はてなキーワード: つのとは
一担当・一係長が背負ってはいけないような案件を次々に背負わされていく。
ある事業における致命的な要素の決定権をごく一部だけ握らされ、その上で上司連中からは「早く何とかしろ」「絶対なんとかしろ」「俺はよく分からんからやり方は任せる」ばかり言われる。
現場の調整先からは「マジで困ってるんですけど?」という電話がしょっちゅう来るし、頼みの綱と思っていた業者からは「いやーこの納期じゃ無理っすねー」という断りがバシバシ入る。
そんな案件を自分の担当分で10個、部下達の分も入れれば20、30と抱えさせられる。
仕込まれた爆弾の数々は予算不足を旗印にトリアージを繰り返されてきた致命傷である。
「予算が足りないなら優先順位をつければいい」というちょっとだけ経営者感覚を齧っただけみたいな発言の元に何度もやってきたコストカットの影響が出ているわけだ。
「5年後に影響が出ますよ」を「じゃあ俺が別の部署に移ったあとに問題になるってことだから俺とは無関係だな」と考えられる奴だけが公務員の世界では出世する。
多分だけど、民間でも同じだとは思う。
民間との違いは民間は自分の会社が潰れないために今その瞬間を死物狂いにならないといけない所があるけど、公務員は潰れることがそもそも出来ないという現実に対して「20年後、30年後も俺達はこの業界でこの仕事をしている」という視点で物を見ないといけないってことだ。
エッセンシャルワークとはそういうものだと思うが、その現実を頑なに受け入れない人間ばかりが上に行き、ソイツラが放りだした責任を結局は現場が取らされる。
どれか一つの案件にだけ注力できるならやり甲斐はあるだろうが、それを10も20も並行してやらされると、結局自分自身もトリアージを繰り返すことぐらいしか出来ない。
ヒト・モノ・カネは当然のように足りず、思いつきでつけ足され続けるセキュリティ制度のせいで業務効率は日々悪化する。
俺も全くそう思う。
就職先に悩んでいる時に町中の公務員スクールにフラフラと吸い寄せられ「公務員っていうのは基本的なことが身についている人ってイメージが強いでしょ?だから転職も有利なんだよ」とスクールの勧誘に騙されたのが良くなかった。
頑張って勉強した果てに通ったんだからと辞めるタイミングを逃し、流石にこのままではまずいと転職活動をするも「うーん。その年齢で経験したことがあるのは公務員だけ?うーん。ビジネス感覚がなさそうー」みたいな感じで次々と面接は落とされて今の仕事を続けている。
ある日職場でバッタリと倒れ込んで精神科の診断書でも貰えば用務員みたいな立場に入り込めるかも知れないが、その立場になったらなったで半端な「俺は公務員様だぜ?偉いぜ?」を令和にもなって引きずっている連中にアゴで使われるのは結局ストレスかも知れない。
俺も人のことは言えないが、公務員連中はマジで他人をアゴで使う。そういう態度での働き方を教育されているから、公務という神聖な業務を効率的に進めるにあたって民草に協力を仰ぎ公権力の力で労働力をほぼ無償で吸い上げることが業務の一環であるかのように考える空気が間違いなくあるし、それを前提として実際そうしないと回らないような業務量を押し付けられている。
公務員はクビにならないから異常者が多いという話があるが、実際私の職場にも私を含めて顔つきから自閉症を感じ取らせるような連中が沢山潜んでいる。
大体5人に1人ぐらいはうっすらと自閉症顔だ。
基礎学力と一般常識を教科書経由でひたすら積み上たテストの点数で半分以上の結果が決まるという世界は、自閉傾向の人間に対して(他の世界での就職活動と比較して)本当に有利だと思うし、実際俺もそのおかげで公務員様になれたのだと思っている。
自閉症スレスレのギリ健が公権力を振るうことを推奨されるような立場につくと、どうしても頭のおかしくなる奴が出てくる。
それは上司連中の中にも混じってきており、一部のキチガイが「こんなのは民間にやらせればいいだろう。契約前に作業をさせたら事前着工?シランガナ」と無茶苦茶な指示書をウォーターフォールの高みから放り投げてきて、「こんなの本当にこのままやったら全員捕まるだろ・・・」という状況に日々追い込まれたりもするわけだ。
俺はもう無理だ。
現場から上がる悲鳴を受け止めるには俺の心臓は小さすぎるし、上から降ってくる狂言をうまく躱すには俺の足腰は貧弱すぎる。
1◯年続けられた生活だから今後も続けられはするのだろうが、それはどこかで「働き方改革の波が来て公務員の職場環境も変わるし、クソみたいな連中は皆クビを切られ、そして日本も失われた時間を取り戻して予算が沢山つく」というありもしない希望にすがっていたからだろう。
もっと言えば「なんかめっちゃ転職しやすい市場になって、公務員しか経験のないアラフォーのおっちゃんでも普通にいい会社に潜り込めるようになる。つーかその状況で公務員の魅力化対策が行われて今の仕事もかなりマシになる」という願望を思い描けていたからだ。
もしかしたら「宝くじがあたって」とか「突然小説の才能に目覚めて」とか「株の配当が」などのよりありもしない空想を信じていたのかも。
いい加減もう無理だ。
現実に追いつかれた。
