はてなキーワード: 結集とは
日本経済新聞社の2017年11月2回目の世論調査発表について、忖度があったのかなぁと考えていることがある。
今回の世論調査結果について、日経のWebで記事になっているのは下記の3つ。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23917330W7A121C1PE8000
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23916990W7A121C1MM8000
対中「譲歩なら改善急がず」53% 対北朝鮮「制裁強化を」5割
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23917260W7A121C1PE8000
このうち、支持率に関する記述は一番上の記事で、立憲民主党にフォーカスした内容となっている。この記事中に内閣支持率の記載はない。さらに、森友・家計問題についてもどの記事中にも記載がない。
そこでどこに内閣支持率の記載があるのかと探してみると、以下のページがあった。このページは「支持率を追う」という日経のアーカイブWebへの誘導ページ(でいいのかな?)で、11月3日の記事を27日に更新した形になっている。
内容は以下の通りで、支持率の増減については触れていない。不支持率の記載もない。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23087370T01C17A1000000
安倍内閣の支持率が52%となった。加計学園の獣医学部新設の手続きをめぐる政府説明は「納得できない」が71%で、「納得できる」は19%。旧民進党勢力の再結集は「ひとつにまとまる必要はない」が61%だった。
記述はこれだけ。
ここからアーカイブ記事へ飛ぶと、最初の全面ポップアップ(って言うの?)にようやく記述が存在した。
支持率を追う
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/cabinet-approval-rating/
安倍内閣の支持率が52%となった。第4次内閣発足を受けた11月初めの調査から2ポイント低下したものの5割を維持した。不支持率は39%と横ばい。学校法人「加計学園」の獣医学部新設の手続きをめぐる政府説明について「納得できない」は71%を占め、「納得できる」の19%を大幅に上回った。政党支持率では自民党39%、立憲民主党14%。支持政党なしは30%。 衆院選を経て分裂した民進党勢力の再結集に関しては「ひとつにまとまる必要はない」が61%に達した。
いつもならば、世論調査記事において内閣支持率の動静を伝えている日経新聞だが、今回に限ってどこにもその記述がない。さらに、加計学園問題について「納得できない」が71%を占めるという情報を、どの記事中にも記載していない。わざわざ見つけにくいアーカイブのへの誘導ページに書き、さらに新規作成でなく更新で済ます。詳細はアクセスの少ないアーカイブWebに書き、さらに「開く」で消えるポップアップ中にのみ記述する。
内閣支持率はダウン、不支持率はアップ。今政権にとって最も大きなウィークポイントである森友家計問題については、実に7割が納得できないと答えている。新聞社から見れば、ニュースバリューの大きいこれらの情報について、自ら扱いを小さくするのは解せない。また、政権支持側から見れば、できればあまりおおっぴらにしたくない情報といえる。
超科学は
ロストテクノロジー…ではなくて未来から転送→遥か過去→発掘されて現代という順にたどり着いた。
魔法は
マナを自在に操り…ではなくて実はこれも別次元の外宇宙による影響が出て重力子やら量子やらなんやかんやで使える。
未来から科学が送られてきたのは未来人が自分の望む未来を作り出すための手段。
科学を使って支配を企む悪の帝国は実は未来人がボスだったのだ!
ボスは事故で犠牲になった仲間や妹が生きていた未来になるように悪い事してました!
平和は訪れた。
俺たちの未来は俺たちで作る!
帝国編・完
ところが、仲間の1人が古代遺跡を探索していたところ、
再度仲間を結集する。
分析を進めていくにつれて、世界は滅びの道が決定していること。
魔法は科学のせいで使えるようになったことではないことが判明した。
中ボスかと思われてた謎の密使がこのタイミングで主人公たちと接触。
世界が破滅に向かう原因は外宇宙の侵略者から攻撃を受けていること。
この宇宙を作りだした神が、創世以来この星で眠り続けているということ。
魔法は人間が次元を超えた力を操る感覚を取り戻す現象を指していること。
侵略者の攻撃が始まる直前に神の言語を解読して接触を図る方法を模索していたこと。
と、ネタバレしていく。
古代編開幕
場所がバラバラなのは侵略者に見つかって一度に壊されないような配慮。
ここまで書いて満足してきた。
要するに侵略者はエイリアンなわけね!英語で言い直しただけだな。
神と神の争いが最初にあって、今の宇宙創世の神が星に住んでる原初の神。
エイリアン側が最終的に宇宙を壊すんだけど未来人が過去へ情報を送信して時空干渉し始めてる。
その歪で魔物とかが産まれて始めたのが主人公たちのいる中世で、
なので魔物=エイリアン対策なんて全くしてないかったもんだから未来で未来人たちはボコボコにされた。
中世の原初神はまだ力を持っていたから魔物の出現に合わせて眠っていても防衛機能が働き
魔物は人間を襲いたいんじゃなくて神を探していて神に近いから勘違いして襲っているだけ。
あーまだ設定たくさんあるけど目が疲れてきた。でもわりとスッキリした。
明日は期日前投票日になる。急な解散総選挙が行われることになって、誰もが戸惑い思い悩んでいることだと思う。次の選挙ではどこに投票すべきだろうか。現状維持の自民か?それとも希望か?結果的にリベラル結集となった立憲民主か?それとも共産か?
