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はてなキーワード: 中野駅とは

2021-06-06

ティ

中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。

べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモ住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。

ファート商会という会社私たち職場だった。本社中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュ臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。

中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。

もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪アパートへ帰ろうとしていた。電車中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たち中野暮らしている。

中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域から隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車選択的にブロックするよう、政府からJR東日本命令があったとかいう噂だ。感染症拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから都心通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野はいないと思う。

中野で足止めされたら、人生中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。

練馬杉並新宿中野境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。

ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品品質検査に使う精密機器会社に勤めていたそうで、その方面知識豊富だった。最初中国から大量に取り寄せたシリンダー小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。

その頃には空き家相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。

三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさら一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事プライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。

鬼澤さんに渡された地図コピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォン地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野住宅地図は貴重品になっていた。

何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。

103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。

寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。

その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」

「散らかってるけど」

といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。

「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」

猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったかランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかい名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。

「この近所では、見つからない感じ?」

毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱ポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」

寺元さんは俯いたままTVリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。

中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。

職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……

「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」

「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」

寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。

「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」

「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」

その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。

その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。

それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるか大人びた姉が私を見ていた。

「背、伸びたじゃん」

といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。

「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」

寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。

「ニティンくん、きっと戻ってきますよ」

姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。

「待って。聞こえる……ニティン、ニティン!」

というが早いか、寺元さんは部屋から駆けだしていった。

かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方空気が窓から入ってくる。

「もうすぐディオニュソスお祭りだね」

どこか遠いところを見ながら姉が言う。

「もうそんな季節か」

中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。

2021-01-08

中野さらにいっそう無駄に停まる

会社の卓上カレンダー明日の日付を丸で囲んであった。自分でやったはずなのにそれがなんの日だったか思い出せない。隣の席の竹下さんに聞いたら、明日電車が動く日らしかった。完全に忘れていた。

あれから2年も経とうとしているのだから、忘れるにきまっている。もう中野で2年も暮らしていたとは、あまり実感がない。

中野駅はもともと無駄に停車時間が長い駅で、総武線/中央線では最悪の駅として有名だった。最初は2分の停車時間だったのがだんだん長くなっていき、2時間になってから2日に伸びるまではあっという間だった気がする。新宿と自宅のある阿佐ヶ谷の間を通勤で往復するのに丸4日かかるようになった。

中野でこれから2年間停車するというアナウンスが車内で流れたときには、もちろんなんの準備もできていなかった。手持ちの現金もそんなになかったので、電車を降りて駅前ATMで引き出そうとしたら、カードが使えなくなっていた。少しでも節約しようとして駅の周辺で野宿をしたが、パン牛丼を買っているうちにお金はすぐになくなってしまった。

駅の軒下で浮浪児に混じってしゃがんでいたら手配師らしいおじさんが来て、にいさんパンワラやらんか、パンワラと誘われた。何のことかわからなかったけれど、ほかに仕事のあてもないのでついて行った。

連れて行かれた先はコンクリート建物で、ものすごく長い廊下みたいなところにゴザが敷いてあった。そのゴザの上が仕事場だった。上にあおむけに寝転がって、建物の壁から出ている紐を足の指にひっかけて、引っ張る。そうすると車輪が回って、部屋の中に吊り下げてある、のれんみたいな布がファサーっと揺れて、風が起こる。部屋の中にいる人は涼しくなる。これを1日10時間くらい交代でやる。同じ場所には他に4人のパンワラが寝転がっていて、足で紐を引っ張る度にヒュゴゴゴゴ、みたいな音がしていた。

パンワラ仕事をはじめて1か月くらいは腿の筋肉パンパンになってきつかったが、だんだん慣れた。でも2か月で辞めた。研修を終えてもっと時給を上げたかったら鼓膜を破らなくてはいけないといわれたからだ。部屋の中にいる人の話が聞こえないように、パンワラは耳を聞こえなくすることになっていた。

次に入ったのがいまの会社で、ファートというスタートアップだ。最近ようやくネットでも流行りはじめたように、自分おならを保存する特殊な容器を提供して、あとで楽しめるようにするサービスだ。自分が入った当時は、おなら入りの容器を着払いで送ってもらって倉庫に保管するサブスクリプションサービスをはじめたところだった。人は自分おならをあとで嗅ぐことにみんなこれほど興味があるとは、入社するまで知らなかった。サブスクリプションを利用しているのは男女比で4:6ぐらいだった。

自分担当したのは他人おならを購入できるマーケットプレイスローンチだ。AV女優おならが人気があったが、実際には会社で雇ったバイトの人に炒り豆を食べて出してもらったおならを採って送っていた。女優事務所にはライセンス料を払っていた。グレーと言えばグレーなサービスだったけれど、これのおかげで自分は一文無しの状態からアパートを借りて今日まで中野生活できたので、自分にとっては神サービスだった。

そんな経緯を思い出しながら、明日電車に乗ることをぼんやり考えているうちに、だるくなってきた。でも明日電車を逃せばまた2年間待たなくてはいけないかもしれない。どうするかもうすこし考えようと思っている。


https://anond.hatelabo.jp/20201226222047

https://anond.hatelabo.jp/20201225104351

2020-12-26

中野さら無駄に停まる

中野駅は、千葉から三鷹市を結ぶ総武線や、山梨大月まで伸びている中央本線の中継点になっている。ふだん通勤新宿駅阿佐ヶ谷駅あいだ(つまり総武線のほんの一部区間)を毎日行ったり来たりしているだけの私には、中野は少しイラッとさせられる駅だ。停車時間がいつも長いからだ。中野駅電車がいったん着くと、ドアを開けたまま、再び走り出す気配すらない。思い出したように電車が再び走り出すまでの間、乗客列車の中で押し黙っている。

