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はてなキーワード: シナプスとは

2021-11-21

anond:20211121173136

追記読んだけどおれって頭いいんだってことを一番に言いたいことはわかった 増田増田自身にすごく自信があるし自分を好きなこともわかった

せやな

でも反論なり反応なり来るとそれに反論なり説明せずにはいられないくらい俺の考え方がすぐれていると自己主張したい人だってこともわかった

「せずにはいられない」ってのはおかしな言い方で、自分の主張に対して反論来たら再反論するのはむしろ義務じゃね?

 

けど君みたいな謎の言い方する人をする人は結構いて、これは反論されるのが嫌いと言うか恐れてる人なんじゃないかと思う

自分コメントするけどそれに対して書き手からレスポンスが来るのが嫌で、それをされると異様にビクッとしたり被害者みたいに振る舞う人が結構いる

俺は反論されるのが大好きだしそれにさらに再反論するのも大好きなんだけど

 

増田増田の考えを持つのもここで言うのもいいと思うけどなんかあまりにもブコメくれた人を(あなた基準で)ストレート「バカ」と評すあたりは読んでいて辛くなる

俺もいろんな考えを持つのはいいことだと思うからブコメに「俺と考えが違うこと」をもって「バカ」呼ばわりはしてないだろ?

俺を感じの悪いやな奴だと思うのはいいしそう表明するのもいいよっていってる

俺は自分では人を見下してると思ってないけどそう感じるのはその人の感じ方だから尊重すると

 

ただ俺が「異性を」「女を」見下してるってどっから来てるの?と

異性の選び方を同性の選び方と同じにしろって話を延々してるのにさ

そのブコメの人については感性の違いとかじゃなくて明確な誤読からそれはあなたバカですよつったの

 

考えがどうこうじゃねえんだよ

からきみもバカだねって思う 

というか言わざるを得ない

別にバカだなあって思いながらノーコメントスルーしてもいいんだけどさ

きみ流に言えば「レスポンスをくれた」縁があるから親切に丁寧にわざわざこんなこと説明している

 

あなたあなたのことを言いたいように、あなた文章を読んで言いたいことがあるなあ、ひっかかりがあるなあと思った人のことも

「俺より頭悪い」という基準だけで全部判断できるからそうする、ということで済まさずに色んな考え、立場があるよな、傷つく人もいるよな程度には思っておいてほしい いや思ってると思うんだけどさ

これに関しては立場問題関係ないよね?

かなりプリミティブなレベルでのただのバカじゃん

傷付いたとか言ってないで治すように気を付けた方がいいよって思う

 

から増田みたいな人の強い言葉を読んでしまうとそれだけで打ちのめされるし、増田から判断される側」の人間として増田に言いたいことがある人もいることは当たり前のこととして考えておいてほしい

言いたいことがあったら言ったらいいじゃん

ただの誤読以外のレスポンスに対してそんなに感じ悪い返答してるか?俺

まあそれも増田がひたすら「頭悪い」で片づけられることだと思うのだろうからこちらとしては断絶を感じざるを得ない

そうやって話もせずに先回りして自分情緒に閉じこもって拗ねるようなその感じが「頭悪い」ね

きみの頭の悪さは幾らでも直せる種類や程度のものに見えるんだけど

グジグジ拗ねてる方が楽しい

俺はつまんなくなるだけだと思うけどねそういうの

 

治すつもりがあるならアドバイスは二つある

自分は何か言いたがるくせに反論が返ってくることを恐れんな 反論もらえない方がよっぽど頭に良くない

自分がいちいち情緒的な反応をすることを肯定すんな それはただの悪い癖だ

  

でも増田は「頭が悪い」人にいくらそう思われたところで別に苦しくないんだろうから世の中辛いね

相手が苦しんでくれると報われるのか?

きみは一体何のために会話してんだ?

それは本当にきみの幸せにつながる思考か?

 

また頭の悪さが見つかったね

でもこれも努力ですぐ治せる程度のものに見えるけどな

 

人間身体与えられちゃった犬とかレッサーパンダみたいに増田には見えるかもしれないけど、人間なので、人間なのでよろしくお願いしま

君はレッサーパンダほどには見えない

全然可哀想に思えないか安心して相手できるし罵れる

俺に同情されないなら大丈夫なんだよ

拗ねたり甘えたりしてないで思考法を直しなよ

 

あなた増田でこそこれを書いたように、それを表で言わない良識がある頭のいい増田からかると思うけど、

もしあなたの友人が表面ではそう見えずとも自分をそのように思っているとして、あなたに言われたことで傷ついていることを口に出していない人もいるかもしれないことは考えておいてほしい

あなたのまわりの友人がそれを言わないこともまたあなたが選んだ「頭がいい」人だからなのかもしれませんが…

俺はそういうグジグジした頭悪い人を親友にはしてない

 

つーかさ、ここまで読んでるだけで君は本当にめっちゃ頭悪いのが分かった

くだらないことばっかり考えるシナプスが出来上がってるよね

まず「傷付く」っていうのやめてみな無意味から

自分が傷ついたーっていうのも誰かを傷つけたーっていうのもやめろ それは妄想

君の人生の助けになることは全くない 

君がそれ考えてても君も君の周囲の人間も誰一人幸福にならない

 

そういうくだんないこと考えて脳がグルグルしてる間に

目の前でちょっと困ってたり手助けが必要だったりする人に気付けなくなってるんだよ

そうじゃなく目の前のことに気付いててパッと助けられる人間能力あってかっこいいというの

君みたいに「傷付くー」「傷付いたー」「傷付いたらー」って脳内ウニウニョしてる人間って誰の助けにもならないし善人でも何でもないんだよ

 

そこがわかってないのが君の頭の悪さの根本

直そうという気になったらその日から変えられるし3カ月で相当直る

 

私としてはこちらのブコメにも返答してあげてほしいなと思います

"私は障害のある身内がいるけど、至らず、足らず、愚かで、感情的情緒的で、時にコントロールできない日々の中に、ダメなまま生きて良い幸せを感じる。障害者の人生を失敗とか元からダメな人とか言われる筋合ない "

別に言うことないか

「そうですね」という感じ

俺がそういう人の人生否定してると思う?