しかし我々が投票するべきはそのどれでもない。我々は支持政党なしに投票し、現状の民主主義を次の段階に進めるべきだ。
今まで我々が行ってきた投票行動はどんなものだろう。選ぶべき政党や政治家がいないだとか、他よりましだとか、各論は反対だけれど総論としては支持せざるを得ないだとか言って、そうして選んできた候補は自らの政治意志とは似ても似つかないようなものばかりだ。リベラルを名乗る某が自民憎しで希望への投票を呼びかける様などその極みだろう。
そうしたずれから逃げ込むように、人々はアメリカのトランプやかつての小泉のような独裁的なポピュリストに自らを同一化させるようになるが、それもすぐに理想と現実のギャップを見せつけられて失望し騙されたと騒ぎ立てる。しかしまた別のポピュリストがやってくれば、同じように信者となって騒ぎ立てる。
そうした独裁的なポピュリズムに対抗するには、よりラディカルなポピュリズムである直接民主制に向かうべきだ。
直接民主制が浸透すれば大衆に迎合するような政治家は存在意義を失っていく。自分達で政策選択をすればいいのだからわざわざそういう人間と付き合う必要がないのだ。
支持政党なしのような部分的な直接民主制のシステムがあれば、政治家は政治家である必要すらない。自動的に国民の選択手続きを代行する公務員のような存在であればいい。
本当の政治家が生き残ろうとするならば、より専門的な知識を身に着け、大衆の政治選択に対して間違いを指摘することが出来るような存在になるしかない。自分よりもこういう専門家に任せたほうがいいと思えるような、そうした政治家だけが生き残るだろう。
現行の政治体制で直接民主制を部分的にだが稼働させる支持政党なしの試みは、今までの選挙でそこそこの得票を得たけれども、評価は未だ低いものだ。
しかし今後百年を考えれば、この仕組が部分的に導入し代議制民主主義を次の段階へと進めるべきだと思う。代議制民主制が本当の意味での民主主義でないことはわざわざルソーを持ってこずとも、現状の政治状況を見ればわかることだ。
我々は投票用紙に書き込む時だけ政治参加しているような顔をして、それが終われば呑気に座って、自分の買った馬券の行方を野次を飛ばしながらただ眺めているだけだ。馬が転べば馬肉にして次の馬を用意して、何故転んだかもどうすれば転ばないかの判断も競馬新聞に任せてしまう。
どれだけ失政を重ねてもそれは政治家の責任で自らの判断の問題ではないという。この時我々は政策を決定する権利だけでなく、政治判断した後の責任までも政治家に奪われているのだ。かつての戦争を軍部や政治家や知識人達のせいにしたように、我々はどれだけ大きな失政を犯しても責任を感じることが出来ない。責任を感じなければ、どんなに失敗をしたとしても学ぶことはなく、また同じことを繰り返すだろう。
本来政治は、例え間違った、国益に反するような選択だったとしても、あくまで自分の意志によって選び取り、その失敗を自分の失敗として受け入れなければならないのだ。
人々はこの失敗を恐れる。自らの経験不足によって取り返しのつかない失政を犯すのではないかと考えるのだ。しかしその経験の蓄積という意味で今の支持政党なしの状況は悪くないものだと思う。
票数を徐々に伸ばしているとはいえ支持政党なしは精々一議席取れるか取れないだろうなという状況で、この状況はまだ暫くかかるだろう。
一議席でも取ったとすれば、国民の直接的な政策選択が国会上に現れるということで、議員に対するプレッシャーは強くなるだろうが、それも間接的なもので、国会への影響力はそれほど大きくはない。
結果として部分的な直接民主制の浸透は漸進的に進行するだろう。
だが逆に言えば国民は、まだ影響力の少ないうちからこのシステム上で自らの選択を試行する機会を持つということだ。
自分の選択が即座に取り返しのつかない失敗に終わることはない。
しかし自分の政策選択が確実に国会上に現れる状況が続けば、自分の選択の意味を考え、自らの責任の重さを知り、間違いがないか積極的に学んでいくだろう。
やがてその動きは大きなものとなっていき、結果としてこの国を変えていくことになる。その時がこの国に本当の民主主義の訪れる日だ。
ただ唯一欠点があるとすればこの支持政党なしがすごくうさんくさい団体で、そのイメージは前回の選挙から全く変わっていないということだ。変えようとした努力も見えない。
支持政党なしはこれから国民の信頼を得るためにあらゆる努力をするべきなのだ。出来る限り情報を透明化して、例えば交付金とかどう運用されるのかとか。なんでもいいから少しはイメージよくしてほしい。
まあ最終的にこいつらはどうしようもないということで彼らが降ろされたとしても、とにかく政治家たちに「直接民主制には票田がある」ということを示さなければならない。そうすれば他にも手をあげるところは出てくるだろう。
大事なのは一議席だけでもわりこませて、国会上に直接民主主義のシステムを立ち上げることなのだ。そうすれば今後百年の政治風景は大きく変わってくる。その日がやってくるまで、我々の投票先は直接民主主義を志向する党だけだ。
違った!サイドメニュー!
これも覚えてね!!!
最近サイドメニューでお味噌汁を豚汁に変更できる技を習得したので、
熱々の豚汁投げたらダメージが9999とかありえない4桁な強さっ!
熱々で口の中がヤバい!
新婚さんいらっしゃい!で桂三枝さんが椅子から転げ落ちながら豚汁食べてたら膝にこぼして火傷するレヴェル!
