はてなキーワード: 鼓舞とは
リスクを取ってチャレンジ、とかものすごくキレイな言葉使うよね。自分を鼓舞するためなのかもしれんけど。
フリーランス、とくに「ブログで食っていきます」系の人、本当に大丈夫なのか。
アフィリエイトで利益出始めました、って言っても月に数万でしょ?家賃払える?税金払える?
偉そうに言う自分も、かつてフリーランスだった。5年弱サラリーマンやってから独立。
CGも描くし、画像修復、コラージュ、コンテンツ制作、ディレクションとなんでもやった。
1年めの売上500万弱、純利益は440万位。2年めの売上は650万、純利益は530万位。
でも二年で辞めた。
このままフリーで食っていける感覚はあったけど、それ以上が見込めなかった。食えるだけ。
人がウン十人関わるプロジェクトを仕切るとか、プロデューサーとしてモノづくりするとか、夢が見えなかった。
実績や技術が認められて、上場企業に潜り込めたのは本当に幸いだと思った。いまじゃ中間管理職。
私みたいな、フリーランスをドロップした人間から言わせてもらうと、「信念」と「技術」それに「営業力」がないと
フリーランスとして成功しない。もしくは、どれかが飛び抜けていないとダメ。
ブログ程度でフォロワー1000人、PVは5万/月って言われても、「ふーん、で、あなたに仕事を依頼したらどのくらいリターンあるの?」で詰むよ。
会社をやめないとチャレンジできない、チャレンジしない、なんてやつは絶対に成功しない。
フリーランス宣言インフレが引き起こすのは、数年後、再就職もできず、男は日雇い派遣、女は風俗に溺れる姿かと
想像すると、「やめておけ」と思う。
思い直すなら、今だ。
その勇気や覚悟に心を動かされると同時に、己を振り返ってみたのだが
そもそも、私は、自分が異性愛者か同性愛者かそれ以外か、断言することができないな、と思った。
友人としては決して嫌いではなかったのに、その好意はまったく嬉しいと思えなかった。
多分、私は、友人が私に対して、恋愛的な好意を持った瞬間がどこだったかを知っている。
一瞬「あれ、いま、変な雰囲気になったな?」と思ったのだが、疑ったりへんに距離を置くことは友人として失礼だと思ったため
意識的にスルーして、友人として付き合い続けていたのだ。その数ヵ月後に告白されるに至ってしまった。
告白はすぐさま断った。そうしたら、もう友人としてさえ話せなくなった。
それ以来、「あれ、いま、変な雰囲気になったな?」を感じ取ったら、その男性からは離れるようにしている。
その気もないのに好かれるのは重荷だし、応える気もないなら早めにはなれるべきだと思ったからだ。
もともと友人だったり同僚だったり、恋愛以外の関係性を築いてきた人から
恋愛対象として見られるのがすごく苦手だ。
そんな風に思わせてしまった己に問題があったのか、とどこかで自分を責めてしまう。
それでも、何度かは男性と付き合った。
「人と一対一で付き合うってことから逃げちゃいかん、人生の中で必要なことだ」と己を鼓舞し、
たとえば昔の同級生であったり、ライブなどに出かけた先で知り合った人であったり、
付き合っても別れても周りに一切影響が出ない人を選んで付き合った。
そういうとき、「好かれる」ことは嬉しいことだなと一瞬だけ思えた。恋愛の高揚らしきものもあった。
けれどもその後は、ただひたすらに面倒で、性的な接触が気持ち悪くて、
3ヶ月と耐えることができなかった。
かといって、同性愛者なのか、と考えるとそれもそうは思いがたい。
尾篭な話で申し訳ないが、ではお前には性欲がまったくないのかと言われると、あるにはある、とは思う。
でも、別に、そのためにお金を使う気はしないし、相手を探す気もしない。一人でひっそりと処理できる程度のものだ。
アセクシャルという言葉を知ったとき、わたしはそれかもしれないと思った。
けれど、アセクシャルは性欲自体がないのだという。そうとも言い切れない。
なにより、「私は無性愛者だ!この先恋愛もしないし結婚もしない!」と言い切るのは不安だ。
もしかしたら、精神の成長がどこかいびつなだけかも知れないし、
性嫌悪や何か別の要因があるのかもしれない。
誰かを好きになるならば同性でも異性でも両性でも言えてしまうのだろうが、
「だれも好きではない」状態がいつまで続くのか、これは性志向の問題なのか、それがわからない。
結婚なんてしないよ、恋人なんていなくてもたのしいよ。今のところは、そういって笑っていられる。
けれど、自分の性志向について、いつまでもブラックボックスのようなものが足にまとわりついている。
きっとこのブラックボックスは、これから年齢を重ねるとともにその存在感を増すだろう。
どう向き合っていけばいいのか、未だに覚悟を決められずにいる。
井の頭線の下北沢駅で若干は感じてはいた、ただしすぐにそれは収まった。
気にしないつもりではいたのだが、自分の中に何か僕のお尻の将来に対する唯ぼんやりとした不安は存在していた。
午前8時渋谷。井の頭線西口の改札を通るときには違和感はほとんどなかった。トイレに寄るという考えもなかった。
ぼんやりとした不安を抱えたまま、西口改札を出て246方面に向かう。
夜は煙がごうごうと立ち上る、外国人にも人気の焼き鳥屋の名店鳥竹の脇を通り過ぎ、磯丸水産の目の前で言い様がない鈍い痛みが下腹部を襲ってきた。
会社までは15分ほど、「行けるか?」と自分の腹と尻に問いかける。
改札は出てしまった、もう行けるところまで行くしかないことは明白だった。
建て替えを行っており、現在は更地になっている東急プラザの裏手を通り過ぎる。
中が見えないが、これから基礎工事を行う工事現場の作業員の人が朝礼を行っているみたいだ。
今日も1日安全に頑張ろう!というかけ声の後に、大勢の人の”頑張ろう!!”という叫びが聞こえた。
そうだ頑張ろう、この危機的状況を乗り越え平穏な時間を取り戻し、
今日も1日安全に過ごす為に頑張ろう、決意が固まった。勇気をもらった。
歩を進め、246に出て歩道橋を渡った、桜丘の入り口に降り立つ。
痛みは一歩進めるごとに力強さを増し、そして肛門に対しての圧力を掛けてきていた。
そう、形容するならぷよぷよで自陣が8割は埋まってきている状態だろうか、もう少し貯まるだけでぷよは肛門の入り口に到達し、滝のように流れ出るだろう。
前門の虎、肛門の狼。南無三南無三。
ベトナム料理ならハノイのホイさん、タイ料理のタイ料理研究所、ネパール料理はネパリコ、カンティプール、インドネシア料理のアユンテラス、ペルー料理ならミラフローレスなどなど、
多彩なエスニック料理の名店を有し、富士屋本店やワインバー、リゾットカレースタンダードなど軽飲みでも使えるお店も多数ある。
素晴らしい界隈なので是非渋谷に来た時にはご飯を食べに来て欲しい。
桜丘を上がりきったところの大和田文化センター内にある、図書館とプラネタリウムも混んでいないのでおすすめだ。
なんとかトイレットを探さなくては行けない。かすかな期待は持っていた、そう桜丘の入り口にはファミリーマートがあるからだ。
さらに圧力を増して攻め込んでくる、容量の9割を超えてきた、これは流行の立ち飲みバル系では無く立ち糞ゲリ系の可能性が高まる。
なんとかファミリーマートに侵入、小さい店なので可能性は多くは無いと思っていたが、奥のSTAFF ONLYの札をみてあえなく撃沈。
しんどさからか滑るように高速移動をし、店内を一周したがどこにもTOILETの文字はなかった。
可及的速やかに物事を処理しなければならない。残されたタイムリミットは数分。
もうだめなのかと諦めかけたその時、目の間に見えたのが富士そばだった。
白地の看板に豪快な筆字のフォントであしらった富士そばの文字、ワンアクセントに赤字の名代の文字がよく映える。
シンドラーのリストの少女の服が赤色だったのと同じ効果なのだろう。
食券を買ったら定員に渡さなくては行けない。そしたら提供されるまで待たなければいけない。
まいった、どうしようと考えた瞬間、グリグリグリと下腹部から肛門に掛けてのドリルダウンが始まった。
やつらも必死なのだ。全共闘世代のゲバ棒での突貫よろしく、俺の下半身は三里塚闘争さながらのせめぎあいが行われていた。
もう堪えられない、姿勢が思わず前かがみになる。前かがみになってのすり足で富士そばに突入する。
前進しながら定員に後で食券を買うのでトイレを借りてもいいですか。
返事はイエス。
店内の奥へ移動をしながら、辺りを見渡すトイレが無い。
いやトイレが、2階。
俺は脚をあげても大丈夫なのか。
ゆっくりとはやくというまるでピアニストが指揮者から無茶振りをされるかのごとく13階段を登り切る。
さすが富士そば、そこまでお客さんがいなかった為にトイレはオープンだった。
コートを脱ぐが置き場がない、洗面台の上に置くかと思い置いた瞬間、手洗器のセンサーが反応し水がこれでもかとコートを濡らしてきた。
コートをどけている時間はないのだ。ベルトは階段で緩めていた。
コートがびしょびしょになるのを横目にみながら、勢い良くズボンとパンツを同時に下げ、その反動を利用し便座に座る。
ゴリっ、ズバっ、ビショ、バシャシャシャー、けたたましい音と共にやつらが流れでた。
バリケードを突破した、未来を夢見た学生運動の闘志達をもう止めるすべはない。
冷め切った体が、いきんでいるせいか、急激に熱くなってきた。けたたましいビートと流れ続ける水。
そうかここが俺にとってのフジロックなんだ。なぜだかそう思った。
残糞の絞り出しと体のほてりが収まるのを待ち、便座を上げ、トイレットペーパーで丁寧に便座を拭いた。
