているようだが、中の人が同一かどうかはあくまで不明。
🐸
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。ネームド増田の中ではおそらく最古参。
「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」「女子大生の設定では」「プロパンガスの専門家でしたっけ」などと、意味不明なクソリプを飛ばしてばかりいる。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらにセルクマや自作自演を疑うのも特徴。
「自分の気に食わない奴は全員同一・特定の人物」という思い込みが非常に激しく、最近では無関係な他の増田をしきりに「番付作成者」呼ばわりしているが、
某空や某NPO関連のニュースが棘やXで配信される度に嬉々としてコピペエントリを投稿する増田。
一掲示板に過ぎない増田が他サイトと比べてなぜか「政治・ジェンダー臭のキツい」掲示板に成り下がる元凶となった一人。
複垢フェミと並び党派性臭い増田の代表格。同一人物説もあるが詳細は不明。最近は同氏が裁判で敗訴したこともあり発作が悪化している模様。
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。
投稿頻度が不定期に増えたり減ったりしているが、例のテンプレと文体を使っていないだけで、普通に潜伏している可能性もある。
今場所も某ブクマカl氏をおちょくったり、「夫の食事スタイル」ネタで880ブクマを獲得するなど切れ味は健在。
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。
短文エントリでとある事件や裁判について仄めかしを行う、なんか糖質入ってる感じの増田。
「仄めかし」など特定のワードに対して即座に反応し、自分のエントリを引用されるとすぐ削除するのが特徴。トラバの書き換えもよくやる模様。
最近は番付に加えなぜかオレオレFCや運営まで目の敵にしている他、ニーターパン相手にレスバを行うなど見境がなくなりつつある。
4、5年前のエントリを言及されたにも拘らず「なぜか」数日後に投稿が消えているなど、中堅増田の域に入りつつある模様。なんで爆サイとかではなくわざわざ増田で仄めかしやってるんだろう…
レスバトルになると乱入し、漫画「タフ」の語録を投下していく増田。
そもそも原作でタフの主人公が猛虎弁らしい口調なので、元ネタを知らなければ猛虎弁増田と区別がつきにくい。
傾向としては「しゃあっ ○○!」の形式でセルクマやプライベートブクマなどを揶揄する目的で用いられることが多いようだ。
この他にも昼休みや週末になると「愚弄開始だGO──ッ」とヒートアップする増モブや、弱き者男性ネタを鬼龍おじさんに絡める増モブもいる模様。
パンティー
「トランス女性は女性です」と日々壊れたラジオのように訴えている増田。結局のところ当事者なのかTERFなのかアライなのかは不明。
その名の通り「死ね」「バカ」を連呼し、ただし投稿をすぐ消すため、痕跡が残らない。すぐ投稿を消すしょーもない煽りカス増田。
詳しくはこちらを参照。https://archive.md/eeikJのようにChatGPT風の日記を投稿し、海外サイトのスパムをaタグで潜ませる増田。
はてな記法を使いなぜか増田でコマーシャルを流している増田。例えばこんなの
他の増田にいらすとやへのリンクを貼る増田。URLだけ貼ると反映されない仕様のためか、「(^^)」という顔文字も添えられている。
以前は「コモンビート」という、ピースボートかそこら系のNPOのサイトを宣伝することもあったが、これが規約に引っかかったのか、投稿が全て消えたことがある。
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。
ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味がない。
また、彼らに対して「再投稿は正当な権利」と訴える増田や、彼らをおちょくるためにわざと再投稿を繰り返す増田、