乗客の忍耐を承認と受け取ったのか、国鉄中野駅での停車時間を少しずつ延長しはじめたみたいだった。

2分間停車とアナウンスはいっているのに、それより長く感じる。たぶん自分が焦っているだけだろうと思い、最初の頃は気に留めなかった。数日後、やっぱり長いなと思って時計で計ると、5分を越えていた。それから日ごとに中野での停車時間は長くなっていき、20分を越えた頃にはさすがに乗客ほとんどが異変気づきはじめた。停車時間が2時間を越えた頃にはもう国鉄は隠すこともしなくなった。これから2時間停車する旨アナウンス流れると、乗客は全員降りていった。

中野毎日2時間電車を待つのはそれなりに大変だったが、しだいに慣れた。電車待ちの客をあてにした商売中野駅の周辺で増えて、時間を潰す場所には困らなかったからだ。駅前広場パブリックハンギングで人が首にロープをつけたまま落下するのを眺めたり、うずら園へ行ってお茶を飲んだり卵を拾ったりしていると、それなりにしのげた。

停車時間が2日間になったときには、もっと腰を据えて時間を潰さなくてはいけなくなった。それだけ時間があるなら歩いて阿佐ヶ谷へ帰ろうかとも思ったが、検問が行われていて中野から西へは自由に行けなかった。これほど長く乗客中野に留め置くことは疫病対策になにか関係があるらしかったが、詳しいことはわからなかった。

なんにせよ2日間は長い。食料を仕入れて寝る場所を探そうと思い、とりあえずブロードエイに行った。その名のとおりブロードエイはとても広く、20〜30mくらい幅がありそうな道路の両端にはかすかに黄色い葉を残す銀杏が並び、樹の下には雑多な屋台が出ていた。植木屋金物屋肉屋魚屋おでん、綿あめ、射的、大人のおもちゃ根付オーディオ用品、型抜き、スマートボール骨董品、ありとあらゆるものがあった。

道路脇にプロパンガスボンベを持ち込んでソーセージを焼いていたので、2本買った。真冬でも麦わら帽子かぶったおばさんが、ちぎった生のキャベツ、青い唐辛子と一緒に小さなビニール袋へ入れてくれた。この辺でどこか安く泊まれるところはありませんかとついでに訊くと、最近電車待ちの人向けにキャンプ場ができたよと教えてくれた。

キャンプ場はうずら園の裏手にあった。入口で受付を済ませると、カーキ色のテントと寝袋を借りた。米も売っていたので買った。調理場にたくさん積んである飯盒を借りて米を炊いているうちに日が暮れた。

暗くなると一気に寒くなった。このまま寝られるかどうかもわからないほど寒かったので、斜め向かいテント前でやっている焚き火にあたらせてもらった。そこにいたのは自分と同じくらいか少し上の年頃の男性で、柔らかい物言いのわりに目の奥の光が鋭かった。焚き火の上で沸かしていたお湯で焼酎を割って飲ませてくれたので、自分ポケットに入っていた南部せんべいを渡した。

これから毎回、西に向かおうとする度に足止めを食らわせるつもりなんですかね、国も呑気なもんですね、などと話し合っているうちに私たちは打ち解けた。国分寺に住むミヤシタさんというそ男性カメラマンで、戦場というよりは紛争地帯取材を専門にしているらしく、数年前、パキスタンからアフガニスタンへ入った時の話をしていた。自動小銃を持ち、黒い布で顔を覆ったタリバン兵士が乗るピックアップトラックについて村を、学校を周って子どもたちを撮影したこと。片目のない子、腿から膝にかけて爆撃の痕で肉がえぐれたままの子が珍しがって寄ってきたこと、阿片栽培関連の場所は一切撮影を許されなかったこと。暗闇の中で炎を眺めながらそんな話を聞いていると、自分東京にいることを一瞬忘れた。

テントに戻って眠りについたものの、寒さで目が覚めた。寝袋が冬用なのかどうかわからない。奥歯がガチガチ鳴るのを自分では抑えることができなかった。このまま横になっているのに限界を感じて外に出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。バラックトタン屋根が、木が、電柱が、金色紫色の混じった光から現れてきた。今日一日をどうするかはまだ決まっていなかった。

2020-12-25

中野無駄に停まる

総武線新宿を出て三鷹方面に向かうとき中野で停車する時間無駄に長い。誰も乗り降りすることはないのに列車はドアを開けたまま停まっている。この時間がほんとうに長い。停車時間は2分とアナウンスが入るが、この2分はぜったいに2分じゃないと感じる。中野から2駅あとの阿佐ヶ谷で降りる自分にはこれがいつも軽いストレスだった。

中野でこれから2時間停車と車内放送が聞こえたときには、聞き間違いだろうと思った。先週までは(たぶん)2分後に列車はきちんと走り出していた。だが乗客はどんどん列車を降りていき、車内には自分だけになった。東日本国有鉄道の業績が疫病のせいで傾いていると新聞に載っていた。そのしわ寄せが来るとしたら中野のような所なのだろう。しかたがないから降りたが、中野でなにかをするあてがあるわけでもない。

中野阿佐ヶ谷に比べると殺伐としているので、本当に用事があるときでないと降りない。改札には人が立って切符に鋏を入れていて、SUICAは使えない。さんざん並んで一時降車証明書をもらって駅を出ると、乾いた小便の臭いが鼻を突く。駅の軒下には浮浪児がたむろして寝転がったり莨(たばこ)を呑んだり、片足の傷痍軍人アコーディオンで天然の美をプカプカ弾いたりしている。

駅前に広がる街があきらかに茶色い。泥のなかに崩れかかったバラックがごたごたと並んで店を出して、どこの盗品かわからないようなベルトや万年筆シケモクをほぐして干したものを売っている。食べ物といえばすいとんやじゃんぎ丼のようなものを出す屋台しかなく、労務者が地べたにしゃがみ込んで丼を掻き込んでいる。疥癬背中ボロボロになった野良犬物欲しそうにそれを見ている。

