はてなキーワード: 結集とは
トイレは2Fを使っている。
実はもう一つ理由がある。
わたしは小さい頃から便がゆるい為、ウォシュレットじゃないところでは、
拭いても拭いても、拭ききれないことが多い。
腸内に水を蓄えてから噴射させることで、今まで悩みを解決してきた。
それはさておき、最近2Fのトイレをわたし以外の誰かが使っているようだ。
なぜ分かったかというと、トイレにはいった時に水圧が最弱にさげられていることがたびたびあったからだ。
勝手に水圧を変えることは許されない。
それだけの簡単な仕事だけど、なかなか犯人と遭遇することが出来なかった。
仕方なく、水圧が最弱にされた日と出勤データを照合かけようかと思ったが、
社員の数が多いため、その労力に見合った結果がでるとは思えなかった。
そこで、最弱にする人=痔の人と狙いをつけ、痔持ちの人を探すことにした。
はじめは「お前、いくつやねん?」と大阪出身の上司にあきれられたが、
そのうちに、わたしに背後をつかれると「こんちんこ!」されるという認識が、
シン・ゴジラの作戦名どっかできいたことあるけどなんだっけとおもって、でもしらべるのめんどうで放置していたら、ちょうど今読んでいる本で、その由来を確認して、もーそっから色々妄想がとまらなくなり、深読みをしたくなりまくってしまったので書きます。途中までは、あんのさんのゴジラの作戦名とかに仕込んだ神話ネタの説明。途中からはちまたにあふれるエヴァの超解読本ぐらい怪しい俺の推測。でもまあこういうの含めて盛り上がるのがあんのさくひんだよなとおもうので様式美としてひさしぶりに長文かきます。結論だけかくと、一見くそつまらない勧善懲悪にみえるのだけど、今回もちゃんとあんのさんてきひねくれた映画だったのだろうということです
まずシン・ゴジラ、構造として、わりと愚直なまでにスサノオのヤマタノオロチ退治の神話をなぞっています。誰でも気づくのが、ヤシオリ作戦はヤマタノオロチに眠らせるために飲ませる酒の名前、はしご車の名前であるアマノハバキリはスサノオが使った剣の名前ってとこです。この2つで明確にヤマタノオロチ神話をなぞっていることを示しています。
ということはゴジラはヤマタノオロチということになるわけですかね。ゴジラは原作では恐竜のミュータント、つまり龍です。龍と蛇は限りなく近く、概ね同じ存在と見なしていいと思うのでヤマタノオロチ=龍=ゴジラってことでもいいのだけど、やはり微妙に異なる。今作では幼体の姿で4つんばいの状態を見せているところからも蛇としてのゴジラというのも意識させている気がします。尻尾が長いのもその象徴かなと。後常に状況に応じて進化するのは蛇の脱皮をイメージさせる。だから今作のゴジラはより蛇であり、ヤマタノオロチに近い存在であるとは思います。
そうなると、矢口はスサノオなのか。スサノオの神話は基本構造は貴種流離譚、つまりアマテラスの弟という高貴な血筋をもつものが、本人のか何らかの欠損を理由に追放され試練を乗り越える。矢口は親が力を持った政治家であることが示唆されている。しかし本人の性格は、権威に頼らず上との衝突を辞さず、どちらかというとうとまれる存在。結果、メインストリームから外された専門家集団の責任者になるなどする。まあありがちな設定だが、違和感があるのは親が政治家である設定だ。この流れならはじめからたたき上げの能力戦いがコミュニケーション力低いオタク的性格の主人公でもよかったはずだが(実際アニメだと死ぬほどよくある)、そうしなかったのはスサノオを重ね合わせるための設定かなと思いました。
牧教授の奥さんが、放射能が原因でなくなっているというのは、ヤマタノオロチがこれまですでに八人の乙女を食らってきたという部分に重なる。放射能の象徴がゴジラでもあるからだ。そしてまたヤマタノオロチが暴れ狂うのだと、旅先で出会ったアシナズチという老人はスサノオに告げるのだ。アシナズチは牧教授なのでしょう。もう少し妄想を広げるならクシナダ姫は、日本(出雲に近い広島)の血を引き、過去親族が放射能というヤマタノオロチの被害をうけ、同時に高貴な一族の出(パターソンという名前は、貴族の血筋)であるカヨコかなと。クシナダ姫なら、今回のゴジラに殺されそうになだてるのかというと、そうでもないのがこの説の弱いとこですが、アメリカから核爆弾が落ちるときに、ぎりぎりまで日本にいる選択をしたところで、ゴジラではないが同じ放射能的存在の核爆弾の被害をうけ兼ねないという意味ではまあそういってもいいかなと。
後半になればなるほど、若干強引な結びつけにはなってますが、作戦名ひとつで、まあヤマタノオロチ退治の物語にかけているというのはある程度明らかなのだろうと思います。それはあんのさんがよくやるゲンガクテキになんとなく、物語に深みがあるようにみせかけるためにやっているのかというと、もしかしたらそうじゃないのかなとか思います。ここからは、さらにさらにこじつけになっていく部分が大きくなりますがご容赦ください。妄想です。
まず、事前説明として日本における蛇信仰について説明。蛇は、最も古い信仰だと1 外形が男根相似 2 脱皮による生命の更新 3 一撃にして敵を倒す毒の強さという特徴から世界各地で祖神として崇められていました。時代が移ると、蛇は稲にとって害獣である鼠を食べる特徴から農耕の神という属性が強まったこと、また蛇を邪とし龍を崇める信仰が流れてきたことから祖先神の側面はうすくなり農耕の神の側面がつよくなったのです。
オロチとは、そのまま蛇という意味もありますが、峰の神、山の神という意味もあり、かなり古い蛇信仰の対象といえる名前です。それがまず害をなす存在として描かれる。助けを求め最後に勝つの側のアシナズチという老人はテナズチという配偶者がいます。その足がない、手がない神という名前から彼ら自身も蛇の化身と考えられる。その娘がクシナダ姫。奇稲田の姫と書き、農耕の神を意味し蛇の神の子供であるから、彼女も蛇の神。善とみなされるのは農耕の蛇の神なのです。農耕は中央集権的定住型の社会の象徴、それより古い祖先神は、集権化される前の氏族的共同体の象徴ともいえます。この国は、かつて様々な小さい国が、自分たちの祖先神をもち、乱立し互いに牽制し互酬しあう仕組みでした。稲の神である天皇による大和の支配が確立し日本という形がつくられるようになりました。
つまり、ヤマタノオロチ退治の話は、農耕の神としての現体制の蛇神が高貴な新しい王族の血を引くものといっしょに、出雲を中心とした旧支配者としての蛇を倒す話ともよめます。
今回のゴジラを投影しているのがヤマタノオロチだとすると、それは眠っていた古い戦いの神、すなわち現体制にとっては無秩序をもたらすものなどのイメージを仮託してるのではないでしょうか。一方、総理を中心とした秩序を維持し続けようとする政府側、そこからうとまれながらも、大きな役割を果たす矢口は、当然そうした、ありとあらゆる秩序を破壊しようとする悪を許さない中央集権的社会の体制をイメージされているのでしょう。そして日本の力を政府に結集して、無秩序な純粋な力に打ち勝つ。
ただ、ヤマタノオロチ神話のように、実際に打ち勝つことはできず酒で眠らせたとここておわっているところ、本来ヤマタノオロチのしっぽからは草薙剣がでてくるはずなのに、何かまがまがしい生き物が出てきそうになっている描写、おそらくゴジラの次の進化を、におわせていて、勝負はついていないところを見ると、あんのさんの目線はどちらかというと、ゴジラ側の反体制的、封印された本能の塊のような存在に共感をし続けているようにしか思えます。
