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2021-02-26

30歳、三度目のがん

乳がんに またなった。

敢えて再発と書かないのは、別の種類だから

2年前は、腫瘍転移したリンパ節のみで胸には無かったけれど持病により放射線治療ができないので全摘という話で最初は進んでいた。

だけれど もう片側のおっぱいもがんになる可能性が頭を過ぎり、また再建手術の内容を聞くうちに拒否感を覚え 再発まで少しでも元々の胸のままでいようと摘出はやめた。

そして今回、悪い予感が当たり もう片側のおっぱいにも腫瘍を認め最初は再発だと思ったけれど生検の結果 別のタイプだという。

辛かった抗がん剤や地味に辛いホルモン治療無駄だったのかもしれないという気持ちがあったので正直ホッとしたところがある。

でも今回はもう逃げられない、恐らく全摘出。

どうせ手術をするなら豊胸手術をする手間が省けたって思えるような美乳にしてもらおうって思ってるけど、どれだけのことが出来るんだろう。

保険適用じゃなくてもいいからカッコイおっぱいにしてほしい。

とりあえず抗がん剤がまた始まって 今日で2回目だけど、副作用がほぼゼロで実感はない。効いていない気がして腫瘍状態確認できずにいる。

今回は男の子とヤリまくるエネルギーがなくて、でも今度こそ自分が生まれ持った女の部分が望んでいないのに作り変えられてしまうというか感覚麻痺とかして性感帯をひとつ失うかもしれないと思うと動きたいけど、もう完全にがんを舐めているところがありヤル気が出ない。

とにかくこれだけ、無理矢理おっぱいを残してよかったと心から思う。

担当のお医者さんをとても信頼しているけれど、その人の言いなりになる必要はないから話を聞いて自分で考えた上で今回も最善ルートを選べるといいな

とりいそぎメモ

タイトルの三度目というのは、乳がんの前にも もういっこやってるからです。

2020-11-09

ときどき現れるアトピー増田だよ

ちょっと良くなったと思っていたんだけどこの2週間でなぜか悪化。ひび割れまくり赤身まで見える始末。汁が止まらずジクジクと痛む。体の各所、たぶんリンパ節が腫れる。

先週から夕方になると悪寒が出るように。感染症にでもかかってしまたか今日慌てて通院。

1週間だけステロイドやってみましょう、とストロングの処方を受ける。予想はしていたが一気に痛みが引く。汁も止まる。皮膚が修復プロセスに入る。悪寒も消えた。

すげえというか恐ろしいと言うか。別にステロイド忌避というわけではないけど威力を見せつけられると。

医師の適切な助言に感謝。引き続き頑張るよ。なにせ人生は長い。

2020-10-07

【2020.10.09追記】親の乳がんを早期発見できなかった

母親乳がんであることがわかったのが2020年3月

世間的には新型コロナウィルスがそれなりに騒がれてきたころだった。

そのあとはもう抗がん剤治療がすぐはじまり8月頃に手術をしてひと段落かと思った。

全然そんなことはなかった。

腫瘍マーカーの数値はだんだん悪化していて、本人もそうだし俺もめちゃくちゃ落ち込んだ。

落ち込むというより、混乱と不安と恐怖と悔しさだな。

これは早期発見すれば乳がんは治る!って広告を見て、早期発見できなかった人の話も書くかと思って書いた話。

 

 

から今すぐに顔を見て安心したり心配したりしたかった。

でもできない。

まず俺(28)は同居してないし、400kmくらい離れたところで働きながら一人暮らしをしている。

親は二人で田舎に住んでいる。しかも近隣の県では新型コロナウィルス感染した一家自殺に追い込まれたりしている。

病院側も神経をとがらせていて、GWに息子さんが帰省するなら、息子さんとの接触を控えてくださいとまで言っていた。

そんな場所に帰れるわけがなかった。

そんな場所から、親も帰って来いなんて言えるわけがなかった。

今年の三月に会って以来、現時点では一度も顔を合わせていない。

 

 

実はすでに、乳房良性腫瘍があると10年前の時点で判明していた。

それ以来、良性腫瘍存在は毎年のことであって、今年の1月の健診でも問題がなかったとして放置していた。

それが3月になり、乳房が少し痛むというので病院に行き、針で生体組織採取する、いわゆる”生検”を行った。

タイトル通り乳がんであり、タイトル通り早期発見には程遠いステージⅢだった。

ステージⅢの中にもaとかbとかあるが、もう覚えていない。

とにかく乳がんはすでに組織内に留まっておらず、その先のリンパ節まで転移していて、すでに体の血管にがん細胞が散ってしまっていた。

しか乳がんには種類があって、その中でも治療できる方法が少ないトリプルネガティブという種類だったらしい。

簡潔に言うと、増殖が速くて、効く薬もなかなかなくて、すぐ再発してすぐ悪化する性質を持つ。

しかもすでに乳がんは進行している。

最悪だった。

確実に親の死を意識した。いまもしている。

というか統計データ上では1~2年以内の再発発生率が高い(転移も含め)のと、ステージⅢのトリプルネガティブ乳がん患者の5年生存率は40%切るんだよな。

しか転移したらステージⅢどころかⅣに移行するし、そうなるともう完治は激難しくて、基本的にがんの進行を遅らせながら、痛みを少なくしてQOLを維持することに方針シフトするんだよね。

もう無理じゃん・・・

 

 

親が死ぬこと自体不思議じゃないし、順番で行けばそうなる。

でも心のどこかで、(俺が死ぬまで親は生きているんじゃないか・・・)みたいな、祈りに近いような考えはあった。

でもやっぱり義務教育を修了しているので、そんなことはないってわかる。

じゃあいま、何が一番苦しいかって言ったら、母親気持ちを考えることだよね。

言ってたんだよ、退職したらお父さんの車を車内泊できるように改造して、いろんなところ行こうねって。

俺のところにも旅行に来て・・・弟のところにも行って・・・いろんなところに行こうねって。

できなくなっちゃったんだよ・・・

やべ少し涙出てきた。

 

 

