はてなキーワード: 桜丘とは
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/8/28098.html
先月30日、東京・世田谷区の公園で遊んでいた小学生が、自転車に乗った男につきまとわれる事案があった。男は額に冷却シートを貼りつけ、上半身にトイレットペーパーを巻いていたという。
不審な男が目撃されたのは30日午後4時50分ごろ、世田谷区桜丘2丁目の児童公園で、自転車に乗った男が現れ、大声で意味不明なことをわめきながら女子児童らの後を追いかけ始めた。
子供たちが逃げまとっている最中も、「逃げなくていいよ〜」などと叫びながら、追いかけ回し、周辺住民に気づかれると、現場を後にした。
何がしたいんだか………
オウム真理教在家信者死亡事件(オウムしんりきょうざいけしんじゃしぼうじけん)とは、1988年9月22日にオウム真理教の富士山総本部で発生した在家信者死亡事件。立件は見送られた。
目次 [非表示]
1 概要
2 脚注
3 参考文献
4 関連項目
この事件で死亡した在家信者は、9月より教団が開催する修行に参加していたが、突如大声をあげて暴れだした。
麻原彰晃は頭を冷やすように言えと弟子に命令し、この在家信者を風呂場に連れて行かせ、頭を浴槽の水につけるなどさせたが、その過程で在家信者は意識不明に陥った。その知らせを聞いた麻原は、すぐに駆けつけ自らエネルギーを送る等し、他の信徒が人工呼吸などの蘇生処置をおこなったが、そのまま死亡してしまった。
当時、教団は東京都に対して宗教法人になるための手続きを行っており、この事件が発覚した場合、教団の法人化に悪影響を及ぼすことは確実であった[1]。そのため、麻原は証拠隠滅を指示し、闇に葬ることにした。死体は焼却して粉々に砕いた後、山梨県の上九一色村(当時)の精進湖へ遺棄した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/オウム真理教在家信者死亡事件
2006-09-28 02:30:29 | Weblog
http://blog.goo.ne.jp/hakuryuu_001/e/a2af484790dfb6456c74e8d38422ea4d
ほげー
1983年 渋谷区桜丘に「鳳凰慶林館」を開設、「麻原彰晃」と名乗り始める。
1985年 秋 – オカルト雑誌「ムー」「トワイライトゾーン」に麻原の空中浮遊写真が掲載される。
1986年 4月 – 宗教団体「オウム神仙の会」と改称。 7月 – 麻原氏がヒマラヤで最終解脱したと主張する。
1987年 2月 ダライ・ラマ14世に接見 7月 – オウム真理教と改称。麻原氏がシバ神とコンタクトを取ることのできるグルであると称して自己の絶対化をはかる。 11月 – ニューヨーク支部を開設(初代支部長は上祐史浩)。
1988年 7月 – ダライ・ラマ14世に接見 8月 – 静岡県富士宮市に富士山総本部を開設。 9月 – 富士山総本部に来ていた「真島照之さん」が修行中に死亡。遺体は、ドラム缶で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。 11月 – 江東区に東京総本部を開設。
1989年 2月 – 真島さんの死亡事件に関与した「田口修二さん」が脱会すると言いだし、意思を翻さなかったためポアと称して殺人。 3月 – 東京都に対し宗教法人の認証申請。 6月 – 坂本堤弁護士らがオウム真理教被害対策弁護団を結成。 8月 – 東京都選挙管理委員会に真理党の政治団体設立を届出。 8月 – 宗教法人認可。(8月29日設立登記) 10月 – サンデー毎日が『オウム真理教の狂気』の連載をスタートし、高額な布施や未成年出家者に対する親権者の監護権侵害などを取り上げ糾弾する。各メディアもこれに追随する。 10月 – 上祐、青山吉伸、早川紀代秀が東京放送(現・TBSテレビ)千代田分室を訪れ、取材内容に抗議、放送を中止するよう圧力をかける。(TBSビデオ問題) 11月 – 坂本堤弁護士一家殺害事件で一家3人を殺害。
1990年 2月 – 第39回衆議院議員総選挙に真理党として教団幹部25名が立候補。 白い服を着て麻原の着ぐるみや象の着ぐるみなどを着て歌い踊るなどのパフォーマンスを展開したが全員落選。供託金も没収。 5月 – 日本シャンバラ化計画と称して熊本県阿蘇郡波野村の土地を入手・造成。シャンバラ精舎とする。 8月 – 熊本県が国土利用計画法と森林法違反で教団を告発。(国土利用計画法違反事件)
