2014-05-10

アメリカでの同性愛生命にかかわることなのでかなりデリケートなのだ

かつてアメリカアニメを輸出するとき問題になったのが銃表現であった。

銃社会アメリカでは、銃は日本以上に身近で、生死にかかわる感覚がずっとリアルだった。

よって銃表現を前にした大人たちのいう「子供に悪影響」という言葉の重みは、日本アメリカでかなり違うこととなった。

日本側の理屈としては、銃表現じゃなく銃規制しろよとなるわけだが、アメリカ知識人は銃協会からいくらか貰っているようでなかなか規制に踏み切れず、手っ取り早くアニメ業界規制することになった。

めぐってゲーム業界

ゲームも近年銃表現規制が議論されているが、レーティングという自主規制でどうにか乗り切っているところだが、今後どうなるかはわからない。にしても今のところうまくいっているようだ

しか同性愛盲点だったと思う。

銃社会では銃表現に神経を尖らせているように、同性愛が問題になっている国では同性愛表現も、神経を尖らせているのだ。

しか同性愛が問題になっているといっても、銃の問題と違い、同性愛者が被害者側なので勝手が違う事に注意してほしい。

アメリカをはじめキリスト教文化圏では同性愛教義に反することから、忌み嫌われる存在であり、結果同性愛者が殺される事件まで起こっている。

こういった歴史的経緯から、それらの国の文化人一流企業といわれるところは、先鋭化したり、そこまでいかないまでもカウンターとして戦う姿勢を示すことが文化人、そして企業としての礼儀となったわけだ。

彼らは戦うしかないのである。だからパレード鼓舞し、同性愛差別に対して戦うのである。そして文化人はかれらをめいかくに支持する姿勢を示すのである

そんな戦場任天堂日本ののほほん文化とともに飛び込んでしまったのだ。

日本での同性愛はどうだろうか

修道文化がそうであるように、とくに弾圧されることもなくのほほんと生きてしまっているように思う。

しろ明治になって欧米に合わせるために捨てざるをえなかった経緯すらあるわけだが

そうはいっても今日テレビではおかまキャラを見ない日はなく、ちまたの本屋ではBL百合だとコーナーが設けられるまでになっている。

欧米に足並み合わせて一流国になるんだ的なコンプレックスはもうなくなったのだろう。むしろ何か問題でも?くらいな

(個人的には、BLとか百合って同性愛の人から見たらどうなんだろうと思う。コンテンツとして消費されることに対してとか)

個人レベルで気持ち悪がられることがあるにせよ、欧米に比べるとずいぶんのんびりまったりである

そんな日本の文化をひっさげた平和ボケてき同性愛文化任天堂欧米人生観ゲームを発売してしまったのである

戦場で戦っているところに丸腰の無防備マン登場である

戦士たちから「戦う意思はあるのか?(同性恋愛要素盛り込むことであいつらとたたかうよな?)」と質問され

そして任天堂は「ないよ(マイノリティ要素は最初から想定してないよ)」と答えてしまったのだ。

日本感覚としては、フラット平等意識しないこともアリだとは思うが

欧米はすでに戦争状態なのだ。無関心は罪なのだ。明確に意思表示を示さな企業は足手まといになるのだ。

今回の任天堂欧米戦争に巻き込まれてしまったわけで、気の毒だったとは思うし任天堂差別しているとは思わないが

グローバル企業なんだからこのくらい対応しろよとは思う。

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