もりもり食べやさい!と鈴木杏樹にせかされ怒られそうで大森屋も泣くレヴェル!
そのくらい熱くて美味しくて私のハートにビシビシ響く味なの!
でね、
食券をネットで事前に購入してQRコードを読み取らせればよい仕組みに変わったけど、
食券をその場で買っていた頃と何も変わらない。
歴史は繰り返されるのね。
どんなに叡智を結集しても、
完全に人類の敗北だわ。
また負けた食券機に。
崩れ落ちた私はおもむろに
食券機の下に貼ってある型番を目にし驚愕した。
T-NGR!!!
セットメニューの注文の仕方が難解すぎて、
頼めなさそうなT-NGR1000と同じプロセッサを使っている食券機!
どうりで!!!
もうこれ以上のサムズアップはさせない!
そう、
私はまたその食券機を溶鉱炉に突き落とそうと決意したのであった。
ででんでんででん!
ででんでんででん!
それ試してみたわ。
如何に人が雰囲気で生きているのかっていうのがよく分かるわよね。
やっぱりできたての方が緑茶のすっきり感が違うわ。
風味的にはせいぜいもって2日ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いろいろ盛り上がってんだけどさ。
安部のいった「こんな人達」って、いわゆる「プロ市民」のことだろ? ってのは、まあその通りなんだけどさ。
そもそも、ああいう街頭演説って、プロの「仕込み」の上で成り立ってんだよね。
自民党ってのは、なんだかんだ組織化されている大企業なんであって、都議会議員風情の応援に総裁(総理)がくるとなりゃ、そりゃ現場は大騒ぎなわけさ。
自民党ってのは、都道府県ごとに都連やら県連やらがあって、各選挙区に「支部長」って形で国会議員なり候補者がいて、都議なんてその下なんだから、せいぜい課長クラス。
課長の仕切っているイベントに、社長みずからお越しいただけるんだから、恥かかせちゃ大変なわけ。
都議の下には、配下の区議がいて、それがまた都議に恥をかかせないように、末端レベルの動員を担当してる。
だから、自分の選挙区に総裁がくるとなったら、そりゃもう必死で動員かけるわけ。
まして、今回は、総裁唯一の街頭演説なんだから、すでに課長(都議選候補)レベルの話じゃなくて、支社長(都連会長)レベルの話なのよね。
当然、支社の総力を挙げて動員かけたはずだ。安部に恥をかかせないためにも。
大体、秋葉原に普通の人が日の丸の小旗を持って出かけるはずもない。
なのになぜ、あんなに日の丸もって安部に声援を送っている人がいたのかといえば、
随所に聴衆を盛り上げる人も配置されているし、いろんな「プロ」が動員されているわけ。
そんじょそこらの「プロ市民」では太刀打ちできない、経験と年月に裏打ちされたノウハウを持ってるはずなのよ、自民党ってのは。
今回、自民党にとってなにがやばいって、にもかかわらず、総理からみてほぼ正面、記者エリア脇の一等席を、
この一点で、自民党の力が落ちていることは一目瞭然。
支社長(都連会長)の下村の首が飛んだけど、たぶん、いろいろ怒られた現場関係者も山ほどいるはずだ。
麻生が「ローゼン閣下」などと呼ばれだしたころとか、安部の絶頂期には、秋葉原に会場設定して、テキトーに支持者動員して、道行く人に日の丸配っていれば、
あっという間に街頭が埋まったのかもしれないが、今回はそうもいかなかったらしい。
そして、今回はそうもいかないことを、あまり予測していなかったのだろう。
報道では一部でしか報じられていないが、当日、慌てふためいた自民党関係者が、必死に「プロ集団」の前で自民党の青い幟を結集させたり、はては車までとめて、
安部のほうから「プロ市民集団」が見えないように隠していたという。
予想していたら、初めからもっと人員の配置とか考えていたはずだもんね。
一方で、自民党が配った日の丸振りながら「安部ヤメロ!」と面白がって同調していた若者もいたとか、いないとか。
あと、今回の事態のようになった要因としては、公明が小池側についた影響は、かなり大きいよね。
公明党の大物クラスの街頭演説を一度でも見たことがある人はわかるだろうが、あの動員力は凄いよ。
しかも、数がすごいだけではなくて、統制とれてんの。盛り上げ上手。
今回、秘かに注目すべきは、安部が民主国家の政治家として資質を欠いているとか、そんな話ではなくて
(そんなこと、みんな知ってる)
「もはや公明の手を借りないと、自民は選挙に勝てない」ことが分かりやすくインパクトのある映像とともに、白日の下にさらされたことなのかもしれない。
学友・人民諸君! かかる事情を踏まえれば、クリスマスを祝う輩が日帝権力の利益に供するのみならず、
人民の分断をもたらす積極的反革命であり権力の走狗集団であることは明白である。
日帝権力の収奪攻勢に直面してもなお、自らの心身の寒さの危機しか感じえずきわめてハレンチにも
「クリスマスに過ごす相手がいない!」などと無様に絶叫しクリパ・合コンに逃げ込むニセ「カップル」予備軍、
そして「楽しければそれでいいじゃん」などと広言しホテルに埋没してはばからないニセ「カップル」盲従集団・・・
かれらは闘いの裏切者でなくてなんだろうか。かれらと我々を隔てるのは「感性の違い」などではなく、与する階級の違いなのである!
