はてなキーワード: 道筋とは
東大に入ったからといって自慢気に勉強法を語るやつは、未だに勉強法でしかイキれないつまらないやつに違いないので私は大嫌いなのだが
一回り年下の弟が現在高校生ということで、100% 彼のためにこの記事を書く。
先日勉強法を聞かれたが、SMS や LINE で長文を書く気にはなれないのだ。そのため、この記事の URL を君に共有する。
note あたりは新規登録が面倒だったからこの匿名ダイアリーで許してくれ。
わからないことに慣れるな。
東大入試といえども所詮高校までの範囲なんだから、ガチれば誰でも理解可能だ。
あるのは高校3年間という時間制限だけ。私もギリギリではあるが合格水準レベルには理解した。
今まで習ったこともこれから習うことも君が理解できないわけがない。勉強に関して傲慢であれ。
一方で、わからないことに関しで敏感であれ。
例えば化学で「液体を加熱する際に沸騰石を入れる理由を答えよ」という問題があったとする。恐らく君はこう答えるだろう、「突沸を防ぐため」と。
テストではこれで十分かもしれない、でもこれで本当にわかったと言えるのだろうか?
そもそも突沸とは何か?急な沸騰だ。急な沸騰を防ぎたい理由はなにか?急な沸騰により容器からあふれた液体が予期せぬ場所にかかるため危険だからだ。
高温でやけどするもそうだし、常温でも人体に危険な液体を取り扱っているかも知れない。
では急じゃない沸騰があるのか?そもそも沸騰とはどのような現象か?沸騰石とは何か?沸騰石である必要性とはなにか?
これらの問に答え、自分の中での論理の飛躍を解消して初めてわかったと言えるのだ。
丁寧に論理の間を埋める癖をつけよ。これはすべての教科に、ひいては今後の人生において必ず役に立つはずだ。
私の高校時代と変わりがないなら、君の高校では批判的思考を身に着けろと先生方が口を酸っぱくして言っていることだろう。
しかし批判的思考の定義を教わった記憶はないし、君も教わってないであろうことは想像に難くない。
その上で私は「批判的思考」を「世間一般で言われている当たり前のことを、分解し、自分の中で再構築することで理解や議論を深めるための営み」だと解釈した。
批判的思考を無批判に身につけさせる教育方針はどうかと思うが、この「批判的思考」を身につけるのは悪くないのではと言いたい。
私が受験生のときに本屋で勉強法について書かれた本をあらかた立ち読みして実感した。
異世界転生チートのような簡単に劇的に成績が上がる勉強法など無い。
ググればすぐ様々な文献が出てくる通り、成績と最も強い相関があるパラメータは勉強時間だ。
朝起きて身支度をする時間、通学時間、お風呂に入っている時間等、隙あらば自分をテストしろ。
「点と直線の距離の公式を導出できるか」「because of とほぼ代替可能なほかの言い回しは思い出せるか」といったことを考えるのだ。
思い出す訓練、これも勉強だ。これで勉強時間は飛躍的に伸ばせる。
逆に、机に向かって参考書を開いただけで勉強しているつもりになってはいけない。
君のクラスにもいるだろう、君より勉強時間が長いはずなのに成績が君より下なクラスメートが。
勉強時間は集中力という名の効率パラメータで容易に裏切られる。
100%:気がついたら時間が経っていたといったようなある種のトランス状態
自分の中で今どれくらい集中できているか常に意識せよ、でもって 50 % を切るようなら気分転換をするか寝ろ。
私にとって一番成績が伸びた勉強法を白状すると、大学合格後に経験した大手予備校の採点アルバイトだ。
具体的には予備校生が解いた過去の入試答案にひたすら赤ペンを入れる作業である。
私が最も得意とした化学を担当した。東大だけでも過去 10 ヵ年分について各年度ごとに少なくとも 10 人分は採点しただろう。
1 答案に付き○円の出来高制で結構稼がせてもらった記憶がある。
過去問を 10 周もやると東大といえども入試問題がパターンゲーだということが見えてくる。