既存の単語を微妙に並べ替えした変な検索をしている増田。検索の件数らしき数字もあるが、どこでどういう検索をしているのか不明。
金曜日に美味しそうなもの食べたい増田(食べたかどうかは不明)。
プレミアムフライデーとは関係ない金曜日にも食べたくなるのが特徴。
現状は、3Dで例えるならほとんどの人がMMDやらコイカツやらを使いこなせるようになった状態に近いと思う。
2Dの生成絵も結局のところ、MMDやコイカツが作品のシェーダー品質や著名なモデル・モーション作者の存在を反映してみんな同じような素材をつかって「流し込み」をしてて、似たような作品が「生成」されてる状態と大差ない。
もちろん「生成者」ごとに細かい仕上げの違いがあったり、自作できる領域の差があったりして、最終的な品質は千差万別になるけども、それでも見る側としては「これはMMD/コイカツ系の創作物だな」と脳内で区分した上で見てる。
AI絵もそれと同じで、あくまで「これはAI絵だな」として「AI絵」という一つのジャンルで見てる。
中には版権絵を学習元にしてそうなヤバいAI絵も見かけるけど、そういうのは後日探しに行くとアカウントごとパージされてる。
だからAI絵は結局どれもAI絵っぽいものになる。見る側もAI絵として区別して消費する習慣がついてる。これは渋みたいな表のサイトのみならずアングラのサイトでも区別されてるからね。
一人の絵師が同人文化全体と競合したり影響を与えたりすることが不可能なように、AI絵もそこまで大げさに影響与えるほどのもんでもない、ただのオモチャだと俺は現状感じてるな。
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナンドがボスニアのサラエボでセルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された。
この振り返りがなぜ大切かというと、一つの出来事がどれだけ大きな結果を引き起こすかという点で、現在の他の出来事を見るための視点を与えてくれるからだ。
それに比べると、現代のSNS上での出来事や感情の発露はささいなものかもしれない。
しかし、自己表現や批評の仕方には時代や文化の影響が大きく左右する。
例えば、江戸時代の浮世絵に描かれていた日常風景や風刺画も、多くの人々を楽しませ、また議論を巻き起こしたものだ。
現代のツイッターマンガも、それなりに私たちの社会を映し出しているのかもしれない。
他人の表現や視点に対して不快感を覚えることもあるだろうが、歴史を振り返ると、多様な意見や表現が存在し、それが社会の一部として受け入れられてきたことが分かる。
そして、それがどのような結果を生むのかを冷静に見つめることが大切だ。
各々が各々でポコポコ撃っててどこに注目すればいいか分からない間に展開が進んでいつの間にか終わってる
たまにプレイヤー視点に切り替わるけどカメラが来た瞬間撃たれて爆散
全体的になんかよくわからない間に終わってる
つらいでしょうなぁ
角田大河がどうこうの前に「ターフは神聖な場所だから」と言い出すことに違和感がある。
たとえばホワイトワーカーの諸君は自分のオフィスを伊集院光の企画よろしくバイクで失踪されてタイヤ跡をつけられたからといって「神聖な職場が汚された!許せん!」といきり立つのか?むしろ原状復帰が入れば仕事休めてラッキーと思うような奴らばかりだろ。特にはてなの人々は。
ブルーワーカーの諸君は個人邸宅を立てている敷地に立小便されたとして「我々が立てる個人様の御宅の土地を汚された!許せん!」と拳を突き上げるのか?やらんだろ。
いわんや自分たちの職場でもない競馬をや。今までテキトーにスタンドから芝生をポンポンするおじいちゃんおばあちゃんを眺めている程度で、ここぞとばかりに神聖な場所呼ばわりするのはさすがに草(芝生だけに)。
他の業種(スポーツ)でいえば、何となく甲子園とかだったら神聖な場所な気もするけど、あれだって阪神主催試合はブルペンカーで荒らしまくっとるやん。
SRPGなのに今時マップを90度回転させることが出来ずに、チュートリアルで「動かしたいマスが上手くタップ出来ない時はドラッグ・アンド・ドロップすればいいんだにゃ~~」みたいなこと言われるのマジでおかしくないっすか?