実際日本においては、かつて天皇による中央集権化画家たちの上ではなされたとはいえ、現代に至るまで強力にそれが機能したことはなく、困ったときは旧来のお互いの話し合いで解決するというやり方がずっと続いています。氏族的共同体のありかたは死せず、この国に眠り続けています。今回の映画でも、体制側の否定されつつ、賛美もされた特徴として徹底した非合理な合議制があります。そしてトップが死んでもすぐに首のすげ替えがなされる。まさに蛇的なありかた。これがゴジラを倒した最大の理由であるとすれば、あんのさんが、最終的に勝たせて賞賛したのも中央集権的な正義ではなく、日本の体制側のなかにもある蛇的、ゴジラ的な部分だったのではないでしょうか。
今回、怪獣は一匹しかでてないようにみえましたが、じつは今作も怪獣同士の戦いであったのです。ゴジラ vs 日本人。
そう考えると、最初いつものエヴァとかのひねくれた作品とちがって、今回は単なる勧善懲悪映画なのかな、つまんねーなとおもってたりしたのですが、やっぱりそうじゃないひねくれ映画だったのだろうな、いつものあんのさんだっとほっとします。
蛇足ですが(蛇だけに)人間も使徒ほひとりで、進化の形が少し違っただけの怪物であるというのはエヴァとまんまおなじな訳ですよ。そう考えるとゴジラは、アダムであり、尻尾から生み出されるのは使徒なのかも。イメージ的には貼り付けにされたリリスの下半身からにんげんがぽこぽこくっていていたのとおなじなのかも。
ゴジラって、いままでSF定番の行き過ぎた現代科学に対する警鐘としてえがかれてきたかとおもうのですが、そして今回も福島原発のイメージはわかりやすいほどかぶせているとは思うのですが(こちらでも言及されてますね http://anond.hatelabo.jp/20160805000418 )、ヤマタノオロチを持ち出してきたことによって、いままでのような科学の力への警鐘ではなく、また311の反省映画でもなくしているのではないかと。単発の事象に対する象徴的な映画なのではないとおもうのです。この国が根本的に抱え、なおかつ封印している体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望の力強さとその恐ろしさへの警鐘、それと同時にその力は今でも脈々と体制側の中にもすでにとりこまれていてそれを有効に使うこともできるよね、というような話をみせたかったんじゃないかなとかおもいます。ゴジラは死なないよどこまでも、ってかんじで。
あーーーー、妄想がとまらない。とりあえずここまで読んでくれた人ありがとう。ヤマタノオロチの解釈に関しては、たぶん世の中的には主流ではない解釈だと思います。一般的には、川の氾濫の象徴とか、そんな感じでしょう。でもまあこういう解釈の方向性は、いろんな人が出していて(この本とか https://www.amazon.co.jp/dp/B00PS2FK8C/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)そこ自分で味付けして解釈してみましたというかんじです。
まあ、最初にも書いたけど、こう言うのを考えるのが楽しいのがあんのさくひんだなとおもいました。
http://anond.hatelabo.jp/20160807101757
読み方は(増田も言っている通り)やや(かなり?)牽強付会くさい点もあるけど、面白い読みだとは思った。
ただ、増田の言うことが正しいとして、何で今の時代に「氏族的共同体と中央集権の争い」を描いたの?ってのが気になった。「体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望」が発現した事件とかって最近あったっけ?ISとか?
前提として、巷で言われるように右翼礼賛、共同体万歳的な側面がこの映画にはある。ただ、共同体主義には2種類あると思っていて (1) 国家型(中央集権的) (2) 地域型(地方分権的) がある。
今回は地域型共同体主義に共感している映画だとおもっていて、結果的に国家型を否定するなぞりがあるんじゃないかと。
地域型共同体主義の人にとっては、リベラルのいうような何か理想とする社会を人工的に作るというのはぴんとこない。もっと自然な感情で、近しい人で社会をつくりあげたいとおもっている。しかし、国家というのは大きすぎてぴんとこない。そしてそこにひも付きやすい全体主義的な思考には拒否反応をしめす。そういう思想です。
これって全く特別なイデオロギーではなく、割と普通のネトウヨとかじゃないけど、左翼むかつくとおもっているネットによく人たちの自然な思想だとおもっていて、おとなしめのリベラルちっくなオタクと親和性がたかい。そしてあんのさんもそういう思想を意識的か無意識的かもっているんだろうなと思うのです。だからこういう対立を描いたと。
無秩序への回帰というのはちょっと「現体制にとって」の無秩序であり、ほおっておいても自然に生まれる家族的情愛による秩序への回帰に共感したいというメッセージかもしれないなと思います。
今話題の全能全知!
全チャンネル1週間全部録りの
欲張りテレビサーバーってあるじゃない。
ほんとすごいわよね。
時代はパーシャル!
録ってあるとついつい観ちゃうわよね。
ところ変わって、
私って本当はラジオが好きなんだけど、
どうしても、
聞きたいラジオ番組があって、
それこそ今はスマートフォンでラジオアプリがあるから聞くのは超便利なんだけど、
録音できないじゃない!!!
どうしても聞きたいラジオ番組だったので、
なんてダサいのかしら。
で、放送が終わったら
ロマンチックね!
そうこうして、
こんな一昔前の
さて、
ってこれ、
曲の冒頭!!!
さまぁ~ずの三村さんの単語だけしか言わない雑なツッコミ好きだわ。
よっぽどうまく作らないと出来ないんだけど、
素敵!
当分ハマりそうよ!
久しぶりにグレープフルーツを輪切りにして
水に浮かべてみました。
ミントも添えたら、
すっかり爽やか夏気分よ。
仕込み時間なしなら
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
自己満足の艦これ、よりゲームに寄せたパズドラ、協力とリアルタイムに寄せたモンスト、
という流れの中で言えば、このゲームはちょうど艦これとパズドラの間らへんにあるだろう。
正直この時点で「ゲーム」として「面白い」枠組みに入る訳がないと思う。
しかしながら実際にプレイしてみると色々と違った景色が見えてくる。
ポケモンGOの神髄はポケモンを捕まえたり、卵を孵化させたり、
ルアーモジュールお祭り状態の街に繰り出すことでは断じてない。
ゲームの延長線として街にくり出すのではなく、
あくまでも「散歩」の延長線上にあるのが「ポケモンGO」なのである。
そう考えると各地に配置されたポケストップのなんと便利なことか!
ゲームをプレイしようと思っている時点から間違えているのだろう。
それはさておき、安全性について一言物申したいことがあるのだが、
ポケモンGOをプレイすると事件や事故に巻き込まれる可能性が上がる!問題だ!
