はてなキーワード: 楽器とは
スクリーン張って音だけでセレクションやるようになってから女性の比率が上がった
時々YouTubeでタイニーデスクコンサートという番組を見ている。
毎回様々なミュージシャンが登場し30分程演奏する、いわゆる音楽番組だ。
収録場所は豪華なセットではなく、あえてTV局のオフィスの片隅で演奏されるところに番組の特徴がある。
楽器の置けるスペースが限られているから、バンドも小編成となり、自ずとサウンドや表現も限られたものになる。
元々はアメリカの番組だったが、最近は日本版が制作されYouTubeでアップされている。
出演しているのは、藤井風や稲葉浩志、チャラン・ポ・ランタンといった実力派だ。
稲葉浩志の年季の入った歌声やチャラン・ポ・ランタンの怪しげな雰囲気もまあまあ楽しめた。
なんというか一曲一曲に彩りがあり、風景が立ち上ってくる感じ。
たくさんの音が鳴っているが、それでいてうるさ過ぎず、何かを足しても何かを引いても全てが崩れてしまう繊細なサウンド。
前に出過ぎず、控えめに旋律をなぞり、バンドサウンドと渾然一体となっている。
声自体も無機質味を帯びながら、哀愁を帯びたメロウな雰囲気を漂わせている。
セットリストもよくまとまっており、まるで高級店のお昼のミニコースを味わったかのような満足感がある。
楽しげな表情やちょっとしたチャーミングな動きが良いアクセントになっている。
さながら巨匠シェフの元で生き生きと働く女性パティシエのようだ。
なんだか堀込高樹のことがとても眩しく、自分が情けなくなり涙が出てしまった。
おそらく彼は20代の頃から努力し続け、時にはもがき苦しみながら、還暦を目前にして自分のスタイルを体現しつつあるのだろう。
それに比べて同世代の俺は何だ。
少しうまくいかないとすぐに社会のせい、時代のせいにして、自分を磨くことを忘れてしまった。
下の世代だって苦しい状況は変わらないのに、ことあるごとに上の恵まれた世代と比較し、自分の不遇をアピールすることばかりに力を入れて。
まあ、わずかにでも社会に貢献しつつ、嫌われ者らしく謙虚にひっそりと小さく死んでいこうと思う。
参考リンク
■稲葉浩志の回
■チャラン・ポ・ランタンの回
■KIRINJIの回
自分なりにずっと考えてきた今の生成AIに関する問題とこれからについてメモとして残しておく。
なお主に生成AIイラストについて言及するがその他のジャンルも関わる話だと思っている。
Xフォロワー3000人ぐらい、以前は特定ジャンルの同人誌も制作していた。
生成AIが今のまま進化と拡大を続ければおそらく5年以内に様々なクリエイター分野(イラスト、造形、音楽、文章など)で深刻な爪痕を残し修復不能になる可能性が高いので、特に大企業と政府が中心に規制を迅速に進めるべきだと考えている。
また、個々のクリエイターが無断AI学習に対して明確に反対スタンスを示すことは(学習阻害効果が得られる得られないに関わらず)企業や政府に耳を傾けさせるためのムーブメントとして必要なことなので決して無意味ではない。
なぜそう考えるのか?簡単に言うと
①AIの進化スピードは人の想像を超える、既存手描きクリエイター全員の完全な「アナザー」に等しいクオリティを再現出来るまで僅か
②ハイクオリティなAIで満足する発注者と一般人が増えれば、既存絵描きは職を失うし、素人絵描きも激減する
ということが起こりうると考えているからだ。
③まで辿り着くシナリオが決して妄想ではなく現実のものとして迫っているのが問題での核でそれ以外は「別次元の話」だと考えている。
ここで言う別次元の話は法律的な話や所謂AI推進派と反AIの感情論によるすったもんだ等を言う。根底にはこれも大きな問題ではあるけどあえてこの議論はしない。
現在プロイラストレーターで生成AIを推進または積極的に否定しない人々の多くは、さすがに③まで辿り着くことはないと高を括っているのではないかと思う。
あるいはAI絵師と呼ばれる人達で本当に「AIイラストには無限の可能性がある」と考えてる人がいるとすればその人たちもそうかもしれない(多くのAI絵師は「今さえ良ければ良い」と考えて現在の状況を享受してる人が多い気がする)。
今のままではそもそも絵描き業界が滅びるまであるという危機感が全体的にない。
強く警鐘を鳴らす専門家の意見をあまり見たことがない。AIの進化舐めすぎでしょ?手描きがどうか見分けなんてつけられなくなるし、現在でもLoRAで大量に既存イラストレーターや漫画家の学習モデルが規制なしで出回ってるのにあまりにも呑気すぎる。
そもそも生成AIの学習モデルに無断使用のモデル(文章や楽曲も含む)が無数に存在しているのは仮にそれが現行法で合法だったとしても倫理的にどうなのか?