あとテンポがどうしようもなく悪い。
あらゆるレスポンスにモサっとした無意味なディレイがついてくるし、倍速にしてもキャラの動きが遅い。
何度も聞くことになるボイスが一種類しか収録されてなかったり(戦闘後ボイスで毎回同じセリフを聞かされるの本当に発狂しそうになるのでやっぱ2種類いるんだなアレって)、とにかく至る所の作り込みが駄目。
動線グチャグチャでどこになるのか分かりにくいホーム画面とか、装備やアイテムの管理で必要な所に直行で跳べるリンク機能が足りてないとか、全体として作り込まれてない。
ゲームが自慢げに搭載している「運命をやり直す機能」みたいなのも結局の所はよくあるルート分岐でしかないんですよね。
それをどこで運命が分岐してどこで世界が変わったのかをユーザーが大局的に観測するのが難しくなっているのが本当に駄目。
そもそも「運命の輪」というもうモロにあのゲームをパクりたかったんだなと思わせるようなことを言っておいて、出来たものが劣化コピーではしょーもなすぎる。
何がしょーもないって、この手の戦略的群像劇において必要な「正しいと思ってした選択が、本当に正しかったのかとプレイヤーに問わせる」という要素が積み上げられてない。
本当に正しい理想的な選択なんてものはなく、皆悩みながらそれでも日々を生き、突きつけられた状況に対して必死に選択し続けた結果として今があるという物語を描けてない。
あれやこれやと売れそうな要素を積み上げた結果、本当にやりたいことがブレブレになりすぎている。
萌え萌えタクティカルでポワポワやりたいのか、ガチガチに硬派な世界でプレイヤーの心に消えない痛みを残したいのか、それを割り切れないままにスタートしてしまってるのがマジでアカン。
凄いね。
どうせ使わなくなる最低レアのキャラにまで名前をつけろとは言わんけど、最高レアから1つ下には名前ぐらいあげたら?
当然のように性能においてもレジェとエピックには隔たりがあり、運営が用意した極一部のレジェキャラ以外は果てしない戦争の中で消えていくただのモブでしかないという扱い。
まあ低コストゲーなんだろうとは思うんだけど、今後の追加キャラも全部レジェンドですよってのは予想したほうが良さそう。
そしてレジェしか追加されないってことは配布はほぼ期待できない。
ガッツリ課金している人以外は最初期キャラ以外は全く知らんやつのままでどんどん話が進んでいくのが確定しているというわけだな。
低レアネームドキャラがいないってことはキャラゲーとしてはかなりしんどいということですよ。
個人的にあーこれマジで意味分からんと思った所、「愚者」と「運命の輪」の二つがそれぞれ別方向のゲーム性なのに同じようなレベルでメインモードとして存在しているのがかなり謎。
つうか基本的に「運命の輪」の方がメインモード臭が凄いんだけど、こっちはあくまで外伝みたいな扱いなんだよね。
この二つが相互に噛み合っているかというと、なんかこうチグハグっていうか二つの大きな道があるような感じになってる。もちろん悪い意味で。
物語を描く時のコツとして「巨大な一つの樹を育てなさい」って言うでしょ?
このゲームは大きな樹をいきなり二つ育てているんだけど、それが結果として作品全体の方向性や体験を曖昧にしてるだけで終わってるんだよね。
全く違うメインが二つならいいんだよ。
そしてそれらがゲーム全体として一つにまとまっていれば
たとえば「ハンバーグ+エビフライプレート+定食セット」みたいのだったら。
でもこのゲームは「牛肉100%ハンバーグ定食+牛豚合いびきハンバーグ丼」みたいな組み合わせなの。
定食と丼ものが一つずつ出てきて、味噌汁もなんか二つ付いてきてるような状態で、ツケモノとデザートだけは一つずつで結局どういうこっちゃみたいな混乱を招いてるのよ。
マジで作りがグチャグチャすぎる。
ホヨバのゲームですら反省して控えるようになってきたような動線グチャグチャ意味不明ゲームを今の時代にドドンとお出しして「ドヤ?凄いやろ?FFTやオウガみたいでヤベーやろ?」みたいに言われても「え・・・はぁ・・・」としかな。
まあ総評としては結局の所最初に言った「触ってて面白くないという時点でゲームとして駄目」が全てですね。
ここが全然ちゃんとしてたら他の問題点全部すっ飛ばして「まあ最近こういうゲーム少ないし選択肢としてはありなんちゃう?」でしたけど、このクオリティでは「多少のレスポンスに目を瞑るならフリーのSRPGでオススメが色々あるからそっちやりなよ」って感じですわな。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
今のところ一番科学的背景もしっかり書かれていて参考になる記事
なぜ彼女たちの女子カテゴリーへの出場資格が問題になっているのか?