というのは極めてアホな脳みそを持ち合わせてしまった残念な人間の意見だ。
この現代のスーパーコンピュータを使って警察を呼べばいいだけの話だからである。
そもそもポケモンGOがここまでプレイできるレベルでインフラが整ったのだから、
Twitterと同様に第3者にAPIを公開してポケモンGOの中で警察に通報するボタンがあっても良いはずだ。
昨今ではもう
「インターネットにうその書き込みや犯行予告を行うと逮捕される」
という意識の植え付けは完了しているのだからそこまでやっても良いのではないだろうか。
歩きスマホについても、
一年以上の準備期間を費やして増田連合軍は北方異民族追討の兵をあげた。
遠征軍には中心的な増田四家の当主がすべて参加し、統治の安定ぶりを誇示している。
会談では他家に強敵を任せる流れだった増田家(四)も戦後の立場を考えれば一家だけ参戦しない判断はできなかった。
そこまで読んでの決断なら増田家(八)の当主は大した奴だと、ちんぽこ将軍は半ば安心していた。
遠征軍には他の増田家に連なる人間も、北は増田軍(三)ごと降伏した増田家(一)の亡命武将から、
南は降伏以来実家に帰っていない増田家(士)の敗戦処理当主まで参加していた。
彼らの総兵力は二十万に達する。まさに増田島の総力を結集した史上初の増田連合軍と言えた。
二十万人の増田は増田領(一)と増田領(三)の境界をなす増峠、その南に広がる大きな盆地に邀撃の陣を構えた。
増峠を越えてやってきた北方異民族の軍勢が、平原の北を赤黒く染める。
傭兵を導火線に、全球的な寒冷化に押されて、南下してきたなどの同情できる動機は彼らになく、欲得ずくである。
肥育したものを潰して塩漬けにし、金の容器に封入保存する風習で知られていた。
これは缶詰の起源ともされるもので、彼らの文化はともかく、技術は決して侮ることはできない。
増田島の住民が知らない角のやたらと大きく広い動物?を騎乗可能に品種改良したものの騎兵で、威圧感は馬の比ではない
中にはチャリオット形式の敵もいて、赤い服をまとった御者の姿は、何故か増田たちの本能的な殺意を呼び起こした。
両翼に展開した?騎兵を相手取るのは、カラトラヴァ騎士団と増田騎馬軍団だ。
尤も、彼らの数はどんなに集めても合計で五千を超えないので左翼に集められている。
右翼には各家から集中された騎乗士を、前列に配置された武熊が補強する状態だった。
目算では敵の?騎兵は左右共に一万から一万五千。これに数千の軽装歩兵が加わっている。
味方は右翼が騎乗士一万に武熊五十頭、左翼が騎士団三百に騎馬軍団四千五百、その他が五千であった。
バックボーンを構成する歩兵の数では増田連合軍が確実に上回っている。
上回るように動員し、補給体制を整えてきたのだから劣勢だったら大問題であった。
前衛は言い出しっぺの法則で増田家(八)本国衆四万がつとめる。指揮官は増田出羽守。
「このいくさに勝てば、殿が増田家(四)の姫を紹介してくれる……」
独り言をつぶやいているのは、おめでたいからではなく、恐怖をまぎらわすためだ。
十万人に迫る目前の異民族は
「https https」「スマフォ」「ニッキニッキ」「タノシクタノシク」
などと口々に意味不明な言葉を供述しており、受け身の意識でいると狂気に引き込まれる。
「特に「www」や「//」と笑ったり恥ずかしがったりしている輩が憎々しいでござる。
笑ったり恥ずかしがったりできなくしてやるでござる!」
増田出羽守の後方で増田家(五)の先鋒をつとめる増田左混は言った。
増江川の敗北で一時干されていた彼であるが、大軍をひきいた経験はやはり貴重なため、起用されていた。
彼は転がり込んできたカラトラヴァ騎士団と合同訓練を積むことで戦術の視野を広げていた。
中軸を構成する増田軍(五)全体の兵力は比較的戦場に近いこともあり五万を数える。
彼らの領土は一度も本格的な戦闘の舞台になったことがなかった。実に幸せな家であった。
増田左混の右手には増田家(四)を中核とする歴戦の精鋭たちがいた。
「昔は傭兵にしていたくらいで話が通じる連中だったので候が、そやつらがさらに遠方の異民族まで呼び集めたようでござる」
増田家(一)の亡命武将が、当主に説明する。峠の向こうが冬の間に地獄になったことを想像しながら、
長い準備期間を耐えてきた彼はこのいくさで退くなら果てる覚悟を決めていた。
戦意の高すぎることが心配される増田軍(四)は合わせて三万であった。
なお、増田軍(四)には旧増田領(二)などに展開している他の部隊も存在する。
反対側の中央左翼よりには増田家(十)の当主がいた。故郷が遠く、別に海上輸送の負担があるため、彼らの軍役は軽い。
武熊がトラウマになっている旧増田家(九)家臣団も寄騎につけられて総勢三万だった。
最後に増田家(八)当主がひかえる後衛には、四万人が集まっている。
輜重兵が一部混じった雑多な集団であり、味方にはあまり期待されていなかった。
最初に動いたのはもう一つの部外者であるカラトラヴァ騎士団だった。
恐怖を知らない騎士たちは三十倍を超える敵にむかってまっすぐ突っ込んでいく。
敵はおめきながら迎撃の体勢を整えた。先頭をはしる騎士団のグランドマスダーは異国語で部下に叫ぶ。
「カラコール戦法だ!」
彼が槍を掲げると騎士たちは一斉に顔を左手のあらぬ方向にねじ曲げた。そちらに指をさす。
「「あっ!!?」」
言語の壁を通じて通用するしぐさをみて、?騎兵たちは一斉に右手をみた。
「「??」」
何もないことを不審に思って視線を戻した先には視界一杯の白銀の騎士たち。
ごあ、ぐあっしゃゃあああああん!!
耳を聾する轟音をかなでて敵味方が激突する。?の大きな角も馬にまで装甲を施したカラトラヴァ騎士団相手には障害にならず、敵の右翼は切り裂かれた。
彼らがこじ開けた突破口を五千の騎乗士が拡張する。一方、増田騎馬軍団は大きく左に回り込む機動をおこなった。
騎士のいない反対翼の戦いは増田連合軍の有利には展開しなかった。
「com.com.」
?チャリオットが耳障りな音を立てて迫り、旋回しながら武熊に矢の雨霰をふらす。
「ぶおっ、まおっ」
武熊たちは腕で頭をかばい、いやいやをした。さらに射られるとたまらず敗走する武熊が現れる――味方の方向へ。
「こっちくんな!」
「やっぱり武熊は増田の敵」
「敵に回すと恐ろしいが、味方にしても頼りないっ!」
武熊とハサミは使いようなのだが、右翼の騎兵は勝手なことをわめいて混乱をきたした。
そこに?騎兵たちが威勢よく突っ込んでくる。
「「うわあああああっ」」
増田出羽守は由緒正しいスカラベの前立てを部下に向かって反射させ、刀で敵を指し示した。
五万の雑魚ナメクジがうねうねと敵に向かって進む。時折、敵味方の矢が飛び交い、飛翔音が恐怖を煽り立てる。
至近距離に近づいたことで増田兵は黒い毛皮をまとった敵の中に、本物の生きた毛皮が混ざっていることに気付いた。
「敵の武熊だ!」
「いや、セルクマだ!」
そいつの身体は増田島の武熊より一回り大きかった。しかも、暴れた時の危険を無視して敵兵が大武熊の近くにまとわりついていた。
増田たちはさっそく脱糞する。それでも槍にすがってへっぴり腰で向かっていく。
「イチランイチラン!」「モウケモウケ!」
異民族は突然騒ぎだし増田の肝をつぶした。ほとんど気を呑まれた状態で中央での戦いがはじまった。
「右翼の連中は何をやっておる!」
増田ちんぽこ将軍は右翼の崩壊をみて叫んだ。事前に打ち合わせた作戦があっさり台無しになってしまった。
「右を向けぇい!」
烏合の騎兵集団を破砕した敵の?騎兵が奇声をあげて駆け寄ってくる。三万の歩兵は味方の右側面を守るために戦いはじめた。
「やっぱダメだ~~っ」
あれだけ意気込んで進んだのに、撃退されるとは情けない。
負け上手の増田出羽守は無理して流れに逆らうことはせず、部下と一体になって逃げた。
「姫との結婚は無理でござるな……」
敵の中央はいきおいに乗って増田連合軍を追ってきた。増田家(五)が汚れた尻拭いに割ってはいる。
「必ず負ける兵は必ず勝つ兵と同じ。やはり、軍師にとっては使いやすいわい」
増田匿兵衛はうそぶいて銅鑼を鳴らせた。前衛が引き出した敵を左右の歩兵が側撃する――計画だったのだが、右側は?騎兵への対処が必要だったため機能したのは左側の増田家(十)軍団だけだった。
「放てぇ~~っ」
自慢の手銃が火を吹き、防備の薄い斜め右から撃ちまくられた蛮族がバタバタ倒れる。
コミュニケーション不能な連中もさすがに怯んだ。そこに増田家(士)の尖兵が斬り込んでいく。
「……この兵があれば天下も狙えたはずでござるが」
自分のではない脱糞の臭いがして、増田中弐は邪念を追い払った。
戦場の西側では増田軍が圧倒していた。鋼鉄の戦士たちが?騎兵の中央を食いちぎる一方で、増田騎馬軍団が側面や背後に回り込み、騎射で滅多撃ちにする。
増田島の湿潤な気候が蛮族の合成弓にあわなかった影響もあり、一方的な射撃戦になる。
このまま敵の後方を回り込んで、東の騎兵戦も勝利に導けば完勝。
そんな、計画だったのだが、味方の右翼が時間稼ぎに失敗したため計画が根本から狂っている。
喧騒の中、増田騎馬軍団の指揮官たちは、その事実を忍びに聞かされた。
「父上!」
ある増田騎馬が北を弓でさした。増田典厩は頭をつるりと撫でる。
「まったく、とんだぢゃぢゃ馬ぢゃわい……」
増田軍(四)は敵左翼?騎兵の攻勢をしのぎ続けていた――むしろダメージは?騎兵の方が大きかった――が、
機動力にまさる敵の動きを拘束することはできず、敵左翼の一部はついに本陣にまで乱入してきた。
精強な増田軍(四)に近い右寄りに本陣をおいた方が安全という読みが裏目に出た。
「うろたえるな。うろたえるではない!」
と叫ぶ増田家(八)当主が一番うろたえていた。尻は腸そのものを体外に排出してしまった感触だ。
ナマコならそれを囮にして逃げるのだが、最高司令官ともなれば、そういうわけにもいかない。
「ipip!」
馬廻りが角の派手な?騎兵を相手にしている間に、随伴していた軽装歩兵が足下まで迫ってくる。
「ひかえろ、下郎が!!」
当主は悲鳴をあげると、腰の大業物を抜いて、一刀のもとに小鬼を斬り捨てた。
“!?”
