はてなキーワード: バックボーンとは
いや一般的な着地としては悪なんだろうけれどもさ。
婚姻関係を継続したくないという感情を強く抱いていて、配偶者に対しても離婚の意志を何度も伝えているものの配偶者が首を縦に振らない。そういう場合も果たして悪なのか?
私は不倫に手を染めた。
相手が既婚者であることは勿論知っているし、バックボーンとして離婚の意思があることも知っている。
この関係になるよりも前から早く離婚したいという話は聞いていて、紆余曲折あって自分から相手にアプローチして今に至る。
ある意味で相手の弱みにつけこんでしまっていることは否めないし、不倫は絶対悪という方からしたら死に値すると言われてしまうことも否めない事実であることは認識している。
ただ、離婚したくてもできない現状は相手の配偶者のワガママというか、「絶対に離婚しない」の一点張りで離婚できていない、というのが正しい現状なのだ。
かつ、部屋も別々で家計も別にして、同じ屋根の下に暮らしていてそれに伴う水道光熱費等のみしか共用しているものはない。
果たしてその状況下で配偶者以外に癒しを求めることは、その状況下にいる人を愛してしまうことすらも絶対悪なのだろうか。
私にはその答えがわからない。
わからないが、わからないなりにも社会的制裁を受けようとも相手を一番大切にしたいという意思に変わりは無いのだが。
"不倫"
人々は配偶者を持つ者がそれ以外と関係を持つことを一緒くたにこう表現するが、現配偶者と別れたくても別れられない何某かの理由があっても尚この表現に固執し続けるのだろうか。
だったのかなと思った
桜木と流川のライバル関係、赤木と木暮の3年間、三井の挫折と復帰、
これらに比べると原作では宮城のバックボーンは無いも同然だったし描きたくなるのはごく自然だなと
山王戦はとにかく映画1本の中で1試合をぴったりやり切る方針なのはよくわかった
魚住のかつらむきや桜木vs美紀男はモノローグ多めのシーンだからカットしたっぽい
コートの中はともかく観客席からのカメラワークは実際にカメラを置ける通路からのアングルだったり
得点が入ったら必ずスコアボードが写る演出だったり徹頭徹尾「試合」を映す意思は感じられた
下手に原作のシーンを全部詰め込んで上映時間4時間になったり前後編になったりするよりは
いやマジオペは「映像化は許して貰えない」状況・シチュのオンパレードだけどそれらではなくて、
・元米軍人のオマルは、軍事教育の過程で子供兵に指一本触れず、なんらかの処置・対応が必要な時には同性の大人か子供を呼び対処させる
・日本でアニメゲームを受動して育ってきた日本人主人公アラタは、子供兵と普通に接触する
という対比を、オマルの態度に救われてる子供兵もいればアラタの態度に救われてる子供兵もいるだろうと想像させる描き方をしている。ところ。
「国民的アニメに“なりたい”(映像)作品」と「シュミ性の高い(小説)作品」を較べてもしょうがないけど、
育ち・文化・環境をバックボーンにした「それぞれの行動・態度に説得力がある」のを見せてくれた方がやっぱり「上手い」し「面白い」と思っちゃうよね
https://anond.hatelabo.jp/20221102221741
https://shonenjumpplus.com/episode/316190246926677072
トランスヘイト云々以前の問題として、そもそも漫画になってないと思うんだよね。とにかくキャラの魅力というものが皆無過ぎると思った。要は漫画として、感想を言うに値する土俵にすら立ってない。
ここでいう「キャラの魅力」とは単に可愛いかっこいいといった問題だけではなく、そのバックボーンに説得力があるか、理解できるか、要はここで話題になっていた「ストーリーや設定」そのものと言ってもいい。
例えば話の途中で主人公の細川は実は女性であった事が明かされるが、何故彼女が男になりたいと思ったのかがさっぱり分からない。
作中の描写だと以前の職場で社長からセクハラを受けたようだが、どうしてこんなに行動力のある主人公がその社長に直接復讐しなかったのか。無理がありすぎるよ、全く説得力がない。
しかも初っぱなから主人公は非正規雇用である旨が明かされ、10年以上働いているならもう30歳過ぎの筈なのにそれに対して特に危機感を持つでもない不自然さ。
非正規雇用でも独身で一人で暮らすだけならまあ何とかなるにしても、蛇なんてマイナーなペットを飼っていたらそれなりにお金はかかるだろうにそこに特に悩むでもないのが不自然過ぎる
主人公が30歳を越えた大人の思考回路をしていない。これなら普通に学園ものでよくない?