その点は大いに問題があると思うけど、その良し悪しを議論している間にも、技術進歩とお金儲けの名のもとにAI使用は広がり続けるためあえてその問題には深くは触れない。
1番の問題は、今のまま強力な規制等がなくAI使用が広がっていくと、クリエイター達の多くが(お金を稼ぐプロ以外のアマチュア含む)創作意欲を失ってしまい、人の手で1から制作するクリエイターがどんどん居なくなってその分野が廃れてしまうことだと思う。
理屈の上ではAI を使用すれば手描きのイラストと何ら変わらないクオリティのイラストを安価に短期間に大量に作成することができる。これは発注者からすれば大きなメリットで、コストと効率だけを考えればこちらに流れない手はないわけである(現状は様々なリスクがあるためそこまでは広まっていないが)。
そしてそのイラストを享受する一般の人々も、手描きかAIか見分けのつかないものが世の中に蔓延すれば、実質見分けられないのだからこれまで通り享受するしかないのである。当初は疑心暗鬼になったりすることもあるだろうが、時間が経てばその状況にきっとみんな慣れてしまうと思う。
ではこれまでそういったものを作っていた側のイラストレーターはどうなるかというと、当然仕事は減るし市場規模も劇的に縮小する。現時点で名が売れてる一握りの人々以外は仕事を失い専業イラストレーターはそのうち居なくなる。AIを使用したイラスト制作を専門とする人々がとって変わる。
数年もすると新規のイラストレーターが制作するイラストが激減することで、学習モデルそのものの進化が停滞し、似たような絵ばかりが世の中に蔓延するようになる。その時にはすでにイラストレーターや趣味でイラストを描く人々は殆ど居なくなっているのでそれを打破することもできない。
そして、業界全体の死が訪れる。
一度滅んだ文化を再興させるのは難しい、取り返しのつかないことになる前に、各々が問題提起をしてクリエイターを守る動きをすべきだと考える。
現在の問題を大きくしている要因がGAFAMなどの世界的企業が率先して生成AI を推進しているということ。
技術革新自体は人類の進化の上で必要なことなのかもしれないけど、急速に、性急に進めているがゆえ、ベースの技術が現行の著作権法等では制御できないことをいいことに倫理的に問題のある部分を含んでいてもそのまま進んでしまっている点、規制進める前に普及を進めたが故に各業界のクリエイターが悲鳴を上げていることに目をつぶっている点が大問題。
現在生成AI技術は様々な分野で人類に恩恵をもたらすとして急速に利用が広がっている。個人的にも人の営みが次のステージに進むために必須の技術だと確信している。
特に医療や犯罪捜査、農業や製造業といった人の生活に密接に関わる分野での有効活用の可能性は素晴らしいものがあり、業務効率化など一般企業レベルでも大いに恩恵をもたらすろもであると認識されている。これはもう後戻りできない。
また、おそらく一般の多くの人は今絵師達が危惧しているような「AIイラスト」に対する嫌悪感を持っていない。だから、企業側がAI生成のイラスト、楽器、物語などを積極的に採用する動きがあれば簡単に世の中に浸透してしまう可能性が高い。
芸術分野においては既存のクリエイターを淘汰、破壊しかねないので本来もっと慎重に導入されるべきだった。それが性急に進行したことにより、重大なハレーションを起こしているのが現在の生成AIを巡る状況だと思う。
結論に戻るが、これを止めるには特に大企業と政府が中心に規制を迅速に進めるのが必須である。
また個々のクリエイターも芸術分野でAI使用拡大の危険性をもっと広めて、一般レベルで認識してもらうように啓蒙活動をしていくしかない。
この投稿に対して「そんなことになるわけないだろ」と思う方々は大いに反論して、どんな素晴らしい解決法、未来があるのか教えて欲しい、そして私を安心させて欲しい。
以上
【以下は雑談】
話逸れるけど、たとえば自作小説を作ってる人でイラストをAIにつくらせたり、自作曲のPVにAIイラスト使うなんてのはよく見かける。そういう人たちはまだ自分の「手作り」領域に本格的にAIが侵食してきてないから安価で簡単に作れるAIを頼ってるのかもしれないけど、いざ自分の領域が侵されるってわかった瞬間に猛烈に反AIを謳ったりするものなのかな。
あと、もう一つ前から気になってること。所謂「反AI」と括られるような方々は中には過激な意見も見受けられる。AI技術そのものは否定しないという方が多いと感じるが、そもそも「完全クリーンな学習モデルのAIイラストジェネレーター」があったと仮定して、果たして多くの反AIの人々は「それならよし」となるのだろうか?