「://」
敵は一瞬硬直する。増田家(八)の当主はかつて伝説的な剣士に師事し、
「ぬりゃ!てりゃっ!」
「それ以上、いけませぬ」
太刀が刃こぼれだらけになったところで馬廻りが主を止めた。四万の後衛は?騎兵を軒並み倒しおえていた。
普段は輜重を護衛している彼らが、増田家(八)では最精鋭なのであった。
輜重が奪われない信頼があるからこそ、増田軍(八)は安心して戦えた(負けられた)。
そして、彼らが防衛された食糧を期待して本隊への合流を目指すことで全体が敗北から早期に立ち直るのであった。
だが、やはり実戦経験の乏しさは問題であり、頭領がみずから戦う事態に後衛はそうとう混乱していた。
そんな最悪のタイミングで敵中央から東にこぼれた大量の歩兵軍団が襲いかかってきた。
最初は東西に引かれていた戦線はいつのまにか、南北に引かれる状態になっており、本陣は最右翼の最前線だった。
敵味方が増田左混が戦っているあたりを中心にして、回転扉のように右回転した結果である。
「ここは一旦、お引きを」
増田匿兵衛が進言する。当主は言い返しかけたが考えを改めて軍師にしたがった。
「くそっ」
「お腰の物は味噌ですかな?」
「……たわけ。うんこに決まっておろうが」
「某もでござる」
見ると増田匿兵衛も漏らしていた。
大将が敵前逃亡したことで増田連合軍の士気は低下、思い思いの方向に退却をはじめた。
あくまでも退却をこばんだ増田家(一)の旧臣たちは敵に突入して討ち死にを遂げた。
「むごい……」
と漏らしつつも、増田家(四)の当主も、死兵の抵抗を利用して戦場から離脱した。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160620020153
次回
(自民党と公明党の合流に伴う思想に決まった「自民党」は)正直言って、中国の政党とよく似た思想だなというのが第一の感じでありました。
私はですね、どういうアイデンティティーを持って、日本の政治をどう引っ張っていく政党なのかということに一番関心がありまして、そのための思想だろうと思うんですね。私の見るところ、(両党の同意は)保育園に行ける児童にバラバラになった自民党が、もう一回大同団結をしようという色彩がかなり強い。あのときバラバラにした国民を再度結集するというのは何なのか、それが「活躍」という言葉で表現されているのかどうか、ここが一番問題だと思います。
今までいろんな思想がありましたが、私は、政策の名前の付け方は、どういう拝金で政治をやっていこうとしているのかが、ある程度浮かび上がってくるのが望ましいと思います。(匿名で)
によってブログが炎上したので増田に帰ってきました、ただいま。
よくわからないのがブコメでこれでもかと全存在価値を賭けるように強烈な言葉でけなしてくるヒステリックな人ってなんなんだろう。
ただ知らなかっただけなんだから普通に教えてくれればいいのに。
最近のネットは全知全能の神を求めすぎって増田があったけどホントその通りだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150521175403
議論を勝ち負けで判断しだしたら不特定多数の知識が結集したブックマーカーや読者に勝てるわけがないのに。
さらに間違いを指摘されるのはありがたいんだけどなぜか20行にも満たない文章で全人格を否定するような書き込みをする人もいるんだよね。
昔、女の子と飲みにいって楽しく飲んで飲みすぎて路上で吐いたら翌日からまったく連絡をとれなくなった時と似ている。人のある側面を見て簡単に失望し全人格を否定して遮断する人が一定数いる。
ましてやネットでは顔や所作も声の震えも佇まいもわからないのにある特定の分野のある知識を知らないだけで僕という人間を否定してくる。
一例を出すと僕の兄貴は人を顔で判断する。顔が悪い人間は大成しないというとんでも論を言ったのを聞いたことがある。ネットでこんなことを書いたらたちまち外道だと言われるだろうが僕は兄の良い面もたくさん知っているのでそんなことでは失望したりしない。
人をたたく人間は寛容さなんて錆付いた言葉ではなく人を認識する時に余白を持たせそこにポジティブな面を創造することができない人間なんだろう。
なぜこれからの時代の日本人の代表的なキャラが「ニート」なのか?
ニートの定義は、働いていなくてさらに働く意欲もない若者のことである。
まず世界は今まで、たくさん働いて、たくさん生産して、そしてたくさん消費(浪費)するというサイクルだった。しかしこのサイクルはもう破綻をきたしているのだ
まず環境的な問題だ、発展途上国の人間が全員先進国の人間と同じ生活をしたら地球が何個あってももたないとは、よく言われる例えだ
次に人間の欲求的な問題だ。日本を始めとする先進国の人々はもう物質的な豊かさ満足感は満たされてしまった。もうこれ以上モノを生産されても、その生産されただけは消費しないだろう。
さらに経済的な問題もある。今までは努力をすればほぼ全員が職を得られた。
しかし生産性の向上や経済不況などもあって職に就けない人が若者を中心に大勢出てきた。
こういった状況を打破するのがニートなのだ
彼らは働かない。だからモノを生み出さない。だから地球環境に負荷をかけないのだ
物質的に満たされた現在社会で、人間のさらなる欲求や幸福をみたす状態が、好きな事を好きなだけやる「ニート」な状態ではないか
働けないなら働かなくてもいいではないか。
さらに日本では、資産の大半を高齢者が保有しているという固有の状況がある。ニートが親のすねをかじってくれるおかげで、高齢者から若者へのある種の所得移転を実現しているとも言える。
フランスの漫画家ジョアン・スファール Joann Sfar は、シャルリー・エブドに2004年夏から2005年9月まで"Mon cahier d'éveil"(僕の情操教育ノート)という作品を連載していた。
その後、今年1月のシャルリー・エブド襲撃事件を受けて、ハフィントン・ポスト フランス版ブログに"Si Dieu existe" というイラストエッセイを発表。以下はその連載第2回、"Un concert pour Cabu"の日本語訳である。
イラスト部分は実際にハフィントン・ポスト フランス版でご覧いただきたい。
http://www.huffingtonpost.fr/joann-sfar/dessins-sfar-cabu-hommage_b_6658718.html
なお、ページ番号は連載第1回からの通し番号となっている。
これはお葬式じゃない。
13
カブっていう大した奴
いま君は泣いていないけど、それは君が砂漠みたいに乾いちまったからなんだ!」
14
それは本物のイスラム教じゃない。
みんなが正しい、そしてみんなが間違っている。
というのもイスラム教徒は信者をとりまとめる最高機関を持ってないからだ。イスラム教に教皇はいないんだ!