来た時よりも美しく。林間学校の教えはここでも活きた。
冷静になり、そして平静を装いつつ1階に戻る。
軽い足取りで食券機に向かう。
さて、何を食べるべきなのだろうか。
まず目に飛び込んできたカツ丼は違う、かけ蕎麦では感謝の気持ちが伝えられないが天ぷら蕎麦は重い。
なぜか自分の手はとろろ蕎麦に伸びていた。そこまで食べたいわけではなかった。
食券を渡ししばし待つ。「とろろ蕎麦お待ち」の声を聞き受け取りに行く、そして着座。
うん、とろろが多い。
出社前、時間ももうなさそうだったので流しこむようにとろろ蕎麦を食べた。
美味しかった。しかし、できれば腹を痛めたのが小諸そばの前であればなんて思ってない。そう、思ってないのだ。
片方の袖はびしょ濡れだ。
店でそれを隠そうとしたためにまるめてしまったため、背中部分もびしょ濡れだ。競歩の如く前進をした。爽やかな朝だ。
そう、ようやく私にも朝が来たのだ。快腸に飛ばし朝礼の10分前に会社に到着した。
後ろを歩いていた女性は気づいていたのだろうか、なぜか片袖から水が滴っていることに。
着座してパソコンの電源を入れる、立ち上がったら即座にヤフーニュースのトピックスをチェックする。
朝礼が始まる。
スピーチが始まると同時に下腹部がグニャリとした。かすかな痛みが襲う。
本調子でないところにとろろ蕎麦をかっくらったせいか、まだお残りがあったのか、
さっきほどでないにせよ加速度をますかのごとく下腹部から臀部に圧迫感が強まってくる。
女性は花粉症の対策法について熱弁を奮っている。2分経過、話はまだ半分ほどとみた。
さらに強さをましてくる。脂汗がじわりとでてきた。
彼女は内科で薬をもらったらしい。肛門は先の激闘が終わりブレイクタイムだったらしい、弛緩している。
これはまずい「今日も1日安全に頑張ろう!」勇気をもらった魔法の言葉を心のなかで唱え自らを鼓舞してみる。
「早く終われよ糞」という感情と「今日も1日安全に頑張ろう!」という鼓舞の16ビートオルタネイトピッキングの状態に入った。
何故かかかとが上がってきた、つま先脚立ちになり、脳天が天へ天へ目指そうとする。
ワンフォアオール・オールフォアワン、体が細胞がみんなが頑張っている。感動した。
の言葉とともに朝礼は終わった。
フロア内にトイレがあるので20メートル先を目指す、苦しい、厳しい。
まだトイレに入る前の段階でベルトを緩める。見られていても構わない。
トイレに侵入、大便用トイレにすかさず入り先と同じ要領でスムーズに用を足した。
間に合った、安堵感でいっぱいになった。ホット一息をいれ、下をみた、
きっとたぶん、つま先立ちして尻にあらん限りの力を入れた時にパンツを巻き込んでしまったようだ。
敢えてカラーコードで言えば#a0522dのような色だったかと思う。
トイレットペーパーで表裏から拭きとるが、筋は薄くなるだけで消えはしない。
起きた事象は二度と元通りにはならないのだ。
石鹸の香りがするスプレー芳香剤を涙目ながらにパンツに1分噴射した。
おもむろにパンツを履いた、切れ痔の部分に芳香剤のエキスが触れてじわりと痛みが襲ってきた。
少し長めに手を洗った。
この件
はてなブックマーク - 憲法9条考える国際フォーラム、韓国で開催 :朝日新聞デジタル
「なんで韓国で日本の護憲のフォーラムやんの?」的なコメントが散見されるが、普通の日本人の感覚として当然の疑問だと思う
が、それは日本国内に住む日本人特有の感覚であり、韓国ではこれが全く違う
どういう事かというと、あの国の人間の相当な割合は北朝鮮よりも日本の侵攻をガチで心配している
鳩山氏、“謝罪”の次は「日本の軍事大国化懸念」宣言を発表 韓国世論を鼓舞
韓国を訪問中の鳩山由紀夫元首相は13日、日韓の首相経験者らが参加した国際会議に出席、「平和憲法を改定し、日本が軍事大国になることは決して歓迎されない」などとする「2015東アジア平和宣言」を韓国の李洪九(イ・ホング)元首相とともに発表した。
勿論これは現地の連中に吹き込まれただけなんだが、吹き込ませるだけの空気が現地にはあるって事でもあるわけ
向こうの世論調査なんかも見てみると分かる
これに対して、韓国人は、現在の日本を「軍国主義」と考える人が56.9%と、昨年の53.1%を上回り、最も多い。これに「資本主義」が38.9%(昨年35.2%)で続いている。また、日本を、「覇権主義」とみる韓国人は34.3%となり、昨年の26.8%を大幅に上回った。日本を「民主主義」の国と見る人は22.2%で昨年(24.9%)同様に2割程度である。
「国家主義」「民族主義」も三分の一近くあり、「覇権主義」はこの一年で8%も跳ね上がった
最近の韓国人の日本に対する認識がこれで何となく理解出来るんじゃないかと思う
物理的にこれだけ近くて、韓国のジャーナリストその他色んな人達が行き来していて、日本のネットだって自由に見られるのに、何故こんな状態なのか、というと、これはもうあちら側の都合としか言いようがない
日本は悪い国であって欲しい、欧州のナチスドイツのように、再び軍事大国化して、アジア諸国を荒らし回るような国であるはずだ、そうであって欲しいという願望が、現地のメディアや知識人、文化人にそう言わせていて、これに反する事を言うと、それはもう某五輪ロゴデザイナーの比じゃないレベルで叩かれる羽目になる
韓国人にとって「日本国憲法九条」というのは、日本の再軍備化を阻止するための手段なわけだ
あの国が竹島の執着するのも、竹島を取られたら次は本土に乗り込まれるという恐怖が根底にあるから、国際法とかそういう理屈じゃあの国は絶対に引かない
この国の護憲派がよく使う「日本を戦争出来る国にするな!」というスローガンも、こういう背景を知ると本当の意味が分かってくるんじゃないかな
国民的議論という言葉は、恐ろしく空虚なくせに、どこまでも無神経なハリボテのように私には思える。あるいは、どこにも辿り着かない作りかけのジェットコースターみたいにも感じられる。そして、どこにも辿り着かない原因を、乗っている人間の気持ちや努力が足りないせいだと言っているように、責任を放棄しているようにも聞こえることがある。
いつからだろうか。その国民的議論という非実際的な言葉が、バラの香りつきのダブルロールの糞拭き紙のように大量消費されるようになったのは。それは日々生まれ落ちていく。そして汚水に渦巻き、下水道に落ちていく。溶けていって消えていく。それが私には気に入らない。とても、激しく。
国会議員や大臣から、その反対の立場を取る論客とか文化人きどりのバカな芸能人まで、テレビでラジオで新聞で、ことあるごとに、誰もが言うようになった。国民的議論が必要だと。ガチャガチャ、騒いでいる。なんだおまえらクツワムシか……。しかし、おそらくは、それだけではないんだろう。人前でもって何かを話すような偉い方々は、例えば、禿げ上がった社会科教師や、ぶんぷく茶釜みたいな地方議員なんかも、そのような薄い言葉を(偉そうに)使っているに違いない。
だから、もう止めませんか。
国民的議論という言葉は、それは美しい言葉だ。それは認めます。人の精神の高貴さを讃え、鼓舞する言葉でもある。しかし同時に、それが愚かしいほどの理想論を下敷きにしなければ息ができないような都合の良い言葉だということにも気づいている筈だ。そもそも、国民的議論というものは、どこでどのようにして行われて、何を成す力があるのだろうか。いや、具体的に考えてみれば、それはどのような具象的な力も持っていないことが、誰にとっても、はっきりと分かる。我々は限られた場所で生活を行い、限られた人々とのみ、限られた意見をもって、差し出しあうことしかできないのだ。それは総括しあって、大小様々な結論を生むかもしれない。だが、それだけだ。何にもならない。そして現実には、それすら起こらない。起こっていない。起こったこともない。有権者全体の意識の変革など、できるわけがないのが現実だ。仮に、なんらかの技術革新に基づく発展があれば、いや、その補助があってさえ、不可能かもしれない。それは人間という生物種の、ひとつの社会的限界なのかもしれない。だが、ひとまずそれは置いておこう。
書いていて、大分、怒りが収まってきた。とにかく、私は国民的議論などという言葉を、語りかける言葉として使ってはいけないと考えていることを表現したかったのだ。そんな場当たり的で曖昧な、儀礼的でしかない誤魔化しを使うのは、互いを互いに貶めることに他ならない。そんな体裁第一主義からは、日本人は、もういい加減に卒業しなければならない。
それによって、幸せにしたい人がいる。驚かせたい人がいる。ありとうと言いたい人がいる。
独学でプログラミングを勉強しているが、先が見えずしんどくなってきた。
どんどん置いて行かれている気がする。
インターネットが好きだった。
どんなに離れていても、ネット上で画面越しに顔を合わせられる。
詰まったとき、ググればGoogle先生が先人の知恵に導いてくれる。
自分よりできる人を見て悔しくなる時は数え切れないほどあった。
その度に救ってくれたのはネットだった。
しかし、それらを可能にしている技術は、ネットは、ハードは、私より優れている誰かの成果物。
ある時ふと思った。
「そうか、これは私より優れている誰かが作ったものなのか」