どのタイミングで人生をやり直せば良いのかと夢を広げるのもいい加減疲れた。
この時代のこの日本にこの自分として生まれ落ちた時点で半分ぐらい負けているわけで、IFストーリーの最適解は「もっと未来の豊かな時代に、優秀な遺伝子をコーデイネートしてもらって、人間なんぞじゃなくてご立派なAI様に育ててもらっていれば」なんだろうと思うわけだ。
疲れた。
上を見るから苦しいんだろう。
下を見なければ。
昨日、配達のオッチャンがこんな暑い中で汗だくになってプンプン酸味のある香りを立てながら荷物を持ってきていたが、アレは大変な仕事だと思う。
荷物はどれもお客様の大切な品であり、中には壊れたら取り返しのつかない特注品もあるだろう。
どこにでもある些細な荷物でも、明日の仕事に使うから今日中に届かないと困ってしまうものもあるだろう。
それを1日に100も200も丁寧に扱うのだ。
マンションごとにシステムの違うオートロックと格闘し、時には自動扉に荷物が挟まれそうになるのを自分の体でブロックし、そうして届けようとしたら留守だったり居留守だったり、そんな仕事をひたすらやって、賃金は最低賃金よりは少しマシなだけ。
きっと彼らの業界も公務員のように残業代がチョロまかされているのだと思う。
予算の関係というより、労働時間の上限と実際に受けている仕事量のアンバランスによって残業時間を誤魔化せとうい指示をきっと彼らも受けている。
公務員のおまけみたいなボーナスさえ羨ましくなるような、それこそ年間で10万×2とかのちょっとしたお小遣い程度で、普段の賃金は残業代や移動時間が誤魔化されて実質の時給は最低賃金未満になっていたら?
最悪だろうな。
ああ最悪すぎる。
そういう人達のことを考える度に、「俺はまだマシなんだ」と希望が湧いてくる。
いざとなったら「あっ・・・メンタルが・・・あっ・・・」と倒れ込んでしまえばいいんだ。
責任なんてのは最終的に上の連中が取ればいいんだ。
人脈を繋ぐためだと毎日飲み歩いてもパンクしない程度の給料をアイツラがもらっている理由は、いざとなったら責任を取って腹を切るためじゃないか。
なんで俺がこんなにも必死になって全部自分の責任であるかのように背負い込まなきゃならんのだ。
そもそもを言えば、国民の側が小さな政府を望んできた結果が現状だろ。
公的な仕事をつくのに一番必要なのは「俺は最底辺よりはマシ」という心意気と「ぶっちゃけ俺が背負う責任ってごく一部だけだろ」という開き直りだ。
それだけはシッカリ身についているし、それしか身についていない。
国民もそれを望んでいる。
https://anond.hatelabo.jp/20240803163629
多分だけど、わかるよ。ストレスでの過食→過食したことへの自己嫌悪がストレスになって嘔吐→吐いたことへの自己嫌悪でストレスになって過食……の繰り返しなんだろ。タイミング悪いと喉が焼けるし口の中気持ち悪いし。乳製品飲んで楽になってたりしない?
自分は16で患って、35の今も時々吐いている。病院にはあんまり行ってない。
中学時代までめちゃくちゃ太ってたんだけど、一念発起して75キロ→65キロまで減らした。だけどそこから減らない。で、そのとき入ってた部活の女の先輩から、「そういうときは吐くといいんだよ」って教えてもらって、吐く方法を覚えた。
そこからはもう駄目だったな。単純に癖がついたし、歯も溶けた。受験のストレスもあったんだと思うが、一番大きかったのは「また太る」ことへの恐怖だ。「吐かないと痩せない」、そういう恐怖と、そのストレスを発散するための過食と、過食したことへの逃避での嘔吐。この繰り返し。一番ひどいときは「胃が蠕動するときの感覚が気持ち悪い」にまで至ってた。
大学時代になってからも特段治らなかった。外食でおいしいものを食べる→食べたあとに吐く、の繰り返し。グルメにはなったが、食べたものをあらかた吐くことも多い。そうすると確かに食費はガンガン飛んでいくのよね。俺の借金額教えてあげたい。
最近はかなりマシになった。色々な諦めが訪れて、吐く回数も減ってデブになった。が、今でも「食べ過ぎたら吐けばいいや」という精神で、ストレスでおいしいもの食べ歩いたあとに吐くことがある。病院に通ったことはないけど、先生の仰ってる「治しづらい」は本当にそうだと思う。いつの間にか20年経ってた。
ごめん、俺の話はどうでもいいよな。自分語りが目的なんじゃなくて、「全部とは言わないが、気持ちが多少わかる」ということを言いたかった。自己嫌悪って苦しいじゃん。やじゃん。自分の身体が、内臓の存在が嫌いじゃん。でも自分で自分を嫌いになりたくないじゃん。レベルは違うかもしれないけど、似たような苦しみを思い出してつらくなっちゃった。せめて元増田を手助けする方法がないかなと思っちゃったので、自分なりにやってた対症療法を提案してみる。
正直、「吐かない」ために「食べ過ぎない」ってきついじゃん。2つやろうとして結果的にストレス増大するっていうトリレンマが発生してる。だから、1つだけに絞ろう。
