はてなキーワード: 携帯とは
35歳の節目、私は家を建てた。
会社のマドンナだった女性を妻にして、子宝にも恵まれ、平凡だが充実した毎日を送っていた。
自然な流れで、更なる幸せの象徴、そして家族の夢である「マイホーム」を手に入れようとした。しかし、この時悲劇がおきた。
まさか、東証一部上場企業勤務の私が「住宅ローン」でこんな絶望に追い込まれることになるとは。。。
過去、あなた個人に自分では見過ごすほどの小さなミスがあれば、いくらいい会社に勤めていても住宅ローンに通らない可能性がかなりある。
住宅ローンなんて実際に借りようと思わなければ、その業界にいない限り詳しくは知らないものだ。
家族や友人は、住宅の申込みをした時点で既に家は手に入ったと思っている。
私は本当に運良く、一度は落ちた住宅ローンを他行から借りることができ、今ではマイホームを手に入れ、以前より充実した生活を送ることができている。
「こうすれば落ちることはなかったのに」と
後悔していることをあなたに伝えたいと思い、
この体験談を書いてみようと思った。
興味があったら読んでみてください。
自分で言うのも何だが私は平凡だ。見た目も普通。特に華やかな青春時代もなく 地方の公立から、そこそこの大学を出て、運良くまあまあ大手企業と呼ばれる会社に滑りこむことができた。
クラスにいるあまり目立たないやつというのが、他人が抱く私への印象だろう。
平凡だと思っていた私の人生にとって最もインパクトがあったのが、妻との出会いだ。社内のマドンナであった妻はなぜか私の素朴さを気に入ったようで、 数回デートを重ね付き合うようになった。会社中に驚きが走ったのを今でも覚えている。
1年程付き合った頃、妻の妊娠が発覚し、自然な流れで結婚に至った。
自分にはもったいないくらいの女性と結婚ができた私は、家族のために生きることこそが私の人生だと。強い決意をもち仕事にも精が出た。
子供が出来た時点で28歳、まだまだ給与も低く、妻は専業主婦を望んだため、生活はなかなか厳しく、日々の生活で手一杯という感じだった。だが決して楽ではないが幸せを積み重ねている実感はあった。
結婚から6年程たったころだ。 子供が来年から小学校に上がるタイミングで妻から
「そろそろマイホームを考えてみるっていうのはどう?」
という提案があった。
正直貯金も十分に用意できていない状況だ。今までは憧れはあったが具体的に考えたこともなかった。
マイホームなんて。。。と思ったが、よくよく考えてみると会社の同期達はもうすでにマイホームを持っているものも多い。
私は彼らと比べても、仕事の成績は悪くはなかったし、特に給与に違いがあるわけではない。なぜだろうと思い、同期の一人に聞いてみると、 うちの会社の信用が大きいので、住宅ローンが降りやすく誰でも結構簡単に家が建てられるとのこと。
妻、そして家族の夢であるマイホームが一気に現実を帯び、急激にそれを手に入れたくなったのを覚えている。
持ち家を考えた時は建売、中古住宅、若しくはマンション全てを選択肢には入れていた。
とは言え、私が住んでいた場所は駅近くで全体的に値段が高く、なかなかよい物件は見つからない。
私は、場所を変えて広い場所で広い家もありだなと思っていた。過去に同僚が家を新築で立てたばかりのタイミングで、家に行ったことがあったのだが、 郊外だが非常に広く、とても魅力的に私は感じた記憶があったからだ。
しかし、そこに反対をしたのは妻と子供。子供にとって転校というのはかなり抵抗があるらしく、妻にも猛反対されてしまった。
結局、現状と同一学区希望、大きな場所の移動はなしという制約条件の中、私の家探しは始まった。
家を建てようと思い切って決断はしたものの、まず何をしていいかわからない。
「俺って家に関して何も知らないのに、こんなに意気込んでいたのか・・・・」
私は自分のあまりの無知ぶりに驚き、恥ずかしさがこみ上げてきた。同僚に何から何まで聞くのも忍びないので、まずネットから情報収集を始めた。先程の通り、場所は現状からさほど変えられないため、近隣で値段を軸にリサーチをした。
まずは値段が安い中古物件から開始。予算内で良さそうな中古物件いくつかがあった。早速、仲介業者に数社にアポイントを取る。最初の数社はだいたい建売かマンションを紹介したが、どこも予算がオーバー。
加えて頭金0を希望すると「それはさすがに難しいです」と一刀両断。中には鼻で笑うような会社もあった。3社目に出会ったA社さんは非常に誠実かつ親切な対応で安心感があった。
ところが、A社は一通り私の現状と希望を伺った後、注文住宅を提案してきた。
建売やマンションですらキツイのに注文住宅なんてとんでもない…と思っていた私は既に注文住宅をなんとなく選択肢からは外していた。
と思い始めてきた。
中古、建売、マンションの欠点を考えず目先の金額だけを追っていた私は
・建売はほとんどが建てられた後に購入なので、中身が見られない。よって購入後、不満が出ることが多い
・マンションは、自分固有の土地が持てず、何かあった時に何も残らない。
・また、マンションだと部屋の購入以外にも、毎月に修繕費などの積立等があり、割高感はある。
・中古住宅も同じ理由で中身がわからないし、安く買えても結局リフォームをするケースが多く、結局かなり高い。
という説明で
「必ずしも安ければいいものではない。」
という考え方に変わった。
ところが、「さあ、注文住宅にしよう」と言ってはみるものの、最も大事な「お金の話」が出てくる。
中古住宅、建売ともに頭金0でというので断られ続けている。まして注文住宅となればなおさら。
「今回も無理だろうなー」 そう思っていた。
しかし、A社さんは「頭金0でも構いませんよ」と言ってくれた。
私の年齢がまだ若いことと、大手企業勤務というところを評価してくれたようだ。これまでの誠実な対応、親切な説明、そして頭金0でもやってくれるという経済面での提案。全てが私にとってポジティブだったので、A社さんに注文住宅をお任せしようと決定した。
早速詳細な話をA社さんと始めることになった。
資金が潤沢にあれば、住みたい土地から決めていくのだろうが、先程の通り頭金0で進めるので、予算がいくらぐらい確保できるか? というところから打ち合わせを始めた。
私は年齢がまだ若い部類に入るので、35年ローンと長めのローンがいいのではないかとの提案をもらった。
具体的な予算としては月8万程度の返済を前提に、利息も考慮して、3500万円が適正ということに。
但し、家を建てるには単純に土地+家を建てるお金だけではない。土地の登記や仲介手数料、土地の状態によっては地盤改良も必要となる。それをすべて踏まえての3400万、となると実質土地にかけられる値段は1200万。
ここまで話が進んだところで既に8月くらいを迎えていた。
妻からの強い要望で子供の学年が変わる4月には新しい家で住みたいとのことなので、かなり突貫な形で進めることとなった。
A社さんは私の事情を理解して、土地探しをかなりの急ピッチで進めてくれ、結果、数週間で現在の賃貸マンションから3km程度のところに良い土地を見つけてくれた。
現状と同じ学区であることで、妻の要望も満たしていた。実際に見に行った際に、確かに広くは無いが、私も周辺施設、雰囲気含め気に入った。加えて、価格も予算内だったのですぐにOKを出した。
土地が決まれば次はいよいよローン審査。銀行を選んで審査を受ける。
銀行の審査など受けたことが無い私はさっぱりだったので、色々と伺うと、いきなり本審査というのは今はやらないらしく、事前相談という形を取るという。今までもA社さんに任せきりだったため銀行の選定もハウスメーカーに行ってもらった。
「一応、東証一部の企業に努めているし特に大きな借金もないから審査は余裕だろうな-」
そんなことを思っていたのを覚えている。今思えばこの決断が住宅ローンにおける私の苦難の始まりだった・・・
ハウスメーカーと取引が多くあるのでコミュケーションが取りやすい、
かつ ・利息が低めである という理由でS銀行、Y銀行、R銀行の3行を選定された。
この時、提出した書類は以下の通り。
そして、いよいよ申し込みだ。 しかし、この3銀行に申し込むにあたり少し不安になることが出てきた。審査基準は明確には説明がされないため、ちょっと気になって調べてみたのだ。
② 勤務先の安定性、及び勤続年数
④ 既存の借入の有無
とのことだった。③、④は思い当たる節があったのだ。
まず1つは過去に1~2回ほど携帯の支払いを滞ったことがあった。これについては、その時偶々銀行に入金し忘れており、督促が来た時点ですぐに支払いをしていた。不安に駆られ率直にハウスメーカーに聞くと、やはり返済忘れ、滞りはかなり印象が悪いとのこと。
2つ目はクレジットカードのショッピングリボ&キャッシングの金額が残っていたこと。支払い自体は毎月ちゃんと行なっていたのですが、額は40万近く残っていた。そのうちキャッシング枠も10万位使っていた。
私の場合、この③と④に引っかかりそうな部分が多々あり、かなりの不安を持っていた。
そんなことを言ってももはやどうにもならない。流れのままに、R社さんとの建築請負契約締結も完了。 家族も「いよいよマイホームだね」と頭の中では家が既に完成している。
もう引き返せないところまで私は来ていた・・・・
審査結果は2週間以内に返答が来るとのことだった。全ては「考えすぎだ」と思うしかなかった。
ハウスメーカーを通じて思ったよりも早く事前相談の結果が返ってきた。
結果としては、3行全てNG。。。。
NGを聞いた瞬間。私は頭の中が真っ白になった。 その後に家族の期待を裏切ることになる絶望感、同僚を含めた周囲からの目線への恐怖心がこみ上げて来ました。 そこそこ名の知れた会社で真面目に10年勤めてきたのに、たった数個のポイントでこれまでの人生を全て否定されたような感覚に陥った。 まさに絶望の縁といった状態だったと思う。
「これでは仕方ありませんね。ローンが降りなかった場合に解約できる特例条項はついているので契約自体を解約されますか?」
と即座に聞いてくる。
物腰は柔らかだったが、私には手のひらを返したような対応に感じて「あなたも敵か」と一瞬感じてしまった。
ただ、私はどうしても諦められなかった。 妻、子供平凡な私が手に入れた身に余る幸福を手放すわけにはいかない。なによりローンが通らなかったなんてかっこ悪くて言えるわけがないのだ。
自分にはもったいないほどの妻が私に愛想をつかしてしまうかもしれない。これまで積み上げてきた幸せにヒビが入っていくのを感じた。
「少しお時間をいただけませんか」
その場はそれを言うことで精一杯だった。
私はその日から誰にも相談できない大きな悩みを抱えることになった。時間がない。同僚にはこんなこと言えやしないから人脈もない。ここからどう住宅ローンの問題を解決したらいいか。正直、仕事中も住宅ローンのことばかり考えていた。
結果、
という結論になった。
審査が通りにくくなるから複数の銀行に行くのはやめたほうがいいという意見もあるが背に腹は代えられない。
「だがどうやって?」
銀行に一つ一つ連絡を取って審査を行うことはできなくは無いが、私は会社員、平日は動きにくいため膨大な時間がかかる。ハウスメーカーからもそんなに長くは待てないとの回答も来ている。
妻からも「家の件どんな感じ-」と数日私から報告がないことを怪しんで来ている。
私には時間がなかった。
ここまで追い詰められて私はやっと「人に聞く」という選択をした。同僚で最も信頼できる聡志に電話をした。去年マイホームを手に入れ、私が一戸建てをいいなと思ったきっかけになった友人だ。
聡志は私が家を建てようとしていることを知っていたのもあるだろうか。電話で話をしてみると思いの外すんなりとローンの悩みを打ち明けることができた。
「おー、そりゃ大変だな。実はさ、俺もそれ苦労したんだよ。うちの会社ってちゃんとしてるから余裕で通るかと思ったんだけど、カード支払いの遅延が結構あってさ、かっこ悪いからなかなか人には相談できないし、相談したところでどうにもならんし大変だよな。」
聡志もなのか!と同じ立場の人間が同じことに悩んでいたことに一瞬安心した。
しかしすぐに
「こいつはなぜ家を持ってるんだ」
という疑問が湧いたので、質問をした。
「あー、時間ないし、一行一行あたるのもキツイからどうしようと思ってたんだけど、複数の銀行をまとめて審査してくれるサイトを使ったら2行くらい手を上げてくれてその後、すぐ審査してもらっていけたぞ。」
と回答があった。なるほど。
私は藁をもつかむ思いで即座に住宅ローン一括査定サイトを調べ、早速仮審査申込みを行った。 一括査定のサイトを使うと複数の銀行に審査を取っても金融機関にはその情報はいかないそうだ。 私は既に3行に直接相談をした経緯があったので、この部分の安心感はかなりあった。
早速アポイント調整を行い、面談。こちらの現状を伝え、資料は既に揃っているので全て提出。
結果は・・・
金利も最初に審査を行った3行とさほど変わらず良い条件だった。
落とされるのではないかという恐怖感に支配されていた私は条件付きであれど、あらゆるプレッシャーからの解放が見えたからだろうか。一気に喜びが爆発した。
条件付きの「条件」とはクレジットカードのリボ払い、キャッシング残金の精算だ。借入とみなされるものがあると、月の返済がそちらにもあると見なされる。
結果、住宅ローンの月返済見積もり額を減らされ、最終的には希望する額の借入ができないという問題となるようだ。これは40万円ほどであったので、親に頭を下げて借りて解決をした。
親は少し渋い顔をしていたが、これまでの経緯など説明を尽くしなんとか理解してもらうことができた。
すぐにA社、ハウスメーカーさんに審査を通過したことを報告。融資が確定したので、まず土地の金消契約を行った。
そして1月ほど経ち(この間、家の間取り等の大まかな計画はR社さんと進めてきました)、12月初旬。土地の決済が行われました。
