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2023-02-08

白人抵抗したインディアン英雄たち

投稿です

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

フレチャス・ラヤダス

 ヒカリラ・アパッチ族戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

2022-10-06

白人抵抗したインディアン英雄たち

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアン君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

https://anond.hatelabo.jp/20221007130539

2022-03-04

anond:20220304003105

外征は勝てば権益が美味しい

南京でも東南アジアでも、中世奴隷狩りでも、外征は末端兵でも美味しいことがある

が、防衛は、守って何か得があるんですか

自分がその場で死ぬかもしれないリスクのわりに、何も利益がない

2021-11-01

女性社会進出というのかい?贅沢な名だねぇ。

からお前の名はアフリカ奥地の奴隷狩りだ。いいかい、アフリカ奥地の奴隷狩りだよ。わかったら返事をするんだよこの豚が!!!

2021-10-18

エロマンガ島歴史

予想以上に凄惨だった

いまのウイグル人みたいなことされてんな

エロマンガ島

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

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エロマンガ島地名: Erromango Island

Erromango, Dillon's Bay. July 8th 1858. John Williams, Missionary, killed 1840 by Thomas Bent.jpg

1858年スケッチ

Vanuatu - Erromango.PNG

地理

場所 メラネシア

座標 南緯18度48分50秒 東経169度7分22秒

諸島 ニューヘブリディーズ諸島

面積 892.25 km2 (344.50 sq mi)

最高標高 886 m (2,907 ft)

行政

バヌアツの旗 バヌアツ

Flag of Tafea Province.svg タフェア州

人口統計

人口 2,109人[1](2016年時点)

人口密度 2.4 /km2 (6.2 /sq mi)

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エロマンガ島エロマンガとう; 英: Erromango)は、南太平洋バヌアツのタフェア州最大の島。ニューヘブリディーズ諸島の一つ。「エロマンゴ島」、あるいは「イロマンゴ島」とも表記される。そのエロ漫画を連想させる名称から日本では特に珍地名の一つとして紹介されることがある。

目次

1 地理

2 歴史

3 行政

4 交通

5 言語

6 脚注

7 参考文献

8 関連項目

地理

エロマンガ島地図

島の中心部標高 837 mの火山がある小島で、周囲は珊瑚礁に覆われている。面積 887 km2、人口2016年国勢調査では2,109人[1]。主要な産業牧畜業・農業で、肉牛を飼う大きな牧場が広がっている。西側のディロン湾に好錨地を持つ[2]。かつては全体が密林に覆われ上質な白檀が取れたが、乱伐によって現在ほとんど森がなくなり、白檀も取れなくなった。

歴史

18世紀にはイギリスフランスの旧共同統治領になっていたが、実質上は無政府状態に近かった。ポリネシア系の住民が大昔から住み着いており最盛期には10,000人に達していた。

1830年から各国が宣教師を送り込み教化を試みたが、送られてから数年以内に原住民人間狩りに遭って虐殺されて食べられるという事件が頻発していた。犠牲者の中にはロンドン宣教師協会ジョン・ウィリアムズも含まれていた[3]。

1840年から宣教師白檀目当ての商人たちが持ち込んだ赤痢はしかなどの伝染病が、島中に蔓延するようになり、人口の減少が始まる。商人たちによる住民虐殺なども頻発するようになった。1860年代には白檀の大半が伐採され森林は荒れ果ててしまった。これ以降は奴隷狩りによる人身売買が島を訪れる商人たちの主目的になっていく。1884年フランス宣教師人間狩りに遭い、殺されて食べられるという事件が起きると、フランス軍が上陸報復を行った。しかし、イギリスとの領有権問題からイギリス側の抗議を受けたため、フランス軍は村をひとつ焼き払っただけで撤退した。

1887年に共同海軍委員会設立して島の治安維持に当たることになった。しかし、住民保護する法律もなければ行政機関もなく、住民白人危害を加えたとき報復するためだけの組織としてしか機能せず、実質的には無政府状態のままだった。