主人公のターゲットとなるパワハラ上司にしても、顔がそれなりというだけのただ単に嫌な奴でしかなく、何の魅力もない。
まあ魅力的に描くつもりはなかったのかもしれないが、深みのある漫画ならこういうパワハラクズ野郎が妻子には優しくてまともな家庭人やってるという二面性を描いたりするんだよなあ…この漫画はそういう描写がゼロなので、キャラクターがあまりに浅すぎる。人間が描けていないというか端から描こうとする気もなく、単にスカッとするだけのサンドバッグ要員なんだろうけれど。
そしてそのパワハラ上司が主人公に言われただけで自分を女だったと思い込むのは、いくら何でも不自然過ぎる。こんな奴いねえだろ。
パワハラ上司にざまあwするコンテンツならば離婚して妻子に捨てられて終われば十分なので、スカッとジャパンコンテンツにすらなっていない。
これなら最初からトランスジェンダー要素なんて入れずに普通にBLで良かっただろ…
あと、主人公とパワハラ上司以外があまりにも書き割りのモブ過ぎて…読み切りでも普通はもうちょっと他のキャラも立てるもんでしょ。掘り下げられたキャラクターが最低3人は欲しいよ。例えば同僚の田中も実はパワハラを嫌がっていて主人公に協力しようとするとか、中原さんも本人がセクシャルマイノリティで主人公の正体に気付くとか、そういうドラマも作れそうなのに。
どうしてもリアルな描写が出来ないならSFやファンタジーにして逃げるか、学生を主人公にすればいいと思うんだけどねえ。どうして30代のキャラクターでやってしまうのか。
twitterで比較して持ち出されていたタコピーの原罪はその点上手かったよ、主人公のタコピーが異常なまでに無垢な宇宙人で常識を知らない事、メインの子供達も所詮小学生で狭い範囲でしか物事を見ていない事を生かした演出で漫画を魅力的に魅せている。
その認識と現実とのズレは東くんとその兄とのやり取りで視覚的にも分かりやすくなっているし
最初はいじめっ子としか思えなかったまりなちゃんの家庭の事情が後から明かされたり、ただただいじめにじっと耐えてきたしずかちゃんがまりなちゃんの死で満面の笑顔になるなどのギャップ描写も上手く、
ヘイトコントロールが行き届いている。
そしていわゆる「毒親」である大人達についても少ない出番でそれなりに保身や社会的秩序遵守に長けた大人としての側面が描かれ
こういう人いるよねーという実感を持って読者に受け入れられ、
まあタコピーは連載だったからキャラを掘り下げる余裕は十分あったとはいえ
ジャンプラには読み切りに限ってもその限られたページ数でちゃんとキャラクターを魅力的に、説得力をもって描いている読み切りは沢山あるよね
https://shonenjumpplus.com/episode/316112896822206488
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496885813688
女性同士の同性愛を描いた『その日に残るかけらのために』でも、社会人ならではの経済的な悩みには一応触れているし
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496463141040
そこに行くとこの読み切りはあまりにもキャラの魅力もないし社会性もなさすぎるんだよなー。別に長々と描かなくてもいいから、一言触れるだけでも全然違うのに。
■はじめに
気づかないうちに宗教団体Sの信徒になっていたので退会しました。
ネット見てたらそう珍しいことではない(Sにとっては常套手段)だけど個人的には初めてだったし、
知恵袋とかで自分と同様の状況にある方からの質問を見かけたりもしたので、せっかくなので書いておこうといった程度の忘備録です。
若干のフェイクも含めてぼかしつつ書いていますが、困っている人がいたとして
検索に多少でも引っかかることが出来ればとも思い、いくつかの固有名詞は生かしました。
増田の作法をよく知らないので、馴染まないところがあったらごめんなさい。
■宗教団体Sを知る
遠方に住んでいる友人から連絡があった。
私が転職したことを友達伝いに知って数年振りに連絡をくれた。嬉しかった。
近況報告をする中で、通っているという宗教団体Sについて熱く教えてくれた。
電話で何十分と教義を語る友人の熱意には驚いたが、私は宗教全般にそこそこ興味があったので、
その時点でSという団体名すら知らなったものの、友人の話をフンフンと聞いていた。
■友人と会う
しばらくして、友人が私の暮らす地方に遊びに来るという。
たまには日常を離れたいだろうし、そうした先に私の暮らす場所を選んでくれたのが嬉しかった。ここは良いところなのだ。
友人がこちらに滞在している間、ちょうどSで盛大に護摩を焚く行事があるので、
ぜひ当地にある分院に立ち寄って参加したいという。
■集会に参加する
久しぶりに対面した友人と施設に向かう。
清潔感のある施設の中に入るやいなや、教団の建物や教祖一家の写真、彫像が各所にあり、友人がいろいろ解説してくれる。
集会ができるようなスペースに通された。祭壇などがある空間にスクリーンがかかっている。……スクリーン?