 

もちろん俺が顕名議員だったりしたら公式謝罪待ったなしの発言してると思うけど

あいうのって半分ぐらいはただの言葉遊びゲームだよね

俺はそういう言葉遊びゲームちゃんとやれって言われたら隙のない答弁するのは人よりかなり得意だよ

ここではそれやってないっていうだけ

2021-10-12

anond:20211012035234

こういう事ない?これって何なんだろう?

教育者じゃないから見た事ない

こういうのってなんで起きるんだろう?

脳のシナプスの形が他の人と違うのだろう

2021-10-08

人間幸福なんて所詮脳のシナプスの発火状態なので弱者男性電気脳刺激で幸福にしとけばいいし

バリキャリ自己実現が叶わなくて悲しんでいる女性電気脳刺激で幸福になっておきなさい

2021-09-30

オセロどっちがどっちかは分かるんだけど」

頭の中に声が響く。

占い師に傾倒してたのどっちだったっけってのはピンとこないのよ」

そもそもね、クワバタオハラのどっちかだったような気がしなくもない」

「オハラといえばスカーレット・オハラだけど微妙にカッコつかないよなオハラの部分が」

頭の中に愚にもつかない無数の呟きが木霊する。しかし、脳はそれを遮断できず、与えられたすべての情報解釈し続ける。

「それって五条悟の必殺技と同じ仕組みじゃん」

精神世界で、声のもとを、声の主と思わしきモヤの首根っこを押さえる。指の隙間を風が吹き抜け、モヤは霧散する。

依然として声は降り止まず、精神世界にまで暗雲が立ち込める。やがて雷雨となり、雷は私の脳天から爪先までを穿った

私は目が覚め、関連したすべてのシナプスは完全に繋がり、二人の芸能人を /(くわ|し)ばたりえ/ で表すことができるという知見を得た。

柴田理恵あくま漢字表記なので自然言語処理的には役立たないことに気がつくまで、私は自分が何だったかも思い出せなかった。俺は、少なくとも女芸人ではない。今はそれで十分だろう。

2021-05-23

発達の偏りというか短期記憶問題がある気がする

以下はチラ裏身の上話なので時間無駄になる(予告)

自己判断だけどなんとなく自分はややADHDっぽい性質があると思ってる。20年ぐらい前に安易リタリン出すタイプ精神科医生活上の困難を相談したら、あんまり深く検査もしないでADHDでしょうねとか言われたことがあったレベル。でもセカンドオピニオンを求めてちゃん検査する大学病院行ったらリアルに鼻で笑われたから投薬とか受けてないけど。

社会人になってからタスク管理全然できなくてミスして怒られてばっかりで、鬱っぽくなって自分ADHDかも?と疑って受診したのが始まり。何も覚えていられないから細かいタスクまで全部テキストに書いて毎日何度も見返してた。時間感覚全然ないことにもその頃に気づいて、自分がさっきまで何してたのか、何でこんなに時間たってるのか分からないこともしょっちゅうあった。何時までに何をどれだけやるのかっていう計画性とか時間見積をする習慣が本当に全くなくて、これを少し身に着けて日々繰り返すことで少しずつ普通にこなせるようなってきた。(でも休日になると子供の頃と同じ暮らしに戻る)

自分場合はよく過集中しちゃうんだけど、それって「今は先に○○しなきゃ」っていう短期記憶がすぐに揮発しちゃうのも一因かなと思ってる。視界に入ってないものは何でも本当にすぐ忘れる。本読むのが苦手で、前のページまでに何書いてあったか覚えてられなくてストーリー全体像が頭に入らない。深く練られた物語とか伏線とか推理小説とか大抵くみ取れない。1日3回飲んでる薬があるんだけど、さっき飲んだのかどうか思い出せないことがしょっちゅうあって、飲んだ記憶がさっきなのか昨日なのか本気でわからないなんてのもザラにある。深夜になって、今夜の夕飯が何だったのかを思い出すのも10秒ぐらい悩んで頑張ってようやく思い出せる。

仕事の打ち合わせなんかしてるとき、細かいToDoとか懸念点とかの話がたくさん出てくるけど、3つ目ぐらいになるともうワーキングメモリからあふれるのが分かる。最近では「あっ今何か忘れた」って感覚すらある。(シナプスが切れた感覚とでもいうのかな?)怖くてひたすらメモするからメモが大量に膨らんでそれの整理に追われて疲れ果ててる。毎日何も抜けないようにするなんて無理で周囲からトレースに物凄く助けられてる。

でもなぜか学歴はそんなに低くなかった。子供の頃は勉強する意味も分かってなかったし授業も一切聞いてなかったし、なんか怒られるからただやってた。テストでいい点とりたいと思ったことも無かったか万年学内で劣等生だったけど、高校卒業してから仕方なく大学受験のために自分参考書買ってマイペースで独学したら結構楽しくて、人並み程度の点は取れるようになって一浪してちょっとましな大学入った。みんなが言ってる勉強ってこういうこと頑張ってたんだなってここで初めてちゃん理解した。

思い起こせば幼稚園から大学卒業まで、犬猫みたいに瞬間瞬間を主観的直感的に本能で生きてて、同級生がそれぞれどんな性格の人だったかほとんどわかってなかったことにも気づいた。他人にも感情があって、他人立場から見て自分の振る舞いがひどいものだ、っていうことを理解したのは社会人になって数年たったころだった。孤独耐性がかなり強いし友達と呼べる人は今はいなくて、大学の知り合いと年に1回連絡とるかとらないかぐらいしか関係は残ってない。

こういう頭の悪さって家庭環境とか遺伝関係あるのかなと思う。父親はかなりアスペ疑惑の強い友達いない嫌われ者だし、母親は部屋散らかってて掃除しないAC気味で離婚した。兄弟DVキチガイでこれまたアスペ疑惑20年ぐらい毎日自分が殴られてた。こんな家庭出身自己肯定感は地に落ちてるし子供とか死んでも要らない。相方はいた方がいいとおもうけどまあどうでもいい。生きていくのしんどすぎわろた

子育て中の親が「うちの子脱線ばっかりして宿題しない」とかいうのを目にすると、例えばこんな感じで無自覚記憶が飛んでるのかなと思ってる。自分がいつもどんな行動パターン時間無駄にしたり何かを忘れたりしているのかを、まず本人が時系列で振り返って自覚したり、それを改めたいと自発的に思わない限り改善は難しいんじゃないだろうか。