すべての学友・人民諸君! かかる日帝権力の収奪攻勢を前にして、
しかし、社共はもとより一切の「左翼」党派は反クリスマスの闘いをまったく放棄している。
そのような中、唯一クリスマス打倒の闘いを不断に推し進めているわが大連帯の役割は燦然と輝き、人民の期待はいよいよ高まっている。
すべての「左翼」勢力の闘争放棄を人民の怒りで戦闘的に乗り越え、闘う大連帯への結集を勝ち取ろう!
今こそ激烈な赤色テロルを機軸とした我々の闘いの前にクリスマス迎合分子を戦慄せしめよ!
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170511170337
上記記事のコメント欄を見て何度めかわからないけれど「左翼的な言説の限界と言うか気持ち悪さというかなんかもやもやするもの」についてのメモ。
初めに断っておくと、自分個人は穏健な左翼的な人間だと思ってる。この辺曖昧なのは「それそのものの人」に「お前なんかニセモノだ、死ね!」と棍棒で叩かれるのが怖いからであって、内心ではちゃんと穏当左翼だよ悪いスライムじゃないよぷるぷる、と思ってる。再配分はした方がいいと思うし、生活保護の捕捉率は上げたほうがいいと思ってるし、戦争はしないほうがいいと思ってるし、言論や思想の自由は大事だと思ってる。
でも、一方で、それは「俺という個人がそう願ってる」であるとも思っている。
ただ単純に「俺という個人がそういう政治的思想で、つまりは、そういう好みで、そうなればいいなあ、そうしたいなあ」と思っているという意味だ。
でも、政治的な記事へのはてブのコメントを見たり、世の左翼的な言説をするひとの発言を読んだりしていると、割と頻繁にどうしようもない違和感を感じる。
たとえば「再分配しないと社会が歪むでしょ」「再分配しないと治安が悪化するでしょ」「再分配しないと経済が伸びないでしょ」みたいな種類のコメントだ。
それらって、まず第一に、本当に本当なんだろうか?
例えば、社会が歪んだ結果、カタスロフ的なことが起きて世界が滅亡する――というような想定がなされているのであるならば、全人類が私欲を捨てて力を結集するというのにはインセンティブがあるのは明らかだ。しかし、想像だけど「社会が歪むでしょ」といったときの「歪む」って、そういうレベルの大災害を想定していない気がする。
そして第二に、だとすると、それって主観マターなんじゃないだろうか? つまり、歪んでいると感じない人(例えば富裕層)が存在する程度の「歪み」なんではないだろうか?
「治安が悪化するでしょ」「経済が伸びないでしょ」もそうだ。程度の問題で主観マターになってしまう気がする。
ここ2000年くらいの歴史を見ても、相対的に評価すれば、いまは全地球的に豊かで幸福な時代だと思う。歴史上最も格差が広がっているこの時代に、最も幸福なのだとすれば、格差が人を不幸にしているというのは、どういう説得力をもっているんだろう?
最初に言ったように、俺個人は再配分政策に賛成だ。もう少し弱者のケアをしたい。だから、そういう歪みや経済悪化を感じる主観があるってことそのものは、別に問題だとは思わない。ただ、でもそれは「俺はそう感じているんだよ!」でしかないので、他者を説得するに足るものではない。
違和感を感じるのはそこで、はてサであるいは左翼言説でよく見られる「~(は自明)でしょ」「そうすべきなのは明らかでしょ」「それが正解でしょ」という態度だ。
その発言を行った時点で「説得できた」と思っているような態度と言い換えてもよい。
左翼の人たちは、なんだか、「正しさ」に過剰な自信を抱いているようにみえる。「正しい(と自分自身で思っている)結論」を呟けば、それで話は終わるというような、その発言にあるような未来がやってこないのは、政府の/権力者の/資産家の陰謀であるとか、衆愚が正しさを理解しないからであるとか、なんだかそういうニュアンスを感じる。
俺個人は、どうしてもそこで安心して話が終わったという気持ちになれない。
俺が左翼っぽい、福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っているのは、純然に俺の好みでしか無いと思うし、そんな好み程度の発言で誰かを説得できるとも思わない。
日本の社会の歪みについては、歴史的に見ても、今ある歪みを直せば別の種類の歪みが出てくると思う。それは福祉をケアするという変更ですらそうだと思っている。この歪みとあの歪みのどっちがいいかっていうのは、まだそれを実行してないので選べないけれど、「歪みのない完璧社会が来る」なんて思えない。「いまよりましなのはこっちなんじゃないかなあ、好み的な判断だけど」くらいしかいえない。
治安の悪化については、うん、格差が広がると治安は悪化すると思う。でもそれを前提とすると、日本は世界的に見て治安がトップクラスに高いので、まだまだ格差はちいさくて、この先格差をどかーんと広げる余地があるっていう結論になってしまうんじゃなかろうか?