1991年 3月 – 山梨県上九一色村に進出開始。 9月 – 『朝まで生テレビ!』に幹部と共に出演。幸福の科学の幹部と討論。 12月 – 『ビートたけしのTVタックル』に出演。
1992年 2月 – ロシア共和国のオレグ・ロボフらと会談。ロシア進出のきっかけとなる。 9月 – モスクワ支部を開設(初代支部長は新実智光)。
1993年 6月 – オウム真理教男性信者「越智直紀さん」逆さ吊り死亡事件。遺体は幹部らによって遺棄された。 6月 – 第1次亀戸異臭事件。亀戸にあったオウム真理教の施設の周辺で強烈な異臭が漂う事件が発生。後に炭疽菌を散布しようとして失敗していたことが明らかになる。 7月 – 第2次亀戸異臭事件。 同上 11月 – 山梨県上九一色村の第7サティアンにおいて、サリンプラント建設を開始。
http://aum-kazoku.boy.jp/?page_id=10
バブリーですこと
井の頭線の下北沢駅で若干は感じてはいた、ただしすぐにそれは収まった。
気にしないつもりではいたのだが、自分の中に何か僕のお尻の将来に対する唯ぼんやりとした不安は存在していた。
午前8時渋谷。井の頭線西口の改札を通るときには違和感はほとんどなかった。トイレに寄るという考えもなかった。
ぼんやりとした不安を抱えたまま、西口改札を出て246方面に向かう。
夜は煙がごうごうと立ち上る、外国人にも人気の焼き鳥屋の名店鳥竹の脇を通り過ぎ、磯丸水産の目の前で言い様がない鈍い痛みが下腹部を襲ってきた。
会社までは15分ほど、「行けるか?」と自分の腹と尻に問いかける。
改札は出てしまった、もう行けるところまで行くしかないことは明白だった。
建て替えを行っており、現在は更地になっている東急プラザの裏手を通り過ぎる。
中が見えないが、これから基礎工事を行う工事現場の作業員の人が朝礼を行っているみたいだ。
今日も1日安全に頑張ろう!というかけ声の後に、大勢の人の”頑張ろう!!”という叫びが聞こえた。
そうだ頑張ろう、この危機的状況を乗り越え平穏な時間を取り戻し、
今日も1日安全に過ごす為に頑張ろう、決意が固まった。勇気をもらった。
歩を進め、246に出て歩道橋を渡った、桜丘の入り口に降り立つ。
痛みは一歩進めるごとに力強さを増し、そして肛門に対しての圧力を掛けてきていた。
そう、形容するならぷよぷよで自陣が8割は埋まってきている状態だろうか、もう少し貯まるだけでぷよは肛門の入り口に到達し、滝のように流れ出るだろう。
前門の虎、肛門の狼。南無三南無三。
ベトナム料理ならハノイのホイさん、タイ料理のタイ料理研究所、ネパール料理はネパリコ、カンティプール、インドネシア料理のアユンテラス、ペルー料理ならミラフローレスなどなど、
多彩なエスニック料理の名店を有し、富士屋本店やワインバー、リゾットカレースタンダードなど軽飲みでも使えるお店も多数ある。
素晴らしい界隈なので是非渋谷に来た時にはご飯を食べに来て欲しい。
桜丘を上がりきったところの大和田文化センター内にある、図書館とプラネタリウムも混んでいないのでおすすめだ。
なんとかトイレットを探さなくては行けない。かすかな期待は持っていた、そう桜丘の入り口にはファミリーマートがあるからだ。
さらに圧力を増して攻め込んでくる、容量の9割を超えてきた、これは流行の立ち飲みバル系では無く立ち糞ゲリ系の可能性が高まる。
なんとかファミリーマートに侵入、小さい店なので可能性は多くは無いと思っていたが、奥のSTAFF ONLYの札をみてあえなく撃沈。
しんどさからか滑るように高速移動をし、店内を一周したがどこにもTOILETの文字はなかった。
可及的速やかに物事を処理しなければならない。残されたタイムリミットは数分。
もうだめなのかと諦めかけたその時、目の間に見えたのが富士そばだった。
白地の看板に豪快な筆字のフォントであしらった富士そばの文字、ワンアクセントに赤字の名代の文字がよく映える。
シンドラーのリストの少女の服が赤色だったのと同じ効果なのだろう。
食券を買ったら定員に渡さなくては行けない。そしたら提供されるまで待たなければいけない。
まいった、どうしようと考えた瞬間、グリグリグリと下腹部から肛門に掛けてのドリルダウンが始まった。
やつらも必死なのだ。全共闘世代のゲバ棒での突貫よろしく、俺の下半身は三里塚闘争さながらのせめぎあいが行われていた。
