明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
■今昔マップ on the web 首都圏編
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
- 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
- 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
- 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
- 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。
- 半蔵門~新宿区間
- 新宿~府中
- 日野橋付近
- 1900ごろ時点では橋は無し。1910ごろに現在より北側に橋が架かり、現在の日野橋が架かったのは1930ごろ。
- 現日野橋架橋と同時に現在の日野橋交差点が交差点になり、そののちに立川通りができて新奥多摩街道ができて五叉路になった。
- 日野駅の西側を通る新道が開通したのが1960ごろ。
- 八王子駅周辺
- 大和田橋は、1900ごろ時点で現在の位置に橋が架かっていた。
- 橋の東側地域は、1960ごろに現在の直線的な道路形状に整備されていてそれ以前は曲がりくねっていた。
- 明神町交差点を通るルートが開通したのが1920ごろ。
- 京王八王子駅付近~高尾駅付近の区間には、1930ごろ市電が走っていた。
【おもな環状道路編】
- 1900時点から現在と同じ道が存在している。
- ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。
- 淡路町~鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。
- 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
- 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
- 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
- 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
- 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
- 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒・目黒方面とは直結していなかった。
- 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。
都道420号
- 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
- 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
- ※ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
- 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
- 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
- 国道1号~中原街道~目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
- 目黒通り~駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
- 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
- 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
- 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
- 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
- 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
- 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
- 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
- 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。
- 1900ごろ時点。部分部分で原型道路がある。
- 1930ごろ
- 1950ごろ
- 1960ごろ
- 1970年代後半
- 蒲田~田園調布区間が、下丸子付近を除いて現道完成。蒲田交差点も十字路化。
- 瀬田~上高井戸間の現道完成。
- 井の頭通り・五日市街道交点の現道完成。
- 若葉3丁目~赤羽区間の現道完成。
- 1990ごろ
- 2000ごろ
- 2010ごろ
府中街道・大師道・南部沿線道路・川崎街道
- 大師道は、六郷橋から川崎大師まで1900時点で存在。扇島が埋め立てられたのが1950ごろ以降で、それに伴って現国道409号が扇島方面へ直結延伸。
- 府中街道としては、江戸時代に川崎~所沢間に整備されたものが原型である。
- 1960ごろ
- 下平間~府中~東村山間は、1900ごろ時点でほぼ現道が存在。
- 矢野口~大丸間は、旧道があったが1950ごろに現在の新道が完成。
- 是政橋の架橋は1940ごろ。
- 南部沿線道路
- 1960ごろに、下平間~久地間のほぼ全線が新規開通。
- 向河原付近の開通は1970ごろ。溝の口駅付近の開通は2000ごろ。久地~宿河原区間の開通は1970ごろ。
- 大丸~日野の川崎街道区間
- 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生~黒川区間。
- 川崎駅~末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
- 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
- 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
- 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
- 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
- 山口台~津久井道区間は2010開通。
- 津久井道交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
- その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施。
- 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
- 1930ごろ、東神奈川~六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
- 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更。
- 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
- 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
- 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。
【その他、概況】
地形・丘陵
河川