おそらく多くの人は、たとえクリーンなAIであっても否定的な考えになるのではと思う。理由は「AIで簡単に描けるなんてズルい」という感情論が根底にあるからだと思う。AI推進派と反AIの急先鋒はどちらも感情論でのぶつかり合いで全く議論になっていない。そんなことをしている場合ではないと思うのだが。。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8B/
じゃか‐じゃか の解説
[副]
「楽器を乱暴にかき鳴らす」ような音が「じゃかじゃか」という擬音になるのは自然だが、おそらくそれが比喩的に「乱暴に書き散らす」ような行為にも適用されるようになったのだろう。
「細かくコントロールされない大きな動作」というのがコアイメージか。
「じゃんじゃん」「じゃぶじゃぶ」なども近い音・意味であり影響があるかもしれない。
じゃかじゃか 鳴物を喧しく鳴らす音にいふ語
などと載っているが、二番目の意味はない。
といった用例が見られる。
じゃかじゃか。ぬかるんだ道や水溜りの道を歩く際の様子。擬態語。
じゃがじゃが、それでいいとよ(そうだよそうだよ、それでいいんだよ)
じゃかじゃか 絶対違う(重複強調)
といったものは散見されるが、先述の「じゃかじゃか」の意味からはいずれも遠い。
いまのところは「物事が勢いよくたてつづけに行われるさま」という意味での「じゃかじゃか」が方言だという話はなさそうである。
大学祭、
大学祭に行ったんだ、
良い所も勿論沢山ある、
でも問題点かく、オレ
なぜ???!
誰が始めた?かなし
何弾いてっか、わかんねーソロにも
形骸化してるのにも皆様気づいてるだろに
意味ないし 生温い
とりあえず拍手しとくか…ではだめ
弾く側、何のモチベーションにもなんないでしょ
ぃますぐやめたほうがいい
生音の話ね
PAへただな!と思っていたら、いやいやいやそうじゃない
Fd 2人くらい
Bj3人くらい
Md2人くらい
Db2人くらい
こんくらい
ひどい
なにをしてる?練習
拍手もそだけどさ、バンド練で人のできないとこ指摘することとかないでしょ 改善点とか言い合わないでしょ 生ぬるいねええ わっかんねーかぞもそも
MC えむしい
いい加減さ、、、、ただ時間の長くなるら持ち回りせいとかさ、、知らん知らんなエピソードトークとさ、、やめよや
悪しき風習な つまんないや
じぇーポップの
いいねえ
笑っちゃうねえ
えれべ持ち替える意味かんがえた?、
ああそりゃブルーグラスカバーぢゃなくて、ブルーグラスの楽器でただなぞってるだけでしょう
すごいです」ねえ かっこいいですねええ😎
あとジェーポッっぷに限らず、国内の人のカバーやるなら元曲の紹介とか作曲したバンドの紹介とかしなよ ちゃんと
まーーあコロナ禍あったしね
その3年分、そのまま引き算した感じの技量
いちばんうまいM2の(音量出せてる唯一の)数人が、コロナ禍前のふつうの3年生くらいだもん
しゃーなしゃーなし、しゃーなし
よーくやってます🙌
2024年11月2日 syrup16g「遅死11.02」@日比谷野外音楽堂
天候的に新幹線が遅れるかもしれないと思って早目に乗ったは良いけど途中で止まってしまい新幹線の中に閉じ込められる等のアクシデントがありつつも何とか辿り着けたまでは良かったけど、野音の最寄り駅に着く前にトイレ行っておこう〜って思ったら駅で迷って到着がギリギリになるポンコツ振り。そして帰りも新幹線遅延で1時間半デッキに立って帰りました…(少しでも早く動き出すのに乗って帰らないと家に辿り着けない為)まぁ無事にライブが観れてその日の内に帰れたので結果オーライ。
雨に関しては始まる前が一番ピークだったかも。公演始まったら割と気にならないレベルで観れた。でもこれはRSRで揃えた雨具が大活躍してほぼ濡れずに済んだ(手のひらがちょっと濡れたぐらい)お陰もあるかも。大荷物になったけど雨とか寒さは全然気にせずにライブに集中出来たから色々持ってきた甲斐があった。
席は五十嵐さん寄りだったので五十嵐さんと中畑さんがよく観えて頑張ればマキさんも観える感じ。なので今回は沢山五十嵐さんを観ました笑
以下、曲の覚え書きと感想。
·2曲目前頭葉。前頭葉、普通に音源として聞く時はそうでもないけど笑 ライブで聴くとめちゃくちゃカッコ良いんだよなぁ。ギターソロ完璧に近くてすごい(って言うのも失礼だけど)
·4曲目 もういいって。もういいっては音源発売当時に鬱屈した気分の時によく聴いててその思い出が脳裏を過る。あの時はまだ若かったなぁ…。ギターがめちゃくちゃ良い。ラストの所もういいって〜の所中畑さんが歌ってなかった?記憶違いか…??