中野途中下車する乗客をあてこんだ商売も出始めていた。ピンク色の法被に黒のスラックス姿の男が、新しめのバラックの前に立っている。そばを通ると、「発車までお遊びどうですか」と声をかけてきた。傍らの看板には毛筆で『列車ヲ待チナガラ花ビラ大回轉 一時間五千圓ポツキリ』とあるいくら時間があっても密室接待を受けていたら疫病にかかるかもしれない。とても無理だなと思いながら通り過ぎると、サラリーマン風の男二人が店に入っていった。

最近都内で増えている屋外の娯楽がパブリックハンギングだ。中野駅前広場にも櫓ができて、周りに人が集まっている。場所にもよるが1000円くらい払うと、櫓の上に設置した処刑台に人を吊ったり、自分が吊られたりすることができる。目隠しをした相手首に縄をかけるか、自分がそうされるかを選べる。吊られた人はすぐに下のトランポリンに落下して大きく飛び跳ねる。野次馬拍手したりしなかったりする。他愛ないといえば他愛ない遊びだが、最近なぜか流行っていた。世相のせいだろうか。

そんなに刺激を求めているわけではないが、スマートボールはこの前やったばかりなので、結局自分うずら園で時間をつぶすことにした。入場料を払って囲いの中に入ると、うずらがたくさんいて地面を歩き回ったり、藁の上に休んでいたりする。その辺を探すと卵が見つかることがある。これは持って帰ってよいことになっている。うずら攻撃を避けながら制限時間内に卵を探すだけの地味な遊びだが、自分はこれがけっこう好きだった。

から徒歩5分ほどのところにある中野うずら園は、それなりの規模だった。囲いの中には植え込みがたくさんあって、2、30羽はいうずらが好き勝手にやっていた。真ん中には丸いテーブル椅子があり、ポットからお湯を注いでハーブティーを飲めるようになっていた。

ミントティーを飲みながらうずらを眺めていると、植え込みの中に先客がいることに気づいた。グレーのスーツスカート姿の、髪の長い女性らしい人がしゃがみ込んで、両手で顔を覆ったまま動かない。

囲いのゲートが開いてまた一人やってきた。背の高いおじいさんで、白髪交じりの長い髪は何年前に洗ったのか不明なほど汚れていて、フエルトのように固まっていた。染みだらけの黒いベンチコードにピンストライプスラックスはいていて、左右の靴が違った。おじいさんは恍惚とした満面の笑みで、腕を上げてゆっくりとしたリズム手拍子を打ちながらこちらに近づいてくる。手拍子は歌にあわせていることが、近づくにつれてわかる。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、あっ、おあいおああんあああお、ああいあんあああーお、ああいあんあああっあ、あいおー。これはあれだ。植え込みにうずくまったままの女は動かない。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、自分手拍子だけでつきあおうと思ったら、あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、電車の発車時刻はおあいおああんあああお、ああいあんあああーお、ああいあんあああっあ、ああいあんあああっあ、あいおー

2020-09-14

中野オカメインコ探してるマン必死すぎて泣けてくる

練馬の果て(ほぼ埼玉)みたいなところまで張り紙してた

こないだは外人看板持たせて中野駅前に立たせてたし・・・

2020-06-24

から20年くらい前の話。

中野駅周辺を歩いていたら声を上げながら小走りで走っていく障害者と思しき男性とすれ違った。

それを見ていた女子中学生くらいの3人組が

A「うわ~~~~」

B「キモーイ」

C「障害者だ~~」

ケラケラ笑っている現場に遭遇したことがある。

別に何か教訓めいたことを言うつもりはないが「キモイ」という言葉を見たり聞いたりするとこの光景を思い出すことがある。

2018-09-27

アプリタクシーを呼んだら

「JapanTaxi(旧 全国タクシー)」というアプリを使ったことがある人も少なくないのではないだろうか。

簡単に言えば、地図上で乗車場所を設定すれば、そこへタクシーが迎えに来てくれるというものであるが、使う人が多すぎて迎車料金の410円だけでは乗務員にとって割の合わない仕事も増えてきた。

全国各地のタクシー会社提携しているが、開発元が日本交通の子会社で、前身日本交通専用配車アプリであるということもあり、東京では日本交通車両を呼ぶアプリという印象が強い。
(実際は一部の個人タクシーや、東京無線の車も呼べる)

東京タクシー事情

一般的タクシーは駅や病院に待っているものに乗るか、電話で家まで呼んで乗ることが多いと思われるが、東京は前述の2つよりも、そこら辺を走っているタクシーに手を挙げて乗ることが多い。タクシー営業エリアも広く、東京都は営業区域が5つに別れているが、その中でも都心部を擁する営業区域は「東京23区+武蔵野市三鷹市」と、東西は40キロ南北は30キロにも及ぶ広大な地域が設定されている。

東京23区+武蔵野市三鷹市場合運賃最初1052mまで410円、そのあとは237mごと or 一般道において時速10キロ以下での走行時間が合計90秒ごとに80円加算される。夜間割増は22時~翌5時の間に2割増。遠距離割引は9000円を超えた分について1割引。高速代は別途請求される。
会社によっては法定下限ギリギリまで料金を下げており、夜間割増がなかったり、初乗り300円台の会社もある。

給与体系は完全歩合制で、日本交通場合グループによって若干違うが)、売上の52%が月給となり、10%はボーナスとして積み立てられる(=売上の62%が手元に来る)。つまり、乗せるだけ儲かるという仕組み。最低保障給与は月額18万円。

タクシーが来るまで

このアプリタクシーを呼んだあと、裏方ではこういう風になっている。(日本交通場合

1. アプリサーバーを通して近くにいる空車タクシー自動的選択される

電話予約だとオペレーターが手動で選んでいるが、アプリ予約だとコンピューター自動的に選ばれる。
そのため、逆方向を走っていようが右折禁止交差点にいようが適当に選んで呼んでくる。車両位置情報アプリ確認できる。