はてブでポツダム宣言の現代語訳が話題になっていた。だが、外務省による文語訳が、現代語訳者により「この文章を理解できる日本人が何人いるか?」と揶揄されていたり、ブコメでも「いい加減なカタカナ混じりの変な訳」などとDISられていたりして気になった。そこで、文語訳の仮名遣い、送り仮名、句読法、一部の漢字を現代風に改めてみた。文法はそのままだが、普通に読んで理解できる文章になったと思う。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
米、英、支、三国宣言
1、我ら合衆国大統領、中華民国政府主席および「グレート・ブリテン」国総理大臣は、我らの数億の国民を代表し、協議の上、日本国に対し、今次の戦争を終結するの機会を与うることに意見一致せり。
2、合衆国、英帝国および中華民国の、巨大なる陸海空軍は、西方より自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し、最後的打撃を加うるの態勢を整えたり。右軍事力は、日本国が抵抗を終止するに至るまで、同国に対し、戦争を遂行するの一切の連合国の決意により支持せられ、かつ鼓舞せられ居るものなり。
3、決起せる世界の自由なる人民の力に対する、「ドイツ」国の無益かつ無意義なる抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を、極めて明白に示すものなり。現在、日本国に対し集結しつつある力は、抵抗する「ナチス」に対し適用せられたる場合において、全「ドイツ」国人民の土地、産業および生活様式を、必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し、計り知れざるほど、さらに強大なるものなり。我らの決意に支持せらるる、我らの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味すべく、また同様、必然的に、日本国本土の完全なる破壊を意味すべし。
4、無分別なる打算により、日本帝国を滅亡の淵に陥れたる、わがままなる軍国主義的助言者により、日本国が引き続き統御せらるべきか、または理性の経路を日本国が踏むべきかを、日本国が決意すべき時期は到来せり。
5、我らの条件は左のごとし
我らは、右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。我らは遅延を認むるを得ず。
6、我らは、無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至るまでは、平和、安全および正義の新秩序が、生じ得ざることを主張するものなるをもって、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は、永久に除去せられざるべからず。
7、右のごとき新秩序が建設せられ、かつ日本国の戦争遂行力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、我らの、ここに指示する、基本的目的の達成を確保するため、占領せらるべし。
8、「カイロ」宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国、ならびに我らの決定する諸小島に局限せらるべし。
9、日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。
10、我らは日本人を民族として奴隷とせんとし、または国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざるも、我らの捕虜を虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰、加えらるべし。日本国政府は、日本国国民の間における、民主主義的傾向の復活強化に対する、一切の障害を除去すべし。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は、確立せらるべし。
11、日本国は、その経済を支持し、かつ公正なる実物賠償の取り立てを可能ならしむるがごとき産業を、維持することを許さるべし。ただし、日本国をして戦争のため、再軍備をなすことを、得しむるがごとき産業は、この限りにあらず。右目的のため、原料の入手(その支配とは、これを区別す)を許可さるべし。日本国は、将来、世界貿易関係への参加を許さるべし。
12、前記、諸目的が達成せられ、かつ日本国国民の自由に表明せる意志に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては、連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし。
13、我らは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意に付き、適当かつ十分なる保証を提供せんことを、同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす。
1. だいたいOK
2.
これが抜けている:
This military power is sustained and inspired by the determination of all the Allied Nations to prosecute the war against Japan until she ceases to resist.
『この(連合国の)軍事力は、日本国が抵抗を止めるまで攻撃を継続するという連合国の固い意思に鼓舞され、また支えられている」
3. だいたいOK
4. だいたいOK
5. だいたいOK
6. "for all time"は『永久に』の方が正確だと思う。(×「全ての時期における」)
7. "war making power"は「好戦勢力」ではちょっとしっくりこないので、長いけど「戦争を可能とする軍事力」とか?
"Convincing proof"は「明確な証拠」というより「信ずるに値する証拠」とか?
"secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth."
8. だいたいOK
9. だいたいOK
10. "stern justice shall be meted out" 「正義を付与」って日本語ではあまり使わなさそう。普通に『罰を与える』『制裁を下』とか?
「強化しあるいは復活するにあたって」原文はandなので「復活および強化するにあたって」
11. 軍事を目的とした産業はダメというのが抜けているし、いろいろ直訳っぽい。『日本国がその経済を持続するため、および物資的賠償を可能にするための産業を維持することを許可する。ただし、新たな戦争に向けて軍事力を復活させる目的のものは許可されない』。原文の"permit the exaction of just reparations in kind"は正直なところ意味が曖昧だと思う。just reparations in kindということは「物資的な賠償」だと思うのだけど、これは誰に向けての賠償なのか?なぜ金銭的な賠償ではないのか?がちょっと不明。
あと『この目的を達成するために、原材料を入手することを許可するが、支配することは許されない。』
"Eventual"は『そのうち』『長期的』という意味だと思う。
12. だいたいOK
13. だいたいOK
どうも「働きたくないでござる」に該当する部下に当たってしまったらしい。
そんな「ござる」の部下が披露する処世術が見事だったので、みなさんにお伝えしたい。
1. 会議では大きなことを言う
偉い人が出る会議などでは、ブラック企業の社長ばりの大きなことを言おう。
発言の大きさがモノをいう。
会議で言った「大きなこと」は当然「ござる」がやることになる。
そうしたら、ひたすらそのやり方のダメなところを言おう。
「大きなこと」は根性論に依存する場合が多いので、そこを上手く突いて、効率などを説けばよい。
3. 片手間でやる予定を目一杯詰め込もう
ダメ出しをしたからといって、やり切らないといけないことには代わりはない。
そんなときは緊急度も低く、主担当でない予定を目一杯詰め込もう。
そうすると他にも業務をたくさん抱えていて、残念ながらやりきれなかった、という自分を演出することができる。
このように1〜3を繰り返すことにより、
・しっかり現状のやり方にダメ出しができる
・結局ほぼ何もしなくて良くなる
という「ござる」に取って最高の職場環境を作ることができる。
ぜひ参考にしていただきたい。
DIY、マスキングテープ、手芸、アロマ、スタバ、ブルーボトル、メイソンジャー、ココナッツオイル、ハワイの朝食、カフェごはん、ロハス、●●(海外の都市名)女子、DJイベント、海外風ウェディングプラン
海外の生活の猿真似に過ぎないのに、どうしてこれほどまでに、一部の女子は一生懸命になれるのか。
絶対に自分と違う世界のもので、それを生活に取り入れたってダサい自分は変わらないのに。
世界旅行したって人は簡単に変わらないし、海外の人が優しくしてくれたとしてもそれは自国の人じゃないからって理由じゃん。日本人も日本人に対しては厳しいでしょ。
おしゃれなカフェめしなんて材料代かかる割には男受けも悪いのに。自己満足だからいいの!っていう割にはここぞとばかりに「つくってみた~」なんか言って加工ばっちり効かせた写真をSNSにアップするし。ひとりで楽しみたくて作ったんじゃないんかい!まずそうって言うなよ言うなよののりなの?