1906年イギリスフランスの間で共同統治領とする条約が調印され、各種の法律整備も進められ、行政機関が設置されて無政府状態が解消した。原住民に対してもキリスト教布教を行い食人文化禁止し、文明化をすすめたため、20世紀初頭には食人は完全になくなったといわれている。

最盛期には人口1万人に達した繁栄した島であったが19世紀から激減する。住民現在でもキリスト教宣教師を殺した神罰により衰退したと信じているが、実際の人口激減の理由ヨーロッパ人がもたらした伝染病による大量死、略奪、オーストラリア開拓のための奴隷狩りブラックバーディング)である。このため、島の社会崩壊し、キリスト教化された住民の間にポリネシア伝統文化などはほとんど残っていない。

2021-05-04

anond:20210504090206

なんだ、牛かと思ったら本物の希少民族軽井沢ジモティーか。アウトレットで働いてるのは奴隷狩りして他県から引っ張って来てると思ってた。

2020-11-17

アメリカ黒人はなぜアフリカに怒らないのか

アフリカの偉い人達奴隷狩りしてたのになんでアメリカ奴隷の子孫さん達はアフリカぶち壊そうってならないんだろう。白人も悪いけど黒人も悪いだろ。

2020-08-06

anond:20200806104826

軍隊が敵国の政府丸ごと乗っ取る

奴隷狩りの実働部隊は現地の為政者役人民間人

から支配者の日本軍責任を問うているのだ

2018-06-16

サムライアリ

クロヤマアリの巣を襲って幼虫や蛹をさらい、奴隷として働かせる習性がある。これを奴隷狩りという。

現代中世ジャップランド社会を表すセンスある名付けに驚いたw

2017-11-15

いわゆる独裁政治って効率そんなによくないよねって話

記事がどっかに流れてしまって、大したことを言ってないので探すのも面倒なのでこのまま書くけども、

民主主義より独裁のほうが効率よくないか、という話の反論というか徒然なる雑感です

 

まず基本的に、会社国家だと、会社経営者経営が失敗したら倒産して社員失業して、

それはそれで大変なんだけど失業保険とか再就職とかそこそこ逃げ道があるんですが、

国家が破たんすると会社と違って逃げられないという問題があります

日本語なんて日本しか通じないですし、今どきはどの国も難民に冷たくて排斥されます逃げられないですね

まり会社経営失敗してもしょうがないけど、国家運営失敗しちゃいけない

国の運営に参加してる人(国民)は、そういう「絶対に引けない戦い」をやってる

 

つぎに、経営政治がやってみて上手くいくかどうかは、究極的には「わからない」です

一部の例外を除いで正解なんかないので、特定事業に全リソースを注ぎ込むようなカッコイイことをやって

上手くいくかどうかは時の運というのは、会社はやっていいけど国家はやっちゃまずいです

 

つぎに、その一部の例外である「必ず正解する政治」ですが、

後進国先進国の真似をして追っかけるてのがありまして

先進国イギリスとかが成功したのはアメリカ大陸インドアリカを筆頭に超絶に搾取しまくったからですが、

そのあとを追いかける国が真似しまくったのが啓蒙専制君主とか重工業に集中投資とかそういうやつで、

今どきだと、いわゆる開発独裁ですよね。ソ連の五か年計画みたいのも入れちゃっていいと思うけど、

工業とか何もないところに工業を導入したら上手くいくというのが開発独裁の言い分ですけど、

しばらくすると高成長でごまかしてたのが成長が落ちて、取り分の配分で意見が分かれるようになって

正解のない政治世界に逆戻りしま

日本明治から戦後高度成長期自民党一党政治でずーっと開発独裁と呼んで差支えない状態でしたが、

80年代セカイイチ経済になったあたりで正解のない政治と向き合うようになり、それで政策失敗して今に至ります

 

さて、話の方向をちょっと変えまして、国会の話し合いとか時間無駄だよねって件ですが、

議会政治がないと、もっと効率が悪くなります

選挙自分たち意見を表明する人を出して話し合いをするわけですが、あれで大事なのは合意形成なんですよね

政治って、「あれはやらない、これはやる」というイエスノーもありますけど、

「あれもこれもやらないといけないけど、どこから順番に手をつけようか」ということをやりまして

橋をかけるのが先か、保育園を建てるのが先か、優先順位をつける

もちろん、最終的には全部やるということで、それぞれの現場議会の結果を持ち帰って、

「後で橋をかける順番になったので、先に保育園を作るのを協力してくれ」と、選んでくれた支持者に合意を説得する

みんなが「自分意思で協力する」体制を作るための議会なんです

 