2. タクシー車載からけたたましいビープ音が鳴り、無線配車が来たことが知らされる

これがかなりうるさい。無線システム車載カーナビと連動しており、無線が来るとカーナビの画面が一瞬ホワイトアウトするため、緊迫する。
5秒以内にメーターの「迎車」ボタンを押せば配車成立となり、押さなければ不成立。既に目の前にお客様がいるような状況だと、乗務員無線を受けず、また「1」に戻る。配車が成立してようやく、「配車情報」が表示される。

3. 配車情報を受信し、迎え先へ向かう

どんな内容の無線かは、運転手無線配車を受諾して初めて分かる。運転手には最低でも「お客様の氏名」「予約の種類」「迎車時刻」「迎え先」「到着後の対応」の5つが届く。これについては後述。
前述の通り無線システムカーナビと連動しているため、アプリでピンを立てた場所がそのままタクシーカーナビに反映される。
指定されている迎車時刻に間に合うよう迎え先に行くが、配車の種類によっては5分前だったり、40分前だったりとまちまち。

4. 迎え先に着いたら、車外待機。お客様が来たらお名前確認して乗車していただく。

車外待機は、日本交通マニュアルで定められている。単なるお迎えのサービスとしてだけではなく、周囲の通行人へのアピール意味もある。
降車時も乗務員が外に回ってドアを開けてくれるが、慣れたお客様はしなくていいと言ってくれる。

運転手に届く情報の内容

https://i.imgur.com/yGMi2rt.jpg
↑こんな感じの画面で届く。横の「ナビ」を押せばカーナビの経路案内がスタートする。
迎車料金は410円だが、指定時刻の1時間上前に予約した場合、更に410円発生する。

お客様の氏名

カタカナのみで送られてくる。フルネームしっかり入っていることが多いが、たまに名字だけだったり、お店の名前だったりする。
外国人アプリ利用者で氏名を登録していない場合、代わりに「マチアワセバンゴウ様」と表示され、別途3桁の確認番号が表示される。こんなニュースもあった。 https://www.j-cast.com/2018/05/15328701.html?p=all

予約の種類

乗務員にも予約の種類が知らされる。その種類は以下の通り。

【即時配車】
「迎車時刻を指定せずに」「電話で」配車を依頼した場合。概ね無線センター指定した迎車時刻の1020分前に、運転手に配車依頼が届く。

【必着配車】
「迎車時刻を指定して(1時間以内)」「電話で」配車を依頼した場合ホテルフロント宴会会合の進行具合を見て呼ぶパターンが多い。

【予約配車】
「迎車時刻を指定して(1時間以上)」「電話で」配車を依頼した場合。だいたい長距離のことが多い上、運賃に820円加算されるため、乗務員ちょっと期待する。運転手に配車依頼が届くのは予約時刻の20分~30分前。

【即時スマホ配車】
「迎車時刻を指定せずに」「アプリで」配車を依頼した場合。一番多いが、だいたい短距離目的地が指定されていなくても、時間帯や場所によっては情報を受信した時点で行先が予想できる。例えば夕方の「北新宿」「百人町」なら歌舞伎町とか。運転手に配車依頼が届くのは予約時刻の5分~20分前。

【必着スマホ配車】
「迎車時刻を指定して」「アプリで」配車を依頼した場合電話予約で言うところの「必着配車」「予約配車」にあたるが、いつ予約しても迎車料金は410円。
公式サイトでは「アプリで注文すれば1時間上前の予約でも料金は410円でお得です!」と言っているが、配車が決定してからお客様にご乗車いただくまでの時間が長い割に売上にあまり貢献しないことも多いため、嫌う運転手が多い。だいたい20~30分前に呼ばれる。

【優先必着配車】
「優先予約料金を払い」「迎車時刻を指定して」「アプリで」配車を依頼した場合アプリだけの機能お客様からすれば便利かもしれないが、乗務員からすれば悪の権化である指定時刻の30~40分前に呼んできて乗務員時間を奪っていく。後述。

迎車時刻

電話時間指定せずに予約した場合無線センターオペレーター車両位置考慮してキリのいい時間に設定し、それを電話口で伝える。
アプリも似たような感じで、コンピューター自動的に設定する。アプリに「あと○分」と出てくるが、その時間乗務員にも知らされている。かなり余裕を持って設定されるため、これに遅れて到着することはほとんどない。ただ、アプリ配車の場合、その時間になってもお客様が出てこないことも多い。何らかの事情があるのは分かるが、乗務員からすればまあまあ迷惑である理想を言えば、車が来たのがアプリで分かった時点で出てきてほしい。
よくあるのは、迎え先が住宅街の細道であるにも関わらずお客様がなかなか現れず、その間に後から他の車が来て車を移動させなければならなくなるパターンである。細道に限らず、狭い割に交通量が多い道路でも同様。

迎え先

文字情報としては住所だけが知らされるが、アプリでピン(乗務員は「旗」と呼んでいる)を立てた場所がそのままカーナビに送られてくるため、乗務員もそこを目指してタクシーを走らせる。しかときどき通りに面していない建物にピンが立っていたり、大きな建物中央にピンが立っていたりする。お前がいる場所じゃなくてタクシーが行く場所を教えてくれ!そういう場合は、乗務員が頑張って探したり、無線センター場所不明の旨を連絡して対処する。
アプリで呼ぶと、注文画面の右下に「場所詳細」というボタンが出てくるため、そこで待機場所建物名などを入力していただけると、トラブルもない。ちなみに、車寄せがあるマンションビルタクシーを呼ぶ場合、車寄せの入口にピンを立てて、「場所詳細」にビル名と車寄せに行く旨を書くのが正攻法
アプリ配車だと目的地も設定できるのだが、なぜか設定しない人が多い(=乗ってから言う)。別にそれでも構わないのだが、いざ行先を聞いてみると待機していた方向とは反対で、その場でUターンしなければならず、余計な時間を取ってしまうというパターンが多い。そういう時に限って「早く出発してください」とか言ってくる