「吐かない」。かわりに、「たくさん食べてもいい」。つまり、「たくさん食べても太らないもの」を探してみる。たとえばだけど、低カロリーなもの(サラダの類い)をたらふく食うとか。お金に糸目はつけなくていい。まずは「吐かない」ことに絞る。多分、最初は肉体が受け付けないと思うんだよ。少しずつでいいから、吐かない練習をする。胃が膨らむ感覚が嫌いなら、炭酸水飲んで胃が膨らむ感覚に慣れるのもいいかもしれない。少しずつ、「たくさん食べても太らない」という認識を自分に植えつけていく。大事なのは「食べ過ぎても太らないもの」を選ぶこと。ノンカロリーのお茶なりもおすすめ。食べる量を減らすのはそのあと。吐かない癖がついてからでいい。
これだけ? って思うでしょ。ごめん、結局言えるのはこれだけなんだ。大事なことは、「自分に何かを許してあげる」ことだと思う。それは、(吐くことを辞めたいということであれば)吐くこと以外だったらなんだっていい。
だって、ストレスが消えてないのに、いきなり過食嘔吐やめろなんて無理なんだよ。最終的に日々のストレスを抜け出さないとどうしようもないからなんだよ。俺がそうだったもん。我慢に我慢を重ねるとストレスが爆発してまた元に戻っちゃうんだ。だから、無理しなくていいよ。
あなたはとてもすごい人だよ。過食嘔吐をやめたいという気持ちがある。正社員で働こうと考える意欲もある。お姉さんを心配させたくないというやさしい心の持ち主だ。あなたにいいところはたくさんある。だから、少しずつ、今の自分を受け入れながら少しずつ変えていけるといいと思った。食べ過ぎちゃうの、自己嫌悪に陥るけど仕方ないじゃん。食べるのは気持ちいいじゃん。お金使っちゃうのも、散財することが半分楽しかったりするじゃん。そこは一旦受け入れてみてほしい。それはあなたの素晴らしさを何も損なわない。それは開き直りとは違う。今ある自分を受け入れながら、少しずつ自分を変える試みを続けてみてほしい。そして、くれぐれも無理はしないでほしい。
正直おじさんの脳内メンヘラ少女かなって気もしたけど、私が過食から卒業できたきっかけ。
私は吐くことはしなかったけど毎食気持ちが悪くなるまで食べないと気がすまなかった。結果吐くこともあったけど胃が耐えきれず自然と出ちゃうって感じかな。
食費もかかるし食い尽くし系なんて罵られることもあるし、食事にすごく罪悪感があった。食べること自体は好きだし美味しいものを食べれば美味しいって思えるんだけどね。人前で食事をすることが苦痛だったよ。
そんな私が救われたのはフードファイターだった。ギャル曽根ちゃんぐらいは知ってたけど、YouTubeだとモッパンとか言って大食いが一つのジャンルになってるんだよね。
えびまよさん、MAXさん、ぞうさん、しのけん、みんなたくさん食べてても罪悪感を感じてるわけでもなく、楽しんで食べて、その食欲を誇りにすら思ってそう(もぐちゃんさんはちょっと違う気がするけど)
もしかしたら裏では吐いてたり胃腸の病気があったりするのかもしれない。でもたくさん食べることは悪くないんだ、自慢にできることなんだって思ったらすっと気分が軽くなって、腹八分目で抑えることができるようになった。
ストレスが貯まったときにたまにドカ食いすることもあるけど、数ヶ月に1回ぐらいかな?
自分でもこんなことで卒業できるなんて、って思ったよ。あなたがどうすれば今の状態から卒業できるかは分からないけど、本当につまらないことでもきっかけになるかもしれないよ。その時まで、とりあえず生きてて。
なので人がどこからきて、なぜそこに定着するに至ったかを考えることから始めます。
(日本は歴史的にそこら辺があやふやな部分が多いので、ローマの植民や異民族の侵入辺りを参考にするとよいです)
水場がある、戦争において有利だから占拠した、川の渡し場がある、港を作れる、近くの都市国家の安全保障圏内だった、などです。
ダンバー数という概念があります。社会的な動物である人間がコミュニティの安定を保つのに適正な状態を示すものです。
正直理論そのものは眉唾なのですが、経験則上一定の人数が集まると運営が困難になるのは周知の事実かと思われます。
どれくらいの人がいて、何を目的として集団を形成しているのか。これが統治であり国の在り方です。
部族が拡大しその首領が君臨するというのが古代的な社会ではあります。分裂もします。
血統が貴ばれるのは文明が発展し、人民がナラティブを受け入れる社会性を獲得してからの話です。
基本的には暴力です。ここで言う暴力とは当然直接的な暴行もそうですし、数を束ねて運用し少数者を抑圧する能力も含まれます。
また支配者に絶対忠誠を誓う暴力を保有する、財物で買える暴力を保有する、あるいは財物そのものを暴力として使用するなどもあります。
この支配者はどういう暴力をもって君臨しているのか、を意識すると国家としてのデティールが明確になるでしょう。
古代、人権とは王ただ一人が保有するものであり、今で言う憲法とは王の思想と同一でした。
絶対王権や中央集権は古典的暴力に思えますが、これは近代に入って人類が獲得した暴力の集大成です。
地主、あるいは領主、のちに貴族と呼ばれる人々は相応の暴力をもって君臨しています。
王とは彼らの同盟のリーダーであり、地主の忠誠など期待できないものでした。
領地貴族が別の領地貴族(王も含む)にへりくだれば統治の正当性(暴力の有効性)を失いかねません。
