はてなキーワード: モルモンとは
再投稿です
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・フレチャス・ラヤダス
ヒカリラ・アパッチ族の戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアンの君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
これは神学命題。プロテスタンティズムと決定論に対して言及がないので不完全。
アメリカの歴史の初期においてピューリタンが重要な役割を果たした。彼らの思想の一部は今も残ってる。
フス戦争やカルヴァン主義やその前史にまで言及すると長くなりすぎるので省くが、重要な要素が【予定説】(神学的決定論)である。カンタンにいえば「全知全能の神。神は全知全能なのですべて予定済でお前の自由意志なんかねーよ!なので善行した"から" 天国に行けるとかあるわけねーじゃん。俺が "善行する" と思うことまで神は予定済なの!」
というのがあった。
こうなると、「えーじゃあ善行しようと思うこと意味なくね?」ってなって人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。
人々は「私は神によって救済される(=天国に行く)ことが予定済の人間なので、そうあるべくふるまう(=善行を行うしより良くなるため努力する)」となった。
因果が逆転してるというかなんというか。
この因果の逆転によって、ダラダラ働いてシエスタするようなカトリック圏と異なり、プロテスタンティズム圏では修道院のように禁欲的に働き、禁欲的に自己研鑽し、禁欲的に金儲けをしその利潤を禁欲的に再投資する…ことによって世の中を良くする。なぜなら私達は神に選ばれているので!それができる!
となっていった。
(※ 禁欲的に慎ましく暮らすタイプのプロテスタントもあります)
「世俗社会の修道院化」によって、日常生活の全てを信仰と労働に捧げる。
節制と禁欲のために複式簿記を導入…。合理的精神で禁欲的に社会を発展させる(なお奴隷制ry)。。
この辺の時期の代表例としては、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父にして実業家であり学者であり外交官。そして偉大な政治家。今も100ドル札に顔がある)など。
勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像の象徴。
…というあたりで、発展しすぎた禁欲的資本主義は本来の宗教性を失い、資本主義になり、「内なる光=神との対話」みたいなあたりが「自由意志」に変わっていく。
自己研鑽しない者たちに対する憎悪や侮蔑は、従来の「つまり予定説におけるアイツラは地獄行きになる怠け者」から、「侮蔑すべき怠け者」だけが残った。
・・・というあたりはマックス・ヴェーバーが"プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神"という本とかで書いてたこと。
今のアメリカ人は直接プロテスタントというわけではないが、連綿とこの思想を引きずっているのである。
(なぜならそのほうが発展に有利だからね)
----
補足すると、こんだけ「プロテスタンティズムがー!」と書いておきながら、実は西海岸のカリフォルニア州は全米でももっともカトリックが多い地域である。なぜならもともとあそこはメキシコであり、今でもスペイン語圏からのカトリック移民が多いからです。
ただ、思想的な主流派は?というと難しい。モルモン系やユダヤ教徒(思想的原理は異なるが同様に資本の蓄積が宗教的にOK)もスゴイ多いし、西海岸を語るなら中華系の人々に言及を避けることが出来ない。
そして何より、【西海岸のリベラリズム】と対極っぽそうな南部のバイブル・ベルト。
この地域は基本的にプロテスタントだ。そしてめちゃめちゃ保守的。
ただまぁ、この辺はそもそもバプテスト派なので同じプロテスタントと言ってもなというのと、更には南北戦争で負けたエリアっていうのと、そもそも南北戦争以前から移民が少なかったため思想が固定化されたっていうのとかありそう。
これは神学命題。プロテスタンティズムと決定論に対して言及がないので不完全。
アメリカの歴史の初期においてピューリタンが重要な役割を果たした。彼らの思想の一部は今も残ってる。
フス戦争やカルヴァン主義やその前史にまで言及すると長くなりすぎるので省くが、重要な要素が【予定説】(神学的決定論)である。カンタンにいえば「全知全能の神。神は全知全能なのですべて予定済でお前の自由意志なんかねーよ!なので善行した"から" 天国に行けるとかあるわけねーじゃん。俺が "善行する" と思うことまで神は予定済なの!」
というのがあった。
こうなると、「えーじゃあ善行しようと思うこと意味なくね?」ってなって人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。
人々は「私は神によって救済される(=天国に行く)ことが予定済の人間なので、そうあるべくふるまう(=善行を行うしより良くなるため努力する)」となった。
因果が逆転してるというかなんというか。
この因果の逆転によって、ダラダラ働いてシエスタするようなカトリック圏と異なり、プロテスタンティズム圏では修道院のように禁欲的に働き、禁欲的に自己研鑽し、禁欲的に金儲けをしその利潤を禁欲的に再投資する…ことによって世の中を良くする。なぜなら私達は神に選ばれているので!それができる!
となっていった。
(※ 禁欲的に慎ましく暮らすタイプのプロテスタントもあります)
「世俗社会の修道院化」によって、日常生活の全てを信仰と労働に捧げる。
節制と禁欲のために複式簿記を導入…。合理的精神で禁欲的に社会を発展させる(なお奴隷制ry)。。
この辺の時期の代表例としては、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父にして実業家であり学者であり外交官。そして偉大な政治家。今も100ドル札に顔がある)など。
勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像の象徴。
…というあたりで、発展しすぎた禁欲的資本主義は本来の宗教性を失い、資本主義になり、「内なる光=神との対話」みたいなあたりが「自由意志」に変わっていく。
自己研鑽しない者たちに対する憎悪や侮蔑は、従来の「つまり予定説におけるアイツラは地獄行きになる怠け者」から、「侮蔑すべき怠け者」だけが残った。
・・・というあたりはマックス・ヴェーバーが"プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神"という本とかで書いてたこと。
今のアメリカ人は直接プロテスタントというわけではないが、連綿とこの思想を引きずっているのである。
(なぜならそのほうが発展に有利だからね)
----
補足すると、こんだけ「プロテスタンティズムがー!」と書いておきながら、実は西海岸のカリフォルニア州は全米でももっともカトリックが多い地域である。なぜならもともとあそこはメキシコであり、今でもスペイン語圏からのカトリック移民が多いからです。
ただ、思想的な主流派は?というと難しい。モルモン系やユダヤ教徒(思想的原理は異なるが同様に資本の蓄積が宗教的にOK)もスゴイ多いし、西海岸を語るなら中華系の人々に言及を避けることが出来ない。
そして何より、【西海岸のリベラリズム】と対極っぽそうな南部のバイブル・ベルト。
この地域は基本的にプロテスタントだ。そしてめちゃめちゃ保守的。
ただまぁ、この辺はそもそもバプテスト派なので同じプロテスタントと言ってもなというのと、更には南北戦争で負けたエリアっていうのと、そもそも南北戦争以前から移民が少なかったため思想が固定化されたっていうのとかありそう。