現役時代私の化学の得点率は6〜7割程度だったが、荒稼ぎ後に気まぐれにその年の東大入試化学を解いてみたら9割ほど得点できた。
また、採点バイトは、ただ過去問を何周もする以上に内容が身についた。
なぜなら各回答に対し模範解答と答案をにらめっこし、生徒がどこで躓いたのかを明らかにした上で
正解までの道筋を相手がわかるように文章で説明する必要があるのだ。
すべての問題に対して、解ける、ではなく、教えられるの水準を要求されるのである。しかもお金をもらっているので逃げることが許されない。
同級生に東大志望の人が他にいるようなら実践模試の返却答案を土下座してでもコピーさせてもらうといい。できれば5人分ぐらい。
それに赤ペン先生になったつもりで添削指導をしてみてほしい。その添削結果を再度同級生に返却するかはおまかせする。
騙されたと思って試してみてほしい。普通に解く以上に身につくから、マジで。
勉強法以外で私が高校時代に知りたかったのは、東大生にもアホはたくさんいるということだ。
日本地図がまともに描けない人(本州を北東から南西ではなく北西から南東に向かって描くのだ、その人、関 "西" 出身なのに)とか、
2を素数じゃないと勘違いしている人(英語が得意で合格した人は数学が壊滅的がち)とか、
魚が跳ねるの跳ねるという字が漢字で描けない人(私)とか...
こういう等身大の東大生にふれる機会がないので、あんなアホどもが合格できるんだから自分も合格できると錯覚できる機会がないのが地方の痛いところだなと。
東大を目指す目指さないに関わらず、あまり東大・東大生を神格化すべきでない。彼・彼女らも君と同じ所詮人間なのだ。
というわけで、これ以上私をつついても勉強については何も出てこないので、ここまで読んだなら今後勉強に関して私に質問はしないでほしい。
今までやってきた分野の進歩に合わせて自分の基礎をあげるフェーズにある。
視野が広がるとあれも必要、これも必要と勉強を始める前から色々な事を調査し始めてしまう。
A-1を勉強していたら、A自体が支流でないことに築き、急遽別のBを勉強し直す。
Bを勉強していると、Bは数年前の情報と今の情報が混在していて、その状況整理から始まる。
状況を整理する中で、B-1、B-1-2、B-2…のように必要な情報が多すぎる。
作りたいものがあっても、それを作るというフェーズに移行できない。
その内自分自身が消耗していく。
これが、「もう勉強したくない…」っていう人の心理なのかもしれないな。
出来上がったものから枝を派生させて、知識を補強していけば良い。
でも、完成系が見えるからそこに行き着く道筋が非常に曲がりくねっているのも見えてしまう。
勉強しなきゃいけないのはわかるんだけどさ。
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
「地球儀を俯瞰する外交」と称して、中国包囲網のようなことを志向していたが、いつの間にか言わなくなった。
むしろ、最大の功績は、2012年に尖閣国有化で悪化した日中関係の改善だったかもしれない。その集大成が習近平の国賓来日となるはずだった(が、コロナで中止。米中関係の悪化を見ると、結果的には良かったかも知れない)。
米国との関係は、うまいことトランプの懐に入り込んだ。ただ、裏でどんな密約があったかわからない現時点では、評価は難しい。
野党でも、ガチの護憲派は共産党と社民党ぐらい。旧民主党系には一定数の改憲派がいる。立憲民主の枝野氏だって一部の改憲の必要性は認めている。
安倍総理の失敗は、安保法制のときの「解釈改憲」。あれで、「安倍政権下での改憲には反対」という野党共闘の「落とし所」を作ってしまった。
それさえなければ、うまく野党を切り崩し、9条以外での改憲を実現して、「初めて改憲した総理」の名誉を手にした上で、将来の9条改憲への道筋づくりもできただろう。
株価は上がったけどさ。
「新三本の矢」ってどこにいったんでしょうね。
言うまでもない。
