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2021-09-09

自転車車道を走る為に必要な事

自転車マナー走行環境問題自転車に対する自動車ドライバーの悪質行為などは散々言われてる事なので割愛する

それらとは別に自転車車道を走る上で重要なのに、無視されがちな問題が一つある

信号理解してくれないドライバーが非常に多いという問題

自動車免許を持ってる人間なら勉強した事があるであろう自転車の手信号だが、目にする機会が少ないせいで大抵のドライバーはさっぱり忘れている

この様な状況にしてしまった責任は手信号ほとんど出さない(知らない自転車乗りも多い)自転車側にもある

だが例えば三叉路などの場合、手信号自転車側が進行方向を示さないと危険なケースがある

自転車側がきちんと手信号を出しても自動車側が理解できていないと、自動車から自転車側が突然進路を変更した様に見えてしまうのだ

そればかりか手信号をただの危険な片手運転と誤認して「マナーの悪い自転車乗り」扱いするドライバーまでいる

これに対して「自転車にも方向指示器(ウィンカー)を付ければ良い」という意見がある

自転車用のウインカーもあるにはある(ちなみにブレーキランプ的なものもある)

LEDを使ったものであれば軽量で、バッテリーもそこそこ持つ

夜間であれば十分な視認性があり、自動車側がそれをウインカーとして認識してくれれば有用アイテムと言えるだろう

ただ昼間にウインカーとしての役割を期待するには甚だ心もとない

また自転車には視認性の良いウインカーの設置箇所が限られるという問題もある

そして視認性の良い箇所は往々にして破損しやすい箇所でもあるのだ

また自転車ウインカー価格考慮すると、自転車ウインカーを装着させるよりも手信号の徹底を図った方が確実だと思う

これは個人的意見になるのだが、自転車乗りの意識向上には手信号の徹底が非常に重要だと考えている

自分意図を示す事と相手意図確認する事、その上で互いに譲り合って安全を確保する事が運転をする上で最も重要な事だ

今の自転車乗りは自動車側の意図確認しようとする事はあっても、自分意図を示すという事が極端に少ない

自分意図を示す機会が無いから、多くの自転車乗りが自身の行いに対して無責任になりがちなのだと思うのだ

自転車軽車両であり、軽車両はれっきとした車両で、道路を走る上で車両には守るべき義務が多々存在する

そして義務存在するという事は同時に権利も発生するという事なのだ

自転車が優先されるべき状況ならば、相手が大型トラックだろうが路線バスだろうが警察車両だろうが優先されるべきだ

安全車道走行する権利があるからこそ、それを守る為に自転車に乗るための義務が生じる

自転車には車道走行する上で様々な義務がある」「だが自動車走行不都合なので自転車安全車道走行する権利は与えない」

これでは上手くいくはずがない

自転車車道安全走行し、その権利を守る為に様々な義務を守る

権利を守る為に義務を果たさない者を警察が取り締まり、適切な罰則を与える

そんな当たり前の環境を整え直す為に、手始めとして自転車乗りの手信号の徹底とドライバーの手信号尊重重要なのだと俺は考えている

2021-07-25

ドローン楽しい

3ヶ月ほど前にドローンを安く譲ってもらった。

けっこういいヤツなので、自分には明らかにオーバースペックだった。

自宅が山の中の田舎なので、さっそく山の中にある、今はなにも作ってないが、

草が生えないように耕すだけ耕している畑に言ってドローン飛ばしてみた。

あっという間に上空に上がっていき、早速スマホの画面でカメラから送られてくる映像確認しながら周囲の山を眺めた。

大変に楽しいですね。Google マップなどで見る画像よりも明らかに解像度が高く臨場感もあり、異常に興奮しました。

周囲の山々やその間を走る小道など小さなからよく知ってるので新しい発見というよりはこういう風に見えるのかという感じでした。

昔と違い山の手入れもいい加減なので道から外れるといったところのないような場所に崩れたがけがあったり

険しくて登れないような崖の向こうに知らない少し平べったい場所があったりということで

知ってる山の中であっても意外に知らないものだなというような新しい発見しました。

ドローン自体ボタン一発で戻ってきてくれるので不慣れな私のようなものでもあちこち飛ばして私もことができました。

意外に遠くまで電波が届くので驚きます。また山の中なので風が強い時もあり大丈夫かなと思ったんですが一瞬飛ばされますがそれなりに戻ってくるので風にも強いんだなと思いました。