信仰が信仰として単体で成立するならいいのですが、組織宗教となり王の暴力を用いる側になると構造が複雑化します。
信仰、教えに留めておきましょう。
ここまででぼんやりと形ができたと思いますので、あとは暴力に魔法だのスキルだので色付けすればなろう小説としては十分です。
王を一番強い、強い力を運用するポジションにつけて、その支配を世界の隅々に下ろしていくことで自然的なレベルデザインも生じます。
もしくは60万くらいでやってもらって、素直に負けて、控訴する、とかかな。
この人は可哀想なことに「学校の言うことに従っておけば人生が幸せになれる」という
恐らくこの先20年ぐらい同じような失敗を繰り返してしまうのだと思う
副業で食っていけるようなITエンジニアを簡単に教育できるとは思えないし
そもそもなんだが、スクールや学校の言うことを全て丸暗記すれば大丈夫、というレベルの教育は小学生の早い段階で終わっていて
を知るためであって、塾で丸暗記を教わるために出しているのではない
興味を持って調べたことというのは誰かに教えて貰ったこととは違って記憶への定着や新しい着想に繋がるので
大学には興味・好奇心を持った人が更なる高等教育を受け、新しい発見をするために進学する
プログラミングやITに関する技術も同様で全てをスクールで教わるというのは非現実的で不可能だ
例えばよく使われるプログラミング言語だけでもC,C++,Java,JavaScript,TypeScript,Rust,Python,PHP,Ruby,Perl,ShellScript ぐらいはあって
これらの言語仕様を覚えるだけでも大変だしよく使われるライブラリなどが組み合わされるととても現実的ではない
なのであくまでもスクールや教育機関ではどれか1つの言語を選んでプログラミングの概念や思考法を教えているに過ぎないし
お金を貰えるレベルになるには少なくとも3年は自分でプログラムを書いていないと到達できない
興味がないものを3年も続けられるわけがないので、スクールや学校で「興味が無い」と思ったのならやめた方が良い
つまりスクールに通ってITエンジニアになるにはスクール外で興味を持って学習することが必要なのだが
残念ながらこの法則は小学校高学年から同様で、ちゃんと学校外で勉強してきたような人は大人になってからスクールに通ったりはしない
リュック・ベッソン監督が1988年に制作したこの作品は、自由潜水に情熱を抱く男たちの友情とライバル関係を描いているんです。
ジャック・マイヨールとエンゾ・モリナリという二人のダイバーが主人公で、彼らは幼い頃から海に親しみ、大人になってもその海への情熱を失わなかった。
ジョン・レノが演じるエンゾは、常にジャックに勝ちたい一心で、大会へと挑戦します。しかし、ジャックにとっては競争よりも、海そのものが大切なんです。
ジャックにとって海は逃げ場であり、生きる場所。エンゾもまた、海に対する愛と情熱を持っているのですが、それが二人の間に微妙な感情を生むのです。
この映画は、海を舞台にした美しい映像と独特の雰囲気が魅力ですが、増田、あなたのお兄さんの釣りに掛ける情熱もまた、ジャックの海に対する愛と同じようなものかもしれませんね。
彼にとって釣りとは、ただ魚を釣るだけではなく、その行為そのものに何か特別な意味があるのかもしれません。
しかし、家庭の負担や迷惑を考えると、やり方を変えさせる必要があるかもしれませんね。
ジャックとエンゾが海で対峙したように、あなたもお兄さんと正面から向き合い、彼にその熱意をどう家族と調和させるかを話し合うのも一つの方法です。
増田、あなたは『インサイドヘッド』という映画を知っていますか?これこそピクサーの傑作の一つで、感情を擬人化したキャラクターたちが脳内で繰り広げる冒険物語です。映画は11歳の少女ライリーの頭の中で五つの感情、「よろこび」「かなしみ」「いかり」「こわい」「むかむか」が主体となり、ライリーの生活をコントロールします。
「ライリーの頭の中で、何が起こるのか!」というテーマに基づき、複雑な人間の感情の動きをユーモラスかつ感動的に描き出しました。ライリーが新しい街で新しい生活に悩む場面や、感情がいかにしてお互いに助け合って彼女を支えるのかが特に感慨深かったです。
あなたが言及したように、序盤から中盤にかけては感情たちがしばしばイライラを引き起こしますが、これは彼らの役割の一部です。そして後半に至るまでの成長と変化が、映画の真価を発揮させます。エンディングに近づくにつれ、感動的なまとめが観客の涙を誘うのです。
ちなみに、本編前の短編映画「Lava」は確かに異色のラブストーリーですが、それもまたピクサーの異なるアプローチの一つと言えます。音楽とビジュアルで独特の風情を醸し出しており、様々な評価がありますね。大学時代の友人との思い出も重なって、今でも鮮明に記憶に残っているのでしょうね。
子曰く、「智者は未だ萌えずして、愚者は既に戮されんことを怖れず」。
増田よ、駅前や駅近にラーメン屋がないことに不満を漏らしておるが、それは必ずしも悪いことではない。
ラーメン屋があるか否かは、その街の特性や経済状況に左右されるものであり、一概には言えぬ。