経済の発展については、最低賃金は上げたほうがいいと思う。でも、資産家からお金没収してそれをやるなんてやったら、それこそ経済ぶっ壊れると思う。私有財産権という、民主主義が旺盛や封建制から血みどろで奪った権利を「俺の好み」程度で犯すのは、到底「正義」だとは思わない。
何度も言うけれど、俺個人は福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っている。けれど、それはただ単に俺の政治思想的な好みの問題であって、「俺が正義で唯一正しい結論を言えるから」ではない。当然他の好みの人もたくさんいるのだ。自由主義とグローバリズムは、地球規模で見れば多くの人を救ったと言われれば、そうなんだと思う。俺個人は、そっちの思想の人を「お前は不正解」と断罪できるほどの「正しさ」をもっていない。
さまざまな政治信条の人が暮らす社会で自分の願いの方向に動かすのは、粘り強い議論とか、空気の醸成とか、そして選挙とかを経なければならないのだ考える。
仮にそっち方向に社会が進み始めたとしても、その後やってくるのは、プロジェクトを立ち上げた時に出てくるような、うんざりするほどの運営トラブルと制度バグと、それを一個一個デバッグしてアップデートしていくクソ長い時間だと思っている。
なので、「左翼的な決断が正義でしょ/当たり前でしょ/そうしないと社会滅びるでしょ」みたいな「正解を言ったんだからわかれよ」みたいなコメントを読むとものすごい違和感を感じるし、日本の左翼的な思想の限界ってここ――つまり「俺たちは正しいのでそうならないお前らが悪い」という、政治的対話や妥協を拒否する、傲慢な怠惰さなんじゃないかと思う。
今よりもっと良い社会がほしいのなら、今よりもっと対話のテーブルで汗をかく必要があるんじゃなかろうか。多くの人たちに自分たちの主張を「好き」になってもらえるように。
最近VRが話題になってるらしい。Virtul reality、あらかじめ規定されたプログラムを3D画像で見ることができる技術である。話題になった理由として、Sonyがゲーム用に発売したことである。今日はアニメジャパン2017が東京であっているらしいが、FGOVRマシュキリエライトとか、様々なVR体験コーナーがあっているそうだ。
クランプの「エンジェリックレイヤー」というマンガの冒頭は「今、最も進んでいる業界はゲーム業界である」で始まる。
昔の技術の最先端は軍事だった。いかにほかの国を出し抜くか、知恵の結集としての技術はその再現性の時間的難しさが、より多くの人を殺したり、ものを奪う行為を容易にする。
だけれども、今の世の中、日本はそんなものとはおさらばしている。ゲームというものもやる人間が子供から大人(ここでは自由に使えるお金を持つ人の意)に変化するにあたり、より臨場感を、より楽しさを、より美しさを供給する、ゲーム領域で発達しているというのは、さもありなん、って感じである。
小学生のころ、PS3が出てきたとき、こんな金額のものは、買う人がいないんじゃないか、なんて思ったものだけれど、家庭に一つあれば十分で、買う人も大人なんだから、問題ないんだろうな。技術は娯楽から発展する。平和な世の中で、いいことだ。
反対に、お金のない子供たちがやるゲームが、ソーシャルゲームなのかな?基本料はいらないし、よっぽどほしいものがない限りはお金は必要ない(ただし、3000円の価値が他とはちがうけれど)これも、ポケモンGOの台頭で、リアルと組み合わせる新たな可能性が生まれたと感じた。やはり、「最新」は娯楽から生まれるのかも。
この発達した技術がどのように発展するのかは定かじゃない。大体、去年はAIの発展やグーグルグラスについてよく話されていた気がするけれど、今年はVRなんだ。その昔はロボットやアンドロイドであった。
すぐそばにある未来は私たちの創造よりも、ずっと身近(距離)である。
職を考えるときにいつも、「いずれ機械が置き換わるのでは?」を念頭に置いて考えるものだけれど、これからどのような未来になるかはよくわからん。
アトムのような、ロボットがなんでもやる未来というのはあまりかんがえずらいのだけれど、ルンバとか、思わぬところでとって変わっている存在もすでにいるしね。
私の中ではグーグルグラスのほうが、VRよりも広く普及しやすい気はする。持っていれば、道の案内だとか、カメラをとるだとかが簡単にできることは、純粋に便利だしね。距離をどうにかするために、ARを使うことってどの程度なのだろう。(VRのリアルタイムがAR)スカイプで会話をする人たちがより便利っていうだけなので、あまり発達しないのでは?あと、家具をその場にいなくとも部屋で見ることができるというのも買う理由になるのかなー?
家でARを利用するような行為は今の技術でも代替えが大体可能なので、あまり使うイメージがつかない。個人的にはやっぱりグーグルグラス。
未来というものについての描写は、個人的にサイコパスが素晴らしかった。タイバニは今から少し外れた場所という感じ。アトムは夢の場所。
世の中の多くをホログラムでどうにかする。(服、通信、ショー)一部はロボットで置換する。そういう未来のほうが「ありそう」な気がする。
さらにその先の未来は、やっぱり自分にアプリを導入することなのかな?これは末路がアリュージョニストで大体描かれているから、もう終わり。
dアニメストアでたまたまこの2作を続けて見たんだけども、両方めちゃ面白かったていうかこの2作は全然違うのに構図が似ていてビックリした
クラウズではギャラックスがみんなの善意とスキルを効率的に結集・運用して無秩序な欲望に打ち勝ったけど、その人類大勝利シーンは先にサイコパスを見ていたせいで結構不気味に感じた
ギャラックスで世界をより良くアップデートしていったら最終的にシビュラシステム完成するよねこれ
無秩序な欲望を人類の英知(システム)で抑え込んでより良い世界にしていきたいけど、世界が良くなったらなったでまた槙島みたいなのが出てきて「そんなのは家畜だ、野生に帰るんだ」とか言い出してぶっ壊しにかかるわけだ
どっちなんだよと
序盤に出てきたあかねの家みたいな生活あこがれまくるんだけど、ああいう総合生活支援ロボットみたいのいいよね
今後VRの発展で作られたりするんかな?