そんなふうにして小出時間ほどあちこち飛ばしたり普段見ないような角度からなじみの山を見てみたいという形で楽しんだのですが行ったこともないような道の先に案外知らない廃屋があってこんなところにハイオクがあるんだと驚きましたかなり古いハイオクでもう完全につぶれているようには見えるのですが屋根の部分がトタン貼りなのでしょうかその部分はしっかりと残っておりました周りにもたぶんここは庭だったんだろうなというような場所に低い木が生えておりますこの辺にも家があったんだと思いながらとりあえずドローンを元に戻し少し歩いてそちらの方向へ行ってみました一旦川にぶち当たり道は途絶えているのですが川の中を先に進むとその廃屋の近くに近づくことができましたこの辺にも小道があり昔は棚田リア畑があったんだなという声が残っております祖母祖父からそういえばこの奥にも何軒かの集落があったというような話を聞いたことがあるような気もしましたので多分その話に聞いた集落の後なんだろうなと思いましたほとんどの家は潰れておりましたが若干生活の跡や石垣などがあり法事にはこのあたりにも人がいたんだろうなということを感じさせる佇まいがありました。

たぶん何十年もの間一が入ったことがないんだろうなというような雰囲気です。また川のそばということもあり全体にどことなくカビっぽい匂いがして気持ちいいという感じではありません。この集落の多分中心だと思われるような三叉路に来て周りを見渡すとこの辺りに家があったのかなというのが5件から6件程度でした。その時急に風が止まってどんな状態が続きました。ちょっと気持ちが悪くなって心の中で大変失礼しましたと考え唱えそのまま踵を返して元の方向に帰りました。道の後から一旦川の中に戻りざぶざぶと川を下り元来た道へ戻り乗ってきた軽トラに乗って一息つくとなんだかよくわからないのですが汗があったら取れてきます。その後軽トラに乗って自宅まで戻り父と母にその話をすると確かにその川の奥に昔集落があったと言う話をしてくれました。その集落の人たちはおよそ70年ほど前に集団大阪の方に出て行ったそうです。あまり詳しくは知らないがどうしてもその集落にとど。ことができないような事情があったという話を聞いていると教えてくれました。昔は吊り橋がかかっていてその集落への道もあったがいつのまにかその就労吊り橋も亡くなっておりほとんど誰も行かないという話でした。下鴨徳利何か変わった話をしてくれたわけではないのですが10何となく言ってはいけないところなんだなと言うことを感じました

2021-05-25

年寄り信号無視

今日自転車乗ってたら2回も見た


一回目は信号無視というかもはや横断歩道すら歩いてなくて

しか交通量多い三叉路で近くに小学校あるから歩道ガードレールまでしてある所

青になったのに車がみんなスピード緩めてくから不思議に思って見たらババア歩いてる

なぜ???

横断歩道がね、、、10mも無いくらいのところにあるのよ


次はそこから1.5kmほど走った地方都市中心部でね、次はジジイ

交通量はさっきほどじゃないけどデカイ道

トラックがなんかゆっくり走ってるから不思議に思ってみたらジジイ信号無視してんのよ


今度はまあ横断歩道歩いてるからさっきよりはマシなのか?いやマシじゃないだろ


信号無視してる奴若者にもいるけどさ、でもみんな死にたくないから車来てないか確認するじゃん?

車来てない時に信号無視するじゃん?