到着後の対応

乗務員がその場で待つか、インターホンやお店に直接伺うかの2種類。それぞれ車載器では「待合」「伺う」と表現される。

優先必着配車

これはアプリ上で980円を余計に支払えば(迎車料金と合わせて1390円)、予約を取りにくい時間帯でも優先的に配車してくれるというものである。朝に使う人が多い。しかし、これはお客様指定した時刻の40分以上前から車を拘束するため、乗務員からの評判はすこぶる悪い。とりあえず空いている車なら何でも優先必着に回すため、銀座にいる車を目黒まで向かわせたり、新宿にいる車を世田谷まで向かわせたりというのは日常茶飯である

優先必着が多い朝の時間帯はどこを走ってもお客様が手を挙げており、乗務員としては稼ぎ時。そしてそれ以上に、短距離でも長距離でも、急いでいるお客様に一人でも多く乗っていただき安心していただきたいという思いが強い。これこそタクシー冥利に尽きるというものだが、この優先必着は、タクシーお客様をお乗せできない状態で朝の都心を延々と何キロも走らせるもので、社会的にも不利益が大きい。何人も手を挙げている人をスルーして迎えに行き、20分30分と待たされた挙げ句、送り先が近場だったとなれば、負しか生んでない。

「980円余計に支払ってくれるならそれでもいいのでは?」と言われそうだが、この980円は売上に加算されず、アプリの開発会社(=日交の子会社)に回るため、やはり乗務員にも不利益しかもたらさない。ちなみに40分あれば朝なら5人は乗せられるし、40分ずっと走り続けるような営業は6000~7000円にはなる。会社にも利益が及ぶか怪しい。

そもそも無線配車自体営業効率を下げるというのが本音だが、来たら既にお客様が外に出ていたり、荷物が多かったり足の悪いお客様だったり、あるいは長距離お客様であれば、そんなモヤモヤも吹っ飛ぶ。

タクシーの予約ができない

朝や雨の日に多い。理由簡単で、予約に回せるタクシーがいないかである。こういう時はそこら中で手が挙がるため、誰も無線を取れなくなるのだ。ちなみに営業所の職員は出庫できる車は全て出庫させるような計画を立てているため、いつでもフル稼働。

台数は増やさないの?

需給調整の観点から国交省運輸局が台数を定めているため、そう簡単には増やせない。日雇い乗務員採用禁止されている。

その営業所にいる車をフルで出庫させる(日単位での増車)ことはできないのか?という疑問もありそうだが、これも単純に乗務員が足りないので無理。乗務員シフトは概ね「早朝出勤→深夜終業(早番)」「昼過ぎ出勤→昼前終業(遅番)」の2種類があるが、これをやろうとすると早番で家に帰った運転手をまた夕方に叩き起こして出庫させることになり、労働基準法にも違反する。
夕方になるとその日の朝に早番シフトを終えて戻ってきた車が車庫に残っているが、それに乗る乗務員はいないという訳である半日勤務(日勤、夜勤)のシフト存在するが、これを設定するかどうかはタクシー会社がある地域特性や考え方によって変わってくる。

本当に車両不足だけが理由なのか?

日本交通場合無線配車は必ず受けなければいけないことになっている。無線を3回以上無視すると、その乗務員には翌月まで夕方~早朝の無線配車が来なくなる。ちなみに受けた後に内容を見てキャンセルするのは懲戒対象しか現実的には、あまりいい条件の無線が来ない地域回送走行し、手を挙げそうな人がいれば空車に戻して乗せるか、儲かりそうな地域に戻ってから空車に戻すということが横行している。もちろん、「無線に頼らなくても稼げる!」という人は最初から無線を取らない。

話によると、早朝に羽田空港お客様をお送りした後、大田区内は回送で走り続け、品川区に入ったら空車に戻すというパターンが多いらしい。これは通常「偽装回送」と呼ばれ、違法行為に当たるのだが、営業所で何か言われても「休憩場所がなかなか見つからなかった」と返しておけばいい(らしい)。
ちなみに回送表示を出していいのは、休憩や給油に向かうときや、営業を終えて車庫に戻るときだけ。休憩場所もできるだけ近場で探さなければいけない。

これが横行すると、迎車距離(配車依頼を受信した場所から迎え先までの距離)が長くなることが多くなり、「偽装回送なんかやらないぞ!」と息巻いていた乗務員もそのうち偽装回送をやりだすようになるのであるますます悪循環乗務員みんなで分担すれば、それだけ一人あたりの負担も減り、予約できないということもなくなってお客様満足度も上がるはずなのに。

そもそもタクシーがいない・行かない場所

こうは書いたが、本当にタクシーが行かない場所もある。その代表が、練馬区大泉地区大泉学園)である大泉地理的条件と実際のお客様の動向からタクシーが集まりにくい。

乗務員によってやり方は違うが、大体のタクシー山手線の内側でお客様を探し、ご乗車いただけたら次はお客様を降ろした場所の近くでお客様を探す。それで誰も乗せられなかったら主要道路都心へ戻りながらお客様を探す。一例として、新宿から中野区内までお客様を乗せてきたタクシーは、とりあえず人の多い中野駅の近くや青梅街道早稲田通りでお客さんを探し、それでもいなかったらまた新宿へ戻っていくという具合である。それは渋谷から自由が丘でも、高円寺から吉祥寺でも、同じことである

ところが、大泉学園はどの繁華街からも離れている上、都心からまりにも離れすぎていて外からタクシーがやってくるということがない。タクシー会社もない。乗務員立場からしても、大泉学園は道路がいつも混雑していて営業効率が下がる上、お客様が乗ってくるのは大泉学園駅に限られる。仮に駅から乗せたとしてもだいたい近距離で、無線大泉のどこかに呼ばれても送り先は大泉学園駅…と、わざわざ大泉に行くメリットは何もない。