ここまで行けばあとは家の完成を待つばかり。もちろん家の打合せ等はたくさん入り、ほぼ毎週A社さんの方や、各メーカーの展示場を見たりした。
決済は以下のように行った。
中間金として、建物代金の半額を決済。2回目の決済で全額決済を行いました。 最後の建物決済は、銀行にて行った。
約半年ほどで住宅は完成。 狭い土地とはいえ、短期間で且つ内部もしっかり作っていただき、とても満足いく出来に仕上がりになった。
完成した家を見た妻の表情、子供のはしゃぎぶりをみて、男として、父親として一つ大きな仕事ができたかなと安心したのを覚えている。 全てが解決した今でも、未だに住宅ローンで問題を抱えていたことは家族には言えていない。やはり男のプライドも関わるこの問題は悩みが深いと思う。 思ったより多くの人がこの問題で悩んでいるのではないか。 誰にも言えず、たった一人でどうしたらいいか絶望しているのではないか。 私の経験、解決策が全てだとは思わない。
親に頼んで保証人になってもらったりという選択肢がある人はそれでもいいと思う。 ただ、そういった選択肢がない人は、私の体験を少しでも役に立ててくれれば嬉しい。
素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。
幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。
乳がんは罹る人も多い病気。負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。
でも全然カンタンではなかった。
家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。
判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。
手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。
いろんな後悔が今も心に残っている。
こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。
興味があったら読んでみて下さい。
ほんの些細なこと。
10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。
その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。
それから1ヶ月が経った頃、
朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。
違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。
ピンク色の東京タワー、ピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。
ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。
夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。
大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安にかられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。
しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。
人間、不安なときは都合のいい方の考えに飛びついてしまうものだ。
私は、
と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。
翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。
考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。
今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。
一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がんを検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったから検討がつかない。
よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。
そういって若い女性の医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。
その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。
診断は
違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。
乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常の生活に戻った。
「大丈夫でしょう」という自分の安易な判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。
それから2年、私はしこりのことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。
日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日。
その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。
夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。
暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。
私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。
夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。
とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」
との回答。
しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。
「乳がんの専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見を採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。
まずは触診。先生の無表情さが不安を掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。
終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます。検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。
もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。
これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分が乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。
この一週間は今まで感じたことのない長さだった。
加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。
診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。
先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。
何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。
我を取り戻した私は、
「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。
結論は手術。
私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。
女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘を選択した。
医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。
まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。
ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。
次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。
母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。
と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。
親の前ではやはり自分は子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。
仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。
私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。
仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると
という反応。
特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。
更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。
中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。
私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベルの男性と結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。
昔から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那の愚痴。家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。
由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。
由美にも率直に
と伝えた。
ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。
するとA子は
と言い放った。
彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。
死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。
ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。
私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。
これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。
家族の不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブな感情を抱えながら私は手術に挑む。
スケジュールが出た。
手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘を選択したために術前の化学療法はなし。
手術2日前から入院となった。前日からは食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。
手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由はリンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。
乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。
でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。
翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。
わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。
術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。
7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。
そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。
左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分の身体から目を背けたくなる時期もあった。
でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。
気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。
期間は3週間を1クールとして、8クール、複数の抗がん剤を組み合わせての実施。
抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。
抗がん剤治療は想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気と貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。
覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。
2クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。
3クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。
それにしてもケアグッズも高い。
あまり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がんは治療以外にかかる金銭的負担も大きい。
4クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。
いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。
こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。
楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。
抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。
化学療法を無事に終えた私は最後の治療、放射線治療に入ることになる。
放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的な負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。
放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。
ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。
手術をしてから約半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。
毎日毎日通った病院。乳がんを発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。
検査のときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。
お陰で私は現実と向き合い、治療の目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう。
そう言えればどれだけ幸せだろうか。
一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。
こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。
そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活を改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。
乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。
幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。
ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のときは帽子を被るようにしている。
左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。
胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友の言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。
以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事と抗酸化作用の高い食品をメインにしている。
そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活のリズムを整える意味で意外と気に入っている。
家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事も積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。
夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。
先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。
親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。
こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。
でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。
どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。
乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。
もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・
早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスクも存在しない状態で治療が終わっていたと思う。
親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。
10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がんを自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。
乳がんは女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。
かつて仕事でpepperのモーションアニメーターをやっていた事がある。
職場にはプログラマーなどバリバリ理系の技術屋たちが多く、pepperを制御するシステムを構築しながらモーションも実装していた。動きながら喋り、喋りながら胸のモニターを切り替え、モニターをタッチされる or 命令を聞き取ると分岐し、次のフェーズへ移る(文章冒頭へ戻る)。書いてて気づいたのだけれど、システムに関する事はよく分からないので飛ばした方が良さそうだ。
以下、「動き」について書く。
自分はモーション専門として入った。現場でまず行ったのが「動き」の鑑賞だ。
過去に開発されたモーションは、雛形としてアーカイブされており、それらを一つ一つ実機で再生させ、各関節に打たれたキーフレーム(手書きアニメで言う原画にあたるモノ)の数値を確認した。pepperが人前に立った時に、目があうように感じられる理想的な首の角度や、胸のモニターに引っかからない絶妙な手の運動など…先人達が模索した技術がそこにあった。しかし、入ったばかりの自分は、様々な制約の中でなんとか形になっている「動き」だとは想像もせず、「最先端のロボットでも動きはこんなもんかぁ…」と眺めていた。
ぼけ〜っと動きを眺めていると、あきらかに異質な動きをするファイル群が見つかった。左右非対称の動きが、始点と終点、各関節で絶妙にずれており、腰の動きからは身をよじるような重心の移動さえも感じられた。
目を輝かせ繰り返し再生していると、どうも教育係の人にいい顔をされていない事に気づいた。「一体これはなんなんですか?」と聞くも、「関係ないから、そこらへんのファイルは見なくて良いよ〜」と流される。釈然としなかったのだが、言われた通り、それ以外の動きを見る事に専念した。後になって、仲良くなった人が教えてくれたのだが、海外チームの作った動きのようだった。2Dなのか3Dなのか詳しく聞けなかったが、カートゥーン系のアニメーターの人なんかもモーションに携わっていたそうだ。知った時には、なるほど!道理で!と膝を叩いた。
しかし、短い納期でいくつもの締め切りが迫る現場で働いている内に、あれらのファイルが「自分とは関係ない動き」なんだなと気づいた。複数人で同じpepperというキャラクターの動きを再現する為には、かなり割り切った動きで統一感を出さなければならなかった。誰かが表現力の高すぎる「動き」を実装してしまうと、pepperの動きの流れの中で、妙に浮いてしまう結果になるからだ。そして、複雑に組まれた「動き」を修正したい時には、どうしても組んだ本人以外だと時間がかかり過ぎてしまうのだ。もう一つ付け加えるならば、基本的に店頭や家庭用に出ているpepperは安全装置が機能しているタメ、周囲に人がいる場合なんかは特に「動き」の振り幅が小さくなり、低速になってしまう。目の前に人がいると、手なんか完全に止まってしまう。なので、いくら作り込んだとしても満足に「動き」が再生される事は基本的に無いのだ。
だが、例外もあった。安全装置を外して限界まで過剰に「動き」を作り込んでいい瞬間があった。映像コンテンツとして収録する時などが主にそうだった。他に、記者会見の場に呼ばれる時なんかも、ハラハラしながら一発勝負でとんでもない「動き」を走らせる機会が何度かあった。連続して同じ「動き」を再生しようものなら、各関節に多大なる負荷をかけ、モーターが熱暴走し強制的にシャットダウンしてしまうような…そんな物理的な限界にまで挑戦できる瞬間が確かにあった。
そこには物凄いやり甲斐があった。最先端の動きを作っている自負があった。当たり前に徹夜する事もあったが、発表されたものや、その反応を見る度に、気持ちが満たされた。
今もそんな現場が走っているのだろうか…現在、自分は別の職場にいるので分からない。
携帯ショップの店頭で虚空にむかって喋りかけているpepperを見ると思い出す。
直射日光の下だと顔認識がうまく作動しなくて、首が変な方に向いたまま戻らなくなる事を…
ゲームセンターの前で、片腕をぶら下げながら接客するpepperを見ると思い出す。
開発中に何度もオーバーヒートさせてしまった頼りない腕の事を…
電気屋の隅で電源が切られた状態のうなだれたpepperを見ると思い出す。
忙殺されながらも「俺が一番お前を動かしてやれるんだ…!!」と息巻いていた日々を…
もし、pepperの「動き」について興味を持ってもらえたのなら増田冥利に尽きる。
それでは、さようなら。
社会人3年目が終わったので、どうやってここまで来たのか書いてみることにする
一応ほぼ自分の金? で高等教育?の高専・大学~大学院までは卒業したので
金がなくて大学とかどうしよって思っている人とか
金がなくて子供を学校にやれねーなと思っている親とかが見てくれればと思う
中学で高校を選ぶときにまず、私立にはとてもじゃないけどやれないと言われた
よくもまあこのご時世に5人も作ったって話ではあるんだけど
公立の高校は県内だと最高70くらいの偏差値の場所しかなかったから
対して偏差値も変わらなくてお得な工業高等専門学校とやらに行くことにした
親からしたら早く働いて欲しかったみたいだからそこを進められたってのはあったんだろうけど
この『高等専門学校』略して『高専』は工業高校と短大を組み合わせた?みたいな感じの学校
だいたい全国の都道府県には1つづつ(ないとこやいっぱいあるとこもある)あって
基本的に工学系の学科の電気・電子・機械・情報・建築・物質・化学なんて種類がある
どのくらいしやすいかて言えば面接一回で受けた次の日に内定が決まるとか
でこれが就職の話で次に進学の話
難易度的には普通にセンター試験?(私は受けたことがないのでわからない)で入るよりも簡単らしい
大学4年間と高専の4・5年+大学3・4年だと高専+大学の方が安くなる
あと高専には専攻科っていうのがあって
ぶっちゃけ難易度やお金の面で言えば専攻科+大学院の方が簡単で安い
しょぼい国立大学でも専攻科よりはましだと思うので
この先40年近くそういうことと付き合うことになるということを考えてから進学して欲しい
とにかくつまらんかった
で高専の先生が良く言うのが君たちは技術者になるんだっていうこと
高専を出て、キャリアを積むこともできずにこのままつまらない技術者になるのは嫌だった
かといって研究者になろうとか起業しようとかそういう考えがあったわけじゃないけどとりあえず進学することにした
それどころか高専4・5年のお金も自分でなんとかしろって言われました
この辺が妥当だと思う
ということで奨学金を借りてアルバイトして授業料免除の申請をします
これが割と辛い
勉強面では
授業料免除しようとおもったらまあクラス5番以内には入っておきたい
で奨学金の一種(利子無し)を貰おうとすると10番以内には入っておきたい
さて、肉体労働も頑張って、成績でも頑張って
自分に残るのは?