いや俺は車来てなくても信号変わるまでずっと待つ派なんだけどさ、


年寄り共って何考えて交通ルール違反してんのかね

若者にとっては10m先の横断歩道が近く感じても年寄りには大変だから

えっ、じゃあ10m先の横断歩道渡るより死んだほうが楽なの?じゃあ死ねよ

信号青に変わるまで待つより死んだほうが楽なの?じゃあ死ねよ

年寄りになると注意力が衰えるから

ガードレールは乗り越えて車道突入するって注意力がどうとかいレベル超えてるだろ

横断歩道渡ってんのに信号も見れない注意力ってなんだよ

2021-03-19

anond:20210319103222

別に秘密でもないので書いていく。

当時通っていた塾は送迎してくれる塾だったのだが、夏休みに入った嬉しさが余って送迎の先生アイコンタクトしまくっていたら先生が後方不注意になってしまい、いつもは後ろから車などが来ていると教えてくれるものの、そういうのがなかった。そんで、夏休みに入ったわくわく感で飛び出したらそのままバイクにぶつかる。...痛い、痛いけど大丈夫ですみたいな感じで帰ろうとしたら、そのまま近所の病院に連れていかれた。別に骨とか折れてなかったけれど、その塾は気まずくなってほどなくして辞めたな。

かつて、徹夜テスト勉強する習慣があって、徹夜明けで少し眠い目をこすりながら三叉路信号を渡ったら、トラックがびゅーんとやってきた。さすがに気づいてダッシュで逃げたけれど、自分が元居た場所から1mは先の位置トラックの端があったので、あのままボヤっとわたっていたら人生終わってたかもしれないと思った。

次のは列車から手を出していきがっていたら、友達が危ないから引っ込めろと言ってきて、乗り悪いなーと思いながら引っ込めたら列車の割と近くに標識があるところを通過。その友達がいなったら腕がなかったかもしれないと思ってる。

あとはまあ、同じ夏に2回おぼれかけたりとか、危ないteens時代を過ごしたなーって思った。

2020-08-29

キショ遺書

私は私のファン第1号だ。

たとえ活動が無くてもどこかでまた輝く私を夢見て、私が幸せになることを毎日祈り続けている。

自分で歌っては「なんて綺麗な歌声なんだ」と思い、自分の書いた文章を読んでは「こんな文章は私以外の誰にも書けやしない」と感嘆して、可愛く着飾った自分の姿を鏡で見て「こんなの映画主人公じゃないか」と息を飲む。

自分というアイドル偶像崇拝をすることで自分のあぜ道を照らし続けてきた。

壊れかけの懐中電灯のような頼りない光は私に三叉路の間違った道を勧める。

迷っているのはとうの昔に気づいているけど「もうこんな所まで歩いてきてしまった」と見栄を張って気づかないフリして自分が正しいと疑わずずんずんと進み続けた先には何も無かったのだ。

いつか見えない手が私に救いを差し伸べて私はただその時が来たらその手に縋ればいいと機会を待ち続けていた。

本当にしょうもない人生だった。ずっと夢ばかり見てきたと思う。

歩き続けてれば勝手に上手くいくほうに導かれるだろうと思ってたけど本当に何も無かった。真っ暗闇に意識けがふよふよと漂っているのだ。

偶像は振り向かない。微笑んで手を振ってはくれるけどあくまファンサービスだということを忘れてはいけない。夢を見せてくれるけど夢に見せられてはいけない。応援し続けていればいつか見返りがあるだろうと期待することは甚だおかしい。

私は私の人生自分の足で歩まなければいけない。叶える気もない夢は幻想しかなく幻想に囚われていたと気づいた時には見惚れていた夢が煤になり自分容赦なく降りかかるのだ。自分のことを灰被りの少女だと思っていたけどそれこそ私が作り出した幻想に見せられていたのだ。

毎年8月を思い出せない。毎日家の天井ばかり見つめている。

誕生日が来る度に「来年もっと多くの人に祝ってもらえるように頑張ろう」と心に誓うようになってから4年は経った。今年は家族に祝ってもらえたので2人増えたと言っていいんだろうか。

そんなのでもいつか絶対にこの日々が光を帯びて眩い思い出として何度も振り返られる時が来ると思う。

この先の人生で得るはずだった休暇を全てこの瞬間に閉じ込めて消費しているんじゃなかったら何なんだとすら思うほどに自由に生きている。

何にもない私にも自由だけは有り余るほどある。

私は私のファンだけどプロデューサーなんてついていない。「こういう私が見てみたい」「きっと私ならこれができるはず」と思ってもこれまで私一人だけで叶えられなかったことも多かった。