私も同じで、練馬関町にいたところを大泉から無線で呼ばれ、はるばる6キロ走って迎えに行ったら、ワンメーター(運賃410円+迎車料金410円の820円)乗車だったことがある。つまり、この820円のために40分以上も時間を使ったということで、この一件以来、大泉には足を踏み入れないようにしている。

郊外における朝ラッシュ車両不足

遅番の乗務員は、早朝の時間帯における郊外都心送りのお客様を狙っている。世田谷区、目黒区、杉並区辺りが狙い目。なぜ早朝かというと、道路が混んでなくて短時間のうちに稼げるから。6時半までには都心へ出て、朝帰り都心の中を移動するお客様を乗せるのが一番効率が良い。仮に7時台に世田谷から大手町なんてお客様を乗せれば、渋滞地獄お客様乗務員イライラすることは目に見えている。長距離でも時間がかかるから効率はよくない。

結局、多くの乗務員が朝早いうちに都心に出てしまって、ラッシュが本格化する頃には郊外には残っていないのである

こっちの事情などお客様には関係ない

ところどころ述べてきた通り、無線営業効率を下げるという考え方をする乗務員が多い。早朝でも高収入が見込める都心羽田空港送りを得るために都合よく使っているだけであるしかし、これが曲がりなりにも公共交通に携わる人間の考え方で良いのだろうか。

実際は、最初に述べたような給与体系がそうはさせてくれない。乗務員営業効率を上げ、どんどん稼いで生活を成り立たせなければいけないのである日本交通はこういった無線配車に力を入れているくせに、乗務員清貧ばかりを求め、「無線を取りたい・取ってもよい」と思わせるような待遇を一切していない。事実転職日本交通を選んだが、仕事に慣れてくる過程無線を嫌うようになり、無線配車の少ない他社へ更に移っていく乗務員も少なくない。

サービスをよりよいものにしていくためには、私たち乗務員会社方針理解し、お客様のことを考えてそれらを実行に移さなければならない。ここに書いていないことも含め、タクシー業としては破格の要求が多く、理解できない乗務員は長く居続けなくていいという考え方もある程度仕方ない。しかし、玉石混交無線配車のお客様を見るにつけ、会社からの押しつけも度が過ぎると感じることがある。

精神論ではなくしっかりと中身が伴ったバックアップで、どんな不器用乗務員でも、いつもニコニコ笑顔お客様をお迎えできるようにするのが、次のあなた役割だと思いますよ。川鍋一郎さん。

anond:201810021214497 もどうぞ。

2018-09-13

中野に1万人規模のアリーナ現実的じゃない

中野に住んで10年以上になる区民です。


サンプラザの大規模改修は再検討することを公約にした現区長が、

公約通りいろいろ検討した結果、

「周辺各地区の整備と密接に関連していることを考慮し、再整備に向けた検討を進展させていく」

方針を示したようですね。

「中野サンプラザ」 区長 計画どおり取り壊す方針を示す

これ、中野区民にとっていろんな意味で衝撃的な話ですよ。

おまえ、当選して3か月でその結論に至れるのかと。

リアルガチで反対のため投票した人は、怒りに打ち震えているに違いない。


ただ、多くの人は「改修」に関しては理解した上で、新区長投票したと思うんだよね。

ノスタルジィやら思い入れのために、絶対壊すな!って感じでは投票していない。

1万人規模のアリーナという、周辺環境を顧みないバカげた計画をどうにかしてほしいという

想いの方が強かったと思う。


から上のニュース記事

1万人規模のアリーナ需要あるからいいんじゃない?ってブコメがあったことに驚いた。

その人達って最近中野に来たことあるのかな。


今、中野駅周辺の環境は劣悪もいいところである

慢性的交通渋滞、ごちゃつく駅、狭い歩道

混雑するサンモール、マナーの悪い自転車乗り、減らない不法駐輪etc

とても1万人規模のアリーナが受け入れられる環境ではない。

横浜アリーナパシフィコ横浜さいたまスーパーアリーナあたりと周辺環境が全く異なってる。

1万人アリーナ、そりゃあった方がいいでしょう。

それが新宿に近い中野となると、利便性も高いでしょうね。

でもね、サンプラザを壊してその跡にたてるのはあまりにも無謀なんですよ……


一応、駅舎の改装や周辺の整備は計画としてあるんだけど、

中野サンモールぶっ潰すくらいに広げないと、

1万人規模のアリーナをフル稼働させる状況を対処できるとは思えない。

大企業大学を誘致して増えた人への対処すらロクに出来ていないんだもの


こんな状況で1万人規模のアリーナとか馬鹿休み休みに言えという話なんだよ。

それが前区長トップダウンで実現しようとしていたことが本当に恐ろしかった。

区長もっと現実的な改修計画になるかと思ったが、

区議会与党に飲み込まれそうな空気が出てきていて不安が募っている。

2018-01-19

中野が好きだ

世界一乗降客数を誇る新宿駅から中央本線快速列車に乗り、1駅。

中野区の中心地を成す中野駅の街並みが好きだ。

JR東京メトロ共同駅は、いつも人がごった返している。

北口を出ると、まっすぐに伸びた中野サンモールへと続く道。左手には中野サンプラザを遠目に、アーケード街へと導かれる。

様々な店舗に目を引かれながら、人の流れに沿って進んでいくと、いずれ中野ブロードウェイへと辿り着く。

ドラッグストアや、ファストフード店や、金券ショップや、喫茶店といった、アーケード街のありふれた風景から一転して、漫画フィギュアレトロゲームが並ぶニッチディープ世界へといざなわれる。