特に異なる文化や食の好みがある土地では、ラーメン以外のグルメが支持される場合もあろう。
増田がこの状況を不公平に感じるならば、自ら新たなラーメン屋を開業し、その地の人々に新たな豊かさを提供することも一つの選択ではないか。
確かに、結婚制度の起源は家制度と深く結びついていて、家と家の結びつきや財産相続といった側面が強かったのは事実だね。
でも、現代の日本では家制度は廃止されていて、結婚は個人の自由な意思に基づいて行われるものになった。もちろん、家同士の関係を重視する人もいるけど、多くの人は愛する人と人生を共にしたいという気持ちで結婚を選んでいると思うよ。
だから、結婚は「一緒にいたいと思う人とする制度」って言い方もできるんじゃないかな。だって、法律的な手続きは抜きにしても、一緒にいたいからこそ結婚を選ぶ人たちもたくさんいるわけだし。
もちろん、結婚に対する価値観は人それぞれだから、必ずしも「一緒にいたいから結婚する」っていう考え方が正しいとは言えない。でも、結婚の多様性を認めた上で、それぞれのカップルにとって結婚がどんな意味を持つのかを考えることが大切なんじゃないかな。
誰にも言わないで欲しいんだけど、実は毎晩過食嘔吐してる。
うつ病から始まって、拒食から運動脅迫気味になって、そしたら過食するようになって、ある日自殺未遂しちゃった。
それをきっかけに摂食障害専門の病院で診てもらって、なんとか生活リズムを戻して、1日7時間、週に4日、働けるようになった。
でも過食もあんまり治ってなくて、その分運動しなきゃってなって、運動脅迫が本当に苦しくて、気付けば食べたもの吐くようになってた。
病院の先生にも、「吐いてはないんだよね?」って何回も確認されてたし、吐くようになったら治すのがすごい難しいって知ってたから、そこには手を出したくなかったけど、
とうとう足を踏み入れてしまった。
それをやらなくて良くなっただけで本当に嬉しくて、
過食しても太らないのが嬉しくて、
毎晩毎晩吐いてた。
ただ、問題点がいくつかある。
姉と2人暮らししてるんだけど、
姉が寝た後に吐かなきゃいけないから、寝るのが2時過ぎとかになる。
毎日睡眠不足だし、会社にいる時は基本カロリーとらないからヘロヘロで、過食症時代に飲んでたリポドリンって薬飲んでなんとか仕事してる。
1回の過食のために2,3000円分の買い物をするので、お金がすごいスピードで減って行った。
実家は無く、都内暮し、かつ病気のこともありフルタイム出勤はできないので、手取りは月10万とか。生活保護以下。
過食嘔吐さえ抜きにすれば、
私は痩せてるし、前みたいに夜中に過食しては泣きながら運動して死にたくなってたこともなくなって、週4だけだけど生活リズムも整って働けるようになってて、表向きは上手くいってた。
どうしたらいいか分からなくなって、過食のお金稼ぐためにパパ活始めた。
ご飯代は全部出してもらえるし、可愛いがってもらえるから承認欲求も満たされるし、パパ活してる間はドカ食いもしなくてすむから、一石二鳥どころか三鳥四鳥だった。
でも、上手くいくばかりじゃないから、
パパ活までして稼いだお金が全部過食嘔吐で消えていくのが、虚無でしかない。
相変わらず、会社ではリポドリンを手放せない。飲まなかったら寝不足と低血糖で多分倒れる。
唯一の家族である姉には過食嘔吐のことも、パパ活のことも言えない。迷惑をかけたくない。親も親戚も頼れない。
1番問題なのは、これでサイクルが回ってしまっているということ。例えば、パパ活が上手くいかなかったらいつかお金が尽きて過食も治っていたかもしれないのに。上手くいってしまった。
私はこれで生きるようになってしまった。
本当は、過食嘔吐をきちんと治して、パパ活なんて辞めて、正社員を目指して働くべきだと分かっている。
でも、毎日食べて、吐いて、ふらふらで出勤して、休日はパパ活して、それでもう、精一杯だから、現状を変えられない。
ドカ食いしたあとの膨れきったお腹を見て、毎晩、こんな風に使われる身体なら誰か、別の人にあげたいと心底思う。
臓器提供をしたい。こんな私でも誰かを救えるなら今すぐ死んで、臓器をあげたい。
生きててごめんなさい。
【8/4 追記】
こんなに色んな人に聞いてもらえるとは思ってなくてとてもビックリしました……皆さんありがとうございます。ブックマークコメントも全部拝見しました。
ここに書いただけで偉いとか、頑張ってるよ、って励ましの言葉が本当に嬉しくて、たくさん泣きました。
色々と具体的なご提案もくださりありがとうございます。
ここに慣れておらずあまり機能が分からないので、追記で一部お返事させてください(すべてに返せず申し訳ないです)
本当に仰る通りでしかないです。頭では分かっているのですが……「今月はどうでしたか」と聞かれると、取り繕ってしまうというか、大丈夫です、と言ってしまいます。
非嘔吐で夜中に過食していた頃に比べると出勤はできているし、短時間ですが睡眠はとれていて中途覚醒もないので一見良い感じになってしまって、以来、薬も変わっていなくって……自分で書きながら本当にダメだなぁと思いました。
家族には、すみません、多分、自分の口からは言えないです。まずは先生に伝えることから考えたいと思います。