抗がん剤は肉体の免疫を落とすので、人込みとかはそもそも避けなきゃいけない。

それだけならちょっと気を付けて旅行かにはいける。

問題は新型コロナウィルスだよ・・・全部これ。

これがなかったら俺は今すぐ母ちゃんのところ行って安心させたいし安心したい。

親もいろいろなところに行って、不安はありながらも気晴らしにはなったと思う。

でもぜ~んぶできなくなっちゃった

親が死ぬこと自体は、まぁ悲しいといえば悲しいけど、それは前から想定していた悲しみだからもう受け入れてる。

受け入れられないのは、やりたいことすらできないまま、とどまり続けているうちに何もできなくなってしまうこと。

その状況に母ちゃんが置かれていること。

その気持ち想像しただけでめちゃめちゃ悲しくなるし、やりきれない気持ちでいっぱいになる。

不安でいっぱいの母ちゃんを思うだけで俺の気持ちも心細くなる。

すごい明るい人だったのに超暗くなっちゃったらしい。

親父も頑張っているし、母ちゃんも親父と結婚してよかったとまで言ってたけど、俺は母ちゃんに死んでほしくないよ・・・

彼女もまだ紹介してないし(まだいないから)、孫の顔も見せてないんだよ

4~5年以内にはこっちで家建てて親を呼ぶつもりだったんだよ

80くらいになったら(そろそろかな・・・?)なんて嫌な想像もしつつ親の死を受け入れると思ってたんだよ

なんでそんなに早いうちからなんだよ

なんでだよ・・・なんで・・・

 

 

本当になんでしか口にできない。

支離滅裂だけど誰かに聞いてもらわないと狂うわ。

 

 

 

 

【2020.10.09追記

予想以上に叱咤激励いただいて、本当にありがたいと思う。

既に家族を亡くされた方や、現在進行形で闘病中の家族がいる方、さまざまな方からコメントは非常に悲しかったが、また慰めにもなった。

悲しいというよりは、悲しみが伝わってきたというほうが正しいのかもしれない。

やっぱり誰の死でも、予想以上に速い別離は非常に悲しいものだと改めて思った。

 

 

昨日、思いきって母に病状のことを聞くことにした。

トリプルネガティブ乳がんと聞いてから、あまりにも怖くて病状のことを聞くのを避けていた節があったのは事実だ。

でも多くのコメントに(このままではいけない)と背中を押され、聞くことにした。

実は10/1からCT検査MRI、追加で多くの検査を行っていたらしかった。

骨や肺、肝臓への転移確認していたらしい。

追加の検査を受けることになった際には、さすがに転移覚悟していたらしく、気分の落ちようがすごかったと話していた。

結果は転移なしだった。

冗談抜きで、痛みや悲しみ以外の感情で泣くということを経験した。

まりの安堵感で、感情が抑えられなかったのだと思う。

でも冷静に考えれば安堵もできないんだよな、状況は好転したわけじゃなくて並行移動したままなんだから

これから放射線治療が始まる。

  

 

今日仕事中にTNBC(トリプルネガティブ乳がん)について調べていた(許して)。

依然として今後も楽観できるような情報はなく、やはりというか、暗い思いになった。

それでも、コメントしていただいた方のおかげで、後悔しない選択をしていきたいと、そう思えるようにはなった。 

まずは手紙を書きたいと思う。

この間手紙に関する映画を見たばかりだし、思いを伝えることは大事だなって思ったから。

あとは今以上に家族で連絡を取る、みんなで情報を共有する。

コメントでもいただいたが、やはり父親もつらいようで酒の量が増えたらしい。

少し調べてはいるが、アルコールのがんへの影響は「確実」としている結果と、「影響あるかはわからんね」としている結果がある。

健康にもあまり良くないし、毎日飲むのは良くないんじゃないかな?とは思う。

父親ケアも行っていきたい。

 

 

参考になるかはわからないが、以下に勉強になった本を記録しておく。

同じような状況の人が少しでも気が楽になるように(気を楽にすることくらいしか他人にはできない)。

アマゾンリンクしか貼っていないが、特に私自身に何か還元されるものでもないし、リンクトは別に調べて買っていただいても結構です。

がんに関する情報は虚実さまざまあり、当事者にとっては非常に選択に迷うと思われる。

私自身、調べるとなると最初はどれが本当かわからなかった。

確固としたエビデンスをもとに書かれた本を購入するのが一番確実と感じた。

そのため、以下には基本的学会名前で出している本や、がんセンターの院長が著者の本を挙げた。

この中の一つでも、わずかな情報でもあなたの救いになったら、私も救われる。

 

 

<非当事者として読む本>

・親ががんになったら読む本 主婦の友社 \1540

http://www.amazon.co.jp/dp/4074380153/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_G0dGFbYY3ME2H

・身近な人ががんになったときに役立つ知識 ダイヤモンド社 \1650

http://www.amazon.co.jp/dp/4478069212/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_S2dGFb0P29WM5

 

 

<がんの知識を増やす本>

国立がん研究センター乳がんの本 小学館 \1980

http://www.amazon.co.jp/dp/4778037936/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_.3dGFbGX8B6NX

患者さんのための乳がん診療ガイドライン 2019年版 金原出版 \2540

http://www.amazon.co.jp/dp/4307203992/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_94dGFbJZ9EDN9

2020-09-25

国民年金追納するぞ(決意表明)

30代のときガンが見つかり、当時の仕事退職し、治療に専念した。

手術後は再発予防のための抗がん剤治療半年ほど受けた。(心身ともにかなりキツい思いをした。)

ただ、摘出したがん細胞病理結果は悪く、1-2年以内の再発率が高いタイプであり、リンパ節にも転移があると医師から告げられた。

病院での標準治療はここで終了だった。

その後は再発に怯えながらも、やれることは何でもやろうと思い、色んな所から情報仕入れ民間療法的なものにもたくさん手を出したし、今思えば怪しげなスピリチュアルめいたものにもたくさん触れた。

マニアックコミュニティでたくさんの顔見知りが増えた。

1年、2年経ち、体調が回復してきてからは、短時間負担の少ないバイトを始めたりしたが、メインは上記のような活動

今思えば、30代の中二病っていうか、自分探しみたいになってた。

行き過ぎた自然派みたいな人達から陰謀論とか初めて聞いたりして、自分は世の中の真実を知った~みたいな、今は笑っちゃうけど、熱中した。

そして3年が過ぎ、4年が過ぎ、5年経った頃。

自分はこういう不思議フリー人達の中にはずっと居られないし、居たくない。もう卒業して、現実世界に戻って、ちゃんと働こうと思った。

フルタイム仕事を見つけ、こつこつ貯金して、生活をととのえた。

今、がんは再発していない。

そして今日免除申請期間5年分、約100万円分の追納案内ハガキが届いた。

金額に一瞬怯んだ。

でも、一気には払えないけど、健康長生きして、ちゃん年金を満額受給することを目標にして、少しずつでも追納することを、ここに表明しとく。

こつこつ、がんばるぞ

2020-09-03

anond:20200903213325

たまたま開いたらまさに過去自分のような投稿だったか忠告しておく

いか絶対、それを放置するな

そしてたとえこからその痛みが治っても、もう一度痛くなったら必ず歯を抜いておけ

それを放置した結果、ある日突然激痛で一睡もできず、無理して出勤したら職場で口が開かなくなり、

市販鎮痛剤も一切効かずに早退して歯医者に駆け込んだ自分から言っておく

 