結局、護摩とは本拠地で焚くもので、そこから離れた当地ではネット中継を見守るということだった。
複数(ドローン含め10台はあるか)のカメラが効果的に切り替わって飽きさせない。
世界各国から本拠地へと集まった何人もの信徒の名前のテロップが即座に入る。
離れたところにいるらしい合唱隊やオーケストラの生演奏も映る。
厳かに登場した教祖の姿に、故人である始祖の過去の映像が重なる。始祖の生前のスピーチも流れる。
大きなスクリーンに投影された映像は常に高精細で、乱れることが一切ない。
中継でありながらも綿密かつ予定調和的に作りこまれた映像にどことなく「ゆく年くる年」感を覚えながら、
音楽隊はどんなメンバーで構成されているのか(職員?一般の信徒?)とか、ボンヤリ考えながら、
厳粛にこなされる儀式の数々を相席食堂の千鳥の気持ちで見守っていた。
■お浄めを受ける
Sについてネットで軽く予習していたがこれについてはよく分からなかったので尋ねると、
短冊形の用紙にお願いする内容を記入する。
お浄めが結局何なのかよくわからなかったけれど、一つのお願いを500円で聞き入れてくれるというなら、
お賽銭や社会科見学のお礼のつもりで浄化してもらおう。ついでに知人の商売繁盛の祈願もしておこう。
友人も短冊形の用紙に色々書き込んでいた。
寺社で御祈祷を受ける時も同じような内容を書くので、こんなもんだろう。
友人の名前やSでの所属情報などを書く欄もあったのでそこは友人に記入をお願いした。
カウンターで用紙を渡し、お浄め、商売繫盛の祈願代として1000円を払う。それとは別に1400円かかるという。
ん?聞いていなかったけれど、お金を払うカウンターで突っかかるのも嫌なのでとりあえず払っておいた。
対応してくれた職員さんは気のいい人でお菓子をくれた。今はこの地域に勤務しているが全世界に転勤があるらしい。大変だ。
施設に入ったときに「お帰りなさい」と言われたのも、そういうアットホームな雰囲気づくりに一役買っているのだろうか。
■帰宅する
帰宅後、控えの用紙を改めて見てみる。
「精進願い」と書かれたその控えを見ると、追加で払った1400円の内訳が「登録費」と年度末までの「会費」だということが分かった。
え、私、登録されてる?会費、払ってる?つまり信徒になったんか??ここで初めて気づいたのだ。
友人に連絡を取って確認してみると「この用紙を提出したことであなたは信徒になった。説明足りてなくてごめんね、退会はいつでもできる」とのこと。
本人確認もなく、押印もなく、教団の教義やルールの説明も、意思表示の機会もないままに、どうやら私は信徒にカウントされる存在になっていたらしい。
私は「こうした大事なことは、まず家族との話し合いが必要」「自分のスタンスとは合わない」とそれとなく退会の意思を伝えるも、
友人からの返事は要約すると「あなたの気持ちは分かった。けれど、ここは様々な考えの人を受け入れるから大丈夫」と。
……もう何を言っても通じないと思うから、説得や議論はやめて、ほとぼりが冷めてから退会しようと決意した。
自分一人で解決しても良かったが、万一後から家庭内トラブルが勃発しても嫌なので家族に顛末を話すと「ちょっとそれはどうかと思う、賛同できない」と。そりゃそうだ。
しばらくしてから友人に退会すると伝えたところ、すぐに退会に必要な手続きを教えてくれた。
■退会する
先日お菓子をくれた気のいい職員が居たらちょっと気まずいので、その人と会いませんようにと思いながら向かった。
施設に入ると、数名の信徒が談笑していた。こちらをちらりとも見ず、挨拶もせずといった感じで、こんなもんかと思った。
平日の昼間という時間帯のせいかもしれないが、初めて行った日のように「お帰りなさい」と言ってくれる人もいなかった。
前回友人が精進届けを取ったのと同じ棚から退会届を出し、書けるところだけ書いた(ID、部会名などは空欄。氏名や住所のみ)。
望みも空しく対応してくれたのはあの気のいい職員だったので、なんかごめんよ、と内心思いつつ提出すると、
職員は退会届に受領印を押し、「はい、大丈夫ですよ~」と控えを渡してくれた。
こんなもんかと思った。施設に入ってから出るまで5分と掛からなかった。
■あとがき
結果、入会もあっけなければ、退会も超あっけなくできた。
信徒や職員にとって、こうした形で入会・退会する人の存在は珍しくもないのかもしれない。もう少し引き留められるものかと覚悟していたのに。
新興宗教では珍しく信徒が増えているというS。個々の宗教的バックボーンを否定しない(他宗教の行事参加OKなど)教義で
信徒を増やしているのかと思っていたけれど、こりゃ増えますな。
それにしても、入会させた人数で信徒としてのランクも上がっていくらしいのに、すぐ退会してもノーカンにはならないのだろうか?
入会~退会の渦中にいた時は正常性バイアスが働いて
「友人だって騙そうと思って私を入会させた訳ではないのだ」と信じていたけれど、
時間が経った今、友人の態度は誠実なものではなかったと思うようになった。
施設に行く前に「こんな田舎で護摩が直接見れるのは楽しみ」と言った私に
「友人がわざわざ私の居住地に来る(当地はお互いの出身地ではないので、私以外に知人も居ない)」、
「私の運転で観光地をまわる予定」という中で「お寺に行きたい」と言われたら断りにくく。
友人には「退会届け出したよ」との事後報告もしていないし、
「退会届け出したんだね」との連絡も来ていない(知らないはずもないと思うんだけど)。
今後、よほどのことが無い限り、私から連絡を取ることはないと思う。
入会~退会の間の約半月、Sからの連絡(郵送物、電話、集会への参加呼びかけなど)が
一切無かったことにはほっとした。もしかすると、もうしばらく経っていればIDカード等が届いたのかもしれない。
ネット情報によると、退会届けを出さずともフェードアウトしてSに関与しないことは可能だが、
導き親(今回のケースでは友人)が自分の費用も年度ごとに払うのであれば会員は継続されるらしい。
もし私のように意思とは関係なく入会してしまった人は、モヤモヤするくらいなら退会届けを出しても良いかもしれない。拍子抜けするくらいあっさり退会できる。
ただ、導き親と頻繁に会う仲だったり、悩みを抱えていたりしたら私も退会を躊躇ったかもしれない。
でも、なーにがお救け、導き親じゃ。救けてくれとも導いてくれとも頼んでなんかないんじゃ。
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアンの君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
暗黒の年と言っても良いリバイスが終わり圧倒的な期待の中で始まったギーツ
みんな見たかな?