ほかにも現実と攻殻機動隊の中間くらいの微妙なラインの近未来社会感は本当によかった(服の転送とかはオーバーテクノロジー感あったけど)
作中は猟奇犯罪者ばかり出てきてなかなかグロかったが、とにかく格闘シーンがかっこよかった。どみねーたは起動遅いし判定も遅いし無駄に威力強いしで使いにくそう
あと影薄いけどドローン君たちは毎度大活躍だったな。ただの箱が喋りもせず走ってるだけなのにかわいいという不思議。タチコマによる先入観か
終盤、あかねがシビュラに呼ばれたところであっこれまどマギ展開くると思ったよね
「私、すべての潜在犯を消し去りたい! 過去と未来すべての潜在犯を! 叶えてよインキュベーター!」って言ってシビュラの一部とかになってシステム変革すると思ったよね?
そんなことはなく結構泥臭い終わり方になったけど現実はあんなもんか
あとイケメン先輩(名前忘れた)がとっつあんと同じになっていくところはベタだけどグッとくる。手も潰れてたし義手にしたんだろうな
調べたら劇場版もあるんだな。見なきゃ
1話のスーツのギミックがかっこよくて戦闘で魅せていくのかと思ったけどそんなことはなかった
戦闘はあんまりしないが序盤からルイ君とギャラックスとか謎だらけの展開でどんどん引き込まれた
はじめちゃんがちょーかわいいんだけど底知れなさが不気味で(もし仲間が死んでもへらへらしてそう感があった)、どこかで一度へこんだり落ち込んだりするとこ見せてくれないかな~とか思ってたけど、カッツェをデートに誘ったところでああこのキャラはこれでいいんだなと、このまま突き進んでくださいと
他のキャラもみんな個性的出ててよかった。隊長かわいい。ODの強さだけは言ってるのと違くない?って感じのしょぼさだったけど(カッツェの力と相殺されたんだろうか)
あと食べ物描写もいろいろよかった お弁当とか隊長のおつまみとか
でもカッツェは絶対に許さないよ。好き放題煽ってたら巨乳女子高生がかまってくれてキスされて最後はおっぱいの中に保護されるなんてあるわけないだろ。調子に乗ってたらブクマカに正論で煽られて憤死するとかの落ちでよかったんだよあんなの
まあ面白かったしいいや。さーて2期もみるっすよ~
我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!
リーマンどもに比べ、我がスケベな女に出会いたいだけの50代は30分の1以下である。
にもかかわらず今日までひとりで正気を保って抜いてこられたのは何故か?
諸君!我がスケベな女に出会いたいだけの50代たちの戦争目的が正義だからだ。
これは諸君らが一番知っている。
我々は窓際を追われ、渋谷TSUTAYA前移民者にさせられた。
そして、一握りのリーマンらが神泉にまで膨れ上がったニガー達とポールダンサーを支配して50余年、蒲田に住む我々が自由を要求して何度踏みにじられたか。
スケベな女に出会いたいだけの50代の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。
私の弟!諸君らが愛してくれた岩◯竜◯は死んだ。
何故だ!?
…
新しい時代の覇権を選ばれたドスケベが得るは、歴史の必然である。
ならば、我らは下の頭を硬くし、この戦局を打開しなければならぬ。
我々は過酷な田都を暇つぶしの場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築き上げてきた。
かつて、ワカバ・コシーキは人類の革新は田都の民たる我々から始まると言った。
しかしながらリーマンのモグラ共は、自分たちがスケベな女たちの支配権を有すると増長し我々に抗戦する。
諸君の父も、その息子(もちろんそういう意味で)もそのリーマンの無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、◯二は!死をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、どうせ私服はガイアが輝けと囁いてるリーマンに叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。
西郷隆盛とその下の息子たちよ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ!アソコよ! がんばっぺ福島!