親にははよ働いて欲しいといわれて
マジで辛い
高専からのルートなので高校からのルートよりは楽だと思いますがいやあ辛かった
金がないのに大学に行かせたい親とかがいたら
まあ覚悟して頑張って下さい
さて、ここまでは高専の話です
自分で金を稼いで高専に行っていた二年間の間の勉強で十分大学には入れました
某T大学とK大学は高専生には『教養』が足りないとうことなので
2年次編入になります
この二つの大学は高専時代の席次が3番以内だと入学料・授業料全額免除の特待生になれる可能性があります
自分も割と迷って結局いきませんでしたが、お金に困っている場合はかなりアリな選択だと思います
ちなみに編入試験は国立大学でも試験日程さえ被らなければいくらでも併願可能です
国立大学にバンバン編入していたので国立大に入りたいだけなら高専はコスパがいいと言えると思います
普通の高校からだと大学受験時に予備校や塾に行くのが普通だと聞いているので
そういう場所に全く行かない高専生は大学に行かしたい親から見れば凄くお得な教育機関だと言えます
工学部とは言えなんとか歴史ある国立総合大学様に編入できたわけですが
女はいねえし、高専生を少しお上品にしたみたいなやつらでいっぱいでした
サークルってやつにも3年生ながらに参加させて貰って楽しかった
まず研究室です
理系の学部の人はだいたい4年次、早ければ3年次に研究室に入ることになります
とにかくコアタイムとか辛いし
週報とか辛いし
実験はつらいし
論文はつらいし
学会とかつらいし
からだがいくつあっても足りません
正直就職したら楽になったって人の方が多いです
なんで自分で金工面して理系でやっていくというのはマジのマジで辛いと思います
(文系とか工学系以外はやったことないので比べようがないですけど)
次に世界の違いです
高専はまあ偏差値自体はそれほど低くもないのでいうほどアレな人はいません
私は高専の中でも割と貧乏でしたが、高専の連中とは割と話とかは合いました
そりゃあ私と同じく奨学金を借りて、授業料免除を受けて大学に通ってるやつもいます
なぜなら彼らはそれが帰ってくることを知っているからです
私の地元の中学の同級生には彼らのように勉学にお金や努力を賭ける人はあまりいません
そんなことするくらいならヴェルファイアでも買っていると思います
なんで、頭のいい大学生がそういう風な考え方でやっていけるのか考えれば
やっぱり親とか友達とか周りの皆がそのように考えて
そして、私はそれを凄く羨ましいと感じました
私もそんな環境ならもっと上にいけたんじゃないかとか情けないことを考えてしまいます
彼らは普通のことをやっているだけなのに環境や考えの違いを思い知らされます
その結果、家賃を携帯代を学費を食費を『自分の時間』を払っていることにやるせさなや怒りを感じて
まあ中々辛いです
色々思い知らされて
それでまあ工学自体は嫌いでしたが結局大学院までいくことになりました
大学院までいくころにはもう親はあんまり何も言わなくなりました
親からすれば大学院なんてもう聞いたこともないような世界だとかなんとか
技術者の『マネージャー』とか『研究者』になることが現実的になってきます
ついに勉強してきたことと実際の世界がしっかりとリンクしていることを感じることができます
やっとこさ高専のころのクソ詰まんなかった電磁気やイオンの動きやなんやかんやがついに意味を帯びてきます
まあつまんないことに変わりはなかったんですけども
英語論文2本出しとけば修士の分の奨学金は全額免除くらいは行けるでしょう
で就活です
工学部には学校推薦制度があってかなりの確率で内々定を貰うことができます
ただ、私は工学あんま好きじゃなかったので自由でいろんな企業を受けてたら
夜行バスと学割在来線を使っても交通費が10マンくらいかかってしまいました
ただなんだかんだ言って高いモノかっても安いモノかっても就活には影響しないのかなという感じです
私は某巨大スーパーのスーツに某ブラックで有名なチェーンのシャツ、ニット帽で有名なチェーンのネクタイとかで
就活してましたがなんだかんだ大手5社くらいから早々に内定者はもらえました
就活の百倍辛かった
こんな感じですね
だいたいアクアが二台くらいですかね?
そのくらいの金額でした
やっとこさ同期のみんなと同じスタート地点に立った感じです
高専の同期は結婚したり、でかい車かったり、下手をすれば家を建ててます
大学・大学院の4年間と奨学金を返し切る3年間で高専の同期とどれだけの差が開いてしまったのか
大学院の同期に三年間でどれだけおいて行かれてしまったのかわかりません
でも高専から現場の技術者になってもそもそもなにか違うという考えがずっとよぎっていたのではと感じます
原チャが廊下を走り回っている中学、ちょっと頭のいい高専、頭のいい大学とたどってきたおかげで
いろんなことを考えることができたと思います
学歴がなくても生きていけますけど学歴がないと見えない世界もあります
だからもし、貧乏だけど大学にいくとか、今勉強してることがなにか違うと感じてるとか
そういう人に見てもらえればと思って書きました
全国展開してるケーキ屋チェーンで販売のバイトしてる。ペコちゃんではない。
20歳女。
仕方なくアルバイトの女の子(19)が電話でお客様の事情をヒアリング。
(販売員はマニュアル通り、お客様が注文したケーキが間違っていないか4度も確認をする。それなのにオーダー間違いのクレームが入るというのは、だいたいはお客様の勘違いの場合が多い。)
まぁでもあなたが間違ってますよとは言えないので、私たちはへこへこしなければならない。
通常なら、クレームが発生したら店長がお客さんのもとまで商品を持っていかなければならない。
示された住所は明らかに風俗店街のど真ん中。
時刻は22時も回っている。
店長に電話して指示を仰ぐと「私たちアルバイトうち誰か1人が菓子折りもって謝罪に行け」...とのこと。
いや、危なくね????
夜も遅いし。10時回ってもう街の雰囲気がガラッと変わってるよ。
と私は思った。でも仕方がないので、行った。1人では危ないと思ったので2人で。
正直、超絶怖かった。ここ住所的にやばいでしょ、とは思ってたけど実際行ってみると本当に怖かった。なんかうす暗いし。ネオン輝いてるし。女の子ケバいし。めっちゃ酒飲んでるし。夜遊びとかあんまりしないのでとにかく恐怖だった。
何かあったらどうしようと思って携帯をすぐに110番できるようにしてポケットに隠しておいた。
クレーマーのおっちゃんは、女の子にええかっこしたいみたいで、私たちにやけにエラそうな態度をとった。
私たちクレーム対応の研修とか受けてないし、たどたどしい謝罪でさらにクレームがヒートアップしたらどうしようかとヒヤヒヤした。
結局、まあとりあえずその場はおさまった。
私たちは全力ダッシュで店舗まで帰った。歓楽街で立ち止まるとやばいと思ったから。
でも、ことがおわってみると、これっておかしいんじゃないかと思い始めた。
私たちは真面目に言われたことをやり、お客様に満足していただけるような接客をするのが仕事だ。
しかし、それ以上のことはできない。
責任なんて取れない。
「申し訳ありませんが本社の人間が謝罪に向かいますのでお時間かかりますがお待ちください」
とかそういうのが普通なんじゃないの?
バイトに行かせるか?
しかも、明らかに危ないところに、夜遅くに成人もしてないバイトの女の子を。おかしくない??
正直すごく疑問で不信感を覚えた。
後日店長に抗議した。
「私たちすごい怖い思いをしました。バイトなのにそこまでしなくちゃいけないんですか?会社の決まりなんですか?」
と聞いたら、店長の回答は
「あーそうなんだw怖かったよねーw ぶっちゃけうちは社員も足りてなくて場合によってはバイトさんにもクレーム対応してもらうからw 怖かったと思うけど従業員の安全よりお客さんの都合が優先されることもあるからw」
だそうでした。
非常に納得いかないのでコンプライアンス担当の部署に問い合わせようと思ってる。
でも不思議なことに、バイト仲間はこの出来事を普通のことだと思ってる。
とか言われる。
それおかしいって誰も思わないの?
まるで私がぴーちくぱーちく騒いでおかしい人みたい。
でもこれってすごく問題だとおもんだけど。
社員が少ないとかそんなの関係ない。それはあなたたちがなんとかすることでしょ?
どうしてその尻拭いを私たちが時給1000円ぽっちでしなきゃいけないの?
もし私たち非正規雇用のアルバイトにクレーム対応させたいなら、事前にちゃんと研修とか受けさせて、時給もあげなさいよ。
それができないんだったら、もう構造として破綻してるんじゃないの?
どうして誰も声をあげないんだろう。
交通事故を起こしたら契約している保険会社に一番最初に連絡することが最も正しい知識であるように、
iPhone紛失時に「iPhoneを探す」に関して知っておかなければ後々後悔する知識があります
「iPhoneを探す」とは簡単に説明だけすると、手元にあるパソコンや友人/パートナーのスマフォなどで指定のiPhoneを探すことが出来る機能です
実際には「iPhoneを探す」から失くしたiPhoneで使用しているapple IDでログインすると、そのアカウントに紐付いたデバイスがすべて表示されます
失くしたiPhoneがオンラインの場合(ネットにつながる状態)、マップ上に緑色の○アイコンで現在地が表示されます
iPhone現在地にあたる緑の○アイコンをクリックするとアクションとゆう項目が出てきます
アクションはそれぞれ
通常こういった事態に直面する方は「iPhoneを探す」を使うことが初めてのはずです
当然こういったアクションを見るのもはじめてでしょう
場所がわかったのだからすぐにこれらのアクション、とくにiPhoneを紛失時モードを実行したくなりますよね?