それゆえに独裁者達や過激派は、論破されることもなく、イスラム教を不当にも自分のものにすることができてしまう。
フランスでは、人道的なイスラム教徒を代表する人たちがテロリズムに対して抗議したけれど、その抗議の正当性は、世界的に認められたどれかのイスラム教の機関から来ているわけではなかった。
このところ僕は、「"イスラム教を改革する"必要があるんじゃないか」とみんなが口にするのを聞いている。
数え切れない程のイスラム教徒はいるけれど、彼らが信奉する戒律について、正当性があるのか無いのかを一刀両断で決めてしまえる「誰か」は存在しない。
15
「"バチカンII”ってアラビア語でどう言えばいいんだろう?」
目下のところ、僕は神経過敏になっている。
「もうしたよ」
16
僕たちがその姿を絵に描く権利があるにせよないにせよ、ムハンマドは剣を持ったただ一人の預言者だ。これは圧倒的大多数のムスリムの、寛大で平和な日々からとても隔たりがある。
逸脱した暴力は、この独特なイメージ、武器を持った神の使者のイメージの下に結集しようとしている。
そうだね、改革が必要だ。でも改革をもたらすのは誰だろう?フランスにはそのための充分な手立てがない。イスラム教を和らげるためにムスリムが声を上げるなら、その運動はペルシャ湾岸から起こらなければならないだろうし、そうすれば豊かなオイルマネーを活用できるに違いない。
もちろん、敵は原理主義者だ。そして今日、僕たちの言うことを聞いてもらうには、とてつもないイマジネーションと力強い声が必要だ。
僕はムスリムに心から敬意を表する。今日の暴力の第一の犠牲者はムスリムだ。そして、「コーランが推奨する聖戦は、何よりもまず心の中の悪魔と戦うことだと考えなければならない」と発言する勇気をムスリムは持っている。
それでも自己批判しろという声がムスリムには突きつけられている。
18
僕は、夜明けの光に照らされた雨の中のカブ夫婦の姿を思い出す。シャルリー・エブドの訴訟中のことだった。最後にカブへ挨拶したのは僕の映画の撮影の直前だった。僕たちはオデオンのそばのイタリアンレストランに居合わせたのだった。
僕が最後にヴォランスキと食事をしたのは半年前、サン・ジェルマンだった。
3週間前、僕はおばと会いにリュニベルシテ通りへ行ったのだけど、その時、サン・ペール通りの角で、20メートル離れたところにヴォランスキを見た。彼は僕を見ていなかった。僕は急いでいたので、彼を抱擁しには行かなかった。
19
カブを見る時はいつも連想的に、トレネの歌を聞かなければいけないぞ、と思ったものだ。僕はトレネのシャンソン全集を持っている。フレモー版だ。
「君はこんな時にも自分について話そうとしてるのか」って?
そうさ。ストレスを感じたワンコが自分のキンタマをなめて安心しようとするように、僕は自分のスタイルにしがみついて、昔の手帳に書いた話を自分に繰り返してみなければならない。そこに一つの意味を見つけるために。立っているために。僕はシャルリーをやめた。ハリケーン・カトリーナの日だ。ロマンチックで自己防衛的な理由だった。洪水に沈んだニューオーリンズ、それはもう僕にはひどすぎる出来事だった。
そして僕は私小説的なものやフィクションへ避難しようとして、時事ネタときっぱり別れようとしたが、やり損ねた。
ニューオーリンズの音楽が死んだカブのために演奏されている。それは僕の記憶を呼び起こす。僕は洪水の泥に埋まったファッツ・ドミノのピアノのことを考えている。
21
「シャンソンが好きなのかカブに聞いた。カブは答えた。トレネが好きなのだと。」
カブの友人達はブラッサンスの仲間達に似ている。ヒゲを生やし、肘に革をあてたコーデュロイを着ている。もちろん、彼らは涙で目を赤くしている。彼らは反レイシストの、反狩猟の、反闘牛の、古株の活動家だ。気のいい男子たちで、勇敢な女子たちだ。移民の為に、書類の無い入国者のために、そして誰もがこの国が立派だと感じられるように、彼らはずっと暴れ回っている。
今日、僕は、このとても優しくとても過激な人たちが、警察の活動のおかげで安心させられてしまっているのを見る。
22
マダム・カブは僕に語る。カブはなんでも引き受けて、絵でもポスターでも描いたし本も書いた。ある日彼が罪悪感を感じたのは、フライドポテトの移動販売のトラックの店先に絵を描く時間が無いことだったそうだ。
フレッド・マヌーキアンと楽団は続けてキャブ・キャロウェイの「ミニー・ザ・ムーチャー」を演奏する。
僕に起きる可能性のあること、僕を守ってくれるかもしれないことの中で一番美しいもの――
聴衆に挨拶するや、カブの兄弟がファンファーレを鳴らし、僕はマヌーキアンの楽団とファンファーレにサンドイッチみたいに挟まれているのに気付く。僕が描いているのは、オフィクレイドの音色が僕の真っ正面で鳴った時のエモーションだ。すまない、僕はずっと泣いている。オーケストラのおかげで泣き顔は隠れたから、僕は運が良かった。
P13. カブ Cabu(1938ー2015)、P18. ヴォランスキ Wolinski(1934-2015) いずれもシャルリー・エブド襲撃で殺害された漫画家。
シャルリー・エブドの漫画家達については鵜野孝紀氏のコラムが詳しい。http://books.shopro.co.jp/bdfile/2015/01/bd-19.html
P12.フレッド・マヌーキアン Frédéric Manoukian Big Band のリーダー。
P13.カブの兄弟 Michel Cabut氏。 https://youtu.be/ZX7rZCpl0x4?t=2m23s
P18.「僕の映画の撮影」 スファールの2本目の実写監督作"La Dame dans l'auto avec des lunettes et un fusil"と思われる。2015年夏公開。
P20.「手帳」 スファールはcarnet(手帳)というイラストエッセイのシリーズを刊行している。"Si Dieu existe"は11冊目の"carnet"となった。
P21. ジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassens(1921-1981) フランスの歌手。https://youtu.be/84SMQ4Gyz5o
なお、このコンサートはテレビとラジオで放送され、ラジオ音源をFrance Interのサイトで聞くことができる。
http://www.franceinter.fr/emission-un-cabu-extraordinaire-soiree-speciale
この時期、どこかに潜伏していた蚊が現れて、
やっと安心と思っていたのに、
突然訪れる恐怖。
やってくる羽音。
蚊の1匹くらいなんとかなるわよ!
朝の支度のさなか、
うっとうしい形相で蚊を睨みながら
起動完了!
持ちこたえられるかが心配だけど。
なんとか持ちこたえて欲しいわ!
頼むわ!
ヤツをやったの!?
