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はてなキーワード: 高尾駅とは

2023-11-11

anond:20231111075537

高尾駅なんて全然都会ですやん

山があるから田舎って認識

わいは辺り一面田畑が見える風景田舎景色だと思うけど

高尾駅周辺そんなとこあるの?田畑が全く無いわけじゃないだろうけど

それよか松戸の方がそういう風景ありますやん。グーグルマップ見てみ。

anond:20231111073615

田舎かいう住んでる場所によって定義全然違う概念

ワイは東京で言えば高尾駅くらいの感じから田舎だと認識しとるやで

2019-03-29

上京する人に教えてあげたい、電車の乗り方・基礎知識

地元電車路線が一つだけだったので上京しても2年くらい電車の仕組みがよく分からなかった。

スイカを買いましょう

パスモでも可。スイカは便利です。500円払う価値あります東京に住んでいて一々切符を買っている人は多分ほとんどいません。

「◯◯行」は「◯◯駅が終点」という意味

私は「◯◯方面行き」という意味だと思っていました。△△線の電車の中でも路線の途中の駅までしか行かない電車があったりするので要注意です。終点駅では回送するため降ろされるか、折り返し運転になります

山手線線路が丸なので(環状線なので)「渋谷方面行」等と表示されています

「△△線直通」は「あなたが乗った◯◯線は途中から△△線になります」という意味

鉄道会社が別の◯◯線と△△線であっても、線路が繋がっていて今乗っている電車がそのまま別の路線に進んでしまます。(乗換不要なので便利)

◯◯線に乗ったか終点で降りればOKと思って寝ていると別の路線接続していて全く知らない駅に辿り着いてしま可能性があります

また、◯◯線のはずなのに全く知らない駅が行き先に表示されて混乱する、ということが私はありましたが、それは接続された△△線の終点が表示されているのです。

前に乗ったことのあるホームから同じ色の電車に乗っても行き先が違うことがある

恐らく色々あると思うのですが詳しくないので自分体験談を1つ。

高尾駅に行くために国分寺から中央線に乗るも、途中で全く知らない駅にいることに気が付き大遅刻

原因は途中の立川から高尾に向かう中央線と、青梅方面に向かう青梅線に分かれていることを知らず、適当に乗ったため。(電車はどちらも同じオレンジ色

おそらく立川駅で乗換えを促すアナウンスはあったはずだが、全く聞いておらず。アナウンスは聞きましょう。

電車のドアはエレベーターのドアの様に何か挟んだら開くようにはできていません

エレベーターのドアと同じようなイメージで閉まりかけのドアに飛び込むと、思いっきり挟まれます

他のお客さんに引っ張り出してもらったりして、電車に乗れたとしてもその後車内で大変恥ずかしい思いをします。

駆け込み乗車はやめましょう。

まとめ

スイカを買おう。

行き先表示を確認しよう。

アナウンスは聞こう。

駆け込み乗車はやめよう。

以上です。

2018-09-25

八王子についてネットでいろいろ書かれるといつもモヤモヤする。

田舎でいいじゃん、都会でもいいじゃん、郊外でもいいし、なんでもいい。

他の県の同程度の地域だったらここまで叩く感じで書かれるか?東京悪口は言っていい...みたいな雰囲気が嫌いだ。

町田とか足立区のことをいちいち悪く言うのも嫌い。住んでる人の気持ち考えろよ。

どこか別の場所市と地価を比べて上だ下だいうのも下品


八王子って言ったって、駅だけで19ある

JR八王子駅、西八王子駅高尾駅八王子みなみ野駅、片倉駅北八王子駅小宮駅

京王長沼駅北野駅京王八王子駅、京王片倉駅山田駅めじろ台駅狭間駅京王高尾駅高尾山口駅

モノレール中央大学・明星大学駅大塚・帝京大学駅松が谷駅

はぶいたけど、あと登山用のがいくつか...(ちなみにwiki見るまでこんなにあるってことも知らなかった市民です)

八王子駅の近くか、線路のどっち側か...山の方か、新興住宅地か...の差もあるから人の雰囲気全然違うし、

中学校なんて50個ぐらい?あるから同じ市内出身者と合っても住んでるエリアが違ったら全然話通じないよ。(そんな中学校名前知らない、どこにあんの?ぐらいのレベル

出身者でもよくわかってないのに、イメージだけで叩くのやめろ。


こういうこというと八王子の人って八王子好きね、とか言わそうだけど

いちいちからかわれるのが嫌なだけ。普段は黙ってただただそうですねーって悪口受け流してるよ。

ちょっと言い返したくて相手出身地のこというとみんなふてくされるくせにさー東京に属しているだけでいつもサンドバッグ

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

 
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