·5曲目 翌日。やっぱ美しいメロディだよなぁと思いつつ聴いてた。晴れてたらもっと美しかっただろうなぁ〜!!中盤に持ってくるの珍しい気がする。中畑さんのハモリが美しい曲。
·6曲目 生活。始まり方で生活だなと分かった笑 定番曲なので個人的にお腹一杯な感じだけど、何やかんや聴くとテンション上がる曲。ソロが完璧ですごい(?)
·7曲目 真空。真空も定番曲だけどドラムがカッコ良いんだよなぁ〜!!あとベースの入りがいつも激カッコ良いです。中畑さんのロックンロールー!!とイェイェイェイェ〜!!でテンション上がらない人いない説を唱えます。
·8曲目 Breezing。珍しい曲だからちゃんと聴かなきゃ!!と思ったけど気付いたら終ってた…笑
·9曲目 エビセン。エビセン初めて生で聴いた気がする。照明が紫のうねうね(?)したやつで綺麗だった。あとメロディがめちゃくちゃ美しくて今回聴けた中でも上位に入る良さだった。エビセンの中畑さんのハモリ良すぎる…!!この曲聴けただけでも元取れたなと思う。
·10曲目 明日を落としても。明日落としても大好きなので野音で聴けて嬉しい。いつ聴いても名曲。ベースがアレンジしてあってマキさんがそう言う工夫をしてくれてるのが嬉しい…。
·11曲目 赤いカラス。赤いカラスも好きだから嬉しい。(僅かばかりの未練に)「しがみ付いてみたのです」って歌詞変えてた。もしかしたら普通に間違えてただけかもだが…笑 この歌詞、再始動前の五十嵐さんって感じがして聴く度に胸がぎゅっとする。ラストの所のドラム最高に好き!
·12曲目 I Hate Music。この曲も初めて生で聴いたかも。中畑さんのハモリが美しい!!あとベースが素晴らしい!!やり慣れてない曲だけどかなり良い感じだったしまたの機会に是非やって欲しい一曲。
·13曲目 In My Hurts Again。まさかレミゼの曲でこの曲を持ってくるとは…!!でもレミゼの曲聴けて嬉しい。この曲の照明綺麗だったなぁ。レミゼの曲もっと積極的にやって欲しい!!!
·14曲目 変拍子。この曲野音で聴けてめちゃくちゃ嬉しい!!「分かりあえた日々が眩し過ぎて見れないだけ」って歌詞、本当に好き…。ギターソロもめちゃくちゃ良かった…。本当やってくれてありがとう…。
·15曲目 光なき窓。この曲も野音で聴けて嬉しい〜!!照明もすごく素敵で天気が良かったら最高に美しかっただろうなぁ…。「そばにいてくれ ふらっと隣に」って歌詞が大好きなので聴けてじーんとした(この感想書いた後に中畑さんのポストが流れてきたのだがそれに影響されたとかではないです!!私の方が先に感想書いてた!!と言う謎の主張をしておく笑)あとドラムが曲に寄り添ってる感じがして好きなんだよなぁ…。アウトロの部分が美し過ぎる…。この曲終わった時点で1時間半ぐらいはやってたんだけど本当にあっという間でマキさんがベースおろして手に持ってそのまま去っていったの見て後ろの人が「えっ?(早くない?)」って声出してて気持ち分かる〜!!ってなったし私も「早っ!?」って思った笑
E.N 1曲目はSonic Disorder。マキさんが最初に1人で出てきてベースを弾き出して中畑さんが出てきて、最後に五十嵐さんが出てくる構成だったんだけど五十嵐さんが出てきた時にマキさんに「わ〜(両方の手のひらをひらひらさせて皆注目〜!って感じの動作)」ってしてから手拍子煽ってた。そしてこの曲が走る大きな要因は中畑さんのドラムだな〜と改めて感じるなど笑 ソニックでぐわって入ってくるベース本当大好きだしマキさんがこの日いち激しくノッてた感じがした。
E.N2曲目は神のカルマ。アンコールの流れ、定番過ぎる!!笑 でも大好きな曲なので結局は嬉しいと言う…笑
E.N3曲目は落堕。五十嵐さんがハンドマイクで前まで出てきて「結構降ってる〜」ってヤンキー座りしながら言ってるの笑った。あれカメラにアピールしてるのかと思ったけど違ったのかな?(遠巻き過ぎてよく見えなかった…)そのままギター弾かずにドラムとベースに合わせて歌ってた。「寝不足だって言ってんの」の所で客席にマイク向けててお客さんの声に「ありがとう」って言ってて何かじーんとする。この日今までライブ行ってきた中で初めて「寝不足だって言ってんの」って叫んだ笑(今まで一回も叫んだ事なかった)記念的な気持ちも込めて。落堕も飽きる程聴いてるけど本当〜に演奏がカッコ良い!!特にドラムとベース!!最高です。