徐々に近未来感あふれる流線型のナウい銀色のテーブルとかが置いていないルームがフォースフィールドに満ちていく!はずだった
弾切れだわ!
こしゃくな!
つづく(つづきません)
やっぱり液体型のノーマットのがいいわね。
ジャンキーだけどたまにはこういうパンチも欲しいわ。
昨日のニラどうしようかと思ったけど
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
先日、『選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと』という文章を書いた。
予想外の反響を得て、驚くとともに、うれしくも思う。
そもそも記事を書くきっかけとなったサイバーメガネさんも、さっそく内容をフォローするように
『無党派層はコスパが悪くて当てにならない』というエントリを書いてくださった。
なぜ、反響があったかといえば、おそらく、あの頃の自分と同じように選挙の現場を見たことがなく、
「なぜ、反感を買うだけなのに、選挙カーは騒音をまき散らしているのだろう」と疑問に思っていた人が多かったのだろう。
中には、「ああいうばあさんは、もうすぐいなくなるだろう」という趣旨のコメントもあったが、僕はそうは思わない。
そもそも、あれはまだ橋本龍太郎が総理大臣をやっていた頃の話だ。
つまり、かれこれ20年近く前の話なのだが、その後も状況にさほど大きな変化はなかったことは、いくつかのブコメを見るだけでも分かる。
次の20年で変わるかといえば、そうでもないだろう。なぜそう思うかを、書いていこうと思う。
あの頃、「無党派層」という言葉はすでにメディアに登場していた。
(wikiによれば、大阪府知事に横山ノック、東京都知事に青島幸男が当選するという「珍事」が起きた時に注目され、流行語大賞をとったそうである。
その前に「日本新党ブーム」を経て、細川内閣が誕生したころには、まだメディアではメジャーな言葉ではなかったのか)。
無党派層に心情が近かった当時の僕も、「ああいうばあさんみたいなタイプの人は、いずれいなくなるのだろう」と思っていた。
だが、少なくとも20年程度では、いなくならなかった。
思い起こしてみれば、あの当時から、「応援しているのに、なぜウチのほうに選挙カーがこないのか」と苦情をいうのは、必ずしも年寄とは限らなかったのだ。
その渦中に身を投じてみれば分かるが、選挙というのは一種の「お祭り」である。
であれば、選挙カーという「神輿」は、自分の家の近所に来てくれたほうが楽しかろう。
お祭りというのは、参加する者にとっては楽しかろうが、部外者にとっては迷惑で騒々しいだけだ。ハロウィンを見ればわかる。
最近、高知県では、新住民からの「よさこい祭りの練習の騒音がうるさい」という苦情が増えて、祭りの伝統を守りたい人々は対応に苦慮しているらしい。
祭に参加して騒ぎたい人々と、外側にいて「うるさい」と感じる人とは、どうしても対立する。
それは、祭りのルーツがどうとか、そんなこととは、おそらく関係がない。
僕はあの頃、お祭りに参加して盛り上がるのは年寄りのやることだと思っていた。
だが、実際にはそうでもなかった。
古臭い祭りにはそっぽを向いても、なにか面白そうな新しいお祭りあれば、こぞって参加するという人たちが、世の中には相当程度いるのだ。
既成政党による「ドブ板選挙祭り」にはそっぽを向いている若者が、国会議事堂前でSEALDs祭に参加したって、なんの不思議もない。
お祭りといえば、あの選挙事務所でバイトをしていたとき、幹部がにわかに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあった。
総裁とは誰のことなのか、僕はにわかに判じかねたが、それは当時、自民党総裁にして総理大臣でもあった橋本龍太郎のことであった。
事務所の関係者は「総理」でも「首相」でも、ましてや「ハシリュウ」でもなく、「総裁」と呼んでいた。
総裁が応援しに来てくれるということは、つまり、その候補者や選挙区を党本部が重視している証拠なのだが、、
橋本龍太郎という人は日本の歴代総理には珍しく、その端正なルックスで女性人気がきわめて高かった。
慶応大学在学中に第一期東宝ニューフェイスに誘われたこともあるというから、「政治家にしてはイケてる」というレベルではない。
当然、「集客力」も高く、事務所としては、願ってもない応援弁士なのである。
今でいえば、小泉進次郎の人気が、近いものがあるのかもしれない。
当日は、それはもう「お祭り騒ぎ」だった。バイトも支持者も大勢駆り出された。
事務所の幹部は警察官やSPと打ち合わせに余念がなく、事務所の司令塔たる候補者の長女は、誇らしげな顔をしていた。
実際、当時の橋本龍太郎は、「本日、○時に、橋本龍太郎総裁が、応援演説に来られます!!」と呼びかければ、
「エッ、うそ!? マジ? こんなトコにハシモトソーリがくるの? じゃ、ちょっと見ていこうかな」
などと騒ぐほどの人気があった。
「もし、総裁が演説している最中に暴漢が襲いかかって、それをウチの先生が体を張って守って、ケガして運ばれたりしたら、明日の新聞の一面になりますかね?」
「ああ。そうなったら先生は、もう当選確実だな。お前、いっちょやってみるか?」
僕らは、大分親しくなった事務所の下っ端幹部と、そんな軽口をたたいたりした。
定刻になると、ちょうどライブの最前列でファンを押さえるスタッフのように、バイトや運動員が群衆を抑えている前に、黒塗りの車列が到着した。
SPに囲まれながら降り立った橋本龍太郎は、思った以上に背が低かったが、確かに二枚目だった。
「世の中には、選挙になると、消費税率は下げて福祉の水準は上げるなどと、夢のようなことを訴える政党もありますが、
私には、そんな魔法使いのようなお約束をすることはできません」
などと語りかけるイヤミな調子には、好き好きがあっただろうけれど。
当日、街頭には大勢の支持者が動員されていたけれど、それを上回る人々が足を止めた。
それがきっかけで自民党候補者に投票したひともいるのではないだろうか?