2021-05-05

anond:20210505143116

違います~~~幸福脳内シナプスの発火状態で決まるんです~~~

薬でハックすれば余裕です~~~

2021-05-03

中野信子の言っていることはおかしい、具体的に何がおかしいか挙げる

きっかけは母親が「空気を読む脳」を買ってきたことだった。以前からこの人の主張はおかしいと思っていて耐えられなくなりこの人の他の本も読み、言動についても調べた

酷い。矛盾だらけ、エビデンスにならない動物実験ソース、人を見た目で判断することは科学的に正しいという主張、本人の言っていることとも矛盾した倫理観

彼女がいつも言う「日本人セロトニントランスポーターが少ないか不安に駆られやすい」という理論、まずこれが怪しい。SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)について知っている人なら奇妙に感じるだろう。この薬は、セロトニントランスポーター機能をあえて弱めることでシナプス中のセロトニン濃度を増やし不安を和らげる薬だとされている。つまり彼女理論SSRI作用機序についての理論正反対なのだ。モノアミン仮説にもやや怪しい部分はあるが、正反対解釈というのは流石におかしい。神経科学専門家はどう思っているのだろうか。

些細なことから飛躍して「日本人の脳」を論じる。

空気を読む脳」で日本人サイコパシーの傾向が強い人が「どちらかといえば」少ないから内側前頭前皮質が発達していて倫理や美醜の観念に厳しくそれが変わりやすいのだと書いていた。当たり前だがサイコパスの人の数を正確に見積もるのは難しいのであってそういった数字は単なる誤差か診断基準の違いによるものである可能性の方がずっと高い。仮にサイコパスの人が少なかったとしても内側前頭前皮質が発達している人が多いことを意味するわけではない。サイコパスとは行動や心理をもってそう判断されるものであって実際に内側前頭前皮質機能が弱いとは限らない。内側前頭前皮質機能が強い人も弱い人も共に少ないということもあり得る。

ついでに「不倫」では日本人保守的で変化を好まない民族だとも言っていた。それなのに倫理観が変わりやすいらしい。数年前には問題でなかったことが問題になるのは日本に限ったことではないし「日本人の脳」に原因を求めるのは無理がある。

戦国武将精神分析」では汚い手も使って勝った徳川家康が今でも日本人理想モデルとして存在しているとも宣っていた。日本人は美しい敗者を好むのではなかったのだろうか。美醜の観念が変わりやすいのではなかったか

美醜の観念が変わりやすいのに何百年にも渡って義経のような「美しい敗者」が理想化されているらしい。

不倫」でもこういった飛躍がある。たかだか寝かしつけの習慣があるからといって日本人オキシトシン受容体が多いのだということにしていた。もちろん実際に日本人の脳を調べたわけではなし。スキンシップの総量が他の国と比べて多いか少ないかからないのであるオキシトシンの多い人は不倫傾向が弱いとも書いていたが、日本人不倫が多いという同著での主張とも矛盾する。(よくよく見ると厳密には比較不能な国際調査国内調査比較していたが)

更に、セロトニン神経細胞にはオキシトシン受容体存在し、オキシトシンが増えるとセロトニンが増えるという事実は「日本人セロトニンが少なく、オキシトシンが多い」というモデルとも上手くかみ合わない。彼女もこの矛盾に気付いているのか、週刊新潮 2020年12月17日号での佐藤優との対談でまだ発見されていない要因があるのかもしれないと言っていた。

彼女日本人論は矛盾だらけだ。

更に中国韓国の「反日」まで「セロトニンが少なく、オキシトシンに頼りがちな遺伝特質」のせいにしているのには呆れを通り越して笑ってしまった。歴史上何度も革命を起こしている中国人もまた、保守的リスクを好まない形質の持ち主らしい。

サイコパス」でフロイトトンデモだという声もあるほどだなどと書いていたが、リビドー無意識という概念の代わりにセロトニンオキシトシンや脳部位が万能の説明法として君臨するようになっただけで間違い方に大して違いはない。

この記事でも指摘されているように、彼女不要場合でもひたすら専門用語を使って話す。https://anond.hatelabo.jp/20150908145246そういう言葉を用いれば多くの人間科学っぽく感じてしまうことをわかっているのだろう。

人間でもそうだという根拠にならない動物実験をたびたび引用して人間の話に繋げる。キツネマウスプレーリータネズミサバクトビバッタと…

「脳・戦争ナショナリズム 近代人間観の超克」(嫌な部分が剥き出しで、是非お勧めしたい本だ!)で人間に何世代も飼いならされたキツネ容姿が変わってくることを挙げて人を見た目で判断するのは科学的に正しいのだという主張に持っていっていた。少し脱線するが「空気を読む脳」でもたかだか0.126の相関で「容姿と知能に関係がないとは言い切れない」などと書いていた。それだけの数値なら関係いかあったとしてもごくわずかな関係しかないというべきだろう。

戦国武将精神分析」でマウスを取り上げて人間テレゴニーが起こらないと証明されきったわけではないなどと立証責任押し付けた。確かに人間にもマイクロキメリズムはあるがそれはテレゴニーとは違うものだ。それにしても不倫バッシング批判する中野がヒト・テレゴニー説に対して好意的なのは面白い

不倫」でプレーリータネズミのAVPR1a遺伝子を操作すると生殖行動が変わり、AVPR1a遺伝子が人間ボノボで「ほぼ」同じだからといって人間本来ボノボのように乱婚的だと示唆した。

そのわずかな違いが重要な違いであ可能性はあるしAVPR1a遺伝子も実際は空間記憶能力に関わる遺伝子で空気記憶能力の高いプレーリータネズミは行動範囲が狭く単婚的になるというのが実際のようであるhttps://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2015-12/aaft-_4120715.php中野はかなり単純化・歪曲して解釈している。

空気を読む脳」で書いていたサバクトビバッタに至ってはなんとセロトニンが多いバッタ集団志向になるのだそうだ。同著での主張とは真逆だ。

文藝春秋4月特別号の「脳科学者が小室圭を「分析」する 世間常識はなぜあの母子には通じないのか」でゴールドウォータールールに触れておきながら小池百合子ドナルド・トランプサイコパスだなどと言っている。精神科医ですらない人間が直接の診察もなしであの人はサイコパスだなんだと言っているのである