E.N4曲目はcoup d'Etat〜空をなくす。ド定番とわかっていながらも嬉しい笑 ベースもカッコ良いしドラムもカッコ良いしリズム隊がとにかく最高なんだよなぁ…。そう言えば照明がポケモンフラッシュじゃなかった気がする…。
WE.NでReborn。出てきた時に中畑さんが前まで出てきて隅から隅まで歩きながら全方向に挨拶してて暖かい気持ちになった。
Reborn、昔程は特別視してない曲だけど、やっぱり私の中で武道館の演奏が一番心に残ってて、その後何度も聴いてきたけど、この日の野音でその悲しい記憶を塗り替えれたような感覚がしている(生還の時も感動したけど、あれはシロップとしての演奏だったかと言われると個人的に複雑な気持ちなので…)今のシロップが鳴らしてくれたRebornをようやく手に取れた感じがした。悲しみではなく希望を鳴らした音楽を。
以下MC覚え書きと雑感想。ニュアンスなので所々間違ってると思われます。
·五十嵐さんの第一声が「(雨で)ごめんね〜」なの、やっぱ気にしてるのか〜って思った。その後も何度もごめんねって言ってたけど皆シロップの音楽が聴きたくて集まってるので気にしないで演奏してくれ〜と思っていた。
·「よく来た、よく来たね」って言ってくれる中畑さんLove…。「こんなバンドを観に来たばっかりに…笑 皆大変ね〜。この後、雨強くなるみたいだけど笑 無理せずね。最後まで楽しんでってくれたら嬉しいです。こっちは無理してもやるので。」
·五「(客席を見て)野戦病院みたい」「楽しい時間にしたかったんだけど…今も楽しいんだけど💦」って焦ってて笑った。
·五「(明日を落としても終わりで)辛いことばかりって…ねぇ…辛いのはこっち(お客さん)だよって…(少しの沈黙)…すみませんでした…」って自己完結してて笑った。こちらは好きで来てるので大丈夫です!
五「雨弱まってきたんじゃ…?ねぇ…」
中「前に出てみれば分かるんじゃない?笑」
五「あ、そ、そうね…失礼しました…」って五十嵐さんに対してちょっと鬼畜な中畑さん笑う。
·何の曲か忘れてしまったけど、足を蹴り上げる五十嵐さん新鮮過ぎる。定番(?)の左足も上がってた。
·曲が途切れるとこまめにベース拭いたり捌ける時は必ず手に持って捌けていくマキさん、楽器大切にしてるんだなって思ったと同時にやっぱステージ側に雨かかってるのかなと心配になった。
·今年初めてのワンマンライブ…と言うか今年はこの一回だけなんですけど…ってのに笑い起こってたし私も笑った。また来年会いましょうって言ってくれたので期待して待ってます!!
·照明が明るくなると雨が照明に照らされてこちらから観てる分には綺麗だったけど、風の向き的にステージ方面に割と雨流れてる様に見えたのどうだったのかな?濡れたりしてないと良いけど…。
·最後全員で前に出てきてお手振りしてたけどマキさんが何回かお手振りして「これ(終わり方)どんな感じ…?」的な風に2人の動向見てたけど他の2人は全く気にしてない感じでずっと手を振り振りしてて可愛かった笑
·途中、雷ピカピカ·ゴロゴロしてて色々な意味で貴重な体験だったし、雨の中で演奏するシロップ幻想的で綺麗だったな。滅多に観れない光景だし。ダイマスさんが言うように伝説の一日になった気がする。良くも悪くも記憶に鮮明に残る野音になった。
·中畑さん、シロップのライブについては終わった後に必ずXなりインスタなりで気持ちを伝えてくれるので嬉しい限り…(もしかしたらファンの気持ちに応える為にやってるかもしれないけど)シロップの事を大切にしてくれてるんだなと思えて嬉しい気持ちになる。
あと近年一番嬉しい事はマキさんとシロップとの距離がぐんと近付いた感じがしてるのを体感出来てる事で。昔は一線引かれてる感じがしてたけど今はsyrup16gのメンバーでいてくれてるのがちゃんと伝わってくる。私の思い込みかもしれないけど。バンドの暖かい空気ってこの事も大きく関係してると個人的に感じてます。本当にそれが嬉しい。