だが、なにより、事務所に集う人々は、「総裁が来てくれた」「予想以上に人が集まった」という事実に興奮し、
例のばあさんは、街頭には来ていなかっただろうが、
「自分の支持する先生のために、橋本さんが応援に来てくれた」という事実に喜びを感じ、
ますます「近所の人に、投票してくれるように頼む」という彼女なりの方法で、お祭りを楽しんだことだろう。
「お祭りだなんて、とんでもない。選挙というのは、冷静に過去の実績や提示された政策を比較検討して、適切な候補者に投票すべきだ」
という人もいるだろう。それは、おそらく正論だ。
だが、そういう正論を唱える人たちが、政策とやらにどの程度つうじているのか。
数多ある課題の、すべての軽重を判断して、どれが適切な政策が判断することが、果たして可能なのか。
それに、どんなに「政策」が素晴らしかったとて、口先だけでは何とでもいえる。
政策はもちろんのこと、きちんと有権者に呼びかけ、汗を流している人を選ぶべきではないのか、という話にもなる。
そもそも政策など判断しかねるという大多数の人は、「難しいことは分からないけれど、あの人ならば大丈夫」という人に、判断を託すことになろう。
そして、「あの人=政策を作成、判断し、実行する人」というのは、つまり「権力者」だ。
かつての世の中では、文字通り血で血を洗う抗争をくぐり抜け、数多の屍の上に生き残った者が権力を握ったのだろうが、
そんなことで無闇に人の命が奪われるのはよろしくないということで、選挙というお祭りで権力者を選ぶようになったというのが、つまり民主政治なのだと思う。
「あの、お偉い先生も、私の一票があるから、大きな顔をしていられる」「私の一票のために、頭を下げてくれる」
そのことに喜びを感じられる人が、選挙というお祭りに参加する。
選挙カーを待ちわびる老人(のような人)とは、そういう人たちではないかと思うのだ。
そして、「お祭り」を利用して権力を上りつめようとする人間は、冷めた傍観者たちに参加を促すよりも、
「お祭り気質」な人たちを盛り上げることに注力した方が、効率が良いことを知っている。
時に、「権力者」という個人ではなくて、「戦争法案をつぶす」とか、そういう思想だが理念だか、そんなようなものを「ご神体」にしてお祭りが催されることもあろう。
多分、それがSEALDsだ。
彼らは初期の目的を達することはできなかったが、多分、世の中を意図的に動かそうと思えば、お祭りのような手段を使ってエネルギーを結集することが必要なのだと思う。
そんなこととは関係なしに、僕らから全く見えないどこかで、いつのまにか物事が決まっていく世の中は、多分、今の世より住みにくかろう。
僕はそんな世の中に住みたくないし、世の多くの人が、そう望んでいると思う。
だから僕は、「選挙カーを待ちわびる老人(のような人)」は、そう簡単に消えないと思うのだ。
消えるべきではない、といえるかもしれない。
選挙のやり方は変わっていけば、騒音をまき散らす選挙カーのような方法は使われなくもなるだろう。
選挙ではないけれど、今もネットでは、「炎上」という名のお祭り騒ぎが日夜開催され、それに参加する人もいれば、眉を顰める人もいる。
僕の粗末な頭では具体的に想像できないけれど、仮にネット選挙が今より進化したとしても、
選挙カーの連呼とは違う種類の「騒音」に悩まされ、うっとうしくなる日がくるのだろう。
ところで、僕はハロウィンに仮装して参加したことがない。今後もたぶん、参加することはないだろう。
だが、心の片隅に、あの、屈託なく仮装して楽しんでいる人たちを羨ましく思う気持ちがないかと聞かれると、全くないとは言い切れない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
いまんところのアニメ感想。3話までは余裕で変動するのであんまり気にすんな。
★★★★★
おそ松さん(1話限定ならこれ最強だろ。神谷さんが出てるのが不安でしか無くて不安の通り酷かったがゲロはいたところで全て許した。メタメタメタメタメタメタ放題もここまでいけば笑える。「すいません今ヒエログリフを解読中なので」は時々使いたい。でもこれ2話以降どうすんの)
★★★★
蒼穹のファフナーEXODUS (いきなり死亡フラグを乱立しすぎだろいいかげんにしろ。総司どうなるんだ)
今からでもこれだけ押さえとけば問題なく見れるゾ。むしろ俺見てたけど微妙に把握できてなかったところあるからすごい。
3分で解る?蒼穹のファフナーEXODUSまでの歩み ‐ ニコニコ動画:GINZA
3分で振り返る!蒼穹のファフナーEXODUS前半 ‐ ニコニコ動画:GINZA
機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ(全く期待してなかったけどめっちゃええやん。「あ」でくっそワロタ。ちょっと詰め込み過ぎな感じするけど従来のガンダム1話フォーマットを標準点以上でクリアでしょ)
★★★
うたわれるもの偽りの仮面 (正直がっかりしてるが期待しすぎたかもしれない。冷静に考えると普通に面白い)
★★
ワンパンマン(OP格好いい。ただ原作通りな感じで大きな驚きはなさそう。B級トップの姉さん出てくるまでは飛ばしてもいいぞ)
ustam まあ何を基準に見ても自由だけど、なんでヌルヲタってストーリーと設定(あと声優キャスト)しか見ねえなかなあ。ワンパンマンの演出は尋常じゃないぜ。天才が生まれる瞬間に立ち会ってると言っても過言ではない。
だってさ。この手の自称ガチオタのいうことってどこまで信用していいのかわかんないけど実際映像はすごいですよ。
コンクリート・レボルティオ(おっさんホイホイすぎる。1話に詰め込み過ぎだしウルトラマンを萌え化したみたいなノリもちょっと抵抗有るし構成もぐちゃぐちゃだしで文句しかないのに絶対続きみちゃうやつだ悔しすぎる)
終物語 (一度に二話やるのやめてくれ。一話みるのですらだるいのに)
学戦都市アスタリスク (テンプレはテンプレだが落第騎士よりは面白い)
ヤングブラックジャック(手塚作品らしさがみじんも感じられないのは逆に清々しい。単体で見たらそこそこ)
コメット・ルシファー(世界観評価だけど今のところジブリの腐ったようなようにしか見えない。ちゃんと頑張って)
★
ヘビーオブジェクト(1話あまりにもラノベのダメなところ結集した感じでひどすぎたけどかまちーは設定厨すぎて序盤くっそつまらないのは恒例なのでさすがにこれで終わりではないと思いたい)
進撃の巨人中学校 (話は超つまらないが映像は意外と頑張ってるニコニコでやるなら2倍速で見る)
ルパン三世 (面白くないわけではないのでまったり見ようとは思う)
ランス・アンド・マスクス(1話はひどすぎて耐久勝負だったがわざわざアニメ化したんだからこれで終わりじゃ無いだろなにげに期待してる)
ノラガミ (俺は全然面白くないけどヨザクラカルテットやら青のエクソシストみたいに人気でたりするのかな?)
いとしのムーコ (何がやりたいんだよ。犬好きだったら楽しいのか?)
K Return of the kings (抜刀!抜刀!抜刀!乳!乳!乳!スタイリッシュ!スタイリッシュ! なんだこのアニメ意味わからん中身スッカスカだけどいちいち格好つけて笑わせに来るのやめろよテニミュかよテニミュしらんけど) → すんません。これも1期があるアニメだったらしい。
スタミュ (頭おかしすぎる。腹抱えて笑った。アイカツ的スメル。うたプリは無理だったけどこれは見れそうだ)
ゆるゆりさんはい (日常アニメで唯一全くついていけないやつ。未だにどう見ていいのかわからん)
ここたま (ごめんジュエルペットプリキュアアイカツプリパラ系はカルマが高すぎて私には無理)
DIABOLIK LOVERS (1期見ていないので)
JKめし (てさぐれ系?トマト味噌汁は普通にあり。当然だけど声優さんも作ってtwitterにアップしてくれるんだよね?)
ハッカドール (つかみうまい。眼鏡っこいじめたい。7分半だしこれは見続けたい)
小森さんは断れない! (4分アニメ。胸でかすぎて気持ち悪い)
組み体操の是非が騒がれているので、自分の体験から述べてみる。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20150528-00046097/
小学校6年生の運動会、演技種目は空手の演武だった。女子は当時流行っていたSPEEDのダンス。
組み体操の伝統もなかったので平和だったが、去年までは全員でのヨサコイなどの踊りだったので、とても珍しいなと思っていた。
その時、男子空手のお手本役になっていたのが、問題児のKくんだった。
どちらかと言うとガキ大将的なやんちゃな子で、すぐに暴力を振るう感じだった。
自分も5年生頃に1度ザリガニ釣りに一緒行ったことを覚えているが、
その後、何度かケンカして遊ばなくなったように覚えている。
ただ、そんな乱暴なことが禍してなのか、あまり友達が多くなかったようだ。
一度、机にくさったパンが詰まっていたのを見つけたことがあるが
自分で突っ込んだものなのか、だれかに入れられたものかは定かではない。
練習期間は演舞を教えることでリーダーシップも発揮していたし、
なにより、空手ができる彼はカッコ良く見えた。
私が知っているのはこれだけで、それまで彼がいじめられていたのか、
クラスで孤立していたのか、はたまた、その後の人生がどうなったのか、全く知らない。
卒業アルバムに、かっこ良く写って卒業していることは間違いない。
今になって思い出すと、このエントリのようhttp://anond.hatelabo.jp/20150920224758]に、
きっとうまく行ったのだろうと思う。
これをやればうまくいく。ではなくて、誰かを受けれてもらうために
シンデレラマスター恒例の鬱展開来たのだけれどかなり心にダメージを負ってしまった。
このダメージを考えると、今から思うとアニマスの時は正直いって、あんまりダメージ受けなかったことに気づく。
千早とかはるかっかの展開だってそうとうきつかったはずなのに今回のUDKさんの方が圧倒的にダメージでかい。何故だろう。
やっぱりこれは、デレマスの女の子たちが自分にとってまだアイドルという壁を存在じゃないからなんだろうな。
765プロのメンバーは、異論はあるだろうが私にとってはもうすでにアイドルというかプロだった。
傷つこうがパパラッチにあおうが、ケガをしようが、他のいろんなことで悩もうが、それは彼女たちの問題であるというせんびきが自分の中にあった。
大変だなとか頑張れ、と思うことはあっても他人事であった。壁の向こう側の出来事だった。
だけど、デレマスの女の子たちって、アイドルであるよりまえに、まだそういった壁を超えきってないただの女の子なんだよね自分にとっては。
ミカねえとか、あと○クロスさんあたりはギリギリアイドルかな、と思うのだけれどそれ以外の子はアイドルになりたい女の子であって、アイドルではない。
自分たち側の人間だという距離感の違いがある。だから、彼女らが不甲斐ないと自分事のように苛々するし、喜んでるとこっちもうれしくなる。
おかげで、UDKさんの鬱展開は心にダイレクトアタックすることになってしまったのだと思う。
そもそも、これ鬱展開というよりUDKさんほんとに典型的な鬱じゃないですかやだー。
UDKさん、プロデューサーがどうこう言う前に、プリントアウトしてカウンセリング受けてください。 はやくしろ―間に合わなくなっても知らんぞ―!