あ~~~手芸やDIYは相当なセンスがないと貧乏臭くてたまんないのに。
どこもかしこも、田舎のおばあちゃんのセンスでおしゃれにしてみました!★て写真に溢れてるううう
ねえねえマスキングテープの多用、貧乏臭いったらありゃしないからね!なんであれがおしゃれなの?
貧乏臭いの一言でしょ、ポイントで使うんならまだしもどこらかしこにべたべた。
マスキングをはさみで切る手間がめんどくせーわ!そんなべたつくもの貼られたカードなんざ
もらっても速攻でゴミ箱にダンクシューナイッシュー拍手の嵐だわ!
自慢げに作ったものをツイッターやブログにアップして、そういうのが好きなの同士でいいねし合ってつぶしあって鼓舞し合って。も~いいよ、くるみボタン?レジン?何やってもださいんだってぇ、周りの人はみんな思ってるんだよ??まさか人に作ったものあげてないよね?影で笑ってるよ??
DIYも日本の狭い住宅の中を、木目調の壁紙貼って、タイルしいて、レースやビンやかごを置いてかざりつけして、何を目指しているのか分からない。
百均のもので賢くDIY?だせーーーーーんだよ!すのこ?木箱?ごみになるからそのまま使えよ
イベントに参加したってな、また月曜から灰色の日々なんだからさ、そんな海外のイベントごと真似してメイクして着飾ってフィーバーするの恥ずかしくない!!?
恥ずかしくない?
あたしはなんか色んなことが恥ずかしくてたまんないときがある。
また何かやって、恥ずかしくなって、またやって…の繰り返し。エンドレスレイン。なんで恥ずかしいのか、何に対して恥ずかしく思っているのかわからない。
オリジナルなんて一切存在しないのに、苦労して作って飾り立てて写メ取り直して誇らしげにSNSにアップしていると思うと、馬鹿らしくていじらしくて可愛い。腹立つわ。
感想を探したけど、ニュースになっている割に多くない。あったとしても、「良かった!」「感動しました!」的な、映画館から出てきた観客がインタビューされているCMみたいなのばかりが目立つ。
とにかく又吉直樹という人は、善良で優しい人間なのだと思う。小説の登場人物は皆、基本的にモラリストだ。好感が持てるし、きっと広く読者に受け入れられるだろう。
文章力もある。稀に装飾過多の悪文が挟み込まれるものの、全体的には読みやすく、表現も豊かだ。おそらく読書家で勉強家なのだろう。
多くのタレント本がそうであるように、本作も半自伝的物語が綴られている。個人的に、純文学は自分自身について書くべきだと思っているので、題材として正しいと思う。
全体のストーリーは、主人公徳永と才気走った先輩芸人神谷さんを中心に描かれる、芸人残酷物語だ。おもしろうてやがてかなしき何とやら、と言った感じの、切なく泣ける中編に仕上がっている。
神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。
(「その」の連続が多少気になるが、)グッと来た。
僕達は勘違いをするには、あまりにも歳を取り過ぎていた。勘違いしたふりをして顰蹙を買うことさえも仕事だと思える程に歳を取り過ぎていた。
このくだりも良い。近年よく見る、遅咲きのプチ一発屋芸人の悲哀が伝わってくる。
葛藤、焦燥、栄光、そして挫折を描く普遍的な青春物語として、出色の出来かもしれない。
著者の「笑い」に対する熱い思いも、信仰告白のように誠実に語られている。芸人の話だから、当然漫才のような掛け合いシーンが多い。本職だけあって、どの場面も面白く読め、さすがだと思った。
ただ、コンビを解散する主人公の最後の漫才が、感動を押したいあまり、ネタとしてはイマイチというか、そもそもアイデアとして凡庸で(おそらく「帰ってきたドラえもん」のラストが元ネタ)、ちょっと拍子抜けした。
最初に書いた通り、登場人物が皆善良なのが、読んでいて少し物足りない。もっとドロドロした内面や、反吐が出るような不快な気分にさせる場面も見たかった。例えば、破天荒系の芸人の神谷さんがラスト、逸脱した行為に及ぶ場面があるのだけど、すぐに主人公の圧倒的な正論によってたしなめられる。それは、ツッコミが正しいツッコミをしているだけとも言えるが、正論が免責事項のように細かく冷静にセリフで説明され、何となく冷めてしまう。「政治的正しさ」にそこまで配慮するのは、著者が(つまり主人公が)テレビで仕事をしているからで、キャラクターとしては正解なのだけど、やはり萎える。
お笑い芸人は常識人ゆえに、常識をズラしてネタが作れるわけで、だからこそ自分に正直な小説を書くと、良心的で分別のある物語になるのかもしれない。それは作風であって間違いではないし、太田光や劇団ひとりの小説も似た印象を感じた。
なんか、テンション高くない妙に冷静な状態でいれる瞬間があるんだけれど、少しすると落ち着いてるのかただ落ち込んでるだけなのか分からなくなって、次第にこれ落ち着いてるんじゃなくて落ち込んでるだけなんじゃないか、結局冷静な判断できてじゃないか、自分の状態も分からないのかと思い始めて、そうしたら最後ずるずるとネガティブな思考に引っぱられて結局落ち込む。
普段テンション振り切れてシナプスちぎれてるように感じるぐらいハイだったり布団にかえりたくなったりする自分に振り回されて常に疲れてるのが嫌で、フラットな精神状態になりたいと常々思っているのに、いざそう言う瞬間が来ると恐ろしくなる。「えーうっそー!!?」「マジで!?」「もうだめだ死ぬ〜〜〜〜〜」ってのが一切なくなって、「うん、それはそうだね」「これをこうしてこうしよう」っていう楽しくも辛くもない、ただ現状把握と対策を理解して次にとるべき行動が分かる安定した確信しかない状態に、えっマジでこんなになんにも感情なくていいの?大丈夫?これ死んでるんじゃなくて冷静なの?って不安になる。
すぐ外的要因の所為にしてしまう悪い癖があって思ってる途中で自分でも嫌になってくるんだけれど、母も感情の起伏が激しく、思い通りのリアクションをとらなければヒステリックに喚き散らされていた。(母の施しは押し付けがましく、少し的が外れていたので、素直に喜べないでいると母は激昂したので私はそう感じていた。)
とはいえもう成人してしばらく経つし、実家を離れて自立した(出来てるかな)んだから、いつまでも環境の所為にしてないで自分のことは自分で救わないといけないよね。現状が把握できてるから落ち込むのかもしれないけれど、そこを踏ん張って自分を褒めるしかないかなあ。大丈夫だよ、今落ち込んでるんじゃなくて冷静なんだよ、いいじゃんフラットな状態続いてるじゃんって。そうやって褒めてくとすぐ調子づいてハイになるから結局ついていけないんだけれど。
自分の感情に振り回されて疲れるって健全な状態とは思えないんだけれど、問題がある程に生活に影響でてる訳じゃないからまだ病院には行かない。そんな状態にならない人も多いんだろうな。ふつうに生活するにも自分を鼓舞しなきゃいけないのが少し寂しい。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11251769.html
ワールドカップはおろか、サッカーに関する記事のなかでこれほどまでに無知蒙昧、盲目、的外れのくせに上から目線な記事は初めて読んだ。
全文を読む為には登録しなきゃいけないところをみると炎上商法か?