コメントにあった、この投稿を印刷するのも一つの手だなと思いました。見せるのはまだ勇気が足りないかもしれません、でも、印刷だけでもやってみます。
・サラダドカ食い部に〜
お誘い嬉しいです。今は、食べ物を身体に留めておくことが怖いのですが、野菜なら大丈夫なんだ、という思考に変えていきたいです。野菜は高くて普段買わないのですが、今度サラダクラブ買ってみます。
・ダイエット薬勧めてくださった方
「世間なんざどうでもいいわ。あなたの苦しみが少しでも軽くなればそれで良いんですよ」この言葉に救われました。本当にありがとう。自力で過食を止められたとのこと、凄いです。仰る通り、「太っている」ことに対してとてつもない恐怖感があって、それをどうにかしない限りは一生苦しいのだろうな、と思います。
正社員になりたいと書いたのも多分、見た目以外で、自分にちゃんとできているものが欲しいと思ったからだと思います。中身が空っぽなんです。
薬の服用で節制が習慣化できた、とのことで、選択肢のひとつとして受け止めます。あなたもどうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございました。
・摂食障害以外の疾患は〜
薬についてですが、スタートがうつ病だったのでエチゾラムをずっと飲んでいます。
中途覚醒がずっとひどく、非嘔吐過食の時、無理やりベッドに入っても夢遊病のように夜中にコンビニに買い出しに行って無意識に過食をする→そのまま寝落ち→翌朝号泣して仕事に行けない というようなことが続いたので、寝付きを良くする薬をずっと出してもらっています(皮肉にも、吐けるようになってからの方が仕事にちゃんと通えています…)
明確に診断されたわけではないのですが、白黒思考がひどく、境界性パーソナリティ障害に近いのかもしれません。
なんでも食べるけどそのBMIを維持している、というのがすごいです。玄米菜食で身体が出来上がっているということなのでしょうか。気になったので調べてみます。ありがとうございます。
クソバイスどころか、本当に仰る通りだと思います。昔は好きなものがあったはずなんですが、うつ病と摂食障害になってから無気力で、好きなもの、やりたいことがなんにもありません。それもあって「もう生きなくていいや」と思ってしまいます。
ゆえに、無理矢理でも準備をして着飾って出かける(しかも、お金がかからない)パパ活が、過食を回避する活動としてサイクルにハマってしまった節があります。
でも、よく考えれば、お金を消費せず外で時間を潰す活動ってほかにもあるはずなんですよね。ブックカフェとか図書館とか……
もう少し視野を広げられるようになりたいです。ご指摘に感謝いたします。
私はここ2年ほどの出来事なので、その10倍と考えると気が遠くなるような思いです。長年、この重い病と闘っていらっしゃるあなたを尊敬します。
私も幼少期から太っていて、一念発起で普通のダイエットで20kg痩せて、それをキープするために……という同じ経験です。
今は、食べ物を身体に留めておくのがとても怖くて、「吐かない」のが難しいです。「吐けない」なら「食べない」です。
でも、少しづつでも、吐かずに食べられるように変わらないと治らないですよね。
その一歩目として、他の方にもサラダや重湯、あとは玄米菜食なんかも良いらしいので、お金のことは気にせず考えてみたいと思います。
過食嘔吐ってお金の面でも、身体的にもメンタル面でも、自傷行為だなと常々思います。自分のことが大嫌いなんです。だから死んでもいいやと思ってしまうし、ずっと自分で自分のことを苦しめている。痩せたことだけが成功体験で、唯一、自分を認められるもので、それがなくなったら私は無価値です。多分、それ以外の成功体験が欲しくて、正社員になりたいと書きました。
あなたのお話を聞いて、少しづつでも、自分のことを許して、助けてあげたいと思っています。
こんなにも人を思いやれる素敵なあなたの人生も幸せなものでありますように、私も願っています。どうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございます。
男の子のあそこを指す言葉にはちんちんという決まった名前がある。
女の子のあそこには各部の医学的な名称以外はこれといって決まった名前はない。
あそことかおまたとか曖昧に言うとか、まんこという言葉もあるけどこれは性行為の意味もあるし一般に使うべきじゃない言葉とされる。
地域によっては女の子のあそこを幼少期のトイレトレーニングから二次性徴までの間に使用される言葉があったりする。
増田の地元では「ちょんちょん」と呼んでいた。だいたい二次性徴くらいでまんこかあそこって言うので幼児語の扱いだったが。
疑問に思うのはこのちょんちょんという言葉がどのへんを指すのかということだ。
そのためかこれを言う女子によってどの辺を指しているか以下のように差異があるようだった。
増田が子供の頃は結構、雑な時代だったので股間がどうのうんこしっこがどうのって話は男子も女子も関係なく言っていたのでこういう話が女子から出ることもあった。
その際にちょんちょんという言葉が自分の股のどれを上記の3つの中で指しているかの個人差が観測できた。