昨日、僕の人生を大きく変えてしまうかもしれない一つの決断をした。中学生から夢に見ていた教師になるという未来への道筋を己の手で断ち切ってしまった。そのために勉強し、そのためにバイトをしてきたこれまでの僕の人生は全て無駄になってしまったかのように感じた。今、僕は僕がとても許せない。教師という職の現実を僕の目で垣間見たその瞬間に「あぁ、僕には出来ない仕事だ。」と思ってしまったのだ。これまで5年間僕を支え続けてきた「教師になってこれからの未来を支える生徒を育てていくんだ。」という決意は、ほんの少しの非情な現実を目の前にして消えてしまうほどの些細なものであったことが僕の小ささや無力さを体現しているかのようで。
関口さん。署名活動お疲れ様です。あなたに是非とも伝えたいことがあり、久々に (おそらく数年ぶりに!) 長い文章を書こうと思い立ちました。長い文章は書き慣れておりませんので、乱筆乱文お見苦しいかと思いますがどうぞご容赦ください。
インターネット上には、あなたが非実在男性なのではないか、ジャンプ読者の男性に対する偏見を持つ女性が書いたのでは無いか、などと疑義を表明する人が沢山いるようですね。
あなたがそのような声をどのように受け止めておられるか私にはわかりませんが、ただ、今のところ私はあなたが実在していて本当に苦しんでいると信じています。理由は、あなたが書かれる文から読み取れる苦しみにいたく共感したからです。
いらぬ誤解を招きたくありませんので早めに明確にしておきますが、私自身は今回の署名活動に賛同も否定もしません。
今回の署名活動にあたって名指しされた漫画やそれに類するもの (子供を対象とした媒体上で連載されるセクシャルな要素を売りにした漫画、と理解しております) を読んだことがなく、この活動に対し何か声を上げられる立場にないと考えるからです。
(私の生家は子供に小遣いを渡すという習慣のない家で、バイトを始めるまで私の手元には私の自由になるお金がなく、漫画雑誌や漫画本を購読する習慣がありませんでした。家族内に漫画を読む者もおりませんでした。たまに同級生宅にお呼ばれした時に読むのが小学生時代の私にとっての漫画のすべてで、そして少なくとも他人を家に招く際にその種の漫画を本棚に出しっぱなしにしている同級生はおりませんでした。)
では私がどこに共感したかと言えば、自分の理性では制御しきれぬ「こだわり」を抱え、それに振り回されて心も体も千々に乱れる苦しみを味わっているあなたに、です。
はっきりと言います。私は、ASD傾向のある発達障害者の一人として、あなたもASD傾向を持っておられるのではないか、と推察しております。
セクシャルな要素を含む漫画を愛読し、読んでいないという友人に対し興奮して問い詰めてしまうかと思えば、翻って自分が親しんできたセクシャルな漫画およびそれに類するものに注釈をつけよ、性表現レベルを読者に合わせよとの署名活動を始めておられる。
これらの両極端な行動は、単に考えを改められたというわけではなく、行動のベクトルが真逆なだけで、いずれの場合もその動機となっているのはセクシャルな漫画に対する強い「こだわり」(より正確に言えば、「セクシャルなことに興味関心がある自分」というアイデンティティに対する「こだわり」) ではないか、と考えます。
女性差別や性暴力は重要な社会問題だと思いますが、それよりも今のあなたを苦しめているのはあなたご自身の「こだわり」であり、それは署名活動をすることによってではなく適切な医療機関を訪れ適切な治療を受けることによってのみ解決への道筋がつけられるものだと考えます。
おそらく、あなたが「セクシャルなことに興味関心がある自分」というアイデンティティに対するこだわりを身に着けてしまったのは小学生の間ではないでしょうか。
その過程も、なんとなくですが想像がつきます。
友人関係の構築に難があるASD傾向のある小学生にとって、小学校生活をサバイブするというのは大変な苦難です。
一般の方々ほど友人関係その他コネクションの力に期待できないという前提の上で、自尊心を守りいじめられっ子の立場に転落しないようにするためには、舐められないポジションの確立が必要となります。