しかしこれら3つのアクションのうち特に前2つは行ってはいけません
大事なことです
緑色の○アイコンが出ている状態かつ、あたな自身がその○アイコンの近くにいない場合、絶対にこの2つのアクションを行わないでください
理由は明白です
もし仮にあなたが自宅に帰ってきてiPhoneをなくしたことに気づき「iPhoneを探す」で1km先のスーパーマーケットに無事iPhoneの存在を確認出来たとしましょう
あなたはそのiPhoneがどのような状態にあるかまでは把握できません
スーパーマーケットの前の縁石に落としてしまったのかもしれない
こうした状況でアクションを実行したらなにがおこるか?
何食わぬ顔で手にした第三者は持ち主がこのiPhoneを追跡していることを知ることができます
それ故第三者はある方法でiPhoneをオフラインにします。(ここでは方法を書きません。しかしiPhoneを使いこなしてる人なら知ってることです)
そうすることで「iPhoneを探す」はもうこのiPhoneを追うことができなくなります
また縁石にあったiPhoneはけたたましい音をならしたことで悪意ある第三者を呼び寄せるかもしれません
ここにiPhoneがあるんだよと知らせることは、ここに砂金があると知らせるようなものです
そして前者と同様にiPhoneは持ち去られてしまうことでしょう。オフラインにされた後に・・・
「iPhoneを探す」で緑の○アイコンから現在地を知れたなら
そしてそこに着いてはじめてあなたはiPhoneを紛失時モードににするなり、アラートを鳴らすなりをするのです
だれにも拾われていないiPhoneならあなたの手元にそれはすんなり戻るでしょう
そして第三者の手元にある場合はけたたましくなる音によって場所をより特定することが出来ます
第三者がそのまま持っていってしまおうと思ってオフラインにするのを目撃出来る確率はぐんとあがります
いいですかくれぐれもこれらを守って下さい
そしてこれをまわりに周知してください
私のように自宅で確認して緑色の○アイコンだったからとすぐさま紛失時モードにしてアラートを鳴らせば
その途端にマップ上にあるiPhoneは灰色の○アイコン、即ちオフラインにされたあげく
もう二度とiPhoneを追うことができなくなるとゆうことを避けて下さい
いまでも私はアジアのどこかで分解されパーツごとに売り飛ばされた、私の手元に確かにあったiPhone7に思いをはせるのです
コメントをたくさんいただいたようで
あくまで「iPhoneを探す」を使う段階になった話だと思って下さい
私のケースでは失くしたのを気付いた段階で電話を鳴らす→家にないので「iPhoneを探す」を使用
オンライン時では普段よく通る「とある施設」にあることが確認出来ました
失くした場所はタクシーを乗った場所だとわかっていたのですが、そこからちょっと離れた場所に移動していたんですね、
それで誰かの手に渡っていたのはわかったんですが・・・
上記のようなケースを想定していなかったため紛失時モードとアラートを鳴らして、結果戻らぬ携帯となりました
ちなみにオフラインになった直後、複数人で現場に向かって「とある施設」のフロントの方にたずねたのですが、
そのような紛失物はなかったとのことでした
交番で遺失届を出してその日は何も出来ないくらい落ち込みました・・・
みなさんも気をつけてくださいね!
最初に言わせてもらうなら釣り系広告は特に強制してるわけじゃない。煽り文に興味をそそられたあんたが見ることを選んだだけ。
で、釣りだろうがなんだろうが、あんたがそれを見たのであれば対価を支払う必要がある。
その対価は広告を見ることであったり、文章を読むことであったり様々だが。
そもそも釣りや煽りでコンテンツを訴求しようと思ったのはマーケティング担当者でコンテンツ制作者とは違う。
だのにマーケティング手法が自分の気に食わない方法だからコンテンツも悪いものと決めつけるのは早計じゃん。
っていうかあんたの主張だと「PRを入れない時点でそれはユーザーに対する釣り行為」ってこと?
それは基準点が低すぎるし、そもそもリソース割く行為が嫌だって本当に君らいつも携帯のパケット意識して色々やってんの? というかネットでコンテンツを享受する以上その対価として広告のマネタイズを受けなきゃだめなんだよ。万引きみたいなもんだわ。
そういう自分にとって不快なものが存在するなら他に良いものがあろうともコンテンツ制作者は全て息苦しい思いをすべきってのがお客様根性丸出しだって言ってんだよ。
彼と付き合って3年と少しがたった。
良いところ、好きなところを挙げたらキリがないほど素敵な人。
この3年間、色々なことがあった。
彼に好きな人ができて、別れそうになったこと。
私が浮気をして、別れようと言われたこと。
風俗で働いていることをずっと前から気づいてたと言われ、別れようと言われたこと。
散々悪いことをして、彼を傷つけた。
嘘も沢山ついて、信用を無くした。
今でも申し訳なかったと思ってる。
そして、今でも一緒に居てくれてありがとう。
1Kの彼の家に転がり込む形で、同棲をして1年半くらいになった。
毎週金曜日になると朝帰りをするようになってから半年くらいがたった。初めて帰ってこなかった日は、どうしたんだろうと心配になって電話もLINEもすごい数をして、繁華街までパジャマのまま出ていって探したくらいびっくりした。
それから1ヶ月に3回は朝方帰ってくるようになって、何をしているの?と聞いても何も答えない彼に正直浮気を疑ったときもあった。
ただ、同棲しはじめの頃、彼は一人の時間がないとしんどくなると言っていて、1人で散歩に行ったり、実家に帰らないの?と聞いてきた。
実家に帰らないの?と聞かれる度に私は極端に嫌がって、拗ねていたら、彼も諦めたのか言わなくなったこともあり、1人で居たくているのかもしれない。そうだったら、1日くらいそっとしておこう、と思うようになって朝帰りをしても何も言わなくなった。
そんな矢先につい先日、朝方鍵が開く音がしたので家に帰ってきたと思ったらまた出ていってしまった日があって、ベランダから下を見たら若くて可愛い女の子が座っていて、その子に話しかけたあと一緒にどこかに消えていったのを見かけてしまった。急いで電話をしたけど出てくれなくて、LINEをしたけど返信もなかった。1時間後くらいに帰ってきて一言も話さず彼は寝てしまった。
今までの朝帰りが全て浮気だったのか、あの昼に帰ってきたときはホテル帰りだったのか、そんな疑問が浮かんで悲しくなったし、傷ついた。
この件については、彼にはサラッと喧嘩にならないよう伝えたけど、特に責めるようなことはしてない、と思う。
もちろん怒ることも、別れることも私が選べばできたことだった。なんで他の女と浮気しているんだと責めることもできた。釘をさすこともできた。
でも、しなかった。
世の中的にはこんなのアウトだろと思われるかもしれないけど私はそうは思わない。
彼がわたしと一緒居ることを選んでいる限り、そしてわたしの彼への心が折れない限り、許し続けると思う。
彼を愛しているうちは精一杯愛したい。
彼が幸せになれるよう。
今日わかるかもしれない。
とあるファンによる2017/05/27に行われたオリエンタルラジオのトークライブ書き起こしより、中田敦彦がブログに書いた松本人志に対する批判をきっかけとした騒動についての記述を抜粋し以下転載
https://blogs.yahoo.co.jp/poketto_1120freedom/40556828.html
------
あつ「この次にオレが投稿した記事が『問題』になったんですよね。
その次に投稿したのが『オリラジ中田、茂木健一郎の“お笑いオワコン論”支持!』って記事(http://lineblog.me/atshikonakata/archives/365006.html)なんですね。
えーとですね、これは茂木健一郎さんがTwitterで『日本のお笑い界はオワコン』だと仰ったんですね。そしたらお笑い界から猛バッシングを食らって。その後ワイドナショーに出させられて、大御所に公開処刑を食らったんですね。
オレはこれを暫く様子見してたんですね。だけど、“この人は見込みがあるな”っていう自分が認めてる先輩なんかにこれについて聞いてみても、『あーーアレはダメだよ何もわかっちゃいない』って言ってて、それでワイドショーで公開処刑されたのを見て、これはオレは茂木さんを支持する側に立とうって思ったんですね。」