もう堪えられない、姿勢が思わず前かがみになる。前かがみになってのすり足で富士そばに突入する。
前進しながら定員に後で食券を買うのでトイレを借りてもいいですか。
返事はイエス。
店内の奥へ移動をしながら、辺りを見渡すトイレが無い。
いやトイレが、2階。
俺は脚をあげても大丈夫なのか。
ゆっくりとはやくというまるでピアニストが指揮者から無茶振りをされるかのごとく13階段を登り切る。
さすが富士そば、そこまでお客さんがいなかった為にトイレはオープンだった。
コートを脱ぐが置き場がない、洗面台の上に置くかと思い置いた瞬間、手洗器のセンサーが反応し水がこれでもかとコートを濡らしてきた。
コートをどけている時間はないのだ。ベルトは階段で緩めていた。
コートがびしょびしょになるのを横目にみながら、勢い良くズボンとパンツを同時に下げ、その反動を利用し便座に座る。
ゴリっ、ズバっ、ビショ、バシャシャシャー、けたたましい音と共にやつらが流れでた。
バリケードを突破した、未来を夢見た学生運動の闘志達をもう止めるすべはない。
冷め切った体が、いきんでいるせいか、急激に熱くなってきた。けたたましいビートと流れ続ける水。
そうかここが俺にとってのフジロックなんだ。なぜだかそう思った。
残糞の絞り出しと体のほてりが収まるのを待ち、便座を上げ、トイレットペーパーで丁寧に便座を拭いた。
来た時よりも美しく。林間学校の教えはここでも活きた。
冷静になり、そして平静を装いつつ1階に戻る。
軽い足取りで食券機に向かう。
さて、何を食べるべきなのだろうか。
まず目に飛び込んできたカツ丼は違う、かけ蕎麦では感謝の気持ちが伝えられないが天ぷら蕎麦は重い。
なぜか自分の手はとろろ蕎麦に伸びていた。そこまで食べたいわけではなかった。
食券を渡ししばし待つ。「とろろ蕎麦お待ち」の声を聞き受け取りに行く、そして着座。
うん、とろろが多い。
出社前、時間ももうなさそうだったので流しこむようにとろろ蕎麦を食べた。
美味しかった。しかし、できれば腹を痛めたのが小諸そばの前であればなんて思ってない。そう、思ってないのだ。
片方の袖はびしょ濡れだ。
店でそれを隠そうとしたためにまるめてしまったため、背中部分もびしょ濡れだ。競歩の如く前進をした。爽やかな朝だ。
そう、ようやく私にも朝が来たのだ。快腸に飛ばし朝礼の10分前に会社に到着した。
後ろを歩いていた女性は気づいていたのだろうか、なぜか片袖から水が滴っていることに。
着座してパソコンの電源を入れる、立ち上がったら即座にヤフーニュースのトピックスをチェックする。
朝礼が始まる。
スピーチが始まると同時に下腹部がグニャリとした。かすかな痛みが襲う。
本調子でないところにとろろ蕎麦をかっくらったせいか、まだお残りがあったのか、
さっきほどでないにせよ加速度をますかのごとく下腹部から臀部に圧迫感が強まってくる。
女性は花粉症の対策法について熱弁を奮っている。2分経過、話はまだ半分ほどとみた。
さらに強さをましてくる。脂汗がじわりとでてきた。
彼女は内科で薬をもらったらしい。肛門は先の激闘が終わりブレイクタイムだったらしい、弛緩している。
これはまずい「今日も1日安全に頑張ろう!」勇気をもらった魔法の言葉を心のなかで唱え自らを鼓舞してみる。
「早く終われよ糞」という感情と「今日も1日安全に頑張ろう!」という鼓舞の16ビートオルタネイトピッキングの状態に入った。
何故かかかとが上がってきた、つま先脚立ちになり、脳天が天へ天へ目指そうとする。
ワンフォアオール・オールフォアワン、体が細胞がみんなが頑張っている。感動した。
の言葉とともに朝礼は終わった。
フロア内にトイレがあるので20メートル先を目指す、苦しい、厳しい。
まだトイレに入る前の段階でベルトを緩める。見られていても構わない。
トイレに侵入、大便用トイレにすかさず入り先と同じ要領でスムーズに用を足した。
間に合った、安堵感でいっぱいになった。ホット一息をいれ、下をみた、
きっとたぶん、つま先立ちして尻にあらん限りの力を入れた時にパンツを巻き込んでしまったようだ。
敢えてカラーコードで言えば#a0522dのような色だったかと思う。
トイレットペーパーで表裏から拭きとるが、筋は薄くなるだけで消えはしない。
起きた事象は二度と元通りにはならないのだ。
石鹸の香りがするスプレー芳香剤を涙目ながらにパンツに1分噴射した。
おもむろにパンツを履いた、切れ痔の部分に芳香剤のエキスが触れてじわりと痛みが襲ってきた。
少し長めに手を洗った。