私の場合は、それは「頭が良い」「博識」というポジションでした。友達が少ないが故にほとんど無制限にある放課後の時間を勉強に当てたおかげで、そこそこ頭の良く博識な「ハカセ」ポジションを確立することができ、私の小学校生活は以後の人生と比較しても平穏なものでした。
(それでも、私立中学受験を前提に有名塾に通っているようなグループには決して叶わない程度の成績でしかなかったのですが。)
しかし、必要に迫られて装っていただけのはずの「頭のよい自分」「頭がよくて周りから一目おかれる自分」像はいつしか私の強いこだわりとなり、その後長きにわたって (成人し大学生になり、そして社会人となった今ですら) 私を苦しめ続けています。
「頭のよい自分」像が脅かされる事態に直面すると、錯乱して大きなショックを受けてしまうのです。ちょうど友人に対して錯乱してしまったあなたと同じように。
あなたにとっては舐められないためのポジション戦略が「セクシャルなことに興味関心がある自分」であったのではないでしょうか。
小学生にとって、セクシャルなことに対するタブーというものはなかなか強いもので、興味関心があるというスタンスをとることははばかられるものです。
ただ同時にだいたいみんな内心では興味関心を持っているものですから、タブーに対しおおっぴらに触れられる、というのはある意味では大変強い立場です。
だから、某漫画はじめみなが敬遠する(そしてその実興味があったりする)「セクシャルなものを強く意識する自分」のキャラクターを小学生の間に自分自身で構築されたのではないでしょうか?
そう推察すると、あなたがこだわるのがアダルトビデオや実際の性犯罪でなく少年漫画雑誌上のセクシャルな漫画であることにも、あなたが心残りとして取り上げておられる棒アイスの差し入れのお話にも得心がいくのです。
(棒アイスを差し入れすることと性的なことを結びつけ、男子の笑顔をいやらしい笑いと受け取ってしまうのは、どうにも一般的ではないと思います。小学生にとってはエロいことなんかじゃない、というだけでなく、すでに成人した男性にとってもそうです。男子グループのメンバが気になっている女の子に気に入ってもらいたくて差し入れをした、と受け取るほうがずっと自然でしょう。性的なことを常日頃から強く意識していなければ、たいして記憶にも残らないごくありふれた出来事のように思います。なお、他人の表情を読み解く力 = 表情認知が弱いのは ASD の特徴の一つだったりします。)
関口さん。いかがでしょうか。
これまでの文章は今も心療内科を受診している一患者が自身の経験と照らし合わせて妄想したものでしかなく、その正しさを保証するものはどこにもありません。
ASD傾向があるのではないかという疑いを向けられたことを不快に思われたら、心からお詫びいたします。ですが...
ですが私には、関口さんと過去の私がどうにもダブって見えます。自分の「こだわり」に振り回されて疲弊しつつ、「こだわり」を認知することすらできなかった過去の私に。
もし少しでも心当たりがあるようでしたら、ぜひともお近くの心療内科を受診することをお勧めいたします。
最近、みる将になったWebを生業にした、AIがちょっとわかるプログラマーだが、藤井2冠の将棋を見て、これから10年単位で将棋界が暗黒の時代に突入するのではないかと思った。
木村一基9段であれば「千駄ヶ谷の受け師」、久保利明9段であれば「捌きのアーティスト」など、棋士ごとに棋風があるが、AIはただ相手を詰めにいくだけだ。
藤井2冠の偉業はすごいし、一時のミーハーを大量に将棋界に引き込むのは間違いない。
ただ、従来からの将棋を見ている層は、棋風のない棋士達の将棋を見て、将棋から離れてしまうかもしれないと思った。
これから出てくる棋士は、間違いなくAIを取り入れている棋士ばかりになる。
最短手数で相手を詰めにいく将棋ばかりになるのではないか?これは将棋として面白いのだろうか?