さっき見た映画の余韻に浸っていたらもう既に2時間が経っていた。こうやって限りある人生というのは私の意図に反して終わっていくのだろう。

私は私を幸せにしたい。これは自分という名の偶像と決別するための1200文字遺書。よってこれを最後ファンレターとして筆を折ろう。キショ。

2016-06-03

大和くんの歩いたルートはたぶんこれ

すでに報道されている写真からもわかる通り、大和くんが見つかった演習場の施設はここ。

https://goo.gl/maps/A4RtRVmZNyt

そして置き去り現場はここ。

https://goo.gl/maps/8WRiF43eDkt

(※ソース http://livedoor.blogimg.jp/sashin_-news/imgs/9/7/97bd5ca6.png

お父さんを困らせてやろうとして、三叉路温泉施設とは逆の方向に行った場合、この場所に突き当たると思う。

https://goo.gl/maps/taDhNKHZ3LE2

ここで航空写真にしてみると…

https://goo.gl/maps/2G3AbkaY7DM2

なんか道があるじゃん!見つかった施設までつながってるじゃん!

とにかく無事で良かった。

2016-03-15

今日出張

部長は絶好調に不調

会議は無情に延長

俺はそれを陰で爆笑

なぜなら原因は昨晩の接待

不慣れな席でがっついて失態

うそうに顔面は蒼白

出てきた料理眼の前にそう吐く

さすがにみんなドン引き

宴は幕引き

さっさとタクシーで送迎

やっぱり車中でもSOゲー

Are you OK? my brother

Please don't forget!

俺が部屋まで送った恩

Please never forget!

背負った襟にゲロon

Please don't forget!

ゲロまみれのネクタイを一人wash

Please never forget!

俺の手のひらにほのかに香るゲロ

でも知ってるんだぜ

それから朝まで寝てたって言ったろ?

でも知ってるんだぜ

それは嘘だってこったろ?

実は行ったろピンサロ

教えてもらったNO1ピンサロ

俺とすれ違ったろ三叉路

その先は唯一ピンサロ

Hey brother

俺だけが知ってるぜ

勝手からぬ遠いこの土地

教えてもらったてっぺんピンサロ

おれらすでにbrother

2015-07-02

クルマで走行中、すれ違うことができないくらい細い道でお見合いしたとき、どいつもコイツもバックしてくれない理由がようやく体感できた

クルマのあるある話だからクルマを所有していない節税貯蓄がマストライフハッカー諸氏には関係ない話題申し訳ない。

結論からいうと大半のクルマオートマATCVTから


結構から気になってた件。

15年くらい前から上述したタイトルの状況になると、相手側ならばわずかにバックして直近のわき道にクルマを入れて避けてくれればスムースに通行できるのに、バックしてくれないことが多く、しょうがないのでこちらがバック300メートルなどして交差点三叉路まで戻るのがザラだったことにとにかく気になってた。というかイライラしていた。

んでもって先日クルマを買い換え、自己所有のクルママニュアルからオートマになって、ようやくそ理由にたどり着いたというか実感できた。

オートマではギアを替えることが特別儀式になってしまってる。

ギアチェンジという行為が、ドライバー精神に求める負荷が大きくなってる。

マニュアルでは走行開始からコーナーをいちいち通過するたびに当たり前のようにギアチェンジを行うわけで、ギアをローに入れることも2/3/4/5と順に入れることも別になんてことのないごくごく当たり前の普通所作である

バックであるRに入れることもその範疇に過ぎず、ドライバーに対する精神的な負荷はまったくといっていいほど、ない。

しかAT/CVTで、ギアを替えることはそうそうない。

家の駐車場でDに入れてから目的地に着くまでの路上で、LやRに替えることなほとんどない。

傾斜のキツイ急坂ならばLに入れることもあるかもしれないが、そうでもない場合アクセルダブルキックして乗り切るのが普通なのではないか?

そんなギアチェンジ必要性のない安楽なドライブに慣れきってしまったら、タイトルのような状況に陥ったときすぐさまギアをRに入れてバックしてと、クルマを細かく操作しようとする気持ちが沸くわけがない。

実際俺も最近バックしてやんなくなったし。

相手が下がるまでブレーキ踏んでるだけのが多くなった。

だってめんどくさいよね。

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

2006-11-25

三叉路女の子が二人いて、一人はドジっ娘、もう一人はツンデレで、どちらか一方にしか道を尋ねられない。

オチはありません。

 
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