ちなみにそれは智歯周囲炎というやつらしい

http://www.health.ihe.tohoku.ac.jp/wp-content/uploads/2015/03/shiori-40.pdf

急性期の自分は本当にかなりの激痛に襲われて座っていることもままならなかったので

仕事とかどうとかそんな次元じゃない

歯茎から痛みが始まって最終的に首〜こめかみまで全部が激痛

歯を抜かない限り振り返すものだが、歯茎どころかリンパ節まで腫れてしまったので抜歯ができない

抗生物質の効きがあまり良くなくてもう数ヶ月繰り返してるが本当に眠れないほど痛くなる

医者に勧められたら若いうちに抜いておけ そうしなかったアラサー自分より

2020-06-27

20代でガンになるということ

プロローグ 

 大学院での苦しかった日々がおわり、新しい日々が始まろうとしていた矢先のことだった。

精巣腫瘍が見つかったのだ。幸いにも転移はなく、腫瘍部分を含めた精巣を除去すれば問題はない。

その後の病理検査で今後の治療方針が決まるが、生存率は他のガンに比べて高いので安心してほしいと医師に告げられた。

頭の中が真っ白になり、待合室でみたMAD音楽が空回りしていたのを今でも覚えている。

ただ待ってほしい、なんで俺なのか

精巣腫瘍になるのは10万人に1人の割合らしい。

いけいりかこ選手白血病ですら発症率は10万人に6.3人であるらしい。

これをたまた読んでいる読者が全員男性である仮定して、10万人読んで初めて1人が罹患するような話である

しかもこの精巣腫瘍、痛みもないため発見されにくい腫瘍なのである

好発年齢は20代から30代(働き盛りに発症するのもタチが悪い)。

私はたまたま痛みとしこりがあったことと、学生時代から友人に金玉デカいということで

いじられていたからこそ早期発見に繋がった珍しいケースであるが、発見が遅れて肺やリンパ節転移するケースが多いようだ。

家に帰って寝て起きてから思ったこ

20代でガンになるなんて思ってもみなかった。

罹患した人はそういうだろう、私もその一人だ。

10から新しい会社入社し、バリバリ稼ごうとしていた未来もくすんでしまった。

これから転移、再発を繰り返すのではないか明日に怯えつつ、精一杯生きていくしかないのである

辛い人生になったとしても耐えるしかないのは、いつの世も同じなのだろうか。

ただ一つだけ嬉しかたこ

私は20歳の時にがんで父を亡くしている。

父も働き盛りの最高潮の時期に罹患し苦しみながら死んでいった。

あの時父に向けていた目線は同情に似た気持ちであったが、

最後までガンになった患者としての父の気持ちを分かってあげられることはできなかった。

今ガンに罹患し、初めて父が背負っていた未来への緊張、不安感、ストレス

完全ではないとしても同じように感じれているのではないかと思う。

私は、このような形であるが父と同じ境遇を経て、思いを重ねて合わせることができて非常に嬉しく思う。

最後に…

こんな駄文最後まで読んでくれた読者らに感謝を申し上げると共に、

何か金玉にしこり、痛みを感じたらすぐに泌尿器科へ診察してもらうことを強く勧める。

早期発見により生きていける精巣腫瘍患者が一人でも多くなることを切に願う。

追記(6/27~)

正直、こんなに反響があるとは思っていなかった。

最初に「死ぬわけじゃないのか」とコメントがついたときは、これぐらいの反響なのだろうと思っていた。

外出し、帰ってみると予想外の反響があった。質問等もあるのでここで言及しておく。

・どうして 「学生時代から友人に金玉デカいということでいじられていた」 ら 「早期発見に繋がった」 のか、高卒の僕にはさっぱりわかりませんでした 。

 私は地元の親しい友人と露天風呂に行くのが好きで、何かと理由をつけては友人とお風呂はいった。

どうも腫瘍がある左の精巣を包む陰嚢は陰嚢水腫らしく、お風呂に入るとテニスボールぐらいに大きくなった。(左:テニスボール、右:ウズラたまご

その金玉デカさに友人たちも、「果実」、「太陽タマゴ」、「大きすぎて実ってる」などのイジりをしていたのである。決して触っていたわけではない。

・種無しになるのか?

 左側の精巣を摘出するので種無しにはならないが、今後の治療や残った右側に転移するなどによっては種無しになる可能性が大いにある。

誰もが爆笑問題田中のように片玉でも子供が作れるわけではないので、安易に例として出すべきではないと思う。

病人会社組織はいやがるもんね 自分は定期通院で休めないので仕事干された。

 私もその可能性を持つ一人だ。ただ精巣を失い、仕事を干されても人生は続いていく。やるせない世の中である

20歳以降は人生消化試合という感が強いので、個人的にはさっさと癌にでもなって終わらねぇかなと思っている

 多くの人が大病を患えば若くして簡単死ねると思っている。私はこれは誤りではないかと思う。現にガンになったとしても

簡単死ねるわけではない。様々な苦しみの段階を経て死んでいく。おそらく発想する人の多くは病気についての理解が乏しいと思う。

さっさと終わっていい人生なんてない。好き勝手して長生きする人生のほうが幸福度も高いと思うのでやりたいことをやってほしい。

ガナニー

ガナニースレは私も当時拝読爆笑した覚えがある。ちなみにテニスボールほど肥大した陰嚢に性感帯はない。

しごいていても弾んで邪魔なだけである

・ 精巣ガンと乳がんパートナーがいると気づくというね。

私にもパートナーがいるが、第一発見者は私の右手であった。

パートナーは気付かなかったとのこと。

・こういうのってどういう流れで見つかるの?