以下、興味ある方向けに全文をコピペします。こんなクソ記事読むために登録なんて誰がするか、誰がさせるかクソ朝日。
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サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が終了した。熱戦続きだったが、「なぜ、開催国ブラジルはドイツに7点も奪われたのか」「なぜ、日本代表はまったく精彩を欠いていたのか」など、さまざまな謎も残った。映画評論と共に、斬新な視点からのスポーツ評論でも知られる蓮實重彦さんに、謎解きをお願いした。
――今回のW杯、特に決勝トーナメントに入ってからは、一部の試合を除き、なかなか点の入らない展開が目立ちました。素人が見てもワクワクするような試合をもっとやって欲しかった、という思いもあります。
「国民や国の期待を背負うと、どれほどスポーツがスポーツ以外のものに変化していくか。それを見せつけられた何とも陰惨なW杯でした。サッカーとは本来『ゲーム』であり、運動することの爽快感や驚きが原点のはずですが、W杯は命懸けの『真剣勝負』に見えてしまう。お互いもう少しリラックスしなければ、やっている選手もおもしろいはずがないし、見ている側も楽しめない」
「『ゲーム』ではなくなるからです。ましてや負けないための真剣勝負など、見ていて興奮するはずもない。前回2010年の南アフリカW杯で、日本代表の岡田武史監督は大会直前、徹底的に防御を重視した『負けないサッカー』へと泥縄的に方針転換しました。確かにそれで1次リーグは突破できましたが、『1点でも奪おう』というサッカー本来の精神からは、ほど遠いコンセプトだった。今回3位になったオランダ代表は、まあ前線にファンペルシーやロッベンがいるからでしょうが、5バックというさらに防御重視の戦術で、まるで『岡田ジャパンのなれの果て』のようにさえ見えました」
「勝ち上がるのを最優先すれば、どうしても『岡田化』が進む。今後はさらに防御重視の傾向が強まるでしょう。しかし、サッカーはどちらかが防御に徹すると、ゲーム自体が成立しなくなる。日本―ギリシャ戦はその典型です。運動の快さを放棄してまで、国が期待する勝利にこだわる。そんな『スポーツの死』には付き合いたくない。W杯はそろそろ限界だ、とつくづく思いました」
「国を背負うとどこか血生臭さも出てきます。その一例が、コロンビアの選手がブラジルのネイマールの背中にひざを入れ、骨折させた場面です。故意かどうかという問題ではなく、国のために死にものぐるいでプレーすると、ああいうことが起きてしまう。他にもずいぶん負傷して血を流している選手がいました。観客の皆さんは、あの血生臭さにもう慣れてしまったのでしょうが」
「ザッケローニ監督は、日本のサッカーのためにある程度までうまくやったと思います。岡田監督とは違い、前々代表監督のイビチャ・オシムが作った流れを壊さなかった。私はオシムが率いていた時代のジェフ市原(現・千葉)の、攻守にわたり選手たちがダイナミックに動くプレーを見て、日本でもサッカーが見られるんだという喜びを感じました。ザッケローニにも『みんなが走り、気持ちよくサッカーをしないと意味がない』という姿勢があった」
「問題はそれを十分に実現できなかった選手の方です。私は前回の日本代表について、岡田監督の急な戦術変更にもかかわらず、選手たちの『運動する知性』が想像以上に高かった、と評しました。選手たちが無言のうちに素晴らしい連係を達成したり、味方をも欺くようなはっとさせる動きを発想したりする知性のことです。前回は、松井大輔からそういうトリッキーな動き方を感じたのですが、今回はみんながまじめすぎた。少なくとも大久保は、もっと不まじめでもよかったのではないか。市原でオシムに鍛えられた前代表・阿部勇樹のように、『失点のリスクをつぶす責任はオレが負うから、君たちは好きにやれ』という人もいなかった。知的な面では退化していた、と言わざるを得ない。それでも、岡田サッカーで勝つよりも、ああいう負け方の方が日本の未来にはよいことだと思います」
――本田の「目標は優勝」という言葉とは、かけ離れた結果でした。
「本田の発言の真意は分かりませんが、多分『そうでも言わなければやってられない』という思いがあったのではないか。『オレたちはどこまで伸びられるのか』ということを意識的に試そうとしている選手が、彼以外にはあまり見あたらなかった。そんな仲間たちを鼓舞しなくてはいけない、と思ったのでしょう。ただ、本田自身も、勝利へのこだわりが動きの柔軟さを奪っていたような気がします。それでも1点を取り、1点をアシストした。彼が日本代表の最低限の名誉を守りました」
――誰もが国を背負い、勝利にこだわりすぎたW杯だった、と。
「サッカーの魅力は『うそのように思いがけないことが、ピッチで起こる瞬間を目撃すること』ですが、今回それを味わわせてくれたのは、オランダ―スペイン戦におけるファンペルシーのヘディングシュートだけでした。決勝戦でのドイツ・ゲッツェのシュートは確かにみごとでしたが、ああいう場面で輝くのは真のスターでなくてはならず、まだスター予備軍のゲッツェが決めても、私たちを驚かせることはできません」
「1カ月も大会を続けていれば、その間に必ず愉快でおちゃめな選手が出てくるものですが、今回はそれも不在でした。唯一、相手選手にかみついたウルグアイのスアレスには一種のかわいげを感じましたが、おちゃめと言えるかどうか。02年の日韓W杯で、ブラジルのロナウドが前髪だけ三角形にそり残した奇抜な髪形でプレーし、優勝トロフィーをさらってしまった。そういう『変な人がおちゃめをしながら勝つ』という楽しさもなく、みんなが必要以上に本気になってしまった」
「一方で『見たことを一刻も早く忘れたい』という瞬間が多すぎました。世界最高GKの1人、スペインのカシリャスはオランダ戦で5失点した。彼があんなによれよれで崩れてしまう、という場面は決して見たくなかった。ポルトガルの対ドイツ戦での惨敗にも目を背けたくなりましたが、極め付きはやはり準決勝のドイツ―ブラジル戦です」
――ブラジルが7失点。目を疑いました。
「あれはもうサッカーではない。ドイツが7点も取ってしまったことは、果たして成功なのか。もちろん、勝利したという点では成功なのですが、『サッカーをサッカーではないものにしてしまった』という点においては、醜い失敗だったとしか思えません。誰かがドイツ代表の精神分析をやらなくてはいけない。どこまで点が取れるのか、面白いからやってみよう、というぐらいの気持ちになっていたと思うのですが、どう見ても7点も取ってはいけない。何かが壊れるし、人の道から外れているとしか思えない」
「サッカーから運動の喜びを奪うW杯という枠組みが、選手たちの精神とゲームそのものを、いかに異様なものにしてしまっているか。それを象徴する試合でした。サッカーは死んだ、と思いました。前回のW杯でも、国を背負うことの問題は至る所に現れていましたが、それでも決勝、準決勝は緊張感のあるいい試合でした。それが今回のW杯では、なくなった。次回のW杯まで私が生きているかどうか分かりませんが、確実なのは『もう、徹夜をしてまでは絶対に見ない』ということです」
■ ■
「実は今回のW杯では、二十数年ぶりに心から応援するチームがありました。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表です。1914年に同国の首都サラエボで起きたオーストリア皇太子暗殺事件が、第1次世界大戦の引き金になった。それから100年。20年近く前まで殺し合っていた三つの民族が、オシムの尽力で一つのチームを作り、W杯に参加した。これはもう、応援するしかない」
「最初の対アルゼンチン戦で、敗れはしましたが、イビシェビッチがチーム初得点を決めた時には、わがことのように泣きましたね。最後のイラン戦で初勝利した時にはまさに『オシム流サッカー』という感じの躍動感にあふれた闘いぶりで、その華々しさにまたも涙しました。この年になって真夜中に何をやっているんだろう、とも思いましたが」
――蓮實さんは、スポーツの世界に、スポーツ外の浪花節的な物語を持ち込むことを嫌っていたのではなかったですか。
「いや、これは私個人ではなく、人類の問題なのです。サラエボ事件100年ですよ! そこから来ている代表が民族対立を乗り越え、W杯で初勝利した。その奇跡を、日本と関係の深いオシムが実現させたことを、心から祝福するべきなのです。そしてボスニア・ヘルツェゴビナがオシム流のサッカーをさらに継承し、将来のW杯で魅力あふれる運動感をピッチに行き渡らせる。これは私のロマンチックな願望です。そうなれば、W杯をまた熱心に見ることになるかもしれませんね」
(聞き手・太田啓之、金重秀幸)
*
はすみしげひこ 1936年生まれ。東京大教授、教養学部長、総長を歴任。著書「『ボヴァリー夫人』論」「表層批評宣言」「スポーツ批評宣言」など多数。
ブラジルがドイツに7-1で負けたが、ある解説者やサッカーを余り見ない人たちはネイマールがいなかったから負けたという。
ただ、負けた一番の要因はそこではないだろう。
仮にネイマールが怪我していなく、試合に出場していたとしても得点は3点取ったかもしれないが7失点していた可能性は高い。
逆にネイマールが欠場し、怪我したことで戦術家ではないがモチベーション管理が上手いスコラーリ監督(ブラジルの監督)は試合に出場する選手たちを鼓舞していたことだろう。
では、何が一番の要因だったかというとチアゴ・シウバの欠場が一番大きい。
チアゴ・シウバはスピードもあり対人も強く、リーダーシップもある世界最高のDFだ。
代わりに出場したダンチもバイエルンで魅力的な活躍をしたが、それはビルドアップが評価され、ペップに使われていたからで、実際はDF面には問題があり、スピード不足が否めない。
ダビドルイスはOFが大好きで攻撃のために前に行ってしまう傾向があるため、ダビドルイスとダンチの2枚のCBは組み合わせ的には悪いのだ。
どうせなら、これを拡散させてよ
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%B8%82&oldid=50017570
窯業関係者で瀬戸窯業資源対策委員会http://archive.is/N5YOp顧問の市長の給料は、数年前まで愛知県一位。2011年1936万円http://blogs.yahoo.co.jp/chugamo2008/35924073.html 2012年 月収99万円愛知県の首長給料番付 2012年2013年月額2千円減額 Daily SANQ2011http://www.845.fm/daily-sanq/?p=3901 Daily SANQ2012 http://www.845.fm/daily-sanq/?p=6006