我らスケベな女に出会いたいだけの隆盛たちこそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。
優良種である我らこそ巨乳のポールダンサーたちを救い得るのである。
やぱやぱ〜
アディダスとかナイキとかが培ったテクノロジーを結集してスニーカーの遜色ない履き心地でプレーンなパンプス・ハイヒールを作ってくれればいいのにってもう何年も思ってる。
スニーカーメーカーも会社に履いていけるウォーキングシューズを作ってるけど見た目がいまいち通り越していまひゃくで会社に履いていったら「おばちゃん???」みたいなものばかり。
たまにスニーカーの形を活かしたハイヒールを作っているがあれはスニーカーの履き心地ではない。どっちかというと普通のハイヒールがスニーカーの皮をまとったもの。
でも、その開発を待つより早く、白いスニーカーにプロジェクションマッピング機能が付いたものが開発されそうである。
それができたらネックレスかなんかに化粧した顔のプロジェクションマッピングを仕込みたいわ。
ただそうなったら顔そのものの造作が変わるようなプロジェクションマッピングができそうで整形が下火になりそうね。
私たちには若い世代や中高年の知り合いはいっぱいいるが彼ら彼女らのうち「ギャル・コギャル」を切り盛りする面々と接点がある人はひとりもいない。みんな渋谷系のファンではないし、むしろ嫌悪感をきっぱり明言する人もいる。「渋谷の若者文化」も無関心か、嫌悪する人が多い。
渋谷系経験者のうち外国人・元外国人は、一人もいない。たぶんあの当事者以外は普通なんだと思う。当然、元不良でもないし、耳に穴を開けたこともないと思う。皮膚の色を故意に黒くした者でもないしまして女が下品な化粧なはずがない。つまり、渋谷系世代(ギャル・コギャル)は非常に狭い村社会なのだろう。
それっぽい日本人の文化人が、あらゆる場面で相互に関係しあうことで村社会のテッペンにいるようで、実際その構成員たちは人を動かしたりその庇護にあったりするようでも、弱点が見える。それは、肝心の民心がついていないということ。大衆・外国人という大多数世論と渋谷系村メンバーの隔たりが大きすぎないか。
その点で「オタク」は違う。右翼階層とは関係を構築するどころか基地問題をめぐるたたかいが繰り広げられている。しかしその背後には、大衆と外国人の圧倒的民意がついている。秋葉原ブームは、他の文化では考えられない高い数の大きさのもとでオタクの一票の結集で成功した。
そして、オタクの人口は他の文化カーストよりも圧倒的に高い支配率がある。ヤンキーどころか、いわゆる大衆文化層さえ存在感はないのだ。その事情は外国人にまったく評価されず、影響力が高いものの人口が小さい渋谷系とは大違いだ。
内部世論の大きさと、その世論を織り込んだ文化社会の存在感については、どう考えても「オール○○」状態にあるオタク世代のほうが、少数の渋谷系村が大衆の意見を放置して勝手にあれこれ画策するギャル・コギャル世代よりも大きく、確かではないかと思う。つまり、オタク系方式を見習うことが、汚名返上の上で重要ではないか。
その大前提として、文化運動の大きなうねりが必要ではないか?何か注目されればサクッと1万人を越えるモテナシをできるようなオタク系の進んだ文化社会の仕組みを、渋谷系はしっかりと見習い、そうすることで、こうした問題を克服できるのではないだろうか。
頭いいというか、勘がいいというか。
だいたい、アメリカの大統領選なんて、投票率6割切ってて、しかも接戦になるし例の「選挙人総取り」の仕組みがあるから、
うまいこと大票田の州をねらいつつ、ざっと、全有権者の3割弱くらいを熱狂させれば大統領になれちゃうでしょ?
ましてや、今回の敵は嫌われものでおなじみの、あの人だったし。
日本だって、無作為に10人あつめれば、2~3人くらいは、「在日うぜえ」とか
「沖縄の基地出てけって叫んでんの、どうせパヨクとプロ市民だろ? 沖縄の地主は基地の地代でけっこうな金もらってんだろ?」とか
「ユニクロとかが安い中国製品売りまくるから日本不景気なんだよ、ふざけんな」とか
内心で思っている人はいるでしょ?
まあ、真っ当社会人としては、あまり口にだしていえることじゃないけれど。
あと、大企業とマスコミと電通と公務員だけがおいしい思いをしている(アメリカでいえばヒラリーに象徴されるような層がそんな風に見られているんだろう)
と思っている人も合わせれば、3割は余裕で超えそう。
トランプ支持って、アメリカでいうところの、そういう感じの人たちをうまいこと結集したんだろうと思う。
たとえば、トランプが「日本はアメリカの牛肉に30%超える関税をかけてる。日本車にも同じくらい関税かけてやれ」とかいうと、
したり顔のコメンテーターが「今は日本車の大半はアメリカの現地法人で生産しているから、そんなことをしても意味ないし、
むしろ日本車が売れなくなるとアメリカの雇用を奪う。トランプはそんなこともわからないのか?」みたいなことを言うんだけど、
本当にわかってないのかな?
トランプ自身はわかっているけど、そういうことをいうと支持が集まるからいってるだけじゃないか?という気がするんだけど。
目的はとにかく国民の3割を結集して自分に投票させ、大統領になることなんだから、「それが真実かどうか」なんて関係ないんだろう。
目体が明確にあって、それに向けて行動して、結果が出てるんだから、ビジネスマンとしちゃあ超優秀だ。
で、大統領ってのは、当選してしまえば、まあ4年間は身分が保証されるわけだし、
で、メディアや他の国々は「なってみたら、事前の不安ほどひどいことにならなかったこと」に安心し、
投票した人は「結局、偉大なアメリカを取り戻せなかったし、メキシコとの間に壁もできなかったこと」に失望するのかもしれないが、
まあ、4年たって「元大統領」の肩書きさえ手に入れられれば、トランプ的には大成功なんじゃないだろうか?