本当に恐ろしいことをいうが、私の場合自発的受診きっかけだった。ここに寄せられた多くの

コメントの中にも精巣腫瘍についてのコメントブログのURLを貼ってくださっているが、

そのほとんどは自発的受診により発覚している。

自分の精巣に異変を感じたらすぐに受診してほしい。

何事もなければそれが一番であるからだ。

オモコロ記事について

オモコロギャラクシーさんが書いている記事精巣腫瘍になる前に読んでおり、

今回精巣腫瘍と診断されて再び読んだ。

一度読んでいたからこそ、今回の精巣腫瘍のことをある程度前向きに捉えられたのかもしれない。

オモコロ感謝である

金玉デカい事と発見の速さの相関性分からんので良ければ教えて欲しい。

金玉デカいと一言で言ってもパターンがある。男性諸君らはお分かりいただけると思うが、

袋の中にうずらタマゴのようなものがある。これが精巣である

一般的金玉がでかいというと、この精巣を指すわけではなく、

精巣を包む皮袋(陰嚢)全体を差し金玉デカいと称している傾向がある。

私の場合そもそも陰嚢水腫(袋の中に水がたまる)により外見上デカかった。

それを気にして定期的に左陰嚢全体を触っていた時に、内部の精巣にしこりを感じた。

のしこり、うまく表現できないのだが、正常な精巣の弾力をゆでたうずらタマゴとすると

しこり弾力は、固めのスーパーボール、昔のマウスボールのようなものである

また全体がそのような弾力になるのではなく、私の場合は精巣の下半分にしこり

あるようなパターンであった。

気になる場合自身の精巣を触診してみてほしい。

・その他コメントについて

 皆さんのコメント一言一句全て拝読させて頂いています

暖かいコメントや、同じ境遇人達からコメントもあり、とても励まされました。

ありがとうございました。皆様の人生にも良い出来事が続きますようお祈りします。

2020-06-07

ペナルティワッキー、初期の中咽頭がんで一時休養

https://news.livedoor.com/article/detail/18379415/

 お笑いコンビペナルティ」のワッキー(47)がステージ1の中咽頭がんと診断され、一時休養することが分かった。7日、所属事務所吉本興業ホームページで発表された。

中咽頭がん 治療:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ] -

https://ganjoho.jp/public/cancer/mesopharynx/treatment.html

1)病期(ステージ

中咽頭がんの病期は、「がんの広がり(T分類)」「頸部のリンパ節転移したがんの大きさと個数(N分類)」「遠くの臓器への転移の有無(M分類)」によるTNM分類に基づいて決まります

中咽頭がんのTNM分類および病期は、ヒトパピローマウイルスHPV)の感染に関連するp16というタンパク質の有無で異なります

ステージは、ゼロ以外はローマ数字記載するみたいだが、HPV由来のものとそうでないとものとで、IV期以降の記載方法が異なっている。

中咽頭癌と聞くと、オーラセックス発症したというマイケル・ダグラスのおかげでどうしてもHPV由来か?と思ってしまう。

しかも今改めてググったら本当は舌がんだったという)

HPV由来だけではないんだね中咽頭癌

2020-03-05

多臓器不全は本当だった

中国当局が4日、新型コロナ感染者の病理診断の結果を公表した

肺のほかに心臓肝臓腎臓、脳組織などに異常がみられたとしている

組織出血や壊死、脾臓の縮小、リンパ節細胞の壊死などが確認されたそう

2020-03-04

anond:20200304212351

新型コロナ 心臓肝臓、脳にも異常 中国病理診断

3/4(水) 21:13配信

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産経新聞

 【北京=西見由章】中国国家衛生健康委員会は4日、新型コロナウイルス感染者では肺のほか脾臓(ひぞう)などのリンパ系器官、心臓肝臓腎臓、脳組織などにも異常がみられたとする病理診断の結果を公表した。一部の患者の生体組織診断や遺体病理解剖を行い、新型肺炎診療ガイドライン改訂版に盛り込んだ。

 肺では肺胞内の気体が減少・消失する現象がさまざまな程度で起こり、肺組織出血や壊死(えし)もみられた。またリンパ系臓器の脾臓の顕著な縮小やリンパ節細胞の壊死も確認された。

 このほか心筋細胞の壊死や肝臓肥大腎臓の異常、脳組織の充血・水腫などもみられたという。

 診療ガイドライン改訂版は、感染者の便や尿からウイルスが検出されたため、排泄(はいせつ)物によるエアロゾル(微粒子)の発生や接触感染に注意すべきだと指摘した。以前のガイドラインウイルス感染ルートとして、霧状に浮遊する粒子に混じったウイルスを吸引することによる「エアロゾル感染」の可能性があるとの見方を示していた。

2020-02-21

anond:20200221161112

鼠径部に大事リンパ節があるんですよ〜

まずここをほぐさないとですね〜

2020-02-16

なぜNTTの人は病院転々とした(することになってしまった)のか

おおよその若い人は熱が出て病院行ったら、とりあえずインフルエンザ調べて陰性なら、

風邪ですね、数日で治りますと言われ、もしかしたら、良くならなかったらまた来てね、と言われるであろう。

実際、若い人の発熱の9割以上は風邪で、2~3日で治る。

患者はいい方から考え、医者は悪い方から考える原則で言えば、白血病(に伴う敗血症肺炎)、成人still病を代表とする膠原病地中海熱、がんに伴うB症状、あたりが思い浮かぶが、これらは実際はまれ

最も多くの医者が疑うのは、伝染性単核球症である

かい説明は割くが、この病気は唾液感染、まあつまりデビューしちゃった人がかかる病気だ。

40度の熱が1週間近く続き、リンパ節が腫れて肝機能障害が出るこの病気治療法は基本的にはない。自然に治るのを待つ、逆に言えば、自然に治るのだ。

そこで熱を出した若い人は、大人階段登ってませんか?と質問をされて、そんな覚えがなくても、唾液感染を起こす何かがあったんでしょうねと言われて帰されるのだ。

さて、翻って今回の発症者。

良くならなかったらまた来てね、と言われていないかもしれない。

インフル見て、陰性だったら一般待合室で待たされるかもしれない。

症状が呼吸器症状なのが伝染性単核球症とは異なる印象があることに注目するか。

採血してCTとっても肝障害がない、異型リンパが出ていない、リンパ節が腫れていないなら、伝染性単核球症じゃない、なにかおかしい、と思えるか。

(ただし、新型コロナ感染者に肝障害が出現するかについては詳細な報告がない。基本は呼吸器症状のようだが。)

PCRを行う基準に相当しないか検査しない、といわれたようだし、医者がしたくても保健所などの機関から断れたために検査できなかった可能性もある。

最後に診断をつけた病院英断もあるが、それまでに何度も異なる病院から同一患者検査をするよう依頼され続けた保健所が折れたのかもしれない。

何れにせよ、この先同じような症例が次々と出てきたときに、そのうちの多くはただの風邪で数日で治るだろうし、長く続く場合は多くは伝染性単核球症であろう。

しかし、数日で治ろうが1週間続こうが、数%は新型コロナかもしれない。

それを正しく診断せよというのは事実上限界がある、というのが率直な意見

2019-11-11

anond:20191111162034

どんな二人でも、出会う前に愛はない。出会い、愛が生まれ、はぐくむ。結婚制度から、どのタイミング結婚するかと愛には恐らく関連がないし、見合い結婚が当たり前だった時代に愛がなかったというわけではないだろう。