2012年8月23日市会議員から市長に、「 平成 11 年度から現在までに、鉱山資源採掘に関わる事業者、珪砂組合関係者、窯業業界団体等から政治資金を受け取っているか伺う。 」質問が出された。http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ui11oV-2KQ8J:www.city.seto.aichi.jp/docs/2012082300013/files/usuiatusi3.pdf 質問状4ページ16
この地方のテレビ放送の親局である瀬戸デジタルタワーが市南部にある。 瀬戸デジタルタワーがある幡中町には、フェロシルトが埋まっている。回収状況(2013年10月31日現在)石原産業のページhttp://www.iskweb.co.jp/feroshilt/ 時代に先駆け放射性物質に汚染された街 放射性ゴミのリサイクル偽装~「フェロシルト」事件(1)【井部正之】 2011年12月11日 20:56http://www.asiapress.org/apn/archives/2011/12/11205631.php
2010年11月子熊射殺でいくつかのブログで顰蹙を買う。怒鳴る職員騙して射殺に、市役所にメールで抗議を呼びかける人もいた。google検索「瀬戸市 熊」保存http://archive.is/TvD9y 魚拓 http://megalodon.jp/2013-1205-2301-22/archive.is/TvD9y
そんな~ 大家↓ は~ 改革派wwwww 窯業関係元市役所勤務 でありながら この市長選落ちた人支持 はてなダイアリだったが、この市長選落ちた人の息子の尾張旭市議最下位落選にも触れているのがある http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/20131006/p1 その位置に行く保存 https://archive.today/5EH9Q#selection-691.4-691.9 落選以外にも問題あるが、この人はもう政治家として市議であっても返り咲く事はできるのだろうかと・・・
不動産屋!!!! 2chのどっかで荒らしてる?という説がツイッタにあるが の保存 https://archive.today/Kagka
大家www
この論の帰結とか結びに
ヘルメット中学生に被せての登校風景が≪豊○の恥辱≫とまで言うのなら
参加さえしてない町内会が、個人情報を当然のように召し上げようとしたり 防災基本台帳なるものを勝手に作っている事も
と、思ってもらわないと 気が済まない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
虐待否定は人権否定だから、少数意見も大切にするのが、民主主義やろwwwww
と、入れようとして 忘れてた。
出せるわけないじゃない!!!!! お金払ってまで、してるのに!!!!! それは余分に受け取っておいて!!!!! 【保証人の代わりの分】
その後も 相談には乗るというので、話していると 保健所でもなかなか~ と、 親から保護するためにも相談に乗る病院の手配はしてくれない話【アップはしてないけど 名古屋のM区の保健所での 精神衛生相談の録音もあり】 をしていたら
どこそこの、子供(引きこもりか何か) は、皆で相談して保健所の何とか員?か何かの人も呼んで、病院に引き取ってもらったけど・・・とか、そういう話をされたが
では、そこの子供は、自活してたのか!!!! そのお金でわざわざ初期費用や家賃以外に 【お金を払ったのか!!!】
全く 無茶苦茶だ!!!!!!!!!!! 何でも話をそういう方に持って行かれた
名古屋の保健所でもどこでも、明らかにおかしな人を収容するためのノウハウならあるようで、主に家族からの相談に応じていた。 これも探ると問題ないこと無いかもしれないが、批判してるのがカルト宗教のフロントが多いという問題はあるが、要は薬の引き受け要員とする人を探している面はない事もないと思う。 だから普通の生活が送れて、神経症領域に精神的にまいるとか、家族に困らされて逃げているとか そういう人用ではない。
もっというと、もしかしたら、家族にも虐待や抑圧 過干渉などの問題はあったかもしれないけど、症状が出た本人を 一人悪いものとして 収容 → 薬漬け にしてる例も もしかしたら あるかもしれない・・・ (そういう事もできない事はない仕組み というだけで、全てがそうとは言わない)
ネットや 特にはてな民も 家族性かどうかは知らないけど、周囲に脅威を感じていたり 不適応であったり・・・ そういうストレスをさらに弱そうな(弱いとは限らないけど)にぶつけることで解消してる 人達もいると思う・・・
ヲチなんて その際たるものだろう なんら生産的行為でもないのに、それをやらずには居られない のだから・・・ 依存とか 異常性を感じる
追加
【【【 瀬 戸 】】】 は こ う い う 所 ! ! !
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/election/0704/0704234320/1.php 瀬戸市長選:増岡氏3選 異色市議誕生 2007/04/24
>さて地方で市会議員といえば地域で功成り名を遂げた人物の名誉職の意味合いが強い。しかも互いに「狭い地域を代表する」ボス同士で、馴れ合いのうえ地縁血縁でがんじがらめ、議席に座っているだけの議員がほとんどで4年の任期中、議会で発言がゼロの議員すらいるという。
>議会は多数決の場である。数がすべての現実は確かにある。かといって党利党略でがんじがらめのような現在の地方議会では「マトモな発言、本音の意見を述べる人物は変人・奇人・変わりもん」と烙印を押され、仲間外れにされることを懼れ、表だって行動する議員は稀であるようだ。
【「マトモな発言、本音の意見を述べる人物は変人・奇人・変わりもん」】
【「マトモな発言、本音の意見を述べる人物は変人・奇人・変わりもん」】
【「マトモな発言、本音の意見を述べる人物は変人・奇人・変わりもん」】
また追加
名古屋の保健所での相談で唖然とさせられたのは、こっちが行く病院に当然話を通してくれるのかと思って、ではどこの病院を紹介してくれるのか?と聞いたら 冊子を渡されただけで、特定の病院を紹介すると、公的機関としてまずいから と言うんですよ!!!
でも、情況によって対応は考えるべきだし、こっちに選ばせて 話を通す でも良いのに!!!
医者の子供で、2chを荒らしながら住所を晒してた人が、ある女の人(特定の近所の人物と思われる)に犯罪でもしそうにも読める内容を載せてたため、本当に心配して(それでも私が家族にいう事で本人が良くない病院に収容などあったらどうしようか?家族が虐待してたらどうしようか?散々迷った)連絡したら ちょうど名古屋の人で当時住んでた所から、3kmくらいのところの人で、親は本当に医者だった。
虐待はしてないけど、別の問題はあった。最初は気付かなかった。アスペルガーというのも本当のようで、最近流行の心理テストでアスペルガーという拡大解釈のではなく、脳の血流が本当に計ると前頭葉に行くはずのが少ないという人だった。(でも、後に気が付いたが、物凄い異常ではなくても、親も少しそのような傾向にある場合が多いので、子供の面倒が見られないようだった ネグレクトとかじゃなく面倒見てるんだけど細やかな情緒的な関わりや配慮に欠けてしまう。悪気はないのだろうけど非常に危なっかしい 余談だが父の医者はネットでヘイトスピーチはしないけど右翼みたいな首長を書いていて、その中で唖然としたのが、徴兵を嫌な事は避けようじゃなく、掃除と同じように・・とか、例えが色々おかしい事も書いていた。これ一つじゃなかった。現実的な事より精神論とか戦うという事に鼓舞されるのか、幼児が戦闘ものアニメ見てるみたいな印象さえ持ってこの人は本当に医者だろうか?と思った。アスペルガーの子供の前で刺激になるような事は言わない方が良いのでは?と言っても、何が刺激かわかってないようだった。日常的にそんなんらしいし、日テレのたかじんのそこまで言って委員会の勝谷のファンらしい(その医者)と奥さんであるアスペルガー当事者の母は言っていた。こんなんだったw )
その医者の子供が入院した事がある病院(実際は入退院を繰り返し・・・だから治ってない。アスペルガーだからといって必ずしも二次障害が出るわけではないので、やっぱりヤブというかあまり腕は良くない事がこの話からも伺えると、今は思う)が、保健所で見た冊子にあったので、その事も相談で話したら、相談に来ていた医者が【良い病院ですよ】なんて言うので
ずっと前に、ネットカフェに避難【アパート半壊 警察でも責められ 区役所もきちんとは助けない という状態】していた時、そこから電話し、保護的に入院させてもられないか?聞いたら
事務員なのに、診断もできるわけないのに、ヘラヘラと嗤うように、最初からおかしい人として対応され そのくせ 入院させてくれ というと 親か親族の同意が必要!などと言った (録音有)
(【これはおかしい】同意入院というのがあるので、普通に診察を受けに行き、入院の希望を伝え、部屋が空くとか、諸費用の点で折り合いがつけば 【自立支援法があるから、手続きがうまく行けば 公費でという方法もある】入院できるので、言っている事がおかしい。 名古屋はどうかわからないが、家族の虐待的扱いにより精神的にまいり、逃げた後でも、神経内科や心療内科や精神科にかかる場合もあるし、本人が相談して入院という話も有る )
この時、どれだけ それらの病院やそれを取り巻く情況が、矛盾に満ちているか 怖いかの説明に ずっと昔名古屋ではない町で 病院に相談に行ったら、パトカーを呼ばれ連れて行かれたのに、そのまま野放しにされた話をしたら・・・
すかさず 【 暴れた とかね 】 と言われた。 これも録音してある!!!! これで、こういうふうに こちらにとって最悪に都合が悪く 医者側にものすごく有利に解釈する人もいるのだ!!!と思って怖くなったり、そういう可能性も考えられるのかと、あらゆる可能性を考えてしまい、不安でたまらなくなった。。。
この話は 読売新聞が大々的にキャンペーンする前の話 なので、余計怖かった。
でも、【暴れた】という話も、もし暴れたのなら、なぜその後 帰って下さい (間違いです とは言わないものの まあそういうことですよ 医者側のいう事を聞いて動いたが 間違ったなと・・・ でも医者に抗議はできないしなと・・・ ) になるのか?という事は考えないので矛盾があるし、暴れた可能性があるような人なのに、治療や相談や入院を検討もしないのもおかしいし、本人が入院と言っているという事は、何らかの病識があると考えられるのだから、是非病院に来てきちんと診察させれば良いのに、それはしない。
おかしいではないか?