あつ「この茂木さんの意見を芸人の方々が叩いてワイドショーに呼んで公開処刑するっていう一連の流れの何がダメかというと、『1人のお客さんの意見を“専門知識がないこと”を理由にして切り捨てる』っていうことなんですね。」
しん「ほう」
あつ「例えば、Twitterとかで『日本のパソコンはオワコンだ、AppleやMicrosoftに比べたらもう全然だ』って言ったとします。そしたら日本の全電化製品メーカーから『何言ってるんですか??』って叩かれて、その電化製品メーカーがスポンサーの番組に呼ばれて、
『キミ、“日本のパソコンは終わった”って言ってるけど、じゃあプログラミングなんか出来るワケ??』
『ほーー、じゃあパソコンの部品なんかも重々承知していらっしゃるんですねー、この部品はどういう名称なんかもご存知ですよね??』
『ほーーーらなーーんもわかっちゃいない!!』
って公開処刑されるっていう。これと同じなんですね。
ね、おかしいでしょ?」
しん「おーわかりやすい」
あつ「この場合、企業がしなくちゃいけないことはお客様からの意見を『貴重なご意見承りました、今後改善を尽くすように努力いたします』って受けることなんですよ。
そうじゃなくて、お客さんからの意見を専門知識がないことを理由に切り捨てるっていうのは企業としては二流だと僕は思うんですね。
そして。
あつ「レギュラー番組の収録にチーフマネージャーが現れたんですね。『おい敦彦。オレはお前のマネージャーしとったこともあったやろ?やからお前の気持ちはようわかるんや、やけど、やけどや、悪いことは言わんから今すぐ松本さんに謝ってこい』って言われたんですね。
僕は言いました。『イヤです』」wwwww
あつ「先輩の方々からも来たんですよね。
ピースの綾部さんから電話が掛かってきて、『おい敦彦』と。『オレはな、お前をデビューの時から1番近くで見てきたんだよ、だからな、お前が頭のオカシいイカれちまってるヤツだってことはよーーくわかってるんだよ、だからな、オレは松本さんに謝ることを勧めるぞ、だけどな、もしお前が変な覚悟をガンギメちゃってるっていうんならオレはもーーーう知らない!そのままニューヨークに行っちまうぞ』って。
僕は言いました。『イヤです』」www
その後。
あつ「僕は常々思ってるんですよ。組織を実質的に運営しているのは2人だけだと。主導権を握る人と、決定権を持つ人とでね。
だからその2人を潰せば良いので、決定権を持つ社長と直接話が出来れば良いと。
その上で、僕よしもとの会議室に呼ばれたんですね。」
しん「おおお……!」
しん「スッゲー!…笑」
あつ「で、『ものすごい“問題”になっているからとにかく謝ってくれ』と。
私は言いました。『イヤです』」www
あつ「『何かおかしいことをしたなら僕謝りますけど、僕は何もおかしいことをしてないので松本さんに謝る理由は無いんですね。なのにどうして謝るんですか?謝らなきゃいけないんですか?』って言って。
『何か契約違反の事態を僕が起こしましたか?なら契約書の方を見せていただいてご確認のほどを……あ、契約書はありませんよね笑』」www
あつ「それで幹部の人たちはうーんってなったんですね。」
あつ「その後、収録前に待ってる時に僕の携帯がブーッって鳴って。見ると知らない番号からの着信だったんですね。
私、何かを察したんですね。
だから、私こうして(冷めた遠い目で見て)て、その着信を切りました」www
あつ「でもね、切った直後、ブーッ!ブーッ!ってまたケータイが鳴ったんですよね。見たら同じ番号でした。なのでまた切って。
でもまたブーッ!ブーッ!って鳴って。『すぐ鳴るなー』って思いながらまた切ったんですね。
それから数十分後にチーフマネージャーからメールが届きまして。
『さっき掛けてきたのは松本人志さん本人や』と。」
私、こう返しました。
『イヤです』」wwww
あつ「その後、またチーフマネージャーが収録現場にやってきたんですね。
『おい敦彦、社長と直々に会うことになった』と。
それ聞いて私、『きたぞ!!!』ってなったんですね。
『この日に会ってもらうからな』と。私は言いました。『この日はオフなので休ませてください。この日が良いです』と」
流石強い………!www
あつ「で、私、社長と会いました」
しん「強いなぁ!!笑」
あつ「この距離(10cmくらい)でね」
しん「近けぇ!あっちゃんよくやったなぁ!!」
あつ「席に付いて。
『アーレーはーーーアカンぞぉ~~~??』と。『まずな、お前、松本さんは先輩や。その先輩に無礼を働いたんやからとにかく謝るんやぞ、ええな?』と。
私はこう言ったんですね。『何でですか?』と。『謝るつもりはありません。何か悪いことをしてたり迷惑を掛けているようでしたら謝りますけど、僕そんなことをした覚えは無いので謝りません。それに僕には表現の自由があります。その権利を行使しただけです。 行使してるだけなのに、こういう風に力をもってねじ伏せようとするのはおかしくないですか?』と。」
しん「……えーと。とりあえず、これは終わった話なんですか?」
あつ「……いいえ。これは今、現在進行形で続いております!!」www
しん「うわぁーーーっ!!」
あつ「そういえば皆さん、『天下を獲る』『天下を獲る』って芸人さん言わなくなっちゃいましたよね?
じゃあ『天下』って何なのか。私はこの数年間、M-1に優勝したり、番組のMCに抜擢されることを『天下を獲る』ことだと思ってたんですね。
だけど本当は違っていた。違ってたんですよ。
数多の実力のある芸人さんが『天下』を獲ろうとした、でも本当の意味では獲れなかった。
じゃあどうして獲れなかったのか。
各ジャンルのお笑いの大会を思い返してみましょう。漫才、M-1の審査員席に座っているのは誰なのか。コント、キングオブコントの審査員席に座っているのは誰なのか。大喜利、IPPONグランプリ!トーク、すべらない話!一発ギャグ、笑ってはいけない24時!!
そうだよ、そうなんだ!!
何にしたってもそこに必ずあの人がいるじゃないか!!
あの人が『何が面白いか』っていう価値基準を決めてるじゃない!!
つまりさ、『“何が面白いか”っていう価値基準を決められる』、それが『天下を獲る』ってことなんだよ!!
そんなところで優勝なんかしてさ、『認められた』ってもさ、『天下』は獲れないじゃない!!
じゃあさ、本当に『天下を獲る』ためにはどうすべきか!!
……そう、そうなんだよ。
『天下を獲る』ために、オレたちがやるべきことはただ1つ!
しん「……まぁね、あっちゃんがどうなろうともオレはあっちゃんに付いていくからね」
あつ「……お時間ですか?」
2年ぐらい前の話
上野駅始発の高崎線に乗ろうとホームの列で待っていた時、キョロキョロとあたりを見回している男がいた。
誰か連れを探しているのかなと、私はあまり気にも留めず、列車に乗り携帯を見始めた。
列車が走り始めてふと顔を上げると、先ほどの男が両手に吊革を持ち、私に背を向け少し反るようにして立っていた。
私はギョッとした。男のすぐ前に女性が立っていて、男の股間は女性のお尻に密着していたからだ。
恋人同士だろうか?いや、年格好も身なりもあまりに違いすぎる(男の年は50過ぎ。ゴミ捨て場から拾ってきたようなシミだらけのウインドブレーカーをきていた。女性は20代で身綺麗な方だった)
すぐにこれは痴漢だと考えた。なんとかしなくてはとも考えた。だがすぐには行動にうつれなかった。身動きできないほどの混雑ではないが「混んでいたので身体が当たっていただけだ」と言われたらはっきり言い返せるほど空いているわけでもなかった。
それとまかりまちがって痴漢の冤罪に加担してしまうのも怖かった。人との距離の取り方が一般的ではない人なのかもしれない。
女性が助けを求めるとか男が明らかに手で触るとかすればすぐに捕まえてやろうと見ていたのだが、そのどちらもなかった。
女性はときおり体をずらしたり少し移動して男から離れようとしていた。(そのように見えた)
男はその度に女性に合わせて動き腰を密着させ続けた。
しばらくそんな攻防が続いて女性が我慢の限界だったのか隣の車両に移動していった。さすがに男はそれにはついて行かなかった。
この時点でも男はまだ僕の中では限りなく黒に近い「グレー」だった。歯がゆいが、警察に突き出せるほどはっきりとした行動をしているわけではない。
なんとか白黒はっきりさせたい。
そこで僕は男を尾行することにした。
必ず尻尾を掴んでやる!