増田は、結婚の前半の自分の接し方を悔いているようにもみえるが、まあ、あまり気にしないことだ。

癌の予後を考える場合に、重要なのがステージングだ。がんの進行度をステージに分類し、分類された患者がどのような経過をたどるか記録・統計することで、予後を想定することができる。

おもながんの予後はTNM分類といわれている。

Tはtumor。腫瘍(がん)の本体の大きさ。

Nはnode。リンパ節(Lymph node)への転移の程度。

Mはmetastasis。遠隔転移の有無になる。

多くの場合、術前に画像診断で大体のステージングをする。リンパ節について画像でわかるのは、リンパ節が腫れているという大きさの情報と、造影剤を使った場合にはがんに集積しやす造影剤リンパ節にも集まっているということだけであり、画像上所見のあるリンパ節に実際にがん細胞いるかどうかは、手術してみないとわからないということになる。なので、病期分類(ステージング)は正確には手術後じゃないとわからない。術前のステージングはあくま暫定的と考えたほうが良い。

遠隔転移が明らかな場合には手術しない場合もある。

原発腫瘍から離れたところにがん細胞があれば、手術しなかったりするけれど、この場合も、遠隔転移かどうか、細胞を少しとってきて、病理診断を依頼する。病理診断顕微鏡で実際に細胞を見て、がん細胞かどうか診断することな

原発腫瘍から離れたところだと、例えば、胃がん肝臓転移だったら、転移かどうか確定診断のために針で肝臓腫瘍を刺してちょっと細胞を取ってきたりする。腹水と言って腹腔内に水が溜まっているときには針で腹を刺して水を抜いて、そこにがん細胞が見つかれば、遠隔転移有ってことになったりする。

増田場合、手術してみないと病期がわからないというのは、むしろ明らかな遠隔転移はなく、リンパ節も、あまり原発から遠いところは腫れていないということなのではないかなー。

各臓器で、原発のガンがあった場合に、最初転移するリンパ節がある程度決まっていて、一番最初転移するリンパ節センチネルリンパ節といったりする。センチネル門番って意味な。

リンパ節転移が、原発から経路の遠いところまであれば、より予後が悪い。乳がんなどのガンでは、一番近いところのリンパ節転移があっても、ステージIになったりする。

から術前に想定されている病期はそれほど進んでいないのかもね。

ただ、手術して実際にリンパ節なりを取ってきて病理診断してもらわないと確定しないので、主治医ははっきりしたことは言えないってことだろう。ぬか喜びが一番きついから。

細胞の種類や、原発臓器によって、予後は変わるし、ステージが低いか安全ということもないです。一方、化学療法抗がん剤)や放射線療法の組み合わせで、リンパ節転移が消えたりすることもある。結局経過を見ないといけない。おおむね5年くらい再発がなければ、完治とされるかな。乳がんは、10年たっても再発したりするので、やっぱり種類によりますよ。

まだ心配な時期は続くかもしれないね増田、頑張れ。

例えば5年生存率95%とかいっても、こういう統計的なものって患者さんにとっては生きるか死ぬかだから医者から聞いても気休め程度かなと思う。

(5年して、一人の患者が”95%生きている”状態ってのはなくて、100人患者がいたら、生きている患者が95人と、死んだ患者が5人ってだけだから。たくさん患者を診る主治医からすれば有用だけどね。)

さて、参考になるかわからないけれど、うちの妻の場合だけれど。

5歳年上の美人奥さん結婚して10年で乳がんが見つかった。見つかった時点で、胸骨リンパ節転移があった。乳がんセンチネルは、腋下なので、胸骨リンパ節転移があると、一気にステージはIIIc。手術でも取れないし、放射線化学療法でも消えてなくなりはしなかった。予後統計している文献にもよるけれど、調べた範囲ではおおむね5年生存率60%。まあ怖くて直接には主治医予後を聞いていないから、あくま素人が調べた範囲だ。

泣けるね。

”再発”はしない。あるのは局所増大か遠隔転移のみ。再発っていうのは一度消えたがんにおこるものからね。

泣いたね。

もし5年でなくなるとすると、一番下の子はまだ小学生

泣いたよ。

で、今は5年たった。定期的に検査をするけれど(PETかな)、妻の胸骨の内側にまだ癌はいます。いまのところはまだおとなしく共存しているけれど。

いつも思うことは、いずれ別れが来るということ。

でもそれは、がんがあってもなくても、誰にでもいつでも起こりうることなんだ。

明日にも交通事故にあうかもしれない。

通り魔に刺されるかもしれない。

隕石がおちてくるかもしれない。

いつ別れが来るかわからいから、今日一緒に時を過ごせることを大事にしたいんだ。

そういうふうに、別れを想像するとつらくて寂しくて怒りさえわくような、そんな彼女出会たことが、とても幸運だとおもうんだ。

大きな病気を得たとしても、すぐに不幸になるわけじゃない。不運と不幸は違うと思う。

すまん。癌患者家族の話はつい自分投影して長くなった。

健闘を祈る。

2019-11-09

anond:20191109002149

リンパ節が腫れてんでしょ

それくらいどうってことないかどうかは僕にはわからないよ

2019-10-27

ヒールが履けない

ヒールが履けない人がいること、世間でどれくらいの人が知ってるのかな。

私は卵巣癌になって卵巣を取った。その時転移を防ぐために脚のリンパ節を取ったの。

リンパ節を取っても細いリンパ線が周りに残ってるから普通に暮らす事は出来るんだけど、リンパ浮腫になる可能性が出てくる。

リンパ浮腫と言うのはすっごくむくんじゃうこと。脚のリンパ節を取った場合は脚ね。

普通に足がむくんだ人はその内もどるけど、リンパ浮腫は治らない。一度膨らんだ風船が萎んでも元には戻らないのと同じだって

リンパ浮腫になったひとはお婆ちゃんが履くような分厚い医療用のストッキングを夏でも履いてる。手術を受けてまだなってない人は、いつか自分発症するんじゃないかとビクビクしている。

リンパ浮腫になるからヒールダメジャンプダメ、足組むのもダメコタツダメ正座ダメ

こういうの、24時間テレビの感動ドラマじゃやらないよね。

テレビファッションチェックなんかでタレントが「あー、靴がダメですね。この服にペタンコ靴とかありえなーい」とか言ってるのを見ると、この人達は色々な事情があってヒールが履けない人もいるって考えたことないんだろうと思う。

