増田典厩の尽力により、その当主会談が旧増田領(六)で開催される運びとなった。
二人はそれぞれ供をひとりだけ連れて、竹林にしつらえられた厠の中へ入る。
帯を解くと、コの字型に並べられた便器にむきあう形で腰掛けた。
「見事な海綿じゃのう」
増田家(四)が用意した厠には天窓から竹林を通した光が入り、ほのかに緑色づいて見えた。風も緑に香る。
尻の下から聞こえるせせらぎは大きすぎず小さすぎず、意識をリラックスさせてくれる。
自然石のモザイクでヘクソカズラやイヌノフグリなど、野草の絵が壁に描かれ、密室でありながら開放感を演出していた。
遙か西から伝わった公共トイレの文化が増田島で洗練を極めた結果うまれた「便道」、その粋を凝らした厠と言えた。
便道は権力者にとって便利であり、内密の話をするため多用された。
帯をほどいて便器にまたがるという無防備な状態を晒し合うことで親密さを高めることもできる。
出シニケーションである。
実際、漏らしても粗相にならずに済む増田家(八)当主は落ち着いた様子だった。
まずは互いの大勝利を称え合う。繊維製品の交易を通して二人の間には面識があった。
思えば最初から国境が接していた二家が生き残ったのも不思議なめぐり合わせである。
増田家(四)当主が連れ込んだ小姓の増田四五郎は固唾を呑んで交渉を見守っていた。
どちらも淡々とした様子で、天下の未来を決める事柄に触れていく。
「増田中弐殿はお忙しいようだ」と一方が言えば、
他方は「いきなり領国が三倍にも増えて大変でしょう」と皮肉った。
「三倍……?」
増田四五郎は首を傾げた。国数でも石高でも彼らの領地は三倍よりも四倍の増加と言う方がふさわしいはずだ。
しかし、増田家(四)の当主は小姓にしかわからないレベルで表情を強ばらせていた。
「前から提示した条件を受け入れていただけないのなら、代わりに増田領(一)の平定は我らが引き受けましょう」
増田匿兵衛は膝をつめて核心に触れた。
「……ッ」
内外に秘密にしていたことであるが、増田家(四)は未だに増田島最北部を平定できていなかった。
増田家(一)の遺臣が抵抗しているわけではない。
実はかつて傭兵に呼ばれた北方異民族が混乱につけ込んで大量に流入し、容易には討滅できない状況になっているのだ。
激戦と領土の急速な拡大で疲弊した増田家(四)に、この敵の早期撃破は手に余った。
だが、増田家(八)はおおよその真実を突き止めていた。なんのことはない。
残念ながら世界的な視野をもつことで、増田家(四)は遅れをとっていた。
「では……お願いする」
「えっ!?」
ぶりぶりという謎の音と一緒に、素っ頓狂な声を増田家(八)当主があげた。
内情を知っているとの脅しを素直に受け入れられるとは思いもしなかった。
いやな予感がした増田匿兵衛は尋ねた。
「十万じゃ」
増田匿兵衛も漏らした。
とりあえず持ち帰ると思ったのだが、増田家(八)当主はその場で自分たちの言葉に責任をもつことに決した。
本当にこれで良かったのか、増田家(四)の当主が悩む番になった。
彼はつぶやいた。
「それにしても、本当に致すとはな……」
「便道」は排泄の形をとるものであって、実際に排泄をすることはイレギュラーに近い。
だが、敵の首脳は手慣れた美しい所作で海綿や和紙を使って行った。
「まさしく「大物」にございますね」
増田四五郎は緊張でカラカラになった口をやっと開いた。当主はちょっと笑うといきんだ。
「ふんっ!」
彼の下から聞こえるせせらぎが変化した。最強の武将はうんこでもって自らが流されないと示唆したのである。
「お美事にございます」
だが、
「……切れた」
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