そうこうしていると、男が尾久で降りた。
ピンときた僕は男にバレないよう降り、あとをつけた。案の定、男は早足で車両の中を物色しながらホームを移動し、少し行くと降りたばかりの列車の「別の車両」に乗った。僕も男が乗ったの隣の扉から続いた。
再び列車は走り出した。
乗客をかき分け、再び男を目にした時、この男は黒だと確信した。
先ほどと同じように男は両手に吊革を掴み、股間は別の女性のお尻に密着していたのだ。
ふざけるなと言われるかもしれないが、こんな明らかに黒な状況でも僕は捕まえるという行動に踏み切れなかった。
状況は先ほどと変わらない。巧妙?にも男は言い逃れできる範囲でしか体を触れさせない。女性からの助けを求める行動はない。(そもそも僕に気づいていない)
目の前で明らかに痴漢(的行為)がされてるのに何もできない歯がゆさに段々自己嫌悪が強くなる。
決定的ななにかしているわけではないけど止めるか?とりあえず女性に声かけるか?どうしよう?どうしよう?と何もできないでいるうちに、列車は赤羽についた。
どっと乗客が入れ替わる。男も降りた。とりあえずあとをつける私。また別の車両に移動して再び乗る男。そして女性の背後に。
決心した私は行動を起こした。
今のプランはY!mobileで10分間無料通話付きでインターネットし放題で月額1000円。
しかし、これも2年間だけなので今月中にMNPしてよそに移らないと月額2000円だかになるらしい。
今は総務省だかにつぶされて一括0円MNP案件はこぞってつぶされたらしいけれど、
お得に安くでどっかに移りたい。
最悪、キャッシュバック多めにもらえたら即解約してまたy!mobileに戻るのもありかなと思ってる。
こういう情報はどこであさるのがいいのだろうか
教えてくれ増田
「のび太くんって本物いたねー」
何年か前に働いてた所で言われてた。
そんな言葉聞き飽きてる。
ADHDでも種類があると思う。私多動じゃないし。でも障害だと言う事が怖くて逃げ出したから、詳しい事よくわからん。
素直にADHDを話せば嫌煙され、話さなくても失敗を多数起こすので煙たがられる。
見た目は普通となんら変わりない。
行動は違う。
このギャップで苦しむ。
普通の人の行動をしないといけない。
自分のストレス度合いで罵倒や嘲りを言う嫌な奴からならギャップに失望されても、してやったりくらい思っているのでどうでもいい。
少し語弊があるか。
かなり悔しい。けど、心の痛みが少ないからどうでもいいレベル。
我慢出来ないくらい苦しいのは、一生懸命世話を焼いてくれた人だ。
仕事を教えてくれる時、その人「何度でも教えるよ。聞いてね。」
そう言ってくれたから、そのまま何度でも教えてくれて有り難い人だと思った。
これは、建て前の人と、本気で言ってくれる人がいて、建て前の人はそう時間がかからず不満を陰や目の前で言ったり行動にだして仲間を集め始める。
本気で付き合ってくれるお人好しな人は、最後まで投げ出さないでくれた。
今も頻繁にフラッシュバックする。
メモもしたし、時間が上手く使えない所はタイマーを使ったり、チェックは2度は基本で、更にマーカーで色付けてもう1度見るようにした。
ただ、
速くしようと焦り、凡ミスがでる。
ADHDに気付きもしなかった時だったから、本当に申し訳ないことをした。
気付いてからは、少しでもいい人には近づかないようにしてた。
でもこれも結構つらい。
嫌いじゃないし、むしろ好きだから、嬉しかったから、逃げ回らなきゃいけないのがつらい。
少しでも好かれたままでいたいから、近づかない。
そう言う人は、しばらくすると私に嫌われたと思ってしまう。でもその人は、なぜ嫌われてるのかわからない。嫌われてるから嫌いになる。
だから、私は逃げても嫌われる。
こう言う人からの「関わりたくない」や、不機嫌な顔は悲しくてツラい。
届かないの分かってるけど、嫌な思いをさせてごめんなさい。
料理をすれば、扉や引き出しを閉め忘れて青アザ作るし、沸騰させた鍋はカラカラになるまで放置する。
着替えにタイマーつける。
テレビを見ると面白いけど、名前も顔も覚えられない。有名人と興味を著しく引いた人だけ知ってる。
目の前にある鍵を永遠探す。
こんなの幾つでも出てくるけど、言いたいのは、普通に生きようと、生活に全力を出してる。
全く、まったく全力なんかに見えないと思う。
仕事は更に気を使う。
人間にも気を使う。
全く、まったく気を使ったなんて気付かれないけど。
でも、こっちは必死。
家に帰ると、少し力が抜ける。
家の中では迷惑を人にかけない。
タイマーの音に必要以上にドキドキしなくなった。むしろ必要な時だけ携帯のタイマーで済ましてる。
今、親の脛かじりしてる。
親に、面倒見きれないよ。って言われた。
確かにお金がないし、働かなきゃ。
人の幻滅する表情にも、疲れた。
普通と交換してくれるなら、なんでもやるよ。
なんも心配しないで生きたい。
「必死にやって少しのミスはあるけど、生きるのに必要な家事出来るよ。これ以上は治らないからどうにもならないよ!」
この場合も教えて欲しい。
手詰まりで生きていけって教えかな。
こんな生活にも救いはある!
物語は、サラッと見れば覚えてない。
、、、笑えるほど虚しい妥協かも。
疲れたなぁ
男だけど、自宅で使えるパソコンは共用パソコンのみ?であれば、もしかして、弟はパソコンを使わないと上手く射精できない、だから無理を押してパソコンの使用を優先しているという可能性が考えられる。経験上、勃起するのに必要な性的興奮の度合いと、射精に至るまでに必要な性的興奮の度合いには、大きなギャップがあって、弟が成長期であることを考えると、パソコンを使った時だけ、「あること」が出来て射精が可能になる事は十分考えられる。例えば、動画なしでは射精に至らない場合。スマホを渡しているのだからスマホで動画を見られるはず、と思っていても、家にWiFiを設置していないのなら、携帯で動画を見たらすぐに1ヶ月xGBの制限を突破してしまうので、動画を見る時はパソコンしか使えない、という可能性がある。また、少数派だが、画面に一定サイズ以上に女性が大きく表示されないと、十分な性的興奮を得られない、という性癖の男性は存在する(3次元相手ならそれで問題ない)。
まぁ、とにかく、パソコン使わずに射精に至るのに十分な性的興奮を得られないので、姉に見られていようが何だろうがなりふり構わず共用パソコンを使っている可能性が高いのでは、と思う。
今までプリライに行って見たかったけど当たったこともなく、推してるプリンスがいるわけでもなくなんとなく残念だなーと思ってきた。
しかし今回は違う、ゲームにもならないうえ3人の頃は全くフィーチャーされず、帰ってきたと思ったら大人気ユニットの別事務所のライバルとして逆風を浴びておりメンバーによっては糞シナリオによってヒールに仕立て上げられている私の一押しユニットHE★VENSがライブに出るからです!!!!!!!
なのでチケットを確保し埼玉でエンジェル(HE★VENSのファンを指す言葉)になるシュミレーションをしていたのです。
まず事前物販の時点で嫌な予感はしていた。
元々普通のグッズが少ないのもあってさみしーなーと思ってはいたけど、皆シャイニング事務所(HE★VENSじゃない方)のトレーディングしか買っていない。
もしかしてHE★VENSのファンはそんな多くないのかなーって当日行ったら、周りはシャイニングのファンばかりだった。
まあ出たばかり?(不遇の3人での初登場
2013年)だから?しょうがないよね??でもライブはちゃんとHE★VENSの名前あるし皆で盛り上がれるのだと思っていた。
前半が終わってもHE★VENSは一曲も歌わなかったのである…??
カルテットナイトさんとスターリッシュさんは散々歌ってたしソロもユニットも全部歌っていたのであるがHE★VENSは影ナレがあるだけである。
後半にHE★VENS集中しているのだと思ったら最終的に4時間のライブでHE★VENSが歌ったのはユニットの曲3曲とデュエットプロジェクトの曲(メンバー7人がスターリッシュさんとこと一人一人デュエットした企画)のみである。
スターリッシュもカルテットナイトもあったソロはHE★VENSだけなかったのだ。えっ???