女性に人気のシューズブランドヒールしか出してないと、おいおいデザイナー真面目にやれよと思う。

靴づくりの教室に通って自分で作ろうかと思ったこともあるけど結局やめた。そうやって頑張って作ったって、それは私が本当に履きたい靴じゃないもの

退院したばかりの頃は、道でサンダルヒールの人とすれ違うだけでも辛かった。

友達は「私は最近スニーカーばかりだよ」と言ってくれたけど、選択肢の一つとしてスニーカーを選ぶのと、スニーカーしか履けないことは全然違うんだよ。

2019-07-03

#kutoo 運動の根源にあるもの

女性ヒール強制する社会って、まあ男女差別だの企業のあり方だの色々あると思うけど、本当の根本的な原因て、ヒール無しでもお洒落に見える靴を努力して生み出さなデザイナーにあると思う。

連中は、お洒落になる為に血豆を我慢する女性達の、正に血の滲む努力にあぐらをかいて、「は?足が痛い?それが何か?綺麗になる為なら当然でしょ」と涼しい顔してる。

洒落で、なおかつ履きやすい靴、というクライアントから要望を何百年も無視し続けてるんだよな。

私は数年前に癌の手術で脚のリンパ節を取り、ヒールは履けなくなった。リンパ浮腫という後遺症発症するリスクがあるからだ。

そうするとホント洒落な靴ないよ。

2018-09-21

がんの代替医療についてがん患者として思うこと

気のせいかもしれないが、最近著名人ががんで亡くなるニュースが多い。

私は30代で乳がんにかかってしまい、現在休職してがん治療を行っているのでそのせいもあるとは思う。

 

がん治療中の身としては、正直逝去ニュース自体シャットアウトしたい気持ちが強いが、テレビスマホで見たくなくても目に入ってしまう。

ニュースへのコメントなどでいろいろと考えさせられてしまうことが多くなったので、すっきりしておくためにここで書いておきたい。

 

きっかけとなったのは、さくらももこさんが乳がんで亡くなられたニュースだ。

詳細は不明であるが、彼女は一旦病院での治療を行い、最終的には代替医療でがんを治療しようと試みていたようである

そのニュースに対し「お悔やみ申し上げるが、怪しい根拠のないインチキ療法を行うからこんな目にあう。

病院ちゃん治療をすることが必要だ」といったコメント散見された。

私もがんが発覚する前、小林麻央さんのニュースを見てそのような感想を抱いた記憶があり、

がんを患ったことがない人、がん患者が周りにいない人にとっては一般的感想になるのかもしれない。

ただ、がんを患う身となってから勉強体験をするにつれて、若干考え方が変わるようになった。

 

そもそもがんは進行具合によって、治療方針が大きく異なる。

がんの種類にもよるが、まだがんの腫瘍局所しかみられないステージ0~3のケースにおいては、

がんを根治することを目的病院は手術や抗がん剤放射線といった科学的根拠に基づいた標準治療を行ってくれる。

ただし、がんは標準治療が終わっても、必ずしも治ったと言い切ることができない。

寛解状態を維持できる方もいる一方、一旦治療が終わって寛解状態となっても、他の臓器に転移して病状が進む方もいる。

 

患者としては、ステージ0~3の場合抗がん剤治療などの辛い治療を耐える気力もあるかもしれない。

私は現在乳がんの根治を目的として抗がん剤治療を行っているが、正直結構辛い(副作用が軽い人もいるが)。

最近はい吐き気止めがあるので吐いたりこそはしないが、抗がん剤をうって1週間は寝たきりで起き上がれないし、

白血球の数が大分減り細菌ウイルス感染をおこしやすいため体調が回復しても行動はある程度制限される。

 

髪の毛はなくなってハゲになってしまった。

抗がん剤治療が終われば生えてくるし、カツラがあるから大丈夫と人には言ってはいるが、やはりショックだったことは否めない。

薬によっては手足がしびれてペン包丁を持ったりすることができなくなる。

肝臓腎臓の数値も悪くなるなど、高齢の人や持病がある人は身体的に耐えられないこともある。

私が使っている抗がん剤副作用上記のようなものが中心だが、他にもいろいろなものがある。

また、手術で体の形はかわる。健康な体とはやはりどう見ても違うし、リンパ節を切除することもあるから後遺症も残る可能性がある。

 

「治る可能性がある」と医者に言われているから、憂鬱ではあるもの病院に行き、

我慢して標準治療を受けているような状態だが、がんが発覚してもこの治療を受けたくないといって拒む人の気持ち理解できる。

副作用自体仕事価値観として耐えられないこともあるだろうし、

頑張って標準治療を受けても、まれとはいえない確率で再発・転移して一気にステージ4の病状へ進むことがあるからだ。

 

ステージ4は、がんの腫瘍局所のみならず、他の臓器や部位に遠隔転移をしているような状況を指す。

このような病状では、基本的にがんを根治することを目的とせず、抗がん剤治療を中心とした、延命QOL向上を目的とした治療方針をとる。

現代医学限界として、ステージ4のがんの根治は難しいようだ。

延命といっても、寿命を迎えるまでというわけではない。

樹木希林さんのケースのように転移を起こしても10年程度生きられるといったこともあるが、早期に亡くなってしまうケースも多いようだ。

 

自分ががんを患うようになって、ステージ4に進行した場合代替医療をやってみる選択肢否定できないな、と思うようになった。

 

病院治療をしたとしても数年以内にはおそらく死ぬとわかったときに、

患者として副作用てんこもり抗がん剤治療をやる気力が残っているのだろうか。

ステージ4の場合原発巣の治療とは異なる薬剤を使うようだが、どうしても前に受けた治療の苦い記憶が思い起こされてしまう。

治らないとわかっている延命治療お金を使うくらいなら、インチキかもしれないが奇跡的に治ったという人もいるという代替医療をやってみてもいいんじゃないか。

こんな風に代替医療選択する人がいたって、おかしくないと思うようになった。

 

もちろん法外なお金をとったり、標準治療は間違っているなどと言ったりしている代替医療に関しては、

それを提供するクリニックや団自体問題だと思うが、患者判断問題といった物言いはできない。

代替医療選択したいと思う気持ちフラットに聞いてくれたり、下心なく相談に乗ってくれたりする人はなかなかいないと思う。

がんは日本人の2人に1人がかかる病気なので、病院外来待合室はいつも患者とその家族で大盛況だ。

医者看護師は忙しく、話を聞いてくれる余裕はなさそうで、「治療を受けるのはあくま自己判断です」とオブラートにつつんでいわれるのが関の山だろう。

 

代替医療科学的根拠はない、それ自体は間違ってはいないが、代替医療を選んだことを責めるのは心苦しいと思うようになった。

だって科学的根拠のある治療とやらでは、ステージ4のがんを治療したいと思う心はなぐさめられないのだから

 

がんが発覚してからステージ4まで進行したら、と考えない日はない。

自分がこんなにも生きていたいと思っているとは、今まで思いもよらなかった。

もしステージ4に進行してしまったら、気楽な代替医療にすがってしまうかもしれない。

そんな時、「あなた選択肢おかしい、科学的根拠のある治療に切り替えるべき」なんて訳知り顔で言われてしまったら、本当に腹立たしいだろうな。

 

(補足)乳がんを前提として書いているので、他のがんの種類ではいろいろかみ合わないところもあるかもしれません。

2018-03-25

anond:20180325001525

慢性活動性EBウイルス感染症

発熱、倦怠感、リンパ節腫脹などの症状が出て、最初対症療法などで回復するケースもある。

しか根本的な治療をしない限り、何度も再発して白血病などを引き起こし

数年以内で約半数、十数年以内でほぼすべての人が亡くなるという。

2018-01-16

anond:20180114161100

おい、ふなぽん!