向きを変えて、中野サンモールの道半ばを右へ逸れると、空気は一変、飲み屋街が現れる。中野北口一番街。

夕方仕事を終えたサラリーマンたちは、中野サンモールから外れて、一日の疲れを癒やす客引きは、今日も威勢良く酔っ払いに呼びかける。

反対に、中野サンモール左手に進むと、先ほどちらと見えた中野サンプラザが姿を現す。

休日には、広場テントが張られ、様々な催しが街を活気づける。

人々は、様々な目的を持って中野という土地へ降り立つ。

幼少期からこの街によく訪れていた記憶とそう相違なく、頻繁に発着するバス電車の音、スーパーの買い物袋を下げた家族連れの足音、ふと立ち寄った喫茶店コーヒーカップの立てる音、すべてが心地よく、全身に澄み渡る。

この地に足を踏み入れる度に、ただいま、と言いたくなる。

朝の日差しも、昼過ぎの雨も、日が沈んだあとの夜風も。

この街がずっと続けばいいと、いつまでも懐かしいと思わせてくれることを願って、駅の改札を通り抜ける。

2018-01-15

anond:20180115182730

都営大江戸線新宿駅から「改札外へ出ずに」JR新宿駅中央東口改札へ

わず辿り着けたら新宿駅プロを名乗っていいと思う

これより難しい新宿駅の経路って他に何かあるかな

改札から出ないってのは難しいな

大江戸線新宿駅→(京王)→下北沢駅→(小田急)→(千代田線)→北千住駅→(JR)→JR新宿駅

大江戸線新宿駅→(新宿線)→九段下駅→(半蔵門線)→大手町駅→(東西線)→中野駅→(JR)→JR新宿駅

2017-12-14

列車非常停止ボタン

昨日の夜中23時くらいかな?中野駅列車非常停止ボタンが押されて停車したんだけど実はその場にいたのね。

原因は女性中野駅に着く直前に倒れたんだけど、それで誰かが押したのね。

はっきり分からないんだけど酔っぱらってるようにも見えたんだけど、そこはちょっとからない。

ただ列車非常停止ボタン押すほどのことかな?って思った。本人は立ち上がってたし。ベンチに座らせればいいんじゃないかと。

しかもその電車だけじゃなく他の電車も止まるんだよ?駅員呼び出しだけでいいんじゃねーかな。簡単に押しすぎてないかね。

2017-09-08

中野駅 自転車でやってくる人々

東京都中野区にある中野駅には、駅付近まで自転車でやってきて電車に乗る人が多い。


都内で、徒歩で隣の駅に歩いていける距離に駅があったりする駅なのに、自転車でやってくる人が多い。

そして中野駅には、駅前近くに自転車置き場はなく、ちょっとだけ遠い。

それなのに、自転車で駅に来る人が多い。

そこそこの規模の自転車置き場が何箇所も存在していて、置き場が自転車で埋め尽くされているので、それだけ多いということだ。


中野駅が最寄駅の人は徒歩で駅に来るため、わざわざ自転車で来る人々は、他の駅が最寄の自宅に住んでいる人達と推測している。

他の路線だと乗り継ぎが不便だとか、会社から支給されている交通費と実費の差分をを少しだけ浮かせたいのかわからないけれど、

これらの人々の挙動は、中野ブロードウェイ中野サンプラザ再開発されたセントラルパークといった魅力あふれる中野の、

ちょっとした特徴であると思っている。


もちろん全ての人でないが、中野駅自転車でやってくる人々の多くは余裕が無く、自転車マナーがすこぶる悪い、ように見える。

歩道スピードを出して走り、速度を落とさず、焦点の合わない目で歩く人に自転車で突っ込んでくる。

老若男女、だれもが皆同じような表情で、無表情で突っ込んでくる。

電動アシスト付きで、前後チャイルドシートやらカゴがついてて、インディアンモーターサイクルみたいになってる自転車

知らないだけで起きているのかもしれないが、よく事故が起きないものだと日々思いつつ余所見をしていると、

目の前に焦点の合わない目をした人が乗った自転車が目の前にいたりするので、集中しておかなければならない。


少しだけ遠い自転車置き場に自転車を停めた人々が駅に向かう場面においても、皆必死の形相で歩いている。

普通サラリーマン通勤する時間に、やっと電車に乗ろうとしているくらいだから時間ギリギリなのかもしれないが、

朝、中野駅からどこか(上り新宿方面)に向かう人は、どんな状況でも、他の所から中野駅にやってきた人にほぼ道を譲るような事はしない。


南口自動改札を出るやいなや、出てくる人の群れにダイアゴナルに切り込んでくる黒いポロシャツ中年男性が左側から現れる。

肩を突き出してくるため、ぶつからないよう少し右側に避けることになる。

その瞬間、右側からまたスーツサラリーマンが肩をいからせてスピードを増す。

それを目視し、ぶつからないよう、元の位置に体を戻す。

一瞬の出来事ながら、うまく避けることができ、ぶつからなかった事に安堵しほんの少しうつむき、顔をあげると、

正面から顔を見据えながら大またで歩いてくる中年女性がすぐ目の前に。。。

体を真横にし立ち止まるしか選択肢がなく、ぶつかることは避けられたものの、

中年女性肩にかけていたバッグの角が胸板に突き刺さり、靴半分だけ後ろずさったその瞬間、後ろ足を若いOLさんに蹴りあげられる。


すべてクリアできた日は清々しい気分になるし、日頃のトレーニングの成果であると満足できる。

ありがとう中野駅


夕方になり中野駅から帰る時、中野駅に帰ってきた人々が大量に番線ホームから階段を降りてくる。

もちろん、これから電車に乗る人がホームへの階段を上る際、下りの人々が階段占領し、上る人のために人1人分の隙間も与えてはくれない。

これも難関だ。。


とりあえず、中野駅改装して、出口を複数作ってもらいたい。

2017-08-18

中野駅地下鉄トンネル出入口のポイント

水煙みたいなのがあがっていた。

今日涼しいけど、水を撒いているのかな?

2014-07-07

承認欲求が満たされる瞬間

あなた承認欲求は、どんな瞬間に満たされますか?