認識に問題があるにしても、ないにしても、あるなら治療や保護の対象とせねばならない、という事で → 通院なり 入院なり へ導く のが正しいはずだし
ないにしても、保護的に入院なり、相談や治療を望んでいるのだから、医者には治療義務もあるのに、来ないでとは普通なら言えないはず。 ( これも、暴言や 暴力ある場合は違うらしいが、精神科の場合はそういう人も収容するノウハウある病院も有る これはこれでまた色々問題出てきてるが )
かつてアメリカにアニメを輸出するとき問題になったのが銃表現であった。
銃社会アメリカでは、銃は日本以上に身近で、生死にかかわる感覚がずっとリアルだった。
よって銃表現を前にした大人たちのいう「子供に悪影響」という言葉の重みは、日本とアメリカでかなり違うこととなった。
日本側の理屈としては、銃表現じゃなく銃規制しろよとなるわけだが、アメリカの知識人は銃協会からいくらか貰っているようでなかなか規制に踏み切れず、手っ取り早くアニメ業界を規制することになった。
ゲームも近年銃表現の規制が議論されているが、レーティングという自主規制でどうにか乗り切っているところだが、今後どうなるかはわからない。にしても今のところうまくいっているようだ
銃社会では銃表現に神経を尖らせているように、同性愛が問題になっている国では同性愛表現も、神経を尖らせているのだ。
しかし同性愛が問題になっているといっても、銃の問題と違い、同性愛者が被害者側なので勝手が違う事に注意してほしい。
アメリカをはじめキリスト教の文化圏では同性愛は教義に反することから、忌み嫌われる存在であり、結果同性愛者が殺される事件まで起こっている。
こういった歴史的経緯から、それらの国の文化人や一流企業といわれるところは、先鋭化したり、そこまでいかないまでもカウンターとして戦う姿勢を示すことが文化人、そして企業としての礼儀となったわけだ。
彼らは戦うしかないのである。だからパレードし鼓舞し、同性愛差別に対して戦うのである。そして文化人はかれらをめいかくに支持する姿勢を示すのである。
そんな戦場に任天堂は日本ののほほん文化とともに飛び込んでしまったのだ。
修道文化がそうであるように、とくに弾圧されることもなくのほほんと生きてしまっているように思う。
むしろ明治になって欧米に合わせるために捨てざるをえなかった経緯すらあるわけだが
そうはいっても今日、テレビではおかまキャラを見ない日はなく、ちまたの本屋ではBLだ百合だとコーナーが設けられるまでになっている。
欧米に足並み合わせて一流国になるんだ的なコンプレックスはもうなくなったのだろう。むしろ何か問題でも?くらいな
(個人的には、BLとか百合って同性愛の人から見たらどうなんだろうと思う。コンテンツとして消費されることに対してとか)
個人レベルで気持ち悪がられることがあるにせよ、欧米に比べるとずいぶんのんびりまったりである。
そんな日本の文化をひっさげた平和ボケてき同性愛文化の任天堂が欧米で人生観察ゲームを発売してしまったのである。
戦士たちから「戦う意思はあるのか?(同性恋愛要素盛り込むことであいつらとたたかうよな?)」と質問され
そして任天堂は「ないよ(マイノリティ要素は最初から想定してないよ)」と答えてしまったのだ。
日本の感覚としては、フラットで平等に意識しないこともアリだとは思うが
欧米はすでに戦争状態なのだ。無関心は罪なのだ。明確に意思表示を示さない企業は足手まといになるのだ。
私は空手を12年やっていたこともあり精神論というものが大好きだ。
心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉を信じ、自分が強くこうだと思えば白も黒になり黒もまた白になると信じている。仕事であっても「辛い」「嫌だ」と考えず、困難に立ち向かう気持ちでのぞんでいる。
逃げようと思えば思うほどモチベーションは下がるため困難から逃げようとせずに立ち向かうことによって己を鼓舞してきた。
真に強いとは弱者を叩きのめすことではなく恐怖へ立ち向かう勇気だと思っている。
それを教えてくれたのははじめの一歩であり、ダイの大冒険であり、スラムダンクだった。
しかしながら今の世の中精神論というものがとっくに古い思想になっているものだと感じている。
なぜなら精神論というものは被験者がその効果を信じているときのみに効果を発揮するものであり、理解できないあるいは適正のないものに精神論をうたっても心に響くわけもなくただ虚しくなるだけである。
戦争中あるいは戦後の日本においては1つの思想に横へ倣えで精神論も有効に働いたかもしれないがグローバル化が進み多種多様な価値観がそれこそごちゃごちゃに乱立する昨今である。
どれもが正解ではないしと同時にどれもが正解である。
http://tenohasi.org/homeless.html
常々「自分はいろんな意味で崖っぷち」「規格外」「下手を打つとすぐにいろんなものから取りこぼされる」という危機感を抱いて生きてきたものですが、そして自分ではその危機感を「そうは言っても考えすぎかも、強迫神経症のケがあるかも」くらいには胸中でブレーキかけようと試みてきたものですが、ホームレスの事例について読んで戦慄した。
自分はゴミ屋敷で生活してた前科?がある。他人が作ったゴミ屋敷に事情があって同居してたとかじゃなくて一人暮らしでゴミ屋敷生活スタイルを構築してそこに住んでいたのである。
普通はゴミ屋敷って裁判しないと犯罪認定されないから「前科」という言い方は変だが、引っ越しの折りに業者呼んで産廃扱いでトラックいっぱいのゴミを出したことがあるので自分の認識ではこれはもう前科だ。
あと精神病にかかってアタマがイッてしまったらおしまいだ。ゴミ屋敷作って住んでた時点で既にアタマはイッているという説もあるはそれはおく。
ひいひい言いながら大学出て年収350万だが職を得て人間を装って生きてきたけど、何というか根本的に自分にはある場所に安住とかはできないんだ、という衝撃がマジで強い。
自分が住める世界と言うか、「ここが自分の居場所」的なもんは無いんだ。
ただ空間というかスペースだけは確保しなきゃ物理的にどうにもならんというだけなんだ。
ゴミというかモノでいっぱいの万年床で、眠るためにいろいろなモノを押しのけてスペースを作るように。
っていう悟りが、もう人生で何度悟ってきたかわからん悟りだけど、また今更にじわじわひたひたと頭蓋ん中の脳みその浮いてる水に染み渡ってくる。
っていうか部屋がゴミ屋敷だとホームレスになっちゃうとかやべえ!ホントやべえよ!
業者のトラックを見送りながら「あれだけのモノにぐちゃぐちゃと囲まれて生きられたということは、オレ最悪ホームレスでもやってけるってことじゃね?」と冗談風味に自分を鼓舞していたけど「ホームレスでもやってける」と「ホームレスにさせられる」は天地の差っていうか次元が違うよオレ!そして想像してたより崖っぷちだったわオレ!
はやく人間になりたい!