とりあえず仮面ライダーお約束のCGバリバリ巨大な敵は今後出なくなる事は間違いない
必殺技に使ってたけど、強化フォームでバイクいらないキックになるでしょ
上下がひっくり返ってフォームチェンジも無くなりそうな気がする
ストーリーについてはギーツと面接落ちた弟君はガブトの2人のような関係だね
参加者のバックボーンが説明されたら「あ、離脱するんだ」みたいな感じにはなりそうだね
弟君はなんだかんだでギーツにべったりで生き残りながら超強くなっちゃうんだろうな
家出ユーチューバーは知らね。脱落しても残ってもどっちでもいい。どうせ迷惑キャラ。金持ちっぽいから金の力でシステム変えたり主催者に回ったりするくらいストーリーに絡むなら少し期待
序盤からアイテムめっちゃ出しまくってるけど、ネーミングはWみたいな感じだから「赤はブースト、白はマグナム」みたいに覚えられればブーストマグナムかマグナムブーストかの違いしかないのが良い
というかフォームの名前の覚えやすさが大事だってバンダイ気付いてよ
まだ1話だから期待半分諦め半分だけど頑張って見て行こうと思う
シティポップ、いいよね。
ところで、今世間を騒然とさせてる自民党と統一教会の関係だけど、ずっと前から知ってた自分からすれば「やっとか」という感じ。
何も自分がすげー事情通だからこういう情報知ってたぞ!褒めて!と言いたいわけじゃないよ。
この自民党と統一教会の関係って、どっかのスーパーハカーが韓国のKCIAやら統一教会か自民党本部やらをカタカタターン!って情報盗み取って、
その極秘情報を得てドカンと暴露して・・・みたいなパターンで世間を騒然とさせてるわけじゃないよね。
はてブでも時々ちょっとだけ、本当にちょっとだけ話題になるように普通のニュース記事とかでちょいちょいずっと定期的に取り上げられてたけど全然バズらなかった。
今、統一教会に関する○年前の記事とか、被害者弁護団の声明文とかがページがはてブにあがってるようにね、そう、昔からあったんだよね。
与党の人やら芸能人とかもやってる人もいるただの所作であるのを切り取って、
「朝鮮飲み」「コンス」とか言って、「こいつらは韓国北朝鮮の手先!」って野党叩きのこじつけめっちゃするくらい少しでも半島と関係あると思い込むと(あの国の法則、とかもあったよね)その政党やら団体をめちゃくちゃ叩くくせに、
韓国の宗教団体で日本を貶める教えもしてて、実際に多くの日本人を食い物にしてるとことズブズブでもなぜか批判しない。
とにかく韓国や北朝鮮持ち出してあれだけ嫌韓でスレが伸びまくってた昔の2chや今の5chでもなぜか統一教会のネタはそんな伸びないし食いつかなかったんだよね。
火消しや「それよりもリベラルはーみたいな」ってな話題そらしは相当あったけどね。はてブでもね。
この不自然さと、そういう人たちがなぜか統一教会的な持論をあちこちで書き込みまくってるのを見て、嫌な寒気を覚えていたけどさ・・・。
まあ、つまりもともと公然の事実だったのになぜか話題にならなかった。
シティポップのように40年前後くらい前からそこにあったのに、外国人や日本人の一部もそんなのがあるなんて知らなかった。
シティポップの各曲が自己進化して突然数年前にいい曲になったわけではないように、今回の問題もずっと探せばすぐ見つかるとこにあった。
自民党擁護でさ、「ただの社交辞令の祝電」とかひろゆきのツイートにリプしてる反論の「この程度の信徒数で影響力及ぼせるわけないでしょ」ってのあるけどさ、
ヤフコメとかでも当初集票力を当てにしてみたいに思う人多かったし、実際それもあるけどね、
選挙にはとにかく金と人手がいる。
ゲッベルスも選挙で右肩上がりに議席を伸ばしていたナチスが初めて議席減となった1932年11月6日のドイツ国会選挙戦中の日記に、
短い期間で相次ぐ選挙による資金の払底と、ナチス最大のバックボーンだった財界からの献金が減って宣伝キャンペーンが満足に行えないことを嘆いてて議席減。
そして政権取ってからは国庫からキャンペーンなどの費用を出せるようになってさらに躍進して喜んでた。
現代アメリカでも各党の大統領候補者指名争いで「○○候補が選挙資金集めに苦戦し指名争いから撤退することを表明しました」ってあるように支持率結構あるのに金がないから脱落したりする。
古今東西そして与野党問わず民主主義選挙で金が重要なのは、直感的にもわかりやすいことだと思う。
ちょっと見えにくいのが人手のほう。
昔から2chとかのネットで野党のポスターが選挙掲示板に貼られてないのを揶揄して「金も人手もないんだな野党はw」って馬鹿にする書き込みとかちょくちょくあったように、
選挙区内に膨大にある選挙掲示板に候補者が自分たちの人員でポスター貼りまくるのは大変な仕事。
掲示板に貼られてないと、活動不活溌みたいでなんか大丈夫かこの政党?ってなって悪影響なんだよ。
ポスターとかそんなんじゃなく政策で判断してる!って自負したい人も多いけどさ、
世論調査で支持してる理由は?って問いに曖昧模糊とした人柄が一番に挙がることも多いでしょ?