ペルソナ」でセクハラ告発していたが、「脳・戦争ナショナリズム」では以前なら当たり前だったことも「セクハラ」「パワハラ」にされてしまうなどと言い、今日かわいいねと言ったら今まではかわいくなかったってことだと思って泣いた子供批判的に取り上げて世の中が過敏だというニュアンスを込めて論じていた。以前とは考えが変わったという見方もできようが最近でも「昔は乱婚だった、現在倫理を相対化すべきだ」という主張を繰り返している。当たり前だがある倫理が新しいことはそれを否定する根拠にはならない。私は乱婚社会を悪だとは思わないが。

ペルソナ」の話に戻ると、親と子の関係他人が口を挟むなとも書いていた。虐待の温床となる態度である。旧式の価値観に従っていい子でいるくらいなら~などと宣っているが、旧式の価値観にしがみついているのは彼女自身である

そして最後に「不倫」で書いていた、不倫遺伝子によって決定されているのだからそれを断罪することは差別優生学に繋がるという主張について批判しておこう。

別に不倫遺伝子とはあれば絶対不倫するという因果律支配する魔法のようなものではない。ある人はない人に比べてその確率が高くなるといった程度のものなのだ。もし殺人レイプのような重犯罪についてもそのような遺伝子があれば殺人レイプ断罪してはいけないことになってしまうだろう。不倫バッシング遺伝子のせいだとすれば不倫バッシング差別優生学だと断罪することもまた差別ということになり自己論駁に陥る。「あなたの脳のしつけ方」では後天的に脳を変えることもできるのだと書いていた。この頃はまだまともな内容を書いていた。

思うに、彼女の本がベストセラーになるのはこういった免罪的側面のせいなのだろう。そういった遺伝決定論に従えば不道徳な行動も遺伝のせいになり免罪される。世の理不尽なことも「脳や遺伝子のせい」とわかった気になれる。

橘玲の本のレビューにも「遺伝によって決まっているのだから学生時代あんなに頑張ることはなかった」とか「子育てするお母さんに読ませたい」というものを見た。遺伝率とは集団規模での決定係数のことであって個人レベルでは親のIQから予想された数値より高かったり低かったりして当たり前でどのくらい予想された数値と違うかも個人によるのだが。


この記事おかしなところがあったら、具体的な反論をしてほしい。私も流石に脳や遺伝子についてそこまで詳しいわけではない。中野の本を読み、関連する内容を調べた程度なのだ。それでもこれだけ矛盾が見つかる。

追記:2021/5/8

https://next49.hatenadiary.jp/entry/20161220/1482228666

2000年論文で「この損害回避セロトニントランスポータープロモーター領域遺伝子多型との関連を支持する研究と支持しない研究存在し,今後さらなる検討必要である」とあり、2009年メタ分析論文で少なくともフィンランド人サンプルにて不安遺伝子を持っているかどうかと損害回避性(harm avoidance)と神経症的傾向を持っているかどうか調べたところ関係があるという証拠はないという結果がでているのだからセロトニントランスポーター遺伝子が少ないから損害回避的にふるまう傾向があり、そのため、「上位の人間に対して勇気を持って行動できる性質」が日本人にないというのは適切でない主張。”

https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/kenkyu59.pdf

さらに、この S/L 多型は、PET により測定される脳内 5-HTT 結合に影響しないこと、前述したように、5-HTTLPR の多型は S 型と L 型の 2 つではなく、14 種類のアリルからなり、それぞれの機能の異なる複雑な多型であることからS 型、L型の2分法での研究自体に疑問が生じているのが現状である

https://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/03/01/223747

ざっとこんな趣旨記事だが、先に書いたようにそんな気質のものがたった1つの遺伝子で決まるものでは無いんである。このセロトニントランスポーター気質を決めるというのは実は結構な前から沢山の論文が発表され、ある程度そう言える部分はありそうなのだが、それでもその決まる程度は極僅かで、決して「日本人気質」を作ってなどいない。

こういった「1つの遺伝子が性格を決めている」系の話は、すべて科学漫談として楽しんでおけばいい。特にセロトニントランスポーター気質を決めるという話は良く出てくるが、そんなにすごい力コレだけにはないですよ。”

https://www.amed.go.jp/news/release_20160128.html

SNP品質管理などから、最終的に1088名について解析を行いました。その結果、BMP2遺伝近傍SNPストレスフルライフイベント相互作用が、統計学的有意うつ状態と関連することを見出しました(図2、図3)。そして、抗うつ薬作用点であるセロトニントランスポーターなど、古くから知られる候補遺伝子には、有意な関連は認められませんでした。”

どうやらセロトニントランスポーターが「日本人らしさ」を決めているというのがトンデモだというのはまともな研究者ならすぐわかる話のようだ。中野信子はあまりにも本を流行らせ過ぎた。研究者はもっと積極的反論するべきだろう。

2021-01-27

anond:20210127002325

お気持ちで焼かれるから口に出せないだろうけど解明はできるようになるやで

精神活動なんて脳のシナプスの動態だから・・・

2020-12-29

anond:20201229223941

……火花散ってるねシナプス

……食ってるメシに文句つけられときみたいだ

2020-12-24

anond:20201224201902

せやな

いうて生きることが脳の改造や

感情自体脳にシナプスの回路が出来るから起こる反応やん

2020-11-01

「全部見た」系アニメレビューって使えない

特定の誰かへの文句じゃないんだけどさ。

増田にもたまに投稿される「今季全部見た」系のアニメレビュー

あれ本当に使えないんだよね。

 

でまた、全部見た系レビューって大抵、全部褒めるんだよ。

そんでブクマのアホに「悪く言わないいいレビュー」とか持ち上げられてるの。

もうね、バカかと。

 

好き嫌いをはっきり言うレビュー

まらんと思ったものはどんどん切っていくレビュー

そういうののほうが使えるんだよ。

 

だって同じものに対するレビューは無数にあるんだから

レビュアーのモノの見方をはっきり押し出してる方が信頼できるの。

普段辛めだけど推してるものの波長合う人のレビューの方が、「あ、この人が勧めてるなら」ってなるじゃん。

 

一人が全部見て、全部に丁寧なレビューなんか書く必要ないんだよ。 

全く。

少しも。

 