これが議会がないとどうなるかというと、合意してない人にやらさないといけなくなる

自発的にやる気がある人だったら、自分で動いてくれると期待できます

けど、やらされてると感じてる人だったら、隙を見て自分の都合でサボります

サボる奴は監視して管理すればいいだろう、と思うかもしれないけど、そうすると、管理費がかかります

人間自分の面倒もろくに見きれないのに、他人の全部を監視できるわけがない

管理って大変なんです

 

会社だって、人数が増えると少人数の頃に比べて管理費が膨大に膨らみます

IT革命って「管理費がちょう安くなるよ」って話だったはずなんですが

現状、総トータルの管理費あんまし変わらん感じでして、むしろ増えてたりもしまして

大企業で10万人単位かそこらの管理で大変なのに、日本国場合、億ですよ億

 

1億の人間監視して管理して効率よく動かそうと考えた場合コストって、どれだけかかるか見当もつきません

警察官をどれだけ増やせばいいのか。警察官監視する内部監査職をどれだけ用意すればいいのか

かといって、管理しきれないからと放置して、みんなが好き勝手に動いたら、効率よくなるわけがない

 

独裁とか専制とか、管理費用がかかりすぎる仕組みを高成長率が期待できない状態でやったら、管理コスト国家が縮小してくしかない

地下資源取り放題とか植民地搾取とか奴隷狩りとか、そういう美味しい搾取が出来るなら話は別です

独裁体制軍事増強して韓国中国に攻め込んで奴隷労働者を確保できるとかね

今は乱世だ、朝鮮半島を再植民地化して搾取しようとか、そういうビジョンがある人が独裁を唱えるなら、それはそれでアリかと思ったりしま

そうじゃないと現実的じゃないと思います

それが不可能というなら、国内コスト負担するしかないので、つまり国民負担がかなり重くなります

 

最初の話に戻りまして、なにが正解かわからない現状の政治に参加する(参加させられる)にあたり

管理費を軽減するための合意形成のための議会って大事だと思います

2017-08-07

俺が見たブラック企業とそこで長くいる人間たちの特徴、そこにいたらどうなるかということ

とんでもねぇブラック企業新卒で当たって、アブグレイブ刑務所で行われた捕虜虐待レベル労働を課せられ精神疾患入院し、未だに軽度のパニック障害を起こす程度に軽く心身を破壊され、履歴書を荒らされまくり、処方される薬を飲まないとマジで、どこも外にすら出れず、人生をマトモに軌道に乗せるのに大学出て3~4年はかかった俺の意見を聞いて、参考にしてください。

老婆心からですが、就職を控えた学生の皆様は、どこにでも地雷原のように潜んでいるこういうブラック人間がいるという事を頭の隅に置いておいてください。

1、そもそもブラック企業(部署)の人員は「超攻撃的、好戦的コミュ障の集まり

まずブラック企業をまわしてる連中というのは、人間としての常識通用しません、相手意見も聞きません、一方的に話を打ち切るならまだマシ、口答えしようものなら1時間近く怒鳴り散らされます。気の弱そうな奴には手が出ます、足がでます椅子が飛んできます

教育と称してハンコの傾き具合からフォント位置言葉尻を取って半端じゃないマウンティングをしてきますリアルウシジマくんの世界です(恐ろしいことにそこそこの企業

典型的なウェーイ系だった同期は3か月で話が通じないと非常事態とばかりに辞めました、真面目一筋さわやか体育会系だった先輩は俺がきて三日目にアルカイックスマイルのまま倒れて病院に運ばれて二度と戻ってきませんでした。

ブラック企業をまわしてる人材の特徴としては、まず根っこは病的なコミュ障です、ネット煽り喧嘩しまくってる凄い荒らしリアルでそれをやっているようなものに近いと感じます