正直、個人的に遅死や野音に関してそこまで思い入れないけど3人だけで野音で演奏する姿が観れたのすごく嬉しかったな。あと今回、五十嵐さんのギターが全体的にすごく良くてそれが野音で聴けたのも嬉しかった。今回、今の身体的に雨の中でライブを観ると言う行為に不安がなかった訳ではないけど、行きたいと思ったライブには少し無理してでも行くと決めたので行って本当に良かったと思っている。あの時行っておけば良かったなってこの先思いたくないので。
·服装→足元はロングの長靴(折りたたみ式で荷物のコンパクト化をはかる)雨が酷そうだったのでレインスーツ(小雨だったらポンチョにしようと思って持っていったが今回は出番なし)フードだと音の聞こえが若干悪くなるのでレインハット、寒そうな予感がしたのでレインスーツ内にウルトラライトダウンを着込む。この仕様で寒さ·濡れ共にほぼなし且つライブに集中する事が出来た。大荷物にはなったけど、どれも持っていって損はなかったので持っていっただけの価値はあったなと思う。
·荷物→ゴミ袋に全てを突っ込んで足元に置いておく。ゴミ袋は2重に出来るとなお良い。会場に向かう前に駅の構内で濡れたくない荷物はとりあえずゴミ袋等に突っ込んでおいて席に着いてから完璧にすると全く濡れずにすむかも。
1.クロール
2.前頭葉
3.Heaven
4.もういいって
5.翌日
6.生活
7.真空
8.Breezing
14.変拍子
15.光なき窓
E.N
1.Sonic Disorder
2.神のカルマ
3.落堕
4.coup d'Etat〜空をなくす
E.N2
1.Reborn
最近は原曲の音声からテンポを検出したりドラム、ベース、ボーカル、その他で奇麗に分離することが可能になった
ボーカルも、音声から初音ミクみたいなデータに自動で変換できる
上記の問題点は、自動でできるけど、ゴミみたいなデータが混ざってたり、なんかおかしい箇所があったり、テンポもオチに向かってズレてくことがあったりで、
コンピュータくんは完璧に仕事をこなしてくれるわけじゃないんだけど、大雑把にはやってくれる
大体正しい、細かい箇所を見ると人間より正確というか、おぉ、よくそう見抜いたな、と感心することさえある
それと並行して、なんでこうなった、普通そうはならんやろ、みたいなものもある
それらを手直ししてゴールへ持っていくのが仕事になる気がする
もちろん、ゼロから手で打った方が早い、みたいなこともありうるとは思う
ボーカル音声も、ひとりで歌ってるのはいいけど、コーラスみたいなのが入ってるとか、そもそも全体がコーラス、とかになると対応できていない
でも、いつかコーラスとか、同一周波数帯の複数の楽器を切り分けらえる日が来ると思う
歌詞もちょっと変だけど聴き取れてるし、これから精度が上がっていけば、一発オーケーの変換ができる日が来るかもしれない
それより、AIが作ったカラオケデータを眺めながら、音楽とか作曲の勉強をするようになると思う
そういう日は今すぐではないけど、そんなに遠くない気もしてきた
無償とか数万円ちょっとのお金でこういう試行錯誤ができる時代になったんだから、意外とそういう日は早いと思う
でも、マシンパワーいるね
流行っているのでそのうち誰か書くだろと思っていたけど、誰も書かないので書く
定義は「芳文社の萌え4コマ漫画誌『まんがタイムきらら』とその系列誌(キャラット・MAX・ミラク・フォワード・COMIC FUZ)」
4コマではないフォワードとCOMIC FUZもここでは便宜上含む。
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
芳文社萌え4コマの大看板で元祖とも言える存在。日常系4コマという一大ジャンルの開拓者だが、アニメの蒼樹うめ✗新房昭之✗シャフトという組合せは後に「魔法少女まどか☆マギカ」を生み出しており、実はアニメ史的にも重要な作品
なお2024年10月現在未完結。このリストに出てくる後発作品のほうが先に完結を迎えている。ゆのと宮古の卒業はいつになるのか。
涼宮ハルヒ・らき☆すたに続く京アニブームで一躍有名になった作品で山田尚子の出世作。また、近年の大ガールズバンド時代の前史、あるいは「おっさんの趣味を女子高生にやらせる系」のさきがけとも言える作品。
2018年より事実上の後継作品「けいおん!Shuffle」が連載中。