そういうことが出来る時点で好き嫌いの薄いつまらない人間(実社会なら素晴らしい人格だけど、芸術世界では凄く才能がない人間だよ)なわけだけど、

そういう人間にしたって興味が濃いものと興味薄いものがある筈なんだわ。

で、レビュー書く価値があるのは興味濃いものだけなんだよ。

すごく好きとか、すごく悪口言いたいとか、それ。

その作品レビューけが、書く価値あって、他人が読む価値あるの。

 

全部のレビュー書いたらさあ、

しろお前の書いたうちの価値のあるレビューが、お前の書いたうちの価値の無いレビューによって埋もれちゃうんだよ。

今の時代情報量が多かったり網羅的だったりすることに意味なんかねーから

情報が鋭く研ぎ澄まされてる、整理されてる事の方が大事から

 

から別にどうしてもっていうなら全部見てもいいけど、

その上ですごく褒めたいやつとすごく貶したい奴についてだけレビュー書けばいいんだよ。

それ以外要らんから

無理矢理全部見て、興味薄いのに興味濃いものと同じぐらいのボリュームを無理して出したレビューとか、粗大ゴミから

読む人にとっても検索する人にとっても無駄だし、なにより書く人間にとって無駄だと思うぜ。

 

「全部見たなんてすごい!」って言ってる奴等は無表情でそのお世辞打ってるぞ。

つの物凄く好きなもの死ぬほど嫌いなものに全力投球したレビューの方がよっぽどみんな本心で感心するから

追記

kuzudokuzu 「お前の意見は使えない」は主張できるが、「私の主張は使える」は主張できない増田。まず適切なレビューというものをやってみせないと、どうやったってその主張は生きない。

2020/11/02

いい挑戦心だが私はそんなの息を吐くようにいつもやってるからな。

自分の語りを貼りながら上を言って私を見習えみたいになると言いたいことが伝わらないじゃん。

増田で今年書いたのはいまこれしか出てこない。増田アニメの話書いてもあんまやり取りできないからね。

https://anond.hatelabo.jp/20200127123616

 

 

追記

akuwaruaku 「使える」って具体的にどういう事?良く考えずにそれっぽい事言う為に使ってるしょその言葉2020/11/03

いやいやそんなぼんやり頭のボンクラ常識で私を測るのはやめて?

 

私にとって「使える」レビューというのは、ある作品についてレビュー者の確固たる執着ポイントをきちんと煮詰めて、怠けずに整理・言語化したものです。

そういうレビューを読んだときに、私の脳味噌はいい感じに新しくシナプスがつながるわけです。

これを私にとっての有用、「使える」と言ってます

ご満足?  

 

 

そしてレビュアーあなたの「使える」(という定義不明目的)の為にレビューしてる訳じゃ無いかもよ?

はあ、あたりめえじゃん?

彼等は私のような視野を持たないからこそ、私から見れば全く無価値形式と内容のレビューをしてるわけで。

私の言う「使えない」は、全く私個人立場の、私個人感性から発せられた、「使えない」です。 

 

たとえばああい個人の偏りを出さないひたすら網羅的なレビューを見て

否定しないいレビュー」とかぼんやりしたブコメ書いて☆をたくさんんもらってなんか優しいやり取りをした気になって満足する人にとっては

あいレビューは正に有用で「使える」のでしょうし、

他にレビュー部分を殆どすっ飛ばし今季放送アニメ目録的に使用してる人にもああいレビューは「使える」かもしれない。

 

つうかさあ、

あのさあ、

こういうのっていちいち確認したり断ったりしないとわかんないこと?

 

君みたいな脳の活動の弱いぼんくらを私はしょっちゅう怒らせるんだけどさ。

例えば私は自分の好みむき出しのあれは素晴らしいあれは良くないってレビューをするわけさ。

みんなが叩いてる作品でも見どころを感じれば褒め称えるしさ。

 

そうすると君みたいな、私から見れば脳味噌半分以上眠ってる奴が怒って突っかかってくるわけ。

「それはお前の感想だろ!」って。

いや当たり前だろ。

逆にそれ以外のなんだと思うのよ。

 

「このレビューは使えない」「この漫画は捨てたもんじゃない」「この漫画は酷い」

はいつも断言的に書く。なんでそう判定するのかはちゃんと具体的に説明するけどね。

こんなの私の意見に決まってるじゃん。

それ以外のなんだと?

(このあいだも「タイムパラドクスゴーストライター面白い」って言ったら、

 みんなが叩いてるから叩いてるだけの奴等が血相変えて怒る怒る)

 

私は自分意見正反対レビュー読むのは大好きだし

自分意見に正面から反論されるのも大好きなんだけどさ、

単なる頭ぼんやりくんの何言ってんのかわからん反発のお気持ちだけみたいなレスポンスだるいんだよね。

 

君みたいな人は、その反発の感情は何からまれてるのかを自己観察してみてほしい。

日頃からちゃんと考えてない、自分気持ちを整理・言語化できてない、断言的自分の好みはこうと表明できてない、

自分がそういう頭ぼんやりモードで生きてるから

断言的ものを言う自信満々な人間に反発を感じちゃってるってことはない?

 

他の理由があるならちゃん言葉にしていってみてよ。

よく考えることに自信があるならば。>akuwaruaku

  

あとトラバにも少しは返答してあげたいんだけど

表示がめっちゃ見づらくて誰へのレスなのか見分けらんないから悪いけど返答しない。

前にかいものと繋げたりしたせいで分かりづらさが更にマッハになった

2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-08-23

anond:20200823013415

それなら「どうして?」の一言から始めて理由を聞いてゆく。

どうしてそう思ったのかを明文化させる。

この人の〇〇という行動が嫌いだから、という理由が出たとして、「じゃあ〇〇はお話の中で誰に影響を与えてる?」と聞く。さらには影響を与えた人物がどう思っているかを聞く。考える枝葉をシナプスのように伸ばしてやる。

2020-08-12

24時間企画かい非人道的行為って誰が得すんの?

あのね。

人間連続稼働時間ってぶっちゃけ18時間が限度なのよ。

それ以上の長さのイベントって誰が得すんの?

しないよね?

誰も得しない。

ボロボロ身体限界精神、壊れた脳、ちぎれ飛ぶシナプス、乱れた神経、そんな状態で何を楽しむの?

儀式としてトランス状態に入るの?

なんで?

肉体の限界によって精神意図的錯乱させるのは薬物乱用と変わらないよ?

21世紀のコンテンツは、まず健全であることが根底にあるべきでしょ。

時代が違うんだよ!

