はてなキーワード: みの駅とは
メリット無い デメリットありそう JR東海に協力する理由がない
私は静岡市在住です。大井川まで車で30分くらいの場所に住んでる。
リニアが通ったところで、静岡市民が便利になる要素は1つもない。儲かる要素も1つも無い。
「JR東海と交渉してメリットを引き出せばいい」という意見も目にするが、それは無理だろうなと思ってる(後述)
新東名高速道建設中の1999年、掛川市の粟ケ岳トンネル工事中に出水が発生して、農業用水が枯れる事象が発生している。止水工事もしたけど効果は限定的で、代替の水路もうまく機能しなかったとか。
当たり前だけど上記の工事もちゃんと調査したうえで予想外にこうなった。大井川もこうなる可能性はあるし、そして実際になってしまったら、もう元の水路には戻らないんだろうな、とも思う(簡単に戻るんだったら補償問題であんなに揉めない)。
JR東海の静岡県に対する態度を一言でいえば「ビジネスライク」だと思う。
JR東海は自社の利益を最大化するために、「最も儲かる路線である東京-大阪間ののぞみの本数を最大化する」「儲からない路線をギリギリまで少なくする」という方針で運営しているように見える。
結果として、静岡県にのぞみの駅はなく、ひかりも1時間に1本だ。静岡県の在来線はギリギリまで本数が絞られていて、静岡市周辺だと、朝夕は山手線並みの混雑になっている区間もある。
そんな感じなので、静岡市民からすれば「自分たちの利益を度外視してJR東海に協力しよう」なんていう気は全く起こらない。
そしてJR東海も「静岡県民に譲歩してリニアへの支持を増やそう」みたいな気はない。
例えば、「リニアを通した暁には、ひかりの本数増やのぞみの停車を確約する」とJR東海が表明すれば支持も集まるだろうが、「増便を前向きに検討する」レベルの返答しかない。
水の補償問題についても「通常の公共工事の補償年数(30年)に縛られずに補償を検討する」と言うものの、よくよく聞くと「補償の受付期間を30年より伸ばすことは検討するが、補償の対象期間を受付期間と同様に伸ばすとは限らない」みたいな返答なのだ。
とにかく「できる限りJR東海が損する言質を与えたくない」という態度が透けて見える。そしてJR東海のビジネスライクな対応から鑑みると「前向きに検討したけど増便できない」みたいな回答になる確率は高い。
じゃあ「夢のリニアを実現しよう!」みたいな夢や情熱に訴えるアピールをしているかと言うとそれもまったくない。静岡駅にはリニアの掲示があるが、ホワイトボード2個分くらいのパネルがあるだけで、内容も5年くらい変わっていない。品川駅にはでっかいリニアの写真(記念撮影用)があるのに。
静岡市民から見ると「得はなく、損はありそうで、自分たちを説得しようという熱意も覚悟もないプロジェクト」がリニアだ。なので、これに反対する川勝(元)知事は選挙に勝つのも当たり前に思える。
あんまり平日通常営業とは違って余暇を持て余しているので身体が疲れないのか?どうなのか分からないけど
寝付きが悪いわー
もう明け方よ。
多分4時台って日本で一番起きている人数一番少ないであろう時間帯のはずなのに
ネッツでは人がいるの。
私みたいな早起き気力満点チームとは違ってクタクタになっているはずだから、
ここが狩り勝ちどきよね!
と想像ではそう安直を縦にしても横にして並べても分かるぐらいの安牌に思うもののそうは問屋は海苔を卸さなかったわ。
ここ最近負け越してる感じで凹んでいたけれども成績表見てみたら
思っていたよりかは好成績のなんとかフィフティーフィフティーってところね。
まあ結局スプラで遊んじゃって6時でしょ?