選挙カーで連呼してる名前を刷り込ませて活動やってます感だすのが有効だったりもするし、
駅前で辻立ちやってる候補者のそばを通り過ぎる通行人は、その演説内容を数秒しか聞いてないのにもかかわらず「毎日よくやってるな」でなんとなく好印象もっちゃうように。
ポスターちゃんと貼られてないみたいなのも日本の選挙じゃ超重要。
でもまあポスター貼りとか選挙事務所でのお茶くみとかこういう末端の手伝いみたなのだけならいいんじゃね?ってなるかもしれないが、
そこから始まって、議員に身近な存在の秘書やら常駐の事務員等、議員のスタッフとして中枢に入り込みまくってるのが大問題。
スリーパーセルとか言ってた人いたけど、議員会館に入り込んで国権の最高機関たる国会の議員にべったりじゃあ情報抜けるんじゃねーの?って想像しちゃうレベル。
これにはKCIAもニッコリ。
野党とかを外患誘致罪と言ってた人いたけど、それ言うならこれこそ外患誘致罪ってレベルじゃねーのって話だよね。
確かに名前の上がってる議員は日本会議とか神道政治連盟とか掛け持ちしてる議員多いしね。
反共でアンチサヨクなら日本人から金をむしり取る団体と交際しても問題なしなんだろうな。
周りを同一宗教団体の人で固めて洗脳ってさ、それこそその手の団体でよく問題になってる手法だから、危ういんだけどね。議員でもね。いや、議員だからこそね。
でも税金を差配できる既得権の多い与党議員って当選が第一で意外と政策があとについてきたりするのも多いのよ悲しいことに。
今回の選挙で話題になった元芸能人候補者みたいに勉強不足で出る人も多いから。
そういう人って政策やら国会の各委員会でのお仕事はもちろん支持団体のあいさつ回りの選考なんてこういう周りのスタッフやら党本部のスタッフに頼りまくりでどんどん染まっていく。
最近もあったママ友の洗脳事件やらと同じでさ、外部とのつながり絶たせて周りを全部固めてから洗脳していくんだよね。
からっぽな議員を当選させるための大事な選挙活動をしてくれるスタッフ側が、議員の先生の政策を結果的にコントロールしてるような感じにもなりうる。
実は自民党って想像以上に若い党員確保が難しくなってきててほとんど高齢者で手伝いしてくれる人不足してるのよ。
だから普通の日本人と称してプロ市民ばりに選挙活動からネット活動やってくれるこういう宗教団体をめっちゃ重宝してる。
そう、プロ市民とはむしろ彼らみたいな人のことを言ったほうがしっくりくるのかもしれないね。
今のガチ最右翼みたいな自民党議員って中には選択性夫婦別姓を公約に掲げてたりしてた人もいるけどどんどんそっちに行った人もいるしね・・・。
安倍氏が小泉氏の後任を決める2006年の自由民主党総裁選挙で掲げたスローガンだけど、
この「美しい国」ってのは、1998年に亡くなられた統一教会の日本支部の初代会長の遺稿集のタイトルでもあるんだよね。
『美しい国 日本の使命 久保木修己遺稿集』ってのが2004年に統一教会の世界日報社から刊行されてる。
偶然かな?
うん、偶然だな!
たぶん自民党の先生たちは自分たちが統一協会を利用してると思ってるんだろうけど、
政策の引っ張られ具合染まり具合がむしろ宗教団体に自民党が利用されているレベルに見えるのは気のせいかなー?
ともかく実態はすごいよ。
各報道機関が自民党の議員の秘書とか政策スタッフにどれだけそういう人がいるか調べたら、「だたの社交辞令の電報・動画」みたいな擁護言えなくなるから。
今めっちゃサイトからそういう消しまくってるだろうけどさ・・・。
本筋の自民党以外にも野党にもちょろっとだけ送り込んでるとこ。
本筋の自民党より議員数の割合から換算しても圧倒的に少なくても、政治的影響力の大きさがかなり違ってても、擁護者が「どっちもどっち」って言える。
例えば前原誠司氏なんかは本来仲間であるはずの議員や党員に事前相談も十分にせずだまし討ちするような形になって党を瓦解させた人だしね。
こういう使い方もできるし宗教団体側からしたらめっちゃ便利だよね。
日本の与党に食い込み、日本の最大野党を分解させる。すごい!フィクションの世界みたいだ!
前原氏も他の自民議員も関係ないならないって断言してほしいなー。
関係断つ宣言だけでなく、多くの被害者を出してる団体に批判もしないとね。
ただ「知りませんでした。これからは関係を持ちません」じゃ、この被害問題に取り組まないで、また名称変更してフロントになる団体作ってそこから支援もらうだろうし。
あとねこれも言いたい。
この手ので議員の先生が「統一教会系って知らなかった」とか言うけどさ。
嘘だったら相当アホだし、ホントは知ってて嘘ついてるなら悪辣すぎる。
特に、普段口うるさく中韓のスパイーがー!とか言って自分たちの愛国心やら危機管理能力の高さをアピールして
選挙の手伝いや支援してくれたりチヤホヤしてくれるからってホイホイ出席する議員の先生が一番脇の甘いお花畑な反日売国奴だよ。
カタカタターンのスーパーハカー情報でもない、俺みたいな人間でも簡単に知れる情報にくらい勉強しようぜ。
そんな脇の甘さで中国とかロシアとかはたまた国内の反社とかの団体の息かかってたらどうすんの?