これからの棋風は勉強に使っているソフトの名前になるかもしれない。
最後に、藤井2冠が一番負ける確率の高いパターンを考察しておく。
記者からの質問で、藤井2冠は「よくわからなかったんですが」とか「難しい展開で」とかよく言っているが、おそらく短い将棋であれば30~40手で、普通の将棋であれば60~70手で、おぼろげながら詰みの道筋が見えてるはずだ。
あと数手のうちにこうなれば勝ちだとか、そういった形成判断ができている。
将棋は中盤以降、打てる手の幅が狭くなる、藤井2冠を倒すには中盤になる前の打てる幅の広いうちに、藤井2冠が長考して頭の疲労を誘うような手を打つしかない。
この前、初めて行く街をなんとなくグーグルマップ なしで歩いてるときに、「目的地の位置を把握するために歩道橋に登って高いところから道を確認する」って行為をやったんだよ。それがわりと功を奏して、ちゃんと目的地にたどり着けた。
ホントに全然たいしたことじゃないんだけど、なんというか、自分で考えて取った手が実を結ぶ感覚がすげえ気持ち良かったんだよね。
試験の問題とかゲームの謎解きなんかでも「この弄した策がうまくいく感覚」はなくはないんだけど、なんというかあれは人工的な感じがする。誰かが描いた道筋を辿ってもあんまり嬉しくない。
仕事は自分の力で工夫を凝らす余地があるんだけど、純粋に労働の辛さが勝って楽しんでる余裕がない。
こう、ひらかれた状況から自分が選びとった策の効果がすぐにわかる、っていう体験がしたいんだよなあ…手軽に。あとできるだけアナログな感じというか、机上感がない方法で。
山登りとかしたらいいのかな?でも死にそうで嫌なんだよな。将棋なんかはどうもルールがカッチリしすぎてる気がする。もうちょっとこうファジーさがほしい。
ゲームで妥協する形になるけどFPSみたいなのをやればいいのかなあ。攻め込むルートを考えたりするのは楽しそう。でもチーム戦って足引っ張りそうで怖いんだよな。
なんか…なんかないかなあ
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。
我が家は学歴にコンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃から「いい大学に出て、良い会社に就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃から他の子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去をトラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。
転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビで放送されていたスラムダンクを兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元のバスケチームに入りたいと両親に相談をした。
父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃんは大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。
それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。
塾からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。
やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所に引越し、1ヶ月に1度程度会う関係になった。
母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。
次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元の美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋(美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキで駄菓子屋へ自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。
店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気の髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。
中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校をサボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。
俺が高校生になった頃。よく姉が仕事の休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。
姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプの居酒屋のランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。
姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。
話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂「性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。
そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋のバイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。
その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。
そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認も理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲からの偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想に従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。
社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。
半年後、姉は彼氏と同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。
姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。
思っていたのに。
髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。
「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」
「だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」
嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。
彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後から女である事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズやユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。
「お前みたいな厨二病のメンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりとのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。
俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」
俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋は改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。
私はキリギリスになりたいアリでした
みんなで一緒に働いてしっかり地に足をつけがんばるのですよ
と言う思想の元にアリとして育てられアリとして働いていました
アリとして足並みを揃えて皆に遅れないように歩き続けていても、知らない間に列からはぐれていたりたまに横を駆け抜ける黄緑色の楽しそうなキリギリスを見ていて怒られたりしました
ある時意を決してキリギリスになりたいとアリの列を離れました
何とか形を整えてキリギリスの中に入ってみましたがアリの時の気持ちや考え方から抜け出せず思っていたようなキリギリスにはなれません
でもよくよく見てみればキリギリスにもピンから切りまであり、アリが口を酸っぱくして言う、なってはいけないキリギリスもいたし、もうキリギリスの形も残っていないようなキリギリスもいました
でも確かにアリの時よりは自由に動けるようになり少し違う道を行こうが特に止められないのは私には合っています
バリバリの楽しそうなキリギリスを見ると嫉妬に駆られる事もありますし、きっちりとした道筋を行くアリを見ると後悔がよぎる時もあります
まずは大変な状況の中、お疲れ様です。
お子様に直接お会いしていないので推測が多くなるのですが
発達障害のお子さん、特に高度自閉(アスペルガー)で「学ぶことが好き」なお子さんの場合は
「塾は刺激的な事を学べて、競争相手も居る熱中できる場所」として認識されていることが多いです。
試しに一度、お子さんに「学校と塾、仮に片方だけ通うならどっちに行きたい?」と尋ねてみてください。
「塾」と答えるようであれば高校進学を見据えて、塾で進学先を何度か検討しながら(塾での様子も聞いてみると近い将来が想像しやすくなると思います)
学校の宿題はできるだけ減らしてもらうなどの相談も含めて(主治医に意見書を書かせるか直接学校に連絡を取り持ってもらうとスムーズに進みやすいです)
高校入学までは塾を中心に学習環境や対人関係を築いていくのも一つの道筋であることを知っておいていただければと思います。
発達障害の子の子育ては特に孤立しやすいので、早い段階で塾に相談されたのは賢明な御判断でした。