そんでまだ朝早くなので、
疲れないから疲れさせないと夜の寝付きが悪いわ。
まあそう言っている間に
もう残り半分の休日を切ったわけで火蓋が切れたのよ。
あー指折り数えるともうお休みも半分かーってミランダカーって同じぐらいに思う反面
やっぱりここは昼から下手こいたら朝からルービーキメてお昼に眠たくなっちゃって一日が終わる寝正月のお正月ザ三が日を
ネクストラウンズオンミー!って
だから夕方までは頑張っていろいろと平日出来ないことをやりつつも
有意義に過ごしたいけれど、
その有意義に過ごさなくちゃ!って思えば思うほど有意義に過ごさなくちゃ疲れってのもあるじゃない。
あまりにタイパを考えすぎて時間密度濃い過ぎるとケインが濃すぎなのかよく分からないぐらい。
それまでの時間に余裕ぶっこいて飛び込み前転で入店しておきたいものだわ。
私みたいに10月ぶりぐらいになると、
まあ毎年のことだから年末年始は気合い入れて営業しているのは何となく想像できるけど、
まさかの予定変更とかあって年末年始臨時休業していって足運んだら無駄足になる足繁くって嫌じゃない。
記者は現地に足を運んで情報を集めてこい!ってデスクに蹴飛ばされて編集室を追い出される感じで、
私も電話してみたら
一発変換で変換できる喜びを感じつつ、
私はお店の銭湯の店頭の前にわざわざオープン開いているかどうだか分からない状態で
無駄足を地団駄を踏みたくないのよね。
とぼとぼと帰り道コンビニでお酒のおつまみの鮭トバを囓りながらトバトバ帰る鳥羽一朗さんとは訳が違うのよね気分が。
何かしらの情報は今は発信だからしていた方がいいのかも知れないわね。
そうそう、
私今年の年賀状の干支をいただいた年賀状で知るという急いで大急ぎで、
いらすとやさんでも年明け慌てて年賀状の返事を書く女性の要らすとがないのと同様の反対に
今年決まった干支の新しいイラストはたくさん検索しまくりまくりまくりすてぃーなので
ぱぱっと年賀状お返事書いて
もう昨日のうちにいただいた分の255通分にはお返事書いたわ。
近年稀に見る
と言ってももう年内には干支ニュース来年の干支はこれに決まりました!ってニュースをいつも見逃している私が悪いのよね。
てっきり
サッカーワールドカップの料理チームを予想するでお馴染みの
インコのオリビアちゃんかタコのラビオ君かと思って来年の干支は!と踏んでいたんだけど
ひょっとして
コツメカワウソのたいよう君かも!と突如現れたニューカマーにビックリよ。
あー私も三連単を流しで買っておけば
きっと干支の動物レースの優勝を予想出来たはずなのになぁって。
まあとにかくまだまだお正月三が日のうちの2日目なので
うんと楽しみたいところよ。
うふふ。
駅のお店のキオスクは駅の中の歌でお馴染みの駅売店で見つけたらチキンブロッコリーサラダのサンドイッチ初登場でゲッツしてみました。
たんぱく質たくさんよく摂れるらしいわよ。
昨日の晩飲み切っちゃった
また丁寧にお湯で煮出したホッツルイボスティーウォーラーです。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そんなこたあない。
そもそも昔は駅にエスカレーターなんかなくて全ての駅では階段だけだったんだよ。東京駅でも品川駅でも新宿駅でも銀座駅でも有楽町駅でも四谷駅でもな。で、後からエスカレーターが併設されたんだよ。特に東京では早くから線路網が発達したから、エスカレーターの普及するずっと以前から階段のみの駅だらけだったんだよ。そういう経緯だったから、殆どのエスカレーターは元々階段のあった所に後から併設されている。
まあ、都心部では階段の併設されてないエスカレーターもあるけど、(永田町とかもそうだっけ? あと、大江戸線のように新しめの路線で深いところもそういうのが多めかな)、そういうのは東京全体からすると少数派だろ。殆どのエスカレーターは元々あった階段の横に後から併設されている。 俺が使い慣れてた荻窪(一応23区内)なんかも以前はずっと階段だけだったのが後からエスカレーターが併設された。
だいたい駅のホームからエスカレーターでしか出入りできないところなんて限られているだろ。(新宿駅にそういうのあったっけ?)
そんな記事を読んで人生で唯一自殺してしまおうかと思った時のことを思い出した。
人間関係も家族関係も勉強もそこそこ上手くいっていた中学生時代、ある、本当に些細なことをきっかけに先生から激怒された。呼び出されて廊下で、びっくりするくらい感情的に怒鳴られる。学年が静まり返って私を見ている。そんな経験がなかった私はかなり怯んだし、辛かった。
その後1週間ほど、毎日放課後、最終下校まで2時間、3時間、その先生を待ち続けたり、怒られたり、他の先生からなぜか謝られたり、怒られたり、そんな日が続いていた。
怒られたことは正直、教師になった今でも納得がいかないようなことだ。私だったらあんな指導は絶対にしない。なのに、クラスや担任の先生に迷惑を掛けていることが情けなくて、申し訳なくて、こんなくだらないことに毎日何時間もかけなければいけない中学生という身分が嫌で、こんなやつが人を教育する立場にある社会すら恨んでいっそ死んでしまいたいと思った。私が死んで、社会にこのことが出て何もかも変わればいい、先生は一生それを背負って生きていけばいい、そんな風に思っていた。
そんな学校帰り、塾に行くために電車に乗る、いつも使う馴染みの駅、馴染みの駅員さん。ホームに降りたときに通過した快速電車、無意識の中ですーっと吸い込まれるような感覚があった。
ホームには私1人だけ、なぜかいつもと違うところで電車を待つ。何も考えずにぼーっと電車に待つ。乗るつもりなのか、飛び込むつもりなのか自分でも分からなかった。
そして肩を叩かれた。いつもの駅員さんだった。
いつもお疲れ様。がんばってね。
意地になってずっと泣いてなかったのに、涙がでた。
中学校の中の世界しか見ていなかった私はこんなに優しい大人もいるんだ、と思ったのをよく覚えている。
駅員さんはすぐに業務に戻ってしまったけれど、ホームの寒さとは真逆に心が本当にあったかかった。
奇しくも私は教師になった、あんなに恨んで教師になんて絶対にならないって言っていたのに人生ってわからない。
教師であってもなくても、その行動でひとことで救われる子どもはいる。その自覚を持って、あめだまをあげられるような大人になりたい、そう思います。
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
【おもな環状道路編】
【その他、概況】