はてなキーワード: 三叉路とは
私は私のファン第1号だ。
たとえ活動が無くてもどこかでまた輝く私を夢見て、私が幸せになることを毎日祈り続けている。
自分で歌っては「なんて綺麗な歌声なんだ」と思い、自分の書いた文章を読んでは「こんな文章は私以外の誰にも書けやしない」と感嘆して、可愛く着飾った自分の姿を鏡で見て「こんなの映画の主人公じゃないか」と息を飲む。
自分というアイドル、偶像崇拝をすることで自分のあぜ道を照らし続けてきた。
壊れかけの懐中電灯のような頼りない光は私に三叉路の間違った道を勧める。
迷っているのはとうの昔に気づいているけど「もうこんな所まで歩いてきてしまった」と見栄を張って気づかないフリして自分が正しいと疑わずずんずんと進み続けた先には何も無かったのだ。
いつか見えない手が私に救いを差し伸べて私はただその時が来たらその手に縋ればいいと機会を待ち続けていた。
本当にしょうもない人生だった。ずっと夢ばかり見てきたと思う。
歩き続けてれば勝手に上手くいくほうに導かれるだろうと思ってたけど本当に何も無かった。真っ暗闇に意識だけがふよふよと漂っているのだ。
偶像は振り向かない。微笑んで手を振ってはくれるけどあくまでファンサービスだということを忘れてはいけない。夢を見せてくれるけど夢に見せられてはいけない。応援し続けていればいつか見返りがあるだろうと期待することは甚だおかしい。
私は私の人生を自分の足で歩まなければいけない。叶える気もない夢は幻想でしかなく幻想に囚われていたと気づいた時には見惚れていた夢が煤になり自分に容赦なく降りかかるのだ。自分のことを灰被りの少女だと思っていたけどそれこそ私が作り出した幻想に見せられていたのだ。
誕生日が来る度に「来年はもっと多くの人に祝ってもらえるように頑張ろう」と心に誓うようになってから4年は経った。今年は家族に祝ってもらえたので2人増えたと言っていいんだろうか。
そんなのでもいつか絶対にこの日々が光を帯びて眩い思い出として何度も振り返られる時が来ると思う。
この先の人生で得るはずだった休暇を全てこの瞬間に閉じ込めて消費しているんじゃなかったら何なんだとすら思うほどに自由に生きている。
何にもない私にも自由だけは有り余るほどある。
私は私のファンだけどプロデューサーなんてついていない。「こういう私が見てみたい」「きっと私ならこれができるはず」と思ってもこれまで私一人だけで叶えられなかったことも多かった。
さっき見た映画の余韻に浸っていたらもう既に2時間が経っていた。こうやって限りある人生というのは私の意図に反して終わっていくのだろう。
私は私を幸せにしたい。これは自分という名の偶像と決別するための1200文字の遺書。よってこれを最後のファンレターとして筆を折ろう。キショ。
すでに報道されている写真からもわかる通り、大和くんが見つかった演習場の施設はここ。
https://goo.gl/maps/A4RtRVmZNyt
そして置き去り現場はここ。
https://goo.gl/maps/8WRiF43eDkt
(※ソース http://livedoor.blogimg.jp/sashin_-news/imgs/9/7/97bd5ca6.png)
お父さんを困らせてやろうとして、三叉路を温泉施設とは逆の方向に行った場合、この場所に突き当たると思う。
https://goo.gl/maps/taDhNKHZ3LE2
ここで航空写真にしてみると…
https://goo.gl/maps/2G3AbkaY7DM2
なんか道があるじゃん!見つかった施設までつながってるじゃん!
とにかく無事で良かった。
会議は無情に延長
俺はそれを陰で爆笑
なぜなら原因は昨晩の接待
不慣れな席でがっついて失態
出てきた料理眼の前にそう吐く
さすがにみんなドン引き
宴は幕引き
さっさとタクシーで送迎
やっぱり車中でもSOゲー
Please don't forget!
俺が部屋まで送った恩
Please never forget!
Please don't forget!
Please never forget!
俺の手のひらにほのかに香るゲロ臭
でも知ってるんだぜ
それから朝まで寝てたって言ったろ?
でも知ってるんだぜ
それは嘘だってこったろ?
実は行ったろピンサロ
教えてもらったNO1ピンサロ
俺とすれ違ったろ三叉路
その先は唯一ピンサロ
Hey brother
俺だけが知ってるぜ
おれらすでにbrother
クルマのあるある話だから、クルマを所有していない節税貯蓄がマストなライフハッカー諸氏には関係ない話題で申し訳ない。
15年くらい前から上述したタイトルの状況になると、相手側ならばわずかにバックして直近のわき道にクルマを入れて避けてくれればスムースに通行できるのに、バックしてくれないことが多く、しょうがないのでこちらがバック300メートルなどして交差点や三叉路まで戻るのがザラだったことにとにかく気になってた。というかイライラしていた。
んでもって先日クルマを買い換え、自己所有のクルマがマニュアルからオートマになって、ようやくその理由にたどり着いたというか実感できた。
オートマではギアを替えることが特別な儀式になってしまってる。
ギアチェンジという行為が、ドライバーの精神に求める負荷が大きくなってる。
マニュアルでは走行開始からコーナーをいちいち通過するたびに当たり前のようにギアチェンジを行うわけで、ギアをローに入れることも2/3/4/5と順に入れることも別になんてことのないごくごく当たり前の普通の所作である。
バックであるRに入れることもその範疇に過ぎず、ドライバーに対する精神的な負荷はまったくといっていいほど、ない。
家の駐車場でDに入れてから、目的地に着くまでの路上で、LやRに替えることなどほとんどない。
傾斜のキツイ急坂ならばLに入れることもあるかもしれないが、そうでもない場合はアクセルをダブルキックして乗り切るのが普通なのではないか?
そんなギアチェンジの必要性のない安楽なドライブに慣れきってしまったら、タイトルのような状況に陥ったときすぐさまギアをRに入れてバックしてと、クルマを細かく操作しようとする気持ちが沸くわけがない。
実際俺も最近バックしてやんなくなったし。
相手が下がるまでブレーキ踏んでるだけのが多くなった。
だってめんどくさいよね。
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
【おもな環状道路編】
【その他、概況】