仕事で知り合った20代半ばの男からFacebookで友達申請があった。
彼とは取り引き先が主催した交流会で名刺交換をしたくらいで、あまり話してもいない。
嫌な予感を感じつつも無視もできないので承認すると、案の定、メッセージが届いた。
承認ありがとうございます、話の内容が興味深くて楽しかったです、とか……。
気の抜けた返事をすると、すぐさま「食事でもどうですかー」ときた。
私はどうやって断るかに頭をひねらなきゃいけない。これはとても疲れる作業だ。
ここ数年、30を過ぎてからだが、こういう面倒くさい誘いが多くなった。
「お前、30過ぎたBBA誘うって、真剣に付き合う気ゼロだろ。競争率低そうな奴とお手軽にセックスしたいんだろ」
そう言いたいのをグッとこらえて、整合性のある用事を作らなきゃいけない。
彼らには共通した傲慢さがある。手順を踏まずにズケズケと進めようとする。
俺は若いんだから喜んで誘いを受けろ、後腐れないセックスをさせろ、という欲望がだだ漏れだ。
周りの友達に聞いてみると「あるある」の大合唱。特にちょっとした知り合いがFBでメッセージを寄越すのは本当に多い。
いつまでも「女」を捨てないでキレイでいようとしているからかもしれない。
それは自分を鼓舞するためのものなのだが、男には「今でも遊びたい。できれば若い男と」という風に解釈されるのだろう。
私だって思いきり求められたい夜もあるが、誰でもOKというわけでも、いつでもWelcomeでもない。
やっぱり波長が合って、私の「ツボ」を上手く押してドキドキさせてくれる人と求め合いたい。
就職して&常駐して4,5年目。
客先の直属の上司からは体のいい雑用としての役割を求められる。
言われたこと以外の余計な口出しをしようものなら、あからさまに嫌な顔をされたり鼻で笑われたり、まともにとりあってくれなかったり、最初から否定的な捉え方をされたり、そういうことは想定・期待していないんだから余計なことをするなという空気を言外にもひしひしと感じる。
一見理解ある上司のように対応・行動しているから余計にたちが悪い。変にプライドが高く、完全に自分の掌中におさめておきたい、余計なことをさせたくない的なところにつながったりして、一筋縄ではいかずに胃を痛めている。
いや実際に変なところで何かされたら責任とれんからってのはわかるけどさ。そうじゃない部分でも何かとつねに見下すっつうかバカにされてる感があるんだよね。まあ外注なんて所詮そんな立場なんだろうけどさ。
一方、客先の直属の上司の上司とか、客先の営業からは、そういうんじゃなくて仕様を相談できたり、仕事をまとめてふれるような働き方をしてほしいと言われる。
現場と営業で乖離した要求がある状況において、自分の派遣元(所属会社)の上司とか営業には、後者的な要求しか伝わってない。
だから、派遣元としては俺の評価が「言われたことしかやってない今一歩一皮むけきれてないやつ」としてとどまっている。
現場レベルでの要求と、契約レベルの話をする人間が求めている要求が大きく異なる。
そのギャップが苦しい。
「お客さんの中でも、特に直属の上司の、さらに上司がが求めてることと、実際に現場レベルで直属の上司に求められていることが違う。それ以外のことをやろうとしてもいい顔をされない。とくに、直属の若い客先の上司はプライドが高いから、すんなり外注ごときの意見具申を取り入れてくれることがない。最初から否定してかかってくる。こっちは外注だっていう立場上、なかなか不満もいいづらい。」
というふうに、仮にこの不満を伝えたとしても、結局俺の直属の上司にも伝わるのであれば、今後の仕事上の関係においても何かとギクシャクしてめんどくさくなりそうなことも想像できる。どうしたらいいかわからない。
客先常駐型のめんどくささをひしひしと感じている。
単純にSE的なことをやるようにしてっていうんであれば喜んで取り組みたい。
でもそこに、客先と派遣元、プラスでプライドとかの扱いづらい問題なんかも絡んでくるともう面倒で仕方ない。
マネジメントのスキル以外の、折衝とかプライドのいなしかたとかプライドを傷つけずに人を動かす方法とか人間関係のスキルもオマケで磨く必要があるということか。
これは当初想定していなかった。
一気にズシンと負担がきたように感じられて食欲が出ない。趣味もやる気にならない。
寝られなくなったら赤信号だと思う。
こんだけ苦しいとほんとに今の会社やめてもいいかなとも思えてくる。
でも結局、どこの会社でもついてくる問題なんだよね。
単なるプログラマから、ある程度経験を積んだら次のステップへ。
こうなってくると、もう自分には勤め人自体が向いてないんだろうな。
そこで我慢できるかとか耐えられるかとかうまくいなせるかって考えたときに、あまりにも仕事が人生を占める割合が大きくなりすぎて、仕事に殺される気がする。
かといってフリーになるスキルがあるわけでもないんだよなあ。。。
スキルなければ勉強して身につければいいじゃないとポジティブな人間ならなるんだろうけど、今は上記のストレスでプライベートもズーンと沈みがちでまともに食欲もないレベルなんだよね。
お腹は空いてるけど食べるのがめんどくさい。ん? これはまたちょっと違うのかな。。。
勉強するにしても、マジで仕事やめて何かやったほうがいいのかな。
でもやめたらやめたでずっと寝てばっかになりそうな気もするんだよなー。
とりあえず今すぐに仕事をやめるとかにはつながらないから目前の作業をするしかないけど、先を考えるとプライベートで生きていくのがままならなくなってきつつある現場。
どうすべきか。ライフカードのどうする!?どうする俺!?ってのがものすごく自分とダブるよ。
パソコンとか爆笑しながらぶっ壊して床に寝転んでそのまま寝たい。
なんかしらんが手先がやけにしびれてきた。
下まぶた?頬?がけいれんしてピクピクする。
ほんと俺ストレス耐性なさすぎだろ。
逃避するしかない。
うーん、さしあたり人間の身体は早く光合成できるようになってほしい。太陽の光だけじゃなくて、蛍光灯の光で光合成できるようになればなおよし。
食事をすることによって食事の時間も手間も面倒もお金も消費するし、歯磨きもしなきゃいけない。
なんでサルから人間になるときに植物と同じように光合成できるように進化しなかったのか、そして人間に進化してからも光合成できるようにいまだに進化してないのか、不思議でならない。
光合成だけで生きようとする短命な人間が子どもを生むなりしないと進化上むずかしいのかな。
もはや食べ物業界すべての陰謀だよね。食べないと生きていけない身体とか不便すぎだし。
今の俺を支えてくれるのは艦これの雷ちゃんだけだ。
「元気ないわね! そんなんじゃダメよ!」
「司令官、私が居るじゃない!」
「そうそう、もーっと私に頼って良いのよ!」
なんと力強い。。。ああwikiからセリフをコピペしてくるだけでも涙が出てくる。
雷ちゃん。。。俺もうダメだよ。。。よしよししてよ。。。。もう休みたいよ。。。それかもっと鼓舞して。。。応援して。。。俺はもうひとりじゃダメなんだよ。。。エロなんかいらない。癒やしがほしいんだ。。。
でも画面から出てきてくれない。
俺はどうしたらいいんだろう。
とか益体もないことをつらつら考えちゃうほどには頭がやられてるようだわ。
はー。
死ぬのもめんどくさいから、ある日ふっと消えたりできないかなー。
こんなgdgd長文がホッテントリ入りしててびびったーよ。
やっぱりはてな界隈にはプログラマ系の人が多いのかなーとか思ったり。
ブコメとかで気になっている人が多かったのでちょっと訂正しときます。
ご指摘ありがとうございます。
現在の契約は派遣です。んで、上で派遣先の直属の上司って書いてるところは「派遣先の指揮命令者」というのが正しいですね。
派遣元としてもそこらへんの労働法関連はちゃんとしてるので大丈夫です。
なんというか。。。現場の指揮命令者が普段の仕事における自分の実質的な上司みたいなもんなので、その感覚で書いちゃいました。
本来の自社の上司なんて1年で2,3回しか関わることがないレベルですし。
あと雑用の定義なんですけど、さすがにコーダーレベルではないです。
お茶くみコピーよりはノウハウやスキルも必要ですが、逆に言えばそれなりに慣れたら雑用として捉えられるレベルの作業なので、雑用と表現しました。
具体的には、こういう機能つくってとかこのバグ修正してって言われてそれを改めてドキュメントとしてまとめて仕様設計書作って実装して評価してってやる感じです。
それに対して、言われることをやるだけじゃなくて「こういう機能つくって」という結論に至るまでの相談相手たりうるような存在になってほしいということですね、営業レベルだと。
一方、現場レベルではただ決まったこと、言ったことをやってくれればいいという感じですね。実際派遣はそれでいいとも思うんですけど、単価交渉とかでやっぱり問題視されるんでしょうね。やること変わらないのに経験年数だけで単価上げるのはちょっと。。。とかなったんじゃないですかね。
客先常駐やってると、自社への帰属意識もすっごく薄くなるんですよね。
そんで派遣先(だいたいが派遣元よりも大手)で自分もそこの社員になったような気分で長期間働いてたら、ボーナスの日とかにてめーは部外者なんだっつって改めて思い知らされるような感じなんですよね。ちょっと話それてますね。