国際ボクシング協会(IBA)は7月31日に声明を発表し、「認められた」テストにより、ケリフと林が女子競技の資格基準を満たしていないことが証明されたと説明した。IBAによれば、これはテストステロン検査ではなく、遺伝子検査のことだという。
2023年3月24日、IBAは林玉婷選手とイマーヌ・ケリフ選手をIBA女子世界ボクシング選手権ニューデリー2023から失格とした。この失格処分は、IBA規則に定められた女子大会への参加資格を満たしていなかったことによるものである。綿密な審査の結果下されたこの決定は、競技の公正さと最大限の完全性を維持するために極めて重要かつ必要なものであった。
注目すべき点は、選手たちはテストステロン検査を受けたわけではなく、別途認められた検査を受けたことである。この検査は、両選手が必要な資格基準を満たしておらず、他の女子競技者よりも競技上の優位性があることを決定的に示すものであった。
2023年3月24日にIBAが下した決定は、その後2023年3月25日にIBA理事会によって批准された。この決定の公式記録は、IBAのウェブサイトからアクセスできる。
失格処分は、両選手に対して行われた以下の2つの検査に基づいている:
林玉婷はIBAの決定をスポーツ仲裁裁判所(CAS)に上訴しなかった。イマネ・ケリフは当初CASに上訴していたが、途中で上訴を取り下げたため、IBAの決定には法的拘束力がある。
IBAの関係者は別途、両選手がXY染色体を持ち、テストステロン("高T")レベルが高いことを付け加えている。
「高T」とは、女性カテゴリーに属するアスリートについて語るときに、女性の範囲を逸脱したテストステロン値を表現する方法のひとつである。すぐ下の図1からわかるように、男性と女性のTレベルは13歳くらいで分岐します。下の図1と図2の両方から、思春期初期以降は男性と女性のTレベルに重なりがないことが明らかである。ドーピングと男性であることは、成人アスリートが "高T "である可能性のある2つの方法である。
5-ARDおよびPAISのアスリートは、XY染色体補体を持っており、精巣があり、精巣は正常な女性の範囲外のテストステロンを産生し、アンドロゲン受容体はその「高T」を読み取り、処理する。その後、彼らの循環Tレベルは、通常のパフォーマンス向上効果を持ち続けます。
言い換えれば、5-ARDのアスリートとトランス女性および性的に標準的な男性・女性を比較した以下の図3に示すように、男性標準からの変化(外性器の未発達など)は競技パフォーマンスには無関係である。彼女たちが女性の競技に参加するときは、男性の優位性を発揮する。
ひとつは、IOCが信頼性に欠けると主張するIBAのもので、ケリフとリンにはDSDがあり、不適格であるというものだ。つまり、IBAまたはその代表者は、彼らが男性優位の遺伝的男性であると言っている。後者は一般的に、彼らのTが生物学的に利用可能であることを意味し、アンドロゲン不感症ではないことを意味する。
もうひとつは、ソーシャルメディアや一部の報道でトレンドになっている、ケリフとリンはXX染色体、卵巣、すべてにおいて完全に女性であるという、根拠もないコメントである。選手たちの表現型が男性的であるという点は認めるが、多くの女性(彼らはトランス女性を含むと広義に読む傾向がある)が男性的な表現型を持っており、これはその前提を受け入れるだけの問題だと言う人もいる。
3つ目は、IOCの高度に暗号化された声明を注意深く解析すると、IOCの現在の立場であるように思われる。ケリフとリンには男性優位のXY DSDがあるかもしれないが、彼らは生まれたときに女性として識別され、現在もそのように識別され続けているため、女性なのだ。
IOCはここ数日、ケリフとリンへの攻撃を嘆くことに多くの時間を費やしている。本当にひどいことだ。しかし、この不安定な状況は、ほとんどIOC自身が作り出したものだ。スポーツにおけるセックスとジェンダーとの複雑な関係を考えれば、予想されたことではあるが、どうしようもなく複雑なメッセージを送っている。
IOCは6月、大会における選手の表現に性別に基づく表現を使用することを禁止し、女性であることを自認する性別多様性XYアスリートの扱いを明確にするよう求める言語ガイドを発表した。