はてな村民のみなさんは、やはりスターはてブをもらった時なんでしょうか?

ぼくの場合、なんと言っても女性が精液を飲む瞬間です。

それも一度手に出した精液を舐めるようにして再び口に入れ、飲む瞬間ほど承認欲求が満たされることはありません。

それではなぜ僕がそのようにされると承認欲求が満たされるようになったかお話します。

あれは初めてのオフ会でした。

ぼくはまだ高校生になったばかり。中学の頃からネットテキストサイトを公開していました。同じようにテキストサイトを公開している人たちとつながりができ、オンラインで仲良くなったのですが、中学生の時はオフ会には参加できず、いわゆるオフレポを読んでいいいなあと思っていました。中でも風俗系で働いている女性テキストラーの方とは、頭の中はエロばかりの僕の好奇心を満たすにはとても魅力的でした。もちろんコメントメールを送り、いろいろな話を聞かせてもらったことを覚えています

いよいよ高校生、という春。お花見オフというものが開催されることになりました。いままではたいてい夜で参加できませんでしたが、昼から、ということで僕も気軽に参加することができたのです。

場所中野。家から電車で10分くらいの公園でした。

当日、僕は風俗嬢テキストラーと会えるのが一番の楽しみでした。彼女とは中野の駅で待ち合わせをしていたので、ぼくは公園を通り過ぎ、いったん中野駅まで歩いていくことになりました。

初めて買ってもらった携帯電話。まだ家族と友人以外、その風俗嬢テキストラー以外、誰も登録されていませんでした。僕が中野駅に向かって歩いていると、その携帯が鳴ったのです。

「着いたよー。いまどこ?」とかわいらしい感じの声で聞かれました。僕は居場所を答え、あと5分くらいで着けることを伝え、当日の服装と待ち合わせにサンプラザの中を指定しました。

数分後、僕がサンプラザの中へ入っていくと、少し派手な、春っぽいピンク色の女性が見えました。

あ、あの人だ。そう思いながら僕は近づき、いったん顔を確認しようと前を通り過ぎようと思ったのです。しかし、僕の服装を伝えてあったので、通り過ぎようとする瞬間彼女と目が会い、「あ、オレ君?」と捕捉されてしまいました。ぼくはドキがムネムネしていました。

彼女公園場所をよく知らないというので、「歩いて5~10分くらいですよ。」と説明すると、「歩くのだるい」と言われてしまいました。仕方がないのでバスに乗ることにし、彼女を誘導しました。これがいけなかった。

僕がバスの二人がけのシートに先に座ると、隣に彼女が座ったのです。こんなに空いてるのに隣に座るかね、と思ったことを覚えています彼女はそして生の太ももを僕に見せ付けてきました。

あ、と思った瞬間、僕は勃起してしまいました。

どうしてばれたのかわからないのですが、彼女は「ねえ起ってるの?」とぼくの股間を触ってきたのです。僕は恥ずかしくてたまりませんでした。

かわいいね」

とにかくバス公園に着きました。彼女バスを降りるとオフ会仲間の場所を探しにどんどん先に行ってしまいました。ぼくはなんとか必死で後をついていきました。勃起したペニスを静めながら。

「あー、これオレくんだよ。」

僕は歓迎されました。ぼくもやっと彼らの仲間になれたんだ、と喜びました。

当然ですが、みなさんはお酒を飲み、わいわいい盛り上がっています。ぼくはぽつんとしていながらも、いつも読んでるテキストラーの方たちの話に耳を傾けていました。

だいぶ陽も落ち、そろそろお開きにしよう。二次会へ行こう。という話になりました。

風俗嬢テキストラーの方は男性の中心にいました。みんな狙っていたんだと思います。ぼくは嫉妬なのかわからない感情でその様子を眺めていると、突然「オレくん」と呼ばれました。

彼女は他の男性陣に向かって、「わたし、オレくんに送ってもらうから」と宣言しました。「えー二次会はー」と一人の男性が言いました。すると彼女は、「気が向いたらね。」と言って駅の方へ歩いていきました。僕は男性陣に失礼しますといい、彼女の後を追いました。

酔っ払っている様子の彼女バスを待つ間もベンチに座ってとてもだるそうに見えました。「大丈夫ですか?」と聞くと、背中をさすってくれといわれたのでそうしました。

バスに乗り、中野駅に着くと、「オレ君、カラオケでも行こうよ!」と言ったので、ぼくは友達とよく行く小さなビルを改造したカラオケ屋に案内しました。

ボックスに入ると、彼女はまたお酒を注文していました。

「オレくん、歌ってよ。」といわれたので僕はミスターチルドレンを歌いました。彼女日記に好きなアーティストと書いてあったからです。

「オレくん、うまいねー。じゃあ、ごほうび!」

僕は彼女の方に引き寄せられ、あっという間にベルトを緩められてトランクスをはがれました。彼女と二人っきりでボックスにいるというだけで、ほぼ半立ち状態でした。

ぱくっと咥えると、ぼくのペニスはみるみるまに大きくなりました。当時、まだ包茎でした。

ぼくは気持ちよさにあっという間に発射してしまいました。彼女の口内に。

「あ、ごめんなんさい」

ぼくはこんなにもはやくいってしまったことを恥、さっと彼女から離れてトランクスをあげ、彼女に謝りました。

「いいよ。ほら、きれいにしてあげる。」とまた僕のペニスを引き出し、フェラを始めたのです。

僕は出したばかりなのにまた勃起してしまいました。そして、再び口内に発射したのです。

「ほら、おれくんの。」

と手のひらに吐き出した精液を僕に見せてくれました。


しばらく指で大量の精液をいじっていたかと思うと、ペロッと舐めて再び口内へ入れ、飲み込んでしまいました。


「おれくんの、おいしい。」

そう言って。


はてなオフ会には、はてな風俗女子はやってきますか?


追伸:Nさんのご冥福を祈り、この文章を捧げます

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

 
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