当然、ほうれんそうなんてもの崩壊しきっているため、スキルらしいスキルはまず身につかないと考えていいでしょう、というか、スキルは独占されて与えられません(人間不信も極まってるから教えたら食い扶持取られて寝首を掻かれると本気で思い込んでいる節があった)

2、彼等の根っこは非常に劣等感ルサンチマンに塗れた過去がある「ナンバー1になれるほどではない有能だった悲劇の陰キャ達」

そういう、「法律は破らないがモラルマナーは一切守らない、何故なら罰金刑罰もないから(原文ママ)」というようなタイプブラック人間というのは、どうも話を聞いている限り生まれ持って悪として生まれてきたような奴というのは、いるにはいても重役社長クラス人間だけなように思います

大体が、かなり複雑というか、コンプレックスを抱えて肥大化し、歪んでしまった人間というのが多いと感じました。親が優秀すぎてどれだけ結果を出そうとも褒められなかったとか

野球だかサッカーだかで最後までライバル校や才能あるやつに勝てずナンバー2に甘んじて、才能の限界を感じて自分から降りてくすぶっていたとか、そういう過去が必ずあります

あと共通するのは、病的なまでに根本人間不信ということです。結婚しているのに自分の嫁さん子供すら信じていません。溺愛はしているのですが、人とのちゃんとした愛情関係というのが、そもそも理解できていないところがあります(大体ギクシャクしていて家にいたくないか会社にずっと残っていることが多い)

自分自身共通項があるとすれば、彼等ブラック人材本質はかなり「陰キャ」に近いといっていいです、それを隠すために真面目系クズではなく、スキルポイントを全部攻撃性に突っ込んだDQNや悪に足突っ込んでクラスチェンジした存在といえるような気がします。

荒木飛呂彦の悪役論でいう「自分の弱さや劣等感攻撃性に裏返した人間ほどタチの悪い存在はいない」を地で言っていると感じます

3、何故彼らはブラックにとどまるのか「萌え4コマのようなやさしい世界では、テロリスト凶悪犯罪者みたいな奴等には地獄のもの

曲がりなりにも確かに有能ではあるからホワイト企業にでも行けばいいのに、と思い、自分一般派遣ではあるけど(ブラックもう二度と当たりたくないか不安定というリスクを背負って)結構上の企業で働かせてもらっていますが、後述するブラックの影響と先んじて、何故彼等はホワイト企業いかないのか、なんとなく想像がついた所感を述べます

純粋に居心地が悪いからというのがありますホワイトで人も良くてちゃんと福利厚生も整ってるのに、相手の何気ない善意やそういったところまで、何か自分を陥れて付け込む罠ではないか裏切られる前に裏切ってやる!こんな所よりもっといいところに食い込んで栄達の足掛かりにしてやるわ!とか、ブラック企業洗脳を受けて、ブラック思想無意識レベルで刷り込まれたら、こんな風に考え、わずかなミスでも笑ってフォローされるのが、逆に不気味で怖くて怖くてしょうがありません、超疑心暗鬼になって挙動不審とまで言われてしまうっていうのがあります

実際、私の見たブラックへ下ってきた元一流企業勤めとか、そんな連中というのは、そういう企業に馴染めなかった「コミュ障」というのがかなり多いです。親和性が非常に高いのかもしれない。

この件に関しては主語デカい、お前の精神構造おかしい、とか言われるかもしれませんが、とにかく私たちのように何にも知らずにいきなり社会出てブラック洗脳食らった人間ならまだしも、ブラックの水に合う人間というのは、フリーザ様のようにホワイト環境こそが地獄に思えるのかも…とは思います

4、ブラック企業に入ってブラック洗脳受けたら、思想志向がこんな風に変わる「チンパンジーのような猿人本能に刻まれた悪の才能が開花する」

ここが本題に近くなりますが、最後ブラック企業ブラック洗脳や彼等ブラック人間と机を並べて仕事すると、こんな風に思想からから無意識に変わってきます

まず「相手言葉尻をとらえられないように返事が曖昧になる」というのがありますわずかな些細なミスでも手や足が出るレベルで切れられたり、とにかくマウンティング脅迫材料にしようとしてきますから仕事上で必ずこんな風に曖昧だったり、自己防衛的にどもるようなしゃべり方になります(これが治すのに一番苦労した)