つーかどうすんのも何も実際食い込まれてたなジャパンライフとかに。
中国のハニトラがーも言うなら自党の議員のパパ活疑惑もっと批判せいよ。
こういう連中こそ簡単にハニトラひっかかるだろ。
まあそういうのに出席する議員を擁護してあげるとするとさ、まわりが統一教会やらなんやらの宗教色強い事務所スタッフだらけだから、
「先生、あの団体はなんの問題もありませんよ出席しても大丈夫です反共ですし」みたいな秘書らによるガバガバ反社チェックされてるのかな。
国家公安委員長もアレだったし、警察・公安関係からのレクで「(統一教会系の団体は)大丈夫です」とか言われてそう。
最後に。
世界屈指の経済大国でアメリカの地位を脅かすとまで言われてた日本を、
G7の主要先進国のみならず、先進国クラブであるOECD加盟国でも最低レベルの経済成長率に貶め、
かつてG7内で1位だった一人当たりGDPも最下位イタリアに毎年差を詰められていて、所得水準も各世代で約100万とか激減させ、
豊かな研究水準を誇ってた過去の日本の大学を「大学はサヨクの巣窟」として破壊してネポティズムでえこひいきした私大を優遇して落選したときはそこで世話してもらったりしする一方、
(この問題も15年以上ずっと前から言われたのに体制批判だ政権批判だって叩かれてた)
現行憲法で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」ってなってたとこが、
自民党の改憲草案の20条で「国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない」ってだけになって、
アレ?宗教団体が政治上の権力を行使してもいいようになるのかすごいなーって感じ。
そこからさらなる改憲したら神権政治もOKになりそう。データなんかいらねぇよ!お告げで決めるぜ経済政策!
急な解散でもない限り選挙のないこの黄金の3年間にこの問題をうやむやにして、是が非でも改憲して、
政教分離が大きく後退した新憲法化で政治権力を握りたいんだろうなぁ。
与野党ともカルトを一層してほしいけど、どうせまたいつも野党をデマ等で叩いて与党を擁護する一部の人らの
「野党がだらしないから自民党から統一教会が一層できない、悪いのは野党(特に立憲と共産)!」で楽勝かな?
なにせ自民党の総裁である安倍氏が選定した党幹事長の二階なのに、
その親中二階が居座ってるのは自民党も安倍氏も悪くなく、なぜか解任する権限を持たない野党、特に立憲が悪いって論のヤフコメに何千もいいねついてトップコメになるくらいだからね・・・
(2020年頃のコロナ下でのニュース。現在は消えて見れない。ヤフーニュースとかすぐ消えるのどうにかして欲しい)。
なんでもかんでも野党のせい。
また、特定の自助グループを非難する意図も、自助グループの存在を非難する意図もありません。
先日、初めてある自助グループに参加した。
私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関に相談したところ、自助グループに参加することになった。
自助グループとはどういうものかというと、なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさなど気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題や気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。
なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。
そもそも、正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーンや出来事のタイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。
とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。
(結論からして、具体的なアドバイスは医師やカウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味「職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思う。
ただ、他の人の経験を聞ける、自分も経験を話せると言う点では自助グループは有意義だとも思う。個人的な感想です。)
私もメンタルの病を持っており、医師やカウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタルの問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。
~~~~~~~~~~~
びっくらこいた。
形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ちを吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。
また、ミーティング中は特定の施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。
しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。
前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。
正直病んでてもともとなのである。
自分の話になるが、物心がついたときから「死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。
親との関係がそもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである。
病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。
そこに状況の否定が来ると、混乱する。
おかしいと言われれば、たしかにおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。
まあ、おかしいだとか普通じゃないと否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つが、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。
前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。
また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。
そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。
友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。
「死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護を要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。
しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院やカウンセリングに頼る。友人にサービスは要求しない。傾聴はするし、お互いの嬉しかったことや悲しかったことを共有こそするが、それは友人関係の範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手に相談することはない。
これは(成人して一応社会生活を送れる身としては、)友人を親に置き換えてもほぼ当てはまる。少なくとも私の状況では。
なので、病院やカウンセリングを中心に頼っている今は、友人たちとも親ともかなり良好な関係が築けていると思っている。
友人や親とは一応心配しあってはいるし、お互いの状況や気持ちを聞いて「そりゃきびしいなあ」とか「やったやん」などと言うことはあるが、それで「あれをしてあげた、これをしてあげた」ということはない。
そんな関係を、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。
また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。
夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情を考慮した結果、また同居をするつもりでいる。
その旨を話すと、鬼のように止められた。
たしかに同居にはデメリットもある。心理的に距離が保てない(=自他境界が曖昧な)二人が同居すると、それはそれはトラブルが絶えない。
しかし、「自他境界が曖昧で問題が起こる」ということを自覚した上で、病院やカウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。
実際、別居のメリットも十分感じた。
最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分の生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。
でもその上で、仕事場へのアクセスや金銭的事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。
トラブルがあれば、その都度カウンセリングや医療機関を頼る、また一時的に親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。
細々(こまごま)とした事情を自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである。
これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。
そのことがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。
もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。
そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。
また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもや、もやもや…
~~~~~~~~~~
その自助グループに参加してから、混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ。
それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。
その場では参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。
行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリングで相談したらいいのではないかと考えた。
ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しかし意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。
カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。
一通り打ち明けたところ、自助グループの役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。
心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。
結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー、医師と相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。
何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループに行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。
その自助グループや、自助グループというもの自体を否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。
私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。
でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。
場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。
その場合は、カウンセラーや医師に相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先だ。
それに、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点でも、医師やカウンセラーと相談して、安心して話せる自助グループを探してみてほしい。
(カウンセラーについても、無資格のカウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック。
臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます。
また、特定の自助グループを非難する意図も、自助グループの存在を非難する意図もありません。
先日、初めてある自助グループに参加した。
私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関に相談したところ、自助グループに参加することになった。
なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさなど気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題や気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。
なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。
そもそも、正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーンや出来事のタイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。
とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。
具体的なアドバイスは医師やカウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味「職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思われる。(個人的感想です。)
私もメンタルの病を持っており、医師やカウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタルの問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。
~~~~~~~~~~~
びっくらこいた。
形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ちを吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。
また、ミーティング中は特定の施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。
しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。
①全体的に否定される
前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。
正直病んでてもともとなのである。
自分の話になるが、物心がついたときから「死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。
親との関係がそもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである。
病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。
そこに状況の否定が来ると、混乱する。
おかしいと言われれば、たしかにおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。
②繋がりを否定される
まあ、おかしいだとか普通じゃないと否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つは、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。
前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。
また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。
そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。
友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。
「死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護を要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。
しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院やカウンセリングに頼る。友人にサービスは要求しない。嬉しかったことや悲しかったことを共有こそするが、それは友人関係の範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手に相談することはない。
友人たちとはかなり良好な関係が築けていると思っている。そこを、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。(今思うとあまり詳しく話をしていない状況だったから否定されたのかもしれない。)
③傾聴が機能していない
また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。
夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情を考慮した結果、また同居をするつもりでいる。
その旨を話すと、鬼のように止められた。
たしかに同居にはデメリットもある。心理的に距離が保てない(=自他境界が曖昧な)二人が同居するとそれはそれはトラブルが絶えない。
しかし、「自他境界が曖昧で問題が起こる」ということを自覚した上で、病院やカウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。
実際、別居のメリットも十分感じた。
最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分の生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。
でもその上で、仕事場へのアクセスや金銭的事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。
トラブルがあれば、その都度カウンセリングや医療機関を頼る、また一時的に親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。
細々(こまごま)とした事情を自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである。
これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。
これがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。
もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。
そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。
また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもや、もやもや…
~~~~~~~~~~
それで混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ。
それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。
それで参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。
行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリングで相談したらいいのではないかと考えた。
ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しかし意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。
カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。
一通り打ち明けたところ、自助グループの役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。
心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。
結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー、医師と相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。
何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループに行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。
その自助グループや、自助グループというもの自体を否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。
私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。
でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。
場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。
その場合は、カウンセラーや医師に相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先かと考えている。
あと、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点も、医師やカウンセラーと相談して探してみてほしい。
(カウンセラーについても、無資格のカウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック。
臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます。
PLAN75という映画、話題なので見に行って見たけれど着想だけなら面白いと思ったけれど
とにかく本筋とは違うところで気になって、結果的にはいまいちだったなーという印象になった
河合優実という若い女優が演じるキャラクター、予告では初っ端から出てきて目立っていたが実際の映画の中では1時間を過ぎてもまだ出て来ない
いつ出てくるのかなーと思いきや後半になって突然出てきて、主人公に対して異様な共感を示し、あまつさえ二人きりで会うという誘いに乗ってしまう。有り得ないでしょ、リアリティなさ過ぎ
全体的に淡々としていて登場人物が他人に無関心な映画の中で、悪い意味で彼女だけが浮いている
職場の指導役が、他の職員に対して躊躇する利用者を安楽死に導くようにと教え諭す場面でも、河合優実だけが良心のある真っ当な人間なんですよと言わんばかりの過剰演出で浮いている
酷いのは河合優実がどのようにしてこういう考えに至ったかとか、主人公ミチの誘いに乗る事を決めたのかとか、そういうバックボーンの描写が皆無なんだよね
ただただ優しくて感受性豊かな聖女なんですと言わんばかりの薄っぺらい描写
もう一方の行政側の主要人物である磯村勇斗演じるヒロムの方は、叔父との再会をきっかけに制度への疑問を持つ様子が描かれているから感情移入のしようがあるんだけど。
とにかく河合優実が浮きすぎで、その一点だけでもこの映画は駄作だと思った
何つーか、映画というものはあらすじ自体のみならず、構成や演出も大事なんだなとつくづく思った
河合優実の存在が余計なノイズ過ぎて、安楽死の是非とか高齢化社会への対応とかそういう事を考えるのもバカバカしくなってしまった
https://happinet-phantom.com/plan75/
公式サイトのトップを見ると映っているのは主人公のミチ、男性市役所職員のヒロム、外国人介護士のマリアの三人だけなので
あくまで映画の主軸はこの三人なのか?なら河合優実の役は完全に削った方が良かったと思う
高齢女性の貧しい一人暮らしながらも一人で丁寧に食事を作り、部屋を整え、
ホテルの客室清掃という地味な仕事だが職場のロッカーに文庫本を置いている点や仕事を辞める日にロッカーを拭いて丁寧にお辞儀をする点などに
このような主人公が夫も孫や子もなく一人暮らしである理由の一端は後半で彼女自身の口から語られるのだが
その場面が河合優実演じる成宮瑶子に電話越しに身の上話をする場面だというのが本当に残念
とにかく河合優実が要らない本当に要らない
https://anond.hatelabo.jp/20220627202642
の実況後感想です。
・メンタル組で話すシーンとかハイジョ5人の友情を感じるシーンとかのオリジナル要素が良かったです
・前半36分15分飛ばしていい
・↑サイスタのメインストーリーを早口で低クオリティで再現するだけのシーン
・ない方がマシレベル
・プロデューサー、いる?