この言語ガイドは、2021年にIOCがとった、性別が多様なXYアスリートは、男性であるという理由だけで、アリーナで男性優位とみなされるべきではなく、男性のTレベルは、最高の男性と最高の女性の間のパフォーマンスギャップの主な原動力として、科学的によく理解されている役割にもかかわらず、失格とされるべきではないという立場から導かれたものである。
このアイデアは、キャスター・セメンヤやリア・トーマスのようなXYのアスリートに関する論争を、関連する生物学と、それについて話すために私たちが使う言葉を消すことによって、女性カテゴリーから消し去ることだった。
もちろん、IBAがケリフとリンを女性カテゴリーに入れたことをIOCに指摘した時点で、IOCはこのまま逃げ切るつもりはなかった。しかし、IOCは事前に自らの手を縛っていたのである。そのため、IOCの広報担当者の口から語られたことの多くは、「内部事情」と「手品」の組み合わせであると私は思う。
それでも、『Inside the Games』のアレックス・オラー氏による8月2日付の優れた記事は、この質問に対する2つのXY DSDバージョンの答えのうち、どちらかを選んでいる知識豊富な記者たちが間違っていない可能性が高いことを物語っている。Oller氏のレポート全文(およびInside the Games全般)を読むことをお勧めするが、要約すると次のようになる:
形式的には、IOCはケリフとリンのパスポートに記載されている性別を採用している。これはIOCの現在の性別テストと考えることができ、法的な性別を性別および/または女性カテゴリーの資格の代理として使用している。
IOCはまた、ケリフとリンのパスポートに記載されているものが性別と一致していないことを示すものは何も見ていないと述べている。もちろん、IBAの声明はそうではないと述べているが、IOCは、IBAの声明が「恣意的」な手続きによって得られたものであるため、IBAの声明は信用できないとしている。
同時にIOCは、木曜日にケリフが初優勝した後、自らのウェブサイトから、少なくともケリフは-林もそうでないにせよ-T値が高いという表記を削除したことを認めている。その説明のために、T値は関係ない、女性でもT値が高い選手はたくさんいる、と一部で述べている。
T値が高い女性アスリート(多嚢胞性卵巣を持つアスリートを含む)は、T値が女性の範囲外でもなく、男性の範囲内でもなく、女性の範囲の上部にある。彼らの性別は疑わしいものではない。上で説明したように、女性のカテゴリーで競技しようとするアスリートの「高T」は、国際的なスポーツでは、外因性アンドロゲンによるドーピングか、生物学的に利用可能な内因性アンドロゲンによる男性であることを意味する。ケリフもリンもドーピングをしているという事実はない。
余談だが、多くの連盟やIOCが長年にわたってTを性差の代用として使ってきたのは、それが優れたものだからである。法的な性別よりも生物学的な性別を求めるのであれば、パスポートよりも正確であることは間違いない。
IOCはまた、実用的かつ無差別的に正しく判定する方法がないこと、そして科学的にケリフと林が女性であるというコンセンサスが得られていることから、性別判定を断念したと述べている。
ここでのIOCの発言を整合させることは、内部の人間であっても不可能である。専門家に選手のファイルを見させたのか、そうでないのか。もしそうでなければ、科学的なコンセンサスを得ることはできない。
オリンピック・ムーブメントの政治は、少なくとも2つの点で、この物語に大きな影響を与えている。
その第一は、IOCとIBAの戦いである。IBAは偶然にも、ドーピングやウクライナ戦争に対するIOCの姿勢に敵意を抱いている。
もうひとつは、IOCがトランス権利擁護派と協調し、性差に基づく女性カテゴリーを擁護する人々に反対するという政策的選択をしたことだ。ここでIOCはIBAだけでなく、世界陸上や世界水泳といったオリンピックムーブメントで最も重要な連盟とも対立している。IOCとは異なり、これらの連盟は、女性アスリートのための公正さと女性カテゴリーの維持を優先することを決定している。
このハンドルじゃ盛り上がらなかったな、このハンドルじゃ悪い意味で炎上しちゃったな、と考えれば、すぐに別のハンドル名のアカウントに切り替えることができる
2. 評判の構築が可能
使い捨てを繰り返してうまく行くパターンを探し、ようやく「このパターンなら評判が獲得できる」とわかり、それでその評判を固定化する