古代の亡霊共!

テメーら昭和時代戦死しとけや!

2020-08-03

anond:20200803142956

神経細胞同士はシナプスっていう神経細胞同士の隙間のところで情報アナログに伝達してて

神経細胞内は電気信号、つまりデジタル情報が伝導しとるんやで

ワイは君が何をいってるかわからんが、生理学的には間違ってると思って教えてみたんや

知ってたらすまんな

2020-08-02

anond:20200802093125

まずは自分のアタマで考えてみる習慣をつけることでシナプスの繋がりがよくなって発想力が広がるんだぞ

2020-07-13

ネタより怖い地雷

まず、私は死ネタが嫌いではない。

しろ好んで読むことすらある。

人によって作品確信や結末にあたる【ネタ】部分は心に刺さることが多い。死ネタ地雷として表現されることが多いと考えてタイトル表記した。人それぞれ、地雷とされる【ネタ】は様々だと思う。取捨選択して、素晴らしい二次創作ライフを楽しんで欲しい。

もしも、作品に注意書きがなく、自分の思う内容ではなかったとしても、目くじらを立てずスルースキルを発揮する力を養うべきだ、と。そこそこ長くオタク腐女子経験した身としては、蚊帳の外からそっと思っていた。

今回、どうしても、どうしても、言葉綴りたくなってしまった。

私だけが?と思う推しキャラクターを巡る世の流れや趣向の違いを飲み込めない意固地なオタクだとわかっているのだが、やるせない孤立感が大きい。

私の推しキャラクターは、唯我独尊タイプだが信念のある支配者然とした男性キャラクターである。知性も理性も備えている。また、彼自身遊び心も持ち合わせており、絶え間なく変わる姿に心の底から引き込まれしまう。正直、作品の中で、1・2を争う完璧生物であり、私の語彙程度では正しく表現できないことが悔しいが男前キャラクターに分類されると思っている。

当然のように、支えている部下たちも一流の男たちである完璧仕事ぶり、所作言葉使いまで、各人員が要所に個性気品があると思う。

かなりこの方々は人気がある。

私は推しキャラクターには多大なる恩義があるので、もう一生推す・この人で最後、と本気と書いてマジで思っている。盲目であることを許してほしい。

別の機会に、かの推し人生救われた話も書きたい。

ここから少し推しを巡るカップリングの話をしたい。私の推しキャラクターとその側近のような部下がいる。人により捉え方は変わると思うが、複数人いる部下の中で、この2人だけ作中で別次元の描かれ方をしていたように感じた。ここにストンとおさまってしまった腐思考の方々も多いのではないだろうか。実は、私もその口だ…

そんなあっさり、おまえ。と思うかもしれないが、視覚と音の効果は絶大で逃れようがないんだ。世界中に見せたい、これできてるよな?と、10億人思うはず。

私はその推しキャラクターを単体で推して長いが、今までカップリングで考えることは、稀にある、程度の頻度であった。

推しキャラクターをとにかく彼らしく描いていて欲しいという願いを持っていたので、二次創作よりも公式に傾倒していた事もある。ここで書く彼らしいは、公式を逸脱しない設定でという意味で捉えて欲しい。それも、わたし個人主観によるものなので、人により解釈は変わるだろう。簡単に考えれば二次創作に重きを置いていなかった、公式最重視型オタクだったのだ。

でも、拗らせ方がひどい時期は


推しキャラクタートイレ行かないか


と、ここまでは流石に思っていなかったかもしれないが、人間活動としてのリアル事象はなるべく想像したくなかった。神様レベル信仰対象に限りなく近かったのではなかろうか。また、夢女子的な思考はなかったが推しキャラクターへ心酔に近い考えを持っていたために、ドリーム思想の方々とは相入れないとわかっていた。住む畑が違うならば耕さなければいい、ノータッチを貫いた。

そして当時から最近まで、確信的な推しえっちなシーンを想像するのはギリギリラインに留めたいという気持ちがあった。やってもいいけど直接的には見たくない。暗転希望、事後描写にしてくれ。反して、支配タイプの成人男性なのだから、女は抱いてていいと思っていた。

みたいものが少ないと判断していたためか、二次創作を進んで読むことは少なかった。


そして、

2020年7月現在、これは全く当てはまらない。公式からの新しい情報投下により私の世界は一変した。

部下(攻め)×推しキャラクター(受け)がめちゃくちゃ読みたい。毎日読みたい。沢山読みたい。朝起きてからおやすみまで読みたい。作中まだ幸せそうに見えない推しキャラクター幸せにしてくれ、部下!と願いながら広大なネットの海で神々の作品に溺れさせてくれ。

そして根っ子には腐った女を飼っているので求めるところは以下である

推しえっちなシーンメタクソ読みたい。

メタクソ読みたい。

洗浄からきちんと見させていただきたいですし、わたし、上に乗るのが好みです。

できたらステイさせられるのは攻めがいいし、女王然としていて欲しい。

貴方の優位は揺るがない。で、お願いしたい。

わたしは、えっちなシーンが読みたいんだ

これ。

今回、自分認識が変わり、二次創作を楽しめるようになった。ブームにのり溢れてくる作品群、雲が晴れたように私の世界は明るかった。とても喜ばしい日々が続いていた、自分作品をかきたいという気持ちもあった。少し前まで創作意欲も創作物にも触れる事が怖かった時期があったので本当に感謝気持ちで、推し五体投地して過ごしている気持ちだ。

しかし、気づいてしまう。

意識的に、自分が読み飛ばしているシーンが、だんだんと、だんだんと、増えていくことに。

その頻度が増えていることに。



推しキャラクター(受)を、

軽率呼び捨てにする部下(攻)



これだ。

まりにも唐突に、コーヒーいれたよー!みたいな感覚呼び捨てにされる推しキャラクターと、唐突呼び捨てにする部下という図に思考回路が追いついていなかった。

頭の中のシナプス伝達が出来てない、言語中枢が真っ黒に塗りつぶされたのか、拒否してるとしか思えない。視覚からも受け付けてはくれない、意図して目を滑らせる。これは、これはダメかもしれない…のみこめないのだ。素直にびっくりしてしまった。