ちょんちょん以外の言葉を使っていた地域や他の世代ではどうなのだろうか。
これに気がついたのは当時は学年誌や少年誌の漫画で男女の裸なんて堂々と描写されていた時代だったのでその会話になっていた時に女子の一人が「漫画の中の女の子ってちょんちょんがない」と言った事だ。
漫画の女の子の裸の描写は割れ目がなくて本当になにもない部分として股間が描かれている。
これにたいして「ちょんちょんがない」と言った事が気になって下ネタになると割れ目やおしっこの出てるところピンポイントという差異があるようだった。
実際に女の子のあそこを指す具体的な言葉を何かしら子供の頃から使っていた女子は股間のどの範囲を指すのかが気になっていたことを思い出した。
実際どうなんだろうか。
30代中盤で診断された。
それまでは発達障害を専門にしていない心療内科でうつ病として治療を受けていた。
全IQ=89
知覚推理=97
ワーキングメモリ=79
処理速度=79
高卒。
年齢は30代後半。性別は男。
音に弱い。
例えば電車で会話する人や咳をする人が近くにいると逃げ出してしまう。
全ての音を同時並行で脳が処理している気がする。
人の動きに敏感。
仕事中も向かいの席の人の挙動や、席を立ってトイレに行く人の動きに常に気を取られている。
一つの物事を頭に入れると一つ前の物事が頭から消えるし、同時に何かを処理しようとすると脳が硬直する。
例えば電話応対では受け答え自体は人並みにできるけどメモ取りが壊滅的になる。
ADHDの特性として、将来の報酬より目の前にある欲求を重視してしまう。
単純に物欲に弱いというのもそうだし、スポーツなどでは練習を詰め込みすぎてすぐに足を壊したりする。
「ほどほど」が見極められない。
常に頭の中が混雑している。
やらなきゃいけないことが山積しているのはわかるが、その中の何を優先していいのか決めるのに時間がかかる。
「思い立ったら即行動」という行動原理が過ぎる。
瞬発力が人並み以上に高いのでそれで得をすることもあるにはあるが、大抵は思慮が足らず失敗する。
ある程度の道筋はつけられるが、厳密に計画するということができない。
例えば旅行などは常に行き当たりばったりで、スケジュールをきちんと組んだためしがない。
視覚的な情報を記憶する場合はディティールが著しく低下するので、動画として何度も見たりしないと頭に入らない。
どれだけ懇切丁寧に説明されても一度でそれを理解するのは困難なので、いつも必死に反芻と類推を駆使して乗り切っている。
聞こえてくる情報が断続的に途切れる。脳に入ってこなくなる。
聴覚の問題なのか集中力の問題なのか記憶力の問題なのかわからない。全部かもしれない。
常にカクテルパーティ効果のような状態で、断片的な情報から類推して会話している。
会話の途中で「え、それってどういう意味?」と聞きたくなる場面が多々ある。
でもそういう時に一々質問していたら会話にならず相手にストレスをかけるので、スルーする癖がついている。
上記の特性と相まって意味もわからず相槌をうっていると会話についていけなくなって頻繁に困る。
こうしたらコミュニケーションが円滑になるな、という嘘を思いついたらついついそれを口にしてしまいがち。
些細な嘘であれば方便として有用かもしれないが、その嘘をつき通せるほど能がないので大体は詰む。
これでも子供の頃よりはだいぶ自制できるようになった。昔はもっと突拍子も無い嘘をついていた。
相手が何の意図もなくそっけない返事をした時、「自分が何か悪いことしたんだ」とか思いがち。
朝の挨拶で返事が返ってこないだけで「嫌われたんじゃないか」とか心配する。
もちろんそれは認知の歪みでその都度修正するわけだけど、人との接触は常にそういうストレスがある。
ASDの特性としてよく「空気が読めない」みたいなことを言われるが、別に空気が読めないわけではない。
空気が悪くなった時は敏感に悟れるし、できるだけ変なことを言わないように意識することもできる。
ただこれまで述べてきた特性によって咄嗟に変なことを言ってしまう時がある。
側から見ると「空気が読めない奴」なのかもしれないが、後悔の念自体はある。
物腰自体は落ちつてる方だし、あまり喋る人間じゃないのでそう思われるのかもしれない。
診断を受けてからは治療薬を飲んでいるので多動はかなり抑え込めていると思う。
けれども頭の中はいつもとっちらかっているので、外見的な行動だけじゃADHDかどうかは分からない。
マルチタスクができない特性の裏返しなのか、普通の人が緊張するような場面でやたら自然体で臨める。
練習より本番に強い。
思いつきで行動する特性と相まってファーストペンギンになりがち。
なので人からの印象は初対面が好印象のピークになる。面接のような場面では強みになるが、段々メッキが剥がれる苦しみもある。
ネガティヴな感情を抱かない作業であれば人よりルーチンワークに強い。
学業も高校以降はドロップアウトしてしまったが、小中の単純な問題を大量に解くような作業は得意だった。
運動も瞬発力を競うものより持久力が問われる種目の方が断然好き。
他の人の会話をBGMにしながらわりと楽しく働いている。