大半の善良なお客さんはいいのだが、一部のシャイニングゴリラどもが私の愛しいHE★VENSの待ちわびた出番になった途端座ったり、それどころか携帯いじったり喋り出したりするのである。ゴリラだから仕方ないのかもしれないが、ショッキングな景色であった。
露骨にそんなことして許されるなら私だって前半座ってたかった…でもエンジェルスはそんなことしない…ゴリラじゃない…と思って初日も二日めもずっと立って声を出して応援した…。
帰ってきて演者さん達のパフォーマンスは素晴らしくて楽しかったのに、ゴリラとシャイニング事務所の先輩に気を使ったセットリストのせいでむなしくなってきた。
私たちだってずっと生でアイドルのパフォーマンスを楽しみたかったし次の機会はないかもしれないのに…。ゲームにもなってないし…。
そもそもなんでWe are ST☆RISHという歌詞を皆で歌う文化があるのか甚だ疑問である。
スターリッシュじゃなくね?みたいな気持ちで歌っていた、カルテットナイトのファンの皆さんはどう消化しているのかしら、私はうたプリが好きなのではなく、HE★VENSが好きなだけなのだろう。
スターリッシュに気を使うというかスターリッシュのファンに気を使ったライブなのかなぁって思う。
帰ってきてHE★VENSの出番が少なかったと話をしたら、出てき始めのカルテットナイトは1人しか出られなかったからそれよりましと聞いた、なにそれこわい。
カルテットナイトさんもシャイニングゴリラから不遇の扱いを受けてたのはわかったけど、事務所同じだし良きライバルって感じだし何よりシナリオ的に超良待遇だし!今は単独先にやっちゃうくらいの扱いの未来が待っているわけだけど。
別事務所で3年くらい放置されて一部ヒール扱いでキャラも中の人も炎上するユニットにはそんな未来があると思えないのだ…中の人も皆忙しいし…だから今回に賭けていたのに…。
二日めのカルテットナイトのリーダーの最後の挨拶を聞いてパチンと切れてしまった。
何がどう同じなのと思ってしまった。
巷で大きく流れたリストバンドもしんどかったし事前物販もしんどかったしほぼ屋外でしんどかったけど、何年もずっとずっとこのステージを楽しみにしてた。
演者さん達は100%どころじゃなくその期待にずっと多く応えてくれたHE★VENSのステージだった。
なのに見たかったものが観れたはずなのにどうしてこんなにむなしく感じるのだろう。
なんでこんなに元々いるユニットに配慮しまくってファンが遠慮したり、好きなアイドルを見下されているところを見なきゃいけないの。
全く仕事がなくってつまんない。
突発的にお手伝い的な業務や、新入社員研修で今までなんとかつないできたけど、本格的にやることないから、転職エージェントに再度連絡してしまった(笑)
あーあ。
自分のキャリアも変更していいと思える面接だったから、今までと違う分野にも飛び込んできたのになぁ。
事務仕事でも、お掃除でも、コピーでもお茶くみでも、何でもいいからやらせてもらえないかなぁ。
いや、周りの人たちは、毎日なんか仕事してるから、会社としては仕事があるんだけど。
やっぱり違う畑への転職なんて、しないほうがよかったのかなぁ。
後悔したくなかったんだけどなぁ。後悔し始めてるなぁ。
いらいらしすぎて、プライベートにも影響し始めたから相当やばい。
アメトーークとか見て、無理にでも笑わないと…。
最近話題になった件でいろんな意見を眺めてて、「許可なく引用」というのはそれ自体矛盾だとか、「無断引用」という概念はそもそもありえないといった意見を何度も見かけた。これは以前からわりとよく言われていることで、言いたいことはわかる気がするのだが、使われている言葉(「矛盾」「ありえない概念」等)が本当に適切なのかどうかよくわからない。とくに「矛盾」と書いている人をずいぶん見かけたが、どうも腑に落ちない。いったい何と何が矛盾しているのか。
法的に引用は無断で行ってもよいもののであり、わざわざ「無断引用」という言い方をするのはおかしい。ここまではわかる。しかしこの言葉が「矛盾」していると言っている人がかなり多いのが気になっている。別に矛盾してなくないか? だって実際に無断で行ってる行為に「無断」ってつけてるんでしょ? 「矛盾」ではなく、言わなくてもいい不必要な情報を付け加えているという意味でむしろ「冗長」と言うべきではないのか? 「矛盾」ではないだろうと。むしろ「引用」の定義に含まれる「無断で行ってもよい」をわざわざ明示している明快な表現ではないのだろうか? なぜこれが矛盾なのだろう? 素朴な疑問だ。
なんとなくこれかなーというのはある。「無断引用」という言葉には、冗長だという以外に大きな問題がある。この言葉の使用は、「著作権者に断った上での引用が正当なもので、無断で行われる引用は悪いことだ」という間違った考えを前提しているように思われるということだ。「無断欠勤」「無断拝借」「無断乗車」などには、わざわざ「無断」とついているからには、(法的に定義されているかどうかはともかく)「欠勤」や「拝借」や「乗車」は本来は許可を得て行わなくてはならない、無断で行ってはならないということが含まれていると感じられるのと同じである。「無断引用」が矛盾という人は、これを指して矛盾と呼んでいるのかもしれないとちょっと思った。しかしそれでもどこがどう矛盾なのかは判然としない。だれか教えてくれるといいのだけど。
あと思いついたのは、「無断引用」という言葉を使う人たちは「引用」の定義を勘違いしていることが多いので、この言葉自体というよりそういう人たちの態度を指して矛盾と言っているのかもしれないなーということだ。上で書いたこととつながるけど、そういう人は「引用は無断で行ってはいけない」という間違った認識にもとづいて、批判目的でこの言葉を使っているので、それに対して、おまえの言う「無断引用」という言葉は(おまえが言っているような意味では)無意味だ、というのは理解できる。しかしいろいろコメントとか読んでみると、「無断引用」という表現自体が矛盾だ、意味をなさない、と言っている人がけっこういるのである。やっぱりどういうことかいまいち腑に落ちない。
思うに、「無断引用」は、自動車の運転でいえば無免許運転ならぬ「免許運転」というようなものではないか? わざわざ言わなくてもいい余計な言葉がついているという意味で。しかしこの言葉も矛盾しているとは思えない。意味も明快だ(正確には、存在しない言葉なので意味をたやすく推測できる)。たぶん免許を取得したうえで、あるいは免許証を携帯して車を運転する、という意味だろう。運転は免許をとってするのが普通だし、引用は無断で行うのが普通だ。なので「免許運転」「無断引用」などとわざわざ言う意味はない。でも「免許」や「無断」をつけたからといって、そこに矛盾が生じるとは思えない。むしろ当たり前のことが明言されて、元々の意味が強固になっているようにも思える。ここにほんとうに矛盾はあるだろうか?
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』がものすごいゲームだってのはよくわかるんだけど、このゲームが語られるときってSwitchがだいたいセットで語れてて、なぜか「ゼルダ凄い→Switch凄い」の論調になっているのが気になる。
だって、今回のゼルダが凄いのはゲーム性で、別にSwitch独自の機能を使ってるわけでもないし、Switchのスペックをフルに使っているわけでもない。何よりほぼ同じ内容のWiiU版があるんだぞ。WiiU版を無視するな!! 劣勢のWiiU市場で10万本も売り上げて、健闘しているのに、最初から存在しないかのごとく、完全に無視されてて酷い。はてブでゼルダの話題を見るとき、WiiU版の話を見たことはなかったぞ。
今回のゼルダはゲームキューブ版とWii版が同時発売されたトワイライトプリンセスとは違って、WiiU版とSwitch版はほぼ同じつくりになってる。だからSwitch独自機能であるはずのHD振動には対応してないし、WiiU版もタブコンにマップが表示できればいいのにマップ表示はない。だからこそ、ゼルダが凄いのであって、Switchが凄いわけじゃないと思うけどな。むしろWiiUスペックでちゃんと動かせてるWiiU版の方が凄いと思う。Switchは携帯モードで遊べる利点はあるけど、WiiU版もタブレットモードで遊べるから、そんなに極端には変わらん。
あと、Switchのゲームについては内容は薄いものの、Switchの独自機能を使い、Switchの方向性をちゃんと示している『1-2-Switch』の方が価値があるけど、やたらと評価が低いのが納得がいかないと思うところ。
いつも、「お金が無い」「旦那が生活費を少ししかくれない」など
可哀想だと思って、友人と会う時は度々昼ごはんを奢ってあげたりした。
今まで気になっていたが、生活費をいくら貰ってるのか聞いたことがなかったが
前日、話の流れでいくら貰ってるかわかった。
10万円だった。
内容は、家賃、光熱費、携帯代、学費、税金などの支払はすべて旦那が支払ってる。
友人は食費代、子供の小遣い、自分の小遣い、日用品を10万円の中から出す。
あれ~??
しかも、旦那の昼食は友人がお弁当を作るわけでなく旦那が自分で用意してる。
専業主婦なので旦那のいない昼間は家事以外に何をしてるか聞いたら
ママ友とカラオケ、漫画喫茶、スロットとか外をブラブラだってさ。
足りなくなるの当たり前。