よくわからないが、アメリカでこれほど強い肩書きは、そうはないんだと思う。
ビジネス(とくに不動産業みたいなの)には存分に生かせそうだ。
いや、本当に頭がいい。さすが大富豪になるだけはある。
現代アート愛好家であり愛鳥家のひとりとして、意見を申し上げたいと思い、メールを差し上げるとともに、郵送いたします。同時にウェブでも公開します。2つの要望があります。
(1)展示を即時中止してください。
ラウラ・リマ氏による『フーガ』に関して、ずさんな管理によって鳥を逃がしたり、病鳥を放置したり、適切な環境を整えないなど、目を覆いたくなるほどの展示がなされていたことを知りました。鳥に対して明らかな虐待的行為が行われ、また会期終了後の鳥の扱いが宙に浮いたまま、その場しのぎの対策が行われました。このことは、多くの現代アート愛好家と愛鳥家を悲しませ失望させました。
この作品は小鳥のいのちを軽視し、いのちの尊さを毀損しています。アートコンセプト「想像力を結集した創造の旅」というメッセージのもと、小鳥たちのいのちが傷めつけられるのを目撃するのは愛鳥家として胸が張り裂ける思いです。そればかりではなく、上記の鳥の扱いは、「動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護法)」、「愛知県動物の愛護及び管理に関する条例」及び「豊橋市動物の愛護及び管理に関する条例」に違反しています。
創作したラウラ・リマ氏、国際展キュレーターのダニエラ・カストロ氏、チーフ・キュレーターの拝戸雅彦氏、芸術監督の港千尋氏、及び実行委員会委員長の、この作品と継続に対するそれぞれの公式な見解を求めます。「無限の想像力を結集」した「創造の旅」というコンセプトのもとで展覧会を開催したにもかかわらず、寄せられた多くの批判に沈黙したまま、作品公開を継続するというのは、アートや鑑賞者に対してあまりにも無責任な姿勢です。展示終了まで、まだ時間が残されています。この件で、現代アートに対する不信感が愛鳥家をはじめとする多くの動物を愛する人々に広がっています。一刻も早く、アーティスト、キュレーター、芸術監督、及び実行委員会委員長による見解を公式サイトで明らかにしてくださるよう求めます。
もちろんまだ4歳なので、自分で投函したわけではなく、母親(私の妹)がわざわざ代わりに送ってくれた。
4歳でもう手紙という発想があるのか~。最初はただ純粋に感心していた。
しかしこれが男の子だったら、手紙を書くという行動とはどうしても結びつかない。
そういえば自分の子どもの頃を思い出してみても、手紙をやり取りしているのは女子に限られていた。
かわいい文字にちょっとしたイラスト、そんなものが書き連ねられた便箋だかノートの切れ端だかが、(ほとんど女子的繊細さをアピールするためだけにそうしているのではないかと疑うほど)趣味良く折られ、
これぞ女子的技量とセンスの結集とばかりに授業中の教室を舞っている。
そんな光景を思い出した。
そしてそれは教室を舞いながら、その中身を知ることのできないその他大勢へ無言の威圧を放っていた。
(実際、中に重要なことが書かれていることは少なく、ほとんどそういう機能だけのものなのかも知れなかった)
何を間違ったか、そんなものが私のもとに届いたとき、私は戸惑った。
まず、手紙の内容があまりに他愛のないものであること。わざわざそれを手紙に書く意図がわからない。
そして相手はいったいどんな応答を私に求めているのだろう。全くわからない。
次に襲ってくるのは、同レベルの女子力でもってこれを打ち返さねばというプレッシャー。
こんな一画一画を意識して書いたような文字、書けない。きれいに折る自信もない。
それらが私を戸惑わせた。
全力で“女子”を模倣し、なんとか打ち返した後には、消耗と、これで正解だったのだろうかという迷いと、たかだか手紙一つに翻弄されていることへの自己嫌悪が残った。
本来の私なんて、調理実習で作ったカレーをいち早く食べ終え、手持無沙汰な中、頭をぼーっとさせていたら、
「そんなに見つめられたら食べにくい」と、偶然目の前にいた武藤さんに告げられてしまうような、そんな人生だ。
(自覚のない食欲が私にそうさせていたらしい)
そんな自分と、周りの女子との落差がありありと甦り、そしてそれと同じことが4歳の女の子の手紙によって突きつけられている。
そんな女子的なムードを醸し出したり読んだりすることから全くかけ離れた血筋らしかった。
その子の母である妹自身も、「私もあの感じないわぁ~」と言っていた。
また、妹の旦那さんのお母さんにしたって、カラッとサッパリした印象で、微細な女子のムードとはまた違ったタイプの人だ。
「見ているアニメの影響かもなぁ~」と妹は言うけど、アニメの影響だけであれほどのものが発揮できるとは思えない。
やはり、私からしたら充分女子力高めの妹由来ではないかと思う。
いずれしても、彼女が発揮するそれを前にして、私はこう思わざるをえなかった。
女子力というのは、アニメや周囲の女性などの外的な影響から独立し、彼女が望むと望まざるとに関わらず、存在するのではないかと。
そして今になって、私はやっぱり生まれ持って女子力の何割かが欠けているタイプだったんだな再認識させられた。(どうりでやりづらい半生だった)
よくネット上でもフェミがどうとか男女の話題があるけど、本人の意向とは関係なく、生理があり、月経周期ごとの体とメンタルの波があり、女子力があるんだなと思う。
(もちろん個人差のあることで、何割かの女子力が欠けた私がその証拠だ)
どんなに性差を均そうとしても、生まれ持って備わってるものは無視することはできないし、(よほど本人がホルモン療法を望まない限り)コントロールできないだろうと思う。
それを踏まえた上で、女性であることの不自由や、女子力が欠けていることによる不自由や、その他男女問わず、性に囚われる不自由、そしてその不自由の由来や責任の果てしない押し付け合いもいつか克服できたらいいのにな、などと無理やりスケールを引き伸ばし、焦点をぼかすことで現実逃避をしてもみるが、しかし実際のところ、私の問題は、この歳になってもまだそれへの恐怖を克服できていないことだ。そして4歳の女の子にそれを突き付けられたことだ。
別のシチュエーションだったら、あーめんどくせー、女めんどくせーで済ませて回避することもできるけど、今回はそうはいかない。