あなたの仰るとおりだと思う。でも違うんだ。私はそこがわかってないわけじゃないんだ。
あなたがい言ってることはわかってるんだ。どうせアイマスだからそういう展開に成るのはわかってるし、その展開がやりたいんだなってことは21話の本田未央見てたらもうわかってるんだ。既定路線は見えてる。だからアイマスの時のハルカさんとかは、はいはいどうせみんなの支えで立ち直るんでしょ、って感じで見てたんだ。
でも、今回はそういう展開が頭でわかってても辛かったんだ。
むしろ、その展開がわかってるからこそその過渡期である22話見てるのがめちゃくちゃ苦しかったんだ。
本田未央がそういう展開を先取りして、UDKさんもそうならないと駄目だってわかってるのについていけない、っていう感覚が生生しく描かれすぎなんだよ今回。
そして、頭でガードするだけでは耐えられなかった理由として、自分がデレマスの女の子たちと思った以上に距離感が近かったんだということにいまさら気づいたということがいいたかったんだ。
右翼でも左翼でも、ネット右翼でもネット左翼でもないけども。最近の国会前のデモやら座り込みやら拡声器でラップらや一体なぜ行おうと思ったんだろうか。
Twitter、Facebookで「デモに参加しましょう」「シールズ応援しています」と書き込む人間は『なぜ法律を変えてはいけないのか(第9条だっけ?安保だっけ?)』を的確に論理的に説明はしてくれない。お前が勉強しなさいな、と言われればそこまでだけど活動を広めたいなら説明してくれてもいいんじゃないかな。
『戦争は悲惨な事だからです』→はい、わかってます。一言も戦争するぞ、なんて言ったか。戦争が起きる可能性があるだって!いまもそうだ。
『子供が戦地に行って人を殺すかも』→そうなの、一般人も徴兵されるの?本当に?
『JKS47』→集まった坊さんは本当にそれがいい事だと思っているのか
『戦争が始まってしまう』→戦争はなぜ起きるのか、過去の出来事を考えてみよう。
『シールズ』→みんな、洒落とるね。よっ!Strikinglyで作ったサイトかっこいいぞ!
『リベラル勢力の結集にむけて』→リベラルの使い方違くありませんか
『安倍辞めろ!』→基本的に人を呼び捨てにする人が嫌いです。乱暴な言葉使いをする人は信用できません。
主張は分かるのだけれども、感情的で大きな声を出してプラカード掲げるだけ。雰囲気に流されていないか?
それが国民の意思の様に捉えてはいけない。あくまで君たちだけだ。
でかい声でみんな怖い。先の未来より、今現在の君たちの方が怖い。じんわり泣けてくる
もちろん侵略戦争は反対だが、攻め込まれた時が本当に怖い。そこが重要なだけで、あとは勝手に改正してくれって感じだ。
それより、オリンピック反対運動にしませんか。無理やりやることはない。元気な日本を世界にアピールする必要は本当にあるのか。まだまだ早いって。
先に日本の中できちんと整理して落ち着いていきましょう。どれもこれも中途半端なままで次に進んではいけない。
・追記:トラックバックについて
http://anond.hatelabo.jp/20150829002158
シールズも同じような事言っていたのか。ほーほー。検索しても直ぐに出てこなかったが、動画とかFacebookで言っているのでしょうか?
地域の限定も対象限定したら自分の手の内見せているようなもんだけど、あえて曖昧にしている部分があるという事はわかりました。
自衛と戦争の線引きがこれまた曖昧なので解釈次第で(解釈って便利だ)どちらにでも転んでしまう。
ただシステムチックにしすぎると、肝心な時に適用できないという事が生きる場合を危惧しているのでしょうね。
制限?しなくてもいいんじゃないでしょうか。手の内見せる事で何かを有利に進む要因になるとは思えない。
http://anond.hatelabo.jp/20150829002158
『憲法は守りましょう』がないのはわざと?
→これ結局どっちなんだ? 合憲なのか違憲なのか、捉え方一つで変わってきますよね。ニュースによって偏っているのでどこも信用できない。
http://anond.hatelabo.jp/20150805211536
2014年 11月05日 20時28分提供元:J-CASTニュース
関東を中心に、携帯電話ショップ「もしもしモンキー」を運営する「株式会社もしもん」が、社名を「8文字」から「137文字」に変更して、話題を集めている。
変更の理由は、「経営理念を浸透させ、お客様にも同一のメッセージを届ける」ため。ネットでは、「長すぎw」「手書きの領収書はどうするんだ」など、話題沸騰だ。
「経営理念を社名にしちゃえばいいじゃん!」
旧「もしもん株式会社」の代表取締役CEO、栗原志功氏が、自らのフェイスブックにアップしたところによると、変更後の社名は、
「株式会社あなたの幸せが私の幸せ世の為人の為人類幸福繋がり創造即ち我らの使命なり今まさに変革の時ここに熱き魂と愛と情鉄の勇気と利他の精神を持つ者が
結集せり日々感謝喜び笑顔繋がりを確かな一歩とし地球の永続を約束する公益の志溢れる我らの足跡に歴史の花が咲くいざゆかん浪漫輝く航海へ」。
程度の差はあれ一応全員に見せ場がありA-RISEや妹コンビも活躍 ⇔ ひびたかと亜美真美が何したかマジで思い出せない
特に不快なキャラはいない ⇔ 無断欠勤音信不通というクズ行動の上にその理由も結局は当人のせい
続けるのか?辞めるのか?とハラハラ ⇔ 中盤の時点で後の展開が読める
多くのスクールアイドルの力を結集というハッタリの利いた解決策 ⇔ 可奈と話しに行くだけの工夫も爽快感もない解決策
話が大きくなっても小遣い気にしたり腰ミノつけたりと笑いを忘れない穂乃果ちゃん ⇔ なんか苦悩する聖人みたいになって教科書的なことしか言わない春香さん
μ's完全終了 切ないけどこれで良かったんや… ⇔ さも深刻そうにPの海外行きを描いておいてED後にもう戻ってくるという茶番 作中時間は経ってるんだろうけど見てる方はさあ…