クソの役にもたたん
作りたいものがないとか、レベルが高すぎて道筋が立てられないとか、斬新すぎて参考になる資料がないとか
そういうこともあるわけで、何の答えにもなってないから、バカそう
そもそも、そういうこと言い出したら作りたいものがない人はプログラマになれないことになるしな
ゲームプログラマになりたいなら、まず2Dのマリオの1-1を作れとか、ポケモンのバトルやモンスターのシステムを作れとか
そこから3Dでマリオの1-1を作れとか、マリオ64の一番簡単なステージ作れとか
Webプログラマなら、3種類の最新フレームワークを使ってハローワールドしろとか
掲示板、ツイッター、SPAのフェイスブック風サイトをモダンなクライアントサイドフレームワークを使って作れとか、そういうアドバイスしたほうが的確だろ
はじめに
地方分権とは、戦後日本の憲法に定められた重要な項目の一つです。
国政と分けて、地方の事は地方の住民が決める。それは政府では対応しきれない全国津々浦々の問題を、その地方で独自に解決していくという道筋でもあります。
そしてそれは生活水準の向上と生活や社会そのもののあり方の多様化にも対応の道筋を残す、希望の憲法と言っても過言ではありません。
歴史を紐解けば、民主主義上での独裁政権の誕生では、地方自治体の選挙から勢力を拡大するという構図もありました。
また戦時中においては、地方自治という枠組みをなくし、政府の一括した管理化に置かれるという場面もありました。
そして現代においては、国政の議院内閣制の弊害である議席確保のため支持団体の利益誘導に奔る政治家の姿を生むに至りました。
政治の学問の世界でも、それは古くから指摘されている問題点です。
では国政政党とはどこまでをその意志の範囲とすべきなのでしょうか。
その自治体に住む住民一人ひとりの意志を一票で証明して、そして未来を決めていくものです。
選挙権は人権です。住民の意志で決めるを定めているのは憲法です。
その人権と憲法よりも国政政党の思惑は優越するものなのでしょうか。
「政党の意志」とはあくまで政治思想であり、地域住民の個々の意志判断よりそれを優先させようとする現代の通念は、
戦争や独裁政治の歴史的な反省に真っ向から対立する、異様な思い込みなのです。
現在、私達の日本国は、徹底して若者を未来への希望を抱かせない低賃金労働の社会へと追いやりました。
政党と連動する利益誘導を目的とする団体の思惑が優先されるようになりました。
その問題に途中で都知事や都議が気付き止めればよかったものを、取り返しの付かない社会問題になるまで放置されたのです。
それは国政の政権争いに付随する利益誘導を当たり前のものとする政治を、切り離されて然るべき地方自治体にまで及ばせてしまっているのが原因です。
国が悪い政治を行えば、その盾となるのは地方の自治体の政治ではないですか。
しかし国政政党の思惑に沿うばかりの政治家達は、その基本的な問題に対して取り組む事は無かったのです。
そうして最後に追い詰められるのは、利益誘導のために駆けずり回らされそして世間に問題が発覚した時にひたすら謝罪させられ責任を負わされる都の職員と、
多額の税金を払い続ける私達なのです。
結果として、オリンピックも多額の税金が投入されましたが、不透明な金銭の流れを追求する政治家は皆無で、国民は無給のボランティアで働かせられる事になりました。
若者を企業にとってひたすら都合の良いように低賃金で働かせる社会になった現在は、毎年50万人以上の戦時中のような人口減少を引き起こす日本となりました。
それでも政治家は、地方行政を利益誘導と国政の政権争いの踏み台にする事をやめないのです。
そしてそれは、この問題構造に気づこうともせず、政治家に利益誘導をしろと言い続ける有権者の責任でもあるのです。
私は若者が子供達が。これ以上自分のしている事に気づかない大人達の犠牲になる事は見過ごしていられません。
今こそ当たり前の事を当たり前に行う、私達の政治を行うべき時なのです。
それはシンプルに、憲法に則り人権の理念に沿った指針で動く、そうした立候補と政治の事です。
この問題解決の鍵は地方自治体の選挙である東京都知事選であり、思い込みの中で逃れられない大人達と子供達の未来を救うためのただ一つのチャンスでもあるのです。
東京都における公的資金を受けた事業に対し、その資金の流れを監視します。
対象は国また地方自治体に限らず、多重請負、不透明且つ複層化した外注などを行っていないか確認し評価します。
IOCと日本のオリンピック運営委員会に関わる利権構造を調査し、全て公開します。
東京オリンピックを機に、オリンピックそのものの健全化の実現を目指します。
(開催期間中に停戦を呼びかけるオリンピックの、権威性を後押しし支えるものです)
東京オリンピック以前以後と評価されるよう、オリンピックそのものを改革し、その名誉を東京都民のものとします。
コロナの影響下にあるオリンピック・パラリンピックは、なるべく選手達の希望を叶える方向として、実現に向けた動きをします。
感染拡大を防ぐため無観客や期間の変更を伴う計画設計に併せ、5GやVR等の技術を駆使した全世界へのネット配信等、放送収入の新しい形を提起します。
多様化と複雑化を続ける社会に沿った、新しい議会の形を提起します。
(常時発生し続けると言っても過言ではない社会問題のリアルタイムの可視化と各議員との情報伝達。議会での解決量の増加、二十四時間体制での情報収集と分析するシステムの構築)