次に「すべての善意的行動に何らかの罠や悪意が混じっているのではないかとフル回転で邪推する」というのもありますブラックでは支配するのに持ち上げて落としたり、油断させて本音を引き出すためにこれをまずしてくるので、ありとあらゆる善意的行動に対して警戒行動を取るようになります(美人局とか絶対引っかからないだろうなーとは思うようになった)

次は「(法律的ではなくモラルマナー的な面で)悪いことやゲス行為をするのに対して、躊躇がなくなったどころか、悪いことに関しての創造性はポンポン飛び出るようになった」です。

躊躇なく目の前で妊婦や老人が立っていても、足を組んで優先席スマホ弄りながら服が当たっただけでにらみつけられるようになります(自己嫌悪にその後夜凄まじく陥るが、これぐらいオラついて確保していないと付け込まれて食い物にされるのがブラックです、兵隊が反射的に銃を撃つようなレベルで、反射的にこういう行動をしてしまうようになります)

最後は「悪の才能が開花しているのを身をもって感じる」というのが一番自己嫌悪と後悔が凄い強烈に襲ってきます

進んで善行を行っても何故か裏目に出て立場が悪くなったり怒られるようなサイクルに陥ります、逆のことをすると何故かうまくいったり騙しとおせて評価されるようになります

オカルト的な話ではなく、単純に思想性向が悪に固定化されるのがブラック洗脳なので、無意識的にそういう風な行動ルーチンが怒ってしまうのでしょう。

ぶっちゃけ日本戦争とかミリタリー技術には遠い平和な国でよかったと本気で思います左翼的意味でもなんでもなく、こういうブラック人材ゴロゴロしてる社会

東欧とか見たいに国民全員が銃の打ち方と戦い方知ってるとかになったら、今頃彼等ブラック人材が、ユーゴ内戦の極悪民兵組織みたいに、集団暴行・銃撃・脅迫狙撃破壊工作・略奪・強姦民族浄化人身売買奴隷狩り違法物品密輸とか、オンパレードで手を染めることは間違いないと断言できます、彼等には行動力があってもそれをするスキル日本国内にはないから、ブラック企業新卒いじめるくらいで済んでいると、本気でブラック人格破壊寸前まで被害を受けたから、私はそう思っております

最後学生の皆さんへ

ブラック人材ブラック業種に集まりますブラック業種でもシェア経営状況が上ならそんな犯罪者通り越してテロリストすれすれのキ〇ガイみたいなのはいねーだろと思うかもしれませんが

彼らは本当のホワイト企業には、水が綺麗すぎて住めないけど強い魚みたいなもんです、ドブ川(ブラックといわれる業種や職種)には、割と上場企業でも普通に多数生息しています

夢とかではなく、現実的に行動をしてください。彼等ブラック人材こそが、かなうはずのない夢やかなわなかった夢と向かい合えず、その弱さを他人への攻撃性に変換した危険人物たちなのですから

2015-09-16

母という現代日本最後奴隷

http://anond.hatelabo.jp/20150914193029

そもそも廃業自由がない時点で、ブラック企業員よりも遥かに本物に近い奴隷だ。

ブラック企業には辞める権利があるし、辞めて前科がつくわけでもペナルティがつくわけでもない。

だが母を廃業しようとすると、犯罪者扱いだ。

ブラック企業に勤めて精神を病めば、気の毒だと社会はいうが、母をやっていて精神を病めばメンヘラ馬鹿女の毒親として叩かれる。

勤めてみないと分からないのは、企業母親業も同じなのに、後者は「嫌なら生むなー」である

更に堕胎殺人だー、とネットでは叫ばれ、その癖レイプだけは「冤罪がー、慎重にー」だ。

要するに女に生まれた時点で、奴隷狩りの手が常に伸ばされている。

これを何とか改善しようとすると「ブラック企業に勤めなきゃいけない男性のが大変なんだー」になる。

そりゃ女性差別ぶりがイスラム圏に次いで高いわけだが、「数値には出ないだけで現実女尊男卑なんですー」だそうだ。

要するに、「黒人奴隷狩りから逃れようとするなんて、経営者をしなきゃいけない白人黒人に比べて大変、白人こそ差別されてるのが現実!!」と白人達が叫ぶ世界が今の日本だ。