まんがタイムきらら系としては異色のシュールギャグ漫画。キャラ4コマ中心のきらら系としてはやはり異色の登場人物2〜3人で構成される世界観。
アニメ化で円盤が記録的爆死で話題になったり、出演声優が麻薬で逮捕されたりとその不遇さもネタにされつつカルト的に愛される作品。
「女子高生が教室や部室、自宅に集まってしょうもない会話をしている」「男性が一切登場しない」「ゆるいボケにゆるいツッコミ」という、きらら系の様式の完成形。
こちらもゆゆ式と同じく「女子高生のゆるい会話と日常」というきらら系の王道。アニメのEDは中塚武が担当していてやたら洒落ていた。
こちらも「女子高生のゆるい会話と日常」主体だが、世界設定が「登場人物が日本人だが街並みが欧州の古い街」という独特の世界観。
主人公たちが別々の学校で別々の学年で別々の店でバイトしているというのも、ゆゆ式・きんモザと一線を画すところ。どちらかというとARIAとかに近い世界観。
現在絶賛終盤展開中。
主人公たちは社会人(途中で成人して飲酒するようになる)でデスマーチ的ハードワークや仕事での挫折、昇進と後輩の入社、プロジェクトの危機とその克服などきらら系としては相当異色。「社畜おっさんの日常を可愛い女の子にやらせる」系とも言える。きらら版SHIROBAKO 。
「おっさんの趣味を女子高生にやらせる系」の完成形。フォワード掲載の非4コマストーリ漫画。アウトドアブーム・キャンプブームの火付け役とも言われている。きらら系としては初の実写ドラマ化。
原作者のあfろはゆるキャン△以前はシュールレアリズム的作風で、この作品が転換点とも言える。原作・アニメ・ドラマのいずれもロケハンと背景作画に莫大なコストを掛けている。
主人公の魔族の末裔と魔法少女が手を組み街の平和を守るという話。ギャグの走り方はいかにもきらら系4コマっぽいが、バックグラウンドは結構暗くて、まどか☆マギカからバイオレンスを抜いてギャグを注入したような世界である。
先日2.5次元舞台化が発表される。危機管理フォームはどうすんだろか。
「大ガールズバンド時代」の一作品。けいおんが「90年代J-POP(ラルクGLAY)の薄めの引用」、「陽キャコミュ強だけど楽器初心者の主人公」、「学校の軽音部で特にプロは目指していない」のに対して、ぼざろは「2000年代初頭の邦ロック(ロキノン系)の強めの引用」、「陰キャコミュ障だけど有名配信者の主人公」、「ライブハウスで活動するインディーズバンド」と真逆の設定。大ガールズバンド時代はそういう空気である(ガルクラとかMyGoもその傾向だし)。
「楽器(がっき)」や「切削(せっさく)」はどうよ?
娘はまだまだ小さいんだけど親としてはお金の使い方を身に付けてもらいたいと思う。
女の子なので学歴よりは資格や職歴、一芸よりは多趣味、いろんな人と仲良くなれるような社交性を身に付けてほしいと考えた。
化粧、衣服、趣味や推し活とお金を吸い取る誘惑が社会にそこかしこと張り巡らされている。
FPの知識はないが父親として、女の子に教えられる最たるものはお金の大切さであろうと考えた次第。
30代一児の父
地方在住
年収400万円
家と車のローンあり。
貯金50万円 NISA300万円(S&P500インデックスとNvidia) IDECOは今年から始めた
誘惑が多いのは男子も女子も同じだけど、女の子は大金を得る手段が多くそれを狙う大人が多いことだろう。P活、援助交際で何十万と稼いでブランド品、ホストにつぎ込めるいまの社会構造はおかしいと思う。最近は男の子も闇バイトに組み込まれるようになっているのでこちらも危険。闇バイトは長続きせず大金も手に入らないが、傷害事件を起こしたり殺人犯になる可能性も高い。
固定費を把握する。
家賃、光熱費その他、食費、電話代、ローンなど毎月必ず出ていくお金を頭に入れておけば雨風しのげて飢えることもない。
貧困は人の頭を悪くさせる。家と米があればひとまず平常心で毎日を過ごすことができる。
車や奨学金のローンが頭から抜けている人がたまにいるので要注意。
お金を使うのはここから。上記固定費を抜いたお金を何に使うかを考える。
気を抜いているとあっという間にお金がなくなり「何に使ったの・・・」と寂しい思いをすることになる.