ストーリー、つまんなくないですか?
ポジティブな感想で「アイドルのこういう面や交流を見たかった」とか言ってますが、これはSideMを好きな人間なのでアイドルの新規カード来た~くらいの感情です。
アイドルマスターSideMで舞台やりたいです!ってオファーしてくださったそうですが
ああこの作り手はSideMのこういうところが好きなんだな、というのがわかりませんでした。
かろうじて「他のユニットメンバーと一緒に進んでいくことが大切」なのかなというのが夏来と旬やメンタル組のやりとりでうっっっっすら感じましたが…。
SideMって当然サイスタで語られている以外にもアイドルたちのバックボーンや葛藤ってたくさんあるはずなんですが、
サイスタすらもまともにやってないんじゃないか?という印象でした。
SideMでやる必要あった?アイドルマスターっていう看板が欲しかっただけじゃないの?という印象です。
元アイドルの方が脚本、2.5で有名な方が演出、と聞いて正直期待していたのですがまさかサイスタのメインストーリーよりも薄い作品が出来上がると思いませんでした。
死んで空に浮かんでいるプロデューサー、
意味不明なプロジェクションマッピング、
早口、
これを無視して「良かった~!」って言ってる人たち本当に怖い
前半の早口とかただ丸暗記したセリフを読むだけのシーンとか普通に不愉快でした。
サイスタのメインストーリーを知っているのでなんとかついていけましたが、
メインストーリー知らない人は知らないキャラが沢山出てきて早口でまくし立ててるようにうつりませんか?
私が普段見ている舞台が、チケットとるのがそこそこ難しい2.5や宝塚や劇団四季くらいなので、この箱の規模だったらこんなもんだよ、みたいな感じだったらすみません。
ツイッターですごく評判がよかったので、では見るかと思って買いましたが正直高い買い物だったな、という気持ちが大きいです。
こうしてはてぶを書くことで費用対効果を得てます。(得てるか?)
配信組だったのものあり、現地で見たらまた没入感は違うのかもしれませんがこのテンションで現地行かせられたら普通にキレてしまうと思う。
もし二回目三回目とかあるなら値段に見合う舞台にしてほしいです。
今回、担当がいないので気楽に見れましたが、それでもン?って思ってしまう部分は多々ありました。
まず、ターゲットがどこに向いてるのかよくわからなくて、SIdeMをすごく好きな人に見てもらうのであれば、もっと工夫のしようはあったと思うし、
逆にSideMをあまり知らない人に見てもらうにしても、最悪の前半36分はない方がマシでした。
何を伝えたいのかわからなかった。
もちろん7年もの歴史を持つ積み重ねの化身であるモバを舞台でやれとは言いませんが、
アイドルとしての魅力を伝えたいのであれば変ないざこざは描かないでよかったし、駄菓子屋でスタンドを出す必要もないと思う。
本人の葛藤を描きたいなら翼のようにもっと桜庭のバックボーンに注目してもよかった。
あと輝が怖かった。
私はSideMが好きですが、仮にSideMを布教するとしたら、これをSideM知らない友達に勧めるかというとNOです。
普通にサイスタのメインストーリー読んだほうがマシなので。(サイスタのメインストーリーが良いかどうかは別としてマシではある)
あとアニメ。私の担当はアニメにアイドルとして出ていないモブ扱いですが、それでもこの舞台よりは見やすいと思います。
後半の満足感、ユニットを越えたアピールチャンスとかを見る限りは、舞台である必要もあるような気はしています。
なにせ現状SideMのゲーム以外の展開が声優のライブで、声優のライブでは声優が来ないとアイドルそのものの出演もできないという都合があります。
私は「声優や俳優がみたい」のではなく「担当アイドルが見たい」のでこのように一応公式としてアイドルがゲーム以外の部分で描かれるのには好意的に見ています。
今回担当は出演しませんでしたが、担当が出たら見たいか?と聞かれたら見たいです。
なにせアニメにも出ていないので、なんでもいいから公式からお出しいただく担当はなんでも見たいという気持ちもあります。
もう少しどうにかできたであろう部分も多いので、それはアンケートで送ろうかなって感じです。
と言うか、ぼくのかんがえたさいきょうの超人(能力者)の延長上のお遊びって認識ないヤツ多すぎてな
二次創作するほどでもない(あるいは二次創作する時間がない)けどこんな話を考えたよ!なら、
でもわかりやすさを完全排除すると商業的に大失敗するのでまず無いよな
せいぜい鬱展開ぶち込んでドヤ顔する・野﨑まど氏が正解するカドで見せたちゃぶ台返し程度しか出来ない
つーか、ちゃんとバックボーンが練られてる作品はもう日本じゃ期待できねーのかなって段階にきた気がする