繰り返すが【呼び捨て行為】の話だ。

わたし革新的苦手分野は、この推しに関してこれだったのだ。

私は、オタクとして自覚もつ頃には、読めないものが少なかった。漫画小説もとりあえず読んでから考えるスタンスで生きてきた。そして、殆ど多様性をもった【ネタ】として別時空のキャラクター達として読み進めることができた。ハッピーエンドもバッドエンドもそれぞれの解釈を楽しむことが作者の世界観を知り楽しめる、そこに幸せを感じていた。

勿論、記憶に残らないものや、私には難しいかもしれないという世界観もあったがそれほど気にせず受け流していたのだと思う。

わたし二次履修背景からしてこんなことになるとは思わなかった。しかしながら今回に限り頭の中を占めるのは、

推しキャラクター呼び捨てにするという身に余る行為軽率にしている部下。

なぜか?という疑問が拭えない。なんでなんだ部下…なぜ敬意を払わない。お前にとって、唯一無二のお方ぞ。

(わたしは冷静ではないので、細かな前後描写文脈から作者の意図を汲み取ることができない、また読み返してもできる自信がない。)

補足をしておきたいが、全ての部下→推しキャラクター(上司)への呼び捨て行為が受け入れがたい訳ではなかった。

ストーリーの流れで呼び捨て行為スムーズまたは、必要とされれば受け入れられた。

そこに至る設定というのはとても大切で、呼び捨て行為スイッチ理屈があることが重要な鍵となっているようだった。


人によって、なんとないことかもしれない。名前の先に付ける敬称が無いだけだ。

しかし冷静になれない内なる過激思想体が騒ぎ出す。

推しの事を呼び捨て行為について、部下は許しを得ているのか。

不敬であろう、なんて、不敬なのだろうか。

そもそも部下はこんなことをするだろうか。そんな信念でお仕えしているのか、望むだろうか。

推しはあっさりと呼び捨てることをさせるだろうか、高貴なあなた!?

いや、無理だなぁ涙涙涙


過激な日陰オタクの心は狭い


しかしながら、界隈の流行があるようで、ポンポンポーンとお名前を呼んでいる部下。

呼ぶにしても、推しから許可や切羽詰まった懇願をしてからにと切望してしまう。推しキャラクターは受けだが完全生物なんだ。オメガバ○スならαだろうし、セクヒ○スなら重種だ。マーメイドかも。メタくそ美しいんだ世界が傾く美貌なんだ。


ひとり四面楚歌に立たされている中、追い討ちをかけるように、客観的作品への同意マークが増えていくことが不可思議でならない…みんな呼び捨て呼称は気にならないのか、この方をあっさりと名前で呼んでいいの…様つけないの…

自らの中に警備員を飼っていたことにも驚愕し、同時に作品創作してくださった方への罪悪感や裏切られた気持ち、受け入れられない自分への失望が一気に流れ込んできていた。相反する感情で潰れそう、きつすぎる。

ただ、推しキャラクターが好きでたまらなくて、カップリング趣向を楽しめるようになったのに、このような感情を持っている自分への悲しみ呆れ。でも、やはり受け入れられない真理。

萎えるのだ、受け止められない。呼び捨てるという行為を見た瞬間に、サッと血の気がひく、どんな行為最中だろうと冷静さを取り戻してしまう。その後には、怒りすら覚えてしまう。どうしようもない…


そして、恐ろしいのがこれは記載される可能性が低い、無いだろう地雷なのだ

私自身は作品を読むうえで地雷を気にしたこと殆どない、読んでから考えるタイプだった。対して、過去自身創作に関しては慎重で注意記載は多すぎる方だった。だからわかる。


注意 (キャラクター名)が呼び捨てされます


という至極丁寧な記載をしていただけるだろうかと言えば、私にはそこまで求められない。小説ならば数千数万の作品を書いてくださる偉人たちにそこまでさせるか、と言えばできない。自身も攻めが受けの呼称を変えますと、表記したことはない。もしかしたら、私も誰かの脳にダイレクトアタックをキメていた可能性もある。なんてことだ。


自営したいのに、とても回避が難しいことに頭を抱えている。

つらいつらいつらいつらい。

えっち推し小説が読みたい

読みたい!!!なんでこんなに面倒なことになった

素直に推しえっちシーン読めよおおおお!拗らせないでくれマイブレイン

でもやっぱり呼び捨ておがじぃ!

冷静では無い。

素晴らしい作品出会い読み進め、いざこれから本番です。きたきたきたあああああ盛り上がってまいりましたっ!という時に突如として推し呼び捨てされる行為、いともたやすく行われるえげつない行為

すべてが止まる、静寂が訪れる。

心の男根沈黙する。ああ、終わった。

まだ私のシナプス伝達は仕事をしない

2020-06-22

ADHDは○○と付き合うな!

ADHD障害者介護経験者と付き合うな!

「○○という行動は障害者である」という前提がある人間と付き合うと、健常者じゃなくて障害者として扱われるようになって人間としての尊厳が試されるぞ!

「君はそういう考え方をする障害から仕方がないけど」とか「こういうのが嫌で介護仕事を辞めたのに、なぜ家で介護をしなければいけないのか」みたいなことを遠回しに言われたり直接言われたりして人格の強度を試されるぞ!

やがて相手マジで疲弊していくのが目に見えて、諦めようという気持ちになるぞ!

ADHDASDと付き合うな!

「君に障害があるなんて」とまるで異物を見るような目で見られるぞ!

あらゆるミスをなじられるぞ!一つ一つのミスについてどうすればいいか逐一説明をされ、指示通りにやった結果ミスしたら「お前は本当に人間なのか」と直接言われるぞ!

やがて「指摘をしても無駄だ」と学習したASDは「指摘をしても無駄な奴とは会話も無駄だ」という結論シナプス接続し、一切の会話を拒否されるようになるぞ!

ASD脳内定義はどうやって更新すればいいのか、みたいなことに日常生活リソースを裂くことになるぞ!自分のことでパンパン日常生活リソースを!

他になんかある?

まあチャレンジする前から明らかに無理な物は先にリストアップしておいた方がいいんじゃないかと思って。

わかっててチャレンジするからには死ぬ覚悟もできるって話だし。

2020-06-06

心の哲学」をまとめてみたよ

たとえば「女の生理痛は男が金玉を蹴られた痛みと同じ」という言説から考えてみよう。

これは冷静に見れば全然おかし言葉であることがわかるだろうか。

個人差とかもあるが、それ以前に「自分の感じる痛みを他人のそれと比較すること」はどうやっても不可能なのである

何故なら痛みという「感覚自体を、何らかの言葉や図表、量的な指標を用いて他人に伝えることができないからだ。

極端な話、自分の感じる【この】痛みという感覚が、他人の感じる痛みという感覚と同じなのかどうかすらわからない。

これがクオリアという概念だ。

自分の見ている赤が他人の見ている赤と同じとは限らない、と言う説明がされることが多い。

ところで質問なのだが、このクオリアという心的現象は、物理現象一種なのだろうか?