貴様、思いっきフツメンじゃねーか!

ていうか、鼻は高いし形が整ってるし、耳の形も綺麗だし、骨格が整ってるよアンタ。

このくらいの肌の人なんて普通にいるか全然気になんねー。

こちとら鼻は低いわ耳は異様にちっちゃいわ家が貧乏から矯正できずにガチャ歯のままだわ皮膚生検したときパンチ穴が顔にあるわ首には頸部リンパ節生検した時の跡があって首切り未遂して失敗した人みたいになってるわ尻には骨髄穿刺した時の丸い跡がいくつも残ってるわコンプまみれじゃコラ!!!

あとステロイドいっぱい飲んでた時は額と顎にニキビ大量発生してたわ。

知ってるか? ステロイドざ瘡(ニキビ)はステロイドの量が減るか飲むのを止めるかしない限り、薬を塗っても治んないんだよな。

でも主治医は一応ビタミン剤抗菌薬(ダラシンTゲル)とか出してくれてた。もちろん、大量のステロイドの前にはそんなもの無力だったがね。

そのうちステロイドの量が減ってきて、今じゃ維持量5mgしか飲んでなくて顔面ニキビMAX状態からは脱したが、顎ニキビけが治らん。飲んでる免疫抑制剤関係してるのかもしれないし、してないのかもしれない。食生活めっちゃ気をつけててもお肌の洗顔とお手入れを入念にしても顎ニキビだけは治らん。なのでこの件で3年前に皮膚科受診した。そしたらディフェリンゲルダラシンTゲルが処方されたんだけど、このディフェリンゲルが超やばいやつだった。顎にしか塗ってないのに顔中真っ赤にただれて(?)、皮膚が剥けまくって痛いのなんの。皮膚科からは中止しましょうと言われたが、「もうちょっと頑張ってみたいです!」と言ってしまった。詳しくは書けないが、そのあと皮膚が大変なことになって、それが完治するまでに1年半かかった。そしてつい先月のことだ。顎ニキビだけはなんとかしたいと、今度は近所の皮膚科クリニックにかかった。前回はディフェリンゲルで大変な目に遭ったが、その後、国内承認された「ベピオゲル[」という新しいニキビの薬に期待を持っていたのだ。

皮膚科医には、ステロイド免疫抑制剤使用であること、ディフェリンゲルで肌がえらい目にあったこと、今までビタミン剤抗菌薬などを使用してきたが顎ニキビは何をやっても治らなかったことなどを伝えた。医師は期待通り「ベピオゲル試してみようか」と言ってきた。予想外だったのが「抗生剤も飲んでみる?」と言われたこと。正直、飲んでも飲まなくてもどっちでもいいわと思ったが、いま飲んでる薬の量がハンパなく多いので持参したお薬手帳を見せたところ「今回はやめとこっか」となった。だよね。今、薬14種類飲んでるし。

「ベピオゲルアクアチムクリーム出すので、これで治らなかったら抗菌薬の服用をまた考えましょう。ディフェリンゲルの話からすると皮膚が刺激に弱いようなので、ベピオゲルは塗ってから15分経ったら洗い流しちゃってください。それでも十分効きますから。15分で大丈夫だったら30分、1時間というふうに時間を伸ばしていきましょう。アクアチムクリームは1日何回塗ってもいいです」

えー、そんな方法あるんだ! それ裏技?すげえ、目から鱗

それで言われた通りに15分で洗い流して、そのあと保湿を兼ねてアクアチムクリームを塗りたくっているけど、あれだけひどかった顎ニキビめっちゃマシになっとる。マジかよって感じ。顎の角質がいつも固かったのが柔らかくなってきてるし。あとディフェリンと違って全然刺激感ないし、皮膚も赤くならない。15分で洗い流してるんだから当たり前? でもニキビにはしっかり効いてる。一昨日から時間を30分に伸ばしたが皮膚に刺激感なし。あー、ディフェリンの件で顎ニキビ治療を諦めなくて良かったあ、と思ったのでした。

にしても、今度から新しい免疫調節薬をスタートさせるのでそれが皮膚にどんな影響を及ぼすやら。持病持ちは原病だけではなく副作用とも共存していかなきゃいけないから大変だ。そりゃ憂鬱にもなるさ。そう自分に言い聞かせながら今日も生きるワイであった。

ふなぽんはいつも自分語りばっかて他人の話なんか全然聞きやしないからワテも思いっき自分語りしたったわ、ハッハッハーッ。

2018-01-02

風邪をひいてから4日目

年末年始、ずっと寝込んでた

今日銀座初売りを見に行こうと思っていたが断念

まだ治らない

顎下リンパ節が腫れていて食事するたびに痛む

起きてても辛いだけだからもう寝る

12〜13時間くらい寝る予定

から今日のチョイスはニトラゼパム2.5mgとフルニトラゼパム1mg

明日はマシになってますように

これだけ寝っぱなしだと確実に筋力や体力落ちてる

明日は動きたいし外出したい

ああ…お風呂入りたい(もう4日入ってない)

2017-12-21

anond:20171212020109

結局、皮下注射だけでいい弱い方の抗がん剤ステロイド剤で治療することになって、効いたらいいねって話だったのに、とりあえず4日で肥大化してたリンパ節がわからなくなるまで小さくなってて何これ怖い状態

とりあえず1週間経ったら先生に見てもらってどうするかって話だけどどうなるかしら。

2017-12-11

古いステープラーの針を踏んで破傷風になるんじゃないかと怯えながら8日過ごした。

左脇のリンパ節違和感などはあったけど、何一つ異常は起きなかった。仰け反るような発作も、後遺症も何一つ。

腹が痛めば胃腸病気でないかと別の病院を当たった。腸が痛いのに胃薬を出され、半分も飲みきらずに快復した。左目がぼやけているように感じて数十年ぶりに眼科を訪れた。網膜にも何も問題はなかった。