大きなものを買うため、急な出費にそなえるため、精神の安定にも大きく貢献するのがまとまったお金である。
お年玉の一部を銀行に預ける、毎月もらうお金を少しでも翌月に残すなどで十分身につくと期待したい。
毎月、給料の20%でも貯金していたら立派なマネーリテラシーの持ち主と言える。
「20代の独身者の平均貯蓄額は、平均値が176万円、中央値が20万円という結果になっています。金融資産を保有していない20代の独身者の割合は42.1%となっており、約半分が貯蓄のない状態」
ちなみに60代の2割超が貯蓄ゼロ。生活保護の5割以上が高齢者である。お金が無くても生きていけるが公営住宅に住んでベネフィット暮らしはとにかくヒマで精神衛生に良くない。余談であるが国全体の(個人金融)資産の50%は高齢者が持っている。また認知症高齢者も資産を持っており255兆円が彼らの預金口座ないし不動産である…。
普通の人で言えば大学の奨学金、車、家であろう。学生でいえば自動車学校、楽器などだろうか。
貯金はお金を使うためにあり、上記は人生を大きく変えるものである。購入に当たって色々調べたり、人に相談し、計画を練って買えるようになってほしい。
増田のいい年した同僚がスキューバダイビングの機器をローンで払っていて驚いた。一括でかえよと思ったものだ。
英会話の教材はどうせ活用できず無用の長物になるので買わない方がいい。よしんば活用できても身についた英語を活かせる場面は皆無。
少し前は借金は絶対するなと言われていたが、昨今の円安インフレを受けて借金にも良いものと悪いものに区別されるようになった。
住宅ローン、カーローンはサラリーマンなら活用したい。何といっても金利が低く、ほぼ手数料なしで支払いを繰り延べられるのだ。
反対にカードローン、リボルビング払い、借金の連帯保証人は絶対避けてほしい。人生が傾く。
割愛。
NISAとインデックスとかで十分。ただそれを理解してもらうためにはお金の管理を身に付ける必要があり、安定したライフスタイルを送れるようになってからだろうか。
深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動に辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。
コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。
(現行法上合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)
彼らの職業は、対脚本家と演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。
そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論の余地はないのでは。
自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。
最近、日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。
それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。
もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。
このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。
さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部で法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手に議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。
だから、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。
生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。
他の分野でも生成AIの進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。
実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較的自然に受け入れられている。
音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。
生成AIの学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。
しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。
西洋芸術は、音楽や絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。
信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユースの思想として残っている。
対して、日本には、そのような一神教の概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。
更に、音楽理論そのものが、西洋をルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。
一方で、日本の絵師界隈は、ガラパゴス状態で進化しているため、「自分がゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品は自己表現」という認知になりやすいのではないか。
今、音楽を本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIごときには脅かされない実力がある。
そうでないクリエイターは、純粋に趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。
一方、イラストを本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIごときに簡単に脅かされてしまう。
リアルに生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。
参入障壁の低さと、00年代からの需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間をプロとさせてしまったのかもしれない。
さながら、チューリップ・バブルだ。
以下、それぞれ、補足。
音楽界隈では、古くからクリエイター、プレイヤー、リスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。
例えば、クラシックのプレイヤーが過去の偉大なクリエイターの作品を演奏し続けたり、ジャズやヒップホップにおいて、サンプリングやリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存の作品や表現を再利用する文化が根付いているからである。
「表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。
これは、DTMの世界も同じで、音源やサンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源や手法を追加しただけという感覚が強い。
技術的な進化が日常的に行われており、特定の著名なプレイヤーの演奏をサンプリングして音源化することも一般的である。
これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。
また、音楽界隈において、多くの場合、クリエイターはプレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。
音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか?
クリエイター、プレイヤー、リスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。
AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。
私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作の可能性として受け入れている。
音楽分野では、クリエイター、プレイヤー、リスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。
一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。
クリエイターとリスナーの立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在が希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。
その結果、生成AIは「自分の領域を侵害する存在」として映ることが多い。
絵師界隈において、絵師は、自分の作品について、「自分がゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人の作品に手を加えたり、既存の表現を再利用することに対しては、現行法上問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。
絵画や音楽を問わず、西洋における芸術の歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。
パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術の研鑽を重ねた。
結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。
芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋の芸術、特に歴史的な音楽や絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。
元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。
この背景が、西洋でフェアユースの概念が広く受け入れられている一因のように思う。
才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。
任天堂とパルワールドの訴訟問題における、日本と欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。
この点、日本の絵師界隈にとって、才能は「自分の努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。
その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AIが個人の努力や創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。
このまま日本の絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIはアンタッチャブルとなり、なんらの議論も進歩も遂げなくなるだろう。
最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義の論理に飲み込まれる可能性が高いと感じる。
外国の大企業が規約や契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術やデータを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来。
絵師界隈の過激な活動により、日本企業にとって生成AI技術そのものはアンタッチャブルとなったので、日本企業は呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。
もちろん、これは資本主義の一環であり、技術の進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。
私自身はそのような未来を諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。
技術は常に進化し、その中でクリエイティブな表現の方法もまた変わっていくものだ。
しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?
AIは決してクリエイターの創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。
これからのクリエイティブな世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。
「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。
望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単な技術ではない。
命令文の模索や、好みのモデルの階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識が必要だ。
現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIでイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。
「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業が最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。
企業が最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般の消費者、それ以上でも以下でもないのでは。
消費者がイラスト生成AIの恩恵にあずかれるようになっただけ。
「絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。
「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。
敬称なので、自分で自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。
ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。