まり現在脳科学が発展していないために見えていないだけで、実際のところ「心の働き」と呼ばれるもののすべては脳神経で起こっているニューロンの発火や電気信号だけで成り立っていて、それらを完全に解析さえすれば上述のような「他人の痛みの比較」も可能だし、人が何を感じ、何を考えているのかといった心的現象も追うことができるのだろうか?

もしくは、意識感覚といった領域物理法則では縛られない世界にあって、ニューロンの発火だけでは絶対説明がつけられない部分が残るのだろうか?

あなた

  • 前者に賛成する→1へ進む。
  • 後者に賛成する→2へ進む。

1.心的現象物理現象一種だよ派

あなたは、意識感覚などの心的現象物理法則に則った現象一種にすぎず、人間技術力に限界さえなければ、いずれは脳神経学によって解き明かすことのできる類のものだと考えている。

しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは自由意志問題である

心的現象物理法則に則っているのであれば、あなたの「コーヒーが飲みたい」「あの本を読もう」「右足を前に出そう」といった意識はすべて、その直前の脳神経の物理状態から力学電磁気学などによって導き出される現象に過ぎない。

そうであるならばあなた意識と行動のすべては法則支配されており、自由意志などというもの存在しない。

あなたはこの考えを

  • 受け入れる→1-1へ進む。
  • 受け入れない→1-2へ進む。
1-1.

あなた物的一元論だ。

あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子分子物理法則にしたがって動作した結果であり、そこにあなた意志はない。

あなたがこの文章を読んでいることも、これからあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎない。End

1-2.

あなた物的一元論を受け入れながらも、自由意志存在肯定する。

すなわち、現代科学では解明されていない領域に、自由意志存在を受け入れる法則が隠れていると考えるほかない。

たとえば、量子力学説明する波動関数の収縮等である

あなた自由意志とはあなた構成する量子の揺らぎの別名であり、シュレディンガー方程式自在に操って、この文章を読むと言う物理行為を成し遂げているのだった。End

2.心的現象物理現象ではないよ派

あなたは、意識感覚といった心的現象には、ニューロンシナプス物理挙動だけでは理解しえない、物理法則とは別種の法則が働いている領域があると信じる。

しかし、この考え方は重大な問題を秘めている。それは物理領域因果的閉包性問題だ。

物体物体に衝突して相互作用を起こす時、それは純粋物理世界のできごとであって、この現象に対して神や霊魂祈りなどが作用することによって物理挙動が変わることはない、と、多くの人間に信じられている。

これを適用するならば、心的現象物理実体である脳神経や肉体に干渉をおよぼしてその物理挙動を変えさせることはない、と言うことができそうだ。

あなたはこの結論

  • 受け入れる→2-1へ進む。
  • 受け入れない→2-2へ進む。
2-1.

あなた性質二元論だ。

あなたは心の存在肯定しながら、物理領域因果的閉包性をも肯定する。

すなわち、心的現象物理領域干渉されてもよいが、逆に物理領域に心的現象干渉することはできないと考える。

では、あなたが「コーヒーを飲みたい」と思って実際にコーヒーを飲むときあなたの心の動きが肉体という物理実体を動かしたことにはならないのだろうか?

すべての前提を整合させるには、こう考えるしかない。「コーヒーを飲みたい」という心の動きと同時に、脳におけるニューロンの発火という物理現象もまた起こっていて、それによって肉体が動作するという物理的結果を招いたのだ、と。

あるいは、心の動きと脳の物理現象は実は同一のものの二側面と考えても良いし、心の動きは脳の物理状態随伴して起こると考えても良い。

いずれにせよ、この立場を取るのであればあなた自由意志存在否定しなければならない。

あなたの一挙手一投足は脳神経内の原子分子物理法則にしたがって動作した結果であり、その結果にあなた意志干渉していない。

あなたがこの文章を読んでいることも、これからあなたの行動もすべて、ビッグバン時点での素粒子の配置と運動量によってあらかじめ決定されていた事実にすぎず、あなたの中に確かに存在しているその「心」は、物理実体に束縛された背後霊のようなものだった。End

2-2.

ここまで辿り着いたあなたには最後質問を投げかけたい。

あなたは、「物理実体」なるものが本当に存在すると信じているだろうか?

  • 信じる→2-2-1へ
  • 信じない→2-2-2へ
2-2-1

あなたは、心身二元論だ。

物理領域因果的閉包性なるものは、単なる科学主義者の経験則にすぎず、本当は心的現象物理実体干渉を与えて動作させることもできると考える。

今もまた、あなた霊魂という非物理実体は、あなたの肉体という物理実体操作して、画面をスクロールし、眼球を回転させ、あなた自由意志のもとにこの文章を読み、それについて何か考えを抱いている。

あなた自由尊厳はついに守られたのだ。End

2-2-2

あなたは、心的一元論だ。

あなたは、世界とは根本的に心の働きによって成り立っていて、物理実体物理挙動物理法則なるものはすべて心の働きがあなた自身に見せている虚像に過ぎない可能性を否定できない。

かにあなたの目の前にパソコンスマホがあるといっても、それはあなた視覚という感覚が伝えてくる像に過ぎないし、触れて確かめようとも触覚が同じことをするだけだ。

あなたは、パソコンスマホが目の前に「実在」すると断言できない。

あなたの脳は培養液に浮かび、接続された電気コードから絶え間なく信号を与えられている存在に過ぎないかもしれない。

もしくはそんなものもなく、世界などというもの根本的に実在しておらず、観念的な情報が漂っているだけの存在、それがあなたなのかもしれない。

今もまた、あなた自由意志は、あなたあなたの指であると思っているもの操作し、あなた文字であると思っているものを読み進める。

恐れることはない。あなた実体がなんであれ、あなたという意思主体存在すること自体は、他ならぬあなただけは絶対否定できないのだから。End

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