気の所為だと結論付けた。

そして今度は左の三半規管と脳、肺、婦人科。どこまで行っても安心する事が出来ない。

2017-08-04

抗がん剤治療

やだなーって思ってた。

髪抜けるのが嫌だった。

髪質が、自分にとって希少な長所の一つなのよ。黒髪の中で浮かないほどの焦げ茶色で、巻かなくても毛先がエレガントにくるんってなるの。

でもまあ、命には代えれんよなあ。

って覚悟決めたら、案外そうでもないんだよね。注射もそうだし、手術もそうだった。事前の想像に比べて、現状はいっぱいいっぱいで、もっといろんな大変なことがあるもので、後から考えると、あんまり大したことじゃない。

 でも、もしも。たまに悪魔がささやく。でも、もしも、つらい思いしないで簡単に良くなる方法あるって言われたら…。

 正直言うと、噂の水素は何度も調べた。そして、わからなかった……。圧倒的に知識不足なんだよねー。どういう理屈で、何が効果的なのかわからなかった。

 親がハマっていて、すすめられては何度も断ってる。拒否していると言ってもいい。

 母の説明では、「水素細胞正常化させる。カプセルなので水素水と違って飛んでかない。副作用はない。ガンに効いたって話もきいた。厚生省お墨付きがー……などなど」

典型的っすね。でも、一つ一つ否定したんじゃだめだと思ったの。だから

心配さ、してぐれる気持ぢはわがっけども、おめえも、昔、じいちゃん(父の父)の健康食品愚痴ってたっぺよ。そん時なんつった? んだら、わかっぺな?」的なことを言ったわけよ。ほんだら、なっどぐさ、いがねでも、わがっだーってごどになっで、そんどぎは、おわっだんだげんども、私の誕生日ん時にな、水素の吸入器あげっからー♪って言われて、もうね…… 絶望したよね。説明途中で、察して、いらない!って言ってその場を去った。

 何でわかってもらえないんだろう。それは、きっとお互いに思ってるんだろうけどもな。

 まだいいのは、現状の私の選択に関しては母は意見してこないこと。

 彼女は、色んな手段しましょうという。でもね、それね、治ったら水素のお陰と吹聴しますよね? 私、色々頑張ったよ。まー、実際頑張ったのは医療関係者の皆様と体内の細胞とかだけども。

 あんまり、母に痛いとかつらいとか言えない関係から、言っても、なんか、わかってもらえない感じがする。痛いとか疲れやすいとか、見た目ではわかりにくくて、できるでしょ、なおったでしょって言われる。これは、結構つらい。さすがにまだだよーと笑って言いながらも、なんだか悪いことをしている気分になる。だって違和感はあるのだもの。それは、私のお腹の縦が赤道証明している。こんなに切ったんだなあと、手術跡を見て毎回思う。

 現状を見てもらえない、実状をわかってもらえない、っていうのがつらいよねー。でも、現状を知って悲しまれるのはもっとつらい。相手の悲しみに傷つくんだよなあ。それはしょうがないことだけどもね。

 脱毛に関しても、自分がなるのはまあ、覚悟つくけど、その姿を見せて、優しい母なり義母なり、悲しい思いさせるのは、本当に心苦しい。

 またこの状況をギャグにできるほどタフな性格でもないんだ。後日、「実はね、あの時ねー」って言うんで精一杯…。

 思いの外、ながくなってしまった……。

 でもね、ひとつわかる。

 絶対治るっていうどこで何をしてるかわかんない長い肩書の人と、現場で実際に病気と戦う医療関係者言葉、どっちを信じるか。

 ガン治る人は、ガンなら何でも効きますかいう。でも、このガンなら対処方法こういうのがありますって方が私は安心する。

 副作用はないって、ガン治る人は言うけど、副作用はありますが、症状によって、その都度対処しますって方が私は安心する。実際、吐き気もなかった。

 自分場合は、比較的早い段階なのも心理的に良かった。ステージ1Aなんだ。術後、リンパの腫れがあって、3を覚悟してくださいと言われたが、病理の結果、採取した全てのリンパ節に見つからなかったので、最終的に1Aとなった。

 なのに、抗がん剤なのは、まー、あれよ、ガンちゃんが部位の外に逃げ出したかも、チェックに一つだけひっかかったのだー。

 でも、それが終わればなんとかなるのだと、先が見えているのもちょっと治療に前向きになれている要因だと思う。

 注射も痛いし、治療もつらいけど、耐えられないほどじゃない。

 正直、心配してくれたり優しい親の気持ちはうれしいけど、ちょっと、困ってもいる。

 それよりも傷もみて、つらい説明一緒にきいてくれて、できることはやらせてくれて、できたら良かったねーっていってくれて、できないことはお任せできて、現状を受け入れて一緒に頑張ってくれる、旦那のような態度の方が、今は一番ありがたい。えへへー 前職が保育士で今が介護職の優しい旦那様なのよー。

 実家も、婚家も、家族に恵まれいるから、今は安心していられるのだろう。治るための努力も耐えられるのだろう。

 また、だからこそ、幻術のような幸せにはあまり興味がないのだろう。

 つくづく思うのは、人生経験だよなって。やなことも、経験することで、たくさん考えて、たくさん調べて、たくさん学んでいる。それを今後にどう活かせるかなんだろうねー。

 今は、一歩一歩進むしかないんよ。この世にルーラはないのだ。

2017-07-31

汗が増えると困る・・・

脱毛すると汗が増えるって本当なの!?

ワキの自己処理が一番サボれないと言っても過言ではないです。本当に永久に生えてこないでいただきたい・・・。でもそんな脇のムダ毛にも脱毛するとデメリットがある!?

ワキに神経やリンパ節が集まっているのは有名ですね。ワキや脚の付け根を冷やせばいいというのはよく聞きます

フェロモンは元からなさそうだから脇のムダ毛には消えていただきたいです。それでも色々な役割があったんですね。汗を発散させてくれてたとは初めて知りました。

毛抜きでの処理はしんどいです。自分の目で見ようとするから目と首の神経がおかしくなってしまいそう・・・。そして何と言っても痛い(^^;)

脱毛・除毛クリーム、家庭用脱毛器は使ったことがないです。

脱毛レーザー脱毛ムダ毛を処理するのが一番手っ取り早いですね。思ったより費用がかからないのはありがたいです。自分で処理するならプロの手に任せたいなぁ。

脇汗が増えるような気がするのは、気のせいだったんですね。確かに今まであったものがなくなるわけですし、そんな気がするのも分からなくはないです。

色素沈着は一度起こると治るまでが大変だから、予防しないといけないですね。

普段から運動するようにしようと思いました。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

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