多分、南部白人から見ても、奴隷解放はさぞディストピアに見えただろうな。

家族のように大切にしていた奴隷達の奉仕がないなんて、行き過ぎたリベラルだー、と。

2014-08-07

吉田証言デマ慰安婦デマです - 戦時売春婦問題に寄せて

ここのブログで長々とした言い訳屁理屈が並べ立てられていた。

  「吉田証言デマ慰安婦デマ、になりません」 http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20140805


シンプルに言っておく。


なぜか。

ここ( http://anond.hatelabo.jp/20140806202223 )にかいていたがわかりやすいので引用する。

 昨日で議論のポイントは大きく変わった。

 一昨日まで:

 1) 奴隷狩りのような「慰安婦徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか? 

 2) 彼女達の待遇はよかったか悪かったか

 昨日から

 1) 奴隷狩りのような「慰安婦徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか? 

   彼女達は売春婦だった。←朝日新聞お墨付き。決着

 2) 彼女達の待遇はよかったか悪かったか

   この部分が朝日にとっての「本質」。これはまだ白旗をあげてないので未決着。

 つまり昨日からこの問題は「日本軍戦時売春婦待遇問題」に変わったのだ。

そして、そもそも2)は、1)がどうも胡散臭い話らしいと見るや、朝日がへどもどと「だって『広義の強制性』があったじゃん!」などと涙目で食い下がった屁理屈にすぎないのだ。(要するに論点のすり替え

大体、21世紀の今に至っても「戦場の性」をどうするか?どうあるべきかという問題に決着はついていない。

読売社説で書いていたが、「強制連行があったかなかったかが『慰安婦問題本質」というのは、まさしくその通り。

なぜか?

2)は日本軍に固有の話ではなく、すべての国の軍隊過去から21世紀現在に至るまでが未だに解けていない問題からだ。

現代でも解けていない問題時間を遡って、「日本軍戦時売春婦待遇は良かった・悪かった」などという議論に意味はあるか?いや、ない。つまり2)は最初から意味のない議論なのだ

まり

ところで、2) = 無意味。そして今回、朝日は1)がデマだと認めた。

そうするとこうなる。

今後は、「慰安婦問題ではなく、「戦時売春婦待遇問題」とよぶべき。

そして議論をまともに進めるにはまず「戦時売春婦」の待遇がどうあるべきか議論する必要がある。給与の水準は?外出の機会は保証されているかコンドーム費用負担は客か?本人か?業者か?性病検査の頻度はどのくらいであるべきか?行儀の悪い客を「出禁」にする段取りは適正か?等々。

俺はこの手のことに詳しくないので、こうした議論は無理だが、vanacoralって人は詳しいのだろう。これだけ自信満々に書くということは。

せいぜい、頑張ってくれたまえ。

2014-08-06

朝日が「慰安婦」は「売春婦」だと認めた。これからは「戦時売春婦」と言おう。

朝日はまだ「慰安婦問題本質 直視を」などと屁理屈をこねているが、

http://www.asahi.com/articles/ASG7X6753G7XUTIL053.html

とにもかくにも昨日で議論のポイントは大きく変わった。

一昨日まで:

1) 奴隷狩りのような「慰安婦徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか? 

2) 彼女達の待遇はよかったか悪かったか

昨日から

1) 奴隷狩りのような「慰安婦徴発があったか、それとも彼女達は売春婦だったか? 

  彼女達は売春婦だった。←朝日新聞お墨付き。決着

2) 彼女達の待遇はよかったか悪かったか

  この部分が朝日にとっての「本質」。これはまだ白旗をあげてないので未決着。

まり昨日からこの問題は「日本軍戦時売春婦待遇問題」に変わったのだ。

もはや「じゅーぐんいあんふ」などという曖昧キーワードはもう不要なのだ

 
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