全世界の思想良心身体表現の自由と尊厳を侵害されている人々が、東京であれば自由を謳歌出来る。そうした都市にします。
基本的に政治思想的ムーブメントには賛同や批判を行わない方針を取ります。なぜなら、行政とは問題に対する評価へのアプローチではなく問題の原因そのものに取り組むものと認識するからです。
動物愛護について
ペットショップにおける、保護動物の販売枠の取り決めを行います。関連した動物達へのケアや従事者との連携の拡充を行います。
殺処分を減らす取り組みと同時に、必ず件数を計上し政治的アピールのために実情を覆い隠さないようにします。
行政サービスを受ける上での簡略化(必要な書類等の確認や予約等を行えるアプリ)を目指します。
行政サービスを受ける上でハードルのある障害の方(発達障害を含む)に対するサポートの制度を設けます。
都議会の動き、各議員の動きなどを逐次そのアプリで追えるようにします。
東京都という自治体から国に対する要望の提出に付帯する、署名の投稿機能を設けます。
(スマートフォンとの連携で音声による予定の表示や、ゴミ捨て日、また納税等の手続きの予定や方法などを表示し、生活をサポートする機器です)
研修を受けた学生達が地方に帰った後、行政や議会に携わる際に応用できる基礎的な経験を養うのを目的とします。
氷河期世代の救済
全国の自治体と協調し実現する、失われつつある技術の保護を目的とした雇用の創設します。
都知事直下に氷河期世代以降の若者の救済を兼ねた、災害時、大規模イベント時の補助、その他必要に応じた対応を行う職員の枠を設けます。
当初は数名から始まり、目標としては五千人以上(上記の全国規模での雇用の創設に関連する、都の事業の従事者として)を目指します。
明確な人権侵害である。高齢化する引きこもり問題に対しては行政としての対応が拡充されるべきであり、人権侵害を平然と行う連れ出し監禁行為に対する徹底的な撲滅を図ります。
(東京都で働く方々をつらい状況に置いておく訳にはいきません)
海外からの渡航者に対する、性風俗利用時の性病検査証明書の提示義務を設けます。
少子高齢化の進む中、民営化は生活基盤の破壊に繋がりかねません。
30年から50年先の社会動向を見据えた、地方自治体の存続性の強靭化を図ります。
女性に関して
性に関する概念が多様化する社会における、女性が成人するまでの情報の複雑化への配慮として、女性に対する行政の相談機関や窓口を一元的に示す冊子を発行します。
貧困の救済
段階的な回復(カフカの階段を参照)を登る、住宅から就労までの一貫性を持った支援を行います。
徹底的な若者に対する低賃金化と繰り返される増税で、疲弊する都民国民の生活を守るため求めていきます。
交付された際の使い道
・妊娠出産から一定年齢に至るまでの支援予算(保育等に関連するものも含む)
・女性用シェルター、ホームレス支援など困窮者に対する緊急支援施策予算
原則公開。各議員に対する要望は同時に都に対しても文章で提出を義務化し、透明性を確保させます。
要望自体に対する評価は行わず、事実確認の資料としてのみ扱います。
同時に東京都知事に対して告発しなさい。推移を見守り、場合によっては声明発表や職場を用意し救済を行います。
コロナの現状と以降について
コロナ対策として各企業で実施された、労働時間短縮、リモートワーク、付随して発生した電車の混雑状況の軽減の維持を強く進めていきます。
流行が落ち着いた後の都内における経済活動の復調のための、都内観光業、飲食娯楽関連の支援と国内外に向けての宣伝を行います。
事務所の分散移転(西東京、多摩地区、近隣各県への事務所移転を促す)
満員電車問題の解決と同時に、感染対策と通勤時間等の労働環境の改善を目的とするものです。
全国の自治体と協調したスギ花粉対策。切って切って切りまくって、無花粉スギや環境に適した森林への転換に向け植えて植えて植えまくります。
国の協力が得られない場合、東京都民に向け(アプリを使用し)署名と個々人の要望の提出を呼びかけます。
クリエイター(アニメーター等)の生活支援。低賃金労働の構造的実態調査。
世界各国のアニメ、ジャパンエキスポ等への東京都としての出展。
東京都のふるさと納税の返礼としてのアニメ、漫画作品の作成(未完や続編が出ない作品など全国の市民に対する要望を集める)
表現に対するハードルのある国との、表現の自由の実現のための交渉。留学事業の実現。
有害図書指定に関連して発生した作者、出版社に対する損害の調査と、実質的な成果に対する見直し。
行政としての公正公平さについて
特定の人種あるいは国籍を掲げたキャンペーンに対しては中立の立場をとります。
転じて、地方行政特に東京という都市は人種国籍に左右されず「都民」として行政サービスを提供する事を宣言します。
性別、人種、階級等の制限を受けない人権の理念を参照する方針です。
性に関して
同性愛等の性的少数者などの枠組みに左右されない、人生のパートナーあるいは家庭のあり方に対する行政としてのあり方を模索します。
文化、法律、社会動静、哲学、宗教等、あらゆる性を規定する概念に対し行政は中立です。
市民がそれらの概念に関する闘争に、明け暮れ巻き込まれ人生を費やしてしまう事の無いよう、政治行政の制度設計や指針の提示などその役割を全うします。
選挙に関して
東京都内で行われるあらゆる選挙に関する、候補者に対する差別的な報道姿勢に対する規制条例を制定します。