就活のイロハやコミュニケーションのコツなんかを面白おかしく学んでた。
企業の見学や実習も手当たり次第に参加したので、いい経験になったと思う。
肉体労働の仕事の説明会で「福利厚生として塩飴が支給されます」とか言われた時はどんな顔していいか分からなかった。
まあ自分の経歴からすると「だよねー」という感じだけど、大学出ててスキルもある人が同じ条件で働いてたりするので闇だなと思う。
フルタイムじゃないので月給にすると12万円程度だし、一人暮らしは無理な水準という感じ。
1年も就活してるといろんな学びがあった。
まず給与の高い仕事は身体障害の人を求めてる。体の困難さえ調整すれば一般人と同じパフォーマンスが出せるからなんだろうね。
特に市役所とかの求人は「身体障害以外は要りません」と最初から言われる。謎。
肉体労働系だと知的障害が求められてる。仕事が過酷でもタフネスがあるからだと思う。
じゃあ精神障害はどうかというとよく分からない。強いて言えば清掃系とかが多い。人との関わりが少ないからかな。
事務系は競争率が高い印象がある。説明会とかに行くと意識高そうな人たちが集まってる。
でもなんというか、障害者雇用の採用で一番重視されてるのは「人柄」だと思う。
職場の輪を乱さず当たり障りなく仕事ができるコミュニケーション方法を身につけてる人が一番強い。
企業にとって最も大切なのは仕事がよく出来るかどうかよりも「長く働いてくれるかどうか」なので、より困難の少ない人を選ぶ。
働いてるこっちも分からない。
自分の場合は「優先順位を指示してもらう」とか「マルチタスクの状態にしない」とかがある。
でもこれは内容どうこうより職場の水準が全てだと思ってる。
今の職場は周囲がみんな正社員だし、営業やってた人たちだから話も上手くて大した苦労をしないけど、
これが指示を出す人もパートだったりして変化の多い職場だとどれだけ詳細に条件を詰めても働くのはしんどいと思う。
最初の2、3年は定着支援として月1で支援機関を交えた面談をしたりするので、そこできちんと自分の困りごとなどを相談するのが大切。
炊事は得意だ。昔は全然わからなかったけど、今は大抵の人より上手くこなすと思う。
YouTubeに感謝してもしきれない。料理の全てをYouTubeで学んだ。特にイタリアンは専門のYouTuberが多いので話題に事欠かない。
大体母と交代で炊事に当たっている。
自分はものを捨ててどんどんシンプルにしたい人間なので、それができない現状にはストレスを感じている。
金がかからないし健康にもいい。歩く時は10kmくらい歩く。ADHDの特性とも相性がいいのだと思う。もう10年くらいハマってる。
あとは漫画をよく読む。職場への通勤時間は大抵電子書籍を読んでる。
アニメもそこそこ見るけど、最近はなろう系がやたら多くて辟易している。いつまでブームが続くんだろうか。
そこそこ好きな方だが、持っている服は100%ユニクロとGUだ。他の店で買ったことが無い。
スタバによく行く。
と言っても甘いものは苦手だし太るのでホットコーヒーしか頼まない。
家でじっとしてるより適当に散歩したあとスタバに入ってスマホやPCで時間を潰すのがルーチンワークになっている。
コーヒーはお通じにもいいので百薬の長だと思っている。
どこから話したもんかねという感じだが、1つ言いたいのは「人より成長が10年くらい遅れてる」という感覚があることか。
20代の自分と30代後半の自分はほぼ別人だし、障害との付き合い方も全く違ってくる。
よくネットで特性が顕著に出てる人を指して何かしら論ったりするけど、その人も10年経つとだいぶ別人になると思う。
人は成長する。それは発達障害を持つ人も同じだし、俺たちは日々何かを学び取って生きている。
学校か、支援機関か、病院か、就労か、それがどの時点であれ、「こうすれば生きやすくなるな」と分かるタイミングがある。
生きづらさや苦しみはあるけど、チャンスを逃さずどんどん挑戦していってほしい。
そんな話誰もしてないぞ
まあそういうやつらを含んでも良いけど
たかがエロイラスト、二次創作エロ同人誌くらいの世界の話をやたら高尚なクリエイティブみたいに話して、AIにはフェチがないみたいなことを世界に叫んで自分をバカだと思ってないやつの話をしてる
五十歳おっさん、子供も欲しかったし結婚したくても出来なかった、ここから先の未来に女性の出会いがあるとも思えないし、マッチングアプリも弱スペックの自分を選ぶとも思えない。
結婚や女にモテるやつは、それでも自分磨きとか気前よく金出せて、尚且つ心配りとか出来る人々なんだろう。
正直別次元の生き物と思える。
生まれた環境も暴力を振るう父親とかいるが、一つの要因ではあるが、それだけじゃ無いとも思う。
生まれた環境、育った田舎、いろんな理由がありつつもその壁を乗り越えれなかった自分。
それでも死んだ母親だけは必死にやってくれていたのはありがたかったし、そんな母親に孫の顔を見せてあげたかったなと思っている。
今は上手く人生歩めなくてすまないなと思いながら仏壇に手を合わせている。
かーちゃん、ごめんよ。
そろそろ寿命?
買い替えしなくちゃいけない雰囲気
ボーナスもらったしちょっといいやつ買ってもいいかな?と思ったりしてる